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おはようございます。朝のスパイス配信スタートです。今日の配信は、私、おけとですね、さとみんさんとでお届けをしたいと思います。配信者のプロフィールは概要欄をご覧ください。では、早速スタートしましょうかね。今日のテーマは、さとみんさん、何でしょうか。
プレイフルと授業。かける授業かな。
実は私たち2人で、プレイフルと何々みたいの以前にもね、収録したことがあるんですけれども、その続きといっちゃうんですが、今日は授業とプレイフルというところにフォーカスしてお話ししようかということだったのでね。
マジなんで。授業、プレイフルって楽しいとかそういう意味、英語的な意味があるかもしれないんだけど、そもそもさとみさん、授業楽しかったんですかね。
自分が受けてるときね。
そうそう、受けてるときね。
いや、それは先生によるかなって感じでしたよね。
やばい、全然プレイフルとはかけ離れてるっていう先生もいるってことだよね。
ね、いらっしゃってよく私は寝てましたね。
みんなこの辺うなずいてるんじゃないですかね、聞いてる人。
でもどこがつまらないんだろう、みんな。私何だろうな。
さとみさん、どんなとこ、こういう先生がばかだよ。
何がつまらなかったんですか。
なんかね、こっちにこれを、生徒にこれを伝えたいとかっていうのが、なんかない。
ああ、なるほど。
ここだけは分かっといてね、じゃないけど、ここが大事なんだとか、緩急がないというか。
淡々と。
淡々と。で、先生自身がなんかこれを伝えたいんだよ、これ面白いだろう、みたいな。
なんかそういうのがあるのって、やっぱり伝わってくるんじゃないかなと思ってて。
でも先生がとにかく授業をするっていうことだけにフォーカスしてる。
なるほど。
終わらせるとかだと、でこれ分かっといてねとかもないと、
もうなんかただ単に音を聞いてるだけみたいに。
それはすごい分かるな。聞いてるだけで眠くなりそうな気がするもんね。
うん。
確かに眠くなっちゃうバージョンって、とりあえず今日やらなければならない授業を最初から最後までとりあえず終えるぞみたいな感じの先生ってね、やっぱいるからね。
確かにそうだな。
意外に私は良い先生が多かったかなとは思う。
逆になんかさとみさん楽しいなみたいな思う授業ってどんな感じだったんですかね、自分の体験。
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やっぱり先生自身がその教科が好きで、ここ面白いやろうとか、これ教えてあげたいねみたいなんとか、
そういう授業をするじゃなくて、先生が楽しいと思っていることを伝えたいみたいな。
なるほどね。
授業をする以前に、その先生がもうそれが好きみたいなのがまずポイントとしてあるっていうことなんだ。
確かにそう。
歴史オタクとかね。
なるほどね。
とにかくオタクとかね、そう言われてる人かもしれないけど、そのオタク感で、こんなこともこんな角度から解明したら面白いだろうみたいなことを楽しく伝えてくれる先生とか。
でもそういう先生になってくると、やっぱり教科書に入っていることだけじゃないことも当然入ってきたりするんですかね。
うん、そうだった。
確かにそうかもな。
やっぱりその余談のところが面白かったりするじゃん。
そうですね。
人に似てないみたいな。
そうするとやっぱり、どこがプレイフルと関係してくることになるんだろうね。
今の、いまいち寝ちゃうよみたいな先生と、あとはなんか、これは先生はすごい楽しいなと思った先生との違いみたいなところって何なんだろうね。
やっぱ大きく2つかな。
先生が教えたい内容のことが好きで、伝えたいと思っているかというのと、あとはその、やっぱね、えんためせい。
えんためせい、そうか。
えんためせいね。
若干、やっぱそれも若干なのかな。どうなんやろ、えんためせい。
そうそうそう、えんなんというのかな。
あの、私が忘れられない数学の先生がいてね、なんかみんな質問はない?
今はね、針の穴のような小さな小さな小さな質問でもテストの時になったらね、これぐらいになるかみたいな大きな疑問になるからね。
ちっちゃなことでも聞いてっていうのを毎回の授業で言ってはったんですよ。
わかりやすいね。
もうそれ、なんか針の穴といえばその先生みたいなくらいみんな共通の用語っていうのかな。
今それ言われて、私の頭の中で質問の、なんていうかな、こう大きくなる感じがすごいよくわかったから。
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そう、別に普通にね、なんか質問ない?とか言っていいというわけじゃないですか。
でもあえて、質問するってことがとっても大事なんだよっていうのをそういう言い方をして、毎回その表現で、もう来た、また先生のそれ来た。
針の穴来たぞっていう感じで。
来た、この後丸太になるみたいな。
針のような細い、なんかちょっとその辺忘れちゃった。
でもすごいちっちゃいんでしょうね。
そうそう。
共通用語でもって生徒との距離をぐって近づけるっていうのかな。
関わり方、生徒との距離感、関わり方と、あとやっぱり先生自身がその教科が好きかっていうね、この2つの要素。
なんか今のお話で言うと、なんかさっきさとみさんがこうエンタメ性って言ったくらいなけれども、なんかそこだけ切り取ると、いや面白いこと言えないんだよなっていう先生もいらっしゃるかもしれないんだけど。
でもなんかその例え話を今聞いた時に、なんか言葉の選び方で受け取る側と違ったりするんだろうかって思ってしまった。
別に笑わせるためにそのね、針の穴の例を言ってないと思うんだけど、なんか今私はその言葉を聞いて、頭の中で想像が膨らんだわけですよね。
針の穴が丸太になっていくような感じの。
なんかその、そういう意味でのこう、なんだろうな、想像力を掻き立てられるような言葉の選び方みたいなところって、やっぱ大切なのかな、プレイフルっていうところって。
ね、そうね、やっぱりそのもちろん質問があったら何でも聞いてねっていう言葉でも、言った、要は言いたいことは同じ。
そうだね。
そう、でもそれをいかに子どもたちがこう、キャッチしやすいようにとか、次のアクションが取りやすいようにとか、先生との関係をグッと縮められるようにとか、なんかその先生のプレイフルなマインドと愛情かな、なんかそんなことにそれを感じる、感じてた。
そうすると、さとみさんが最初に言ってくれた、なんかこう、寝ちゃう先生と楽しかった先生との違いで、一方的じゃない感覚。
その針の穴の例を言ってくれた先生って、やっぱり質問あるけど出てこない。
その状態だと繋がってない感覚がすごいあるかもしれないけど、もうちょっと繋げるためにはどうする、どうしたらよろしいんだろうかみたいなことを、いろんな方向から考えてるからそういう言葉が出てきたりするんですかね。
ですよね、やっぱりなんか日本の中学校、それはね中学の先生だったんだけど、すっごくね、中学の先生、だんだん質問するのが恥ずかしい年齢になります。
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なこともわかんないのみたいなんとか。だから、いかにこうそういうしやすい雰囲気を作るかっていうのを考えた上で先生が編み出してくださったんじゃないかなっていう風に。
そうだね、質問するんだってもしかしたら勇気が必要っていう。
いろいろすごい勇気が必要。
あとはさとみさんが言ったみたいに年齢的に質問することが恥ずかしいことっていう風に捉える年来っていうのはもちろんあると思うし。
確かにな、そこの辺の工夫は、でも言葉選びだったらそんな面白いことはやらなくても、都能先生でもちょっとできそうだよなって。
そうですね、だって都能先生がもしも笑わせようとしたら毎回同じ言葉は使わないと思うので。
毎回同じってことはやっぱりそれが来たらよし安心とか、先生との信頼関係とか、そっちを狙うというかね、目指してくださってたんだろうなと思うし。
でまたそのね、お客さんがイメージが浮かぶよって言ったような言葉のチョイスっていうのは、私はそこにはちょっとこうなんだろうな、心に振って響くというか、マインドセットがあってこそ出てくるんじゃないかなとも思うし。
なんかそういうところにやっぱ愛を感じますね。
質問するのも多少こう授業の中であっても先生との生徒さんって関係性みたいなところが大切になってくるのかなっていうのをちょっと今さとみさんのお話聞いてて思ったところで。
そうするとこの関係性がどうであるかはプレイフルとはやっぱり関係あるんですかね。
ありますね。
なんか今振り返りながら。
やっぱりちょっとね、さっきの先生みたいな例えのわかりやすい例えの表現とか、わざと先生といじるとか、ちょっと面白いことを言うとか、自分の個人的なことを変えてくれるとか。
それでやっぱり距離って縮まっていくんですよね。
確かに距離っていう言葉で言ったけど、さっきの寝てる先生どう考えても距離近くないもんね。
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先生っていう存在?
存在としては先生っていう存在だが、距離が近いかって言われるとそういう先生と全く距離近くなかったな。
ないな、もう何時間目になったらここに来て授業をされる先生以上。
必要なことを黒板に書き授業する。
親しいとか関係性もちょっとやんわりしている先生とか距離が近い先生っていうのは、距離やっぱ近いんだろうね、そういう先生だとね。
お互い歩み寄れてるっていうのもあるんですかね。
そうね。やっぱり先生の自己開示があったりとか。
私たちの時代ね、昭和の時代ってね、授業って黙ってしっかり聞くみたいなのがいい子ちゃん、求められる姿じゃないですか、違う?
だったから、そんな授業中に喋ったりとか笑ったりとかっていうのは、やってもいいのかな、どうなんかな、この先生どうなのって、生徒たちは距離感を測ってると思うんですよ。
確かにね。
その時に笑うようなことをわざと言ってくれる、たとえ親父ギャグであっても笑ってもええんかもな、みたいなことを言ってくれる先生は、この場がそうやって言いたいことを少しでも言ったり、面白かったら笑ってもいいんやでっていう雰囲気を作ろうとしてくれてたんじゃないかなって思うんですよね。
その場所の雰囲気が。
なんかこの辺、さとみさんは英語を教えるお仕事してますけど、自分のところに今度置き換えたときにどうですかね。
生徒さんの距離感の取り方とか、あとその場所の雰囲気の作り方って言ったらちょっとおかしいけれども、
そういうのでなんかこう、ちょっと工夫してる。そこがなんかこうプレイフルと関係しているのかみたいなところを考えた時にどうなんだろう。
そうですね。もう基本、私は教える内容、今日はこれを子どもたちに伝えたいなって思ったら、それをいかに分かりやすく伝えるかっていうことと、同じぐらいの比重でいかに笑わせるかとか飽きさせないかとか楽しませるか。
っていうことをもう同じぐらい大事に考えてますね。
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例えばなんですけど、事前にもしかしたら先生が準備をします。実際慣れてみました。授業の中で。
それがこう、受け入れられないことももしかしたらあるかもしれないわけじゃないですか。
あれ、なんか全然プレイフルな雰囲気になってないぞみたいな。その時ってどういうふうにこう、どういうマインドでどう対応していくんですかね、先生さんと。
まだまだ固いなーって感じるわけですよね。笑っていいのにとか。
全然笑っていいのかなみたいな。
そしたら、あれ全然受けへんな、なんかめちゃくちゃドカンと笑ってもらえると思ってたのに、シューンとかジーンとか。
こうわざとそれを口に出して言うと。
言うってこと、それを。
そうそうそうそう。
今の面白くなかった。嘘?って感じで。渾身のネタやねんけどとか。
結構ね、言うとそこにプフってなってる子がいたりとか。
なるほどね。じゃあそれはもう素直にそこを。
先生も言うと。
そうそうそう。
これ渾身の気持ちを込めて言ったが、笑いに到達しなかったぞと。
そう、がっくりとかね。
なるほどね。でも確かにそれを一言言ったことで、むっちゃ距離縮まった感じあるよね。
うーん、かな?
なんか、そうね、あと笑っていいのねっていう許可をいただいた感じはあるなと思って。
そうそうそう、あえてそれを出してたかな。
片見さん的にそういうふうに、なんとなく今固いなってお話があったと思うんだけど、
そういう子たちとは、なんだろう、やっぱり距離感なんですかね。距離感がまだちょっと遠いなって感じる。
なんかね、そう、距離感なのかな。不思議な現象やなって私は思ってたことがあって。
私は学校の先生ではなく、個人の英語教室の先生だから、幼稚園の頃に習い始めてくれたことを何年間も一緒に勉強していくわけですよね。
小学校に入って、中学、中学年になって、高学年になってっていうところをずっと一緒に行くわけで、
なんかね、幼稚園の時とかもううるさーいってこっちが叫びたくなるぐらいうるさかったのに、
なんか4年生ぐらいになると突然しゃべんなくなる子っていうか、もうチンって大人しくなる子とかがいて、
あんなに距離感近くで先生とかってくっついてきてた子がなんか、はいできましたみたいに突然なんか他人かのような距離感に、
距離感を感じるというかね、きちんとしたぐらいはならないみたいな雰囲気になっちゃう子たちが結構多いんですよ。
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だから私のことを信頼しないとかってわけではきっとないはずなんだけども、
やっぱりきちんとしないといけないっていう子の外が見てくることによって、
授業中はあんなに先生にワイワイ騒いでしゃべりかけたらダメなんだなとかいうことを学んで、
彼女たちなりに授業を尊重してくれてるんだろうなと私は取ってたんだけども、
ここは全然笑っていいとこやねんけど。
でもきっと学校の中でそういう風になってきたの以外、そこから出たところでも同じようにした方がいいのかなって思うかもしれないってことね。
それ学校の方が毎日行く時間が長いから、そっちでのあるべき姿っていうのが自分のあるべき姿にどんどん移行していくんやろうなと理解してたんだけども、
あれ、なんか固いなって。だからね、距離感というか。
なるほど。他の要素がまた増えてきて、
なるほどね。その時の子どもたちのマインド知りたいね。
大人になってからあの時どうして?みたいなのがわかると。
それが何だったのかっていうね。
それは面白いな。
先生って言ってたのはいつしかみんな敬語で喋りかけてくれるようになるんですよね。
いい意味でも中学生ぐらいのやっぱりね、部活とかに入って先輩に敬語を使うっていう、
私からしたら何でやろうみたいな、そういう時代になるとやっぱり先生にも突然敬語で喋ってくれるようになって、
ある意味気持ちの良い関係ではあるけども、あの頃が懐かしかったなって。
ここでは別にあの頃のままでいいのになってちょっと思ったりもしてた。
その状態になった時に、さとみさんは教える側として見てて、
授業は楽しいなって生徒さんたちが思っているように見えるのか、
それともなんかちょっとこう、勉強として捉えてきているような感覚があるのかどっちなんですかね。
私から見たら後者に見える。
そう。
勉強だって言ってきちんとしなきゃっていう風に捉えているように見える。
なるほどね。
なんかそこが突破まで、その壁がもうちょっとこう、
ゆるいものになると、もしそういう事態がやってきたとしても、
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プレイフルな授業をコンティニューできるんだろうかと思ったりもしなくもないが。
だからそこをすごい一生懸命でしたね、私は。
教える内容もそうだけど、いかにプレイフルな空気感を出せるかってことに、
結構力を注いでたと思った。
そうか。
やっぱり、人が自分と話してて退屈な顔をしているのを見るのが結構苦手なんですよ。
なるほどね。
授業もしっかり眠たそうやなとか言うと、
あ、いかんいかんって、なんかこのプレイフルな雰囲気作りが足りないんじゃないかとかって思うので、
それはすごい子どもたちの態度っていうのかな、姿勢だったり表情だったりっていうのを、
無意識にすごい私は意識してたんじゃないかな。
なんか同時にどうなんだろう、吸収率という部分で、
やっぱり楽しい授業と楽しくなかった授業、学校でもいいけど、振り返ったときに、
ねえ、やっぱり自分にこういうふうに吸収されるものって、
どう考えても眠たい授業でそれができていたかと言われるとね、考え物だもんね。
そうね。
やっぱり脳が快か不快かって言ったら快の状態にした上で、
降ってくるものってね、キャッチできる、興味があればキャッチできるけど、脳が不快の状態、
この先生の授業嫌い、面白くない、ここに来るの嫌だっていう状態で、
いろんなものが降ってきたとしても、やっぱりあんまりキャッチできないんだろうなと思うし、
これは確か科学的にもね、やっぱり証明されてたことなんで、
私はいかに自分のところに来てくれた人に快になってもらえるかってことは気にしてるなあ。
気にしてる。
最後にずっと話聞いて気になったことが、
その授業の中でプレイフルかプレイフルかじゃない場合に、
考えるっていう作業が入ってるか入ってないかっていうのってどうなんですかね。
その生徒さんが自分の頭を使って何か考えてるその実態、状況が多いか多くないかっていう部分に考えたときに、
どうなんだろう。
さすがお毛さん。
いやもうそれは大きいですよね。
大きい。
やっぱり考えてる時間があるっていうイコール、自分の脳内がちょっと自由であるってことだよね。
確かに自由だと考えやすいですよね。
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緊張してるとき考えて結構難しいもんな。
だからやっぱりちょっと好きにしゃべってみて、隣の子としゃべってみてとか、
なんか言ったらテストがちょっと早く終わったから自分だけの時間とかができてるとか、
そんな時間でさえやっぱり脳がちょっと自由になる、何を考えてもいいっていうね。
なるほど。だとするとやっぱりその授業のプレイフルな環境の作り方と考えたときに、
考えていいっていう一つの選択肢。
それをこう受け取ってもらわないと難しいもんね、生徒さんに。
自分の好きに考えても、またそれが苦手な子もいるんだけどね。
そっか、そうだね。
自分で考えてもいいんだけど、正解を言わないといけないっていうのがあるとやっぱりしんどくなっちゃう子もいるんですよね。
それがどこに言いにくい作用、ことがあるのかっていうのもまたあるよね。
言って間違うのが怖いのかとか、本当に言うことが思いつかないのかっていうのは当然違うだろうかなと思う。
これは大きな課題ですね。
なんとなく子が、授業って教えてもらう感覚がやっぱり強いだろうなと思うので。
日本ではね、きっとね。
考えるか考えないかか。
だから、教えてもらって聞いてるだけの方が楽だっていう人は多いですよね。
教えてもらえるほうが。
でもそれが楽しいかって言われたらどうかな。
それも人によるだろうな。
ガンガン詰め込まれても楽しいと思う人もいるかもしれないかな。
そこに発見があるとやっぱり楽しかったり、
先生の伝えたいっていうね、最初に言った伝えたいっていうね、気持ちが伝わってきたら楽しいとか、
自分の興味と合致してれば楽しいとか。
でもやっぱりそこには自分で考える作業が必要だね。
発見するために。
そこがやっぱり抜け打ちないことがプレイフルに大きく作用するのかな。
そこは私も本当楽しませるっていう要素にすごく考えてもらえる時間を取るっていうのは
気をつけていきたいなって思いますね。
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本当だよね。
たくさんじゃなかったとしても最初のうちは少しずつでも自分で考えられるようになると
授業はより楽しくなりそうな気がする。
あと本当に、私はやってて楽しいけれども、受けてくれてる人が本当に楽しいと思ったかって
聞いてみないとわからない。
確かにそれは聞いてみて、特にさっき言ってくれた途中からすごい親しかったのに
親しい感じの雰囲気があったのに、急にちょっとよそよそしくなってしまうときがある。
それは何なんだろうってすごい疑問に私は思ったので、走ってみたいな。
笑わなくなっちゃうんだけど、家に帰ったら今日も楽しかったって言ってるんですって聞くと
えーってなるんですけどね。
そうなんだね。楽しかったんだね。
その表現の仕方がもしかしたら変わっただけなのかな、それだといいけど。
だから本当に表情だけではわかんないこともあるので。
難しいね。
でももうちょっと大人になったらさとみさんも聞けるかもしれないね。
その生徒さんに、あの時はどういう気持ちだったのって言うと。
改めて聞くと。
なるほど。今回こうやって授業とプレイフローを一緒にかけて話したので
それを実践でさとみさんも教える立場にいるから
ここでまたわかったことがあったらまた将来お話したいね。
このまったく同じテーマで。
また変わるだろうな。
変わるだろうなと思って。
意識するとこが変わるかもしれない。
そうですね。
じゃあでは今日はこんなところで授業とプレイフローっていうテーマはこんなところで終了しましょうか。
はい。
じゃあ今日の配信者はお家のさとみさんとでお届けをいたしました。
ではみなさんまた。
またねー。
はいまたねー。