合理的な選択の結果
おはようございます、詩吟YouTuberのheyheyです。本日2本目になるんですけれども、テーマとしてはですね、合理的に賢く考えた道の方がうまくいっていない説というテーマで話したいと思います。
ドキッてする人もいるんじゃないかなと思うんですけれども、なんかですね、あれ?ちょっと今日ふと思ったんですよね。
自分の人生を振り返ってみた時に、少しでも賢く、リスクが低く、合理的にそういう道を選びがちなんですけれども、それってうまくいったんだっけ?っていうところなんですよ。
自分の場合はですね、就活で失敗しましたね。
それはやっぱり思います。
高専行って、そこから大学に行って、大学院行って、大学院から就活って、工業系の場合は工学系になるんですが、その時にこの学科であればこういった分野が当たり前だよねとか、
こういった会社に行くのが王道だよねみたいなのがあってですね、結局自分もほぼ王道のところを必死に準備していったんですよ。
結局のところ3年半ぐらいで心をちょっとダメージ食らって辞めたと。
その次に転職した時もですね、より良い安定を目指してみたいな感じで、もっと大企業のところを転職したんですけれども、
それも2年経たずに辞めたというところなんですよ。
なんというかですね、その時に考えていたところ、考え方は結構鮮明に覚えていて、自分というものはそんなどうせ突出した才能があってとか、運が持ち合わせていてとか実力があるわけではないのだから、そんな大きな冒険をしたらやっぱり痛い目を見る。
だから、とはいえちょっと天の弱な性格も持ってはいるから、手を伸ばす程度に冒険をしよう。
血に足をつけて、そこから普通の人よりも手を伸ばす程度のところの冒険具合、リスク具合に抑えておこうみたいな、そんな考えが基準にあったんですよ。
分かりますかね、足を踏み外すようなそんなリスクは犯さずに、ちゃんとした地面に立っていながらも、普通の人よりもちょっと高いところに手を伸ばすとか、変なところに手を伸ばすとか、そういうぐらいにしとこうみたいな、そんな考えがですね、結構ずっと持っていて、それをベースに就活をしていたって感じだったんですよね。
結局のところ、じゃあどうだったのかというと、振り返ってみるとですね、なんかろくなことなかったなというか、もちろん多少得たことはあったんですけれども、自分の人生にとってどれだけプラスだったかって言われると、なんかあんまりそんな感じがしないんですよね。
本当に変に中途半端に逆しいことをやったことで、より自分のパフォーマンスが下がったような、そんな感じがするんですよね。
逆にじゃあ、合理的じゃない判断をしたときはどういう時だったのかっていうふうになるとですね、まず一つは考戦を選んだことですね。進学するときに考戦を選んだこと。
普通であれば近くのこの偏差値に合わせた、周りの友達にも合わせた、この進学先を、進学校を選ぶみたいなのだったんですけれども、なんかそれつまらないなと思って、全部寮生活で、なんかよくわからない学科がある方が面白そうだし、
思いつきの選択の価値
親元もとっとと離れてみるっていうのもきっと面白そうだし、みたいな。別に親との関係は悪かったわけでは全然ないんですけども、そっちの環境の方が普通と違って面白い。
まあそれだけだったんですよね。それで飛び込んだっていうのが良かったです。
で、資吟に関してもそうですよね。資吟もまあ当時は10歳ですから別に合理的に考える頭が何もなくて、むしろなんか珍しくて面白いみたいなのが原動力だったかなと思います。
それも高生の時に資吟を本当に毎日外で5年間頑張ったんですけれども、その時もですね、何か合理的に考えたというわけではなくて、きっとどんな時であっても毎日続ける、資吟を毎日続ける自分は異常値だろう、異常だろう、意味不明だろう、それが面白いんだみたいな、そういう価値観だったんですね。
大学に行ってからはゴスペルサークルに入ったことが自分の中では大きな良かったポイントかなと思ってます。これも僕は絶対サークルなんぞに入らないってもともと進学した時に思っていたんです。
高生から大学に編入する時は結構真剣に勉強しないといけなかったんで、あれだけめちゃくちゃ真面目に勉強したのだからそれなりに真剣にここで学問を成就せねばならないみたいな考えがもともとあったんですけれども、
実際にいざ行ってみてですね、より先輩の編入生たちに悟されまして、お前アホかと、そんなことばっか言ってたら大学あっという間に終わるぞみたいなことで叱られまして、それでサークルを友達と一緒に探している時にゴスペルサークルに出会ったと。
で、体験してみたらなんだこれはめちゃくちゃ楽しいじゃないかという魂がちょっと動くような感覚が得てですね、それから4年間編入生としては初めてサークルに入ったんですよね、ゴスペルサークルに。
初めての編入生だったんですけれども、3年からゴスペルサークルに入るという非常に面倒くさい立ち位置ながらもだいぶめちゃくちゃ捧げた感じがしますね。本当にそこで青春みたいなものを味わったと思います。それは自信持って言えますね。
そこらへんが今の社会人のゴスペルサークルにもつながっていて、その流れで今の奥さんにも出会ってとか、そんな感じで僕の人生が彩られていることを考えるとですね、考えるとですね、あれみたいな合理的に賢しいことを考えるとなんか失敗するんじゃなかろうかって今改めて思ったんですよ。
今の場合は副業の選択肢ですよね。この考え方が果たして吉と出るか強と出るかはわからないんですけれども、こっちをやったらより堅実で賢いみたいなルートという、合理的に考えたらこっちの方がいいよねっていうルートを選びがち、ちゃんと確実に稼げるしみたいなのはなんかあかんような気がしてきました。
それよりも自分の魂が震えて何か世に残せそうな、でも合理的な理由はあまりない。合理的じゃない。合理的な理由がそんなに見つからない。多分そういう方が自分には向いているような気がしてきました。話せば話すほどそんな気がしてきたんですね。そういう意味ではこの監視録プロジェクトっていうのはだいぶ面白いのかなと思っております。
面白い気がしています。あとはこの前にやっていた示資金ってやつですね。イベントの締めである示資金も合理的に考えるというよりはとりあえず飛び込んでみるみたいな。とりあえずやってみる。人前でやってみる。その反応とかその場を味わうみたいな。これが資金を味わってもらう感覚かみたいな。そういうのを積み重ねていくっていう進め方の方が戦略として合っているような気がします。
この2つがいいような気がしておりますので、これは自分のためにも今話しておかなければいけないなというところでお話しさせていただきました。どうですかね。あなたはどっちタイプでしょうか。多分多くの人は合理的に考えてちゃんと行った方がいいと思うんですけれども、場合によってはそっちのルートの方が失敗することがあるようなそういう人種もいるかもしれませんので、そういった人に参考になれば幸いです。
では、ありがとうございました。バイバイ。