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2025-01-21 21:15

#48 老舗道具商が語る伝統と革新:時代を超えて受け継がれる美意識とは|伊藤穰一 x 戸田貴士(谷松屋戸田商店)

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今週のお客様は、江戸時代より続く、大阪・伏見町の道具商谷松屋戸田商店の14代目当主、戸田貴士さん。江戸時代の大名数寄者、明治以降の近代数寄者と深い繋がりを持っていた茶道具商は名品を世から世へつないでいく影の立役者的存在です。なかでも谷松屋戸田商店は、江戸中期から第一級の茶道具を扱ってきたことでも知られ、大名茶人として知られる松平不昧、近代数寄者の藤田伝三郎や平瀬露香などを支えてきました。今回は、最近すっかりお茶にハマっているJoiさんとお茶道具に関するちょっとディープなお話です。


【編集ノート】

編集ノートでは難しい用語や人物名などの詳しい解説をお伝えしています。 

https://joi.ito.com/jp/archives/2025/01/21/006034.html


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サマリー

本エピソードでは、谷松屋戸田商店の戸田隆さんが、日本の茶道具商の伝統と革新についてお話しされています。戸田商店の歴史や茶道具に込められた美意識、藤田伝三郎との関係性について深く掘り下げられています。また、老舗道具商の戸田貴士氏との対談を通じて、伝統的な美意識とその革新が語られています。さらに、日本茶道における道具の重要性や、好き嫌いを基にした感情の変化についても探求されているようです。

戸田さんとの出会い
戸田さんとは、外国人を日本に呼んで、コロナ前から僕が企画してた、アメリカのメンバーの日本ツアーで、毎年延期になって、去年の5月にやっとそれが起きて、その時にお茶会があって、そのお茶会の現場で戸田さんが仕切ってたっていうのかな。
いや、僕はもう水屋に入ってたんで、裏方をずっとお手伝いさせていただいてた感じですね。
で、お道具の説明とか色々してくれてて、一番仕切ってた感じがして。
しました。
せんのそうくさんもいて、せんのそうくさんはすごい人だってわかってて、ちょっと怖かったんで、話しやすい戸田さんに声かけて、僕もちょっともうお茶は始めてて興味あったんだけれども、あんなにすごいお茶会始めててすごい感動したので、もっと勉強したいっていうので、戸田さんと名刺交換してナンパしたんでね、僕からちょっと会ってくれって話して、戸田さんのとこに行って色んな話を聞いて、その後ずっと色々教えてもらってるっていう関係。
ジョーイトース・ポッドキャスト、本日のゲストは大阪の清見瀬道具商、谷松屋戸田商店の14代目当主、戸田隆さん。
最近すっかりお茶にハマっているジョイさんにとっては、奥深いお茶の世界へと誘ってくれる頼れる先輩、みたいな感じ。
今日はそんな清見瀬お道具屋さんによるお茶道具に関するちょっとディープなお話です。
ジョーイトース・ポッドキャスト。
お茶やってない人がお道具屋さんって聞くと、多分イメージがわからないと思うんだよね。
よくない部分。
時代劇でちょっと怪しい人みたいな感じだと思うんだけども、実はどんどんどんどんお茶に入っていくと、このお道具屋さんっていう重要さがわかってきて、
そしてお道具屋さんが基本的に仕切ってること多いよね。
大体お茶会やるときにお道具だけじゃなくて水屋っていう裏方もやるし、
そしてストーリーを考えるのを助けてくれるし、前からそういう裏方っていうポジションだったわけですよね。
そうですね。
その元々の成り立ちと、今だとどういうことをやってるのかってちょっと説明してもらってもいい?
道具屋の成り立ちって言うと、じゃあいつから始まったかっていうのははっきりはしてないんですけれども、
戸田商店の場合は大阪の仙場っていう場所、今は淀屋橋って言うんですけど、そこからもともとは当物屋って言って空物を扱う一つの道具屋さんから始まる。
中国から来てるものですね。
多分ね、戸田商店も調べると多分当物屋から始まってまして、そこから少しずつ茶道具っていうものにも変わっていくんですけれども、
そういう時代背景があるんですけど、それはいわゆる秀吉が城下町として淀屋橋、不審町っていう場所を一帯を、
もともとは薬、九州から堺に入って、堺から城下町として淀屋橋に入ってくるんですよ。
やっぱ薬の文化がすごく強くて、なので今、企業さん、もう武田薬品とか、あの淀屋橋から発祥なんです。
なので薬の町。
もちろんオランダ医学を勉強していた小型公安もそうですし、結構大阪の淀屋橋って結構中心の町だったみたいで、
で、その町の中でお道具屋さんっていうのがあったっていう、昔は本当に3軒ぐらいしかなかったんですけども、
この谷松屋、戸田と広島屋っていうのと香谷って言ってこの3つぐらいしかお道具屋さんって当時なかったみたいで、
それが今現存してるのはもううちだけになってしまったっていう、うちはもう一番その中でも新しい方だったみたいです。
そうなんですね。うちのお父さんの方のおばあちゃんって堺の商人だったので、ちっちゃい時から堺の商人っていうイメージはあって、
どっちかっていうとポジティブなイメージだったんだけども、結構自由な変わった空間だったわけですよね、あの当時の堺って。
そうですね。
そういう意味でその秀吉の時代からなのかあれですけど、国としての特別な扱いだったわけですよね。
だと思います。
それが大阪に流れるんですか。
大阪、だから城下町秀吉のその大阪城のふもとであった城下町にこうすべて流れる、それはほら川がいっぱいあるでしょ。
だから貿易しやすかったんですよ。
なるほどね。で戸田さんのところは500年以上前。
いやいやそんな行かずにうちはね1690年代に戸田宗家っていう初めにいた人は分かってて、それが1690年になられてるんですけど、その後の初代谷松屋権兵衛っていうのが初代で1726年ぐらい、
京方11年ぐらいかな、江戸末ですかね。
江戸末ね、江戸の末、一番最後か、江戸の、でその後明治になる。
その後明治になっていきます。
松平さんのお道具屋さんが一番その頃。
そうですね。
何代目ぐらいだっけ3代目とか。
松平不舞妓は7代目だったと思うんですけど、松屋の藩主としては。
で戸田商店はその当時は8代目の露銀がいわゆるすごく松平不舞妓と大変久しくさせていただいて。
じゃあもう6代目だったんですね。
でその松平さんは多分あの時代ではお茶道具とかお茶人として一番ですよね。
まあ藩主であそこまでお茶にこだわったコレクターっていうのはまあいないでしょうねきっとね。
でその時期は戸田さんはメインではなかったけど結構手入りしてて認められてたお道具屋さんですかね。
そうですねあの不舞妓ってだいたい聞くと結構江戸にいたんですね。
島根に戻らずに割とまあ品根もちろん戻るんですけどもあまりにも参勤交代が多かったのでその参勤交代を渡るときに戸田商店の必ずお店に寄って江戸に行ってたっていう。
なるほど。
まあその時はまあある意味趣味お茶道具の趣味だったのでコレクターがすごかったのでそれで常に戸田商店には来られてたという。
そのお道具にハマる人ってある程度自分でテイストがないとテイストというか目利きとかセンスがないとハマらないのかセンスがなくてもハマった人っているのか。
多分ね僕はやっぱりそのお茶事をしていく中で停止をしなきゃいけないのでそのすべての責任感をやっぱり停止は背負うわけで。
なるほどね。
一生懸命なるんですよねお客さんに伝えようと思うと。
そうするとどういうその取り合わせをすれば相手が喜ぶかとかどういう取り合わせをすればかっこよく見えるかとかいうのはきっとなかなか初めからできるものではないので。
そうだね。
やっぱり繰り返してうちにあのやはりいいお茶ができるようになるという考えを持つので。
そうだねこの間も結構きちっとしたお茶会に呼ばれていてやっぱりこの停止のお道具の考え方とか説明の仕方ってかっこよかったよね。
そうですね。
やっぱりああなりたいってなると勉強しなきゃいけないし勉強するのにはいろんなの見なきゃいけないし。
そうですね。
そうするとハマっていっちゃうんだろうね。
信頼関係と美術品の選定
松田家さんの後に藤田伝三郎も戸田さん。
そうですね。
藤田さんは戸田さんたちがメインだったんですよね。
全てではないのですけれども基本的にはうちがよく出入りさせていただいてたっていうのは聞いてます。
藤田伝三郎さんの時はちょうど明治が始まって結構お道具とか仏教のものって叩き売りされて。
その当時たぶん一番お金持ちの一人だったわけだよね。
藤田さんの歴史の話でも結局他人から買うときにも必ず道具屋さんを間に入れて格付けは道具屋さんがするっていうプロセスだったわけですよね。
この間藤田美術館の藤田さんもポッドキャスト出てもらって話を聞いて。
で代々付き合ってるのって面白いよね。
そうですよね。
たぶんそこで気づいてきた信頼関係と道具も全部知ってるわけだしね。
そう実は谷松屋戸田商店の戸田家と以前番組に出演いただいた藤田美術館の藤田家は藤田伝三郎の時代から代々お付き合いがある関係ですごく仲が良いみたい。
実は藤田美術館館長の藤田清さんから戸田さんに関するこんな情報をゲットしていたんです。ちょっと聞いてみましょう。
戸田さんなんかはうちはもう明治からお付き合いをさせていただいて。
代々付き合ってるんですね。
そうですね。で藤田伝三郎がその美術品収集し始めたときは全国から藤田家に美術省が来てたんですけども、この中でもやっぱり戸田さんが筆頭で。
戸田さんのところにはずっとお世話になって美術館設立の時も今私たちの知ってる戸田さんのおじいさんがその時は手伝いをしてくださって。
でそれ以降美術館の展示は建て替え前2017年まではもう作業の時も戸田さん、戸田商店さんが手伝いに来て一緒にやっていただいて。
で私なんかは入った時はもう紐の結び方から何から全部戸田商店で教えていただいて。
でっていうのがずっと続いてるので。
戸田さんと年齢は?
えっとですね、彼の方が年齢が2つか3つ下なんですよ。
下なんですね。
なんですけどすごい偉そう。
この間教えてくれた話でしていいのかな。お茶碗を欲しくて彼が与えさせてあげる。
すっごいいいお茶碗を見つけたんですよ。
3人ぐらいで東京の美術賞のギャラリーに行って、なんかいいのあったって聞かれたから。
いや俺あそこにあるカラツがすっごい好きだって言ったら。
まあ値段もなんとかなるかなどうかなぐらいだったんですよね。
そしたらすーって高橋くんが見に行ってパッて見てこれ買いますって言って買ったんですよ。
あ、え、俺買おうと思ったのになとかちょっと思うじゃないですか。
ちょうど僕官庁に就任した直後ぐらいだったんですよね。
そしたら今すぐじゃないけど、買えるときに買ってくれたら嬉しいけど、
ちょっとこれで茶箱を組む。
お茶碗とか茶入れとか全部入れて箱に入れて茶箱組むから、
それできたら俺、清志くんプレゼントするよって。
就任祝いで。
お前えらいええやつやんと思って。
でまあそうは言ってもねやっぱり欲しかったなっていうのもあるから、
ある程度貯金してたんですよ。そろそろ買えるなと思って。
じゃああの茶碗やっぱり茶箱にしてって言ってたけど俺買うわって言ったら、
ごめん、売った。
えーっと、もうないね。
でどこ行ったんとかって、いやなんか買いに出したからどっかの業者が買って誰かみたいな。
嘘やろって言って、その話を僕は笑い話で曹奥さんにしたんですよね。
そしたら曹奥さんが、ふんふんふんふんって言って、
ちょうど奈良の幸福寺の混同の楽器保養のときだったんですけど、
過去ぐらいかな。
これ見てって言って、曹奥さんがその茶碗持ってきやがったんですよ。
そしたらその僕の話を耳から聞いて、
たぶんあの茶碗ってすぐ分かって、今持ってる人も知ってて、
そこから曹奥さんが買って、今曹奥さんが持ってあるんですけど。
でそのお茶会は高橋くんも手伝い入ってたんで、
ちょっと驚かしたろうって。
ちょっと高橋休憩で、ちょっとあっちでお茶飲まへんへんって。
はいはい、って言ってきてお菓子出して、
でその茶碗でお茶立てて出したんですよ。
そしたら、そう言ったので、ええ茶碗っすね。
あれ?って。
どういうこと?
でもそのとき僕聞いたのは、なんか売っちゃったって言った後に、
回ってくるよって。
そうそう、あの道具はもう回りもんやから、
思ってたら回ってきますとか言うんですけど、全然回ってこない。
で、それ見たとき、あ、回ってきたじゃんって言われたでしょ。
ほらね、かなんか言ったんですよ。
あれじゃねえわと思って。
その話聞いたときに思ったのはやっぱり、
そうくさんと藤田さんと戸田さんが、
たぶん代々同じような感じでやってるんじゃないかな。
そうですね、何世代かごとにそういうことやってるんですよ、きっと。
たぶん藤田伝三郎さんとかもそんなノリだったのかな、
それとも今は今で独特なノリなのかな。
いや、それね、僕も最近結構考えるんですよ。
本当にじゃあそういうノリだったのかなって思うと、
確実に今のノリとはちょっと違うとは思うんですよ。
伝三郎って言ったら、なかなか人前にあまり出ない人だったって噂も聞きますし、
じゃあ今の藤田さんとずいぶんポイントが違う。
それは僕ら、僕と藤田さんなんてもうこの教養と文化の無さ。
だからまあ、今の時代である遊び方っていうか、
まあでも感覚的には一緒だと思うんですよ。
道具のコレクションにしろ、お茶をするにしろ、人との関わり方にしろ、
やっぱそういう意味では、今と昔って根本的には変わってないと思いますよね。
だってあの、もともと秀吉とかも、
お茶だったらそんなにこう教養なくても入っていけるっていうのもあったわけだよね。
オリベさんとかも結構変わってたみたいだし、
でも藤田さんの親戚も結構遊びは好きだった人もいたって噂はあるので、
だからちょっとノリは違ったかもしれないけども、
でも楽しんではいったよねみんなね。
だからなんかその今の結構決まりごとが多くて、
茶道の楽しさと道具の理解
ちょっと厳しくて、あんまりこう笑ってなさそうな回とは多分違ってたはずだよね。
でもそれってずっと違ったのかな。
それとも、だからお稽古ごとがメインになってきたのは戦後とか明治の後なのかな。
どうでしょう。
僕はそのふまいこっていう時代には、
ふまいさんも笑って楽しんでたような気がするんですよね。
で、その後にデンザブローとか、いわゆる近代好き者っていう人たちが出てくるんですけれども、
みんなでもやってることは一緒で、面白く楽しんでたと思います。
そうだよね。
でも今の参戦権も結構やってる人も楽しまなきゃいけないっていう、
別に楽しむなとは言ってないよね。
ただ楽しむ雰囲気がちょっと違う。
そのお茶の中でも、ほんとね、これ話は別になるんですけども、
いわゆるお茶事をしていく上で、お茶事のストーリーってもちろん食事したり、
炭出前して食事して、小い茶で薄茶になるんですけど、
結局ね、小い茶の部分、炭出前の部分もそうなんだけど、
やっぱり小い茶っていう部分だけはすごく集中するんですよ。
これはみんな静かになるし、
そのやっぱり音を聞かないといけない、香らないといけない、感じないといけないので、
そこではわいわい喋れないわけですよ。
でもその前にお酒いっぱい飲んでるんでしょ。
飲んでるんです。だからその飲んだ、酔っ払った中に、
その小い茶にこうスッと入ってった世界観っていうのは、
もうすごい五感がビリビリと走るような。
なのでそこだけが集中であっていいって僕は思っちゃってて、
なかなかそれを応用性の茶会で感じようと思うとなかなか難しいですよね。
そういう意味で別にきちっと決まりごとがあって、
お稽古やってる人たちと他はみんなでへへしてるわけではなくて、
決めるとこはビシッと決めて、そこの中の雰囲気が違うだけで、
でもちゃんとしたお手前とちゃんとしたお茶事ができたほうがいいとは思ってるわけだよね。
お茶事とかお手前もそうだけども、道具の理解もそうだよね。
そうですね。
道具だと何がいいものか分かってたら、ちょっと変わったものになんか手出せそうだけど、
分かんないと難しいよね。
だからなんでも、理休さんの言葉でね、
手張りって有名な言葉があるんですけど、まさにそうで、
やっぱり基本を必ず守って大切にして、
そこから破壊していく、一度壊していって、
それで離れていくっていう感覚っていうのはすごい大事で、
やっぱり基本はある程度必要ですし、
個人のテイストの形成
じゃないと何を壊してるか分かんなくなる。
そうなんですよね。
で、やっと離れていくっていう、自分のお茶事を、
自分の表現をしたいお茶をやっていく、
自分の欲しいコレクションをしていくっていう感覚なんでしょうね。
最初僕も始めた時に、まだ2年しか経ってないんだけども、
茶釈にしても何にしてもみんな好みみたいな、
で、そうくさんと最初いろいろ話した時も、
すごい怖い質問されて、ひとさんどんな好みですかって聞かれて、
まだ好みなんかないっていう答えで、
で、やっぱり好みを自分で持つっていうのは、
やっぱり基本が分かって、
好みって何なんだっていうところからやんなきゃいけなくて、
で、やっとだんだん好みみたいなものが育って、
戸田さんのおかげでいろんなもの見えて、
でも戸田さんに言われて最初は、
もうとりあえずこういろいろ買ってみて、
で、後で必ず今買ってるものは恥ずかしいけど、
それでいいんだとか言われて、
そうなんだと思ってちょくちょくやってるんだけども、
でもだんだんそれが分かってきて、
だんだん前に買ったお道具恥ずかしいし、
こないだお茶買いに行った羽織が、
この裏地の地が1行1円なのね、
で、作った時すげえかっこいいと思ったんだけど、
今恥ずかしくて切れなくて、
なんかこれお茶大好きですみたいなパッチで、
なんかだんだんこう、まだ2年しか経ってないのに、
最初買ったものってもう全然難しくて、
で、多分どんどんそれ続くんだろうなっていう感じはするんだよね。
難しいね。
いやでも伊藤さんはもうバッと走り続けていくから、
もう僕も気づいたらもうどっか行っちゃってるから。
前に行ってればいいんだけど。
たまに後ろ行ったり横行ったりする。
でもお道具屋さんとしては、
戸田さんなんか自分のテイストっていうのはどうやってこう作ってきたの?
いやテイスト、まあとにかく僕は、
ただ好きであるだけでいいって思っちゃったんですよね。
それは色々と僕この業界入って後を継ぐ時に、
父にも色々と話をしたりしたんだけど、
あのそれこそ直乳さんにパッて言われたのは、
もうたかし君好きでいいよって。
もうそれだけでいい。
嫌いと思ったらもう嫌いでいいんだよって言われて、
それが未だにずっと心に残っている一つの自分の核となるもので、
好き嫌いで結構僕は判断してて、
嫌いなものは嫌いだし好きなものは好きって。
でそれをやっていくうちに、
前は嫌いだったのに最近これ好きだなって思ったりもするし、
すごい前好きだったけど今もあんま好きじゃないっていう風な、
ずっとそのなんか心の中の感情が年をとるにつれて、
変わって変化していくっていうのが若干ありまして。
現代の茶道の文脈と挑戦
そのなんかお茶とかお茶道具とかっていうイメージと、
やっぱり今の若い子たちがかっこいいと思うイメージって、
やっぱりちゃんと接続できてないので、
あれはあれですごいかっこいいと思うし、
で去年5月直乳さんとも会って、
でミュージックニュースさんもイタリアだっけに行ってて、
でアーティストでモダンなものも分かって、
戸田さんもフランス。
僕はフランス、パリにはい。
で結構そういうこう外国のセンセビリティをちゃんと持って、
帰ってきて接続するとか、
あとは今最近よく遊んでるあの補送さんもファンクロックに行って帰ってきたり、
でやっぱりなんか今の30代40代の人たちがみんな後継いで、
新しい文脈に落とし込んでいくっていうのってすごい大事なような気がする。
大事ですね。
ジョイさんとハニマツ屋戸田商店戸田たかしさんとのトークはまだまだ続きます。
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戸田たかしさんが留学していたのはどこだったでしょうか。
国名を大文字半角英数字でお答えください。
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