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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀です。
今回のトークは、「天才って何なんだろう?」ということを話していこうと思います。
というのもですね、マシュマロでお便りをいただいたので、それに対する返答というのもあって話していこうと思います。
こちらは匿名の方です。読み上げますね。
初めてマシュマロを差し上げます。毎回毎回知識量に冠服しています。しかも台本なし。
ところで、志賀さんのような人って自分で天才だと思うものなのでしょうか。
言語学に関係ない変な質問ですみません。ということです。
はい、ありがとうございます。
こういうふうにね、評価していただけるっていうか、言っていただけるっていうのは大変ありがたいです。
初めてこのトークを聞くっていう方もいらっしゃると思うので、簡単に言っておくとですね、
過去のトークもざっと見ていただくとわかると思うんですけど、言語学の話をよくしてて、
言語学のいろんな話をしているんですよね。音声の話もそうだし、
日本語に限らず英語の話もしたり、
あるいは古文って言われるようなものとか、英語の話とか、
あるいはもっと言語一般の話とか、いろんな話をしているので、
そういうことを受けて、こういうお便りを送ってくださったんだと思います。
結論から言うとね、僕は自分で天才ではないと思いますね。残念ながらね。
天才だったらいいなとか、時々思ったりしますけど、
仕方ないですよね。そういうとこは諦めるというか、割り切って、
天才でなければないなりに頑張っていこうみたいなね、よくあることです。
で、なんで僕が自分でその天才だと思わないかというと、
時々ね、自分で天才かもしれないと思うからなんですね。
何を言ってんだってね、ついに頭おかしくなったかと思われるかもしれないんですけど、
これね、結構逆説的ですけど、
例えばね、
飯食ってる時に、
あるいは字とか書いてる時とかに、
スマホいじってる時とか、何でもいいんですけど、そういう時に、
あ、俺って右利きかもしれないとか、
私って右利きだわーとか、そういうことを思わないと思うんですよね。
それと同じで、天才の人ってね、多分ね、自分は天才だと思わないと思うんですよ。
それがデフォルトというか普通なので、そういう反省はないということですね。
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だから僕は時々自分のトークとかを聞き返した時とか、
確かにね、本当に自分が喋ったんだろうかとか思って、
よくまとまってんなーって自画自賛したくなるようなこともあるんですよね。
で、そういう時に天才かもしれないって思っちゃうんですが、
それってこの理屈で言うと、天才ではないということになるんですよ。
だから天才かもしれないなと思っているうちは、天才ではないということですね。
ただ、分野によっては、分野というか別の場面というんですか、
では、自分は間違いなく天才だと言い切れます。
それは日本語を話すことに関しては天才です。
これ過去のトークでも結構言ってるんですけど、ボゴアーシャは天才だっていう風に言ってるんですよね。
僕はね、日本語を喋ることに関しては天才ですね。
日本語を喋らせたら右に出る者は1億人ぐらいいますけど、天才ですよ。
天才の定義って何なのかっていうことに立ち返らないといけないんですけど、
これいろんな人がいろんなこと言ってるし、皆さんそれぞれ思うところがあると思うんですけど、
僕にとってはですね、意識と無意識の境界がないようなことが天才だと思うんですよね。
そういう意味でちょっと野生に近かったりするんだと思うんですよ。
言語を話すっていうのはまさに、そういう意識と無意識の境界っていうのがなくて、
意識的に全てやってるようでもあるし、無意識に全てやってるようでもあるっていうか、
さっきの利き腕のこともそうですよね。
あれも意識的にやってるのか無意識的にやってるのかよくわかんないっていうことですけど、
そういう状態のことを天才だと言うんだと思います。
だからこれも繰り返しですけど、言語を話すときも意識的に喋ってるようでもあるし、
無意識的に喋ってるようでもあるし、いずれにせよですね、正しい形しか口から出てこないわけですから、
これ僕に限らずですけど、どんな言語でも母語話者っていうのはそういうことになっているので、
母語話者は天才だってそういうことなんですよ。
だからね、人によっては天才っていうのは人と比べてどうこうっていう人もいると思うんですよ。
ていうかそれが普通だと思うんですけど、なんかね、それも未満ち話ですよね。
だから天才っていうのはその人の属性とか性質というよりは、
なんか状態っていうのに近いかなっていう感じはするんですよ。
だからやるようによっては天才に近づけると思います。
スポーツでも語学でもなんでもそうですけど、
練習とか訓練とか鍛錬っていうのは、ある意味で意識と無意識の境界をなくす作業ですから、
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意識的にやっていることを無意識にできるようにするか、
無意識にやっちゃってることを意識的にできるようにするっていう、
大まかにその2種類しかないっていうのはどこかで聞いたことありますけど、
一言で言えばそういう練習っていうのは天才に近づくため、
意識と無意識の境界をなくすためにやっているものだと思うので、
誰でもそういう状態に近づくことはできると思っています。
まあけど、なんていうかな、こういう天才ってなんだろうかって、
みんな悩んだりとか、自分って天才なのかなとか、
そういうこと考えちゃうとか、そういう時期があったりすると思うんですけど、
間違いなく言えるのは、僕を喋ることに関しては、
みんな天才だよっていうことをですね、そこは自信持っていいと思います。
ただ残念ながらというか、同じような天才は日本語話者に関しては1億人ぐらいいますけど、
天才であることには変わりないと思います。
はい、ということでお答えになってますかね。
まとめるとですね、僕は日本語を喋ることに関しては、
天才ですけど、それ以外のことに関しては、
特に言語学については別に天才じゃないと思いますね。
というお答えです。
今後もお便りはどしどし募集しておりますので、
よかったらラジオネームを添えていただけると、
なんか親近感も湧くし、
もしね、複数回お便り送っていただけたりすると、
ああ、あの時の人だとかっていう風になるので嬉しかったりするので、
よろしかったらラジオネームも添えてください。
今回はここまでということで、
よろしかったら番組クリップお願いいたします。
ではまたお会いしましょう。ごきげんよう。