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2022-06-03 28:22

#89(s12-3)【梅干しの歴史】(前編) 梅干しの登場。梅は何故「うめ」に?(たべものラジオ)

紀元前~戦国時代までのお話。
「むま」が「馬」?/「菓子」は「果物」だった / 桜より梅が好き / 日本最古の医学書「医心方(いしんほう)」


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00:03
はい、では前回からの続きです。めっちゃ飲んどるよね。 やってみましたよ。
梅干しと蜂蜜と、それをお湯で割って、焼酎入れました。 焼酎入れたんだ。
この暑いのにね、あったかいものを飲むというね。 まあ、喉にはね、あったかい方がいいって言いますから。
優しいですよ。2話目までで結構喉枯れてきてましたけど。ちょっと回復した感がありますね。
今日珍しく4本撮りだもんね。 そうですね。もうかれこれ10時になりますけど。
やっぱり遅い。 まあ3本目行きましょうか。梅干しの登場でございます。
梅干しの登場。 まず梅の原産地から行きましょうか。
今定説になっているのは中国南部陽子公説。まあ陽子公っていうのは言い換えると長江ですね。
長江ね。 稲作発祥の地と言われている長江周辺のどこか。
どこかね。 雑位。っていうのはですね、神農本蔵経、覚えてますか?
神農本蔵経。 神農っていうのは神様に農業の農に本、本は書籍の本ですね。
草にお経の経の字登場したかっていうとお茶のシリーズですね。
だいぶ前だね。 だいぶ前です。神農帝というのが伝説上の人物というか神様として崇められてまして、
この神農帝という人物は紀元前3000年頃、なのでおよそ5000年頃に実在したとされている神様みたいな人ですね。
野山に入っていろんな草を口にして、どれが食べられる、どれが食べられないとか、どれがどの功用を持っているんだっていうのをつぶさに調べた神様だというふうになっていて、
毒に当たった時とかね、口直しに苦な今のお茶を噛んだというふうにされている人ですね。
苦なね、あったね。 それを記されていたのが元々バラバラの紙になっていたものを
紀元500年頃に一冊にまとめられたのが神農本蔵経というふうになってまして、この中に生薬として梅が登場しているそうです。
はあ、そうなんだ。 なのでこれをもって中国南部、長江近辺が発祥の地、原産地ではないかというふうに言われております。
ところがですね、近年、日本の縄文時代の遺跡からですね、梅の種が出土しちゃったんですよ。
へえ、種が。 もしかして日本にも在来種があったのでは?っていう説がほっこり浮上して、余計わかんなくなってるそうですね。
今出てきたらそうなっちゃうね。 そうですね、紀元前の話なので、どこが発祥の地かっていうのはあまりはっきりしないというのが現実のようですね。
03:02
まあ植物って難しいよね。だっていろんな要因があるじゃん。運ぶにしてもさ、鳥が持ってきたとかさ。
そうか、人間だけじゃないですからね。 めちゃくちゃ遠くから来るからね。
まあ全然わかんないっていうわけではないんでしょうけど、だいたいアジアのものだなというのは事実のようですね。
日本でまともにウメが植物に現れるのは奈良時代からですね。 ああ、奈良。
まあそれ以上文字がないんで。 文字がない。
で、このウメという言葉自体もやっぱり中国由来の言葉のようですね。
奈良時代に中国からウーバイという漢方薬が到来します。 ウーバイ。
これはですね、カラスにウメと書いてウーバイなんですね。 カラスにウメ。
これをねウーバイとかウーメイとかって言ってるんですよ。というのも中国語を読みをするとウーメイなんですって。
これ何かっていうとね、ウメの実をコークン、ザルかなんかに乗せて下からいぶすんですよ。
で燻製にして乾燥させたもの。だから真っ黒。 だからカラスのウメって書くみたい。
へえ、そうなんだ。 ガチ薬。 薬だねもうね。
で、僕詳しくないですけど、どうやらね現在の漢方薬の中でもこのウーメイっていうのは使われてるそうですね。
今も使われてるんだね。 みたいですよ。
これあのグーグル翻訳で発音させてみたところですね、発音が思いっきりウーメイって言ってたので、まんまやないかい。
ウメだね。 っていうふうに感じたんですけども、どうもね言語学者さんの記述の中にね、そっちじゃねえだろっていうのがあったんですね。
そっちじゃない。 僕言語学全然よくわかんないんですけど、そういう記述見かけました。
これはねウメ単体ですね、メイっていう発音らしいんですけど、このメイがウメに変わっていたと。
あのね中国発音できないんでなんとも言うんですけど、音の中に1回下がってもう1回上がるやつあるじゃないですか、ウンって上がるやつ。
メイっていう発音なんですねこれ。で日本語ってもともとこれうまく発音できないんで、ちっちゃいウンが入るような感じになるっぽいんですよ。
ああそういうね。 メイってウンって間に入ると。古代の日本にはもともと現代で我々が使っているひらがなのウンってあるじゃないですか。
五十四の祭り。この言葉が存在してないんですね。 存在してない? してないんですよ。
で代わりに初期のひらがな万葉仮名とかねあの辺のひらがなの初期の頃なんかを見るとム、ひらがなのムですねとかニっていうのが代わりに当てられていたと。
これちょっとピンとこないかもしれないですけど例えばイロハニホヘトありますね。あれって僕らイロハニホヘトって言っちゃってますけど正しくはイロハニオエドじゃないですか。
06:08
これずっといくとツネナラムっていうのが出てきますね。このムは正しく音を出すならばツネナランのわけですよ。
なので前後の音によって表記売れがあるということで聖書名言を書いたマクラノソウシ。 マクラノソウシね。 提案時代ですね。このマクラノソウシの中ではムメという表記をされてますね。
ムメ? はい。ここからですねムメ、ムメっていう発音がムに近い音なのでどうしてもムメ、ウメと変わっていったと。
まあ言い方の問題か。 実はですね別の証拠になり得るものがあってこの当時ウマはムーマーという表記をされてるんですよ。
ああそうなんだ。 これがマママウマというふうに変わっていったと。そのようにされてるそうなのでどうもこのメイがメイになってメってなって変わっていったっていうのが有力な説なようですね。
まあそうかもね。 原産はさておき梅の文化が日本に定着するまでにはだいぶ時間かかるんですけど元はやっぱ中国から来やがったなと。
やっぱりね。 やっぱ中国すげーなーというところね。 まあいろいろあるからな。
この時代日本人は梅をどのようにして食べていたかと。どうやらですねこの漢方薬そのまま食べられないじゃないですか。美味しくなさそうじゃないですか。
真っ黒だしね。 でも梅干しがまだないんですね。梅はそのまんま食べてるっぽい。 えっそのまんま。
菓子って書いてあるんですよ。で僕ら解析料理なんかやってると根立の最後に水菓子って記載することありますよね。
あるある。 水菓子ってすなわち果物を指してるんです。で実は水菓子という言葉ができる前までは単純に菓子だったらしいですね。
ああそうなんだ。 菓子というのが現代の果物を指している。これが転じて今の駄菓子とかのお菓子に使われるようになっちゃったので
菓子単体だと果物を指さなくなっちゃったから水菓子という言葉ができてそのうちに果物という新しい単語ができたのでそっちに置き換わってたという経緯なんですけど
奈良時代までは菓子だつまり果物としてまんま食べてた。 まんま食べれたんだ。
みたいですね。あんまり惜しくない気がするんだけどね。 惜しくない。えぐいよね多分。
と思うんですけどね。 完熟してもせいぜい黄色くなったところを食べる?
まあちっちゃい梅ですけどね。そんな大きい梅が出てくるのはだいぶ後の話なので。
ああもともと小さいのが主流なんだね。 そんなに実も厚くないですし。どうしても僕らの梅干しとかをイメージすると南高梅みたいなのを想像しがちなんですけど
実はあれが出てくるのは相当後なのでもう少し実が薄いタイプですかね。
ちなみに日本人が最も好きな花といえば現代では当然桜じゃないですか。
09:04
奈良時代とか平安時代初期ってね全然違うんですよ。 そうなんだ。 花といえば梅っていうぐらい梅が好き。
万葉集ありますね。万葉集に歌われた花を比較するとですね桜がだいたい40種。
に対して梅がなんと118種。 めちゃくちゃ多いね。 圧倒的に梅なんですよ。 へえそうなんだ。
なので菅原道真って学問の神様になってる人いますよね。
あの人なんかも庭に梅と桜と松を植えてて梅を終えなく愛したというふうな記録もありますし。
あとこれは多分知ってる人知ってるんじゃないかな。飛び梅伝説って。 九州地方の人なんかは結構知ってるかもしれないね。
ああそうなんだ。 あの菅原道真ってね、右大臣までやってた人なんですよ。
右大臣っていうのは左大臣の次に偉い人なんで、雛様の向かって左側にいる人ですね。
若い偉い人までやった人なんですけど、まあ色々と政治の闘争みたいのがあって飛ばされちゃうんですよ。
ダザイフに。 ああそうなんだ。 完全なる左遷ですよ。
こち深葉においを起こせよ梅の花、主なしとて春は忘れそ。
要は東風が吹いた時にね、ちゃんと匂いを出しなさいよ梅の花よと。
主である僕がいなくても春を忘れるんじゃないよみたいなことを歌って風流にね、都を去っていくわけですよ。
そしたらね、梅と松と桜が、主人がいないのがあまりにも寂しくてね、空を飛んで追いかけていくんですね。
だいぶ非現実的な話だね。 そういう伝説があって。
で、松はね飛び立つ前に悲しさのあまり枯れちゃうんですよ。
桜は山陽地方、瀬戸内のどっか岡山か広島かどっかその辺でね、力尽きてね、落っこちちゃうんですよ。
で梅だけはなんと菅原道真がダザイフに着いた翌日に到着する。
これが飛び梅伝説っていうのでね。
古事詳しい方はそこそこ有名な逸話だそうですね。
ああそうなんだ。なんかあれだよね、招築梅で桜入ってないもんね。
そうなんですよね。 ね、梅絶対入るもんね。
なんで結構前はね、その梅の方が人気だったみたいですね。
ああそういうことなんだね。
あくまでも花の方ですけど。 あ、花の方だね。
実はおまけ。
うーん。
という感じだったようですね。
へえ、そんな感じなんだな。
梅干しが文献上初出とされてるのは、これ日本の話ですけど、
948年、平安時代の中期です。
平安時代ね。
ちなみにこのくらいから徐々にですね、桜が逆転し始めるんですけどね、人気はね。
結構早い段階では変わってくるんだね。
平安時代の途中から桜の方が人気が上がってくるという謎の挙動をするんですけど、
そこは掘ってません。
いやもうそこ掘ったら切れないこれ。
そうですね。
やっとね、948年時の天皇陛下がね、村上天皇ですね。
12:04
病の治療に梅干しと昆布を入れたお茶、これを飲むんです。
おお、なんか今も使われてそうだね。
そうですね。
これで一発で治るみたい。
一発で治るか?
本当か?謎ですけど。
まあそれぐらい功能があったってね。
でね、たぶんこの948年っていうのがまだ空海最長の時代なんですよ。
で、英才が日本にお茶の種を持ってくるのが1100年代なので、
ほう。
で当然、煎茶が生まれるのってもっともっとずっと後じゃないですか。
うーん。
だからたぶんこの頃ね、暖茶か、抹茶かな?暖茶かな?っていう感じですね。
ああそうなんだね。
だいぶ渋いものだったと思われます。
ほうほう。
これが実は伝説として残ってて、後々復刻するんですけどね。
へえ、復刻までするんだね。
するんです。ちゃんと江戸時代に復活するんですよ。
ほう。
日本人は演技担ぎ大好きなんで。
うんうんうん。
この時期でいくとね、維新型っていう本が出版されます。984年です。
これは日本最古の医学書。
ああ、医学書。
維新型っていうのは、医学の医に心に、方向の方の字で維新型ですね。
ほう。
この中に梅がもう出てきますね。梅干しですね、梅も。
へえ。
味は酸。
へえ、へえっていうのは、熱なのか冷ます方なのかっていう東洋医学の考え方ですね。
うーん。
で、無毒。
毒気っていうのは本当の毒ではなくてですね、悪があるかとかね。
うーん。
ちょっとした毒気があるっていう言い方をしますよね。
生物食べるとちょっと毒があるというような言い方をするのが、この中では無毒というふうに表現されてます。
ほう。
気を落とし、熱を除くっていうのはある。これはね、えーと、体温を下げるとか、気を落とすっていうのは、カッカしたのを沈めるっていう意味ですね。
ああ、よく言うね。
はい。
心の臓を沈め、死死身体の痛みや手足の麻痺なども治し、万能ですね。
めちゃくちゃ万能やね。
かつ、皮膚の荒れ、萎縮を治すのに用いられる。下痢を止め、口の渇きを止めると。
はあ。
なんでね、梅干しをそのまま食べるというよりも、それもあったっぽいんですけど、どっちかと省薬として何かと調合して食べたりとか、あとシップみたいにして貼って使ったりとか、そういうようなふうな使い方が多かったようですね。
シップね。
うん。
へえ。
だいたい肌の荒れとか言ってますから、傷を治したりとかね。
傷を治んだね。
多分ね、傷治すっていうよりは抗菌作用があるので、消毒の代わりに使った可能性があるかなって勝手に僕は思ってますけどね。
ああ、それもあるかもね。
ただね、梅干しを使うのは、梅干しだって当時は塩漬けの状態ですけど、これを用いてるのは貴族だけです。
ああ、そうなんだ。
まず梅干しが手がかかるし、塩そのものが貴重品なので、それを使って加工する時点で貴重品だってこともあります。
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うんうん。
あとね、人気ない。
人気ない?
しょっぱすぎる。
ああ、その当時もしょっぱいのダメだったわけ?
だってほら、今でも18%、20%って喉にウワッてくるじゃないですか。慣れてるから食べれるのよ。
うん。
それは僕らが普段から食べ慣れてきて、ある意味洗脳されてるとか教育された結果、梅干しを食べれるようになってるだけってことで、
例えば外国人で酸っぱいしょっぱいとかそういうのあんま気にしてないような人に、はいって渡すと、しょっぱいか酸っぱいかのどっちかで上って。
ああ、まあ刺身食べさせられるものか。
もっとだと思います。
もっと衝撃的。
なんかのね、記事にも出てましたけど、ヨーロッパ人に食べさせたところは、ほとんどの人たちがこんなのは人間の食べるものじゃないと。
へえ、そんな評価なんだ梅干しって。
はい、そうなんですよ。
へえ。
結構そういう食品って世の中にあるじゃないですか、世界一臭いニシンの缶詰ありますよね。
あれ僕ら化したら本当に人間の食べるものじゃないって感覚しちゃいますけど、近地の人たちはあれで慣れちゃってるから美味しいんですよ。
うーん、納豆とかね。
多分ね、ある程度肯定的なり環境因子でもって慣らされてきて、そこに馴染んでいくうちに文化として定着してうまいなっていうふうに変わっていくことがあるのかなっていうふうには思いますね。
はあ、そういうことね。
なんで、しばらくね、これは区芸貴族のものであって、しかもどちらかというと食べ物ではなくて薬として扱われてますね。
はあ、そうなんだ。
で、これを食べ物に置き換える前哨戦みたいなのをやったのは武士です。
はあ、武士。
はい、鎌倉時代ですね。
ああ、鎌倉ね。
はい。お酒のシリーズの中でも鎌倉武士の生活っていうのはちょっと触れましたけど、
この人たちっていうのは貴族に対するカウンターカルチャーっていうのを持ってるんですね。
はあ、カウンターカルチャー。
あのように贅沢をしてブクブク太っている。
普段から酔っ払っていて、敵に責められた時に武士道不心みたいな負け方をすると。
こういう堕落したのはダメだから失踪奸役、失実豪賢というような生活を主導した文化を築いていくわけですね。
だから日頃から養成をせねばいかんと。異色道賢者ということで、鎌倉時代、お膳の上に梅干しが登場するようになります。
まあ商薬なんで毎日食っとけよと、みたいな感じになっていくんですよね。
寛邦って毎日ちょっとずつっていうのがいいっていうもんね。
そうですね。未病の考え方に通じるところなのかなというふうに思います。
ちょっとこれは僕の想像なんですけど、この時代にちょうどお茶を持ってきた英才っていうのが来ますよね。
で、喫茶用蒸気みたいなものを書いて、お茶を飲むといいよとか、桑の功能がこうだよみたいなことを将軍内侍は執権に対してするわけですよ。
この影響ってもしかしたらあるのかなって勝手に想像しましたけどね。
影響というのは?
梅干しがというだけじゃなくて、普段から養生しておいた方がいいよ、体に気をつけた方がいいよ、みたいなことがこの時点でインプットされた可能性もあるかなと。
18:05
そういうことね。そうか、健康のために食べておいた方がいいよっていう考え方ね。
その可能性があるから。まあどの道将軍家が有名無実になって執権法条家の天下になった頃から途中から酒盛り始めたりするんですけどね。
贅沢座言もしたんですけど、 平沢がいた頃ってのは頼朝から三代将軍くらいまでの期間が中心ですんで、
その辺が伝わったのかなというふうに考えられます。
これは僕の意見ですね。この頃、正月行事に横斑振る舞いというのが成立をします。
横斑振る舞い。
出ましたね。これね僕ちょっと日本宗会の訂正補足をしておかなければいかないんですけど、
今の横斑振る舞いの語源は平安時代からある大禅のことかなっていうふうに僕ちょっとね、早途中止してまして、
正確にはこの正月行事鎌倉時代に成立した横斑振る舞いが語源のようですね。
ワンメシって書いて横斑です。
ワンメシ。
これはですね元旦元日からですね数日間行われる行事で、
主要御家人、鎌倉の十三人みたいな大学でもやってますよね。
メインになる主要御家人が将軍に対して横斑を立て祀る。
上司が奢るんじゃなくて上に対して立て祀る。
ああそういうことなんだ。
そういう行事ですね。
へえ。
これは後々の庶民の間にも広がっていくのはちょっとだけ日本宗の会で触れた、
親方に対して日本酒を持っていくとか、
横斑のようなものを持っていってその代わりは親方が酒を振る舞うとか、
そういった風に風習が広がっていく元になったものですね。
ああそっちなんだね。
この横斑の話なんですけど、横斑の中身です。
はい。
これがアワビ、高級品ですね。
クラゲ。
クラゲ。
これもちょっとね高級品なのかどうかわかんないですけど、
貴重品なのかもわかんないですね。
貴重品なのかもわかんないですね。
そこに梅干し、味付けに塩と酢と書いてありました。
ああ味付けに塩と酢でそこに梅干しが入ってくるね。
お膳の上に梅干しがちょんと乗るのがだんだんと定番化する位置になったということでしょうね。
ああそういうことだね。
実はですね、これ今ここで梅干しっていうキーワードとお正月というキーワード出しましたけど、
これがまた江戸時代にふっと現れるんですよ。
ああそうなの?
こんなとこに伏線あったやんみたいな。
これは鎌倉の話だもんね。
これ鎌倉時代の話ですね。それこそ鎌倉時代初期の話です。1200年頃の話ですね。
まあ将軍様がこんなことやってますので、当然主要御家人も梅干し食べるようになりますよね。
そうすると御家人さんたちみんなこの梅干し真似するんですよ。
真似したんだね。
21:01
薬膳食としてね、だんだんと定着をしていく。
これ薬だと思って食べたらね、慣れてくるっすね。
しょっぱいっていうのが意外といけるかも。米と一緒に食ったらうめえじゃねえかみたいな。
まあ味付けに塩と酢とか食べてたもんね。
そっちの慣れもあるでしょうね。
その辺で慣れていったことが一つの要因と、もう一つ梅干しにはとてもいい効能というか使い道があってですね。
まず第一に長期保存が可能なんですよ。
ああ長期保存ね。
白飯だけ食べるのもまあいいんですけど、この当時は家庭飯だったりとかね、するわけじゃないですか。
そんな中でおかずを確保するのってのはなかなか至難の時代なんですね。
特に戦が始まっちゃうと。
ああ戦ね。
挑ませにゃあかん。そんな時にですよ。梅干しっていうのは本当に役に立つ。
味噌みたいなこと言ってんな。
そう。梅干し一個あれば飯食えるみたいな。
いうことが出始めるんですね。
しかも軽いしちっちゃいし持ち運べるし。
そうだね。液体じゃないからかさばんないしね。
現代人の我々にあまりピンとこないですけど、ちょっと前までの日本人っていうのは、ちょっとのおかずでどれだけたくさん米食えるかっていう話なんですよ。
ああ今の俺と一緒だね。
もうタクとそっくりそのまま。
俺は昔の人だったんだ。
もうワンバンするみたいな感じですよ。
もう梅干しなんてうってつけの食材。
しかも梅の木ってもともと観賞用にたくさんあったわけなんで、梅の実って比較的手に入れやすい。
あと塩さえなんとかなれば誰でもできると。
これちょっと味噌汁の会にもちょろっと触れてますけど、このぐらいの時代から味噌が一般化してくるんですね。
ああはいはいあったね。
つまりこれは僕の推測ですけど、おそらくは塩がある程度取れるようになってくる。
まあ味噌作るにも塩必要だもんね。
省塩耕養性の影響かなっていうふうに勝手に思ったりはするんですけどね。流通が発展してきた時代でもあるので。
比較的それまでに比べると手に入れられる環境になったであろうというふうになることがいると思います。
さらにこの先梅の木植えまくるんですよ。
まだ植えんの?
何かっていうとですね、鎌倉時代から室町時代にかけてっていうのは戦の多い時代なわけですよ。
ここからどんどん戦増えていくんですよね。
まだ増えるのか。
要は鎌倉時代が滅ぼされるときに上級の乱とかが起こってさ、
足利尊氏が室町幕府立てるまでにバカスカバカスカ戦いをするわけですよ。
足利義光くらいの時は安定はそこそこ沈むようになりましたけど、
それでも南北朝時代ってまだバチバチ、頂点2つある時代でバチバチやってたりしますし、
そこから8代9代あたりになるともうそろそろ黄泉の乱が見え隠れする頃なんで、
そこから先はもうご存知戦国時代突入ですから。
24:00
結構日本の歴史の中でも鎌倉時代後期から室町時代っていうのはバトルの多い時期なんですね。
このバトルの時に梅干しめっちゃ活躍すんの。
持ち運びに便利っていうのはね、かなり有効だよね。
水が手に入らない時は梅干し舐めておけばさ、なんなら舐めずに見るだけでさ、
ちょっと喉の渇きがうろうったりするわけだし、実際見るだけってのもあるみたいなんで。
傷の消毒にもできるしさ、食中毒の予防にもいいし、なんなら疲労回復してくれるし、
伝染病の予防なんかにもいいし、ちっちゃいし軽いし。
まあ熱中症を予防できるね。
そうだ確かに。
味噌にもあったけど、熱中症予防って結構重要だったみたいなね。
熱い中戦いに出なきゃいけないわけですからね。
そうなんですよ。冬場はほとんど戦いがないと言われてる時代ですから。
戦えないところも結構多い。雪降ってるところとか。
雪だからね。
夏と冬に集中するんですよ。
春と秋は田植えと稲刈りで無理ですから。
そうなんだよね。
冬は出てこれない人たちがいるから一番多いのが夏で次に冬でってみたいな。
それで歴史上で夏の陣とか冬の陣ってどっちかなんだね。
そういうのが多いっすねやっぱりね。
何とかの夏の陣で何とかの冬の陣で。
あ、春と秋ねえんだなと思って。
農民たまったもんじゃないから。
そうだね。
まあ信長以降はね、重軍専用の専門の武士団っていうのが徐々に登場しますけど。
大阪の陣の頃まで結局半分半分は抜け切れてないですからね。
そんな人口いないよね。
そうなんですよ。
だからやっぱりこういう時に食中毒予防としては梅ってすごく重要な立場になるので、戦略武士になってくるんですよ。
重要なとこだね。
で、これね、兵廊岩ってあるじゃないですか。
兵廊岩。
忍者が使うのもあるし、武士団がカロリーメイトみたいなやつ、完全英書みたいなパクッと食べるやつがあるんですよね。
あれの種類の中に炊活岩っていうのがあるんですよ。
炊活岩。
水に乾くに丸って書いて炊活岩。これは兵廊岩とセットだったみたいなんですね。
ああそうなんだ。
なんで兵廊岩は主にエネルギー摂取ですよね。
炊活岩っていうのは梅干しをベースに調合されたもので、喉の渇きを抑える目的で作られたみたいですね。
ああ、そんなのもあったんだね。
昆布のエキスとかそういうのも全部一緒に練り込んであって、
まあ表現として面白いなと思ったのは、とっても栄養価の高いガムとか飴みたいな感じ。
それを口の中でコロコロしとけばいいよみたいな感じで炊活岩っていうのも生み出されていくと。
へえ、そんなのもあったんだね。
やっとこれで梅干しが登場して、日常生活にちょっと近づいてきた。
27:01
でもまだ健康食、消薬とか漢方薬の息は出てない。
まだそうだね。
これがこの後梅干しが登場する前提になります。
ここからなんだ。
ここからなんです。
この下りがないとできないんだ。
これがあって急に来たみたいな感じ。
ああ、そうなんだ。
というところで梅干しの歴史全編でございます。
全編ね。じゃあ後編があるでね。
今回はね情報量多い割には僕がサクサク進めてしまったせいで雑談なくすっきり終わってると思います。
そうね、バッと詰め込まれたから俺もあんまり突っ込むとこなかったね。
そうですね。ちょっと今ね梅と蜂蜜と焼酎のパワーで喉の調子めっちゃいいんすよ。
ああそう。もう若干俺眠いよもう。
歴史の話急に眠くなる。トーンダウンする。
いやいやいやこっから面白いところじゃない。
じゃあ次回に期待しとこうかな。
そうですね。
はい。ということで今回はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
28:22

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