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万博、一番初め、あの、あそこ、えっと、笛オープンの時に、来たんですけど、笛オープンの時に、初めて、やっぱり、リング、上に浮いた時に、
あ、こんな木造建築が日本で立てられんのや、っていうのに、ちょっと感動しました。もう、圧巻でしたね。
こんな巨大な一つの建物って、ないですよね。
ないです、ないです。日本、やっぱり日本で、多分、ギネスに乗ってんのかな、木造建築で。なんで、すごいな、とか。
ぐるっと回れるってのがいいですよね。
あ、そうですね。全長2キロメートルなんですよ。やっぱり、そういうのもすごいな、と思って。
ね、あの上って、あるってことあります?
あ、ありますあります。
あそこで、植栽も、めっちゃ、四季折々に植栽が植えてあって、なんかめっちゃ管理してる人もいて、朝なんかね、なんか新聞記事読んだんですけど、朝6時か、5時ぐらいに来て、
で、オープンするまで植栽の管理というか、
あー、やってますね。
やってるみたいですね。
丁寧に。で、虫の声も、
あ、ね。
で、なんかその植栽の人に聞いたんですよ。これは虫屋さんとかが話してたって。
そしたら、いや、土に卵とかがいて、あそこから帰ったんじゃないですかって。
そうそうそう。すごいですよね。
だからここで、何も生命がなかった場所で、生命が誕生して、すごいですよね。
夏場とか、この命明かしの場所でも、蝉の声がすごいしてたんで、やっぱこう、なんかね、集まってきたというか、すごいね。
そうですね。でもこの万博のファビリオンに参加できて、すごい楽しかったです。
あの、僕の怪獣さんで、妻なんで、体験をしないですからね。
あ、じゃあ、あの、いろんなファビリオンとかで、何か良かったとか。
あー、ファビリオン。どこかなー。
クエート?クエート館?
クエート館?
うん。一番初めに行ったんですけど、なんかクエートって行ったことないから、ちょっと行ってみようと思って。
行ったらすごい、なんていうんだろう、日本にはない魅力的な砂漠とか、すごく綺麗でした。
プラネタリウムとかもありましたね。
あ、そうです、そうです。ゆっくり過ごせて、なんかダンスもできて。
こんないろんな国の人と会うなんて。
ね、ないですもんね。こんな経験はなかなかできないと。
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やっぱり、前はバンコク、愛知空白が2005年か、20年前。
その前は大阪万博、1970年で、55年前ですもんね。
だから、生きてる間にもう一回、うわ、あんのかなーとかね。
なんか横浜でやるっていう。
あ、あれはあれですよ、園芸博っていって。
あれは園芸博と、なんかあれですよね。
ちょっと違うんです。
違うんですよね、意気込がね。
でもそれもちょっと気になりますよね。
でもただ横浜まで行くのかっていう。
面倒くさい。
ね、そうだよね。
まあでも行けないことは全然。
ないですよね、全然ない。
だから、対話で楽しかったっていうか、なんか。
印象に残った。
印象に残ってる、バンコク。
僕この万博で、車椅子のオブジェが乗ってます。
あ、あのエスカレーターの下に。
エスカレーターの下に。
で、あのオブジェが、こういう僕みたいに車椅子乗ってる人の
エスカレーターに乗ることができない、
その思いをそこに重ねてくれてみたいなのがあるんですけど。
で、なんかその若い、万博になもん、
四五十回来てくる人となんか会ったんですけど、
その若い子が最後に、
じゃあ僕、あなたをおぶて、乗せてあげるよって言ってくれたの。
会があって。
うわ、ね、そんなこと言ってくれる子おんねーやと思うんだ。
なんか僕がエスカレーター乗れないことを悔やんだことをしゃべると、
そんなこと言ってくれるのね。
あれちょっと印象的ですよね。
やっぱりそういう、なんか台湾の中でこう、
通じ合う、私たちが通じ合ってそういう思いを
出してくれるのはめっちゃ嬉しかったかな。
石子文子さんは思い出の台湾なんかあるんですか?
なんか私は回数が少なかったから、
不完全燃焼って感じで、
でもそれが、もうそのまんまなんかの活動に、
普段のなんか、普通に会う人に話せばいいやと思って。