2024-01-03 12:10

#56 十八史略(嘗て昼寝ね)

今回は、黄帝が天に上る場面をご紹介します。


【原文の引用・参考文献】

角川書店(編)『ビギナーズ・クラシックス中国の古典 十八史略』(2012)角川ソフィア文庫

サマリー

このエピソードでは、中国の古典『十八史略』を基に、皇帝の逸話が紹介されます。皇帝は夢の中で箇所の国を訪れ、その体験を通じて国家を治める方法を学びます。最終的に、夢で得た知識を基に、国は平穏を得るというファンタジックな展開が描かれます。

皇帝の逸話
それでは、始めてまいります。
今回は、十八史略を読んでまいります。
まだまだ序盤でございますけれども、今回も中国の最初の王様とも言われる皇帝、黄色い帝と書いて、皇帝の逸話からのお話でございます。
それでは、まず本文を読み出しましょう。
かつて昼寝ね 夢に箇所の国にあそぶ
依然として自得す その後、天下大いに治り
ほとんど箇所の如し 世に伝う楽
皇帝、楼を取りて、かなえを射る かなえなるに龍あり
古禅をたれ、下り向う 帝、龍に乗りて天に昇る
群臣高級の従う者 七十四人
将臣昇ることを得ず ことごとく龍の髯を持つ
髯抜け弓を落す その弓を抱きて泣く
皇政そのところを名付けて 帝ことい その弓をうごうと云う
皇帝二十五子あり その政を得る者十四
ある時 皇帝がかつて 昼寝ていた 昼寝をしていたのです。
皇帝がどういうように 政治を行っていこうかと 悩んでいたのです。
そうした時に 昼寝をしたのです。
昼寝をした時に 夢に 箇所の国に遊ぶ
夢の中で 箇所という国のことを 夢で見たのです。
遊ぶというのは 遊ぶことや スポーツをすることや ゲームをすることではありません。
その国を見て回ったり 学んで回った という感じです。
遊ぶというのは 巡るという意味を 持っています。
いろんなところをうろうろする というニュアンスを持っています。
遊ぶというのは 箇所の国を 見て回った という意味です。
その中で 依然として 自得する。
その中で 自然として 自得していった。
政治の行い方や どのような政治を 行っていけばいいのかが
心地よい感じで 身についていった というのです。
その後 天下大いにおさまり ほとんど 箇所のことです。
そうしたら 目覚めた 皇帝は そのやり方を 身についているので
天下は 大いにおさまって まるで 夢の中で見た 箇所の国のような 国に なっていったと 言います。
国を どうおさめるかは 非常に重要な 問題です。
天下は ある種の 典型を 受けたと 言います。
天下は どうおさめるべきかを 箇所の国という 不思議な国に 夢の中で行って
そこで 暮らす中で 得たものを 実際の政治にも 活かした という話です。
龍と金絵の物語
非常に 都合のいい 話でも あります。
天下は 不思議な力を 持って マジカルなものとして 得たと 言います。
天下は 誰かから 教わったり 書物を読んだり 勉強したのでは ありません。
天下は まさに 遊ぶことが 大事です。
天下は そこで 暮らしていた その中で 自然と 身についていった ということです。
次の 場面です。
四日当楽 皇帝 銅を取りて 金絵を 入る。
四日当楽に よると 皇帝は 銅を 取って その銅を 使って 金絵を 作ったと 言います。
金絵は 今でも 帝団と 言います。
帝団の 帝の 字です。
金絵は 三本足の 遺物です。
金絵を 入ったと 言います。
金絵を 作った途端に 竜が 現れました。
また ファンタジックな 展開に なって きました。
竜が 現れました。
その竜は 虎仙を たれ 虎仙は ひげです。
虎仙は ひげを たらして くだり 向かいます。
虎仙は くだって 来たと 言います。
虎仙は くだって 来て 向かうので 皇帝は 向かいに 来たと 言います。
天に 竜が 降りてきて 皇帝は 向かいに 来たと 言います。
竜に 乗りて 天に 登る。
そして 皇帝は 竜に 乗って 天に 登って 行きました。
軍神皇宮の 従う者は 74人です。
軍神は 群れの おみと 書いて 軍神です。
軍神の 従う者は 家臣たちです。
そして 皇宮は 後ろの 宮と 書きます。
皇宮は 奥さんたちの ことです。
もしくは 女官たちです。
皇宮は 皇宮の 奥さんたちを 合わせて 74人 つまり 大体 70人くらい 連れて行きました。
将臣は 上ることを えず 小さい おみと 書きます。
これは もう少し 下の身分の 家臣たちは 上ることを えず 竜に 乗せて もらえなかったと 言います。
そのため 竜のひげを 持つ仕方が ないので 家臣たちを 連れて 行きました。
竜のひげは 下に たれているのを 持っていました。
そしたら ひげが 抜け 弓を落とします。
ひげが 抜けたと 言います。
そのため 低い身分の 家臣たちは 市場に 残されて しまいました。
同時に 皇帝が 持っていた 弓を 落としたと 言います。
その弓を 抱きて 泣きます。
残された 家臣たちは 皇帝が 落とした 弓を 抱いて 泣きます。
それが 後世の世に なります。
後世は 後ろの世と 書いてあります。
後世は 後世の世に なります。
そのところを 名付けて 帝湖と 言います。
その 竜が 訪れた 場所を 帝湖と 言います。
帝湖とは さきほどの カナエ という 字です。
湖とは 湖です。
帝湖と 名付けた カナエを 作った 場所 ということです。
その弓を 取り落とした 弓を うごう と言います。
カラスの 語は 泣く という 字です。
1号 2号 3号の 語です。
カラスの 語は 泣きわめく という 意味で 取ります。
そのため うごうの 宗は 家臣たちが 泣いた 場所 という 意味です。
泣いた時に 落ちてきた 弓を 持って 泣いた という エピソードから うごうと 名付けた ということです。
この場面では カナエを 作って 弓を 取りこぼした 2つのことが 地名と 弓という アイテムの 名前に なっています。
後世の教訓
そして 最後です。
「皇帝 二十五子あり」は 皇帝には 二十五の子供が いて 子というのは 子供の子です。
二十五人の 子供がいて その生を得る者 十四 その生を得た者が 十四人いた。
生というのは 生命判断の 生の 字です。
生というのは あうしの 肩書を 得た者が 十四人いた。
生を得ることは 諸公になることです。
諸公として 皇帝の下で 他のところを 治める 役職に ついた者が 十四人いた という エピソードでした。
まだまだ この段階だと かなり ファンタジックな 要素が 大きいです。
非常に マジカルな 要素が あります。
この辺りには 大体 出典としては 特に 柴瀬の 式が 元になっているとも 考えられています。
柴瀬は この場面を 描くにあたって いろいろな 事情が あります。
この頃には 牢層思想や そのあたりの 影響を 受けているのでは ないでしょうか。
だから あうしの 無意自然と 言います。
何も することなく とにかく 自然な状態が 良いと 牢層思想では 良いと 言います。
牢層思想に 近い 政治を 行います。
牢層思想に 近い 政治を 行います。
では 最後に もう一度 本文を 読みましょう。
かつて ひるいね ゆめに かしょの くにに あそぶ
いぜんとして じとくす そのご てんか おおいに おさまり
ほとんど かしょの ごとし よに つたうだく
こうてい どうを とりて かなえを いる
かなえなるに りゅうあり
こぜんを たれ くだりむかる
てい りゅうに のりて てんに のぼる
ぐんしん こうきゅうの したごうもの 74にん
しょうしん のぼることを えず
ことごとく りゅうの ひげを もつ
ひげ ぬけ ゆみを おとす
その ゆみを だきて なく
こうせい そのところを なづけて ていことい
その ゆみを うごう という
こうてい 25しあり
そのせいを えるもの 10し
今回も こうていの エピソードについて ご紹介しました。
出典は リギナーズクラシックス 赤戸川ソフィア文庫の リギナーズクラシックス 中国の古典 18略から お送りいたしました。
お聞きいただき ありがとうございました。
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