2025-02-14 43:56

【自己肯定感】についてクセ強な妻さんと語ります❗️

「自己肯定感を上げる方法」

クセ強な妻と、自己肯定感について語ります。

こんな方にオススメ▽
・自己肯定感が低い
・勉強してるけど、いまいちわからない
・人生が楽しくない…etc.

#自己肯定感 #インナーチャイルド #心理学 #夫婦配信
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https://stand.fm/channels/656722094db2e7bbf5fb6196
00:03
どうもー、こんにちはー、まーくんでーす。
えー、2月14日、お昼の生放送をやっていきまーす。
えー、この時間に僕が配信するということは、もうお相手はお馴染みになってきたかと思いますが、妻さんです。
自己紹介お願いします。
どうも、みなさん、こんにちは。私が妻です。
ありがとうございます。
さてさてさて、今日もまたテーマを持ってきてくださったんですよね、妻さん。
はい、テーマを持ってきました。
そしたら、そのテーマについてまた2人でお話をしていきたいと思います。
はい、よろしくお願いします。
お願いします。
じゃあ、テーマをお願いします。どうぞ。
はい、本日のテーマは、どどん!自己肯定感です。
自己肯定感についてお話をしていただきまーす。
妻さんのお話を聞きながら、2人で話そう。
はい。
書いていますよね、自己肯定感って。
ま、あるあるですね。
あるあるですね。どの辺があるある?
え、自己啓発界隈とか。
自己肯定感を上げる方法とか、高める方法とか。
あ、俺もよく配信するかもしれない。
そうですか。
やったことあるかも。
ま、あるあるで鉄板で。
ま、一定の人はたどり着くテーマかなと思って。
ままま、このチャンネルを聞いてくれてる方々にもね、なんか興味が持てるようなテーマかなと思って、
今日は選んできました。
ありがとうございます。
そして私は18、17、18から自己啓発マニアであり不明やですが、
自己肯定感についても長年研究、過去独断と偏見でしてまいりましたので、
本日はその研究成果を報告しにまいりました。
すごーい。え、研究何年なんですか?
え、わかんない。やばい。今計算したんだけど。
やばいね。
20年の研究ってすごいよ。
いやいや、最初の方は言語化できてないとか、感覚だけとかあるし、
そんなにちゃんと何百冊ってほどは本は読んでないし、多少読んだけど。
読みつつ自分の中で消化しつつ、いろいろ考えてきたってことですね。
研究報告でもあり、私自身が被験者でもあるので、
私自身の自己肯定感が低い状態からたどり着いた、今の状態。
その状態に関する考察と、この状態にたどり着くまでやったことというか、
03:07
そういうことをもろもろお話ししたいなと思ってきました。
いいねいいねいいね。どこから始めましょうかね。
まず、自己肯定感とは何か。
これはネットで調べて、ざっくり言うと読みますよ。
自己肯定感とは、自分自身を価値ある存在だと認める感覚のことを指します。
自分自身を価値ある存在だと認める感覚。
なんで言い直したの?
ちょっと早口だったから。
例え失敗や欠点があったとしても、自分はこれでいい、自分には存在する価値がある、
と思えることが自己肯定感の本質です。
自己肯定感の要素。
自己肯定感にはいくつかの側面があります。
1.自己需要。
これは自分の長所だけでなく、短所や良さも受け入れられる感覚。
完璧じゃなくても自分は自分でいいと思えること。
2.自己効力感。
これは自分ならできるという自信。
過去の成功体験や努力の積み重ねから生まれる。
3.自己尊重。
他人の評価に左右されず、自分を大切にする姿勢。
他人と比較しなくても自分には価値があると思えること。
これさ、この会話をやるにあたって用意してくれたんだよね。
ネット調べたりとか。
これ今読んでどうなんですか?個人的に。
ネットとか本とか、いろいろ書かれている。
絶対みんな同じこと書いてるから。
それはもちろん読んできましたし。
でもそれに対して思うこともあるから、きょうも来た。
前提として、
20歳前後の私。
18歳と書かない。
20歳前後の私。
基本的にずっと自己肯定感が低かったと思う。
大学生の時は自己肯定感が低い。
自分のことを自己肯定感が低いってずっと言ってたし、
心はそこから。
思ってました。
一般的に自己肯定感が低いとどうなるかというと、
失敗が多い。
失敗が多い。
失敗が多い。
一般的に自己肯定感が低いとどうなるかというと、
失敗を極端に恐れる。
他人の評価を過度に気にする。
自信が持てずチャレンジを避ける。
どうせ自分なんて言うと否定的な自己イメージを持つ。
要するに生きづらいわけですよ。
全然人生楽しくない。
だから自己肯定感が低い私は、
自己肯定感を上げたかった。
自己肯定感が高くなりたかったの。
自分の中でずっと練習。
大学生の時は私の横に
自己肯定感が高い。
06:00
高いというか、
メンタルが安定している方がいまして、
見たんですけど、
私も自己肯定感が高くなりたいなと思ってましたよ。
マークみたいに。
メンタル安定してるなみたいな。
一般的には自己肯定感が高い人の特徴は、
失敗しても学びがあった。
前向きとられる。
他人と比較せず自分のペースへ進める。
他人の意見に左右されすぎず自分の考えを持てる。
色々書いてあるんだけど、
これね、
自己肯定感が低かった私は、
自己肯定感が高くなりたかったの。
低いから、
高いところに行けると思ってたの。
何か自己肯定感が上がる方法を
どんどん試していけば、
何か高みに行けると。
自己肯定感的な高みに行けると思ってたの。
結果、20年経った今私は、
自己肯定感。
客観的に見ると、
別に今、生きづらくもないし、
人生楽しいし、
自分のこと責めたりとか、
自分のこと嫌いとかもないし、
全然日々自分のこと、自己肯定感低いとか思わないから、
裸から見ると、
自己肯定感高いとか、
自己肯定感上がった状態になってると思う。
昔の私が見たらね。
でもじゃあ、党の本人はどう思ってるかというと、
自己肯定感なんて気にしてないんですよ。
おー。
自己肯定感。
振り返れば上がったんだけど、
私って自己肯定感高いとか、
私って自分のこと好きとか、
一日でそのこと思ってない。
自己肯定感で気にしてない。
忘れてる。
自己肯定感のこと。
だから、自己肯定感が低い人のゴールは、
自己肯定感を忘れることなんです。
あー。
聞きながらすごく心当たりがあるんだけど。
そうなの?
多分、自己肯定感が高い低いっていう概念が生まれたのが、
多分、妻さんと出会ってとか、
そういうタイミングな気がするんですよ。
多分。
だから、自己肯定感っていう言葉は、
それまで僕の中にはなかったんだけど、
その僕を見て、妻さんは自己肯定感高いっていう風に見てたわけですよね。
そうそう。
あと、私の友達とか、
友達も類友だから、
自己肯定感低い友達の方が多かったんだけど、
高校とかも大学とかも。
なんだけど、知り合いはすごく多いから、
やっぱり自己肯定感高い人もいるんだ。
高そうに見える人もいる。
本人の中では分かんないけど、
肌から見ればね。
でも、そういう人はどういう人かっていうと、
人生楽しそうだし、
誰かと友達付き合いとかも楽しそうだし、
一日メンタル病んでないし、
ちょっと失敗したくらいじゃとかさ、
あと全然、
自分の他人感の評価とかも気にしてないとか、
そういうことなんだけど、
私は低いから高いって状態になることだと思ったんだけど、
結局は、
肌から見た自己肯定感の高い人は、
本人は自己肯定感とかに捉えてない。
話してると当たり前なんだけど、
09:00
すごく当たり前のことを話してるんだけど、
20代の私には分からなかった。
20代の時に、
私が思い描いてたイメージとか、
違う感じにたどり着いた感はある。
でも、究極は、
忘れることなんだなって思う。
忘れるためには、
自己肯定感に捉われない。
忘れるほど、
自分で見せないためには、
何が必要かっていうことを。
これ難しくない?
そう?
よくあるのが、
NLPとか、
神経言語プログラミングとかの話だと、
梅干しのことを考えないでくださいって言われると、
梅干しのことを考えて、
口の中が酸っぱくなっちゃうみたいな。
うんうん。
自己肯定感のことを忘れようと思って、
忘れようと思って、
自己肯定感の方に行っちゃうじゃん。
私は結果的に忘れたのは、
あくまで自己肯定感が低い時に
思い描いてたイメージとは違うよってことを
今、まず言いたくて、
結果的に、
忘れた状態、
ハッピーな状態、
でもハッピーな状態になるために、
何をどう考えて行き着いてきたのか。
さっき、
自己肯定感の要素で、
いくつか、
挙げました。
が、
自己需要って最初に挙げたんですけど、
うんうん。
これは自分の長所だけでなく、
短所や弱さも受け入れられる感覚、
完璧じゃなくても、
自分自身の感覚だけでなく、
自分自身の感覚、
完璧じゃなくても、
自分自身に良いと思えること。
まずここがベースなんだけど、
何かというと、
これは本来、
本来というか、望ましいのは、
これは親とか、
家庭で気づくものだった。
親との関係で、
気づくものだったと思います。
ベストはね。
これが、
ナチュラルに気づけている人は、
自分の感覚とか、
自己尊重のステップに進めるわけ。
でも、
これは親とか母親とか、
家庭との関係で、
自己需要ができていないと、
延々と自己需要のところへ
つまずくわけですよ。
例えば18歳とか、
だんだん家族から離れてても、
例えば、
母親との物理的接触が
少なくなってから、
でも、
結局は、
自分は自分でいいという感覚を
誰かに
求めてしまう。
うーん。
自分の中で処理ができなくて、
無意識にね。
でも、求めていることすら分からない。
これは、
自己需要とはちょっと違うかもしれないけど、
少し繋がる。
繋がると思うんだけど、
よく自分の人生のハンドルを
自分で握る
という言葉があるんですけど、
よくではないか。
12:01
その、
ここの自分の人生のハンドルを
自分で握っていないと
そもそも自分の人生スタートできないんですけど、
自分で
自分の人生のハンドルを
自分で握っていないということに気付けない。
ここの自分の人生のハンドルを
いつの間にか
母親が乗ってたんですよ、私は。
それこそ、子供の頃から
10代、20代、何度30代過ぎても
下手すると思ってたぐらいな勢いで。
これは具体的に言うと何かっていうと、
私は中学生とか高校とか
自分で好きな高校を選んでたし
自分のやりたい部活もやってたの。
大学も自分で選んでたの。
一見すると全然
母親がハンドル握ってないんだけど
なんて見えるんだけど
今思うと
うちの母親にとっては
教育とか、学校教育とか
大学とか、勉強とか、部活とか
学校に関わるものは
許される。
だからその中で
自由に住むのはいいの。
でもそこから外れた
母親の価値観から外れたものは
徹底的に休断される。
だから無意識に
そこの中で楽しめるものは
もちろん自分で選んでたし
ガンガンやってたんだけど
そこから外れることはやってなかった。
でも10代の私は確か
青年海外協力隊に行きたいとか
英語を学びたいとか
学校とか部活から外れる
外れた希望も持ってたんだよね。
確かね。
なんだけど
自分で選ばなかった。
どうせ怒られて急断されて
束縛されてって見えてるから
それはその時に意識してた?
意識…
どうせ海外行きたいとか
言ったらぶん殴られるなとか
それくらいには。
何かさ
そう、枠から外れると
すぐ急断されてたんですよね。
具体的に言うと過激なので
言わないんだけど
だから私は気づいたら
自由にやってたつもりなんだけど
自分の中で生きてた。
今振り返るとね。
でも大学生になって
自由な時間というか
大学行ったり
バイト行ったり部活やったり
母親との距離は少し
時間的には少なくなるんだけど
大学で一番挫折したのは
最初に争った挫折は
あのね
これちょっと自己肯定感が
離れちゃうんだけど
授業を組み立てるってことが
できなかったんだけど
ショコのショコじゃないか
それはちょっとADHDとかの要素もあるから
なんとも言えないんだけど
それはちょっと話はずれるから
やめとくんだけど
大学入って私はどうなったかっていうと
母親との時間は少なくなったんだけど
何か部活の先輩とか
何か違うコミュニティで
出会った人とかの
年上の人で思想が強くて
意見が強い人に
言ってちゃってたの
その先輩とか年上の人に
15:00
何かすごい
色々アドバイスとか急いで
言ってくれるんだけど
その人を価値基準に
置いちゃいがちだったの
それは当時気づかないよ
その人は今度は人生のハンドル
運転席に置き始めちゃってたの
でも気づかない
全然気づかない
それによって20代で就職とかしてからも
やっぱり自分より
偉い人とか
この人は仕事ができるなとか
この人はすごいなって思う人を
乗せちゃうのよ
運転席に
そうすると何が起こるかっていうと
自分で決められないのよ
その人はどう思うかなとか
その人の意見を聞かないと不安になるとか
ある程度はさ
基本的はいろんな人の意見を聞きながらも
自分で決めるわけですよ
普通だったら
でもその人が決めないと
決めないとかっていう状態に
いつも20代も結局ずっとなっちゃう
でも仕事を
妊娠とか出産期に辞めて
そうするとまた母親が出てくるわけよ
母親に何か言われると
そうしなきゃいけないのかなとか
子育てだと特に初めて
私はかなり長年の間
自分の人生のハンドル
運転席に別の人を乗せてたんだなみたいな
まずそこに全然気づかなかった
無意識だったし
まずここの
このスタートラインに
これに気づくのも何?
気づいたのはいつ?
分かんない分かんないけど
分かんないでもほんとやっと
30代過ぎてからだから
なりしん理学とか読んでたとき?
うーんとね
でもそれはちょっと分かんない
いろいろこう
分からないんだけど
強くなったのはそう
強くなっていったのはそう
これはそうだな
難しいんだけど
そうなんだ
きっかけがあるとするならば
公平感から外れてちょっと申し訳ないんだけど
母親を精神的に断ち切れたこと
そのタイミングあったんだ
結局20代30代になって
結婚とか子供を産んでも
結局例えば
母親にとって気に食わないことがあって
電話で話してて喧嘩したりとか
気に食わないことあると
次の日の朝母親がやってきて
剣をまたいでだよ
剣をまたいでやってきて
家にズカズカ入ってきて
アダコーダー言われて
アダコーダー言われた逆さらに
インテリアとかまで変えられちゃってとか
そういうことあったの
私はもちろん嫌だしすごく怒るんだけど
結局母親のされるがままとか
なんてやってたのね
母親化されたことこれ全部捨てるとか
すごいしづらいなとかさ
そういうことずっとやってたの
嫌なのに受け入れちゃってたの
1人目生んでも子育てとかに言われてたんだけど
結婚しても
マークの生活の中にも
18:00
侵入されても
うーってなってたんだけど
どう?
1人目の子が1歳かな
になる前かな
1歳だったかな
具体的には話せないんだけど
また母親と電話してた時に
これは母親に言ったら
今の私の生活の状況で
母親の価値観に沿わないことを
やってたから
一般的には普通のことなんだけど
母親にとっては違うって思うことを
やってたから
これを言ったりとかバレたりしたら
きっと明日にでも家に乗り込んできて
ギャーギャーギャーギャー騒いで
行くなって思ったのね
でも待ってよと
今の私の人生にとって一番大事なのは
目の前のことの生活なのに
この目の前のことを幸せに過ごすために
1人目の子が
必要なことをやろうとしてるのに
母親の価値観に合わないからって
それをぶち壊されて
でもぶち壊された後
私はまた結局
育児が大変なままなわけであって
何も母親は別に私を助けてくれるわけでもない
県も違う
住んでるとこ違うし
別に1000万とかくれるわけじゃないし
サポートしてくれるわけでもないのに
ただ自分の考えと違うからって
私の行動を縛るわけですよ
自分の考えと違うからって
私の行動を縛るわけですよ
でも私にとって一番大事なのは
この子との生活なのに
おかしいと
これはこの子との幸せな生活を守るために
母親とは縁を切ってもいいと思ったの
そこでやっと
母親と縁を切ろうというか
切ってもいいと思えたの
それまで結局ずっとずっと
本当にどこやどこやって言ってたんだけど
縁は切れなかったの
中長半端に愛があることも
愛してるとか
母親にとって私は唯一の憎しみというか
私と弟が唯一の憎しみでもあるから
そういうのもしてたから捨てきれなかったんだけど
その時初めて捨ててもいいんだって思えたの
だからもしこの電話をして
次の日に母親が県を跨いで
ドドンドドンって乗り越えてきても
私は絶対にドアを開けないって誓えたの
それまでは来たらドア開けちゃってたから
でも絶対にドア開けないで
何だったら警察に通報しようと思ったの
うちの母親本当に暴れるから
暴れるのは目に見えてるから
そうしたら警察に通報して
捕まえてもらおうと思えたの
自分の母親を警察に突き出すって
結構波動高いんだよ
だけど全然警察に通報して
お前さんに来てもらって
連れてってもらおうって思ったの
そこで精神的に
私は母親を断ち切れたの
だからそこで
私はワンランク
一コアを向けた感はある
そこで気付いたの
その時は子供がいたから
子供との人生を
幸せに生きるために
大切にするために
母親を断っていいんだって思えたんだけど
じゃあなんで今まで断れなかったの
21:00
って話になる
マー君と結婚した時点で
マー君との幸せを
ためには母親を断ち切るとか
そもそもマー君と出会うか出会わないか
私の人生を生きるために
母親を断ち切ることも
断ち切るっていう点もあったんだけど
気付かなかったんだよ
価値観が同化してたから
でも子供を持った時に
やっとね
普通の人が
当たり前に思う
レベルに立った感がある
自分の人生をちゃんと自分で
決めて
自分で
やってていいんだってこと
これが
自己需要
ちょっと自己需要
私にとっては自己需要の
一番のベース
ここがやっと人生の出発点に
立てた感がある
自分の人生のハンドルから
母親を引きずり出す
車にも乗せない
やっとここでそれができたのが
だから20
30前後
30前かな
そっから多分
まだその時は人生のハンドルとか
運転席っていう概念は
なかったから
なかったけども
母親を断ち切るっていうのは
精神的にすごく
解き放たれた感は
ありますね
運転席から
お母さんを
配備した後って
そのまますぐに自分が
運転席に乗れましたか
だから結局は
さっき言った20代は
強い先輩とか
強い上司とか
あるいは母親とか
を乗せてたんだけど
今度は
例えば職場の人
そこからも
正社員とか時短とかパートとか
そんな職場に
そんなに強い人もいなかった
っていうのもあって
そんなに人を乗せることは
なかったんだけど
今度は何を乗せたかっていうと
多分SNS
すごいすいません思った人とか
意見の強い人
子孫の強い人とかあるから
やっぱ吸い寄せられちゃって
いつの間にか乗せてたっていうのは
あるんだけど
ちょっとそれが悪い方向に
行った時もあるけど
でもそれで行きやすくなった
とかも全然あるから
それはまあしょうがないかなって
でもSNSならある程度
自分で取捨選択もできるから
人よりはマシっていうところは
で、SNSで
でもそこのいろんな
良い考えとかも
断ち切れたりとか
母親との関係の心理学について
勉強したりとかして
母親との関係ももっと言語化して
何が必要か
実践したりとかして
自分の人生のハンドルに
ちゃんと自分を乗せることが
24:00
できたんじゃないかなって思う
さらに言うと
話ずれちゃうけど大丈夫
全然いいよどうぞどうぞ
時間あるし
何?不朽?
不朽性主義
言いづらいごめんね
だから産む産まないのね
自由ってある意味
産む産まないのは
子供を産む産まないのは
全然個人の自由なの
自由だと思うんだけど
生きづらい世の中だから
子供を産むとか
反対する人ってことなのかな
あんまここちょっと
いや掘り下げてやめるんだけど
なんか思うのはさ
どうここまで状態
よくこれたかって言うと
自分の母親に
ちゃんと自分の恨み辛みを
全部ぶちまけたんだよね
これは産後一人目の時もそうだし
二人目とか三人目の時までも
何回かに分けて
いろんな産後に
ぶちまけたんですよね
産後のガルガル期に便乗して
ものすごいぶちまけたんだよね
罵声を浴びさせたんだよ
罵声浴びしたの
お母さん運転席から下ろす
アルファエアと
下ろすんだけど
ちょいちょい乗ってくる
すごい
車がちょいちょい乗ってくるし
車どんどん叩くしさ
うっかりすると入れちゃうとか
あるじゃん
それをちゃんと絶対ロックするために
ロックするために
車の鍵をロックするために
しちゃったの
それをこの30代は何回か
私が見た心理学でさ
母親にね
ちゃんとぶちまけるとかさ
私はもう多分すごい
言ったのね
今までの
徹底的に言ったの
罵声だよね
もちろん10代の時も
反抗期はあったんだけど
ちゃんと言ったの
生半可なものじゃなくて
どんなに弱ってもいいと思ったから
とにかく
全部言ってやったんだよね
自分はすっきり言うじゃん
母親がうだうだ言ったりもする
だけど
でも自分が一番すっきりする
自分の人生
抱えてた恨みちゃうものをさ
当にぶつけられるわけだから
これは
二つ予後に影響するんだけど
何かっていうと
自分の人生に一番影響を与えた人について
一番嫌だと思った人に対して
嫌だっていうことを言える
要するに私の避難チャレンジは
小1の時点ですごく傷ついてたの
でもあの時は言えなかった
何も分かんないし
一番人生で嫌だったこととか
嫌だと思ってる相手に
嫌だってことを全力でぶつけられると
現実世界において
27:00
嫌なこととか
断るとか辞めるとか
自分を守るために何かアクションする
っていうことができるようになる
私は10代、20代
辞めるとか断るとか
そういうのがすっごく苦手だった
でもそれが全然できる
全然というか
できるようになった
これはかなり影響してるかなとは思う
これは補足なんだけど
いっぱいいろいろ親に言うと
言い訳もするじゃん
あんまりこの言い訳からは
生まれないんだけど
ちょこちょこ話を聞いたやつ
母親もね
母親の方が出世がすごく大変だった
情報がさ
ちょっと集まるわけよ
自分も子育てやって
いろんな母親の条件を考えると
確かに大変だったとは思う
思うが私のいないチャレは許さないんだけど
でもそこにずっと捉えてても
私の人生が進まないから
まあしゃあなし
みたいな行為は
言辺の許さないんだけど
赤っぽい許す
これがここに行き着くわけで
これは普通の人は別にこんなことやんないし
自己自由を
自己自由を持って
そもそも社会に出る人だって多いからさ
これでかなり人生に費やしてしまった感はあるんだけど
でもこれが
自分のハンドルをちゃんと握れた上で
今度は自己効力感だよね
これさ自分ならできるという自信なんだけど
そもそもできるとかできない
成功体験を積むのが
自分の人生を
自分の人生を
できるとかできない
成功体験を積むのもいいんだけど
今度はできないと
うってなる方とかもあるんだけど
でもそもそも自分の人生の物事
自分で決められてる自覚があると
すごく人生が楽しくなると
まずはできるとかできないじゃなくて
まず決めるっていうことと
あと自分ならできるという自信もいいんだけど
いっぱい失敗を積み重ねると
これ自分で
できなそうだなって
嗅覚がすごい
冴え渡って
そもそもできなそうなことに手をつけない
ニュアンス難しいんだけど
だんだん疲れてきちゃった
今回だいぶカロリー高めな話になった
自己自由のとこでめっちゃ汗かいちゃって
怒ろうかと思って
自己効力と自己尊重なんだけど
自己肯定感を高める方法っていうのが
いくつかあるんですね
ネットで調べたら
1つは小さな成功体験を積み重ねる
今日は○○できたって自分の成長を認める習慣
でもこれはできるとかできない
っていうのは能力とかもかかっていくから
でも自分のことを自分で決められると
30:02
すごく良くなる
あと自分がどうしたいかを自分にちゃんと聞いてあげる
これが意外と私はできてなかったんだなみたいな
あと自分を褒める習慣を持つ
これは3番目の他人と比較せず過去の自分と比べるっていうのと
リンクするんだけど
褒めるって私にとってはものすごい家事って
すごく大変なのに私にとっては
でも世の中はすごい家事も仕事もバリバリやってる人いっぱいいて
そういうのと比べちゃう
ただ家事ができただけじゃ褒めるに値しないって自分でも思っちゃうんだけど
ここは他人と比較しないで
自分にとってできたならば過去の自分と比べて褒めるとか
そうだなって思う
できるできない褒めるって意外と難しいんだけど
他人と比較しないっていうのは確かに大事
なんだけど
世の中は他人と比較する世の中じゃん
誰かと誰かを比較するって
ここで私は思うのは
辻ちゃんと加護ちゃんってすごい比べられるじゃん
ものすごい比べられるんだよね今
辻ちゃんはママとレカイのトップだから
もちろんyoutube見れば家庭もすごい絵に描いたような感じじゃん
パーフェクトじゃん
そうすると一方で加護ちゃんはってなりがちなんだけど
世の中もなりがちなんだけど
でもやっぱりそもそも辻ちゃんと加護ちゃんの出発点がスタートラインが違うんですよ
私は辻ちゃんと加護ちゃんの関係者じゃないから
ガイアだけど
ドガイアだけど
ドガイアなんだけど
モームス時代のあれこれは分かんないけど
一つのエピソードがあってよくあるエピソードなんだけど
辻ちゃんはモームス時代に稼いだお金を全部親御さんが貯金をして
結婚する時に黙って渡したみたいな
でも加護ちゃんは加護ちゃんが稼いだお金を
全部親が使ったとか
自費を投資したとか生活に当てたとか
この一つのエピソードから
色んな背景が想像できてしまうじゃないですか
加護ちゃんのその後の予後とか考えるとリンクしてるのかなって
勝手に思っちゃいますよね
色々透けて見えてしまう
だって実際辻ちゃんのYouTubeはすごく家族仲とか
ジジババとか仲良いから
透けてしまうものがあると
スタートラインがやっぱりそもそも違ったんじゃないかなみたいな
自己需要とか
ここはちょっと
加護ちゃん行かないとわからないけど
加護ちゃん呼ぼうか
申し訳ないんだけど
33:00
何かのスタートラインはね
全部じゃないけど
全部じゃないんだけど何かのスタートライン
でもそもそもお金
全部貰えないのと違うから
物理的にね
でもそこのエピソードから
何かもきっと違う部分があるから
そもそもスタート地点が違う
例えばゲームだって
通常のEasyモードって言いたいわけじゃなくて
Easyモードで全部フル装備で始めたゲームと
ハードモードで装備なしで始めたゲームじゃ
同じ時間とかエネルギーを
費やしても辿り着くとこ違うじゃん
10出発して40に辿り着いた人は
努力の差は30だけど
マイナス20から出発した人も
30やっても10じゃん
でも10と40の結果を比べると
40の方が凄いってなるじゃん
それが今の父ちゃんとカゴちゃんかな
とは思ってはいる
常々ね
しかも10を持って生まれた人は
40まで真っ直ぐに努力できる
でもマイナス20からの人は
10まで真っ直ぐじゃなかったりする
努力の方向性と仕方が分からなかったりするから
それも
人生はさ
人生は持った切り札で生きていくしかないんだけど
そんなの最初から知らないじゃん
その設定
設定とかさ
皆さんは当たられた切り札を使って
人生を切り拓いていくんですよ
とか言われないからさ
そもそもだって小1の時とかに
みんながどんな切り札を持ってるとかも
知らないし見えないの
どんな設定の人生というゲームかも知らないけど
でもなんかさ
高校くらいになるとさ
気づいちゃうんだよね
なんか違う
年齢が上がっていくにつれて気づくんだけどさ
それでも明確なこの設定知らないからさ
努力の方向と仕方がさ
そもそも分からない
っていうのもある
だから
他人と比較するの
でもそれでもさ
世の中は他人と比較する世の中だから難しいんだけど
自分のスタート地点を考えれば
今の自分のこの結果は
本当によっぽど頑張ってきたなと私はすごく思う
もうこれ
あかん
すいちゃんとカゴちゃんの話ちょっとしたかったから
一汗かいた
正直ここまでで十分だけど
まずはちょっと余談
あとなんかね
次自己肯定感を高める方法
完璧主義を手放すとか
自分の好きなことを大切にするとか
でもこれさ
普通の人からしたら当たり前なんだよね
好きなことを楽しむ時間を増やし
自分らしく実感するなんてさ
好きなことやるしさ
楽しい時間を過ごすじゃん
楽しい時間を過ごすために
努力するじゃん
工夫するじゃん
スタート地点でさ
その装備とかさ
切り札を整えるところにさ
時間とエネルギー使っちゃうからさ
36:00
自分で読んでてどうなん?今
何を感じる?
いや
疲れた
今ね
すごい汗かいちゃったから
いやもちろんね
ちょっと前までは
私のスタート地点から考えると
ここまで来れたのは
本当に頑張ったなと思う
このメンタルとか状態とかね
なんだけど
もはや今は
そこすらも通り越して
とにかく毎日いかに快適に
メンタル安定して楽しく
過ごすか
何をね一番
自分にとって人生で大事なものを
いかに大事にできるかとか
そっちにもう集中?夢中?防殺?
いい意味でね
防殺されてるから
もはやもうこういう
次元じゃないんですよ私は
今ここ?
今ここってやつですか?
まあそうになるね
そうになるね
そうそうそうね
今ここ
もう自己肯定感とか全然
そういうとこ離れちゃったからさ
いいじゃん
最初言った境地に
踏み出せるってことだよね
そうそうそう
結局
そう
そういう境地になる自然と
こういろいろね
着実にね
コツコツコツコツ
こういうことやると
うんうんうんうん
でも母親はやっぱり
大きかったのなと思う
なんか自己肯定感の本だけ見ると
母親との関連性って
そんなにすごい詳しく
書いてるわけじゃないんだけど
女性とか娘っていう立場の人は
やっぱ母親との関係って
かなり影響を及ぼすかなみたいな
やっぱ予防の良さ
良い悪いの違いは
母親にいかに
ちゃんと全力でぶつけたか
でもこれ
私はたまたま生きてたんですよ
母親が
じゃあ母親が生きてる人は
もしまだ生きてるんだったら
ぶつけちゃえと思う
ぶつけちゃえと思う
でも責任は取らない
責任は取らないけど
責任は全然取らない
責任は全然取らないけど
ぶつけるといいぜって
ぶつけるとかなりスッキリするよ
母親によってはちょっと
どうかなどうなるか
いやでもそれも別にいいんですよ
だって母親がそこまで生きてこれたのは
あなたがいるおかげだから
あなたがいなかったら
私がいなかったらもっと
母親はもっとさ
先に死んでたかもしれないし
いいねいいね
それはちょっと別話になるから
今日は話さないけど
もし母親がいなかったら
それもどこかに書いてあったんだよね
そういう人は
紙に書く
紙にとにかく
うっぷん母親の
親とかね
自分の育った家庭の
うっぷん風間口
ぶちまける
とにかく紙に書く
紙に書いて
紙にいっぱい書いたら
何ページも書くと思うんだけど
インナーチャイルドの叫び
インナーチャイルド叫んでると思うから
めっちゃ叫んでると思うんだよね
インナーチャイルド
暴れてる
暴れてたら
とにかく叫びを全部書く
うらみつれにうっぷんを
で罵声を浴びせるのよ
でもその紙が残った状態だと
正直気分悪いんですよ
私もそれやったことあるんだけど
紙が残っちゃう気分が悪いの
愚痴とか抱えたやつ
39:00
それを
燃やすの
燃やすんだって
燃やすとこまで試したことある
なんか嫌なこととか
記憶とか
で燃やして
でさらに
こっから私やったことないんだけど
燃やした後に
川に流すんだって
川に流すと
その日本の言葉でさ
水に流すってあるじゃん
はいはいはいはい
物理的に川に流して水に流す
そうするとやっぱり
なんかこれパッと聞いてると
ギャグのようなのかもしれないんだけど
でも案外こういうのって
本当に効くんだと思う
私はちょっと燃やすとこまでやってたんだけど
水にはまだ流しなくて
川遠くて
川遠いね
近いかな
でも水に流すとやっぱり
たぶんねでもさ
水に流したさ
その時の互感とか
感じられたら
結構スッキリするんじゃないかなとは思う
でもそれ
それをね
誰だったか
火炎風水心理学
どこら辺の人だったか忘れてたんだけど
最近それは見た
燃やすだけじゃなくて
水に流すとこまでやるといいって
これは私が言ってるんじゃなくて
なんかの本に書いてあった
いいんじゃないかな
責任ある
でも書くだけだと別に何もさ
誰にも迷惑かけないから
こんなとこかな
自己肯定感
でも常々思ってたんだよね
心理学の本って
いっぱいあって
自己肯定感がどうとか
いきやすくなるとか
いろんな本あるんだけど
心理学の本読むだけだと
なかなかハッピーなれなかったりする
なぜかというと
女性にはさ
PMSとか
女性ホルモンのバランスとか
鉄結合とかさ
あと母親との関係か
いろんな複合的だからさ
心理学の本だけを読んでてもさ
コクヤツだけをやっててもさ
幸せになれなかったりするんですよね
そういう時は母親との関係か
自分の女性ホルモンとかまで
手を出すととても
ハッピーになる可能性が高まるよ
って感じですかね
話してみてどうですか?
すっきり
終わる?
1時になるまで
最後に
自己肯定感低いんだよなって
自分で感じていて
ちょっとお困りだなって
感じているリスナーの方に
何か一言お願いします
一言?どうしよう?一言?
いっぱいある
あと1時間ぐらいしゃべっちゃう
今話したこと
母親にぶちまけるか
とにかく自分の
人生のハンドルを今誰が握っているのか
そこに自分が座るためには
どうしたらいいのか
母親にぶつけることをしちゃったらぶつけて
42:01
あとは正直コツコツなんですよね
自分のことを
大切にしたいとか
っていう習慣が
ない人が
メンタルも体もね
自分の生活をちゃんと自分で
ちゃんとやる
っていうことがね
分からなかったりするんですよね
それを本当に地味で泥臭いんだけど
一つ一つそれこそ掃除するとかね
掃除するとか
皿洗いするとか
掛けぶつけるとか
それは人によって全然違うと思うんだけど
例えば別にね
今年もポルノグラフィティのライブに行きたいんだけど
私は
自分がやりたいと思ったことをちゃんと自分で決めて
ちゃんと自分がやってあげる
誰かにやってるものじゃなくて
そういうのを重ねていけば
気づいたら自己肯定感
忘れてたってなると思う
いいね
いいと思う
ぜひやってみてくださーい
はい
では今日はカロリー高めの放送でしたが
私のね
ちょっとインナーチャレンジがさ
早く癒されてさ
下腹部周りのさ
肉がとれるといいなと思ってる
25キロカロリー
今日の放送ね
カラオケを歌い終わったとき
100とか言ってほしい
ご飯いっぱい
意外と少ないんだよね
歌い終わったとき
ということで今日の放送が
なんだろう
今日の放送がちょっと
興味深かった
参考までにならないかもしれないけど
受けた
クサクサクサ
それはちょっと
やべえ
とりあえずいいね押してください
よろしくお願いします
いいねお願いします
ありがとうございました
また次回
さよなら
43:56

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