00:03
はい、では前回からの続きです。今回は
はい、薬だった梅干しが食べ物になります
食べ物じゃなかったみたいな言い方だね
まあまあ食べ物だったんですけど、意味合いとしては薬のイメージが強かったわけですよね
ああそうだね
これが今のような梅干しの扱いにだんだんと変わっていくところですね
まず、戦略物資としての梅干しがありましたよね
これがね、武士の間でめちゃくちゃ広がるんですよ
ああそうなんだ
これね、一つ要因があって、前回ちょっと言い忘れちゃったんですけど
上級の乱っていう話ちょっとだけ触れましたよね
鎌倉幕府が滅亡する頃ですよ、後鳥羽上皇
直前ですね、1221年なんで鎌倉幕府が1333年で終わるんで、そっから100年くらい前か
くらいに後鳥羽上皇っていうのが、もうちょっと鎌倉やりすぎだろうということで
上皇っていうのは元天皇ね、この人がちょっと待てつって鎌倉幕府に向かって戦術しかけるんですよ
結局幕府側が勝っちゃうんですけど
この上級の乱の時にどうやらおにぎりが幕府の戦争飯として配られたっぽいんですね
おにぎりが おにぎりが、あのおにぎりですよ
そして梅おにぎりなんですって ああそうなんだ
どうやらこれがひと役勝ってるらしくて、梅干しのおにぎりうまいよねって
いやうまいよねなんちゃうの うまいよねって
ちょっと間バッと端折りますけど、氷牢岩とか水滑岩の活躍した時代があって
間に織田信長が出てきて、秀吉出てきて、はいもうみんないなくなりました
徳川家康の時代になります、はいもう一気に江戸時代始まりましたってところまで飛ばしますね
っていうのもこの間梅干し変化ないんで ないんだ ないんです、はいもう一気にいきます
この時点で梅干しがある程度戦の需要としての羊品としての立ち位置を築いちゃってるんですよ
当然ですけどそれを作る人たちってのがいるわけじゃないですか
武士が自分で作るわけないので そうだね
徐々に徐々に農民の間でも梅を作って梅干しを仕込んでっていうのが出てきますね
武士の職前にも当然梅干しが並んでるのが当たり前になってきます、拡散します
それも庶民の間にもちょっとずつ行くわけです
なんでかっていうと半農半部って言って
武士の人たちのほとんどは武士の仕事する以外の時は農民やってるからですね
ああそういうことか そういうのも手伝ってるってことですね
そんな混乱してる間にも流通っていうのはだんだんと拡大してきて
市場経済っていうのが徐々に確立してくる時代でもあります
これちょっとお寿司の回でやってるので聞いてない方は
お寿司のシリーズの江戸の経済史っていうところ聞いていただくとわかると思いますけどね
この梅干しの市場っていうのは主に戦だったわけですよね
そうだね 戦が一大マーケット
03:03
今でも戦争需要みたいなのありますよね
あれがポーンって消えるんですよ 終わっちゃうのか
マーケット一個消えるんですよ しかもかなりでかいね
さあどこに持ってくってなったら一般市場に持ってかざるを得ないんですよ
一気に庶民全般に広がっていきますね
要は農村部ではもちろん自分たちでも作ってたんで
食べてたとは思うんですけど
お町の人たちがどうだったかということになると
そこまで浸透してなかった可能性が高いと思われます
しょっぱいんで まあしょっぱいし作るのも大変だしね
慣れてないんでそっちにバンと振り向けられるわけですね
ここで梅干しが産業化してくるんですよ
やっぱり一番のポイントは京都大阪よりも江戸ですね
江戸 男状態
労働人口の多い場所か そうです
外食産業が出てくるんですけどそのちょっと前なんかはね
もう自分らで頑張らないといけないわけですよ
なんでとにかくちょっとの量でたくさんの米が食えること
手軽でしかも米との相性がいいってこと
もうご飯と梅干しのコンビが相性がいいよっていうのは
上級のランの握り飯辺りから定着してきてるじゃないですか
文化になってるんですよね
疲れも取れるしね
それもあるから余計に梅は流行ったかもね
建設業多いですから当時 大工ばっかりでしょ
そう大工さんとか左官さんとかね
ああいう人たちばっかりですから
そういうのも大きく手伝ったんじゃないかなっていうふうに言われてました
こっから先ちょっとね僕が想像した中期頃からですけどね
梅干しが産業化していった背景を僕なりに考察をしてみましたので
これ二つですね
一つは塩の生産量が増加したことです
ああそうなんだ
これまだ塩の歴史とか背景を全然やってないので
ふわっと触りだけ言いますね
この時代よりちょっと前くらいかな
江戸の初期ぐらいに入浜式塩田っていうのが開発されます
入浜式塩田
入浜式塩田塩田わかります?
塩田なんとなくしかわかんないわ
塩を作る時に最終的には塩窯で煮詰めて
あと干したりとかするんですけど
その前に濃厚な濃ゆい塩水作らないといけないんですよ
それを作るのに砂浜に塩水、海水をばら撒いてですね
天日で詰めていくんですよどんどん
砂浜に撒いてるイメージはあるけど
あれ砂浜に撒いてどうなるんだろうと思ってる
謎でしょ?
当然塩の結晶化になるんですけど
あれ砂と塩を一緒にもう一回水に入れるんですよ海水に
砂ごと入れるんだ
06:01
入れるんですよ
そうするとめっちゃ濃い海水できるじゃないですか
これを詰めれば当然塩ができるということなんですけど
元々は人力で撒いてたんですね
めっちゃ大変じゃないですか
これ入浜式塩田っていうのは塩の満ち引きを利用していてですね
満ちてる時に海水が来てますよね
せき止めるんですよ
せき止めるんだ
そうすると塩が引いてってもそこに海水残ってますよね
残ってるね
これ海水をほっとけば単純に塩田ができるわけですよ
人力で桶かついで運んできて手桶でばらまくっていう
もう労働作業しなくても塩の満ち引きでやってくれる
これ何百倍っていう勢いで塩の生産量が上がってくるんですね
そうだね満ち引きって毎日あるからね
めっちゃ効率が良くなると
これが流行った地域というのが瀬戸内海沿岸
今でいうと岡山広島とか香川とか
こっちは入ってないですけど
瀬戸内海沿岸の山口県辺りまで
この辺り一帯の全部でやったので
十州塩田っていってね
十カ国で入浜式塩田が作られて
めちゃくちゃ塩がたくさん取れる地域になっていったと
そうなんだ
そういう背景が一つあってですね
この塩というのが日書海戦
これ1600年代序盤から動き始めますよね
こいつが積んで流通するようになっていきます
やっぱ船で運ぶんだね
船で運びますね
一番最初は1619年
堺の商人が奇襲のね
奇襲今の岡山県ですね
漁師なのか何なのかわかんないですけど
そこの港にある250国積みの海船を雇って
運搬やれやみたいな感じで始めたのがきっかけで
途中から戦国積みっていって
だいたい150トン積める船になって
西から東からあちこち回るようになっていく
結構でっかい船だったんだね
これ日書海戦とその後に樽海戦出てきますけど
この戦国積みすごい船で流骨ないんですよ
流骨ないの
平舟とかあたけ舟みたいな感じなので
折り紙で船折った時に流骨なしで
両サイドに芯が走ったようになりますよね
ボートですボートあれのでっかいやつ
でっけいボート作ったんだ
でっけいボート作った
でこの150トン積載してる時の
それを動かすのに必要な人数
10人から20人
そんな少ないの
めっちゃ効率いいみたい
すごいねその時代に10人から20人って
反戦ですからねこれで運んでたらしいですよ
流骨ないくてもそんなでかいの作れるんだね
これが瀬戸内海をあちこち行ったり来たりして
あとはキーハントをぐるっと回って
ところどころ寄りながら江戸まで運んでいくと
そういうような状態になっていくのが
これは指標の流通が上がりましたよという面ですね
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もう一つは料理文化の醸成
これは前々回で少しお話ししてますけど
料理物語これ1643年のレシピブックですね
料理安売集こういったものが出てきた
ということは裏で料理文化が没効してますよという話ですよ
ちなみに過去のシリーズを聞いてらっしゃる方に
当時の日本の食文化はどういう時代だったかって
ちょっとだけお話をすると
お寿司で言ったら一夜寿司とか生慣れ
まだ生慣れなんだ
今まで慣れ寿司だったのが
期間で作れる寿司っていうのに変わり始めた時期です
あああったね
つまり料理が変換する時期なんですよ
転換期なんです
ああちょうど転換期の出始めか
そういうことですね
始まり始めね
日本酒で言うと自家製の酒造が禁止される頃ですね
ああはいはいはい
もう各家庭で作るなと
酒造家に任せろみたいな
あったね
これで酒屋がガーッと伸びて
伏見とかのあたりの酒蔵がものすごい金持ちになって
さらに強くなっていくと
そういう感じの時期で
同時に樽海戦ももちろん動き始めると
こういう時代になっていきますね
転換期ですね
この頃ちょっと面白いのが
梅干しがねバリエーション増えるのよ
バリエーション増えるの
ここまでまだしそ漬け出てきてないから
まだ出てきてない
もう全部白干しなんですね
書籍に出てくるだけでもしかしたら
あったかもしれないけど
基本的には白干しだと思ってください
1697年もうちょっと後ですね
になってくると
現代の梅干しに近い形に変わってきてます
本庁書館という本が1697年に発刊されます
本庁書館
本朝食べる館は何て言ったんだろうね
金辺に監督の館で鏡渡しですね
言ってみれば日本全体のこういうのが流行してるよっていう図鑑です
食の図鑑ですね
図鑑の館だね
っていう本に梅干しの作り方が出てきてるんですね
2,3日塩漬けして梅汁ができる頃に干して
日暮れには戻してっていうのは何回か繰り返すと
乾いて汁気がなくなって皺が出てきて
1年2年漬けとくと赤みが帯びてきて
陶器の壺に保存しとくといいよみたいなことが書いてある
本当の梅干しだね
ガチ梅干しなんですよ
この後の美行みたいに書いてあるくだりがあって
なおこの梅干しを紫蘇で巻いたものは
より赤くなり沈調されているって書いてある
ここで一応補足的には出てくるんだ
紫蘇は一緒に漬けたんで紫蘇で巻いてる
巻いてる
なんか知んないけど紫蘇で巻いたものって書いてあった
12:00
巻いたものかめっちゃ大変そうだね
俺がどこだっけな小田原かな
どっかのホームページ通販サイトとか見てたら名物になってたね
そうなんだ
その時代のものかどうかわかんないですけど
紫蘇漬けがいつから始まったのかなっていうのを探したんですけど
見当たらなかった
見当たらなかった
時代的に生慣れが握り寿司に変わる直前ぐらいまでの話じゃない
とにかく簡略化して即席化してる時代じゃない
今タク言ったように紫蘇で巻くの大変じゃない
でも紫蘇使うと赤くなって沈調されるっつったじゃない
漬けるよね
漬けるでしょ
赤くなりゃ売れるんだもんやるよね
紫蘇その辺生えてるしね
そうなんだよどこでも取れちゃうから
まあそんな風な感じなのかなっていうのはこれ想像ね
あともう100年くらい後の資料だから
ちょっとこの時代とはかぶらないんだけど
他の梅干しが出てきててさ
他の梅干し?
梅干しなのかな梅漬けなのかもしんない
時堅城っていうのを前に少し紹介したと思うんだけど
どこで聞いたかな
参勤交代の時だけじゃなくて
季節のものとか取れたものを将軍家にプレゼントする
あと関係が良好になっていいよねみたいなのが
初めはなんとなく気持ちでやってみんな
お前もやるなら俺もだったのが公式行事になっちゃったっていう
1789年の資料だから公式行事化されたところだよね
これ見ると梅のかす漬け
梅のかす漬け
酒かすですね
ほお
甘いんかな
なんかイメージはあんまり湧かないな
ねえあと砂糖漬け
砂糖漬け
これもデザートだよね完全にね
てかただのシロップになるよね
そうだねそうだ梅シロップだ
梅シロップだよこれ
とかも時堅城のリストに書いてありましたよ
まあ梅シロップは美味しいだろうよ
なんかね僕答えがないままほったらかしにしてるんですけど
時堅城だったら梅干しなんてのはね
奇襲が出しそうなもんじゃないですか
けどこの1789年の資料を見る限りは
佐賀とかね大分とかね
なんか西国が多いんですよ
へえ
なんでかわかんないですけどね
全然イメージないけどね
全然イメージないですよ
だから奇襲の梅干しとかいつから有名になったのかな
まあ今日本じゃないですか
これはこれですね気になったんで調べてみました
そしたらね結構ね胸厚話いっぱいあった
増えた
うんなんでそれでちょっとそのくだりまから話しますね
そんな長くないので
時代は徳川幕府成立直後くらいの話
15:01
奇襲っていうのは御三家の一つなわけですよね
紀徳川家で初代は徳川頼の仏でね
家康の十男
十男
うん息子いっぱいいるんですよ
まあいるだろうね
時代的にね
あとは尾張名古屋とかね
美藤とかが御三家になりますけど
そのうちの一つの奇襲初代藩衆頼の仏がいます
でこのつけがろうつけがろうってわかる
全然わかんない
かろうはかろうなんだけど
お父さんがちょっと息子につけるみたいなイメージですよ
お父さんが息子につける
そうこれはですね
このつけがろうになったのは安藤建脇っていう人なんですけど
この人はもともと家康の側近中の側近なんですよ
ああそうなんだ
でも若い時はさ長篠の戦いで
信長と一緒に武田信玄と戦ったりとかさ
小牧長手の戦いで秀吉と戦ったりとか
当然関ヶ原にも出てるし
大阪夏の陣冬の陣も思いっきり出てるしみたいな
もう側近中の側近だし重心なんすよね
なんなら初期の幕政
江戸幕府できたばっかりの政治の中枢にも入ってるし
隠居した後の孫夫ですね
黄金書になった後の駿河の政権にも深く関わってる
じゃあかなり上だね
かなり上の人
この人が家康によって息子頼伸のつけがろうにつけられる
ちょっとうちの息子まだ子供だから見てやってくれよと
友達みたいな感覚なのかもしれないですけど
そういう命令が下ってつけられる
その状態で大阪冬の陣夏の陣があるんですけど
その後ちょっと頼伸さん大きくなったので
奇襲一国の藩主になります
そうすると安藤立脇さんも当然一緒についてきます
この立脇さんは田辺藩の藩主になります
田辺藩っていうのは奇襲藩の中の一領地だと思ってください
藩なんですけど最終的に公式な藩として認められてないですからね
一領地ですね
どうでもいいチップスですけど
この安藤立脇さん田辺藩に行く直前賭け川藩主です
賭け川藩主なの へえ
ほんと直前までだよ
ああそうなんだ
これ何でかっていうと隣の駿河の国のてっぺんが家康じゃん
大御所としてだからその隣の藩を与えられてるの
ああそういうことね
西の守りだよ超要所ここ
ここは要所だったもんね
家康を守るための要所にいたそのくらいの人物なんですよ
ああすごいね
絶大な信頼もあるし民からも慕われてたっぽいですね
へえ
なかなかできる人だったと
この人が言ってみれば当時の田舎の方の岸南の方にある岸南地方
南部と書いて南部と読むんですけどその辺りの田辺藩の藩主になります
でねこの南部という地域が結構大変な土地だったらしくて
18:02
山勝ちなんですよ平地が少ないんですよ
ああ平地が少ないんだね
でこの時代から国高制になって税金が全部米で収められるようになりますよね
ああ
米取れんってなんすよ
取れんね
困るじゃないですかでこの田辺藩主となった安藤建脇公考えました
で地元を歩きましたしたら山々に見事な梅がなってるじゃないか
これは何という梅だなってこれは俺たちはヤブ梅と呼んでおります
この梅はどうにかならんのかって
よし梅干しというものがある
これはこれから庶民の食として大事なものになる
俺たちはこういうふうに食ってきたと
よしお前たちこの痩せた土地だとか山勝ちな斜面に梅を植えようという指示を出します
でこの安藤建脇公初代のね
ちなみに建脇って2代目建脇3代目建脇になるんでずっと一緒の名前なんですけど
一緒にするのやめてほしいねやっぱね
本名は安藤直嗣さんなんですよ初代は
ああそうなんだ
で建脇っていう号をずっといくんですけど
この初代建脇公がこれ植えさせるわけですね
これがなくなった後も徐々に徐々に増えていってですね
あちこちの山々が梅だらけになってきます
これすごいのが江戸に運ばれていくんですよ梅干しとして
梅干しとして
これねなんでかなと思ったらそもそも
干垣海戦も樽海戦も奇襲の人が船乗ってんすよね
ああそうなんだ
夜の要はそこから船出して雇われていくから
はいはいはい
で所々寄港しないとそんな長い時間航海してられないので
ちょこちょこ寄るんですよねその一発目が奇襲なんだ
へえ
っていうことは死を着ますよね
来るね
死をゲットできる梅めっちゃ植えた
でこの奇襲を経由して江戸へ向かっていく
こりゃ商売なるでしょ
まあ原材料が自然と運ばれてきて
で梅がある奇襲に届いてそこで加工してまた乗っけていくっていう
そうなんですよ
かなり流通網としてはもう完璧にできてるね
で田辺藩は市販として小さいといえども本番は奇襲藩ですからね
御三家なんでそうだね
権力財力もあるじゃないですか
あるね
何とでもなるっすねこれはねどう考えたって何とでもなりますよね
徳川家ですからね
あのね普通に江戸で大人気になります
へえまあ米と合うしね
梅干しを入れた樽にね夜勤をしちゃってね
奇襲田辺さんぱんっておっしゃる
ああもうブランドだ
ブランドもう梅干しはガンガン送られてくるし
なんと御三家の奇襲藩ですよ
ああもう売れますわ
そうだね絶大なるブランドだね
大人気
21:00
でこれが流行っていって江戸の庶民でもちろん地元さんもあったと思うんですけど
この田辺さんの梅が広がっていくと
で江戸の中頃になるともう正月はね縁起物として梅干しと昆布を入れたお茶を飲むと
こういう文化が定着します庶民の間に
ああそうなんだ
縁起物として福茶ないしは大福茶という呼ばれ方をしますね
へえ
梅干しと昆布を入れたお茶ですよ覚えてますか
あの最初の方にですよね
第3話前回ですね
前回か
神天皇が病の治療に当てたというあれの変形ですよ
お茶が変わってる梅干しが変わってるみたいな
これが縁起物として定着しつつ
縁起物であるのと同時に正月っていうのは七草가요に代表されるように
ここから先1年間の無病息災を祈願するっていう意味もあるわけですね
この起源はどこにあるかっていうと
鎌倉武士団が毎日の食卓に薬膳として梅干しをあげたみたいな
あれが底辺に残ってるような気がするんですよ
かつおかずとしていけるからこういうのがあって
どんどん梅干しが庶民の間に当たり前のようになっていくんですね
これだけ万能だったら広がるでしょ
だって梅干しをつまみに酒飲んだりしてますからねこの人たち
今もやるじゃん 今もやる今もやる
お祝いね そうそうやってるんですよ
ああやってんだね
でね意外なことがこの後起こるんですけど
江戸後期終わり頃ですね
日本が開国をするときになると外国人がいっぱいやってきます
主に下関とか横浜あたりに外国人拠流地っていうのは横浜ですけどできますよね
そうすると来たのは外国人だけじゃなくて外国文化だけじゃなくて病気も持ってくるんですね
病気 はいコレラ
ああコレラ コレラ菌を持ってきちゃうんですよ
はいはい あとセキリとかね
ああセキリ こういうの持ち込んじゃうんですよ
なんとこのコレラ菌結城さんに滅亡弱い
ああそうなの結城さんに そう出たクエン酸パワー
このクエン酸パワーでもちろんねコレラでかなりの人が亡くなってるっぽいんですよ
騎士の人も亡くなってるんですよけどどうやらこの梅酢パワーが効くらしいと
いうことがすぐに分かってですね結構初期の段階で
もうパンデミックになる前に梅酢パワーで抑え込むっていうことに成功します
すごいね これ幕末から明治にかけての話ですね
なんかミラクルだね 日本でどうやらコレラが2回ぐらい流行しちゃうんですって
そのために何千人という方がもちろん亡くなってはいるんですけど
それは梅肉のパワーで抑え込むというそれは当時の医学者たちの研究によって
この梅のエキスを抽出するってことができるのでこれ明治期ですけど
24:00
っていうことが起こるんですねしたらすごいことにですね
奇襲の梅の需要が増えるんですよ 増えんだ
だって作っただけ売れるんだもん 特に病に効くとなればね
そうなんですよそこで聞いてね一気に江戸時代終わって明治に入りますね
戦争始まるんですよ一時大戦日西日露ですね主にね
日西日露来ますとするとまた戦略物資として必要になるんですよ
戦略物資ね もう1回来たみたいな感じ
戦争需要 今回はコレラとかセキリとかっていうのもあるので
より需要が高まるんですねここで初めて奇襲じゃなくて和歌山になってますけど
和歌山県で本格的な梅苑が登場します ああそれまでちゃんとなかったの
そうなんかね色々作ってるみたいな感じなんですね ああそういうことね
がもうこの時代に初めて明治20年って書いてましたけど
梅専門農家がバババババって出てくる まあそれだけ需要あればねできるよね
これ行くぞーみたいになって行くんですね
こうやって増えてきた本格的な梅苑の中に1人ちょっと重要な人物が登場します
上南村の高田貞児さん 高田貞児さん
読みづらいね貞児さんってね 読みづらい
この人は上南村の村長の息子さんで別にこの人は政治家になってないですけどね
ああそうなんだ で自分が独立する時に梅かなって言って
60本の梅の苗木を分けてもらって育てて梅苑をやってたそうなんです
そしたら毎日育ってたら1本どういうわけか知らないけどこの1本だけが身が厚くてね
大きい上に身が厚い梅ができると 突然変異
突然変異ですね これはいいぞと思ってすごく大事に育ててたらしいんです
これを名前がついて高田梅 高田さんなので高田梅として出荷をしてました
どうも継ぎ木をしようとしたらしいんですけどなかなか難しいらしくて
うまいこといかなかったらしいんですよ ああそうなんだ
でこの高田貞児さんが40後半くらいの時ですかね昭和6年
地元の同じ村のね青年が農業に志すわけですよ
周りみんな農家なんでなんですけどその中でも俺は梅で一発やったるぜみたいな
農業青年が情熱的な人が出てくるんですね この人は小山貞児さんと
小山貞児さん
それまでの間高田梅っていうのは門外不出だったんですよ
ああそうなんだ
もううちの梅だったんですけど40後半くらいになって僕と同じかちょっと上くらいですかね
20代の若い子が俺はどうしてもこの梅でやるんだと
27:03
なんとかして高田さんこの梅分けてもらえませんかね
いやいや言ってもうこれ継ぎ木したってつかんぞ今までやったけど半分も育たん
いやそれでもいいですどうしてもあなたの高田の梅がいいんですって言って
情熱を持って語ったところ褒儀を60本もらうんですよ
ああもらったね
枝をもらったんですよもう情熱に負けたんでしょうね若い子が
でやっぱ継ぎ木しても半分も育たなくてやっぱ大変だったんですけど
なんとかかんとか増やしていってですねこの高田梅を育て続けていったんですよ
で時はその後昭和13年14年から日本自体が戦時体制に入りますね
日中戦争を経て太平洋戦争に突入をしていきます
で途中はいいんですけど戦争が終わり頃終盤からあと戦後すぐくらいって
まあ物資不足だし米不足だしっていう状態になるじゃないですか
それこそ日本酒やお寿司の会でやった通りですね
もう米作れよとでも米作れなかったらなんか芋でも作れよみたいな
梅とか作ってる場合かって
確かに米なきゃ意味ないもんね
そうなんですよ
でねこの和歌山の南米地方のたくさんあった梅園も半分以上は木を伐採して
さつまいも畑になっちゃうんですよ
へえ伐採してまで作ってたんだ
そうじゃ生きてけないもん
梅じゃはからふくれんって
そうなんだよね米ありきだからね
そうなんですよで米作れる年じゃないじゃないですか元が
だからさつまいもいっぱい植えたらしいですよ
ああそうなんだ
そんな中でもこの小山青年はですね意地でもこの高田梅を守る
つらぬくね
つらぬいて守りきったんですよ
へえそうなんだ
こっからミラクルが起きます
昭和25年戦後の貴賓とか苦しいところ乗り越えて
さあこれから経済復興じゃ日本立ち上がるぞという時代の入り口ですね
この頃になるとですねこれは和歌山県が主導のようですけども今でJかな
梅有料募集調査選定委員会というのを設立されます
梅の木の有料な木をね調査してどれがいいのかというのを制定しましょうという
まあそういう委員会ですね
なんかこの時代よくあったよね有料選抜っていう先生会みたいな
まさにまさにあのコシヒカリの頃ですね
ああいう時代があるんですよ
農業でもそういうのがやっぱり出てきてですね
梅の世界でもこの有料品種を選定してね地域で統一して
しかもこの南地方に適した品種ってなんだっていうのを選び出して
みんなでやろうぞという話になるんですよ
30:00
まあこれが相当地道な作業だったみたいで
身がなるの1年に1回だから
まあね全部伐採してこう収穫するようなタイプでもないしね
もう1本ずつ調べていくんだって
めちゃめちゃ手がかかるよ
そうだね
1軒の農家に何本木があるみたいな話でしょ
あれを全部調べ終わるのに5年かかった
かかったね
でもねその委員会のメンバーさんっていうのは農家さんだったり
地元の名刺だったりとかその使用人みたいな人だったらしいんですけど
もう人手足らんからって
みなべ高校の園芸家の生徒さんにも手伝ってもらって
ああそうなんだ
地域の農業に従事してる人たちみんなでうわーって調べに行く
ああ相当力入れてたね
相当頑張って
で5年の歳月をかけ
昭和29年有料種7系統を選別します
7つか
7つ白玉とか工場とか改良梅田
梅田っていうのは今回発表だったけどもうちょっと前に梅田っていう品種出たんですけどね
これ内田じゃなくて
梅田じゃない内田ごめんなさい改良内田
内田っていうのがもともと出てたんですけどね
その改良版ですねあと養生とか地蔵薬師高田っていうのが7つ選定されます
でこの中から最有料を一つ絞り込んだんですね
よしこれで待ち起こしじゃあ行くぞ
これが高田種なんですよ
なんか高田梅って言うの
これは高田さだぐすさんの畑で偶然見つかって大事に育てられていた高田梅ですね
ああそうなんだ
見つけて大事に育てた人がいて
で梅園がバッタバッタと倒れてさつまいもになっていく中でも大事に守った小山さんがいて
実はこの小山さんも選定委員会のメンバーなんですけどね
ああそうなんだ
で最終的に残ったのはこの高田梅最有料
でこの高田梅を新しくネーミングブランディングのために名前を付けますね
これが南高梅
ああここで変わるんだね地域ブランドとして名前を付け替えたんだね
そういうことですねこれは南高梅の名前を付けたのは当時委員長されていた竹中勝太郎さんというのかな
方が付けられてるんですけど由来はですね
南辺高校と高田これを二つくっつけて南高梅
ああそういう合体技なんだね
みたいですね高田さんの名前は外せないし高田梅って言ってるんで
けど南辺高校の園芸家の子供たちが手伝ってくれたじゃないですか
よくありますよね今でもね高校生アイデアとかなったらそこにちょっと名前を使うとか
まあそうだね
あるしそもそもこの地域自体が南辺なんで
ああそうなんだ
南辺地方なんですよねで合わせて南の高い梅で南高梅と
でここから今度は新しいおかずというか漬物とか
そういう新しい今の梅干しのポジショニングを築いて
33:02
ブランディング化していくとで僕らの想像する梅干しといえば
肉厚の南高梅をパッと思い浮かべるのはもうこっから来てるっていうね
ああもう一人が作ったのね
そうなんですよすごくない
へえすごいね
ちょっとねそういえば奇襲出てこんかったなと思って調べたら
ああ暑い暑いと思って
安藤たてわきもかっけいしいやいやおもろおもろいっていうちょっとね
エモい話になりましたよ
結構綱渡り的に今の梅があるだね
そうなんですよね
今改めて一通りやってみて思うのがですね
梅干しって不思議なポジションだなっていうのを思うんですよ
ああそうか
漬物なんですよ
だけど僕らがパッと漬物で思い浮かべるのってぬか漬けとかさ
浅漬けとかじゃないですかだから
らっきょうぬか漬けキュウリとか白菜とかたくあんとか並べられた中に
梅干しがあって確かに漬物なんだけど
うんってちょっと引っかかるところがある
梅干しは梅干しだろと独立して見えるんですよねあれ
そうだね加工法がちょっと手間かかったりとかね
生じゃ食べられないものをつけてたりね
そうだねあんまり生では食べないでしょあんまり
確かにかといってさおかずって言われても
おかずかおかずっちゃおかずかだし
調味料って言われてもまあそうかな
果物っちゃ果物だしね
言ってみればドライフルーツですからねあれ
一種の干してるんで
でもこれ薬買ってると確かに漢方で使われてるけどな
どこにも所属していながらピンと来ない
結果梅干しっていう独立したジャンルに見えるっていうね
そうだね果物なのに漬物ジャンルに入るものってあんまないね
確かにそうだね少ないかも
金管とかはどっちかというとスイーツ的な扱い
果物寄りの扱いだけど漬物にはなってないからねあんまり
そっかそっかそっかなんか不思議だよね
梅干しって考えれば考えるほど
なんでこいつだけ独立して立ってるんだろうって
そうだね何だろうね
これもうほんとちゃんと分類分けすればどっかには入るはずなんですよ
まあ言っていれば漬物のはずなんですけど
僕らの感性感覚がそれを丸呑みできないでいる
情緒的なもんですけどね
そうだね独立ジャンルだねどうしてもね
不思議だなって思いながらこれを勉強してました
結構埋め合ったね内容
でもさらさらとほら1話でまとめてもおかしくないレベルじゃないですか
これ1話だったら2時間コースだよ結局
これは僕あれですよ前のシリーズのリスナーたくさんからの質問会議
一方でぶち込もうとしましたからね
36:01
これ一方でぶち込むってかよくさらさらとここまで書いたね
なんかね書いてたらこんななっちゃったんですよ
なんかバグってんじゃない最近
かもしんないね 感覚が
日本集が長かったんで
長かったね
あれと対比しちゃってるからかな
対比する場所間違えとるねと
随分とすっきりまとまってるからね分かりやすかったけど
梅干しって意外と歴史というかさ
いろんな使われ方してるからさ
面白い話ではあったよね
そうなんですよね
お寿司とか日本酒とかとまた違う
いろいろ変わりすぎてこの先どうなるか分かんなかったお寿司でもないし
日本酒みたいにうわぁそんな風に積み上げ方できたんだでもなく
結構着地したところにポチンと独立性を保ってるこのふわっとしたちっちゃい粒っていう
でちゃんとインパクト残してるんだけど
食文化和食の食文化のど真ん中本流にズドンてるような主役級でもない
なんなんこいつの存在感っていう
そうねちょっと思ったのは酒に合う食べ物って杖なって思った
酒と米な
塩と日本酒みたいな感じで結局梅と焼酎とかさ
この辺はさで米と梅でしょ
だからもうなんかこの辺は強いよね
やっぱね今飲んでますけど梅蜂蜜焼酎うまっ
うまいよね疲れた時にさやっぱちょっと飲みたいなと思うのは酸味の効いたものじゃない
特に夏は特に梅雨明けぐらいにさ欲しくなるじゃない
そうですねこの辺ほらエアコン壊れてるのでめっちゃ暑いじゃないですか
すげー汗かいてる今
そして今4本目にして1,2,3時間半このタイミングのこの梅蜂蜜焼酎めっちゃしみる
いや俺も飲んだ気がかかったよもうね暑いしね喉ちょっとなんか意外がしてきたしね
だいぶ喉かえって回復してきたもんね
そうだねなんか庭の終わりあたりからちょっと声かすれとったもんね今全然だもんね
ねいいよこれいい感じですよおすすめです
このラジオというかラジオって意外と喉酷使すんだよね
確かにしゃるっぱなしですからね
まずっとだからね
僕空間があるとすぐ喋っちゃうんでね
詰めてくるからね
多くの理解を待たずに過ぎ行くこと多いからね
特に今日暑いのもあってねより早かったもんな
なるべく早く終わらないとこの部屋が蒸し暑くなるって思って喋ってるんですけど
11時回ったらちょっと涼しくなってきたね
いつもそうなの最近ね11時頃から急に温度下がるから
すいませんねもううちのリスナーさん皆さん気づいてらっしゃるかもしれませんが
39:01
だいたい深夜にかけてやってますので
そうなんだよねこれ多分この時期日中無理だろこの部屋
そうね
もうラジオのためにエアコン買わんといかな
本当よね
何に金かけとんねんみたいな話だけどね
あれですよ次回ちょっとワンクッション他のお話話したもんかもしれないですけど
次回の本編はジャガイモっすからね
ジャガイモねまた長い長い船出に
長いまあでもこの勉強は今めっちゃ面白い
ああそう
うわあこんなとこからスタートすんのかとかうわあっていうのがいっぱいある
ああそうなんだ
から一話ずつなるべく面白がりポイントだけを抽出するつもりではいるんだけど
書き上がってない時点で1,2,3,4,5ここぐらいでかいテーマくるからどこ拾おうかなと思ってる
そんなくんのね
僕の個人的な面白ポイントね
そんな感じでちょっと今勉強中なのでそれが終わったら本編配信しますそれまでは松永入るかもしれません
いつになるやら
頑張るよ大丈夫です大丈夫です
結構番外編続いたけどね皆さん聞いてくださってるんでびっくりするぐらい
そうなんですよ梅干しが番外編じゃなくて本編に繰り上がりましたんで意外とありました
意外とあったね4本もありましたね
じゃあこんな感じかな
そうですね
ちょっと暑いんで終わります今日はマジで終わらせてください
雑だ
しょうがないな暑いんだもんいいよエアコン入ったらゆっくり話せば
そうですねそうしましょう
いつ帰るか知らんけど
頑張ろう頑張ろう
頑張りますか
頑張って儲けよう
ということで今回は梅干しシリーズこの辺で終わりたいと思いますありがとうございました
ありがとうございました