2024-11-10 24:52

#68 十八史略(華に観る)

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中国の歴史書を抜粋した「十八史略」から、伝説の天子「尭(ぎょう)」が「封人(ほうじん)」と問答する場面、「舜(しゅん)」に位を譲る場面をご紹介します。


【原文の引用・参考文献】

角川書店(編)『ビギナーズ・クラシックス中国の古典 十八史略』(2012)角川ソフィア文庫

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古典講義をはじめてまいります。
今回は、十八史略を読んでまいります。
前回までで、皇帝という天使がいて、
その後に出てくるのが、行、春、
さらには、武という天使になってまいります。
今回は、この行という天使が、
行、亭、亭、行と言ったりしますけれども、
この行という方が、春という方に、
今度は大がばりをするんですね。
この天使の位というか、それを譲るわけであります。
この春という方が、位につくわけなんですね。
そこに至る二つのエピソードについて、
紹介している場面です。
それではまず、本文を読んでまいりましょう。
華に観る)華の法人曰く)
阿呼、聖人を祝せんことを)
聖人をして、十にして、男子多から占めよと)
行曰く)
実)男子多ければ、すなわち恐れ多く)
穫めば、すなわち事多く)
受)ならば、すなわち恥かしめ多しと)
法人曰く)
天万民を掌ずるや)
必ずこれに職を授く)
男子多くとも、これに職を授けば、
何の恐れかこれあらん)
穫むとも、人をしてこれを若たしめば、
何の事かこれあらん)
天下未知あれば、物と共に皆盛い)
天下未知なくんば、徳を納めて勘につく)
千歳よう厭わば、去りて成仙し)
かの白雲に成じて、定境に至らんには、
何の恥かしめかこれあらんと)
行立ちて七十年)
九年の水あり)
婚をしてこれを納めしむるも、九歳世紀あらず)
行老いて努めに生む)
始学春をあぐ)
天下の事を折行せしむ)
行の子短所不詳なり)
03:02
すなわち春を天に進む)
行法事春くらいにつく)
まず前半を見てまいります
かに見る)
かというのは火山という場所ですね
火山に行った時にこの行定境さんがですね
こういう場面に出くわしましたというんです
かの法人曰く)
法人というのは赤森のことですね
赤森がこの定行に対してこのようなことを言いました
ああ行生人を祝せんこと
ああ行っていうのは何々させてください
っていう表現ですね
ああ生人を祝せん
生人というのはこの行を指しますね
あなた様を祝福させてください
って言うんです
生人をして受付にして男子をおからしめよ
その祝福する言葉がこの部分です
あなた様に富多く
そして多くの男子に恵まれますように
っていうように祝福の言葉をかけたんですね
そうしたら行はこう答えます
じすそれはお断りするって言うんですよ
男子多ければすなわち恐れ多く
男子が多いといろいろ恐れ
ここでは心配事とか
何か争いの種のようなものが多くなってしまう
富めばすなわちこと多く
この財産が増えて富む富んでしまうと
何かしらトラブルが多くなってしまう
じゅなればすなわち恥ずかしめ多し
じゅっていうのは
これことぶきという字ですけれども
これは要するに超じゅということですね
ですから長生きすると
いろいろ恥ずかしめを受けることも多くなる
多いっていろいろと恥ずかしめを受けるようなことも
多くなるんだっていうことを言うわけなんですね
さあそうしたら法人曰くそれに対して
先ほど祝福の言葉を言った法人がですね
さらに言葉を付け加えるんですね
天万民を生ずるや必ずこれに職を授く
天は万民あらゆる人を生ずる
生み出した時に必ずこれに職を授く
06:00
必ずこの生み出した全ての人に
職を授けるのだ天職を授けるのだって言うんですよ
必ずその一人一人に応じた
ふさわしい何か役職をつけるのだ
仕事を授けるのだ天命天職を授けるのだ
って言うんですね
男子多くともこれに職を授けば
何のお袖かこれあら
もし男子が多く生まれたとしても
それぞれに然るべき職位を授ければ
何も困ることはないんだ
って言うんですね
とむとも人をしてこれを分かたしめば
何のことかこれあらって言うんですよ
もしこのとんで何かしら
お金がいっぱいあったりとか
そういう状況になったとしても
これを分かたしめば
分ければいいんだって言うんですね
いろんな人々にこれを分ければ
何のことかこれあら
どんなトラブルがあるだろうか
そんなことはないよと分ければいいじゃないかと
そして天下道あれば
ものとともにみなさい
坂井天下に道というものが合うのであれば
何か道理というか
物事の良し悪しがしっかりとしているのであれば
ものとともにあらゆるものとともに
みな栄えていくだろうと
また天下道なくんば徳を収めて
勘につくって言うんですね
でもし天下に道がない
つまりそういう道理が行われないような
混乱した世の中になってしまったとしても
徳を収めて
これは自分自身がしっかり徳を収めた
しっかりした行いをしていって
そのまま勘につけばいいんじゃないかって言うんですね
勘ってたぶんこれはこうなんでしょう
おとなしくするというかですね
勘職につくとか
あとはこうもうリダイヤするみたいなところでしょうね
ですから世の中がしっかりと道理が
成り立つような世の中であれば
自然と栄えていくしと
そうでなかった場合には
なんか自分はしっかりやっておいて
実践をしりそいちゃいなさいって言うんですね
これはその10なれば
長生きするっていうことに対してのデメリットについて
多分言ったことだと思うんですけれど
なんかこうちょっと突き放したところがありますよね
まあうまく別に世の中の道理がしっかりしていたら
長生きしてもうまくいくし
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もし道理がしっかりしていなかったら
まあもう実践から離れちゃえば大丈夫だよって言うんですね
でさらにですね
潜在要意とはば去りて
乗船しかの白雲に乗じて
帝京に至らんには何の恥かしめか
これはらんとまで言うんですね
潜在っていうのはまあ千年ってことですね
もし千年千歳千年以上生きて要意とはば
もうこれは飽きちゃったら
世の中に飽きちゃったとしたら
だからものすごく長生きして
千年以上経って
もう飽きちゃったとしたら
去りて乗船しもうこの世も去ってしまって
乗船しかの白雲に乗じて
帝京に至らんにはっていうのは
もうこれはもうこの世を離れてですね
千年になってしまいなさいって言うんですね
で白雲白い雲に乗って
帝京っていうのはこの天帝がいらっしゃる
天帝がいらっしゃるとこにも行ってしまいなさいと
天帝っていういわゆる神様のような存在ですね
どこに行ってしまいなさいと
そうしたら何の恥かしめか
これはらんと何にもこの恥かしむ
受けるようなことはありませんよ
屈辱的なことはありませんよ
っていうことを言うわけなんですね
どうなんでしょうね
なんかこう自分勝手な感じにも取れますよね
なんかこう一見この場面っていうのは
行をこの帝行をなんか素晴らしいエピソード
これまでだとそうじゃないですか
何かこういう天使様がいらっしゃった時に
その帝を行帝とかを褒めたたえるというか
その立派なエピソードを書くっていうのが
セオリーだと思うんですけれども
この場面っていうのは必ずしもそうじゃないんですね
なんかもうこの法人が言っているのは
この世を捨てちゃえばいいじゃん
最悪みたいなことを言うわけですね
これはどうやらですね
この部分でこの文章の場面っていうのが
出典がソウジという文章から来てるもののようなんですね
ソウジというのは何かっていうと
これは道化思想っていう思想がありまして
これはざっくり言うと
儒化思想と真逆というか
ちょっと対立するような存在なんですね
儒化思想っていうのが
孔子で有名な儒化思想なんですけれども
これがね基本的に王道なんですよ
主な勢力なんですね
中国哲学において
それに対して対立するのが
12:02
この道化思想ってやつなんですね
ですから本来的なこのメインの主流の思想の真逆というか
少し対立した考えのところから引用してきたから
ちょっとこの行に対して少し不都合なというか
そういうエピソードになっているようなんですね
そういう場面なのでちょっと違和感を感じるというか
なんかこう少し変だなっていうところを感じる場面でございます
まずここまでが前半の場面ですね
前半です
でここまで言ってるのは一つのエピソードですね
行という王様
その天使様のエピソードです
さあ後半はまた少し話が変わります
というか全然違う話だと思っていただいていいと思います
今度は行が次の春という天使に
供えを譲る場面なんですね
でさらに実はその行春と続いて
さらにその次の雨という天使に供えを譲っていくんですね
行春雨と続くんですが
その少し導入というか手がかりとなる場面も含まれていると
ちょっとややこしいんですけれども
そういう場面でございます
まずは内容をとってまいりましょう
行経ちて70年9年の水ありとあります
行経ちて70年ってことは
この行定行が収めてから70年が経ったということなんですね
でこの9年の水あり
水というのは洪水ですね
水害のことです
9年に及ぶ水害が起こったって言うんですね
これが本当に丸9年なのか
もうちょっと長い9っていう数字が非常にこの大きな数字
すごくとてもみたいな感じで
救われることもないわけではないので
もしかしたら非常に長年の洪水というニュアンスかもしれませんが
ここでは9年としておきましょう
9年間のも洪水がずっと起こっていたって言うんですね
洪水に対して何かアプローチしなければいけません
どうしたかっていうと
根をしてこれを収めしむでも
根という人これ人物名です
根という人にこれを収めさせようとした
なんとか水害をなくさせようとしたんですね
そうしたら救済石あらず
その9年間石がなかった
これ生石の石ですよね
ですからこの鉱石がなかった
うまいことうまくいかなかったって言うんですね
収められなかったって言うんですよ
ですから9年間この根っていうものに任せてみたんだけれども
15:03
水害が収まりませんでしたと言うんです
さてそこで行を置いて努めに生むとあります
行も年を取りましたと
70年間も収めてますからね
現代の感覚だったら70年も収めたら
一体いくつなんだよって話でありますけれども
まあその辺はね多めに見ていただいて
まあとにかく70年間収めた後
さすがに今日も年を取ってきて
ちょっとこう生むを取る
生むするのが政治を行っていくのが
難しくなってきたって言うんですね
で死額春をそこで死額
これ死額っていうのは
その4人の次に収めている人たちですね
非常に優秀な人たちというか
収めている政治家たちが
春という人物を推薦したって言うんです
春って人物がいいんじゃないですか
って言うんですね
で天下のことを折行せしむと
でその天下のことをやらせた
つまりこの春にとりあえず
政治をせせみだっていうんですね
させてみました
行の子単種不祥なりと言います
でこの行の子にも子供がいたんですね
行の子供が単種という人
この人は不祥なり
この不祥という言葉は
現代ではギリギリ使いますかね
不祥の息子と言ったりしますけれども
大抵は優秀じゃない子供のことを
表現する時に使います
不祥というのは直接の意味は
似ていないということなんですね
ですから優秀な親に対して
似ていない子供のことを指します
ですからあまり優秀じゃない子供のことを
不祥のと言ったりしますね
現代では不祥の息子って言ったりすると
謙遜した表現でね
実際には優秀な方に対しても
使われることがありますけれども
漢文の中で使われる時には
直接的な言い回しですね
行の子単種不祥なり
つまりこれは行の子供の単種は
親に似ずあまり優秀ではなかった
って言うんですね
だから後継には向かなかった
ということなんです
そこですなわち
春を転に進む
そこで春
この先ほど政治をやらせてみた
春を転に進むとあるんです
転に進めた
そうこれなぜかというと
この転子というのは
転の子供と書いて転子で
子供って意味ではないんですけど
転の人と書いて
いう意味ですよね
ですのでこれ転が命じてるんですね
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転が選んだ人が転子なんですね
何かこう人間たちが選んで
この人に転子になってもらいたい
っていうんじゃなくて
転が選ぶのが転子なんです
だから転子っていうのは
基本的にうまくいくはずなんですね
転が選んだ人なのだから
なのでここでは春っていう人を転に
この人どうですか
この人ぜひ次の転子お願いしたいと
お伺いを立てたんですね
そして行法時春暗いにつくと
そこで行がなくなった後に
春が暗いにつくことになりました
という場面でございます
何かこう見てくると
さっきの洪水の話
何だったんだろうって
ところはあると思うんですね
いらなかったんじゃないか
と思うんですけれど
実はこの昆という人
この収めるの失敗した
昆という人の子供が
この羽という人であって
この後に次の位を担うことになっていく
というところに一応つながっていく
場面だということでございます
このストーリーの中では非常に何でしょう
うまいこと次の後継が見つかった話にも
感じるんですけれども
中国の歴史において
後継というか次の代っていうものは
必ずしも平和的なものではなくて
大抵クーデターによってですね
ある人が治めていて
その次の代次の時には
過信なんかがクーデターを起こしたりしてですね
なんかもともとの治めていた人たち
人に不安があったりとか問題があったりとか
もしくは何かこう
対抗の勢力があったりして
それで譲られてしまう
その倒してですね
前の王様とか
前に治めていた人を倒して
次の代が引き継ぐってことが
よくあるわけなんですね
このクーデターで次の代が決まっていく
というか次の代に移ることを
法罰って言ったりするんですね
法っていうのは放つ
放射能の法ですね
放つっていう字ですね
で罰が討罰の罰ですね
法罰って言うんですけれども
それに対して
この平和的にというか
次の代に譲ることを
禅状って言ったりするんですね
全仏教の禅に譲るんですね
禅状と言ったりいたします
ですからこれは禅状なんですね
もちろん禅状がいいですよね
なるべく平和的に
次の代に行ったほうがいいですよね
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人の誰かの血が流れるようなこともないわけです
ですからこの行、春、運っていうところは
これは禅状によって
次の代が決まっていくっていうことだけでも
非常に評価できるというか
非常にいいわけですね
このようにして行、春、運というふうに
世代が移ろっていくわけです
でこの運の時代になりますと
運を治めた時代のことを
火王朝と言ったりします
火というのは夏と書いて火ですね
火王朝と言ったりします
この火王朝についてはどうやら
今のところ確かにあったらしい
みたいなところがあるんですね
中国で一応火王朝の遺跡が
発見されているようなんですね
なので火王朝まで行くと
ここはあったらしいというか
なのでこの運という天使様、王様っていうのは
実際にいた可能性は高くなってくるわけですね
というようにゆるやかにこのあたりで
伝説の王朝、伝説の時代から
実際に存在した時代に
ゆるやかにつながっていく
というところでございますね
では最後にもう一度
全文を読みいたしましょう
かにみる、かのほうじんいわく
ああこう、せいじんをしゅくせんこと
せいじんをしてじゅふにして
だんしおおからしめよとぎょういわく
じす、だんしおおければすなわちおそれおおく
とめばすなわちほとおおく
じゅなればすなわちはずかしめおおしと
ほうじんいわく
てん、ばんみんをしょうずるや
かならずこれにしょくをさずく
だんしおおくともこれにしょくをさずけば
なんのおそれかこれあらん
とむともひとをしてこれをわかたしめば
なんのことかこれあらん
てんかみちあれば
ものとともにみなさかい
てんかみちなくんば
とくをおさめてかんにつく
せんざいよういとわば
さりてじょうせんし
かのはくうんにじょうじて
ていきょうにいだらんには
なんのはずかしめかこれあらんと
ぎょうたちてひちじゅうねん
きゅうねんのみずあり
こんをしてこれをおさめしむるも
24:00
きゅうさいせきあらず
ぎょうおいてつとめにうむ
しがくしゅんをあぐ
てんかのことをせっこうせしむ
ぎょうのこたんしゅふしょうなり
すなわちしゅんをてんにすすむ
ぎょうほうじしゅんくだいにつく
ということで
今回は18詞略からお送りしました
原文の引用と参考文献は
門川雲子のビギナーズクラシックス
中国の古典18詞略からお送りいたしました
ぜひまた聞いていただければと思います
ありがとうございました
24:52

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