いけばなって、もともとは敷居が高いもんじゃなくて、野に咲くお花だったり、ご自分の庭に咲く花で、
敷居、お料理の、ちょっとこう、ご自分の家の生活の中の暮らしを豊かにするとか、
いうもの、仏様に願いを込めてとかじゃないですか。
だからすごい敷居が高いもんだったはずじゃないのに、なんとなくお稽古ごとになると、いけばなとか、お茶とか。
でもなんか、こないだ、今日の準備のためにYouTubeで見てたら、なんかリキューと池野坊さんと秀吉がなんかこう、花で戦争みたいな感じで、
花戦?
花戦か。で、なんか、結構仕切り高さが高かったんだけど。
で、やっぱり、あの時期は、お茶もそうだけども、そもそもやっぱりお寺の住職さんが、神様にこう、なんかお花をいけるみたいな、
そこのイメージが結構強いよね。で、その、家で野草集めてなんかやってるっていうのは、その時代の前なの?それとも、ずっと並行してやってるわけなんだよね。
でも、もともとはその、いけばなって、その、仏様から始まりましたけれども、でもそれぞれの人がお家でお花をいけてる。
なるほどね。
で、それが六角堂の、その仏様に備える花っていう、だから信仰とともに、より町中の方々にも伝わってきたんですけれども。
じゃあ、家の仏壇とかにもやってた、普通の家族の人たちもいけばなをしていて、で、お寺が一番それのピークに、トップにあるってそういうイメージなのかな?
そうですね。うちの場合は本当にその、六角堂に仏様に備える花から始まって、信仰とともにどんどん背景として大きくなっていったっていうことですけど、でもその、本当に普通に生活とともにあるものだと思うので。
で、今日やったその、形というか。
自由花?
自由花。で、いけばなの中でも、まあ式高いのとそうでもないのもあるわけだよね。で、その型が決まってるものがそう。
で、昔からこう、いろんなタイプがあったんですか?それともそうやって途中で開発されていくんですか?
やっぱり、立家和尚家はこの二本間、もともとの生活様式って二本間だったので、二本間、床の間にある花型から始まって、でも今の生活様式って、二本間がない、床の間がない、畳がないっていう中で、
私たちはすごい、いけばなって、やっぱり精神性とかも最後思うわけですけども、入り口として、いやいや、二本間ないし、なんかお花綺麗だけど、二本間にはおけないし。
で、なんかもうそこから私たちがお花を伝えてても、その続きを何もご提案できないわけじゃないですか。
なので、その二本間、床の間以外にも、リビング、ライニング、お玄関、今の生活様式に合うものとして、この自由化。
なるほど。じゃあ自由化は最近できたものなんです。
はい。
お茶でやる、お茶花なんかは、ファミリーは教えない?
教えないです。
教えない。でもなんか映画だとリキューとなんか仲良さそうだったけど、あそこはまだ一緒だったんですか?
違いますけど、例えばその、この季節の花は、これをお茶席に持ってってどういう風に、なんかお茶ってすごくこう、冊子の世界で表なしじゃないですか。
お茶を立てるだけじゃなくて、お客様をお招きした時にどうな気持ちになって入ってこられるかとか、そういう時に季節の花を寄り添えるとか、そういうのはお茶も花も気持ちとしては一緒だと思うんですけど。
なるほどね。
花道が生まれたのは15世紀頃。これは茶の湯が生まれた時期と重なると言われています。
その後、花道と茶道はそれぞれ独自の発展を遂げてきました。
自然そのものの姿を尊重していける花道と、花自身が物語を語るのに任せる茶道、どちらも自然を大切にし、人々をもてなす気持ちがあることは変わらない部分なのかもしれませんね。
どうでしたか?今日初めての生け花体験。
最初はちょっと花がいっぱいあって、どこから始めようかっていうとこはちょっと緊張したけど、なんとなく頭の中でコンセプトが出たら、その後はそれをこなしていく感じで、
なんとなく思ったように置いてみたら違ったっていうのはあるので、少し思うようにいかなかったことはあったんだけども、
だから僕もともとあんまりアートの方は自分で作るっていうのはあんまりやってきてないよね。
だからもともとガリガリの理系だったんだよね。で、最近になって自分でもうちょっとやるようになって、
で、特に今、教育関係、あと子供たちの教育とかやってるんだけども、面白いのはすごいちっちゃい子って、結構みんな意外にアート好きだったりするんだけども、
小学校ぐらいの時にたくさんの人は叩かれちゃって自信を失うのと、あとその一部の男の子たちは、そっちじゃないっていうふうに引っ張られて、
で、それも今回のお茶とか文化に戻ってきてるのも、やっぱり哲学の方からいくと、結局そういう不確実なものだとか、ビーだとか、あとは英語で言うとアウェアネス、体験するっていうことが大事だよね。
で、純粋な体験っていうのは言葉とか数字にできない現実があって、そこと向き合うようになってきたから、少しずつ自分も落ち着いて入っていけるようになって、
で、まあそれ瞑想とかもそうなんだけども、だからそういう意味で、今まで自分は花行けて気持ちいいっていう、自分も想像できなかったのが、なんとなくちょっと流れたのがすごくハッピーだった。
でも、生け花子供教室みたいなのがあるんですよ。やっぱり子供さんって感覚じゃないですか。この花見てみたいな。だから大人が思うような、想像できないような生き方とかしたりするんですよ。
でもそれがほんと決してなんか変じゃなくて、すごく新鮮で輝いてたりとかして、だから子供さんのいろんな体験ってすごい大切だなって。
やっぱり自分に正直だし。この間、らっくじくにゅさんのとこで長寿郎のお茶碗出して話聞いてたら、彼に言ったのは、その前の週刊なんか小学生が来て、
なんか全然黒くもないし、そんなに綺麗じゃないし、なんなのって一年生が言ったんだって。その正直さが、じくにゅさん、いや、もともと長寿郎はこれ美しいものを作ろうとしてるんじゃないか。
自分とかが無に近づくようなもので存在感が消えることなので、長寿郎を見て美しいっていう大人の方が実は心の嘘つきで、この一年生がパッと見たときの正しい判断だったのでっていう話もしてて。
大人って何を言うと正しい答えなのかとか、何を言うとみんなが自分のことをいいと思ってくれるかっていう、失敗したくないっていうところから入っていくじゃない。
で、そこが多分クリエイティビティって殺して、僕も日本の学校ちょびっと行ったことあるんだけど、たまたま変な学校だったかもしれないけど、花の絵を描くアートの授業があったんだけど、ものすごい細かく、ここの縁は何鉛筆でこういう形でしましょうみたいな、みんな同じ絵を描かされてたのね。
で、僕からすると何かそれって楽しくなくて、今ミカさんが言ってた子供の流れと全然違うので、だからアートって評価されるパフォーマンスになっちゃって、そうすると自分自信がないからもう嫌だってギブアップするけど、ちっちゃい子ってそれないじゃない。だからそこをどうやって崩さないで引っ張り出すのか、これアートだけじゃなくてクリエイティビティ全般だと思うんで、それ大事だなと思ってたんですけど、だからそういう応援していくのってどうなんだろうね。結構子供に教えたりしてます?
そうですね。体験とかはさせていただいてるので、だから子供さんの方がいっぱい材料置いてもあんまり迷わず、多分もう感覚でこれが好き、これが綺麗っていう、そのお子さん私のそれぞれの感覚で生きていくとするので、やっぱり大人になるにつれてさっきの話みたいに失敗したくないみたいなのが絶対残ってるから、
無難にというか、私たちの学生の教育がそうだったと思うんですけど怒られることよりも、とりあえず普通に毎日が過ごせたらいいなみたいな感じだったので、だから子供さんとかの方がずっと逆にこんな使い方あるの?とかっていうのを私たちが教えられたりします。
だからそういうちょっと固まっちゃった大人をどうやってほぐすかっていうのってこれからの大人に大事なんじゃないかなっていう。
だから大人の方がすごい悩まれます。今日ね、全然あまり悩まれなくて迷いがない感じで、すごい珍しい方だなと思ったんですけれども、割とこうすごい悩んだり、長い例えばバラで綺麗なものを短く切るまでにすごい躊躇されたりされるんですけど、何の迷いも割となかったじゃないですか。だからすごい珍しいなと思って。
たぶんいい意味でも悪い意味でも僕の性格なんだろうね。
いい意味でいいんです。いい意味でいいんです、僕今は。
ありがとうございます。でもすごい勉強になるような気がする。で、さっきのミカさんの説明もリアクションもすごく僕の勉強にはなって、なんかこうなんとなくイメージで考えてたものがこう説明されるとそれもわかりやすくて、あの面白いのはワインのソムリエなんかも面白いのは、飲んでもこうイメージはあるけども説明してもらうと覚えられるじゃない。
この味ってこういう言葉なんだなっていうのと同じで、さっきの空間の話とか線の話も言われてみたら頭の中がそういうことを考えてたけど、表現されると今度はなんかもうちょっとその目線がちょっと変わるなと思って、それすごく楽しいですね。
よかったです。でもなんか私が長く出会ってたイメージと作品のイメージが違う。で、新たな一面を見た感じです。
ああ、なるほどね。
やっぱりもっとこうバリバリした氷的な面を見てる時って多いじゃないですか。
でも多分テント文化に触れられてすごくこうご自分の持っていらっしゃる深さとか幅とかがより出られたのかもしれないですけど、すごく柔らかみとか温かみがあって、でも私ぐらいの年齢になると、
今までの人生って何でも学んで学んでプラスしていって、でもこのぐらいの年齢になると自分のいらないものとか省く勇気みたいなのを持てる年齢じゃないかなって私は思ってて、
そういう時に多分人よりも何百倍も何千倍もいろんなものも知識も持っていらっしゃるけど、多分こう歌舞伎からとかも惜しみなくこう出されてきたから、わりとこう迷いなくご自分の作品に向き合われたんじゃないかなと思ったんですけど。
多分おっしゃる通り年齢あるよね。若い時は知識や権力や何でも蓄積型。今は多分、今でも結構忙しいしいろんなことやってるけども、なんか新しい人を会うっていうのよりも、今いる人たちをどうやってこう正しい関係に持っていくかとか、今でも多分まだ働きすぎてるんだけども、
みかさんが言うようにどうやってこう切っていくかっていうことがすごく大事なんだなっていう感じがして、どうしても仕事文化っていうのは最適化してお金儲けしてっていうそっちになっちゃうので、やっぱりこう茶道とかお花とかって最適化じゃないんじゃない。で、やっぱりそういうのがないとバランス取れないなっていうのはすごく感じてるので、でもこれも人生の後半からそっちが始まったので、
なんか不思議なのはこう急いでゆっくり、急いで頑張らなきゃいけないけども、でもそこで最後はこうそこでなんかちゃんと、あの僕前体育館の先生がいて、これもちょろっとやってたんだけども、アメリカで教えてる先生ですっごいみんな急いで来てて、みんなバタバタして、彼がみんなすごい急いですごく合理的に生きてて、最適化してるんだけども、最終的にあなたたち行ってる行き先は死ぬんだよって言って、
で、一番合理的な最適は今死ねばいいんだと。でも今死なないっていうことは、その死ぬまでになんかやろうとしてるんでしょうと。で、それは最適化じゃないんじゃないのっていう話から始めて、そしてみんなに落ち着かせたっていうのがあって、で、それなんかいつも覚えてんだよね。僕も急いでなんかこう稽古したり勉強したりするので、それはそれでこう一つのこうエネルギーってあるんだけども、やっぱりそのお花と向き合った時とか、こう瞑想やる時とかお茶やる時は、
ちゃんとその自分の心を、英語で言うとpresence、体験を感じることが大事で、で、そのなんか練習とこうやり方がやっぱり今の人生の後半になって、一番こう自分の中でやらなきゃいけないことだなっていう感じをしてて、今ずっともうやってると思うんだけど。
室町時代の池坊仙王による池花の伝承には次のような教えが残されていると言います。
花を生けるということは、命と向き合うこと。すべてのものは一定のところに留まらないという世の中の節理を知ること。花を生けることが、生けた人自身を磨き、生かすことにつながる。
テクノロジーが進化し、技術やテクニックばかりが先行しがちなムードの中で、人間とは何か、生きる上で何が必要なのかを、ジョイさんは体験を通して問いかけ続けているのかもしれませんね。
でも私も花池花の家に生まれて、でも当たり前じゃないこと、時代がどんどん変わってきて、世の中の人のニーズもどんどん変わってきて、伝統文化の皆さんの立ち位置とかも変わってきて、自分の発信の仕方も、今まで発信するのが伝統文化としての美しさではないんじゃないかみたいな時代もあったと思うんですよ。待ってる美しさみたいな。
でもやっぱり自分がいいと思ったもの、次の時代に伝えようとするものって、やっぱり自分が発信していくのが自分の与えられた役割だと思うので、さっき言ったように、やっぱ知らない方に知っていただける発信をしなきゃいけないなって。
池花の家に生まれ育ってもやっぱり自分が思う池花は変わっていきますよね、どんどん。
そういう日本の文化にすごく興味持ってる人たちは増えてると思うんだよね。海外もおいしい。で、どこを変えても芯が崩れないかっていうのは、やっぱり結構深く知ってる人だと思うので、ほっとくと海外なんかに行くと薄っぺらくなっちゃったりするんだよね。
だから僕は英語でマックマインフォーネス、マクドナルド化されちゃう。でも本当は芯残して略するとか、今回の自由化とか、なんかそういうちゃんと根っこをわかってる人がやらなきゃいけなくて、たぶんそういう時代だと思うんだよね。
で、結構たくさんのアニメでも日本の元のものが出て行ってるものはあるんだけども、結構向こうでちょっと違うとこに行っちゃうパターンが増えてきたので、で、あの池花なんかも、今海外でも結構やってるんですか?
そうですね。あの池の坊の場合は海外100支部ぐらいありますね。
ああ、そう。
でも100支部って言っても、あのすごくそこの100支部の中に温度差もあるし、国民性もあるし。
でも純粋外国人だけの支部とかあるんですか?
ありますね。
へえ。
なんか昔はやっぱり日本の方がちょっと行ってやってたかなって、ちょっと打ち上げ花火みたいな感じなんですけれども、根付かない。
だからやっぱりおっしゃってるように、その土地で生きてる人にいいものって思ってもらうのは続かないじゃないですか。
だからやっぱりその土地に住んでる先生が、この池花を次の時代に伝えようと思っていただかないと、やっぱ教えるのってエネルギーもいるし、で、受ける方も、ああすごいと思ってまたそれを伝えようと思うものって。
連動文化って絶対エネルギーいるじゃないですか。
そうですよね。
時代時代に伝えるのって。
うんうんうん。
だから海外、まあ国内もそうなんですよね。なんか本当にこんなに選択肢が溢れてるから、その池花に触れていただくことから始めないと、池花に行く理由がなかなかないじゃないですか。
なるほど。
だからこれは僕の個人的な性格からの入り方だと思うんだけども、僕は結構熱心にこう深くオタクみたいな。で、オタクの文化っていうのは結構ハマってる人たち同士がこう刺激しあってインスピレーションを沸かせる。
で、たぶん日本の職人ってだいたいちょっとそうだよね。なんかお金持ちになるゴールよりも自分がやってることを極める。で、これは結構日本が特殊だったもん。まあ海外にもなくはないけど、今の西洋の文化っていうのは拡大してるものがベストで、で、拡大しないビジネスっていうのはあんまり魅力的じゃないし、今の海外の若い子は入んないんだけども、
ただ一部の子たちは結構日本好きの子とかそういう人たちはこうハマっていく。まあ結構食べ物、フーディーになる人たちいると思うんだけども、でも日本ってそれのたぶん一番こう強く、ミシュレンスターも400もあって、ミシュレンスターっていうのはたぶん拡大するよりも極める人がミシュレンスターのシェフになれると思うので、だからそういうものに注目する人たちっていうのは結構来てると思うし、