今年、没後25年を迎えた作家・松本清張には、北九州市小倉生まれという説と、広島県広島市生まれという説の二つがあります。
真偽のほどは藪の中ですが、自身のインタビューで、出生届が出されたのは小倉だが、生まれたのは広島だと答えたと言われています。
松本清張の父は、鳥取県生まれ。
郷里を出て広島県の警察部長の家で書生になったり、広島の病院で看護助手をするなど、職を転々としていました。
母は広島生まれで、紡績工場の女工をしていました。
どういう経緯で二人が知り合ったのかわかりませんが、広島で暮らし、そこで清張が生まれたのではないかと推測されています。
晩年、清張は母の生まれた広島の町を訪ねました。
すでに墓も家もありません。一面田んぼが拡がるあぜ道をゆっくり歩き、彼は路傍の石に腰をおろしました。
遥か遠くの山々を見て、しばらく物思いにふけっていたそうです。
ひとりっ子だった彼は、両親、特に母に溺愛されました。
清張は自叙伝『半生の記』に、こんなふうに書いています。
「もし、私に兄弟があったら私はもっと自由にできたであろう。家が貧乏でなかったら、自分の好きな道を歩けたろう。そうするとこの『自叙伝』めいたものはもっと面白くなったに違いない。しかし、少年時代には親の溺愛から、十六歳頃からは家計の補助に、三十歳近くからは家庭と両親の世話で身動きできなかった。私に、面白い青春があるわけはなかった。濁った暗い半生であった」。
そんな彼の言葉とは裏腹に、作家・松本清張の作風は、自由でした。
純文学、推理小説、歴史・時代小説…。
芥川賞をとった『或る「小倉日記」伝』は、もともと直木賞候補でもありました。
未知の領域に踏み込んだ彼の作品は、誰にも真似できない、ジャンルを超えたオリジナリティに裏打ちされていたのです。
いかにして彼はその自由を手に入れたのでしょうか?
松本清張が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
真偽のほどは藪の中ですが、自身のインタビューで、出生届が出されたのは小倉だが、生まれたのは広島だと答えたと言われています。
松本清張の父は、鳥取県生まれ。
郷里を出て広島県の警察部長の家で書生になったり、広島の病院で看護助手をするなど、職を転々としていました。
母は広島生まれで、紡績工場の女工をしていました。
どういう経緯で二人が知り合ったのかわかりませんが、広島で暮らし、そこで清張が生まれたのではないかと推測されています。
晩年、清張は母の生まれた広島の町を訪ねました。
すでに墓も家もありません。一面田んぼが拡がるあぜ道をゆっくり歩き、彼は路傍の石に腰をおろしました。
遥か遠くの山々を見て、しばらく物思いにふけっていたそうです。
ひとりっ子だった彼は、両親、特に母に溺愛されました。
清張は自叙伝『半生の記』に、こんなふうに書いています。
「もし、私に兄弟があったら私はもっと自由にできたであろう。家が貧乏でなかったら、自分の好きな道を歩けたろう。そうするとこの『自叙伝』めいたものはもっと面白くなったに違いない。しかし、少年時代には親の溺愛から、十六歳頃からは家計の補助に、三十歳近くからは家庭と両親の世話で身動きできなかった。私に、面白い青春があるわけはなかった。濁った暗い半生であった」。
そんな彼の言葉とは裏腹に、作家・松本清張の作風は、自由でした。
純文学、推理小説、歴史・時代小説…。
芥川賞をとった『或る「小倉日記」伝』は、もともと直木賞候補でもありました。
未知の領域に踏み込んだ彼の作品は、誰にも真似できない、ジャンルを超えたオリジナリティに裏打ちされていたのです。
いかにして彼はその自由を手に入れたのでしょうか?
松本清張が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
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