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始まりました、志賀十五の壺。心はいつも後ろ向き、うらうらこと浦川康之です。
今回は、タイトルにもあるように、主格対格型言語と能格絶対格型言語についてお話ししていこうと思います。
この辺の話は、結構過去のエピソードで取り上げてます。
まあ、でもね、似たような話してもよろしいでしょう。
最近聞き始めたという方もね、いらっしゃることでしょうし。
僕自身、結構興味のある分野というか、テーマなんでね、お話ししていこうと思います。
この主格対格型、能格絶対格型っていうのは、言語のタイプで、
日本語、あるいは英語もそうですけど、というか皆さんが触れるような言語、学ぶ機会のあるような言語は、
大抵主格対格型と言われるタイプの言語でございます。
能格絶対格型言語っていうのは、もしかしたらマレーかもしれません。
その辺の話はね、過去のエピソードでやってるんですが、
主格対格、能格絶対格、なんのこっちゃっていうことだと思うんですが、
平たく言えばこれは、主語や目的語をその言語がどうやって表すかっていう話なんですね。
例えば日本語だったら、これも平たく言うとですけど、
主語だったらがっていうのがついて、目的語だったらをというのがつきます。
英語だったら主語っていうのは普通動詞の前に出てきて、目的語っていうのは動詞の後に出てきます。
SVOとかいった場合ね、Sが主語でOが目的語でございます。
これが主格対格型と言われるもので、さらに言うと、主語を表す標識のことを主格と言います。
だから日本語はがっていうのは普通主格と言われるんですね。
目的語を表す方が、つまりOというのが対格ということになります。
英語の場合は語順がそれを表しているので、名詞それ自体に何か標識がつく、前置詞みたいなのがついたりすることはないです。
では能格絶対格型言語というのはどういうものかというと、
主語っていうのを2つに分けてまず考える必要があります。
自動詞の主語っていうのと他動詞の主語っていうのを分けて考えて、
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自動詞の主語と他動詞の目的語を表す標識のことを絶対格。
他動詞の主語を表すのが能格と言われるんですね。
もう一回言っておくと、自動詞の主語と他動詞の目的語を表すのが絶対格。
同じように表されて、他動詞の主語だけ別語の能格という標識でマークされるということです。
もし日本語が能格絶対格型言語だったとしたら、
他動詞の主語の時だけ、例えば、「が」っていうのがつくということになります。
つまり自動詞の主語と他動詞の目的語には何もつかないみたいな、それを絶対格というわけですが、
私踊るみたいに自動詞の主語、踊るの主語には何もつかずに、私で表れて、
他動詞だと私が家建てるみたいに、家という他動詞の目的語には何もつかずに、
他動詞の主語の私にはがというのがつくと。
平たく言うとこんな感じです。
何だかややこしいなという気がすると思います。
自動詞の主語と他動詞の主語を分けて一体何なんだと。
我々、日本語母語話者にとって、つまり主格対格型言語の話者にとっては、
なぜ主語を二つに分けて、しかも他動詞の主語だけ別語にするのかと、
そんな気がすると思うんですが、ちょっとね、こういうふうに考えてほしいんですね。
そもそも、主語と目的語っていうのは、何かつけなきゃいけないっていうもんでもないんですよね。
常識的に理解できるような場合だってたくさんあります。
例えば、「私、本、読む。」とか言っちゃえば、
私っていうのが主語で、本っていうのが目的語っていうのは普通に推測されるものです。
私が本を読む。このがとかをっていうのをつけて、わざわざ主語や目的語っていうのを表す必要はないですよね。
読むっていう主語は当然人間だし、その読まれるもの、目的語っていうのは、
無生物、特に本であるっていうのは容易に想像できます。
これは他の場合もそうで、「私、石、傷つける。」といった場合も、
普通は、私が主語で、石が目的語で、石を加工するっていうかね、
人間である私が石を傷つける。
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私、石、傷つける。がとかをというのがついてなくっても、そのように解釈されると思います。
しかし問題は、そういう常識とは違う場合?
常識とは食い違う場合、つまり異常な事態の場合に困っちゃいます。
私、石、傷つける。
これは実は、石が私を傷つけたという風にね、言いたい場合もあるかもしれません。
そうなった場合に、この私と石っていうのを、ある意味、区別するっていう必要性が生じるんですね。
もう一回ちょっと順を追って言うと、
私、石、傷つける。
こういう風に名詞に何にもつかないで、私、石、傷つけるといった場合は、
私が主語で、石が目的語と解釈されてしまうと。
つまり、生物名詞、あるいは人間名詞が普通は主語で、無生物名詞が目的語であると。
デフォルトでそういう風に解釈されてしまうんですよね。
で、そうじゃない場合に、例えばがとかをっていうのをつけて、
石が私を傷つける。
こういう風に言わないと、その異常な事態っていうのは、表しづらいということができます。
この異常な事態っていうのは、つまり、無生物名詞が他動詞の主語になって、
生物名詞ないし、人間名詞が他動詞の目的語になると。
そういう事態を異常とここで言っています。
他動詞っていうのは、名詞が2つ出てくるわけですが、
普通は何か意思を持った、典型的には人間が何かの対象に向かって動作を行うわけなので、
無生物の名詞っていうのはやっぱり他動詞の主語にはなりづらいんですね。
で、そういう時に石がという風にがが出てくると。
これが能覚と言われるものです。
無生物の名詞っていうのは、自動詞の主語か他動詞の目的語になりやすくって、
石落ちるみたいな落ちるの主語、自動詞の主語とか、傷つけるの目的語とかね、そういうのに石みたいな無生物はなりやすいです。
他動詞の主語になるような場合だけ、石がみたいな言い方をして、
これが他動詞の主語専用のマークということで、これが能覚なんですね。
一方、人間名詞は、自動詞の主語はもちろんですけど、他動詞の主語になりやすいんですよね。
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傷つけるの主語みたいなものです。
そうなると、他動詞の目的語っていうのはある意味異常事態なので、
そういった時に、私をみたいなをが出てきます。
で、これが体格と言われるものなんですね。
他動詞の目的語専用のマークということです。
で、実際に世界の言語を見回すと、今言ったようなシステムが働いている言語があります。
つまり、生物名詞とか人間名詞が主格体格型で、
つまり、他動詞の目的語の時だけ特別扱いする、異常であるということを示す。
一方で、無生物名詞、意思みたいなものですね。
は、濃格絶対格型である。
つまり、他動詞の主語になる、そういう異常事態の時だけ意思が、みたいな濃格が出てくるということです。
そういった言語もあるんですね。
今回の話はなかなか奥が深いですが、
是非ね、過去のエピソードを遡ってみてですね、
濃格とかね、分裂濃格とか、そういったワードが入っているエピソードがあるはずなので、
興味のある方は検索したりとかね、自力で探してみてください。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。
またねー。