00:02
始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀です。
今回はお便りをいただきましたので、それに対する返答ということでね、やっていきたいと思います。
こちらは匿名の方です。読み上げます。
気になった日本語があったので、質問させてください。
かもですけど、という表現が気になっています。
もちろん、良い悪いではないのはわかっていますが、この表現について解説していただけませんか、というお便りです。
はい、ありがとうございます。
かもですけど、うーん、ちょっと気になる方もいらっしゃるでしょうね。
で、お便りにあるようにですね、良い悪いではないのはわかってますがということですけど、
この番組っていうか他のトークでも散々言ってるんですよね。
こういう自然に思える日本語も、ある法則にのっとってたりして、面白いっていう話をよくしてて、
そういう話をするときに、これは良い悪いではないっていうことを散々言ってるんですよ、口癖みたいに。
なので、それを受けてこういう書き方をしてくださってるんだと思います。
かもですけど、何だろう。
明日行けるかもですけど、とかですかね。
まあ当然これはデスマス調になっているので、かもだけどみたいな言い方も当然聞かれたりしますよね。
行けるかもだけどとか、遅れるかもだけど、みたいな感じですよね。
当然想定される正しい言い方っていうのは、行けるかもしれないですけど、とか、遅れるかもしれないけどですよね。
なので、これは知れないっていうのが省略されてるんだ、っていうふうに説明できるっていうかね、そういうふうに直感的にね、感じる方もいらっしゃると思います。
ただね、それは半分ぐらいしか当たってないんじゃないかと思いますね。
これは単なる省略以上のものだと思います。
じゃあそもそも、かもしれないっていうのはどういう現れ方をするかっていうのをちょっと考えてみるとですね、
言ってみればですね、完成された文に後からくっつくみたいな感じですよね。
明日遅れる。これである意味発話としては完成してるわけですが、それにかもしれないっていうのがつくことができるということですね。
明日遅れるかもしれない。
これはかっていうのが疑問を表す助詞って言っていいのかな。
で、もっていうのも助詞ですよね。
で、知れないっていうのはもともと知るっていう動詞で、それの変化形っていうふうに考えることができますけど、
現代の日本語母語話者にはそういう歴史的な背景とかは全然関係なくてですね、かもしれないである意味一つの形式として成り立っていると思います。
03:10
で、こういうふうに完成された文にくっつくっていう形式はかもしれないのほかにもたくさんあります。
例えば、のだとかですね。話し言葉ではんだに変わるものですね。
明日遅れるのだ。明日遅れるんだ。とか、あるいはつもりだ。とか、明日遅れるつもりだ。
どうなんだそれって感じですけど、発話としては成り立つものですね。
あるいははずだ。とかですね。明日遅れるはずだ。とかね。
こういうふうに完成された文の後にくっつくっていう形式が日本語たくさんあります。
これと似たようなお話を以前やってるんですよ。
いけるくないっていう表現のこのくないっていうのは何なのかっていうお話をしたときに似たような話をしております。
このくないっていうのも比較的新しい形式ではあるんですけど、
表れ方としては、はずだ。とかつもりだ。のだ。あるいは今回のかもしれないと同様に完成された文にくっつくということですね。
明日遅れる。くない。とか。
こういうふうに日本語って割と完成された発話にくっつくっていう形式がいっぱいあるんですよね。
では、かもしれないに話を戻すと確かに省略って説明できるものもあるんですよね。
明日遅れるかも。これはもうはっきりと省略と言えると思います。
先ほど挙げたのとかつもりとかはずっていうのも だっていうのがなくていいんですよね。
明日遅れるの?だと疑問だし。
明日遅れるつもり。
明日遅れるはずっていうふうに、 だっていうのがなくても通用するっていうか通じますよね。
この段階で累推っていう似た形があったら 同じパターンとして考えるっていう言語学的な現象があるんですよ。
なので、ここでかもとかのはずつもりっていうのが 同レベルなものとして認識されたんだと思います。
本当は全然違うんですよ。かもっていうのは 先ほど言ったように助詞の組み合わせですけど、
他ののとか、のはちょっと分かりづらいですけど つもりとかはずっていうのは名詞由来ですから、
出身日は全然違うのに、その現れ方によって 同じカテゴリーとして認識するようになったということですね。
そうなると、明日遅れるはずですけどとか、 明日遅れるつもりですけどとか、明日遅れるのですけどと同じ位置に、
06:02
明日遅れるかもですけどっていうのが 現れるようになったっていうね、こういう説明ができるんですよ。
なので、これもまた面白いんですけど、 かもだっていうのを心理的に想定してると言ってもいいかもしれないですね。
そういう言い方はしないですけど、かもだってね。 明日遅れるかもだ。ちょっとやっぱ厳しいですけど、
そのかもだっていう、その形式自体は使わないんですが、 現れ方はのだ、つもりだ、はずだっていう、
こういうものと同じ現れ方をしているということです。 なので、つもりですけどとかつもりだけどと同じように、
かもですけど、かもだけどっていう言い方が 現れるようになったということですね。
ちょっと上手く説明できた気がしませんので、 もう一回ちょっとざっと言ってきます。
かもしれないっていうのが当然元々あるわけですけど、 省略っていうかね、
そういう形で知れないっていうのが出てこなくなって、 いけるかもみたいな言い方が出てくるようになったと。
で、これはかもっていうのが、 完成された発話にくっつく形式で、
そういうのはつもりとかはずっていうのが 日本語にはいっぱいあるということですね。
なので、そのつもりとかはずと、 同レベルのものというふうに和書は類推してですね。
それで、そのつもりだとかはずだ、 あるいはのだと同じ現れ方をするようになったと。
なので、かもですけどっていうのも、 つもりですけどとかはずですけどと、
平行的に考えて、かもですけどっていうのが 出てきてるということですね。
ただ、つもりだ、はずだ、のだっていう だがつく形式が普通はあるのに対して、
かもだっていうのはちょっと想定されづらいっていうのが、 今んとこの現状だと思います。
これから先もしかしたらかもだっていう言い方も 出てくるのかもしれないですけど、
今んとこ厳しいかなという感じですね。
これもなかなか面白いですよね。
先ほども申し上げました通り、 これは類推という現象でして、
つもりだとかはずだっていうのが名詞由来で、 かもっていうのは本当は名詞でもなんでもないのに、
その現れ方が似てるからっていって、 同じカテゴリーとして今扱われつつあると。
こういうことになっています。
さあ、お答えになってますかね。
今回はあんまりうまく説明できた気がしません。
申し訳ない。
もちろん、これは良い悪いではないって お便りでも書いてくださっているように、
こういう言い方はやめましょうとは言いません。
09:03
ある意味、類推っていう現象の現れ方の一つであって、 僕自身それは面白いと思います。
ただ、そういう言語学の話は置いといて、 実際に使うとなると目くじら立てる人もいるっていうことですね。
これは社会的に厳禁していかなきゃいけないっていうことで また別の問題ですが、使うときは気をつけてくださいっていうことですね。
なので、今後もしかしたらかもですけどとか かもだけどっていう言い方がどんどん市民権を得て、
最終的にかもだっていうね、 新しい形式が生まれる可能性がございます。
ので、ちょっと注目してみましょうという感じですね。
というわけで今回はお便りにお答えいたしました。
この他にも質問がございましたら、 どんどん募集しておりますのでよろしくお願いいたします。
では今回はここまでということで、 よろしかったら番組クリップお願いいたします。
ではまたお会いしましょう。ごきげんよう。