1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2022-06-11 10:16

#450 「省略」の言語学 from Radiotalk

助詞のエピソード
https://radiotalk.jp/talk/763553

主要参考文献
『中上級を教える人のための日本語文法ハンドブック』 (庵功雄ほか、スリーエーネットワーク)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。六本木あけみです。
今回は省略というものをテーマにお話ししていこうと思います。
省略っていうのは、日本語に限らずよく行われているものですね。
文脈でわかるんだったら、いちいち言わなくていいとか、
まあ必要でなければ言う必要がないっていうことで、
省略っていうのは、あらゆる言語で起こっていることです。
特にね、日本語は主語が省略されるみたいな言い方をされたりするんですけど、
果たしてそれを省略と言っていいのかっていうのはね、ちょっと僕は常々思っていて、
むしろ出ないことに意味があるんじゃないのかっていうか、
ゼロがあるんだっていうかね、考え方の問題といえばそうなんですけど、
そういうことを思ったりしています。
今回お話しするのは、特に助詞の省略ですね。
がとかをとか、こういったものは省略されることがたびたびあります。
こういったものは格助詞の省略で、あるいははみたいなものも省略されるんですね。
このはっていうのは係助詞と言われるものです。
ここはね、厳密に区別したいと思います。
助詞については関連エピソードが多分あるはずなので、
ぜひそちらも聞いていただけたらと思います。
URLをね、概要欄に貼っておこうと思います。
まず格助詞の省略の方からお話ししていきますけど、
特に話し言葉で省略されますね。
これは係助詞の場合も一緒かなと思います。
書き言葉で助詞を省略するっていうことは、
普通はないんじゃないかなと思います。
例えば、雨降ってるみたいなものですね。
雨が降っているではなくて、雨降ってるという言い方が、
特に話し言葉では普通にできます。
これはがという格助詞が省略されているといって、
いいんじゃないかなと思います。
あるいは、昼飯食べたとかね。
昼飯を食べたじゃなくて、昼飯食べたっていう風に聞くことができます。
これはをっていうのが省略されていると。
そういうわけですよね。
ただ、この格助詞っていうのが何でもかんでも省略できるわけではありません。
主に省略できるのは今言ったがとをですね。
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このがとをっていうのは日本語の中で結構特別な地位を持っていると言ってよくて、
今言ってるように省略っていうのが話し言葉でできたりとか、
あるいは数量子有理っていう現象もこのがとをがついている名詞に限られるんですね。
数量子有理っていうのは、例えばね、
3人の学生がやってきたっていうのを、
学生が3人やってきたっていう風に、
この数を表す表現を名詞から切り離すことがあるんですよね。
それができるのは今言った学生がみたいにががついてる名詞か、
あるいはチョコを3個もらったみたいにをのついてる名詞に限られるんですね。
これはこれで面白いんですけど、
ひとまず日本語の格助詞で省略というか脱落ができるのは、
基本的にがとをで、あとはにとかえっていうのも多少できます。
図書館に行ってきたに対して図書館行ってきたっていう言い方ができますよね。
せいぜいこの辺までで、でとかはかなりきついですね。
ハサミで切ったをハサミ切ったとか言えないし、
東京からやってきたを東京やってきたとはとてもじゃないけど言えませんよね。
なので日本語の格助詞で省略あるいは脱落ができるのはがをにに限られるんですね。
次にはの省略について考えていこうと思います。
これは私末はみたいな場合ですね。
アミンが言ってるやつですけど、
これは私にははとかあるいはがっていう助詞はついていません。
これもやっぱりかなり話し言葉的と言っていいんではないかなと思います。
この私末はの私っていうのは普通主題として解釈されるんですね。
英語だとトピックと言われるものです。
なんていうかな私について言えば末はっていうその主題と解説っていう風に文が構成されてるんですね。
でその主題のところのはっていうのが脱落していると。
この主題を表すっていうのが係助詞はの持っている一つの機能なんですけど、
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もう一つはには機能があってそれは対比の和と言われるものです。
これも普段皆さん使っているもので、
このケーキは美味しいけどあっちのケーキは美味しくなかったみたいに。
まさに対比ですね比べるような時に出てくる和です。
私末はの私みたいな名詞は普通主題として解釈されるんですね。
こういうのを主題性が高いみたいな言い方をします。
あるいはあなたとかそういう代名詞は主題になりやすいっていう風に言われていて、
こういう主題になりやすい私みたいなものに和がついていると、
主題というよりは対比として解釈されてしまうんですね。
私は末はっていうと、あなたはどうなの?みたいなね。
どうしても比べているものを想定してしまうので、
私はと言わずに私末はと言って、
つまり助詞を脱落させることによって主題であることを表していると、
そういうふうに考えられてるんですね。
ただまあ繰り返しになりますけど、やっぱり話し言葉でないとこういった現象はなかなか見られないんじゃないかなと思います。
というわけで今回のエピソードは助詞の省略についてお話ししました。
簡単にまとめると各助詞の方はがとかをとかこういったものがよく省略されて、
あとはにとかえっていうものも少し省略されやすいと。
それ以外の各助詞は省略できないっていうふうにね、
何でもかんでも各助詞だったら省略できるわけではないというお話をしました。
係助詞のはっていうのもこれも何でもかんでも省略できるわけじゃなくて、
主題として解釈される時にはっていうのが省略されやすいというお話をしました。
つまり私とかあなたみたいに代名詞であったりとか、
あるいはあの本面白かったみたいに話し手と聞き手で共通の理解となっているまさにトピックですね。
そういった場合にはっていうのが省略されるというお話でした。
ただ冒頭申し上げました通りこれを省略と言っていいのかっていうのは、
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まあ結構大きなテーマで、僕も途中で省略とか脱落とかちょっと言い方を変えちゃいましたけど、
省略っていうのはそこにあるべきものが出てこないっていうことですけど、
もしかしたらそこに助詞が出てこないということが何かを表しているっていうね、
ゼロが積極的な意味を持っているっていう、そういう分析も当然できるんですよね。
で、もしかしたらそっちの方が正しいかもしれません。
まあそういう意味ではですね、日本語っていうのは空気を読む言語なので省略しても伝わるんだとか、
あんまり安易に言わない方がいいんじゃないかと僕は思います。
それは果たして省略なのかどうかわかんないし、
その民族性と言語っていうのもきっちり分けるべきだと僕は思うので、
皆さんもね、あんまりそういったことは言わないでほしいなと思います。
というわけで今回のエピソードはここまでということで、また次回お会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。
またねー。
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