2022-06-29 16:21

第25回『ひとり語り回 Vol.3 ~スポーツを頑張っていた話~』

本日も、いつもは色々なゲストをお呼びしインタビューしている田中の一人語り回Vol.3をお送りしたいと思います。今回は、運動スクール運営等の教育関連事業を行うイッポラボ合同会社を経営する田中が、運動スクール事業を行う事となった原点「学生時代のスポーツ遍歴」を中心に語っていきます。


【ハイライト】

・小学校の時にご近所さんがバレーボールに誘ってくれたエピソード

・中学校時代にバレーの全国大会に出場した事で感じた事

・高校で陸上部に転身したことについて

・0.01秒差でリレー種目インターハイ出場を逃した悔しさとそこで悟った事

・イッポラボが6月から開始したスポーツクラブ運営の方針とお知らせ


~お知らせ~

私たちイッポラボ合同会社は、子供たちの第一歩や一歩一歩の成長を後押し出来る商品やサービスを提供しています。

この番組は、私達の身の回りの方々をゲストとしてお呼びし、人生を変えた第一歩や原点をお聞きし、リスナーの皆様や将来の子供たちの成長を「声」からサポートするラジオです。

時には、イッポイッポ成長する子供たちの子育てや日々の仕事をパパ・ママとして両立している弊社の運営メンバー同士で、身近な「子育て」に関するテーマを取り上げ、ざっくばらんに語り合います。


イッポラボのイッポは「第一歩」から来ています。この番組では、第一歩を「原点」「原体験」と読み解いて、これまでの皆さんの人生で最も影響を与えたこと・経験について、お話しいただきます。番組リスナーには、皆さんの話を聞いて「こんな人もいるんだ」「こんな生き方もあるんだ」という気づきを得てもらえたらと思っています。


メインパーソナリティー:

田中大一 (イッポラボ合同会社代表)

鳥取県生まれ。大阪教育大学教育学部卒業後、東京外国語大学大学院に進学し、国際協力専攻を修了。

日本の政府開発援助(ODA)プロジェクトのマネジメント業務に就き、東南アジア、中央アメリカ、アフリカの国々に小学校などの教育施設を建設する案件を担当した後、インテリア家具の商品開発、大手広告代理店の営業を経て、2018年にイッポラボ合同会社を創業。鳥取県を拠点に、木製玩具を中心とした子どもの成長に役立つ商品作りや運動スクール運営等の「教育関連事業」や、発展途上国の子どもたちの学習能力が向上するよう、子どもたちに学習道具を提供する「国際協力活動」の二つの軸で事業に取り組む。


番組プロデュース:株式会社サンキャリア


番組へのご感想、メッセージ等、noteでコメントどしどしお待ちしております!

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FM鳥取ラジオ番組「イッポラボのはじめのイッポ」

日曜5時半〜放送中です!下記のリンクから聞いてください!

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【イッポラボ合同会社の商品ご紹介コーナー】

現役の歯科医師監修・イッポラボが開発したお子様の口の発達にも役立つ離乳食スプーン「歯並びまっすぐスプーン(子ども用、大人用2本セット)」のリンクはこちらです。

https://ippolab.official.ec/items/48034359


模様をヒントに自然とひらがなが身につく新感覚のひらがな学習ツール「ひらがながすきになるカード」のリンクはこちらです。

https://ippolab.official.ec/items/43699332


また、Apple Podcastで聴いている方は是非とも評価とレビューを書いてください!配信の励みになりますのでどうぞ宜しくお願いいたします!


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この番組は、イッポラボ合同会社の提供でお送りいたします。
今日はスポーツについてお話ししたいと思います。
僕は元々運動が好きで、子供の頃からずっと体を動かすことが好きだったんですけど、鳥取の田舎で住んでいるので、わりと自然も多くて、空き地も結構多かったんですよね。
なので、公園に行ったり、遊具で遊んだり、空き地に行って、結構大きな水溜りとか溜まるところがあったんですけど、そこにお玉着地とかがたくさんいたので、そこでお玉着地を取ったり、自転車で走り回ったり、
やんちゃな無邪気な少年時代を過ごしていました。ある時、公園の鉄棒で遊んでいたら、一距離余って鉄棒から落ちまして、意識不明になって救急車で運ばれたこともあるんですけど、それくらいやんちゃだったんですよね。
それくらい体を動かすことが好きだったんですけど、小学校4年生の時に、近所の方がバレーボールに誘ってくれました。今でも関係のある花田さんという男性なんですけど、バレーボールに誘ってくれました。
元々、僕が住んでいる小学校の地区には男子バレーボールチームがあったみたいで、そこに参加しないかということで誘ってくれたんですね。もちろん初心者で全然できなかったんですけど、とても上手な5年生、6年生の友達が楽しそうにバレーボールやってるのを横で見てて、なんか混ざりたいなみたいなことを多分思ってたと思うんですよね。
最初はこの花田コーチの奥様がずっとパス練習をしてくれて、オーバーとかアンダーのやり方を教えてくれたんですけど、そういう練習をコツコツやっていたら、やっぱり上手になっていくんですよね。
僕は当時から身長が180cmあるんですけど、当時から割と身長が高い方でして、それもあってちょっとアタック打ってみないかということで、ネット際でスパイクを打つプレーヤーなんですけど、そこに入ってみないかということでアタックの練習も始めたんですよね。
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最初はもちろんできなかったんですけど、少しずつ上手くなっていくにつれて、アタックを打って点を取るみたいなことがどんどんどんどん楽しくなっていってですね、バレーボールにますますのめり込んでいきました。
もともとチームとしては結構伝統もある地域のバレーボールチームだったので、割と強くてですね、小学生の時に参加した鳥取市の大会とかだったら優勝とかもすることもあったりして、そういった結果もついてきたのでバレーボールはどんどんどんどん好きになっていったんですよね。
何の迷いもなく中学校もバレーボール部に入りました。この時は同級生がまるっと中学校に入って、みんなバレーボール部に入ったのでチームワークもできてて、まあまあ強かったんですよね。
それもあって鳥取県の東部の大会では優勝とかもしました。
ただまあちょっと県大会とかになるとですね、やっぱ強いチームが増えていって、予選とか準決勝で敗退することばかりだったんじゃないかなと、県大会で優勝することはなかったんじゃないかなとちょっと記憶してるんですけど、
ただまあそういったチームとしてはそういった成績だったものの、むしろバレーボール練習してたので、ありがたいことに鳥取県選抜に選んでもらえたんですね。
選ばれた時はもちろん嬉しかったし、より全国大会に出れるということですごい嬉しかったんですが、いざ県全体から強い選手だけが集まって練習をすると、やっぱ上手い選手は上手いなって直で感じたし、
自分よりもスパイク強い選手、サーブ上手な選手、レシーブが上手い選手がたくさんいて、合計チームとしては12、3人だったかなと思うんですけど、自分よりもみんなが上手く見えたんですよね。
あとは正直なところ、即席チームだったので、かつ当時の僕はそこまで初対面の人に話をすることがそんな得意じゃなかったので、うまくコミュニケーションを取ることもできなかったんですよね。
なので、なかなか会話もうまくできず、いい雰囲気が作れなくて、かつバレーボールの技術も劣ってるなっていう実感があったので、県選抜のチーム練習は今思うとあんまり楽しめなかったんですよね。
おまけにいざ全国大会に出まして、スターティングメンバーは強いメンバーが6人出るんですけど、僕はピンチサーバーとかレシーブ専門の要員で出たりしたんですけど、自分のサブミスがあったりミスにつながるプレーをしてしまったということで、勝利に貢献することもできなかったと。
チームとしても予選敗退してしまったんですけど、成績も乗り越せなかったので、バレーボールに対するモチベーションが下がって終わっちゃったんですよね。
これが中学校3年生の時だったので、バレーボールは中学校でいいかなと。
当時はありがたいことに広島の教育高校に進むって話もあったんですけど、そこまでモチベーションがついていかなかったので、バレーボールは辞めようということで辞めてしまいました。
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小4から中3だったので6年間継続したんですけど、一旦バレーボールは辞めようということにしました。
ネガティブな理由で辞めてしまったんですけど、今思うと当時の僕からすると逃げたかったなっていうのはあるので、至った仕方がない判断だったんじゃないかなと思います。
特に後悔とかはないんですよね。ないので、この結果で良かったんじゃないかなと思ったりします。
その後はですね、高校に行っても部活動ってあると思うんですけど、何をしたかというと、スポーツ自体は好きだったのでバレーボール以外のスポーツを始めたいなと思ったんですよね。
結果的に陸上部に入ることにしました。
これもありがたいごめんを頂戴しまして、僕は進学した高校の部活動の国盛先生という先生に誘っていただいて陸上部に入りました。
もともと子供の頃からよく走り回ってたので、まりと足も速くてですね、それを見てくださっていた先生が陸上部に誘ってくれたんですけど、そこの部活動も先輩方の中にすごい速い選手がいたんですよね。
どれくらい速いかというと、400mにハードルが置いてある4パーという種目があるんですけど、それで日本一になった先輩とか、あと県大会中国大会で一位になる先輩とかがわりとゴロゴロいらっしゃって、そういった方々を前にして練習に励んでました。
高校1年生の時は、その時から僕は400mという種目をやってみないかということで誘っていただいて、400mという種目、陸上競技場一周ですね、まるっと一周走るという種目があるんですけど、それに打ち込むことにしました。
バレーボールと違って良かったなと思うのが、陸上競技って個人種目なんですよね。個人種目なので、なんか気楽さがすごいあってですね、自分との戦い、自分自身に向き合うことがすごい大事になってくるので、気楽さもあれば真剣さみたいなものもあったりして、バレーボールとは違う魅力がすごいあってですね、陸上は陸上ですごい楽しかったんですよね。
基本個人種目がメインなんですけど、陸上にもリレーがありまして、4×100mリレーとか、4×400mリレーがあったりして、そういったリレーにも参加させてもらいまして、個人種目と団体種目の両方を楽しく味わえたんですね。
陸上もすごい楽しかったんですけど、もちろん悔しい経験も中にはありまして、例えば、僕は高1の時に、高3、高2、すごい足が速い先輩方がいて、その方々と4×100mリレーという種目に出たんですが、鳥取県度は1番かな、になりまして、
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県大会に次は中国大会に行って、そこで入賞すればインターハイというステップだったんですけど、県大会の次の中国大会のリレーで決勝まで行けたんですよね。そこで決勝を戦ったんですけど、なんと0.01秒差でインターハイを逃しました。
これむっちゃくちゃ悔しくてですね、むっちゃ泣いたんですけど、ただ陸上競技、陸上競技のみならず、スピード、時間を競う種目であれば共通すると思うんですけど、割と0.1秒とか0.01秒、2秒、3秒の戦いってまああるんですよね。
あるものの、いざ自分がそれを体験するとやっぱりむっちゃくちゃ悔しくてですね、しかもリレーで0.01秒なのでバトンパスがもうちょっとできたんじゃないかとか、自分がもうちょっと食いしばって走れば0.01秒ぐらい稼げたんじゃないかとか、いろいろ後悔だけが頭を巡ってきたんですけど、そういった悔しい経験もありました。
あと僕が高校3年生の時はですね、それまでずっと1年生2年生の時はインターハイに行けなかったので、まあラストチャンスですよね。
高校3年生の時に今年こそインターハイに行こうと思って、もう万全の状態でまず県大会から臨んだんですけど、この時は400mと200m、あとリレーにもエントリーしていたんですが、
200mの決勝でですね、戦闘と競っている時に残り多分50mぐらいですかね、なんとか1番になろうと思って、フンってちょっと瞬間的に力んだんですよね。
その時に右足の太ももの肉離れを起こしてしまいまして、僕初めてだったんですけど肉離れしたのが、その時にブチッと筋肉が切れる感じが実際にして、
右足をかばうかのようにゴールして、残り50mぐらいだったので、なんとか4番で入賞する形でゴールができたんですけど、その肉離れがやっぱり直らなくて、その次の中国大会では400mも200mも予選落ちという結果になってしまいました。
これも3年間頑張って陸上の集大成と思って望んでいたものの、県大会で肉離れしてしまったということで、めちゃくちゃ悔しくて泣いたりしたんですけど、当時はなかなか受け入れが難かったものの、今思うと頑張ったことと悔しいみたいな経験が両方味わえたのは良かったんじゃないかなと、
その分他の人にも共感できたりするんじゃないかなと、あとは人生いろいろあるよねっていうことを子供ながらに実感できたっていうのは今思うと思ったりします。
陸上は陸上で大学に行って部活動としてやったらいいんじゃないかみたいなアドバイスもちょっともらったりしたんですけど、ちょっと自分の中では大学でスポーツで大学に行くというのはちょっとなかったんですよね。
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当時は教員になりたかったので、まあ大学ではしっかり勉強頑張ろうという気持ちだったので、結局陸上も…ちょっと今猫がカリカリカリカリしてるのでちょっとお待ちください。音が入ってませんかね。
あ、どっか行きました。なので陸上も結局大学では継続せずに高校で辞めることにしました。
僕の中ではこのバレーボールと陸上が2大スポーツ経験になってまして、どちらも良いことも味わえば悔しいことも味わって浮き沈みっていうんですかね、アップダウンっていうんですかね、両方があったなと。
もし最初のバレーボールがうまくいって、それこそ広島の共合高校に進んでいたら、たぶんバレーボールずっと続けていたんじゃないかなとか思ったりしますし、
あと陸上ももし肉離れを起こさずにインターハイとかも経験できてて、大学までスポーツしてたらまた別の人生あったんじゃないかなとかって思うと、
そういう生き方もやってみたかったなーって思うんですが、これはないものをねだりになってしまうと思うので、妄想だけで済ませてますね。
僕は個人的にはこういったスポーツ経験がありますが、今一方ラボとしては陸上クラブを立ち上げて、この6月から本格的な陸上クラブを鳥取でスタートさせました。
今は3人の子供が参加してくれています。対象は小学生、中学生にしてるんですが、小1の子が2人、小2の子が1人入ってくれていて、
今後はもしかすると小1の子とか中学生の子でも入ってきてくれるかなという状況なんですが、彼ら彼女らにはですね、成績第一主義にはしてもらいたくないなと思っています。
スポーツなので、わりと長い目で見ることが必要かなと思うんですよね。
僕の陸上クラブは小中が対象なんですけど、中にはですね、中学校の頃に自己ベストが来てしまうというちょっと早いペースで成長してしまう子供がいて、
そういった子は例えば過度な練習をしてしまったりとか、そういったことをして、中学生の頃に結果的にベストタイムが出てしまうということがあったりするんですけど、
特に女性に多かったりするみたいなんですけど、スポーツってそれこそ高校生とか大学生とか社会人とかより長い目で見て楽しんでもいいんじゃないかなと思ったりするので、
過度な練習は小学生中学生の子たちには求めないということにしています。
これはもうコーチと話してそう決めたんですけど、そういった方針の陸上クラブを始めました。
なので彼ら彼女らにはですね、僕はスタッフという立場なので、基本指導はコーチに任せているものの、スポーツを楽しむこととか、
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頑張れば結果は出てくる、簡単に頑張っても結果は出てこない、その両方をですね、ぜひ味わってほしいなと個人的に思っています。
なんとか頑張る子には寄り添いたいなと思っているので、彼ら彼女らがどんな経験をするか今から楽しみです。
さてということで今回は僕のスポーツ体験についてお話をしました。
何かしらスポーツを取り組むチャンスがある場合は是非とも参加してほしいなと思ったりしますし、
あと今後は部活動が地域に地域移行をどんどんされていくという状況になっていくと思うので、
立法ラボとしてもまずは陸上をしたいと思っている子どもの受け皿になりたいと思っています。
そこで多くの子どもの成長にかかわっていきたいなと思っています。
はいということで今日は僕のスポーツ経験についてお話をいたしました。
いかがでしたでしょうか。ちょっと暑い日が続きますが適当な運動もしていきたいですね。
皆さんもぜひ楽しんでいきましょう。
それでは。
今日も聞いていただきありがとうございました。また次回の配信をお楽しみに。
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