デジタルアーキテクトで千葉高大の学長、伊藤穰一ことJoyさんが、
今、一番興味のある分野を深掘りしていくJoy Ito's Podcast。
今週も先週に引き続き、茶道資料館副館長で茶道裏線家の伊住禮次郎さんとのトークをお届けしています。
Joy Ito's Podcast
やっぱりテックとか、今のベンチャーとかやってると、
とにかく最適化と合理性だけなんだけども、勝ち負けみんな数字で出ちゃう。
なるほど。
お茶って最適化で勝てないじゃないですか。
最適化されてる要素もあるけれども、そんなに簡単に答えが出ない。
これだから、読んでる話だと、結局その当時の秀吉とかは、
本当に仏教を勉強して、講師と話すことはできなくて、
お茶っていうのは、エデュケーションがそんなに進んでなくても、
手が届く仏教とカルチャーのとこだったっていうのもあって、
でも結局向かってる方向はそっちのスピリチュアルな世界なんじゃないかなっていうイメージがあって、
僕もずっと日本から離れてて、日本語もちゃんと読めなくて、
いろんな哲学とか仏教はちょっとずつは勉強してたんだけども、
人に発言できるほどの自分の知識的レベルは届かないと思っていて、
そういう意味でお茶を通じて、それを自分で体験して感じるっていうのって、
実はこれもあんまりちゃんと勉強できなかった秀吉も同じだったと思うんですけどね。
いや、でもやっぱりお茶の中には本当にあらゆる哲学美学が入ってきてますし、
お茶の美学はもともと正せば結構その歌の世界というか、
和歌の美学みたいなところから引っ張られてきてるところもあって、
お茶をこう追求してると歌に導かれるようなことっていうのもあるんですよね。
カロンっていうんですかね。
そういう意味では本当にお茶を入り口にして、
あらゆる日本の思想的な深みに行けるっていうのは、
お茶の面白いところかなとは思いますね。
その英語のサドラの本でいうのは、
ヨーロッパはキリスト教は見ないと理解できない、
日本はお茶を理解しないと理解できないっていうぐらい、
結構全部お茶でつながったりしますよね。
やっぱり外国人もお茶から入っていくとやっぱりすごく刺さったよね。
やっぱり体験をして、
歴史ってイベントで勉強しても全然楽しくないけど、
こういう人たちがこういうふうに見てて、
それがこういう人に影響してこういう歴史につながるっていうのが良くて、
だから本当に今インバウンドもいっぱいいるんだけども、
表面的にお茶をやるんじゃなくて、
お茶の精神を外国人に話しすると、
もうちょっと日本も分かってくれるかなという感じは。
でも、この間ニューヨークで何かやってらっしゃったんですけども、
あれはどんな話なんでしたっけ?
サビエの活動の一環として、シアスター・ゲイツの件もそうでしたけど、
現代アーティストと一緒に作品を通して、
お茶がある作品鑑賞の場というか、
現代アートとお茶の接点みたいなものをどう考えるか、
よりコンセプチュアルなお茶ってどうなんだろうっていうことを考える機会を
年に何回か作っていきたいなっていううちの一つで、
ニューヨークの会は中山というアーティストの作品だったんですけれども、
日本から料理人とか、お菓子職人さんとか一緒に来ていただいて、
その場で1日3名だけのお茶事をするっていうようなのを3日間やったんですよね。
で、その中山が作ったお茶室であるとか、鑑賞して作ったお茶室とか、
彼の作品が同線上に置いてあって、
それが全部組み合わさって一つのリレーショナルアートになっていく。
で、その中ではそのアーティストとお客さんがコミュニケーションを取って食事を楽しむような場もあって、
その中でコンセプトを話したりしながら、
時間をかけてその作品について語り合うというような場を作るというようなイメージでやってたんですけれども、
お茶室という空間に入っていく中で、
やっぱり自然にリスペクトフルになっていくというか、
その場が持っている、本当にちゃんとしたお茶室というよりかはフレームワークだけのお茶室でしたけども、
お茶室というものが持っているエネルギーみたいなものがそこに招かれている人というか、
そこにいる人をとっても敬意あふれる何かにしていくっていうような場面はオリにあったので、
茶の湯を通してただ作品を鑑賞するということだけじゃない裏側の部分も少し感じていただけたのかな、
ここでどうしてくださいというようなことを細かく説明してたわけじゃなかったんですけれども、
すごく皆さんリスペクトを示してくださったなという感じはありましたね。
やっぱりその文脈がある人が感じる感動と外の人の感動違うし、
いずれはわかるにしてもそこに道を作るためにもうちょっと食べやすいふうにしなきゃいけないんだなとその時は思って、
そうですね、私も結構そのお茶の体験とかで色々と海外の方にお茶を差し上げる機会とかもこの5、6年結構多かったんですけど、
やっぱり多少のガイドを自分なりに作ってあげた方がその後の食いつきというか理解の度合いがやっぱり違う感じがしてて、
一番最初はもう余計なこと言わずにある程度その空気を味わってもらって、その中で感じ取れるものをつかみ取ってもらうのがいいんじゃないかなとかいう感じを思ってたんですけど、
それだと本当に最初にちょっとお話ししたみたいに異文化体験で終わってしまって、何かその先に通じるものがないケースが多かったので、
多分もっと小人数の2、3人とかで茶事とかだったら別だと思うんですけれども、少し人数が多くなるとやっぱりそういうガイドみたいなものはないと、
その入り口が仮にアートだったりするかもしれないし、テクノロジーかもしれないけど、何かしらこう自分ところの日常に近いこれとお茶っていうのはこういう共通項があるかもしれないなっていう、
理解を呼び覚ますような取り組みっていうのは努力目標として作っていった方がいいんじゃないかなとは思ってますね。
絶対そうですよね。 なんかピシッとした生地茶碗だったら意外にこう頑張れば再現できるし。 いやおっしゃる通りですよね。なんかそのあたりのさじ加減が本当に難しくて、やっぱりそのジーニー的なものが入っちゃうというか、もう何かね、人のこうワッとしたサインを真似ようとする、どうしても何かこうきっちり移さないとできないっていうところで、移しではできない何かオリジナルの何か味わいみたいなものっていうのはそういうところにあると思うんで。
僕結構大好きなコブ草があって、これはレイチェルさんの方が僕よりわかると思うんですけど、サラサが結構ヨーロッパですごい流行って、それを輸入禁止にヨーロッパがこれ明治時代のかどうかするんですよ。そうすると国産でみんな作るんですよ、イギリスとかオランダとか。
イギリスでその当時何か日本とか中国のモチーフを作った記事があって、イギリスっぽくダサいんですよ。全然ちゃんとこう日本とかをコピーしてて、でもそれがまた渡って日本に戻ってくるのね。そのこの何か微妙なダサい違和感が逆に結構味があってかっこよかったり、そういうコピーしきれてないっていうところが逆にまたこう味になってるような感じがして。
それすごいわかりますね。茶道具においてもいろいろそれはあります。やっぱりその技術的には伝播していくわけですけども、先名前が出たアシアガマなんかもそうですが、アシアの技術者たちが地元でちょっと作品を作る環境じゃなくなって地理人になって渡っていくんですよね。
そういったところでなんとかアシア、伊勢アシアとかなんかこういろんなこう地域のアシア的なものっていうのが生まれていくんですけど、やっぱりなんかその絶妙にちょっと不思議な違和感がある。でもそのやっぱり違和感が面白いっていうような感じで、その完璧な写しじゃないでも何かそのオリジナルがこれっていうのはわかってるっていうようなところで、なんかそういうところにこうマニア心をくすぐられる感じっていうのはありますよね。
で、それがかっこいいのとかっこ悪いのとこう微妙なところが。僕もねおばあちゃんからもらったウイ飲みみたいなので、ヨーロッパのコーヒーカップみたいにちょっとちっちゃいハンドルがついてて、あれも多分ヨーロッパから流れてきた南蛮人のこのコーヒーコップをこうちょっと写して、でもちょっとなんかやっぱり変なんだけれども、その違和感が可愛くて。
あの時代はやっぱりちょうどその桃山時代とか、結構そういう海外から来たもののぶつかりでいろんなイノベーションも起きたわけですよね。
起きてますね。やっぱりその技術的に吸収しようと思って、それをこう真似てるというか、そこから学ぼうとしてる場合ももちろんあると思いますし、もうシンプルに柄を取り入れようっていうところで、それらしきものを作る。
それはやっぱり写しともまたちょっと違うのかな、写しと言うべきなのかな、わかんないですけど、やっぱりちょっとこう、例えば釉薬なんかでも、その現地でしか発色しない色とかっていうのがやっぱあるわけですけれども、それを模倣して何とかしようとすると、そこになんかこう愛おしさが出てくるというか、なんかこれ作りたかったけど出へんかったんやなみたいな、でもなんかこれはこれでなんかエネルギーがあっていいみたいな。
それがさっきの西洋の目線とのなんか違いかなと思うのは、その良さを理解するために、元は何で、そこの地域の特性は何で、きっとやろうとしてた人はどんな気分だったかっていうのって結構今の喜び方の文脈にあって、西洋のピュアのアートって、それって計算に入れちゃだめなんだよね。確かこう見て自分が何を感じるか、どのアーティストが何で作ったかっていうのはあんまり関係ないっていうのが結構、
ピュアのアートの一つの見方なので、だからそこがなんかすごくこう面白いし、そして勉強していくとそこがなんか面白く出てきますよね。だってある程度地域も知ってて、どういう流れだったか歴史も知ってないと、何でこのちょっとおかしい色んなこれが面白いかってわからないですよね。
そうですよね。なのでなんかそこにあるのはやっぱりその地域でしか生まれないなんか愛おしさみたいなものとか、その時にこの人が関わってたんだっていうなんか人間味みたいなものとか、なんかそういうことなのかなとは思いますね。
この時代にこういう人がこの焼き物に憧れて、この地域のローカルの焼き物を作ろうとしてたんだ、なんとかさんっていう人がみたいな、なんかそういうこうローカリティであり、その人の人隣でありっていうのがこう見えてくると、すごく何かその時代を映す鏡としてのなんかその道具とか工芸とか、美術もそうかもしれないですけど、その時代を映す鏡のようなものとして残っていくのかなという気はしますね。
そして2人のトークは、本家と写しの話に。単なるオリジナルと模造品という二項対立ではない、日本独特の文化である写しの世界について語っています。
うちの大学の特別教授で秋子城殿下も学生にもこの間講演してて、やっぱり日本って写しってあって、でも実はそれはコピーではなくて、コピーの上にちょっと変えなきゃいけなくて、ただ本質はコピーしながら自分で重ねていくところが美しいっていうことで、西洋のアートだとちょっとコピーに見えちゃうようなものも、日本の文脈だとちゃんとアーティスティックで、
しかも、これソークさんの本かな、元が消えちゃっても、写しがそのスピリットを受け継ぐみたいな、だからその日本は代々続くとか、そういうのにすごくスピリットを感じてるっていうものに魂があったり、そこちょっと普通の西洋のアート違いますよね。
違うと思いますね。特にそのコピーと写しっていう問題で言うと、大きく違うとは思います。写しの価値みたいなものっていうのは、とってもこう西洋的な文脈だと理解されづらいですよね。
ですよね。でもやっぱりその写しをどう捉えるかっていうのは、まあそれを作ってる人の思いもあると思うんですけど、そこに何かそのやっぱりその本家となるオリジナルへのリスペクトとか魂が乗っかってるっていうことがやっぱり重要だと思うんですけど、
ものだけ見ると、あ、これコピーなのかなっていうふうに、それだけこう表面的なとこだけ捉えるとそういうふうになってしまいがちなので、伝え方が難しいなっていう気はしますけどね。
まあ本当に心の持ち方ですよね。あの今お茶室大学と家作って、ここの扉のここは何々の写しだって日本人ははーってこうなんかすごいリスペクトフルに感動するけども、
たぶんそれってまあアメリカ人もつながらなくはないけれども、ちょっとねそこはなんで自分で考えなかったのみたいな感じがあると思う。オリジナリティに対する始終が、日本だと10%ぐらいその今に移すけど、9割ぐらいは伝統守れよっていうのと、アメリカはもう完全に捨てちゃってもいいんじゃないのみたいな美学があるんじゃないかなと思うんですよね。
確かねこれサドラのTの本に書いてあったのが、最初の西洋の日本のアートの評価はやっぱりアートじゃないなぜならば、歴史とか文脈の価値が高すぎてオリジナリティがないとかなんかそういうクリティシスムもありましたよね確か。
それはやっぱりなんか、オカクラ天使の話における考古学みたいな話だと思うんですよ。古いものに対する敬意を持つっていうことはすごく重要だけれども、あまりにもそれに振り切ってしまうと神秘性みたいなものがおろそかになっちゃうっていうような話にもつながると思うんですけれども、
移しもそうですし、さっきの茶室の移しっていう話でも、李休さんは大阪の堺というところに生まれて、で一番最初に作ったのは李休の師匠の武の女王という商人がいて、その人が作ってた茶室を移したもので自分のお茶に励んでたんです。
で、それはその武の女王の女王余剰班っていう余剰班の茶室があって、でそれをもとに李休は李休なりの余剰班っていうのを組み立てていって、でその後李休の孫の宗泰さんは宗泰なりの余剰班っていうのを作っていくわけですよね。それ単体で見ると宗泰の余剰班って李休にすごく似てるよねってなるけど、ほんのちょっと柱がちょっと消えてるとか、ここの柱がなくなってるよねとか土壁になったよねっていうところで、
ほんの少しずつだけ何か自分の要素を入れていくっていうようなところで、なんかほんのちょっとだけ打ち破っていく何かみたいなものが世代の中で出てきているっていうのが味わいとしてあるっていうのはすごく感じられますけどね。
そう、僕も始めたばかりの時に竹之丞の夏目があって、で李休型なんですよ。で僕は、なんだ李休型は李休が作ったんじゃないんじゃねずるいとか思ったんですけども、実はそれって流れで、で今聞いてて思ったのは西洋ではもともとの本ってilluminated manuscriptって僕さんがこうただコピーしてたんだよね、であの時代って自分の名前入れてないんだよね。
であの時代の歴史を読むと、マンクたちは情報を過去から未来に運ぶ、メッセンジャーであって、自分が何か自らここに入れるっていうことはないだろうと。
でこのマージンにこの横っちょのとこにちょこちょこねメムみたいなの書いてて、それが実は残ってたり、結構マーケス・オレリスとか何人か結構有名な人が自分の表現をするって言うんだけれども、本当にかなり現代になって初めて、誰かが自分でクリエイションするっていうのもこれ結構西洋でも新しいんだよね。
だから多分そういう意味で何かこう人間としても、なかなか昔は何か自分が無からこう何か生み出すっていうこうそのエゴティスティカルなことってあんまり発想、で実際人間もいろんな刺激を受けてやって、自分があくまでも全部考えてるように言ってるけど実はすごくこう何か影響されてることを多分日本の伝統的なところの方がそれにちゃんと敬意を払ってるっていうのもあるんでしょうね。
そうですね。いやでも面白いですね。面白い話ですね。
李休さんの時代も今からもう450年近く前の時代になってきますけども、最終的にお茶の真ん中にあるのは個人の好きっていう部分だと思うんですよね。