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詩吟の魅力を発信する、詩吟チャンネル
おはようございます。こんばんは。詩吟チャンネルのheyheyです。
このチャンネルは、詩吟歴20年以上の私、heyheyによる、詩吟というとてもマイナーな日本の伝統芸能の魅力や吟じ方について、
わかりやすくザックバラにお話ししていくチャンネルです。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
今、収録している時間は、急に暗くなって雨が降ってきているんですが、
日中も本当に天気が良くて、奥さんと娘と抱っこ紐デビューをしました。
それで公園を散歩するという感じで、ほのぼのとした日を歩んでおります。
ただ、抱っこ紐は本当に便利だなと思うんですが、写真が撮れないですね。
どれだけ撮ろうと思っても顔が完全に隠れてしまって、うまく撮れない。
そして奥さんは、そんな写真に写るような格好じゃないから、私は入れないでくれという無茶振りをするから、
結局一体僕はどこに向かって写真を撮ればいいんだろうという感じですね。
めちゃくちゃドアアップに必死に撮ってたんですけれど、
本当に今、育休のおかげで良い日を過ごせているなぁと感じております。
さて、今日お話しする内容ですけれども、
僕の師銀の先生から、師匠からですね、
昔々教わったちょっとした小話と言いますか、それを一つご紹介したいなと思います。
どういう内容かというとですね、
銀士とは映画監督兼主演である。主演兼映画監督である。
まあどっちでもいいんですけれど、というような内容です。
銀士って一体何なんだろうって考えたことありませんか?
銀士の役割とは一体何なのかということをですね、
何のために銀じるのかというところにも通じてくるかなと思うんですけれど、
始めたばかりのうちはですね、
もうただ難しめの自分をですね、必死に先生に言われた通りに銀じると、
それしかやりようがないんですけれども、
何度も何度もやっているうちに、
あれ、これは一体誰のために、何のためにやってるんだっけなとか考えるようになります。
そして、それで先生がですね、一つわかりやすい銀士の在り方と言いますか、
在り方として話してくれたのがこの話なんですね。
銀士は主演兼映画監督であるという話。
これはどういう意味かというとですね、
脚本はある意味決まっているんですよ。脚本かな?
大まかなストーリーは決まっているわけですね。
この漢詩というものが既に作られていて、
今日本当に雨がひどいな。
まあいいや。
あるんですけれども、
じゃあその脚本をですね、
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どういうふうに演出していくのか、
どんなカメラワークで撮影するのか、
どこにサビが来るというか、
一番見どころが入ってくるのか、
というのを映画監督はですね、
いろいろ考えて表現方法とかを考えるわけです。
そしてその決めた通りにですね、
自分自身で再現する、表現する、実演するということになります。
だから詩吟が難しいという方が多いかと思うんですけれども、
難しくて当然なんですよね。
本来はいろんな人が分かれてやるようなことをですね、
本当に自分の体一つでやる結構一つの総合芸術的なものが、
それが詩吟だと考えています。
本当ですよね。
歌であればバンドがあってですね、
お客さんが前に立っていて、
それに合わせて歌うというところがあるんですけれども、
詩吟の場合はですね、
ステージにただスタンドマイクが一本あるだけという場合も、
結構なくはないんですよね。
少なくもないし、詩吟を披露する場面でですね、
急にどこからともなく尺八とか、
琴を弾く人が現れてくるとか、
そんなわけはないですし、
自分で弾きながら、尺八を吹きながら演じることもできないですからね。
なので本当に自分の体一つで、
この自分をどういうふうに演じていくのか、
それを考えないといけない。
だからこそ面白いんだなという話にもなってくるかと思います。
とはいえですね、
それを自分でどういうふうに落とし込めばいいのかという話になると、
難しいですね。
シンプルに考えるとすればですね、
全体的にこの詩は強い吟なのか、
弱い吟なのか、
優しい吟なのか、
力強い吟なのかですね、
そういう全体感を見て、
その次に起承転結で分けていきますね。
キク、ショーク、テンク、ケック、
それぞれをどういうふうに分けていくのか。
特に見どころを決めておいて、
聞きどころを決めておいて、
そこに効かせていくために、
例えばテンクで聞かせどころがあるのであれば、
その手前の方は盛り上げるためにあえてひっそりとやるとかですね。
場面の説明シーンはキクの方でしっかりとやるとか。
最後の余韻は美しくやろうとかですね。
そういうふうに起承転結を考えたりというわけです。
さらに細かく言うと、
それぞれの起承転結の句の中に置いても、
緩急とか表弱とか間合いとかを考えて、
その表現したいことをより大きく、
より美しく表現できるように考えるわけです。
こう考えると本当に難しいなと思いますし、
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僕はあれこれたくさん考えすぎるとダメですね。
3つぐらい考えると4つ目が本当に、
4つ目を考えると1つ目が抜けていくという感じですね。
奥さんからこれとこれとこれやってって言われたら、
だいたい3つ言われた時点で1つ目が消えていったりしますね。
まだ30代なんですけど。
という話で、銀紙がやはりどういうことを、
どういうふうにこの銀に向き合ったらいいのかというところ。
それの一つのヒントになるのが、
今日の話になるんじゃないかなと思います。
銀紙とは、映画監督、主演兼映画監督であると。
忙しいんですよ。大変なんです。
だけども言い換えれば、自分で全てができるんですね。
自分の体一つで全部演出することもできるという、
なかなかやりがいのあるものであって、
だからこそ奥が深くて尽きることのない、
それも含めて銀道なんだろうなというふうに考えております。
果たして今日の話はうまくまとまったんでしょうか。
自分もこのテーマで行こうと考えながら、
でも実際は喋りながら、次のセリフ、次のセリフというふうに考えているんですけど。
いやー難しいですね。
とにかく銀紙と主演兼映画監督である、
こういうのをちょっと一つ頭の端っこにあると、
もっと銀が奥行きのある楽しみがあるものであるんじゃないかなと思っております。
雨がどんどんひどくなりますね。
よし、じゃあ後半一つ銀字でいきます。
ちょっと雨がうるさいんですけれども。
こちら、今日はちょっと気合入れようと銀にします。
尺、月照、作。
まさに陶油船として壁に台筋ですね。
まず詩文から。
断字、志を立てて、共感をいず。
額、もし。
鳴る、泣くんば。
また、帰らず。
骨を渦むる。
何造気仙。
墳墓の地。
人間至る所、生残あり。
これどういう意味かというとですね、
断字たるもの。
まあ今の時代はもう男性も女性も関係ないと思いますけれども。
ひとたび、志を立てて、
ふるさとを出るからにはですね、
この額文がもし成就しなければ、
もう二度と戻ってこないという、
それほどの決意で行かないといけない。
骨を埋めるのは何も別に、
この祖先のお墓のある、
このふるさとには限らないんですね。
この世間のどこへ行っても、
青々とした美しい山が、
この人の最後を、最後に帰るべき場所を示していると、
待っているのであるということです。
いやー今日は本当にあの、
この晴れた日にこんなに雨がうるさくなるとは思わなかったんですけど。
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まあまあこれもちょっと雑音だと思って、
BGMだと思って、
それに負けないように吟じていきたいと思います。
まあこの詩の特徴はですね、
もう何よりも最初からフルスロットルというところですね。
最初は転句みたいな、
そんな感じになってきます。
まあだからですね、
そこから一気に最後までずっと、
フルスロットルで行くと聞いてる人も多分疲れてしまうんで、
まあ転句で聞くで、聞くの方で思いっきり勢いづいて行くと、
志を立てるんだというところですね。
そして正句のまた帰らず辺りの方では、
力強く自分に言い聞かせるような感じなんじゃないかなと思います。
そして、実際の転句の辺りとかですね、
その辺りはむしろ大人しい感じになってしまいますね。
そして最後結訓のところが人間至るところ。
ここで銀回りが入ってくるんですね。
これはどう表現するかな?どう表現するかな?
いやー、まあやっぱり、やっぱり、やっぱり基本、
フルスロットルでいいような気がしてきますね。
やるぞ!やるぞ!という感じでもいいんじゃないかなと思います。
こんな言い話っぽいのをした後に、これなんとも言えないんですけど。
では、演じていきたいと思います。
まさに投油船として壁に台す尺月照
断じ心差しを立てて
共感を譲る
極模子なる
泣くんばまた帰らず
骨を埋める
何ぞ帰せん
憤暴の地
人間至るところ
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生存
終わり
まあまあ、ちょっとあんまりよく声出なかったなっていうところはあるんですけれども。
そうですね、吟じてみて感じたところとしては、
まあやはり最初はもう元気よくやるぞという感じですね。
自分の気持ちに焦点が当たっているような感じかなと思います。
そして、なんでこんなに心差しが
どれだけいろんなことを志しているかというとみたいな感じで
また帰らずというところですね。
そして、その将来のことも考えるんですね。
もし死ぬことがあっても別にわざわざお墓の地に戻ってくる必要もないんだと
そして吟じていてちょっと思ったんですけれども
この人間至るところを生存あり
この生存ありっていうところがいいなと思いました。
爽やかだなというふうに感じましたね。
多分青年がこれから夢に向かって飛び出すというところですね。
どこに行っても自分の帰るべき場所はもうどこでもあるというような感じですね。
最初は近視眼的にというか自分の気持ちにやるぞやるぞという風に頑張っているけれども
最後の方はですねちゃんと前を見据えて
この遠くの山々を泡落とした山を見据えてですね
よし頑張るぞと一歩踏み込んでいるような
なんかそんな感じが吟じていてしました。
いつも本当に吟じながら考えるっていうあってはならないかもしれないですけど
でもそっちの方がですね頭が働くというか
感性が動くという感じがするんで
僕はいつもこんな感じですけれども適当で申し訳ないです。
では今日はちょっとこんな感じにします。
引き続きですねリクエストとか相談
すでにいただいてるやつ
明日明後日ぐらいにちゃんと回答したいなと思ってますけれども
あとはネット資吟教室の方もですね若干溜まってきているので
それも順次返信したいと思います。
では今日は以上となります。
資吟の魅力を発信する資吟チャンネルはどうもありがとうございました。
バイバイ!