ありがとうございます。おいしかった。
例えば今みたいなライフスタイルの人にイベントに出てこいってのは難しいわけですよ。
だからその人たちのライフスタイルに合う形だけど
お節介会議にも関わっていられてるっていう状態を作るのがすごい肝で。
その場合はアウトリーチして。
例えばお母さんが困っとられることに協力者になりそうな人を
今みたいにお客さんのように連れて行って。
あそこで支援させながら座り込んで
本当ですか。ほんならちょっと手伝ってもらおうかなみたいなこと言えるじゃないですか。
そういうふうにしてネットワーキングしていくって感じです。
こういうふうにお母さんの暮らしの動線に入り込んで
その人たちの願いを聞いたり。
さっきお母さんに聞いたら体の具合落ちてこられてるみたいだったんで
しんどいっておっしゃってたから
また改めて間髪入れずに間を開けずにゆっくり話しに行って
その時にウェルビングを叶えるのは
人で行けそうなのか、先ほどの道路交通なのか
環境的な問題なのかあるじゃないですか。パターンがあるんで
そこに対してアレンジしたメンバーで
お節介会議的に関わっていくっていう。
商売人のメカニズムはシンプルで
アウトリーチすれば全然暮らしの動線に入り込んでいけるし
彼らはその場でコミュニティナース的な関わりを
人にしていけばいいのでそんなに無理がない。
そういう目線を持って関わる人材が媒介すれば
全然やっていけます。
続いて訪れたのは地域の布団屋さん。
ここでは笹巻サロンという地域ぐるみでの会合が行われていました。
いつもお世話になります。すいません、お邪魔させてもらいます。
嫌だです。いつも可愛がっていただいてありがとうございます。
子どもまで可愛がってもらって。
お店の中では地域の人々が雑談中、
テーブルにはたくさんのお茶受けが並んでいます。
その場にジョイさんと深井さんもジョインさせてもらいました。
失礼します。すいません。
ジョイさん、ここ座っていいって。
こっちどうぞ。すいません。
深井くんもここどうぞ。
私、出雲なんですけど、高校の後輩です。
こちらは私たちの友人で伊藤さんです。
今日は東京から見学に来てください。
よろしくお願いします。
笹巻って分かりますか?
笹巻。
俺はここら辺の人だから分かる。
出雲もやる?
出雲もある、笹巻は。
笹巻き、団子を笹で巻くやつ。
一個一個作って、10本玉ねて鍋で茹でて。
これを作る回を企画してるんですか?
そうそう、作って食べるという。
共同料理ですからね。
こういう形になったものを10本玉ねて。
誰かが作らんとなくなっちゃうから。
鍋で茹でるという。
呼ばれます。
呼ばれますって何ですか?
いただきます。
お呼ばれしますという意味です。
しばしの寛談を楽しんだ後、3人はお店を後に。
ごちそうさまでした。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
あげですね、またゆっくり来ますけ。
懐かしい感じです。
よくあるんですよ、ここにこういうのが。
結構馴染みましたね。
馴染むというか、あんまり何もしゃべる必要ない。
そうそう、しゃべる必要ないんですよね。
わかってれば。
ニコニコする必要さえもない。
いこっか。
ごちそうさまでした。
すごく喜んどられました。ありがとうございました。
楽しかったです。
雰囲気がいいよね、楽しい。
よかったよかった。
幸せな人といると自分も幸せになるよね。
映るよね。
やっぱり問題解決でつなげてあげると深刻になっちゃうんで、コミュニティが。
なるほどね。
だからあそこで健康状態を見守り合ってたり、協力し合ったりしてるんですけど、
課題でつなげてないからいいんですよ、やっぱり。
すべての現場を訪れた後以降、それぞれの意見や感想などを述べることになったようです。
この現場を見たジョイさん、深井さんはどんな感想を持ったのでしょうか。
どんなふうに解釈されたのかっていうのをちょっとシェアしていただいて、
もしよければ、忌憚のないサジェッションを我々のチームにもセットで出していただけることがあればもらえるといいなと。
サジェッションね。やっぱり言葉にできない、やっぱり現場を見てほしいっていうのは、
とにかく居心地やすさ。別にわざとパフォーマンスしなくても居心地いいっていう感じで、
よくウェルビーとかハッピーナスとか、それそのもののような感じ。
他でいろいろ見てると一生懸命感は出てても居心地よさがない時もあるんだけども、
ちょっと説明しづらいんだけど、それが一番感じてる。
どこに連れて行かれても、自分の田舎でおばあちゃんがいるとこに行くとなんか変なんだよね。
自分も居たくないし、向こうもなんか異質な感じなんだけど、
ここだと良い看護師さんって喋りながら知らないうちに針が刺さってるみたいなのと同じで、
緊張感がないのが、それをちゃんとプロセス化してみんなに伝えられてる感がポイントなのかなと思って。
それをどうやって説明したり伝えるプロセススケールするかとか、そういうのってやっぱりすごく難しいし、
やっぱり宗教に似てるんだよね。宗教もなかなか言葉にできない体験を他の人たちに伝えるっていうのがあって、
宗教もうまくいく時、うまくいかない時いっぱいあるけども、この世の中の時代と日本の高齢化の時代で、
前だったら宗教が入ってきて、そのタイミングにあったスピリチャリズムが通るのと同じ。
それに近い歴史的なムーブメントが始まっていくのかなという感じでした。
アドバイスは宗教の勉強をするっていうのがあれば。
今、うちの研究者で、マザーテレーサーのところにいた人がいるのよ。
MITのダレラムセンターのお坊さんで、今、中和校内の先生もしてくれるんだけども、
彼、少し日本語もできるんだけど、彼みたいな人に、例えばマザーテレーサーの現場はどうだったのとか、
彼女がどういうことを上手にできたのかとか、そういう多分マザーテレーサーと
被るところがあるかと思うんで、そういう人の話も聞くっていうのもありかなと。
僕も何度も見てるんだけれども、改めて入り方とその裏に、言語化するとすごい戦略があるっていうことがすごい大事だと思っていて、
おそらくパターン化もできるし、別に戦パターンはないと思うんですよね。
現場に即したいくつかのパターンが掛け算で増えていっているっていう感じはあると思うけど、
その型自体は何パターンかみたいなのがあると思うんですよね。
それを見ながら、めちゃくちゃこう、的確に状況に応じて選択されていっている感じみたいなのをすごく感じてて、
さっきのお茶会とかはもうだいぶ成熟した場だと思うんだけれども、
その前のあれかな、酒造店のところに入るときのやったさんの話とかは、非常にわかりやすかったですよね。
こっちの目的はヘルスチェックとかしたいんだけど、ヘルスチェックしに来ましたって言って入るんじゃなくて、
僕たちみたいなよそ者が興味があってここに来たいよって言ってたみたいなやつは嘘じゃないんで。
こっちのやりたいことっていうのと、コミュニティーナースがやった方がいいと判断していることっていうのと、
やってほしいことみたいなのがどこで掛け算で合わさっているのかみたいなのを、
普段死ぬほど情報収集している中で、この合わさったタイミングをついてボンってやるみたいな。
それが不自然じゃない導入でできるみたいなのは、僕サッカーとか全然詳しくないですけど、
プロのサッカー選手の技とかに近いと思うんですよね。
フィールド上どこを動いてもいいんだけれども、この瞬間ゴールが入れれる価格っていうのはここからしかないみたいなやつがあるわけじゃないですか。
結構それに近い気がしていて、それが可能なのってフィールド全体俯瞰的に見れてる人じゃないとできないから、
やっぱめっちゃむずいなと思った。
八田さんが行われているコミュニティーナーシングは、健康面のおせっかいと自らが呼ぶくらい、
昭和30年代や40年代くらいまでご近所付き合いの中で行われていたことでもあります。
街中でのおせっかいってもう今ほとんど存在しないですよね。
失われてしまったものをまた一から作ることって本当に大変なことなんですね。
スカイさんの話を聞いていると、それがすごく伝わります。
特に大学とかビジネスに入ると課題発見志向を強化されるじゃないですか。
でも暮らしの動線っていうのもどっちかというと、ソリューション作っている側の目線じゃなくて住民側の目線でいるっていうのがやっぱりすごい大事で、
住んでいる時のあの感覚、どうやって付き合ってたっけ、何見ながらやっとったっけみたいなのを言葉にした最初の段階で、
いいところから付き合いの起点を持つっていうのを、いいとこ発見って言葉にしたんですけど、
例えば深井くんとかの、深井くんでこういうところがめっちゃいいよねっていうところから付き合っていかないと、
あの人これもできん、あれもできん、これもできん、お茶はこぼすみたいになるじゃないですか。
でも深井くんはあそこがアーケンねっていうので付き合っておいて、あとのところはみんなで手こすればいいわねみたいな、
手伝えばいいわねってなるけん60年80年付き合いとるなっていう。
常に今それが出たねみたいなこととかをコミュニケートしてないと人は容易に忘れていって、
そのコミュニティが溶ける、パフォーマンスが溶けるっていうのはすごくありますね。
たぶんさっき深井さんが言ったのに似てるんだけども、理念なのかもしれないけど言葉にするっていうのはそういうときいいよね。
今に似てるので言うと、英語で言うと教育はデフィセットベースレーニングって言っていて、
弱いところを見つけて補うっていうのが今の教育。
そしてみんな標準化する。で強いところはもういらない。
でアセットベースレーニングっていうのはその強みを見つけてそこを応援してみんなで弱いところを補う。
それで障害者もサポートする。
でその言葉つけただけで国とかその学校のシステムがうちはシフトしましたと。
デフィセットベースからアセットベースにシフトしたと。
最初何の意味だか分かんないけれどもその説明聞いてると、
ああこういう意味なんだなそれをどんどん応用していくと結構変わるんだよね。
でアメリカは今そういうシフトしようとしていて、
でそれって意外にクリアーだから間違いにくい。
だからみんなでこんなシーンがありました、で私はこうしましたけどこうなんだよねみたいなシェアリングっていうのもありかもしれない。
コミュニティーナースがやってるのはやっぱりそのリソースの活用なんだなと思うんですよね。
戦略ではないんだけど、進化の結果として我々が選択した戦略っていうのは、恣意性はない戦略ですけどね。
相互扶助だったわけですよね。他の動物に比べて圧倒的に我々は相互扶助をするから、個体数が増えたわけだよね。
反映したのかどうかわかんないけど、のさばってるわけですよね。ホモサピエンスが地球上に70億人も。
この状態を作ったのは我々が相互扶助特性を持ってるからであると。
この相互扶助特性が、よく言えば市場経済によって商業活動に対して一極集中できてたんだけれども、
それによって我々の生活が豊かになった反面、いろんな問題も発生したと。
これらの問題みたいなものをどうやって解決しようとした方がいいのかっていうときに、商業リソースだけで考えてしまうと、
多分解決ができないっていう局面に今当たっていると思っていて、
そこでこのようなコミュニティナースみたいな組織が、今までの商業リソース活用という文脈と全く別の文脈から出てきて、
地域には実はこういうリソースっていうのが存在しており、
この全く役に立たなさそうなジジババが、実はこの人たちのいわゆるモチベーションであるとか、
メンタルであるとか、普段やっている比較的どうでもいいと今まで思われてたことが、
これを活用してソーシャルに接続すると普通に機能するんだっていう。
実践者としては、このおばあちゃんのウェルビーングを上げたいなというか、
幸せになってほしいなと思って接してたら、その活動が結果的にソーシャルに接続されるっていうのは、
そもそも僕たちホモサピエンスが思ってた基本的戦略なんですよ。
多分、生物としての。
ここをブーストしている、つまり何だったっけ、ミッションが生きるを進化させるでしょ。
だから多分そういうことだと思うんですよね。
なんで、そういうふうに僕の中で今の話を全部総合して整理された。
最後に深井さんは、目田さんの事業について次のようにおっしゃっていました。
僕は期待してます。
なんかやっぱり少なくとも東京からは起こらないと思ってて、
次世代の日本の産業になるような新しい潮流というのは、地方の可能性がとても高い。
僕がそういうふうになってほしいと思っているんじゃなくて、
歴史をバーって騒乱したときに基本的にそういう構想になっているっていう、
再現性がある状態だと思ってて、
唯一の例外はアメリカっていう国ですよね。
あそこは終わりそうで終わらないを繰り返し続けてる。
それはなぜかというと移民を入れてて、中身が入れ替わってるから。
なるほど。
でも基本的に中身が入れ替わるってことはあんまり起こらないので、
他の国とか地域では。
やっぱり結構長い企業が何回かよく分からないけどすんげえいいことして、
そこに労働者が集まるっていうのが、
僕が今そのネクストジェネレーションで日本の次の産業になり得る形だと思っている。
結構その最初の邦画が今見始めてるっていうのは、
終焉だからですよね。
東京じゃないから起こってるわけで、
こういう特性がやっぱりすごい重要だっていうふうに思っている。
来週はコミュニティナースとニューロダイバーシティについて考えます。