1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #236(s25-18) 消えたミルク食..
2024-06-29 38:33

#236(s25-18) 消えたミルク食文化と復活(前編)〜最初の日本製乳製品〜

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サマリー

古代の乳製品は主に中国由来の北方民族系で、演技式という書物に乳製品の種類と作り方が書かれていることが分かっています。日本の乳製品文化が確立されたのは6世紀から7世紀の間です。乳製品の作り方には3つの分類があり、本エピソードではクリーム分離系と発酵系の2つが解説されています。クリーム分離系では乳肥(乳の皮)、バターオイルなどが作られ、発酵系ではヨーグルトやチーズが作られる過程が紹介されています。また、日本オリジナルの乳製品作り方も存在することが明らかにされています。このエピソードでは、日本における乳製品の起源であるコーソの儀や、乳の保存性と食文化の変化について話されています。消えたミルク食文化と復活(前編)〜最初の日本製乳製品〜

00:06
たべものラジオ 〜食の世界を探求する食べ物ラジオの掛茶料理むとう・むとう太郎です。
むとう太郎です。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、食べ物の知られざる世界をちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
はい、ということで本編いきます。
はい。
はい、ということで今回は、
消えたミルク食文化とその復活です。
消えたミルク食と復活。
日本の話ですね。
我が国日本のミルク食文化の話です。
やっと日本だ。
はい。前回の最後のところで少しだけ触れましたね。
はい。
古代日本の乳製品
古代の乳製品といえば、何でしょう。
ソしか残ってないけど。
ソぐらいしか思いつかないですよね。
うん。
あれは何だっけ、コロナの自粛期間中か何かでちょっと流行ったんですよね。
確かに旧ツイッターでみんなソをつぶやいていたね。
うちでも作ってたし。
あれは僕も元々何回か作ってましたけど、時間かかるんですよね。
かかってたね。
うちの場合はお客様に出すんで、牛乳一本じゃ済まないですから、3リッターとか入れてゆっくりゆっくり加熱してずっとかき混ぜてるだけっていうね。
あれあんなに混ぜてたの?3リッターも。
やってましたよ。
そうなんだ。
型に入れたりとか、あと薪酢で巻いてそのまんま出したりとか、味噌に漬け込んでみたりとか、いろんなことやってましたね。
めっちゃ高級品だね。
すごく時間がかかってて、昔々古代日本においてはでっかい釜でやってるとかね。
釜なんだ。
しかも朝廷の中ね。
朝廷の中。
日本酒のシリーズの中でも出てきましたけど、酒飲み傘みたいなのがあって、酒のつかさって書くとかね。朝廷の中でお酒を作る機関が国家機関としてあるみたいな。
国家機関。
国の、今の日本と例えづらいな、象徴ではないだろうし、要は朝廷の中にそういう機関があったんですよね。
そうなんだ。
同じように古代日本でもあったんですよ。乳牛院っていうのがあって。
乳牛院。
乳牛の院。大学院の院の字ね。病院の院の字。そこで乳製品作る場所っていうのがちゃんと朝廷の中にある。
朝廷って言っても時代がね、飛鳥時代とか奈良時代とかの話なので、奈良時代になると平城京、平安時代入って平安京になるので四角いますめの街にだんだん形成されていきますが、
飛鳥時代っていうのはそういう感じじゃないですからね。
違うんだ。
お役所みたいなところが、国会議事堂みたいなのがどーんってあって、その周りに街が形成されて、ではなくて、どちらかというと、
大きみの住んでる館があって、その周りに大事になるような人の館があって、自宅があって、そこでなんかやってるみたいな。
村がでかくなったような、そんな街ですけどね。
そんなに入れ込んでないというか、組んでないんだね、仕組みが。
乳牛院と乳製品の流入
そうですね、たぶんタコ行ったよね、アスカのそういう博物館ね。
行ったね。
一緒に行ったところで見たと思いますが。
奈良の方ね。
いうような時代感の話です。
日本のミルク乳製品の文献上の初出はですね、900年代。
900年代。
だからね、だいぶ遅いんですよ。
まあまあ確かに。
文字が出てくるのもね、文献として残ってるのがその辺からなので、
それ以前のことは文字がないので、文字がないイコール歴史がないのと一緒ですから。
ありますよ、文化とかは。
歴史ってあれ文字のこと指してますんでね。
歴史のしの字って文字って意味だから、文字が連なって紡がれていくものなので、厳密に言うと歴史ではなくて、
その前の時代もあるけど、紡がれてないって意味では歴史じゃない。
考古学世界に入ってくるのがこれより前の話ね。
そういうことね。
そういう分け方するらしいですよ。
なので若干考古学と歴史の境目ぐらいの時代の話だと思ってください。
初出は縁起式かな。
縁起式。
もしくは和名類樹賞かなぐらいの感じですよ。
和名類樹賞。
これ何度も出てきてますね。
縁起式っていうのは当時の法令を書いたような本ですよね、書物。
927年。
927年。
平安時代、真ん中超えてますね。
ぐらいの時代の本です。
それから和名類樹賞っていうのは938年。
これは辞書みたいな感じなのかな。百科全書みたいなね。
百科辞典的なものをですね。
和の名前の類を集めたものっていう意味ですから。
そういった本の中に、乳製品についての記述が出てきます。
で、和名類樹賞によるとですが、
日本に乳製品が伝えられたのは6世紀から7世紀。
6世紀から7世紀。
これはね、ちょっと読んだんですけどね、困った。
超困るの。
困るの?
くだらってわかります?
くだら?
国の名前。
聞いたことあるけど。
朝鮮半島にあった国の名前で。
隣にコークリっていう国があって。
あったね。
500年代ですよ。
538年に日本に仏教伝来とかそういうこと言ってるじゃんね。
飛鳥時代の話ね。
くだらとコークリがバトってたんですね。
で、日本はくだらと同盟国というかね、仲良しなんです。友好国なんですよ。
コークリは敵なんですね。
で、くだらからちょっと助けてって言われて、じゃあわかった援軍送るわって言って大友の佐手彦っていう人が送られていくんですって。
で、コークリ討伐に行きましたと。
で、なんやかんやって帰ってきますと。
帰ってきた時に帰ってきたのがね560年頃。
560年頃。
大体ね。
そしたら大友さんが中国人の禅那という人を連れて帰ってくる。
禅那。
で、その人が乳製品の加工技術を知っていて。
で、乳製品を作ってそれを天皇陛下に、当時のね、時の天皇に献上して。
で、天皇から直接名前をもらって。
で、乳製品の加工を司る役職に就いていく。
っていうことがこの明明類辞書に書いてあるんですよ。
書いてあるんだ。
困るのがさ、何が困るって560年頃に帰還してるわけですよ。
だけど、この禅那という中国の方が献上した天皇っていうのが孔明天皇で。
孔明天皇。
で、孔明天皇の在位っていうのが640何年とかなんですよ。
めちゃくちゃ離れてるけど。
ちょうどね、一史の編がある頃ね。
一史の編。
昔で言ったら大化の開始の始まりね。
その大江の王子と中富の鎌足りが蘇我氏を倒してみたいなことをやってた。
あの後に起こる改革のことが大化の開始んで。
で、あの事件のことは一史の編ね。
蘇我氏をグサッてやるのが一史の編っていう空データね。
このぐらいの時代間で献上してるんですよ。
ちょっと待って、禅那いくつ?
いくつよね。
10歳で日本に渡ってきたとして。
1560年で10歳でしょ。
645年ってさ。
いくつ?
90とかだね。
この古代に90歳超えられるのかな。
まれにいるとは聞くけど。
いやわかんないね。確率低いよね。
実際で乳製品作る技術持ってるかな。
どうなんだろう。
20代とかだよねきっとね。
でもまあ成人早かったら手伝いはしてるんじゃないかな。
100前後の方ってことになりますけど。
無理やり感はちょっとやめないけど。
いろんなサイトとかね。乳製品の専門の業界のサイトとか。
あと文献というかホームページだったり雑誌のPDFとかネット上にいっぱいあるんですけど。
この辺はねふわっとしてる。
6世紀中頃って書いてあるのもあれば一史の編の頃って書いてあったりとか。
乳製品文化の確立
いろいろ。
古代のことなんでいいとしましょう。
とりあえずおそらくこうだろうと言われてるのが6世紀の中頃以降ですね。
538年に日本に仏教伝来の川切りですよ。スタートのタイミングです。
この頃から仏典がやってきます。
仏典がやってくる。
この仏典には乳製品が書かれてることが結構あったらしいんですね。
そこにはこの乳製品はこんな効能がある。栄養があってこういうことがあってこんなふうに使うんだみたいなことが書かれてるそうなんです。
例えば説法の例え話、メタファーとして乳製品が使われてたりとかね。
そういったことがあってだいたい500年代には少なくとも日本に乳製品の概念自体は知識としては入ってきていて。
当時トライ人が朝鮮半島や中国からやってきて。
トライ人って言っても帰らないですからね。そのまま日本人にして帰化しますから。
その人たちが乳製品を作っていてその技術が広まっていったと。
広まっていった先はどこかというと主に貴族。
大気味とか。
もうすごいそういう上の方の人たちだけで一般庶民には全く広がらなかっただろうというふうに言われていますね。
演技式という法令が書かれている書物ですね。
ここになんと乳製品の種類が書かれていてですね。
その作り方の工程まで載っていたと。
種類の工程が載っていると。
全部が解明されているわけではないんですね。
なんですけど後の研究によってだいたいこうであろうということが分かってきていると。
元々この演技式という書物は藤原の時、名前書いた人忘れちゃったんだけど。
元々中国にあった生民用術。これも何度か出てきましたけどね。
北義という国の歌詞教という人が書いた書物ですね。
北義、歌詞教。
歌詞教というのは書物を書いた人の名前ね。
ああそういうことね。
生民用術を書いた人の名前。北義というのは国ね。
国ね。
義新南北朝、これ番外編限定か。限定でお話をしたからわからない人は歴史の参考書を開くとすごくわかると思いますが。
三国志の後、中国が北と南に分断してさ、南側が漢民族で北側が北方民族ね。
共同とか先輩族みたいなのが入ってきて、ごちゃごちゃして五国十六国時代って言って北方民族が十六個の国作って、
その十六個の国を統一して、北方民族だけで国を作るんですよ。それを統一したのが北義。
ああ、あったね。
だから先輩族の国なの。先輩族の国のそこにいる嘉氏卿という人が532年から549年の間頃に案だとされてるのが生民用術という書物。
これを元にして一部取り入れたのが縁起式ということなので、日本の古代の乳製品というのは基本的に中国由来です。
中国由来。
しかも漢民族ではなくて北方民族系。つまりモンゴルとつながりの深い方ですね。
確かに。
このシリーズの中でもモンゴルの乳製品ありましたけど、その流れを組んでるというふうに理解をしてください。
そしてこの時代はもう漢帝国の後の話ですから。前漢、後漢ぐらいになるともうシルクロードがある程度確立をしていてヨーロッパとつながっている。
クリーム分離系の作り方の流れ
つまり今の中東イランのあたりとかインドの王とかこの辺ともつながりができている時代ですから。
そこからやってきた仏教が中国に入って中国から日本に来るので仏典の中に乳製品が入っているということは、
おそらくは中央アジアもしくは南アジアの乳製品の加工技術の影響を受けたものが中国でワンバンして日本に来る。こんな流れですね。
そういう感じね。
なのでちょっとこの後系統別に乳製品の作り方の流れを解説しますね。それを聞くとなるほどねって感じになると思います。
3つの分類があります。
3つの分類。
本当は4つのうちの3つ正確に使うと元々発酵系とクリーム分離系と凝固系みたいなのがあったりするんですね。
で今回出てくるのはクリーム分離系と発酵系がメインです。
クリーム分離と発酵。
まずクリーム分離系からお話ししますね。
生地分離。ミルクを壺に入れてオケに入れて置いておきます。置いておくとどうなりますか。
上に油が浮いてくる。
膜ができますね。これを日本の古代の書物では乳肥。乳の皮ですね。
乳肥っていうんだ。
膜浮くからね湯刃みたいなもんだよね。あれを集める。取る。置いておく。出てくる。集める。取る。置いておく。集める。みたいなその繰り返しね。
ひたすら集めていく。これをずっと集めていくと粗ができます。
粗ができる。
この粗っていうのは漢字が違うからすごくややこしいんだけど、漢字普通に口で言うか、辺が酒の鳥で右側がのぎ。
これ酒の鳥って読むんだ。
酒の鳥。
俺知らないんだけど。
お酒という漢字の右側ね。
右側ね。
八甲の甲の字の左側というか。あれ辺がね酒の鳥辺って言って、どうでもいい話だけどお酒の酒という字ね。あれ部首三随だと思ってる人すごく多いんですけど部首三随じゃないからねあれ。
え、違うの?
部首酒の鳥だから。
部首右側なの?
もしくは鳥辺って言うんだけどあれ。
鳥辺って言うの?え、そうなの?
酒の鳥って言ってるのは鳥辺だとバードを思い浮かべちゃうから酒の鳥って言ってるだけで。どっちでもいいと思いますけど。
三随じゃないんだ。
鳥の位置の鳥だこれは。で、右側がのぎ辺ののぎね。これで素。もしくは素とも読むけど基本的には素ですよね。これは湯葉集めたみたいな状態ですよ。まあ言ったらクリームだろうねこれは。
うーん。
上に浮いてきた脂肪集めてるやつなんで。でこれをいっぱい集めてでそれを加熱します。
加熱する。
また上に濃縮した乳肥が浮いてくるよね皮が。また取るじゃん。
取るね。
加熱し続けるじゃん。取るじゃんって言ってそれを何回か繰り返していくとだんだんと余分な水分が抜けて純粋な油の塊が取れてくるよね。
その繰り返しをしていって凝縮して最後に液体ができる。加熱してもうどうにもならない何も出てこないという状態になります。これが醍醐。醍醐味の醍醐だよ。
醍醐味の醍醐ね。
ほら出てきた。醍醐ですね。何の味かというとこれはバターオイルですね。
これバターオイルだね。
バターもしくはバターオイル状のものっていうのが現代の研究者の間では一般的だそうです。
醍醐というのは。
醍醐味っていうのは奥深くて深みのある味のようなことを言うわけですね。だから深みのある味っていうのはなんとバターオイルの味だったんですよ。
ここで繋がるの?今の言葉と。
だからこれを見ながら思ったんですよ。あれ?醍醐天皇っていたよね。
いた。
古今和歌集編さんの時の天皇陛下。宇田天皇の次の天皇が醍醐天皇。
そこまでは覚えてないけど。
バターオイル天皇なんだね。
横文字にしたらだいぶ違うニュアンスになるね。
もちろん醍醐っていう言葉自体は仏典の中に出てきてお説法の中でも使われる言葉らしいので。
ああそうなんだ。
元が多分バターオイルだと思うんだけど。逆かもわかんないよ。その辺から来てると思うんだけど。
でもバターオイルが天皇の名前ってすごいよね。
すごいね。
不思議。ただこれが義と同義でエリクサ的な貴重な存在だと思ったら醍醐天皇ってすげえ人なんだな。
まあそういう読み方もできるね。
かなっていうことを思いながら書いてました。
どんなとこに思い馳せてるんだ。不思議じゃんだって。まあ不思議だけどバターオイル天皇って。
キングオブバターオイルだよ。
分かったよ。
もういいや。じゃあ聖地発酵の別系統行きましょうね。聖地分離ね。
発酵系の作り方の流れ
聖地分離の別。
分離すると今度クリーム取ってくから停止放乳が残りますよね。
うん。
でねこれ多分勝手になったと思うんだけど発酵してるんだよねここから。
発酵してる。
なんか発酵しちゃうんだと思う。
上を幕を取ってる間にね。
わかんないけどそこまで詳しく書いてなかったけどさせたといえればしちゃったが近い気がしますねなんとなくですが。
その発酵したものが酪。
酪。
酪農の酪だね。
ああ本当だね。
なのでこれは酪農って言うと牛乳のイメージがあるけども古代の縁起式によるともしくは生民用術によると酪というのは現代風に言えばヨーグルトですね。
ああそうなんだ。
発酵しますから。
ヨーグルト。
乳酸発酵した牛乳もしくは羊の乳なんでヨーグルトでしょうね。
この酪からさらに加工が入ります。
ヨーグルトってそう日持ちしませんからね。
確かに。
これがまた不思議なことに酪から加工する段階で途中でまた上に浮いてくる油を取っていくんだよね。
乳皮を取っちゃう。
また取るんだ。
ヨーグルトからも脱脂していって、どんどんどんどん脱脂ヨーグルトみたいな状態になっていく。
これを釜入りって書いてあったけど単純に加熱ですね。
鍋で加熱をします。
多分この鍋で加熱してる段階でカゼンタンパクが何かが凝固するんでしょうね。
同時に多分ある程度の脱水がかかると思います。
この後に出てきた固形物を天日干しします。
固形物にもなるんだ。
ある程度固まってる。これチーズですよこの状態でもうすでに。
これ西アジアのところで出てきましたよね。
ヨーグルトを振ったらバターができてその残りからチーズになっていくみたいなのと似てません?
確かに。
だからこれねチーズ作ってるのと工程的には一緒。
確かに一緒だね。
しかも発酵チーズね。
発酵チーズのほう。
それをさらに天日干しする。これ中央アジアモンゴルで出てきましたよね。
酸っぱいカチンコチンの固いチーズ。
固いやつね。
それが乾楽。乾いた楽ですよ。
この系譜を見た時に中央アジアっぽいと思った。
確かに。
まさにモンゴルとかで勉強した通りのことじゃないですか。
そうだね。
ちょっとホエーとかも一緒に入っちゃってるんで若干違うかもわかんないけど基本的には似てますよね。
あとモンゴルでも加熱してたと思いますがやっぱり日本の方が湿潤気候で暖かいので比較的ね。
中央アジアの北の方と比べると。
確かに。
乾燥地域じゃないのでそういう意味でも一回加熱をして水分飛ばしてるのかもわかんないですね。
そういうね。
塩作りがそうだよね日本は。
塩は割と加熱してるのもあるよね。
天日干ししようと思っても日照量が足りないというか乾燥してないのでなかなか作りづらいっていうのがこの辺にも出てるのかもわかんないですね。
確かに。
この今の二つの系統がクリーム整地分離系。
整地分離系。
クリーム分離系統群ですよこれは。クリーム分離系列群。
クリーム分離系列群。
ですよね。クリーム取って残りをどうにかするっていう流れですから。
確かに。
非常に西アジアから中央アジア的ですよ。
ほぼまんまだもんね。
まんまですね。これとは別に分離しないでダイレクトにそのまんま発酵かけます。つまり脂肪入りのまんま発酵させますっていうヨーグルトが出てきます。
これもモンゴルの中で出てきましたね。分離するのと贅沢に脂質が乳脂肪が入ったまんまヨーグルト作っていく。
これを布袋に入れてですね。ヨーグルトになるわけですから。ヨーグルトになったのを布袋に入れて吊るしとく。
そうするとホエーが抜けてきますね水分が。固形物がドロッとしたのが出てきますよね。
これを加熱する。
加熱する。
釜入りする。そうすると凝固しますよね。脱水もちょっとかかりますよね。この凝固物が純氯。
純氯。
純はこれなんていうの?
厚氏?
厚氏という字かな。山髄に京都の京の下が子供の頃のやつね。小さいじゃなくて子に代わるやつ。
その純氯でチーズです言ったらもうこの時点で。
チーズ。
純氯。
純氯。
でこの発酵チーズを天日干しします。そうすると六氯。
六氯。
山髄に鹿と書いて六ね。
山髄に鹿ね。はいはい。
これも乾燥発酵チーズそのものですよね。
乾かしてるからね。
だから楽と歓楽っていうのが出汁系列だったらこっちは初めに発酵をかけるので乳酸発酵系列群でかつ脂質を取ってないので油を含んだ濃厚なチーズが出来上がると。こういう系統があります。
主にこの2系統なんですよ。
この2系統なんだ。
でこれはなんと生命用術にも同様のことが載っている。ちょっと違うけど気候が違ったり物が違ったりするんで基本的には同じということなんだそうですね。
ここにプラスアルファで日本オリジナルがあるんですよ。
日本オリジナル。
日本オリジナルの乳製品作り方
はい。発酵もしなければクリーム分離もさせない。
えっ。
いきなり鍋に入れる。
はいはいはい。
して加熱する。で焦げないようにずっと混ぜ続ける。固まるよね。
固まるね。
そう。
ああこれがそうね。
これはね日本オリジナルだそうですね。
ああそうなの。
中国の生命用術を始めた文献でもこれは見当たらないと。
へえ。
で確かに西アジアを見ても南アジアを見てもヨーロッパを見てもこれはね今まで見てないね。
ああないんだ。
不思議。
不思議だね。
うん。ちょっと簡単だしね。
うんまあ加熱するだけだからね。
他のと比べてね。
うん。
で面白いのがさこのソがソ勢というか税金みたいな感じで献上品になっていくんだよね。
ああこれ献上品になるの。
うん。コウソのギって言ってコウっていうのは三粒という字ね。
はい。
でソはこの草冠のソの字ね牛に固めたやつ。
うん。
でギは人弁の儀式のギの字だよね。
儀式のギ。
うん。コウソのギ。
コーソの儀と乳製品の起源
うん。
それは各諸公みたいな人たちいるよね。
荘園じゃないけど当時は。
はい。
持ってるいろんな人たちに言ってこれをソを作って頂点に収めようと。
ほう。ソを収めるんだね。
うん。いうようなことをやらせています。
だから都の界隈では乳の都って言って界隈で牛なのかな多分牛だと思う。
羊じゃないと思うんだけど牛だと思うんだけど庶民に牛を飼わせて。
うん。
だから貴族に申し付けて牛を飼わせてそこからミルク精乳なりソを収めさせるみたいなことをやっている。
父の都。
うん。父の都。乳の扉の都で父の都って書いてあった。
へえ。
うん。そういうのを御用足しだよね。今でいうところの。
うん。
うん。お前のところにこれ任すから楽能をやってソを作って収めようみたいなのを決める。
へえ。ソをそんな適切に収めたんだね。
うん。でこのコーソの儀っていうのがだいたい700年頃に始まってでその仕組みが廃止になるのが1333年。
1333年。
何の年だ。
1333年。
はい。一味散々。
うん。
鎌倉幕府滅亡の年。
ああ滅亡なんだ。
はい。700年だからなんと立派な平城郷土よりも前だからね。
うんうんうん。
奈良時代よりも前の状態からコーソの儀が始まって鎌倉幕府滅亡とともにこれはやめようってことになる。
めっちゃ長いね。
結構長いよね。700年くらいやってるよね。
すご。
うん。こういう感じのが結構続いてた。
へえ。
でねちょっとこっから先僕の個人的な推測なんだけど多分ねこのソというものが日本である程度広まったっていうのはこのコーソの儀があったからだと思うんだよね。
もう700年もやってるからね。
そうそう。でこのソというものがなぜ生み出されたかっていうことを考えるとちょっといくつか理由がありそうだなと思ってるんです。
うん。
一つはこのコーソの儀をやることによって簡便化しなきゃいけない。やっぱ誰でもできなきゃいけないわけですよ。
ほう。
クリーム分離を例えばすごい遠くの方の豪族にやれって言われてもさ割と困るよね。
気候の変化と乳製品の保存性
まあ確かに。
設備も必要かもしれないし専門の知識が必要になってくる。
うん。
鎌入りだったらさ、もう加熱するだけだったら何とかなりそうじゃん。
確かに。
型に入れてしゃばしゃばりだからさ。
うん。
みたいなことが一つには理由としてあったのかなっていう想像ね。
もう一つは日本、当時大和朝廷は比較的ですよ。
砂漠であった西アジアだったりとか中央アジアだったりとかと比べれば比較的食料が安定して取れる環境。
まあ確かに。
もう水田始まってますしね。完全に供給量上回ってるとは言えないですけども。
それなりに回ってる。特に貴族は特に困らない。レベルには来ている。
ああそうなのか。
酒を醸すぐらいの余裕がある。主食でお酒醸せるって結構すごいことですからね。
確かにそうやって考えるとすごいね。
ということで保存性がそこまで重視されてないっていう感じかな。
日本だけじゃないけど世界中の保存食品ってずっと見ていくとですね、確かに保存は効くよ。保存は効くんだけどこれ本当においしいの?みたいなのがあるじゃないですか。
あああるね結構。
その社会では味よりもとにかく保存性が大事だからそれをやっている。なんとかして食べてるみたいな感じじゃないですか。
でも時代がどんどん下って近代とか現代まで近づくにつれてだんだんと食料生産が豊富になるので保存の価値が下がっていく。そこまで頑張らなくてもいいよみたいな。
そしたらおいしいほうがいいじゃん。
それはそうだ。
ということで素っていうのは他の甘酪とかろく酪に比べると保存性能ってのは低いわけですね。脂肪も全部混ざっちゃってるから。しっとりしてるしね。でもおいしいんだよね。甘みもあって。食べたことある?
食べたこと?
あれ俺作ったの食べさせてなかったっけ。おいしいんですよ。濃厚な感じでおいしいんですよ。あれでちょっと塩振ったらねそのままパクッといって酒飲めるくらいなんだけど。
ああそんな感じなんだ。
僕は味噌漬けるの好きだったりするけどね。
味噌漬け?見たけど食べてはない。
ああそっか。みんなお客様に置いちゃったかな。
そうだね。
味が良くなってくる。その代わり保存性が落ちる。このバーターでいくと食料が安定してきて余裕があればあるほど味によっていく傾向にあるなと思ってまして。この辺が超乾燥地域と質純地帯の違いかなっていう気がしますよね。
あとねもう一つ不思議だなと思ったのが聖地分離。
聖地分離。
聖地分離と発行ね。日本だよ。
削入期間、出入期間ってさ牛10ヶ月以上あるけどメインって7月とかじゃん。
ああ暑いのか。
5678とかで削入するわけでしょ。日本だよ。
日本だね。
冷蔵庫ないよ。聖地分離?
腐りそうだけど。
ねえ大丈夫なのかな?って大丈夫なんですよ。
大丈夫なの?
実は大丈夫なの。なんでかっていうと気候が違う。
気候が違う?
現代と全く違う。
ああ現代とね。
これ気候学やってる人だったら知ってるかもしれないですけど、古代後期小氷期っていう期間があるんですね。
小氷期だからもうアイスエイジですよ。寒い時期ね。
ちょっと寒いぐらいかな。完全な氷河期にならないちっちゃい氷期ですから。
まあ小って言ってるもんね。
これが世界史でいくと536年から660年。
ほうほうほう。
日本史的に古代を見ていくとだいたい1世紀から700年くらいまで、7世紀の終わりくらいまでがボワーッと気温の低い時期ね。
ああそうなんだ。
これなんで536年ってピンポイントでわかってるかっつうと、536年に北半球の井戸の高いところ、北の方ね。
のどこかで大噴火が起きている。
ああ噴火か。
これは世界中の堆積物の研究でも明確だそうです。
何月くらいまで特定できるんですって。
へえそうなんだ。
そこから3、4年後くらいに今度は熱帯地方のどこかで史上最大級の噴火が起きている。
ああまた噴火。
人類史上でも最大クラスらしいんですよね。
へえ。
本当は1258年にもとでかいのが来るんだけど、それに匹敵するレベルのものがおそらくこの時期にあったと言われていて、
そんなどでかい噴火が4年間の間に2回も来ればさ、そりゃエアロゾル舞うよね。
ああそうだね。
しかもちょうど太陽加数の低迷期にぶち当たっちゃったもんだからさ、そこから数十年間寒いわけですよ。
そうか。
でこのタイミングがちょうど縁起式の時代、縁起じゃない、清明四十二の時代なんだ。
日本に入ってきたくらいの頃ね。
ああちょうどね。
でこういう寒い環境だったら可能性はありますよね。
日本もだいぶ寒かったね当時。ただその後中世温暖期っていうのがやってきます。
今度は温暖期。
暖かくなっていくの。だいたい世界史規模でいくと800年頃から1300年頃に向かって暖かくなっている。
上下はあるにしてもね、ちょっと暖かい時期。だから平安時代の中期から後期って暖かいんですよ。
暖かくなったもんだから国風文化でちょっと説明したと思うけど神殿づくりってね。
床下を上げて空気通さないと子もちゃでたまんないみたいな時代がやってくる。
その前は寒いからいいんですね。石のタイルづくりにしてもあまり結露しないから。
結露しない。
乾燥地帯じゃないと石タイルのところは結露して大変なんですよ。
確かにその話もあったね。
寒いからいけてる。でも温かくなってくると暑いんで風通しよくならないと日本は麹に代表されるようにカビの国ですから大変なわけですね。
だんだんと暖かくなってきちゃうよねっていうのが平安時代の真ん中から後ろだとは鎌倉時代ねっていう感じなんですね。
この時代になってくると多分ですがクリーム分離できないんじゃないかな。
分離してる間に腐ってしまう。
とか発酵ももしかしたら厳しいかもわからないできたかもわからないギリギリ。もしかしたらできた。
実際1000年代の文献でも楽っていうのは出てくるので多少なんか発酵してたかもしれませんがでもね乳がゆなるものが出てきていてね。
乳がゆ。
1000年代の書物だから平安末期ですね。乳がゆっていうとなんとなくミルクがゆかご飯の輸入で炊いたのかなと思いがちですがここで言う乳がゆっていうのはミルクを温めたものでどろっとしてる。
ああそうなんだ。
でこれを楽とイコールで結んでるんですよ。
これが楽?
なんかね名前は残ってるんだけど発酵してない時点で別物だよね。
そうだねちょっとややこしいな。
日本ねこれはいろんなとこでこれやるからね。
まあ確かにね名前かぶりはしてるやつあるよね。
なんてさ寿司酸っぱい発酵物がさ握り寿司になっても寿司って言ってるじゃん。名前変えろや。
確かに。
日本の食文化の変化
みたいな感じですよね。
そうだね。
同じ名前だからといって同じものを指してるとは限らないっていうのが海外は僕知らないですけど日本の食文化でよく見られる現象ですよね。
もうすでに平安時代末期にはそういうことが起きてます。
平安時代末期か。
これを考えるともしかしたらヨーグルト用だったはずの楽ももう形が変わってる可能性がある。
つまり中世温暖機の影響でまともな箱ができなかったかもしれない。ちょっとわからないですけどね。
だいたい平安の後期から末期にかけて鎌倉に入る頃には今ご紹介したこの素晴らしい乳製品の加工系列群ほとんど消失していく。
えっそうなの。
あったかもしれないけどもう全然出てこない。
こんなにあったのに。
そうだけが残ってるみたいな感じ。なぜか。
そうだけが残っていく。
これは朝廷の中に残るのではなくていろんなところに文献上メモしとかないと献上するとき困るから。
だいたい鎌倉自体も構想の義は残ってるのでやってます。
でも発行とか聖地分離系のほうはたぶん朝廷内で入議員でやってたと僕は想像するんですが、
でも気候の問題やらなんやかんやがあってなかなかうまくいかなくなってくるんじゃないかな。
675年初武天皇が出した肉食近畿の見事のりあたりでそこがスタートとしてだんだん肉食から離れていきますね日本は。
内と外の概念とか出てきてだんだん離れていく中に乗ってったかもしれないし、
894年に菅原道真の提言で遣唐使が廃止になりますよね。
廃止になった。
で国風文化が発展していきます。
日本の乳製品文化の途絶
ということは中国大陸の文化交流が止まりますよね。
止まるね。
だから新しい乳製品が中国大陸で発展したとしてももう入ってこないわけですから。
中国風文化じゃなくて純国風に変わっていくのでもしかしたらその食文化の中から乳製品っていうのは次第引いていったかもしれない。
いろんな要因がありそうだね。
いろんなことがあったんじゃないかなっていうのはこれ僕の想像ですけどね。
あと一番ポイントだったのは層以外はヤンゴトなき人々のものなんです。
朝廷周辺の人だけなんですこれ食べられてるの。
これは実は中国の王朝も割とそうだったりするんだけどね。
でも認知度は日本と比べると一般庶民レベルまでいっていて、
例え話で比喩で使われたりするぐらいだからね。知られてはいる。
でも日本の場合はねもう神様への備え物とか薬事って言って健康食品薬に近い健康食品とかそんな感じ使われてるんですよね。
偉い人だけ。僧もそうだし楽もそうだし観楽もそうだし。
全般的にね。
醍醐もそう醍醐なんかエリクサだからね。これインドの回聞いてないとわかんないけど。
これ高級品なので健康食品かつ至高品でそれも超ハイブランドで。
全く庶民は手が届かないどころか知らない。
そもそも存在をね。
知らない状態で乳製品の文化が廃れていってしまったもんだから途絶えちゃう。
途絶えるね。
乳製品の存在を忘れる
これ寿司でも豆腐でも階層がだんだん下に降りてきましたよね。
朝廷貴族下級貴族武士みたいな感じで段階を追って広まっていってないですか。
降りる前に消えるからないんだよね。
まあそうか。
みんな忘れちゃう存在を。
まあ確かにね。それは作らなきゃね。わかんないよね。
忘れたまんまこの後次にまともにですよ。乳製品が歴史の表舞台に出てくるのは1600年代。
1600年代。
ついさっき僕がお話したのは900年頃の話ですよ。
900年より前500年代から900年代の間ぐらいの話してました。
消えました。次に浮上してきたのは1600年代。
1600年代。
はい。1603年江戸幕府開封。
はあずいぶん飛んだね。
はい。間室町とかね。戦後時代全部消えましたよね。鎌倉時代の話も今回ないです。
ないの?
平安時代の話すらしてません。
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