1. JOI ITO 変革への道
  2. #12 元クラブシーンの仕掛け人..

今週はBreakfast Clubのオーナー、塩井るりさんが登場です。

るりさんは、1980年代には芝浦「ゴールド」の企画を担当。その後、恵比寿「みるく」でクリエイティブディレクターとして活躍するなど、ナイトクラブシーンの"仕掛け人"としても知られています。そんなるりさんとJoiさんは1990年代からの知り合い!クラブ内で交流のあった二人が、ひょんなことから数年前に再会して意気投合。今回は、るりさんの手がける中目黒のお店Breakfast Clubで収録が行われました。


【編集ノート】

編集ノートには難しい用語や人物名などの詳しい解説をお伝えしています。 

https://joi.ito.com/jp/archives/2024/04/23/005959.html




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Summary

塩井るりさんはブレックファストクラブのオーナーで、1980年代から1990年代のクラブシーンについて話しています。 パンケーキはメニューに載っていましたが、ある時、若い女の子2人組がお店にやってきて、座ってすぐにメニューを見ずに自分の携帯でパンケーキの写真を見せて、同じものを注文しました。そして、ご飯が来るまでお友達と喋りながら、写真を撮るのに5分から10分かかりました。

ブレックファストクラブ誕生の経緯
今週の JOI ITO スポットキャストは、山手通り沿いにある一軒のカフェ、
ブレックファストクラブからお届けします。
今週のゲストは、ブレックファストクラブのオーナー、塩井るりさん。
1980年代、バブル絶頂期に人気だったクラブ、
1980年代、バブル絶頂期に人気だったクラブ、
1990年代にはロックをテーマにした、
1990年代にはロックをテーマにした、
エビス・ミルクでクリエイティブディレクターとして活躍するなど、
ナイトクラブシーンの仕掛け人としても知られています。
2016年には、中目黒にブレックファストクラブをオープン。
様々な人が出会う交流の場として、
コーヒーを楽しんでいます。
るりさんはオーナーとして、お店のみんなから愛される存在なんですよ。
実は、塩井さんは1990年頃から、るりさんと知り合いなんですって。
今日はそんな古い夜遊び仲間である、
2人の会話に聞き耳を立ててみましょう。
こんにちは。 こんにちは。
ここはブレックファストクラブで、るりのお店で、
今日はるりさんと一緒にいるんですけども、
るりさんとはいつ頃だっけ会ったのって。
たぶん、1990年だと思います。
柴浦にゴールドっていうハウスミュージックのナイトクラブがあって、
そこで私は企画の仕事とかしてたんですけども、
その時、おそらくなんですけれども、
たぶん塩井さん、竹村先生、竹村光弘先生のイベント?
はいはいはい。
エコナイトにいらっしゃった時に、何度かいらっしゃった時に、
ちょっと会話を交わしたっていう。
そうだね。90年代、僕21とか22で、
たぶん竹村先生と会う前からゴールドは行ってて、
確かにコニーとかと一緒にイベントをオーガナイズしたりしてて、
竹村さんはゴールドで出会って、
クラブシーンの変遷
あ、そうだったんですね。
彼はそう、僕はね、違う思うやん。
僕は、僕から声かけて、彼の事務所で会ったと思ってるんだけど、
彼はゴールドで会ったって言ってる。
この辺もデジタルの時代じゃないから、何も残ってないんで分かんないんだけど。
じゃあ、もしかしたらコニー通じて会ったのかもしれないね。
かもしれないね。
こないだなんか、僕もポッドキャスでサイバーパンクの80年代90年代の話したんだけども、
あそこの時代ってすごかったよね。ゴールドって一晩何人くらい入ってたんだっけ?
3000人とか。
すごいよね、すごかったよね。
キャパシティが3000人。
結構竹村先生のイベントって、ソニーとか大企業がスポンサーしてたよね。
あの時代ってクラブって普通だったよね。
今なんかだと、ソニーの役員がクラブに行ってスポンサーしてるなんかあんまり聞かないよね。
そうですね。確かソニーの会長さんの森田さんでしたよね。
誕生日パーティーかなんかしたの覚えてます。
覚えてます。
あと近くにあったジュリアナっていうサラリーマンとOLでもいっぱいだったクラブは、
私の記憶では日照祝いが出資してた。
そうだよね。
そういう時代でしたね。
ゴールドはソニーとかスポンサーしてたけど、メインのターゲットはもうちょっと尖ってたよね。
サラリーマンじゃないよね。
ドラッグクイーンもいたし、何をやってるのか職業不明の人たちもいっぱいいたし。
だから一時期は僕ナイトクラブでDJしてた時代があって、ちょっと年取ったらちょっといかなくなってて、
よく僕らの年の人たちが最近クラブって面白くないよねって言って、
僕はいつも僕らが呼ばれてないだけだよってジョークしてたんだけども、
でも最近なんかやっぱりちっちゃくなっちゃったよね。
そのシーンは残ってないよね。
あのスケールはないよね。
そうですね。私も全然夜出かけなくなっちゃったんで、詳しいところはわからないんですけども、
でもうちの店のスタッフ若いので、みんな20代前半で行くのを聞いてると、イベントとかパーティーをめがけていくんですね。
そのお店に行くっていうよりかは。
そうだよね。あとお酒の量も減ったって噂聞いたけど。
そうですね。
だから誰かに言ったのはお酒の量減っちゃったから、昔はお酒でお店回してたけど、
今はお酒だと回んないから、なんかちょっとビジネスモデルも変わんなきゃいけないみたいな。
そうかもしれないですね。あと昔は大人も子供、あといろいろな職業の違う人たちが集まってたんで、
それこそインターネットもSSNない時代だったので、そこでコミュニケーションを分かるっていう場所としてみんなが利用してた場所。
そして大人が子供におごってたんですよ。
あー、そうだっけ。
そうそう。お金が若い人はないじゃないですか。
だからどんどんおごってあげるって。
お店も結構、この子は面白い、ここのお店でもっと来てほしいっていう子には。
なるほどね。で、ルリーさんはそこで、なんか僕の記憶はコウホーやってたの?企画だったの?
企画ですね。イベントの企画。
その前までは、いわゆる大きいクラブって言ったらディスコティックしかなかったので、
自由にダンスフロアで踊るっていう文化が、もちろんたぶんジョイさんがやってらしたイベントとか、
あちこちで少しずつそういう小さいパーティーは始まってきたんでしょうけども、
なので、いらしたお客さんをまず一番最初に自分が踊って盛り上げるっていうのと、
やっぱりそのDJがそれまでは、ディスコの中ではおしゃべり付きだったんですよ。
はいはいはい、そうだったよね。
で、今度はハッスルしましょうとか言ったり、次はチークタイムですよ、パートナー見つけてくださいとか、
曲の曲の間におしゃべりが入ってたのが、ゴールドの時代にはDJがもっとアーティストとしての人気。
だから、ちっちゃなクラブ、もうちょっと尖ったクラブ、クレヨーとかモンクベリースとか、
あの辺はもうちょっとナチュラルなニューヨークっぽくて、ゴールドでピーク巨大化したんだよね、たぶん。
そうですね。
その当時のエラの佐藤さんとかが、結構スケールに持っていったんだよね。
今は信じられないかもしれないけど、僕のパーティーの役割は大体一番最初に踊るやつだと思う。
やっぱり、私もそうでした。
激しく動いて、みんなを出していく。でも楽しいよね、それって。
そうですね。道案内人みたいな役目でしたよね、DJは、音を出すことによって。
だから、僕、ゴールドの後にシカゴ大学に行って中退して、クラブのDJやってたんだけども、
なんか今と全然違うなと思うのは、僕らが、たとえばうちのクラブで、
最初にチャートに載せたり、結構アーティストをブレイクして、
うちで流行ってから一般で流行るので、そうすると、それがずっと起きると、
お客さんが、大体人間って知ってる曲が好きなんだよね。
ブレックファストクラブのコンセプト
知らない曲で踊るのって結構勇気が、エネルギーが必要で、
いいDJはどういうDJかっていうと、みんなが知らない曲かけても踊ってくれる。
なぜならば、きっと流行るだろうから、一生懸命好きになろうとする。
自分の方がみんなより早く好きになってるっていうのが、ファッションと同じでトレンドセッターになるので、
だからDJのゴールとしては、新しい曲を発見して、早く人に紹介して、
そのために毎月300枚くらいレコード聴いてて、すごいフルタイムジョブだったんだよね。
でもこのお店って、僕が聞いてるのは、あの当時の人もそうだし、
今の若い子たちの、かっこいい人たちはみんなここに来てるって噂は聞いてるんだけど、
あの当時の子供の世代ですね、完全に。
ちょっとブレイクファイスクラブの話してくれる?
ここはどうして作って、今どういうポリシーなの?
私は10年くらい前までナイトクラブのクリエイティブディレクションみたいな仕事をずっときて、
でも大好きで続けたかったんですけれども、
さすがに体が言うことを聞かなくなってきた。
それで、じゃあこのやりたい気持ちを何か違う昼間に転換する方法はないかと。
それは音楽っていうよりも、やっぱり場作りをする、
ことが自分の役割っていうのが何十年もやって分かってきて、
それで昼間の飲食店っていうのは全く経験がなかったんですけれども、
その夜のクラブだった。
いろんな人がフラッと入ってきて会話をして、
そこでお互いに優しくしたりとか、刺激を与えたりとかして、
たまには一人でいらっしゃる方もいる。
ゆっくりして帰られるっていう、そういう場を作り続けたいっていう意味で、
実験的に始めて。
2016年にオープンしたブレックファーストクラブは、
まさにお昼のナイトクラブ的な存在。
お店にはいつも心地よい音楽を聴いて、
様々な年代の人々が毎日集まっています。
スタッフとお客さんとの会話はもちろん、
隣のテーブルのお客さん同士で会話が生まれることも、
そしてお客さんもスタッフも、
ルリさんとの会話を本当に楽しんでいるんです。
ナイトクラブの時は、僕よくスターとの会話をするんですけど、
スタッフとの会話は、
ナイトクラブの時は、僕よくスターとの仕方っていうのは、
結構重要なコアチームを作って、カルチャー固めて、
良い人が寄ってくるようにしながら、
嫌な人が寄ってこないようにするっていう、
このバランスが難しくて、
結構音楽でもできるし、ポリシーでもできるけども、
そのお店のヴァイブを、
エネルギッシュだけど安定してるヴァイブを作らなきゃいけなくて、
今僕がシカゴでやってたお店、まだ40年あるのね。
それって結構、短期的なお金とか流行りとか追っかけちゃうと、
すぐダメになっちゃって、
シカゴの僕が好きだったのは、オーナーがお店に立ってるから、
すごくお店のヴァイブがちゃんとオーナーが感じてるっていうので、
長生きしてたと思うんだけども、
でもルリさんもこのヴァイブを安定させて作っていく中の、
いろんなポリシーってあるよね。
だってあんまり流行るとレギュラーが来なくなっちゃったり、
なんかいろんなバランス難しいんじゃないの?
そうね。
いわゆるポリシーっていうのはあるのかな。
でもなんだっけね、前言ってたよね、
インスタじゃないけども、
パンケーキの人気
あんまり流行っちゃうと消費されちゃうんじゃないかな、
みたいなこと言ってなかったけど。
パンケーキの話。
そうそう、その話。ちょっとパンケーキの話して。
パンケーキは、
メニューの中に出してたんですけれども、
ある時から若い女の子2人組でお店に来て、
座ったらメニューも見ないで、
自分の携帯のパンケーキの写真見して、
これと同じものをください。
で、ご飯が来るまでお友達と喋ってきたら、
その写真をまず5分も10分もかけて撮るんですよ。
もう冷たくなっちゃうから。
で、そのまま食べたらスーッと、
お店の中を見るわけでもない、
私たちがコミュニケートしようと思っても、
そこにいるんだけど、いないみたいな存在。
多分誰かがインスタで上げたことによって、
そういう女の子たちが、
どんどんどんどん列を作るほど来てしまって、
その時にすごい私が悩んで、
やっぱり偏っちゃうんですよね。
やっぱりレギュラーの方も来れない。
それで泣く泣くパンケーキを平日はやめさせていただいて、
平常に戻りました。
でも反省は、そこでせっかく来ていただいた女性たちに、
何か違うものを見てもらったりとか、
体験してもらう方法があったんじゃないかと思って、
ポリシーはやっぱりうちのお店のスタッフに言ってるのは、
一人一人とコミュニケートするっていうことかな。
多分、私が本当にアナログの人間なので、
ずっと何十年もクラブやってきて、
ジョイさんだって何の会話をしたかわからないけれども、
お会いしたのをすごい覚えてて、
それが何十年か後にまたこうやって再会できて、
やっぱりそれってとっても嬉しいことだし、
本当にわからない一瞬を大事にして、
パンケーキだけ食べに来るお客さんを、
私は機嫌悪くしちゃって、
批判と反省
それは本当に悪い見本だし、
スタッフに対して。
でも僕の一つのテーマは、
日本って拡大がなくても生き甲斐を感じる。
だからミッシュレンスターのレストランだとか、
何百年続くビジネスがあるのは、
結構そのポリシーが重要で、
とにかく利益の最適化じゃない。
だってそこでルイちゃんは、
パンケーキがやって、
隣のお店も買って、
どんどん大きくしようって言う人が多い。
興味がないんですよ。
日本とアメリカのクラブ文化の違い
全くね。
友達に、
いいじゃない、パンケーキあげる。
大儲かりしていいねって言うけど、
もう全然、こっちは機嫌が悪くなるばっかりで。
そうね。
だから、
やっぱりそういうちょっと昔の
日本人っぽいところがあるのかもしれないですね。
やっぱり今、海外は物価がどんどん高くなってきて、
都市は住みにくくなって、
私ももう海外旅行できないのかしらと思うぐらい、
縁が弱くなって。
でも、本当に成長だけが、
本当に日本にとって、
世界にとっていいのかと思ったら、
やっぱり疑問ですよね。
ジョイさんやルリさんが
クラブに通っていた90年代は、
まだインターネットがなかった時代。
だから、
インターネットは
最新の情報や人脈を求めて
たくさんの人が
世の中のクラブに集まっていたんでしょうね。
そういった場所が
現在は
Xやインスタグラム、
TikTokなんかに置き換えられたんだとすると、
バズったお店に集う若者が
今いるお店ではなく、
携帯や写真に没頭しているのも
少し理解できる気もします。
けれど、
そういったお店に集まる若者が
今いるお店ではなく
携帯や写真に没頭しているのも
お店の人にとっては
少し寂しいもの。
リアルとネットの両方で
コミュニケーションが行き交う場所ができると
きっと理想的なんでしょうね。
ジョイスさんが
普段からWeb3時代の
場所づくりの大切さを説いているのは
こういうところに理由があるのかもしれません。
ルビーさんの時代の
たぶん一番有名な
クラブのオーナーが
エラの佐藤さんで、
当時神様みたいな人で
すごい財力と企画力があって、
こないだここに来たら
彼、何だっけ、
今料理作っているの?
東大の?
ずっといろんな飲食店も
やられてきているんですけど、
今、東大のリサーチセンターの
キャンパスの中の
学食でコマニ食堂というのを
やってらっしゃる。
すごいハッピーそうだったよね。
そうなんですよ。
昔は何人もアシスタントがいて、
なんかベンツか何かが
昔乗ってたし。
僕、もう一つ楽しいなと思うのは
全員じゃないけど、
あの当時結構
すごい尖ってた人も
今でもハッピーそうにやってるので
全然人間が入れ替わっちゃってるけれども、
でも芯のところが結構近くて、
今だに師匠です。
売れてないっていうかね、
お客さんに対しての
姿勢だから。
そこはまだ同じなんだね。
僕のシカゴのクラブのオーナーも
まだいて、
ジョーシャナヘンっていって、
レストランとかもいろいろやって、
今本当にシカゴの
かっこいいお店のドンになってて、
彼ももともとDJだった。
クラブのDJで、
クラブのバウンサーと
二人でスマートバーっていうお店作って、
そのちょっと後、僕がそこで
アルバイトしたんだけど、
もうずーっとやってて、
そこが日本とアメリカが違うの。
アメリカ、シカゴ安いから
お店できちゃうのね。
一番いいお店は意外に
クラブのスタッフが作っちゃうんだよね。
日本ってやっぱり土地が高いから、
大体オーナーと現場が離れちゃうから、
結構現場と関係ない人が
いろいろ決めるので、
なかなかいいお店って難しくて、
多分佐藤さんの特徴は
結構現場に入るけれども、
オーナーとして動けるっていう人が
多分僕のイメージで
特徴的だったんじゃないかなっていう感じ。
本当に佐藤さんは私の師匠なので、
私もだからスタイルは似てると思いました。
なるほどね。
あとお店にいなかったら
別に携帯しか見ない
パンケーキ好きが来ても構わないけど、
自分がいるんだったら
自分が話して楽しい人来てほしいよね。
そうですね。
ジョイさんとルリさんのトークの続きは
ゴールデンウィーク明けの5月7日に配信します。
お楽しみに。
番組ではオリジナルNFTを
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ご希望の方は
特設サイトにて
次の問題の答えを入力してください。
90年代、
ルリさんが企画を担当していた
柴浦のクラブの名前は
何だったでしょうか。
大文字半画英数字でお答えください。
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