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始まりました、志賀十五の壺。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ラルフ・ブライアントです。
こないだ、シャープ480のエピソードで、
非対格同士と非能格同士っていう話をしたんですね。
で、これは自動詞の分類方法で、
まあ、ざっくり言うと、非対格っていうのは、
動作の影響を受けるようなものが主語となる。
まあ、そういった点で、
ちょっと目的語っぽいものが主語となっているような自動詞です。
壊れるとかね、落ちるとか、
まあ、こういったものは、
おもちゃが壊れる、おもちゃが落ちるっていうのは、
おもちゃが何か意思を持って何か動作をやってるっていうことではなくて、
動作の影響を受けている。
まあ、そういったものを非対格同士と言います。
それに対して非能格同士っていうのは、
主語であるものが、
まあ、典型的には何か意思を持って動作をやるようなもので、
まあ、踊るとかね、
あとは何だろうな、
まあ、そういったもので、
まあ、他同士の主語に現れそうなものが、
主語となるのが非能格同士というものです。
というお話をして、
それについてのお便りをいただいております。
こちら、凌介さんからいただきました、
ギフトと一緒にいただきました。
ありがとうございます。
質問です。
一杯を用いて、
非対格同士のみ主語の数量としての解釈を許すというお話があったと思います。
これはどういうことかというと、
まあ、壊れるだと、
おもちゃがいっぱい壊れただと、
えー、おもちゃの数量をね、こう、
収食してるっていう風に解釈できるんですけど、
子供がいっぱい走ったっていうと、
その走る量の方を収食してるっていうことで、
子供の数、数については収食してないっていうようなね、
まあ、そういったお話を、
そのシャープ480の方でやっております。
で、それについて、
非能格同士文でも、
主語の数量に言及しているとも解釈できないでしょうか。
例えば、今言った子供がいっぱい走ったっていうのは、
一杯っていうのは子供を指してるんじゃないかとか、
子供がいっぱい飛んだ、子供がいっぱい喋った。
また、そもそも日本語の字同士は、
とにかく非能格に二部することができるのでしょうか、
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というお便りです。
これはよくわかりません。
一応、非能格同士では主語の数量に言及できなくて、
子供がいっぱい喋っただったら、
その喋った量の方を収食してるとしか言えないっていう風になってて、
僕自身はちょっと内省が効かないので、
多分、非能格同士の場合は主語の数量は言えないんじゃないかなと思います。
けど、もしかしたら和謝によっては揺れがあるかもしれません。
というわけで、お便りの回答としてはよくわかんないっていうことなんですけど、
もうちょっとね、今日は非対格と非能格の違いについてね、
詳しく見ていこうと思います。
こちらがね、凌介さんのお便りに添付してくださってた論文があって、
それからちょっといろいろね、抜粋しながらお話ししていこうと思います。
これは松岡千鶴子先生の
非対格性・非能格性の概念に基づいた児童子の分類に関する研究の動向っていう論文で、
まあ短い論文だし、そんな言語学の知識がなくても
わかるようなとこもあると思うので、ぜひ皆さんも読んでみてください。
で、非対格と非能格に二部できるかっていうと、どうでしょうね。
その0か1かみたいなのは、もしかしたら難しいかもしれないんですけど、
傾向というか、より非対格っぽいもの、非能格っぽいものがあって、
それがグラデーションっぽくなってるというか、
少なくとも傾向みたいなものはあると思います。
で、その非対格と非能格の差が出るものとして、
そのシャープ480でお話ししたのは、お便りにあった
沢山みたいなものが主語を修飾できるかどうかっていうことでしたけど、
ぜひそちらもコナーと聞いてください。
で、それ以外にもその差が現れる現象っていうのはあって、
一つは複合名詞です。これは結構よく言われているもので、
名詞プラス動詞からなる複合動詞っていうのは、
非対格的なもの、もっと言うと目的語っぽいものしかできないっていう風に言われています。
例えばチリトリっていうのは、チリを取るっていうことで、
これは目的語である名詞が動詞と組み合わさっています。
で、この取るっていうのは多動詞なので、一旦置いといて、
例えば心変わりとか雨漏りとか、
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こういったものは変わるとか漏るっていうのは非対格動詞、
つまり主語として現れるのが目的語っぽい動詞なんですね。
なので心変わりとか雨漏りって言えるんですけど、
非能格動詞ではこういった複合語っていうのはできなくって、
ここの例に挙がっているのは学生遊びっていう風に言うことはできなくって、
学生が遊ぶことっていうのを学生遊びとは言えない。
なぜなら遊ぶっていうのは非能格動詞だからということなんですね。
ただ、その動作主っぽいものがこういった複合名詞に現れないかというと、
そういったわけでもなくて、
これも多動詞の場合なんですけど、
例えば神隠しっていうのは神が隠すなので、
これ例外と言えるんですね。
あとは虫食いとかね、これも虫が食うなので、
ただ神隠しとか虫食いみたいなのは非常に少数なので、
傾向としては非対格動詞、
あるいは目的語っぽい名詞が複合名詞の構成要素になるっていうようなね、
つまり何か動作の影響を受けるようなものが
チリ取りとか心変わりとかそういったことが言えるということになっています。
あとは何々しているっていう形になった時に、
ちょっと意味の解釈が変わってきて、
非対格動詞の場合は落ちているっていうことはもう地面に着地しちゃってて、
その結果状態を表しているっていうことになるんですけど、
非能格動詞の踊っているの場合は進行を表すっていう風に、
非対格動詞と非能格動詞でいろんな現象で差が見られるんですよね。
そういったことからもきっちり二部できるかどうかは置いといて、
傾向みたいなものはあると言っていいと思います。
この非対格と非能格の区別っていうのは、
現代日本語だけじゃなくて、
例えば古文にも関わっている側面があるんですね。
これも過去のエピソードで取り上げてるんですけど、
官僚の助動詞にぬとつっていうのがあるんですね。
このぬっていうのは非対格動詞につくっていう風に言われています。
風立ちぬみたいに。
一方つっていうのは非能格動詞、
あるいは他動詞につく助動詞っていうことが言われてるんですね。
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あとはヨーロッパの言語で官僚形を
B動詞プラス過去分詞形で表す動詞と
ハブプラス過去分詞形で表す動詞とっていう風に2つパターンがあるんですね。
英語は官僚形って言ったらハブプラス過去分詞なんですけど、
ヨーロッパの言語の中にはB動詞プラス過去分詞形、
つまり受け身形みたいな形ですね、英語で言うとこの。
そういう形もあって、
B動詞の方は非対格動詞の官僚形で、
ハブの方は非能格動詞の官僚形とかね、こういったことも言われてたりします。
なので非対格と非能格っていうのは、
こういうあらゆる言語のあらゆる現象を大雑把に説明するのには役に立ってるんではないかなと個人的には思っております。
ぜひ関連エピソードも合わせて聞いていただけたらと思います。
というわけで今回はここまでということで、最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回お会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。
またねー。