終わってしまった青春の話
うつわの話、第2回目です。
エピソード80で宮本さんを聞き手に、さらば愛しきロザンよというエピソードを収録したんですけれども、
あの時はですね、間近にまたやろうかなどうしようかなみたいなことを言いながら終わったんですが、
その後ですね、なんと気持ち悪いことに、私あのエピソードを10回くらい聞き直しています。
で、なぜ、あれなんで俺自分の話をこんなに10回も聞き直しているのかなと思ったのが、
5回くらい聞き直した時に気づいたことがありまして、あの話の中にメディアヌップってこういうテーマで、
こういうポッドキャストをやりたいなってヒントが詰め込まれていることに気づいたんですね。
メディアヌップって、はまった沼から抜け出て、ちょっと高いヌップからそれを冷静に分析してみようみたいなテーマがあるんですけども、
実は、うつわについて語るっていうのは、私にとって好きだったものを語るっていう過去形なんですね。
実は、もうそうじゃなくなった状態から、冷静になって喋ってるんですよ。
っていう回だったことに気づきまして、私にとってうつわが好きだっていう青春時代が実は終わってしまってるんです。
なので、今日はですね、エピソードのタイトルを、青春をさらにかけてっていうタイトルにあらかじめ考えたんですけども、
その更の青春、そして終わってしまった青春について語ってみたいと思います。
メディアヌップ。
こんばんは、佐々木です。
こんばんは、宮本です。
謎の独り語りが今何分間か経ったと思うんですけども。
いやでも、なんか珍しいですね。タイトルが先に決まってるっていう。
そうですね。実はね、前回のさらば愛しきロザイオっていうのは、
ルパン三世の最終話。さらば愛しきルパンよっていうのがあるんですね。
ルパン三世シーズン3、宮崎駿監督のさらば愛しきルパンよっていうのがあるんですけど、
それにちょっとかけていって、さらば愛しきロザイオって言ったんですけども、
今回の青春をさらにかけてっていうのは、上村直美っていう登山家がいるんですけども、
いるっていうかもうだいぶ前になくなっちゃった有名な登山家がいるんですけど、
その上村直美のデビュー作の本で、中高年とか今でいうと段階の世代、
6、70歳の間に空前の登山ブームをもたらした有名な本があるんですけど、
それにかけまして、青春をさらにかけるっていうのをしたんですけど、
なぜそんなパロディをわざとするかっていうと、
その青春っていうキーワードをちょっと引っ張っていきたいなと思いました。
終わってしまったものについて語るっていう。
なんで、そういう回です。
ます頑張って押さえようとしてる感がすごい伝わってきますね。
でもね、なんかうまくまとまらないっていうかね、
例えば本1冊読んで感想を言うっていうのは、
例えば簡単なことだと思うんですよ。
1個の入力に対して1個の出力すればいいんで。
でももう皿っていうのはもうでかくて、長くて深くやってたんで。
前回はね、ロザンっていうお店の切り口があって、
ロザンっていうお店に初めて出会った時の日から、
最終日閉店の時に店に並んでるっていう、
始まりと終わりがある時間軸の中で、
終わりに向けて話が進んでいく。
つまり、終わる瞬間の話から始めましたよね、前回。
閉店の並んでる話から始めて、
出会った時の話から始まって、
関係が深まっていって、最後閉店するっていう。
映画でよくある、ラストから最初に行って、
もう一回ラストに行くって構造を持ってたんで、
とにかくその順番に喋れば着地するだろうと思ってたんですけど、
今回はね、その構造まだ発見できてないんで、
ただただ溢れてるっていう。
どうしようかなと。
でもこの間の回も本当はお皿全般の話をしようと思ったら、
タイトルが先に決まっている収録
ロザンの話で終止。
それで終わってしまったっていう回だったんですもんね。
そう、気づくとね、あんまり皿の話をしてなくて。
大島文彦さんっていうかっこいいおじさんの話をしてました。
いやー、かっこよかったですね。
写真を改めて見たけど、すごいかっこよかったな。
だって、みほんさんがついこの間の配信で、
僕、古本屋やりたいですと。
入り口から店主のカウンターまで結構距離が離れてて、
店主が好きなレコードをかけながら、
本当は売りたくないいい本まで、
しょうがなく棚に並べていやいや売ってるみたいな、
いいこと言ってましたけど、
7割ぐらい大島文彦ですからね。
本当ですよね、あの写真の世界観を、
僕もあれを出したいんですよね、あの仕草。
まだ全然出せないからな。
いやー、そうなんだよね。
あれ、そうそうそう。
なので、さらの話をしてないんですよね。
でもいいんだよ、タイトルがさらば愛しき路山よったから。
今回はずわりさらの話をね、
してみようかと思って、
とりあえず2回目の収録に臨んだんですけど、
手元にはね、なんかいっぱいメモがあるんですよ。
でもこれをどんな順番で何を喋ったら、
まとまった配信になるのやらっていうのがあるんですけど、
あるんですが、
言ってても話が前に進まないので、
1個ね、宮本さんに問いかけてみたいことがあるんですけど、
自分が子供の頃、
両親と暮らしてる時に使ってたお皿で、
今も覚えてるものってありますか?
今も覚えてるお皿…
子ども時代の記憶に残るお皿
あんまり…そんなにないんですよね。
なんか僕の両親自身もお皿にたぶん興味があった感じじゃなかっただろうし。
でもね、そんな立派なものじゃなくていいんですよ。
立派なものじゃなくてよくて、
ただその繰り返し食卓に登って、
なんかこの料理食べる時はこの皿出がちだなと。
なんかそういうのなかったんですよ。
なんかそれで言うと、サラダボールですね。
僕の母が、何なんだろう。
たぶん本物じゃないですけど、レトロな模様が好きっていうか、
あのレトロっていうのもいろんな時代があるからですけど。
昭和レトロみたいな、鼻柄の黄色とオレンジと茶色とか。
そうです、まさにそんな感じです。
その黄色の鼻柄が横にずっとボールの外側に続いていくような形で、
で、下はベタで黄色く塗られてるみたいな、
サラダボールはすぐパッと実家の器って言われると浮かんでくる。
あるでしょ?
そうなの。
誰しもね、多くの人は何らかそういうお皿を何個か記憶に持ってるんですよね。
お皿を探す旅
で、僕そっからお皿に入ったんですよ。
つまりどういうことかっていうと、
僕前回の配信で、焼き物のお皿のかっこよさみたいなのに最初にビビッと来たって言ったんですけど、
高いからそんなにポンポン買えたりしないじゃないですか。
そうですね。
ただその民芸とか、あるいは洋の美とか、あるいはその身近なものでめでていくみたいな、
その精神性みたいなものに、あ、いいなって思った時に、
何もこう、なじみのない立派な作家の陶器を買い集める必要は別にないわけないんじゃないかと思って、
ちゃんと身の前のものから目を凝らしていいものを探そうと思ったんですよ。
はいはい。
それはやがて大島さんに会った時には、100均のウレタンのお椀だっていいんだぞっていう風に言われるわけですけど、
それよりもっと前ですね。その話を聞くよりもっと前の時に。
そうした時に、僕実家にこう、実家のある陶器屋に帰った時に、
普段使わないでいるお茶碗とか、あるいは昔使ってたけど、
だんだんこう、両親世代って物捨てないからどんどん溜まっていくじゃないですか。
はい。
そういうものを整理しながら、家の中にあるいい器とか、
良さそうな器、使えそうな器みたいなのを探すってことを全部やったんですよ。
はいはい。
で、僕その4世代くらいが住んでたような家だから、
もう昔のお茶碗とかお椀とかもうすっごい山ほど出てくるわけ。
で、その中に自分が小学生の時とかに使ってて、よく見てたんだけど、
だんだん一つのお皿って何十年も使わないから、ちょっと欠けたり、
数が揃わなくなってくると、お尻入りとかに行ったりして、
少しずつ新しくなっていって、
だんだんと耐久性の高い山崎春のパン祭りみたいな、
白い皿ばっかりになってくるんだけど。
はいはい。
耐久性最強だから、ほんと耐久性最強でね。
生き残るのはね、山崎春のパン祭り。
で、うちの母さんがスーパーで勤めてるからさ、
パンの袋についてるシール、タダみたいなもんらしくて、
売り切れたやつがね、このカビたやつが。
もう山ほどあるんだけど、
山崎にやられる前のお皿っていうのが、
お尻入りとかが出てきた時に、
子供の時に食ってたカレー皿とか、
あとはお刺身のお醤油をするためのお皿とかね、
ちっちゃいお皿とかがわーって出てきて、
もう涙出るぐらい懐かしくて。
で、そういうものを新聞紙にくるんで大事に持って、
東京に持って帰って、
で、もう一回自分の食卓に出し直したりして、
子供がまたそれでご飯食べたりなんかしてるのを見る時に、
なんかその一つの食器が時間と距離を超えて、
家族のご飯、食卓に上ってるっていうものに、
絵も言われぬこの満足感を感じる。
わかります?
これもまた気持ち悪い自己満足かもしれないけど。
すごい場所も変わってて、
でも使う人もそうですね、変わってて、
でも器は一緒っていう風景、景色。
もちろんその器の中に新しい、
最近買った新しいものも混ざってるし、
家族が食べる料理も違えば、
その料理に合ったお皿も変わるから、
当時と同じようではないんだけど、
同じじゃなくていいんですよ。
混ざり合っていくっていう感じ。
器を大切にする気持ち
うん。
なんかそれが一時すごい楽しくて、
しかもタダでしょ。
そうですね。
家にあるから。
確かに実家から持ってくるっていう。
実家から持ってくるから。
もうタダだから。
はいはい。
そうするとやっぱり、
何も考えずに選んだお皿よりは、
やっぱり多少なりともいいものだし、
そのお皿がいいかどうかよりも、
この料理に合うお皿っていうのを、
ちゃんと選んで選べるっていうかね。
はいはい。
そういうことの方が大事なんですよ。
規模が大きい料亭なんかだと、
食器のために蔵を作るのが普通で、
で、なんでかっていうと、
季節に応じて出もある野菜とかお魚が違えば、
それにぴったりのお皿が違うってことで、
必要なお皿×4、
季節分っていうのは必要だから、
食器のための蔵が必要なんですよ。
すごいよね。
実はそういうものだから、
お皿って食べるものとかに合わせるからね。
もちろん個人の家でそこまでやる人いないと思うけど、
そのお皿が立派かどうかよりも、
今の季節にあった、
自分たちが食べたいものの料理に合った器があると、
それすごく映えるから、
安物でもなんでもいいんですよ。
そういうところからね、
私の青春が始まってきまして。
器の青春が。
後継でいうとそうかもしれないですね。
僕もいまだに一個だけ、
僕が高校卒業してすぐ働き始めて、
一人暮らしが始まったので、
その時に、
買ってもらったのかな?
茶碗を、今の一人暮らしが終わって、
妻と結婚して子供が生まれてからの
食卓での僕の茶は、
ずっと同じ茶碗を使ってて、
もう10年くらい?
10年くらいそうですね。
そう考えるとって感じでした。
あんまり、この器ずっと使ってるなって、
思ったことなかったですけど、
それこそ場所も変わって、
普段の食卓の風景とか、
一緒に食べる人みたいなのも変わったりしてるけど、
その茶碗だけは一緒みたいなのは、
確かに全然僕、感じれてなかったですね。
そこに考え向かされたけど、
長く使えるものを大事にする
でも言われるとそうだなと思います。
僕ね、そういうのすごい分かるっていうか、
大事にしてて、
うちの奥さんは、
中学校の時に同級生からもらった、
ムーミンの絵が描いてる、
マグカップみたいなやつがあったんですよ。
もうね、35年、30年ものみたいなやつでした。
今のようなね。
もう、僕、器いっぱい買いすぎて、
入らなくなったものとか処分したり、
あげたり、売ったりってこともあるんだけど、
大事なやつは当然残しておくんだけど、
大事なやつってのは高いやつって意味じゃなくて、
思い入れがあるかどうかだけだと思うんですけど、
食器にかける思い
ムーミンのマグカップとかちゃんとあるんだけど、
これ奥さんのんだけどね。
そういうのあるよね、やっぱり。
そうですね、確かに。
それが混ざってる感じがまたいいかもしれないですね。
作家さんのやつだけに統一されて、
前のやつがどんどん淘汰されて、
新しいものになっていくんじゃなくて、
入り混じってる感じはすごい面白いですね。
僕もね、
言ったら新品ばっかりやるのかっこ悪いじゃないですか。
別にかっこいいかっこ悪いじゃないんだけど、
かっこいいかっこ悪いじゃないんだけど、
身近にあるものをちゃんと自分で選んで大事に使うっていうことをやってったら、
新品ばっかりになるわけがないからね。
新品っていうか、
作家もののいいやつばっかりになるわけがないんで、
それはそれでいいんですけども。
そういうふうにしてだんだん食器を買っていくと、
もちろん食器棚のサイズを超えては持てないわけですよね。
一回食器棚のサイズを大きくして、
追加の食器棚を買ったんですよ。
でももうそこまでだと。
これ以上増やしてもしょうがないっていうことで、
まずは一旦数の上での打ち止めが来るんですよね。
そうなると質的転換が起こっていくわけですよ。
もうこれ以上置けないってことは、
これは出番がなかったなとか、
気に入って買ったけど、
今作るものには合わないなっていうのもなくなくね。
捨てなくていいんだったら何も捨てたくないんだけど、
なくなくこの食器棚から外して、
新しいものを入れていくんですけど、
それ捨てるわけじゃないんですよ。
これ気に入って買ったやつだから。
それで僕が何をやったかというと、
新春食器市っていうのを会社の中でイベントをやりまして、
年末年始皆さんおうち大掃除しますよねと。
その時に余った食器とか、
使わなくなった食器とか、
そういうものを会社に持ってきてくださいと。
1日くらい会社の大きい会議室のテーブルとかに
乗っけておくんで、
皆さん好きなものを持ってってくださいと。
どうぞお好きにお持ちください新春食器市。
やったんですよ。
これがね、すっごい楽しいんですよ。
すごい楽しそうです。
なんて言うんだろうな。
そんな変な食器ってやっぱり世の中ないんですよ。
自分の暮らしに合ってるとか自分の料理に合ってるとか、
家族の今の好みに合ってるってことでしかないから、
自分がいらなくても他の人すぐ欲しがってくれたり、
あるいは僕から見たら、
え、これ、ただで持ってっていいんですか?
なんか混ざったりとかするから、
お皿で言うと100枚200枚集まるんだけど、
もう半日でなくなるくらいバーってなくなるんですけど、
それはね、僕がリーダーと思って、
僕がリーダーってなってお皿を回遊させるね、
思ったんですけどね。
そうすると自分の食器棚の中で出番のなかった選手たちが、
トレードによって新しい人が活躍していくんですよ。
俺これ傑作だと思ったのが、
人んちのホームパーティー行ったら、
自分がその時に出したお皿に料理もらえて出されてきて、
向こうはそれ分かんないわけですよ。
食器も100枚200枚あるから、
誰が何持ってきてるか全く分かんない。
でもその人は気に入ってくれて、
かつこの料理にはこの皿が合うと思って出してくれて、
それがたまたま自分がホームパーティー行った時に、
大輔さんこういう料理好きだと思うからって出したやつがそれなわけ。
俺も好きで買ってるやつだから。
だから自分が育てた選手は、
もうたくさんの料理を持ってきて、
自分が育てた選手は、
多球団で大活躍してるみたいな、
そういう感じで。
しかも俺を打ち負かしていくみたいな。
手放さなきゃよかったなみたいな。
これいいわけ。
これすごいいいんですよ。
なるほど。すごいすごい体験ですね。
それすごいよ。
はいはいはい。
確かに、
収集していくと、
物理的にもう持てなくなってくるみたいなの絶対ありますよね。
今その話を聞いて気になりました。
うん、ある。
でも、
それがいいことだと思うんですよ。
そうか、持てる量が区切られてる。
そう、持てる量が区切られてるから、
無限の再現のない欲望に苛まれて、
苦しむことがないんですよ。
だからちょっと話先までしちゃったんですけど、
俺にとって青春が終わったっていうのは、
まずは自分が持てる容量いっぱいまで来たと。
持てる容量いっぱいまで来た時に、
必死的に転換が起こったと。
つまり、これまでだって僕100円ショップのものとかね、
3コインズとかそういうものを組み合わせてたんですけど、
どちらかというとそういうものから退場していくんですよ。
それはやっぱりいたしかたない。
で、その収まる範囲の中で、
全ての皿に納得がいくようになった時に、
それがもう本当に終わりなんですよね。
で、一応その先はあって、
キャンプ道具に持っていく皿とかナイフとかを
全部それにしていくとか、
シチュエーションが変わってくる。
あとはもう食器棚に置けないんだったら柿。
花をいけるやつの方に入っていくとかね。
あるんですけども、
それね、青春っていうかね、
おじさんとおじいさんの話なんですよ。
引退後の。
そうそうそうそう。
だからやっぱこう、食事に関する青春期っていうのは
やっぱりそこまでね。
はいはい。
一応僕はさっきのサイドBでね、
ミラーリングの話をすると思うんですけど、
はいはい。
東野の自分のお部屋の食器も
もう満杯になりました。
そっちもなんですか?
そっちも満杯になりました。
もう完全に打ち止め。
もう完全に1枚も買う必要はない。
東野の俺の部屋のやつも、
あらゆる皿、あらゆるマンカップ、
食器の収集
あらゆるサラダボール、完璧なやつだった。
完璧で完璧に近い味にしちゃったんで。
はいはい。
もうね、
唯一あるのはね、
ガラスのグラス。
はいはい。
ガラス製品。
これね、普段使ってるとね、
やっぱり悲しいかな、
1年に1個2個割れていくんですよね、
ちっちゃい子供が。
はいはい。
そればかりはね、
新しいものを買うことが許されるっていうかね、
悪に許される。
はいはい。
器の青春ってなんか、
青春って言葉がすごくいいなと、
僕最初にこのタイトル聞いた時に思ったんですけど、
やっぱりあの、
ちょっと前に、
自分がキャンプにはまったとか、
あとは、
それぐらいのタイミングの時に、
服に、
服にずっと興味がなかったわけじゃないんですけど、
より熱を持ち始めたとか、
音楽を、
アーティストを掘り始めたみたいな時とかって、
なんかすごい僕にとっては、
青春だなって、
感覚がすごくあったんですけど、
なんか、
ササキールさんからも同じ気が、
なんかその追いかけてる感じというか、
なんかこう、
足りなくて求めていく感じなのか、
なんかこう、
夢中な感じがすごい青春が、
いいなと思ってて、
で、なんとなくでも、
服とか音楽とか、
あの、
まあ最初に言ったキャンプとかになると、
結構僕情報収集する時に最高そう、
雑誌とか、
を読んでいたりして、
なんかそれもまたなんか僕の中で、
青春を感じる要素の一つだったりするんですけど、
なんか器ってどうやって、
例えば器界で言ったら、
物理的な限界
例えば&プレミアムとかがよく、
2回以上特集組むとかね、
確かに確かに、
そうですね、
キッチンと道具とかわかんないけど、
しょっちゅうやってるんでしょ、
はいはい、
でもね、
だいたい漏らさずに5年ぐらい買うと、
あるパターンとか、
過去に出てきた写真とか、
同じ料理家さんの違うキッチンの違う角度とか、
うんうんうん、
なんかある種底が見えてくるんですよね、
はいはいはい、
で、そうなると、
出た特集全部買わなくてもいいか、
みたいな気になってくるんで、
つまり、青春が終わってるってことなんですよ、
それが。
はいはいはい、
なるほどな、
でも青春がね、
終わることが僕悪いって言ってるんですけど、
青春期があるっていうか、
終わるべき青春期、
で良かったなって思うわけですよ、
はいはいはい、
例えば、無限に追いかけられる趣味って、
いくつかあると思うんですけども、
うん、
例えば、
東京都内の美味しいラーメン屋さん、
全部巡りたいとか、
ははは、
無限ですね、
ほぼ無限じゃないですか、
そうですね、
年間に食べれる量と、
新規回転する量と、
繰り返し食べたい、
そういうやつと混ぜているから、
ほぼ無限の、
ラーメン好きな人って10年20年追いかけるじゃないですか、
はいはい、
それに比べると、
食器とか、
服とか、
本とか、
レコードみたいな物って、
物理的な限界が来る、
贅沢、
浪費、
なんだけど、
それ故に、
物理的な限界が来るから、
そういうやつだなと思って、
うーん、
でも、
揃い切った器って、
見てみたいですね、
いや、
揃い切ったっていうか、
完璧ななんとかってことじゃないですよ、
単に、
いっぱいになって、
これ以上、
足切りをして入れ替えたくないと、
好きな物だけになっちゃったかな、
皿を持ち寄るパーティー
完璧って言葉は間違ってましたね、
もうこれ以上は手放せないっていうぐらい、
愛着のある物だけで満たされたっていう、
はいはいはい、
へー、
だから僕怖いですもん、
今、食器とか行くの、
だって、
苦しむのが目に見えてる、
確かにそうだね、
自分が、
そうですよね、確かにそうだよな、
そしたらまた自慢持ち状態の器が出てきちゃうし、
苦しんだ時どうするかって、
人にあげるっていうのは、
プレゼント用に買う、
贈答用に買って、
はいはいはい、
見に行って買わずに帰るっていうのは、
なんかすごく失礼に、
当たったりすることもあるんですけども、
まあまあ、
みんな気にせずにバンバン見に行ったらいいと思うんですけども、
やっぱなんかちょっと買って帰ってあげたいなと思うことがある時に、
自分の家にあげない時なんかはもう、
人にあげる物だと思って贈答用として、
買ったりして、
もう、
そこまでして買ってますからね、
人にあげるために、
人にあげるためにっていうか、
そうね、
あげるために買いに行ったわけじゃない、
買うために人にあげてる、
確かに確かに、
買うために人にあげてる、
はいはいはいはい、
まあ俺その青春で、
ああ懐かしいと思ったのが、
ホームパーティーする時に、
料理を持ち寄るっていうのは、
よくあると思うんですけど、
器を持ち寄るパーティーをしたことはありますか?
器を持ち寄るパーティーをしたことなんですよ、
器を持ち寄る、
つまり、誰も料理を持っていかない、
その代わりにバッグに皿いっぱい詰めて、
持ってきた皿に居酒屋さんに料理を持ってもらう、
わかります?逆転してて、
料理は持っていかなくて、皿だけ持ってて、
その皿に店主に料理を持ってもらって、
ご飯を食べるみたいなのをやったことなんですけど、
まあね、盛り上がりますよ。
4人いて、みんな5枚とか6枚持っていって、
それがテーブルに並ぶじゃないですか、
料理を食べるじゃないですか、
食べながら、この皿持ってきたのは誰?
これはどこで、あれがこうで、
って喋るんですよ。
読書会的器鏡バトル
へー、そんな楽しみ方があるんだ。
そう、すごいよ。それはすごいよ。
それはめちゃくちゃ面白い。
でもやっぱりそれはあれなんですね、
単純にお皿を見比べたりするだけじゃなくて、
やっぱり料理が持ってあったほうがいい。
そう、やっぱり料理を守るためのものですからね。
そっかそっか、そうですよね、器自体が。
すごいね、読書会みたいな感じの。
読書会は多分共通のやつを読んでいくと思うんだけど、
なんなんつーの、ビブリオバトルみたいな。
このほう面白いと思うんだけど、
お互いにプレゼンするっていうのを。
はいはい。
そうだね、ビブリオバトルみたいな感じだね。
食器鏡、食器鏡バトル。
それでも面白いですね。
でもなんかやっぱり見てもらいたくなるというか、
使ってもらいたくなる感じもすごくわかりますね。
なんかやっぱり思い入れがすごくあるから、
なんか話したいし、
なんか見てほしいみたいなのがすごいよくわかります。
みんなそれをさ、普段よくやってるのは、
男のキャンプはそれやってるんだよね。
キャンプ行く時に。
で、なんか前回のキャンプの時にはなかったギアを、
なんかゴソゴソと取り出して、
あ、そのランタンいいねみたいな。
これどこどこの限定の、
なんかニューカラーの、
限定100個のみたいな、
なんかそんなのあるじゃないですか。
やってますね。
それに近いから、
それに近いね。
すごい面白いですね、確かに。
ただね、あまりにもこう、
集まりとしては負担がでかいというか、
あの、どっかの居酒屋さん予約したんで、
7時ねとかじゃなくて、
もうなんか、
もうその日みんな仕事あるのに、
リュックに皿割れないように大事な皿、
リュックにパンパンに詰めて、
パンパンっていうか、
梱包剤でパンパンにして、
リュックにして、
でまたその店長にもご理解いただいて、
そうですよね。
あ、そっか、その居酒屋さんが
やってる催しとかではなくて、
違う違う違う、
俺ってか、
その居酒屋さんご案内してくれたの、
僕の友人だったんですけど、
やってもいいよって言ってくださるとこ探して、
やるんだけど、
まあ、さすがにね、
それはお店では1回しか行われなかった。
はいはいはい。
でも本当のホームパーティーとか、
やるのはやったことあるんですけど、
それはさらにその後何回かやったんですけどね。
はいはいはい。
でもそれこそ、
人にあげた時に自分の皿が出てきたような感覚で、
なんかこう、
違う一面が見れるみたいな、
感じもあるんですかね。
いや、ほんとね、
違う一面が見れますよ。
そもそも居酒屋さんで出てくるお皿なんて、
あの、
大量生産の安物ばっかりだから、
はいはいはい。
でも、
こんなお皿があるんだとか、
この料理このお皿に盛るとめっちゃ面白いんだとかって、
思うことが全くないんだけど、
はいはい。
4、5人がその、
自分たちで作る器
自分が好きな器を持ち寄って集まると、
もう見たことのない景色になるんだよね。
うーん。
いや、例えば言っちゃ言葉悪いかもしれないけど、
これ、誰が買うんだみたいな、
あの、
猫の絵柄がびっしり書いてあるお皿とかね。
へー。
まあ、つまりどんなお皿でも、
みんな好きなの持ってくるから。
はいはい。
みんな民芸長が好きな人ばっかりじゃないから、
みんな個人的に好きなの持ってくるだけだから。
うーん。
え、これどこでやってるんですか?
マシコの、なんか、どこどこの作家さんの、
すごい個性的な絵付けをする人がいて、
すごいなんか可愛くて買っちゃうんですよね、
みたいなのを。
で、見たらすごい可愛いわけ。
はいはい。
で、あ、こんなのあるんだとか思いながら。
うーん。
まあ、自分が普段行かない、あの、使わないお皿にこう、
すぐ出会えるから、友達集まるとか。
はいはい。
まあ、そういうのもすっごい面白いしね。
へー。
確かに、やっぱ自分で使ってると、
なんか定番化してきますもんね。
これの時はこれ、みたいな感じだったりするから、
なかなかこう、
する。
変えにくいというか。
でも青春自体、なんかそれこそ、
ささきるさんだと、
なんかこう、よく行動して、
何か作る側というか、
作るみたいなこともやってたりしそうな感じがしますけど、
なんかこう、そういう方にはいかないんですか?
基本こう、買って、
はいはい。
使う?
あの、いや、教室にも行ったことあって、
はいはい。
なんか、やったことあるんですよ。
で、あの、大学の時も、
他の美術系の専攻に行ってたんで、
うーん。
その授業の中で陶芸あるし、
で、社会人になってからも、
教室に通ったこととかあるので、
はい。
もちろん作るの興味あるんですけど、
あれはね、
いいよね、あれ。
器を通した世界の広がり
あれはね、いいんですか?
そうなんですかね。
そうだね、そんなに1回、
僕も1回しか経験ないっすね。
なんかほんと、あの、
言葉を使わない世界にこう、
行くのがすごいね、
気持ちいいですね。
あの、ちょっと、ちょっと練習に行くとか、
ちょっと教室に行くだけで、
へー。
例えば、自分が、
例えば、
私が、
今、1センチ開けてくださいって言われて、
はい。
目つぶって、1センチ開けようと思うとね、
まあ、あんま綺麗に1センチにならないですよ。
はいはい。
なんていうか、
自分の手がコントロールできてない。
どのくらいの厚みにしようかって時に、
あの器でこうやってこう、
土をこう上に上げていく時って、
はいはい。
器を愛する理由
なんていうか、器の親指と中指で、
中指とかでやるんですけど、
中指と親指がどれくらい離れてるかって、
自分も分かんないんですよ。
角度的に。
側面から見ないと、そうっすよね。
どっちも見えるわけじゃないから。
身体的にどれくらいの厚さ、薄さで、
それを今絞ってるかってのって、
分かんない。
トレーニングしないと分かんなくて、
そういう普段使ったことのない、
自分の感覚を使うんだよね。
はいはい。
そういうのが、
あらゆるスポーツとかもそうかもしれないけど、
いや、面白いですね。
はいはいはい。
なるほどな。
自分で作り。
そうっすね、僕もなんか、
僕が初めて、
自分で器を買った場所が、
僕の地元、
欧州市に、
カフェと、
ご夫婦でやられていて、
奥様がカフェをしていて、
旦那さんが、
陶芸というか、
マシコで修行されて、
その地で、
陶器を作って売ってらっしゃるっていう、
喫茶丸代っていうお店だったんですけど、
もともとはそこに、
カフェに通ってて、
でも、そのカフェの本当に、
扉を隔てて向こう側に、
工房があるっていう感じだったので、
そこで器作ってるっていうのを、
初めて見て、
その店主さんと仲良くなったのをきっかけに、
自分で、
初めて作家さんものの器を、
買ったんですけど、
それが最初の1枚?
はい。
よく考えたら、
ずっと使ってる茶碗っていうのも、
その方が作ってる茶碗?
はい。
僕はいずっと使ってて、
じゃあね、
それは良い買い方です。
僕はその、
実家のお茶碗とかから、
ハマり始めたって言ったんですけど、
そこから本格的に、
僕がのめり込んだのは、
沖縄旅行に行った時に、
ヨミタン村っていうところに、
ヤチムの里っていう、
上り窯があって、
良い土が採れるところに、
20葉か30葉くらいの窯があるんですけど、
そこ行くと、
ちょっとその、
広い公園かな?
結構広い公園みたいなところに、
30個くらいの窯元っていうか、
作家、あるいは作家の集団のところがあって、
1店舗1店舗巡るだけで、
30何個全部回るみたいな、
里があるんですけど、
それは単に、
店舗がいっぱいあるだけじゃなくて、
みんなそこで、
朝から晩までいて、
ろくろ回して、乾かして、
焼いてってことをして、
暮らしている里っていうぐらいだから、
ヤチムの里っていうぐらいだから、
里なんですね。
みんなもちろん住んでるとかは別だと思うんだけど、
ほんと里っぽくなってて、
そことかに行くと、
作家さんとかが、
ろくろ回した泥で汚れた、
衣服とか、
頭にタオル巻いて、
昼ご飯を食べた後に、
お茶とかをのんびり飲んでいるようなところに、
紛れ込んで行って、
これ売っているんですか?
これどうやっているんですか?
聞きながら、
その人たちが作ったもの、
焼きあがって並んでいるものですけど、
そういうものを、
買ってきたりするんですけど、
暮らしにあるところっていうか、
暮らしている手から、
ひねり出されているものが、
これが今、
これで売っている、
これですか?
もちろん、
その人たちが飲んでいるお茶とか、
お茶碗とか、
お昼ご飯を食べている皿って、
全部自分たちで作っているものなんですよね。
すげえいいな、これって。
修行したいって、
言いましたけど、
それはもう、
自分の里って、
すごいもう、
民芸の有名なところなんですけど、
そうじゃなくてもね、
いろんな地域で作っている方がいるので、
そういう窯に行く機会があったり、
そういう知人を得る機会があったりしたら、
似たような体験ができると思います。
みょんさんは多分体験したので、
それに近しいことだと思います。
自分で器を作る経験
そうですね、確かに確かに。
実際に作っている工程のところと、
あとカフェでその器を使っていたので、
確かにそれででしたね。
あとそこのカフェで、
名前忘れてないんですけど、
男飲みじゃないけど、
男性だけが集まる会みたいなのがあって、
その飲み会の半年前、
3ヶ月前くらいだったかに、
1回みんなで器を作って、
お酒用の器を作るんですよね、
みんなそれぞれ。
で、その3ヶ月後に、
そのカフェ営業が終わった夜に、
その人たち集まって、
自分の作った器で飲む会みたいなのもあったりして、
そこで、
僕が唯一自分で作ったのは、
ワイングラスを陶器で、
その時作ったんですけど、
それが唯一自分で作った。
女性を排除している理由がよく分からない。
確かに。
そこに関しては、
僕も賛成しかねえというところがありますけれども、
自分が作ったもので飲もうということに関しては、
僕すごくいいなと思いました。
確かに確かに。
なんでだったんだろう。
そうですね。
そういう会がありましたね。
そういうのいいよね。
作ったもので飲もうみたいな。
そうなんです。
すごい楽しい、いい会でしたね。
だからやっぱり、
いいなと思うのが、
旅行先での器の手土産
僕その、
うちの奥さんがどっか旅行行った時に
何か作ってきた器があるんですよね。
まあよくありますよね。
陶芸体験とかっていって、
その旅行先で陶芸して、
好きな釉薬つけて、
乾かして、
3週間後とかに送られてきますよ、
みたいなやつ。
で、あれ大事に持って、
今でも使ってるし、
あとは、
このサンフランシスコにいる同僚が、
その焼き物大好きで、
その人が自分で作ったやつを、
物に対する思い入れ
うまくできたやつを
一個僕にプレゼントしてくれたやつとかはもう、
それはもともと出来もいいし、
そうやってくれたこと自体も嬉しくて、
ずっと持ってるし。
なんかその、
やっぱ物の来歴とか、
来歴って大事じゃん。
はいはいはい。
すごい自分で作ったとか、
人に作ってもらったとかって、
そういうのはもう絶対外せない。
もう一生、
手放さないような感じになる。
そうですね、確かに。
でもなんか本当にその、
なんか初めやっぱり器の話を聞くときに、
こう、
作家さんに対しての知識がないとか、
何々焼きとかを分かってないと、
みたいな、
なんかどうしても器、
すごいそういうイメージが湧いちゃいますけど、
なんかそうじゃなくて、
それぞれがもう、
それぞれにこう思い入れのあるものが、
みたいなのが、
もういいですね。
骨董品屋さんみたいなとこに連れて行かれて、
なんか器好きみたいに言われると、
みたいな。
ちょっと宮本さん編集者だから、
今日の俺の裏テーマを見破りましたね、今。
あれはね、
あ、そうなんですか。
僕今日作家の話とか、
釜の話しないようにしてる。
全く出てきてないなと思って。
唯一八文ぐらいしか確かに。
そう、八文の里の中にも、
有名なね、
もともとはというか、
人間国庫の大峰実生さんというところがあって、
で、今有名なとか、
北釜っていうのはすごい有名なのがあって、
で、僕がさっきお茶とか飲んでて、
ほのぼろしてるとこ、
ゆくたや釜とかいうんですけど、
そういうのはたくさんあるんですけど、
そういう小有名な、
小有名詞をバンバン出して、
なんか、
あれ知ってる、これ知ってるみたいな。
なんか、
なんかカッコ悪いんですよ。
カッコ悪いんですか。
そんなのは、
そんなのは何でもよろしいみたいな。
今では思うので、
今では思うのですけども、
そういうのもね、
好きな時もありました。
でも正直に告白すると。
はいはい。
欲しいと思う気持ち
やっぱりね、
僕散々こんな成人君子じゃないやん、
その、
いや、物なんて安くていいんですよとか、
自分の思い入れある物を使えばいいんですよ、
家族とか、
友達が作ってくれたやつとか、
と言ったんですけど、
やっぱりね、
物って、
物っていう物は、
他人の欲望を反射するところがあって、
自分は自由程度しか欲しくなかったのに、
他にもね、
他にもそれ欲しいって人が出てくると、
自分の欲しい気持ちが12にも15にもなるんですよ。
はいはいはいはい。
なんか、
負けてられるかみたいな気になってくるっていうか。
はいはい。
まあ、そういう意味で、
自分が今まで体験した中で一番すごかったのが、
はい。
ロザン展示会における混雑
伊藤明信っていう作家がいて、
はい。
これはロザンの話になっちゃうんですけど、
ロザンで毎年展示をやってて、
だんだんだんだんと人気になっていって、
うん。
印版って言って、
その、印刊っていうかその、
版を押すような、
この青く滲んだ、藍色の滲んだ、
あの模様を描くお皿ですごく大人気になった、
あの方がいて、
はい。
で、ある年までは、
まあ、普通に初日に、
まあ、オープンの時に行けば、
ゆっくり全作品を見て、
で、自分の好きな物を選べたんだけれども、
うーん。
入店制限がすごくて、
事前に整理券が配られたのはもちろんなんだけど、
うん。
1時間前に行っても、
もう50人、
あ、50人目ぐらい。
はい。
もう直前に行った人はもう100人増しとかになってたんですけど、
あの、それでどうなったかっていうと、
僕より前にいる人たちは、
もう、あの、両手で段ボールを抱えてる。
うーん。
で、その、入店制限しますと、
あの、こんな一気に入れないから、
10人ずつ入れますねって言ったら、
はい。
その10人が、その、吟味して、
段ボールに入れてくんじゃないんですよ。
もう入った瞬間から、
手に触る物を全部段ボールに放り込んでくる。
へー。はいはい。
で、もう店開いた瞬間に、
もうガチャンガチャンガチャンガチャンガチャンガチャンガチャンガチャンガチャンって音しかしないんですよ。
はいはい。
割れてる音じゃないよ。
割れてなくて、段ボールにどんどん放り込んでいくと、
うーん。
周りがどんどん取っていくから、
まあ、焦って取って段ボールに入れてくる。
っていう。
で、もう選んでね。
入口から順番に段ボールに入れられていって、
で、最初の10人とか、
2組目の20人までで、
お店の中空っぽになっちゃったんですよ。
はいはい。へー。
後ろに並んでいる80人は、
え、何が起こったんだと思う。
で、大島さんは、
来年はやらねーよ!
つって消えてるっていう。
まあまあ、消えてる。
まあ、消えてるっていうか、
もうすぐと大混雑になっちゃって、
買い占めなくなったんだけど。
まあ、僕、その人はちょこちょこ買ってたんだけど、
その、1時間前に行ったにも関わらず、
もうその、段ボールの人たちによって、
もう全部買い占められたのを見た時に、
そうか、はい。
あ、なんだ、こんなに大変な思いしなきゃ
手に入らないんだったら、
もういいやとは思わないのが人間なんですよ。
なんとしてでも、
なんとしてでも欲しいと思って。
で、一応手に入れる本はたくさんあったんですけど、
で、
まあその、新しいものが焼き上がるたびに、
今に残る器の魅力
いろんなお店で展示会あったり、
いろんなところで販売したりするので、
その初日の生理期限を争ってというか、
申し込みをしたり、
事前オンライン登録をしたりとかっていうので、
で、ラッキーに滑り込めた時には、
まあ、1個、2個買うみたいな。
はいはい。
もうその時には、もう、
なんていうんだろうな、浪費の鬼になってる。
その時にはもう、
もうその時にはもう、
この料理は、
この器は今度作るこの料理に合いそうだなとか考えてない。
もう在庫ある限り、
早くいいの買うぞみたいな。
顎出て、顎出て、顎出ちゃってるみたいな。
全然その匂いが全然してなかったり。
でね、いやでもそれも青春の重要な要素で。
はいはいはい。
何をやっておるんだと。
そうですね。
それにすごい器って、
なんかそういうのにすごい向いてない感じが勝手にしちゃうんですけど、
なんかその家の中で、
結構なんていうんですかね、
他人に見てもらうような場所に、
なかなか出づらいものだったりするか。
なんかそれがこう、なんていうんですかね、
限定Tシャツとかだったら、
わかんないですけど、
なんかこう、来て誇らしげに歩いてるとかがあるかもしれないですけど、
手に入れた皿は、
基本こう食器棚にあるというか。
だからあれですよ、
基本的には転売です、転売。
そっか入手方法はそうですよね。
個人の作家が、
1年にろくろあるいは釜で焼ける数って、
生産数に限りがあるので、
1年に作れる生産数を上回る人が欲しいと思った瞬間に、
もう転売が成立するわけですね。
で、陶器って重みもあって地域性もあるから、
そのお近くの人じゃないと買いに行けないわけですね。
そうですね。
買いに来れるとしても、
新幹線代往復何万円とか出しても、
飛行機まで3万円出さないと、
並びに行けないみたいな風になるけど、
その差額払ってもいいから、
メリカに出されるものが欲しいとか思うので、
成立するんですよ。
だからもうそういう人たちは、
段ボールで来て、
もう手に入るもの入り口から全部買っていくみたいなことになるわけですけど。
はいはいはい。
浪費ですね。
青春期に窮地に陥る
でも、いいんですよ。
サイミングとか、
いける風の限りがあるから。
必ずその浪費と贅沢には、
終わりが来るって。
終わりが来る。
はいはいはい。
いや、そうですね。
そういうタイミングがあるって考えたら、
確かに終わり重要ですね。
終わり重要。
そういう状態になるタイミングもあるから。
全然、
全然そういうのなかったんだな、
笹切さんはっていう。
何々の議論とかじゃないんだなっていう。
勝手に。
いや、そんなことない。
大体全部暗記し終わった後に、
暗記し終わった後にやってるから。
いや、俺本当もね、
これより上行くには、
あの、
お店を開くか、
料理屋さんを開くか、
食器屋さんをやるしかないっていうレベルまで
やっぱ来てしまう。
はいはいはい。
毎週末、
そこそこ買ってるっていうのを、
5年、7年続けると、
もう、
店開くしかなくなるんですけど。
そうなんですよね。
やっぱり、そこで立ち止まって考えるっていうかね。
いや、それこそあれですよね。
子供が漫画のキャラクターの必殺技を暗記するように、
今さえあれば、
全国の窯の名前を地図見た暗記して、
あのブルタスで特集されている作家を、
見たことがないやつがないか全然、
全部インスタグラム検索して、
フォローして、
とかね。
その青春期にはそうしましたよ。
猿のように。
青春だな。
しかも、結構意外と最近ですか?
その青春って。
そんなこともないんですか?
そうですね。
意外と最近で、
青春が決定的に終わったのが、
ロザンが0点した時。
そっか。
でも、その時にはとどめさされてたんですよ。
もうこれ以上は買えないんで。
ただ、キャンプ道具に移ったり、
柿に移ったり、
実家の皿をよくしたり、
逃げ道を探して歩いてたんですよ。
もう最後、とどめをさされたんですよ。
そっか、そっか。
でもね、青春といえばですよ。
青春期を振り返る
これ、いい本があって、
原田マハさんの小説で、
リーチ先生っていう小説があるんですね。
リーチ先生。
バーナード・リーチっていう、
イギリス人の、
日本で、
民芸運動の、
柳創越とか、
濱田翔二とか、
河合勘次郎と一緒に、
民芸運動の、
やった作家の、
代表的な作家なんですけども、
それのリーチ先生っていう、
小説があるんですけど、
これはね、個人の青春期っていうか、
日本の陶芸の青春期みたいな、
はいはい。
今、名前を挙げて、
伝説的な人物たちが、
全員等しく20代になった、
若返し頃の、
第一次世界大戦が終わって、
第二次世界大戦が始まるまでの間の、
世界の、
経済的繁栄を、
いけて、
グローバリズムが進んでいく中の、
日本とイギリスでの、
交流みたいなね、
あるんですけどね。
その小説を最近読みまして、
なんで読んでなかったんだろうと、
思うようになったんですけど、
最近読みまして、
ほんと、
みんなね、青春してるんですよね。
器で。
器で青春してる。
器で青春してる小説。
銅の矢缶の話
器で青春してるんだよね、みんな。
すんごいね。
いいんだよね。
はいはい。
だからなんだっていうことは、
あるんですけども、
やっぱりあれって一つの、
おっきいムーブメント、
今に繋がる。
そうですね、人間と。
今の原点のような。
今みんなが夢中になってるというか、
今の原点みたいなもんだから。
はいはい。
いやいやいや、
今回も、
どうなったことやら。
これね、民芸といえばね、
俺こういう人と喧嘩しとったことがあって。
すごい、民芸で。
民芸というかね、
民芸なのかな、
いや民芸っていう、
民芸の何かを別に俺知らないから、
おっきい言葉を使っちゃいけないのかもしれないけど、
やっぱ使わなかったら意味がないと、
僕思うタイミングですね。
割れてもいいし、汚れてもいいし。
はいはい。
で、その、
ツイキドウキって言って、
カンカン叩いて伸ばした、
銅で作ってる矢缶。
工芸品というか、
民芸に近いような、
後輩じゃない、民芸かな。
手で作られてる銅の矢缶みたいなものがあって、
それ、
メルカリだったかな、
で、それをキャンプに持ってて使ってたんですよ。
はい。
吊るして、お湯沸かしたりなんとか。
はいはい。焚き火の上で、
みたいな感じですかね。
そうそうそう。
そしたらね、
それはね、デイキャンプだったんですけど、
10人くらいだったかな。
で、集まって山の中で、
味噌を作る。
大豆を茹でて、
で、コハジをつけて、
で、塩と混ぜて、
で、味噌作りを楽しみながら、
キャンプにしたり、
こう冷えたりするみたいなやつがあって、
で、僕その矢缶持ってって、
自分の焚き火台でそれをやってたら、
そんな立派なやつを、
すすだらけにして、
何考えてんだお前は、
っていきなり怒鳴りつける人がいたんですよ。
へー。
僕よりも15歳くらいだと思うんですよ。
だから、年齢関係的には、
敬語が成立しなくて普通ぐらいの、
あれなんで、
それに関してはいいんですけど、
いきなり怒鳴りつけられたんですよ。
お前何やってんのみたいな感じで、
いやでもこれ、
使わないと意味ないですし、
え、いいんじゃありません?
みたいなこと言うと、
2回目また怒鳴られたんですよ。
つまり、
その人の価値観ってのは、
アートとか、
あるいは民芸の世界でもいいのかもしれないけど、
そういうものっていうのは、
自分が一時的に預かっているだけだと。
だから良いものは、
ちゃんと良い状態で次の世代に
繋げなきゃいけないと。
いかにお前が金出して買ったからって言ったって、
それを汚したり、
壊したりとか、
壊す風には使ってないけど、
そんな風にする権利はお前にはないんだ、
みたいなことを言うんだけど、
僕、
はぁ?って思うんですよ。
人と価値観が喧嘩する話
そうした結果、
こうやって良くできたやかんを、
誰も使わなくなってしまって、
つまりメルカイで二足三門ですよ。
すごい、
良くできた銅の美しいやかんだと思うんだけど、
たかだか1500円とか2000円で買えるんですよ。
そうやってありがたがって、
誰も使わなくなった結果、
こんなに良いものが、
誰も使わずに、
メルカイで捨て売られていると。
それをちゃんと買って、
メンテナンスして、
キャンプで使うのにいいんですよ。
持ち手のところまで銅だから、
火とかにかけても、
溶けたりしないんですよね。
全部金属でできているやかんって、
すごい良いんだけど、
そいつも使っているんだけど、
なんか、
俺も怒鳴ったんだよねたかだちゃんと。
へー。
すいません。
でも10人ぐらいいるから、
なんかさ、
次どっちかが一言言ったら、
その火台無しになるっていう時あるんですかね。
そうですね。
だからちょっと。
ちょっと。
でも、
1やりとり2やりとりぐらいは。
でも、
1分ぐらい経つと、
まあ、
別にやかん、
お湯沸かす方法いくらでもあるから、
別に怒ることもなかったなみたいな。
ちゃんと喧嘩ですね。
ちゃんと、
ちゃんと、
ちゃんと価値観が喧嘩しているでしょ。
そうですね。
ちゃんと価値観が喧嘩している。
まあいいかみたいな、
感じで思うわけですけど、
意味ないと思うっていう、
なんかそういう感じ。
青春を賭けたやかんの話
それで汚れたら何回も綺麗にして、
で、
もし色塗り直すとか錆落とすとか、
さらに手を加えていく。
それによって他にないものになっていく。
で、大事に使うっていうことの方が、
なんかかっこいいというか、
価値があると思いますので、
その時はそういうことだったんですけど。
つまりね、
人に怒るぐらい青春してたんですよね。
本当ですね。
色んななんかこう、
多分今だったら怒んない。
青春時代のうちにこう色んな状態になってる、
笹切さんがいて、
すごい本当に熱が入ってたんだなっていうのが、
すごい伝わってきます。
なんか、
オラ、オラ、オラ、
ぐらいまでいったんですよ。
往復的には。
オラついてね。
オラついてね。
オラついてね。
オラ、オラ、
1.5復ぐらい。
確かに。
器にまつわる雑談
行かずに終わった。
確かに確かに。
ちょっとで使ってるだけじゃないもんな。
そう。
だからなんだっていうこともないんですけど。
青春だったな。
青春時代ですね。
なんか器の話をしたような、
してないような。
なんか自分の器の小ささが、
発見したような、
そんな回だったんですけど。
食器棚、青春、写真
すごい締め方、最後。
どうやって終わってくるんだろうと思ったんですけど。
エンディング最近いつも、
感想をいただいてるんですけど、
感想をお互い言い合って終わるってことを知ってるんですけど、
今日どうだったですか?
青春をさらにかけて。
青春の終わりが、
物量的な再現で、
ちゃんと終わって、
それで終わりが来るみたいなのも、
なるほどなと思いましたね。
なんか器の話もすごく気になったけど、
食器棚とか、
何の感想を言ってるのかわからないですけど、
それも気になりました。
どれぐらいの容量にしておくのか、
みたいなことも、
すごく物の向き合い方として大事な気もしてて、
多分本棚とか、
そこによって自分の上限が決まるみたいな感じもあったりして、
もうね、食器の本を一通り買い終わると、
食器棚の本っていうのがあるんですよ。
はいはい、そうですよね。
あなたの食器棚見せてくださいって、
食器棚本があるんですよ。
それはね、
行き着いちゃった人、
もう自分の食器棚でもうこれ以上買えない人が、
もう欲しい器とか作家の特集の何かを
ちまちま見てもしょうがないと。
あなたの食器棚丸ごと見せてくださいって
特集本を買うっていう、
最後に到達した人が読むやつなんですけど、
そういうのがあるんですね。
でもね、
その例は面白いですよ。
みんなこう、青春終わってしまった人たちの、
残骸のような写真を撮って。
そういうのがあるんですよね。
でもね、
その例は面白いですよ。
みんなこう、青春終わってしまった人たちの、
残骸のような写真を撮って。
その辺りもすごい気になりましたね。
100回記念収録企画
すごいな、器ってこんなに広がる話があるんだなって。
すごいな、器ってこんなに広がる話があるんだなって。
いや、毎回面白いです、これ。
まだ2回ですけど。
いや、もう2回。
いやいやいや。
まあね。
どうでしたか?
でもささきれさんは、
メモはメモ的な具合で言うとどうだったんですか?
メモはメモ的な具合で言うとどうだったんですか?
メモはメモ的な具合で言うとどうだったんですか?
それというとね、
今日話さなかったやつを見出しだけ最後に言ってるのを。
というのが書いてありますね。
あとは、
というのが1つ。
鉄錠師のぷくぷくが最高な剣について、
というのは書いてあります。
違う。
テーマとしたら、個別の作家の特に素晴らしい作品についてみたいなこととか、
あと、単なるアンティークじゃなくて、状況を示したアンティーク。
かまどの上に30年間置いてあったとかね。
あと明治大正のすごい安くて美しいお皿が、なんと100円で大量に買える素敵なお店とか。
これはいいわ。
今のところまだ具体的な何も出てきてないですもんね。
ロザンは出てきたり、作家さんの名前もちょっと出てますけど。
この器とか、この人みたいなのがすごいバーッと出てきてる。
多分みんなそんな話聞きたくないと思うんですよ。
それがまた面白くていいなと思います。
じゃあ今日もお付き合いいただいてどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
だいぶ青春が成仏してきました。
というわけで、実はメディアのUPまもなく100回でした。
すごいですね。なりますね。
そう、まもなくなんですよ。
100回記念収録っていうのをちゃんと企画して頑張ろうと思ってるんですけれども、
メッセージを我々の番組に募集しておりまして、
そのメッセージの中に記憶に残っているエピソードなんかを書いていただけるとですね、
我々喜んでそれを取り上げて、それを振り返るような話をしてみたいと思いますので、
100回記念に向けてぜひメッセージいただければと思います。
ぜひお願いします。
というわけで本日のお相手は笹切と宮本でした。
それではおやすみなさい。
おやすみなさい。