次はね、【つなぎを使ったそば切り】。
【つなぎを使ったそば切り】。
あの、とわりそば、きこうちそばもいいんですけど、
つなぎはつなぎでね、みんな歴史上すごく苦労してるんですね。
あー、そういうことね。
もう、いろいろと考えてる。
そうか、さっきまではそばだけなんだね。
そばだけの話ですね。
実はですね、【料理物語】。
1643年。
ここにももう、つなぎの話は出ています。
あとね、小麦粉を使うっていうのも出てはいるんですけども、
ほら、ちょっとお話ししたかな。
古くなった小そば。
小そば。
小米と一緒だね。古そばね。
秋にとって翌年の夏ぐらいになると、だんだん劣化してくると。
そうするとつなぎの力とかも弱くなってくるし、
そもそも香りも飛んできてるんで、
小麦粉を少し入れてつなぎに使う場合もあるよっていうことを書いてあるんですけど、
そもそもね、【料理物語】の中で、
まずそばを打つときはこうするっていうのが書いてあってですね。
飯の鳥油にてこねてそらえてきち。
飯の鳥油わかりますか。
飯の鳥油。
これはね、ご飯を炊く炊き方なんですけど、
江戸時代のご飯の炊き方ってゆとり法が主だったんですよ。
あったね、お米のシリーズ。
お米のシリーズ聞いてください。
もう一回おさらいでいくと、ざくっと鍋にお湯を沸かしますと。
米茹でるっす、簡単に言うと。
パスタみたいにね、そばとかみたいにバーって茹でます。
そしたら、そのお湯多すぎるわけじゃないですか。
多いね。
こぼすんですね。
そう言ってたね。
で、少し火を入れて、で、火止めて蒸すと。
これが基本的なゆとり法ですね。
あれだっけ、粘り気があると日持ちじゃないけど、一日持たないからっていうの。
あれだっけか。
そうですそうです。
その方がね、食べやすいらしくて。
ちょっと澱粉多すぎるから抜きたかったってことね。
そうなんです。
ということはですよ、このゆとり法で捨てるところの鳥油ですね。
これ澱粉がいっぱいあるわけですね。
そうね、まあ海苔だね。
ちなみにこれを詰めたのが当時の海苔ですわ。
そうなの?
そうですそうです。
ちゃんと使ってたんだ。
はい、澱粉糊としてね。
だから今も生じ、澱粉糊なんだ。
そうなんですよ。
おねばって僕ら言いますけどね。
おねばっていうね。
もともとはこういうところから廃品利用でね、捨てないようにもったいないから使うと。
おねばってそういうことね、使ってたの。
もったいないから詰めて使うわけですね。
はいはいはい。
これをつなぎに使うんですよ、要は。
飯の鳥油を使ってこねるといいよっていうことです、まず。
またはぬるま湯に行ってもOK。
ぬるま湯でこねても頑張れよって話。
つなぎしてねえけどって。
または豆腐をすり、水にてこね申しことあり。
豆腐をすり?
豆腐をすりつぶすんですよ。
でそれを混ぜて、つなぎとして混ぜて、あと普通にそば粉と水入れてこねますよって話ですね。
そうなんだ。
多分豆腐のタンパク質をつなぎに使ってるんだと思います。
すごい日持ち悪くなりそう。
もともと冷蔵庫ないからあれなのかもしれんけどさ、毎日打つもんかもしれんけど。
なんか暑くなったら豆腐とか痛むじゃん。
あんな感じで痛むのかな。
どうやってたんだろうね。
まあでも基本的にそば切りの始まりの頃っていうのは日持ちとかじゃないですからね。
晴れの日に食べるもんなんで作ってその日のうちに食べる以上。
あそうか晴れの日の食事なんだ。
そうなんですよ。
次のこのシリーズの話どんどん出てきちゃったな。
そうなんだね。
まあそんな感じでね初期からつなぎに関しては割と工夫をし始めていますね。
多分ね感覚というか僕が思うに想像ですけど、17世紀の中頃つまり1650年前後ですね。
この頃に中国大陸からお坊さんたちが移住してくる時期なんですよね。
結構交流もあっていろいろ来るんですけど。
その時に小麦でつなぐという技術が入ってきたんじゃないかなっていう想像がつくんですね。
小麦粉と一緒に?
小麦粉とかあと粉の技術ですね。
粉物の食文化みたいなのが入ってくるんですよ。
これ何かっていうと前々回くらいにお話しましたけど、
漆黒不茶料理のルーツを持ってるね。
中国由来の粉食文化みたいなのが日本に入ってくる。
これはもう不茶料理といえば大爆臭ですよ。
陰厳禅師がやってくるのが大体17世紀の中頃なので。
ちょうどその頃かなっていう感じはしますよね。
なおかつ禅宗、臨済宗ですから。
陰厳禅師も元々は。
そういう精進料理にルーツを持つ粉を使った技術が入ってきたのも大体同じくらいの時期ですね。
っていうのと、そもそも蕎麦切りっていうのはお寺で食べられた、
寺方蕎麦とか言いますけど、
お寺で食べられ始めてそれがだんだん庶民に広まっていったよみたいな感じなんですけど、
庶民で例えば弁料理の蕎麦が広まっていく過程って一番最初うどん屋が片手前に蕎麦を売るところから始まるんですよ。
そう言ってたね。うどんは売ってたけど蕎麦はもうついでにって言ったもんね。
そんな感じで始まるんですね。
ということはうどん粉なんか当たり前なんですよ彼らにとって。
確かに。
こっちがグルテンでコシがあるんだったら混ぜりゃいいんじゃねって話にはなりますよね。
まあなるよね。
まあ多分そんなところで小麦粉が主流になっていったし安いし。
安いんだ。
日持ちするしそもそも。
小麦粉自体が日持ちするじゃないですか。
まあね。
そういうのもあって一般に普及しやすかったという風に考えられるんじゃないかなと思いますね。
特に江戸では江戸近郊で麦作り始めた時期もこの頃なんでね。
江戸近郊でも作ってたんだね。
作ってたんですよ。
武蔵野大地で小麦粉作るんですよ。
へえそうなんだ。
武蔵野大地というと今荻窪吉祥寺三鷹のあれあの辺り全部武蔵野大地ですね。
中央戦線で行くと。
そうね名前もちゃんと残ってるしね。
南の方もだいぶ武蔵野大地の上だし練馬とかね北の方もね。
そこに勤めてるお医者さんも一緒についてきますから。
そこにいる間に奇襲の田舎もんって言われないように色々と書いてですね。
後輩がやってきた時にこれを読んで江戸ってこういう文化だから。
江戸たちと文化全然違うから一応知っといた方がいいよねっていう記録残してるんですよ。
なぜかタイトル江戸自慢なんですけど。
お前が自慢すんなって話なんだよね。
江戸の人間ではないのにね。
江戸のことを江戸っ子たちはこういうのを自慢にしてるぜっていうのを奇襲班氏の目から書いているのがあって。
江戸そばはツナギに卵ではなく小麦粉を使うから口触りが怖く胸に使える。
三倍とは食えぬ。
だいぶ言い切ったね。
そういう風に言ってます。
自慢してんのこれ。
ただし汁は極上。
そっちね。
これ前回の話ですね。
この鰹節と濃い口醤油がめちゃくちゃいいと。
コクも旨味もあるしね。
これメモしてもらったんですけどこの続きがあってですね。
和歌山のそばと江戸の汁を組み合わせたら多分無限に食えそうだなって書いてある。
それはあなたの主観でしょって。
あなたの感想です。
この人の感想ですね。
でも実際あれらしいですよ。
卵をツナギに使うと煮崩れしにくくて角が立ったままあって食感もいいよっていうことらしいですね。
まあそうだろうね。
これがちょっと変わりどころかな。
あとね多いのはヤマイモ系ですね。
ヤマイモ。
トロロ。
ヤマイモをすりおろしてそれを水で薄めるんですね。
だからヤマイモ100%のトロロだわ。
味噌汁じゃなくて。
そういう感じのをツナギに使う。
これはね日本全国各地に見られるのでどこってことはないですね。
ヤマイモはね今もどこでも取れるからね。
確かにカンメンでも結構ヤマイモを使ったそばとか当たり前のように売ってますからね。
あー書いてあるね。
書いてありますね。
味わいが良く喉越しが良くてそばの風味を引き立てるのでよしみたいな。
そうね。
そんな感じですかね。
確かにね。今も日本の家庭料理は意外とヤマイモを使うからね。
そうですね。
ツナギにね。
食感とかツナギとか色々だけど。
結構色々と買い道がある。
そばにも転用した可能性が高いですね。
あとはあれだね。
大豆系でいくとゴジルとか大豆とかそのものですよね。
豆腐すりつぶして入れたじゃないですか。
はいはい。
だったら豆乳で良くね。
まあね確かに。
固める前の豆乳入れてつなぐっていうのは津軽そばとか有名ですけど。
津軽そばってそうなんだ。
らしいですね。
これね特徴的なのがゴジルをツナギに使うと
茹でた後もあんまり伸びないんでしばらく持つらしいですよ。
そうなんだ。
だからあったかいそばにした時に伸びにくいとかね。
はいはいはい。
っていう感じなので
茹でた後伸びにくいそばって売ってますよね。
カンメンとかで。
割と大豆系のタンパクを入れてるところもあるらしい。
確かに。
作った豆腐って水に入れても水吸わないもんね。
あんまり。
だったらゴジルでよくね。
確かに。
っていう感じ。
すごいね。
あとはもう変わり種ですけど
ふのり。
海藻ね。
海藻。
海藻じゃないけどふのりっていうのがあって
これをツナギに使ったそばっていうのもありますね。
そうなんだ。
新潟県名物のヘギそばです。
ヘギそば。
聞いたことない?
聞いたことあるね。
山形の板そば、新潟のヘギそばっていうのは有名ですね。
聞いたことないけど。
ヘギそばはね割と歴史新しいですよだいぶ。
そうなんですか。
これも近代入ってからですね。
これを開発した人がいますから明確に分かってますんで。
で現在そのヘギそばの発明した人が作った会社があって
今3代目とかそんなくらいなんで。
海藻を入れてる時点で納得されやすくなってるもんね。
当時の過去のどりの取り方だとさ。
痛みやすそうじゃない?
どうなんでしょうね。
僕一回行った時に食べましたけどおいしいですよ。
まあおいしいだろうね。
香りも良くてね。
そりゃね。
これはエピソードがヘギそばが生まれた由来エピソードを読みましたけど面白かった。
読んだね。
読んだ読んだ。
ザクッといくと新潟っていうのはかなり昔から織物布の町なんです。
新潟縮みとかねいうのがあって。
これだったら平安時代とか奈良時代からあるような名産なんですよ。
そこに糊を使うんですね。
糊を使う。
糊というのは繊維を伸ばす時にいわゆる洗濯糊みたいな感じで糊を使わなきゃいけない。
これじゃがいもシリーズの時にもじゃがいもから作った澱粉を使えますよみたいな話をチラリとしたと思います。
新潟地方の新潟縮みでは布糊の粘り気を使って糸を伸ばしたりとかしてたらしいんですよ。
これに目をつけてこれをうまく転用できないかなっていうところで
蕎麦に入れてヘギ蕎麦が有名になったということだそうです。
こんな感じの繋ぎを使った蕎麦というのはバリエーションがこれ以外にも多分あるんですよね。
いろいろと頑張ってきた歴史があるということですね。
全国であるのかな蕎麦って。
全国でかなり広く分布してます。
青森まで行っちゃってるもんね。
それは元が急行作物からスタートしてるからなんですけどね。
その辺の話はおいおい次回以降でしていこうかなと思いますが。
一応最後に補足情報みたいな感じなんですけど
この蕎麦の汁にしても麺にしても結構技術発展頑張ってるじゃないですか。
蕎麦の中に触性があったりとかギルド的な存在があったりして
これを苦伝で持って仲間内で持って技術を高め合うみたいな
そういう仕組みがあったんですよね。
江戸の後半くらいだから明確にどの辺っていうのは分かんないんですけど
19世紀に入った頃1800年に入った頃にはもうおそらくあったんじゃないかなっていう風に言われてますね。
現代でも食性って分かります?
食性?
職業の職に制度の性なんですけど
例えば僕らみたいな解析料理だと炒まえっていうのがいて
煮方っていうのがいて揚げ場がいて焼き方がいてみたいな
そんな感じの食性っていうのがありますよね。
蕎麦屋には蕎麦屋の食性があって
炒まえ、蒲まえ、中大、中大ともいいます。
あと花番、外番とかこういうような食性がありますね。
これとは別に粉引き職人っていうのは別口で違うギルトグループ持って検査してるわけですね。
だから蒲まえって何やる人かっていうと茹でる専門家。
茹でる専門家?
茹でるだけ。
その代わりこの茹でるに関してスペシャリストになってくるんですよ。
それだけ難しいということか。
炒まえっていうのはもう僕らの料理人の炒まえと違ってもう麺作りの人。
麺だけ作るスペシャリスト。
麺ってその場で打ってるから日によってちょっと変わったりするじゃないですか。
湿度の問題とかなんかでいろいろ変わりますよね。
その状況を見て適切に蒲まえの人が茹でる。
そういうことか。
お客さんが席に座ってどのタイミングで出すか。
中大の人っていうのは種物、天ぷらとかそういう種を用意する人なんですけど
中大の人と蒲まえの人があうんの呼吸でタイミングを見計らってですね。
天ぷらが上がってないのに蕎麦が茹で上がったらこれは伸びますよね。
逆でも今度天ぷらがしなってきちゃいますよね。
このジャストタイミングを見計らってですね。
でこの花番っていうのは中井さんなんですよ。ホールスタッフ。
でホールスタッフの今手が空いてるとか空いてないとかっていうのを見ながら
これを中大さんが中継をしていいタイミングで回していくっていうね。
どこまでやんねんっていうくらいこだわりを持った食製っていうのがあるんですね。
そこから育ってきたら次はどこの店に行って中田やる花番やる釜前やるって言ってステップアップ。
作り業界って店を移りながらステップアップする文化があるじゃないですか。
これの仲介をずっとこの口入れ宿がやってきて明治ぐらいまでずっとつながっていたそうですね。
こういうことをやってるから店を変わることに技術も横に広がっていくし自分たちも学んでいくんでどんどんどんどん高まっていくんですよ。
結果麺が細くなってコシが効いてきてさっと茹でられるようになって。
これが麺屋さんっていうのが出てきたときに麺作るだけの専門店とかが出てくるんですね。
これが屋台とかそういうところに下ろされるようになってくると自分で打たなくてもできるっていう店も出てくる。
っていうのが実はこの口入れ宿いわゆるギルドビ的なものが支えて江戸の蕎麦文化をブーストさせてきたみたいなね。
そうなんだ。すごいね。蕎麦屋っていうか蕎麦だけのギルドみたいなのがあるっていう。
そこまでこだわったんだね。
そのぐらい江戸っ子の蕎麦愛が強い。
まあね確かにこれ消費者側がね。食べる側がいっぱいないとまずこうはならないし。
はじめの頃は物資階級は食べなかったらしいんですよ。
一番最初は食べたけど一回蕎麦が庶民化しました。
しかも安い二八蕎麦とかになっちゃいました。
そういう安物は物資は食わないという時代が一回あるんだけど途中からやっぱうまいよねって言って物資階級もだんだん広がって食べるようになってくる。
その過程でもってこだわりのいろんなのがバーって出てきて。
江戸市民みな蕎麦食うみたいな。
結構な店舗数あったもんね。
そうなんですよ。
そんな食べるなってぐらい。
これでわかりましたよね。東西の蕎麦対うどん。江戸は蕎麦関西はうどん。
これはそういうバトルをしていたのではなくて江戸もうどんだったんだけど蕎麦人気がすごすぎて上書きされたってだけですね。
そういうことね。
そういうことです。
そう考えると今駆け川の深夜帯に蕎麦とうどん出してる店、専門はないね。
ないですね。
ラーメン屋ばっかりだね。
はい。
意外と需要あるのかな。
あるんじゃないですか。それでいくと蕎麦文化がラーメンに上書きされた感が若干ありますけど。
あるけどやっぱりあっさりなやつが食べたい人もいるじゃん。スープがだけとかさ。
いいですね。僕はお酒を飲むのを中心とした蕎麦屋やりたいですね。
いいね。元の戻ってるよね。
それ本編で喋るのどうしようかな。やめようかと思ったけどいずれするかもしれません。
そうなんだ。
蕎麦前の話をね。
蕎麦前。
蕎麦の前に一杯やるから蕎麦前っていうね。意気じゃない?表現がおしゃれよね。
そうなんだ。
天ぷらの抜きとかね。
天ぷらの抜き?
天ぷら蕎麦の麺抜き。
ほう。まあまあ天つゆ代わりか。
うん。もう舌してあるね。
うんうんうん。
もう天ぷらの揚げ出しと言ってて弱い。
はいはいはい。
それをつまみに一杯やる。
まあ美味しいよね。
絶対美味い。
で、最後に麺食べる。
最後には麺食べるんだ。
麺入れて食べる。
ああそうか。伸びちゃうからね。
蕎麦前。一杯やるときのあてに天ぷら行くとかね。
ああそうね。それ今ちゃんとメニューとして出したら面白いかもね。
まああると思いますよ。まあ今でも江戸蕎麦行くとね。やってる店やってますよ。