あ、そうだったんですね。
彼はそう、僕はね、違う思うやん。
僕は、僕から声かけて、彼の事務所で会ったと思ってるんだけど、
彼はゴールドで会ったって言ってる。
この辺もデジタルの時代じゃないから、何も残ってないんで分かんないんだけど。
じゃあ、もしかしたらコニー通じて会ったのかもしれないね。
かもしれないね。
こないだなんか、僕もポッドキャスでサイバーパンクの80年代90年代の話したんだけども、
あそこの時代ってすごかったよね。ゴールドって一晩何人くらい入ってたんだっけ?
3000人とか。
すごいよね、すごかったよね。
キャパシティが3000人。
結構竹村先生のイベントって、ソニーとか大企業がスポンサーしてたよね。
あの時代ってクラブって普通だったよね。
今なんかだと、ソニーの役員がクラブに行ってスポンサーしてるなんかあんまり聞かないよね。
そうですね。確かソニーの会長さんの森田さんでしたよね。
誕生日パーティーかなんかしたの覚えてます。
覚えてます。
あと近くにあったジュリアナっていうサラリーマンとOLでもいっぱいだったクラブは、
私の記憶では日照祝いが出資してた。
そうだよね。
そういう時代でしたね。
ゴールドはソニーとかスポンサーしてたけど、メインのターゲットはもうちょっと尖ってたよね。
サラリーマンじゃないよね。
ドラッグクイーンもいたし、何をやってるのか職業不明の人たちもいっぱいいたし。
だから一時期は僕ナイトクラブでDJしてた時代があって、ちょっと年取ったらちょっといかなくなってて、
よく僕らの年の人たちが最近クラブって面白くないよねって言って、
僕はいつも僕らが呼ばれてないだけだよってジョークしてたんだけども、
でも最近なんかやっぱりちっちゃくなっちゃったよね。
そのシーンは残ってないよね。
あのスケールはないよね。
そうですね。私も全然夜出かけなくなっちゃったんで、詳しいところはわからないんですけども、
でもうちの店のスタッフ若いので、みんな20代前半で行くのを聞いてると、イベントとかパーティーをめがけていくんですね。
そのお店に行くっていうよりかは。
そうだよね。あとお酒の量も減ったって噂聞いたけど。
そうですね。
だから誰かに言ったのはお酒の量減っちゃったから、昔はお酒でお店回してたけど、
今はお酒だと回んないから、なんかちょっとビジネスモデルも変わんなきゃいけないみたいな。
そうかもしれないですね。あと昔は大人も子供、あといろいろな職業の違う人たちが集まってたんで、
それこそインターネットもSSNない時代だったので、そこでコミュニケーションを分かるっていう場所としてみんなが利用してた場所。
そして大人が子供におごってたんですよ。
あー、そうだっけ。
そうそう。お金が若い人はないじゃないですか。
だからどんどんおごってあげるって。
お店も結構、この子は面白い、ここのお店でもっと来てほしいっていう子には。
なるほどね。で、ルリーさんはそこで、なんか僕の記憶はコウホーやってたの?企画だったの?
企画ですね。イベントの企画。
その前までは、いわゆる大きいクラブって言ったらディスコティックしかなかったので、
自由にダンスフロアで踊るっていう文化が、もちろんたぶんジョイさんがやってらしたイベントとか、
あちこちで少しずつそういう小さいパーティーは始まってきたんでしょうけども、
なので、いらしたお客さんをまず一番最初に自分が踊って盛り上げるっていうのと、
やっぱりそのDJがそれまでは、ディスコの中ではおしゃべり付きだったんですよ。
はいはいはい、そうだったよね。
で、今度はハッスルしましょうとか言ったり、次はチークタイムですよ、パートナー見つけてくださいとか、
曲の曲の間におしゃべりが入ってたのが、ゴールドの時代にはDJがもっとアーティストとしての人気。
だから、ちっちゃなクラブ、もうちょっと尖ったクラブ、クレヨーとかモンクベリースとか、
あの辺はもうちょっとナチュラルなニューヨークっぽくて、ゴールドでピーク巨大化したんだよね、たぶん。
そうですね。
その当時のエラの佐藤さんとかが、結構スケールに持っていったんだよね。
今は信じられないかもしれないけど、僕のパーティーの役割は大体一番最初に踊るやつだと思う。
やっぱり、私もそうでした。
激しく動いて、みんなを出していく。でも楽しいよね、それって。
そうですね。道案内人みたいな役目でしたよね、DJは、音を出すことによって。
だから、僕、ゴールドの後にシカゴ大学に行って中退して、クラブのDJやってたんだけども、
なんか今と全然違うなと思うのは、僕らが、たとえばうちのクラブで、
最初にチャートに載せたり、結構アーティストをブレイクして、
うちで流行ってから一般で流行るので、そうすると、それがずっと起きると、
お客さんが、大体人間って知ってる曲が好きなんだよね。
知らない曲で踊るのって結構勇気が、エネルギーが必要で、
いいDJはどういうDJかっていうと、みんなが知らない曲かけても踊ってくれる。
なぜならば、きっと流行るだろうから、一生懸命好きになろうとする。
自分の方がみんなより早く好きになってるっていうのが、ファッションと同じでトレンドセッターになるので、
だからDJのゴールとしては、新しい曲を発見して、早く人に紹介して、
そのために毎月300枚くらいレコード聴いてて、すごいフルタイムジョブだったんだよね。
でもこのお店って、僕が聞いてるのは、あの当時の人もそうだし、
今の若い子たちの、かっこいい人たちはみんなここに来てるって噂は聞いてるんだけど、
あの当時の子供の世代ですね、完全に。
ちょっとブレイクファイスクラブの話してくれる?
ここはどうして作って、今どういうポリシーなの?
私は10年くらい前までナイトクラブのクリエイティブディレクションみたいな仕事をずっときて、
でも大好きで続けたかったんですけれども、
さすがに体が言うことを聞かなくなってきた。
それで、じゃあこのやりたい気持ちを何か違う昼間に転換する方法はないかと。
それは音楽っていうよりも、やっぱり場作りをする、
ことが自分の役割っていうのが何十年もやって分かってきて、
それで昼間の飲食店っていうのは全く経験がなかったんですけれども、
その夜のクラブだった。
いろんな人がフラッと入ってきて会話をして、
そこでお互いに優しくしたりとか、刺激を与えたりとかして、
たまには一人でいらっしゃる方もいる。
ゆっくりして帰られるっていう、そういう場を作り続けたいっていう意味で、
実験的に始めて。
2016年にオープンしたブレックファーストクラブは、
まさにお昼のナイトクラブ的な存在。
お店にはいつも心地よい音楽を聴いて、
様々な年代の人々が毎日集まっています。
スタッフとお客さんとの会話はもちろん、
隣のテーブルのお客さん同士で会話が生まれることも、
そしてお客さんもスタッフも、
ルリさんとの会話を本当に楽しんでいるんです。
ナイトクラブの時は、僕よくスターとの会話をするんですけど、
スタッフとの会話は、
ナイトクラブの時は、僕よくスターとの仕方っていうのは、
結構重要なコアチームを作って、カルチャー固めて、
良い人が寄ってくるようにしながら、
嫌な人が寄ってこないようにするっていう、
このバランスが難しくて、
結構音楽でもできるし、ポリシーでもできるけども、
そのお店のヴァイブを、
エネルギッシュだけど安定してるヴァイブを作らなきゃいけなくて、
今僕がシカゴでやってたお店、まだ40年あるのね。
それって結構、短期的なお金とか流行りとか追っかけちゃうと、
すぐダメになっちゃって、
シカゴの僕が好きだったのは、オーナーがお店に立ってるから、
すごくお店のヴァイブがちゃんとオーナーが感じてるっていうので、
長生きしてたと思うんだけども、
でもルリさんもこのヴァイブを安定させて作っていく中の、
いろんなポリシーってあるよね。
だってあんまり流行るとレギュラーが来なくなっちゃったり、
なんかいろんなバランス難しいんじゃないの?
そうね。
いわゆるポリシーっていうのはあるのかな。
でもなんだっけね、前言ってたよね、
インスタじゃないけども、