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お聞きの皆様、おはこんばんちは。現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。
今ですね、日曜日の夜8時からNHKの大河ドラマ、べらぼうをやっているんですけれども、
これをね、毎週楽しみにね、今回はリアタイでね、見ようと思ってずっと見てるんですけれども、
大変面白いんですよね。一つね、思っているのが、かなりね、真実に忠実に描いていて、今までのNHKではね、ちょっと考えられないぐらい、なんか責めてるなと思うんですよね。
昨年の光る君へも、私とジュリナオさんとマリミハさんとで、年明けに対談したんですけれども、
あちらもね、大傑作で素晴らしい内容だったんですよね。今回もやはりね、すごく責めてるんですよね。
だからね、ちょっとNHKの大河ドラマがちょっと変わってきたんじゃないかなと思ってね、大変楽しみにしてるんですけれども、
今回ね、すごいなと思っているのが、この芸が堂々と出てきてるんですよね。
芸男色の人ですよね。この代表的な人として、平場玄内っていうね、この人は江戸時代のスーパースターなんですけれども、
この人はね、マルチタレントっていうかね、本当にいろんな才能を持ってた人なんですよね。
例えばですね、蘭学者であり、医者でもあって、科学者でもあって、
ジョールリーとか作ったりとかですね、文化人でもあって、詩人でもあって、コピーライター的なこともやってるんですよね。
庶民にとって一番有名なのは、土曜の牛の日はうなぎを食べようみたいなね、キャッチコピー作ったことで、
これのせいで、いまだにこの平川玄内がこういうキャッチコピー作ったために、この土曜の日にはうなぎ食べようみたいなね、
習慣が残るぐらいですね、いろんな隅々にまで、いろんな影響を残していった人なんですよね。
私みたいに電気関係の人にとってはですね、これオランダでしたっけね、オランダのエレキテルっていうね、自然電気発生装置ですよね、これを日本に広めたっていうね、
そういった功績もある人なんですよね。この人が実はゲイだったんですよね。これをね、夜8時のね、NHK大河ドラマでちゃんとね、ゲイだっていうことがね、
セキララにわかるように描いてるんですよね、ちゃんと男の恋人がいてね。あとはですね、前回西村雅彦っていうね、俳優さんが演じている、
この人はね、主人公のツタジューをね、やたら邪魔してくるビジネスマンですよね、出版関係の人っていう形になるんですかね。
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この役をね、この人も明らかにゲイとして描いてますね。この人に関して、西村や夜8時っていうね、
あの人の役なんですけれどね、この人が実際にゲイだったのかどうかっていうのは、私は全然詳しくないんですけれども、
まあでもこうやってね、描かれているってことはそうだったんだろうと思うんですよね。でもこういうのもね、以前だったらね、こんなにしっかりとね、描いてなかったんじゃないかなと思うんですよね。
ちょうどね、この蔦谷十三郎とか平場玄内が活躍した時代っていうのが、大体ね、おおよそ250年ぐらい前なんですね、今からね。
この時代っていうのは、実は大変、あの生に対して大らかだった時代なんですよね。まずですね、あの結婚というものは、
身分が高い人、だから武家とか貴族とかそういった人、あとは商人でもかなり成功していて、家がね強いようなところがしていることだったんですよね。
ほとんどの一般庶民とか農民に至ってはですね、通い込んでなんとなく寄生地図ができて、内縁関係みたいなものを結婚と言ってたんですよね。
だから正式に家と家が結びついてみたいな、そういうね、賢った結婚というものは全然なくて、すごく大らかだったんですよね。
なので、一応ね、夫婦っぽくしてるけれども、実は他に相手がいたりとか、他に通ってくる恋人がいたりということはね、すごく
大らかにしている時代だったと言われています。男尊女卑も、どちらかというと、女性も大らかに性を楽しめるような時代だったんですよね。
私、春画もね、結構好きなんですよね。春画っていうのは、もちろん昔のそういう性行為をしている浮世絵の絵なんですけれど、ものすごく見てて面白いんですよね。
これね、結構ね、オイランというか、売春婦と客の絵もたくさんあるんですけれど、
かなり女性が、大らかに性を楽しんでいる様子が結構描かれているものが多いんですよね。
それと、あと結婚していく娘に、娘の花嫁道具の中に春画っていうのはよくね、着物の一番下に春画が入っているっていう伝統があったらしいんですよね。
これは、若いね、嫁いでいく娘のために、性教育のために、こういった浮世絵で、春画、男と女が結合している絵をそっと忍ばせてね、親がさりげなくこういうことをあんたはこれからしなきゃいけないのよっていうことを示すためにね、春画を入れてたっていうのは、そんなね、習慣もあったらしいんですよね。
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つまり、割とね、女性の性っていうものが、それほどというか全くタブー視されてない時代だったと言えると思うんですよね。
で、私がね、去年の大吉原展に行って、素晴らしい展示会だったんですけれど、一つだけちょっと不満があったのが、影マジャヤをあまりフューチャーしてなかったということなんですよね。
で、影マジャヤっていうのは何かっていうと、男の風俗です。はい、あの、だから、男が男に春を売るっていうことですね。
で、若くて綺麗な美少年、美青年が体を売ったりっていうことがね、全然タブー視されずにあったんですよね。
実は日本がこういう男色って、つまりゲイですね。男と男の同性愛とかを厳しく禁じるようになったのは明治時代以降なんですよ。
要するにキリスト教が鎖国を解いて急激に西洋化しますよね。この時にキリスト教の概念が日本に入ってくるので、こういったね、すごくなんていうかな、この結婚外の恋愛とか、
あとそのもちろん同性の恋愛とかって全部タブー視されるように徐々になっていったんですよね。
ところがね、たった250年とかね、その300年前の日本人っていうのは大変大らかで、こういうゲイとか同性愛に対して全然差別意識がないし、
で、あのこの男女関係もね、実にいい加減というかね、フリーダムだったんですよね。
いい時代だったんですよね。とてもね、あのなんていうかな、こうやってベラボのドラマ見ててもね、ものすごくねカラフルで、なんか楽しそうで、
生き生きしてるんですけれど、実際はね、ものすごく火災も多いし、地震もね、あの時代からいろんな大きな地震が来たりしてしょっちゅう家が壊れたりね、何よりとても貧しくて、
基金も来たりとか、結構ね、庶民の暮らしっていうのは厳しかったと思うんですよね。そんな時にね、恋愛ぐらいしか楽しいことが正直ないというかね、恋愛って最大の娯楽かなというのがあってですね、
あのそういったところはね、あの大らかで、自然体だったんですよね。
でね、それがね、なんとなくこのベラボには割と描かれているなと思って、ちょっと嬉しいんですよね。
私は何が言いたいかというと、ちゃんとね、あの今の私たちが、なんかこう、これが恋愛だとかね、これがあるべきその結婚のシステムだとかって思い込んでいるものは、たったね、これが1000年前なら分かるんですけれど、
たったね、2、300年前って言ったらもうね、何代か、だから100歳近くまで生きるおじいちゃんおばあちゃんをたどっていったら、あっという間にたどり着くぐらい、割と最近の歴史までですね、日本人はとても自由だったっていうことを、やっぱりね、私たちはもう一度ね、そこを原点回帰するべきなんじゃないかなって思っていて、なんかね、すごく、あのなんかこうね、
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あのちょうど前回、山岸良幸の特集をしたんですけれども、いつの間にかですね、非常に、あの何か抑圧されて、これもね、やはり急激にね、戦後、あのもうね、原爆2つも落とされて、もう、もうね、もう、なんていうかな、もう壊れかけているようなね、あの国家が急激にね、わずか数十年で、
あのここまでのね、近代都市というかね、産業都市になったっていうのはね、相当に無理をしたっていうことだと思うんですよね。めちゃくちゃ無理して、とにかく男性はもう朝から晩まで、とにかく働きづめに働いてですね、代わりに男性が100%仕事に集中できるようにですね、
女性はもう家事と育児をもう全面的に負担するというかね、分担して、まあこのね、2つの車輪をね、もううわーっと漕いで、なんとかやってきたのが、まあ日本だったと思うんですよね、戦後のね、そこがね、やはり無理して、経済大国にはなったものの、まあその代償がね、あまりにも大きかったっていうのが、今なんじゃないかなと思うんですよね。
今というか、まあ私が子供の頃からずっと見てきている、いろんなこの、なんていうかな、この社会病理に現れてるんだと思うんですよね。これはね、もう私たちの世代よりも前、私の親の世代、団塊の世代からもうすでにね、ものすごく無理させられてるんですよね。
もうものすごく厳しく育てられてますし、まあ学生紛争とかありましたけどね、でも結局はものすごく、まあそんなにね、言われてるほど得してる世代っていうこともないように私は思いますね。あまりにも競争が激しかったですし、必ずしもね、みんながみんないい思いしてるとは思いません。
で、その後のバブル世代も同じくですよね。時代そのものは景気が良くて、確かに、あの、空に困るような人は少なかったかもしれません。それはね、私の世代も同じですね。あの、みんな、あの、1億総中流と言われて、みんながみんな大金持ちではないものの、みんなね、中3階級でそこそこ一つ一つの家庭が裕福だったので、大学とかにね、行かせるのに、あの、まあ
お金がないような家っていうのはあんまりなかったんですよね。で、今はもう全然違うじゃないですか。ものすごく貧富の差も広がってますしね。で、まあこれはでも、まあこれが本当に良いことか悪いことかっていうのはね、まあ単純には測れない
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なんですけれどね、この江戸時代の、まああのほとんどの人が貧しくて、まあ要はね、実の子供を女郎屋にね、売るぐらい貧しかったっていうね、ことを考えた時に、まあどれぐらいね、あのみんなが、あの、今の常識じゃ測れないんですよね。
です。なのでね、今のそのポリコレとかね、あのその去年の大吉原展でも感じたんですけれど、まあこんなね、あの女郎の気持ちを考えたらね、こんななんかこの吉原っていう場所をね、こんななんか一大そのなんかこうアミューズメントパークみたいな描き方そのおかしいとかってものすごくあの一部からその開催をね、反対するような声も上がったり、今のこのベラボーもまあこういうね、吉原ってまあ風俗街
をこんな風にね、華やかに描くっていうことに対してものすごく疑問視したりする、まあバカな論調が一部にあったりするんですけれど、まあとんでもないと思って、わずか250年から300年前とはいえ、まあ割と
なんていうかな、このこういうことが実際にあったんですからね。うん、あって、で、実はだから良いことも悪いこともいろいろあって、そういう非常に悪いこととしてはとにかく貧しかった。
一方ではですね、非常にその、あの、開放的、快楽的、陽気な、あの、まあ価値観だったっていうね、ことが、あの、挙げられると思います。
日本は比較的短期間に、あのね、あの急激なパラダイムシフトみたいなことが起こっちゃってることによって、なんかこういろいろいびつな部分ができちゃったのかなっていうことを改めてね、このベラボーを見ながら思ってたんですよね。
ずっと鎖国してね、もう極力外国の影響がないような国づくりをしてたのがね、いきなりあの、開国してね、急激に西洋の考え方とかが入ってきたり、でね、今度はまあ戦争でね、やけの原になって、まあ多分私が考えるに一番ね、あの、愛入れない国、アメリカにまあほぼ占領されて、今の日本というものがね、形作られていることを考えると、
かなりね過激というか、あの大規模なパラダイムシフトを短期間に経験している国なんだなということをまた改めて思ったりしました。
今回ね、また最後ベラボーの話なんですけれども、私は平賀玄内がね、もともと結構好きなんですね。歴史上の人物として、今回のドラマの中では、あの段階ジュニア世代の俳優である安田健がね、
すごい生き生きと平賀玄内を演じていて、もうすごくいいんですよね。で、あのね、この平賀玄内は、あのまあこの江戸時代の中で乱学者っていうね、だからオランダとか中国とかもう外国のね、いろんな
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学問とか情報とかをね、いち早く知って、そういったものを日本に紹介したりしたっていうね、功績もある人なんですよね。
だからこの人はだいぶ先の未来をね、もう見据えていたと思うんですよね。そういったところがちゃんとこのドラマの中にも描かれていて、
で、この主人公のあのスタジオにね、いろんなアドバイスをくれる人として出てくるんですけれど、
本当にね、時代をいつも先を行く人はいるんだなぁと思ってね、見ていたんです。はい、というわけでね、ベラボーめっちゃ面白いですっていうお話をしました。
ごきげんよう。