2023-06-25 08:10

#47 徒然草(いにしへの聖の御代の)

兼好法師による政治批判が記されている場面です。


【原文の引用・参考文献】

角川書店(編)『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 徒然草』(2002)角川ソフィア文庫

サマリー

今回のエピソードでは、徒然草の中で過剰な贅沢やそれに伴う批判について語られています。特に、順徳院や九条殿の教訓を通じて、理想的な政治と民の苦悩が浮き彫りにされています。

贅沢の批判
それでは、今回は、徒然草からその第2弾を扱っていきたいと思います。
非常にシリアスな部分ですね。
健康奉仕の批判的な部分が非常によく現れている部分かと思います。
それでは、お読みいたしましょう。
いにしへの日尻の御代の祭り事をも忘れ
民の憂え、国の損なわるるも知らず
よろずに清らを尽くして忌みじと思い
所せ貴様したる人こそ
謳て、思うところなく見揺れ
遺漢より馬、車に至るまで
あるに従いてもちいよ
微礼を求むることなかれ
とぞ九条殿の唯戒にもはべる
順徳院の金柱のことども書かせ給えるにも
公の建祭者は、おろそかなるをもてよしとす
とこそはべれ
いにしへの日尻の御代とあります。
いにしへの理想的な政治の在り方のことですね。
いにしへの日尻、日尻っていうのは、
こういった古文の中で日尻と出てきた時には、
大体がお坊さんのことを指すことが多いんですね。
ただここでは日尻の御代の祭りごとと
祭りごとに続きますから、
出家した後取ることもできなくはないんですが、
おそらくこれはその理想の政治を行った方々と取ると適切でしょう。
ここではどうやら第五天皇、
村上天皇の御用を指しているようです。
民の売れ、国の損なわれるをも知らず、
民の売れ、民が売れる様子とか、
国が損なわれるっていうことも、
そんなこともわからずに、そんなことも考えずに、
よろずに清らを尽くして忌みじと思い、
さまざまなことに清らを尽くす、
清らかの清らでございますが、
ここでは装飾過美な様子でしょうかね。
贅沢に飾り立てて、それを忌みじと思う。
忌みじというのは、
これは良い意味だと素晴らしい、悪い意味だとひどい、
あとはどちらでもないものとしてはとてもという意味で使われますけれども、
ここでは良い意味の方ですね。
そういう良いものだと捉えていると。
ですから贅沢を尽くして、
民が大変な状態になっていたり、
国の財政も非常に逼迫している状況であったとしても、
贅沢を尽くすということについて忌みじ、
素晴らしいと思っていて、
所咳さましたる人。
所咳というのは所が狭いと書いて所咳と読ませます。
これは場所が狭いという意味で窮屈な様子を指すこともありますが、
ここでは逆に非常に堂々としていると、
晴れ晴れと所咳と威張っている様子ですかね。
そんな様子をしているものは、
疎て、思うところなく見うれています。
非常にこの疎てというのはひどいとか愚かだみたいな感じですね。
愚かで思うところがなく見えるのだ。
何も考えていないように見えるというんですね。
ですから非常に民が貧窮にあえいで、
大変な状況になって、国の財政も大変な時に、
精を尽くしてそれを良しとするような連中は本当に困ったものだと。
なんてひどい奴らなんだと言っています。
質素な暮らしの教訓
いかんより馬、車に至るまで、あるに従いて用いよ。
びれを求むることなかれ。
とぞ九条殿のゆいかいにもはべる。
いかん。いかんというのは衣と冠です。
つまり貴族が身に着けるスーツのようなものですね。
そういったものから馬や車、義車ですね。
車に至るまで、それらはあるに従いて用いよと。
あるものをとにかく使いなさい。
あるものを使いなさい。
びれを求むることなかれ。
非常に豪華に飾り立てたいとか、そういうことをしてはいけないと言っているのが、
九条殿のゆいかいにもはべるとあります。
これは九条殿のゆいかいですよ。
九条殿というのは藤原室助のことだと言われていますが、
その九条殿のゆいかい、ゆいかいというのはゆい言の教訓のようなものですね。
ゆいかいの中に書かれているよと。
ですからこの九条殿もまたそういう質素な暮らしというかなんですが、
無駄なことをするなんてことですね。
非常にエコでありなさいと言っている。
また順徳院の禁中のことども書かせたまえにも、
順徳院という方が禁中、九中のいろんなさまざまな出来事について書かれていることの中にも、
公の建祭りものはおろそかなるをもてよしとす。
公は公的なということですね。
公的なもの。
ここでは公というのはもう一つ九中のこともしくは天皇自身のことも指します。
ですから天皇が身につけるものとかそういうものについてはおろそかなるものがよいと言うんですね。
よくないものがいいと。おろそかなりというのは足りないとか不足だとか質素なものということですね。
質素なものがよいのだと。
ですから天皇でさえも帝でさえもあまり贅沢なものを身につけるべきではないと順徳院が言っている。
こんなふうにさまざまな人が贅沢をするものではないなんていうことを言っているんだと。
だからそんな贅沢をしつくして偉そうにしているのはなんておろかなんだと言っている場面であります。
非常に通説な批判ですね。
なんかこう遠回しな言い方をすることも多いんですがここは割合直接的に批判している部分かなと思います。
それではもう一度全体を通してお読みいたしましょう。
いかんより馬、車に至るまであるに従いて持ちよ。
微礼を求むることなかれ。
とぞ苦情どどのゆいかいにもはべれ。
順徳院の貧中の子どもを欠かせたまえるにも。
公の建祭り者はおろそかなるをもてよしとす。
とこそはべれ。
こちらはツレズレ家さんの第2弾からご紹介いたしました。
出展は門川ソフィア文庫ビジナーズクラシックス日本の古典ツレズレ草からご紹介いたしました。
お聞きいただいてありがとうございました。
08:10

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