1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #482 文法アレルギーを克服し..
2022-10-01 10:13

#482 文法アレルギーを克服しよう! from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました。志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
バズライトイヤーです。
文法ってきっと、どうしても覚えなきゃいけないもの、暗記しなきゃいけないものっていう風に、
まあ、連想する人も多いんではないかと思います。
特に学校教育で文法っていうのをやったのは、
日本語の文法も英語の文法もやりましたよね。
そういったものは、正しく言語を使うための文法ということですよね。
こういった文法の見方っていうのもあるんですよね。
そういうのを規範文法という言い方をします。
ある意味で、教科書的な意味で正しい文法ということです。
それに対し、もう一つ記述文法という文法の見方っていうかね、
そういった種類の文法もあって、
それはありのままの言語の姿を記述しているということで記述文法ということになっています。
規範文法と記述文法っていうのは日本語だとうまく対になってないんですけど、
英語だとプリスクリプティブとディスクリプティブっていう風にうまく対応してるんですよね。
現代の言語学の流れっていうかの考えとしては記述文法っていうのが主流というかね、
多くの言語学者は文法といえば記述文法を考えると思います。
実際記述言語学っていう言語学の分野があったりするんですよね。
で、そういった分野では実際に使われている言語を観察し記述するということをやっています。
ただ先ほど言ったように学校教育で言われる文法っていうのは規範文法というもので、
まあ順番が逆っていう感じですよねお互いに。
記述文法っていうものはまず言語っていうものがあって、そこから規則っていうのを導き出しているわけですけど、
規範文法っていうのは逆で、そもそも文法というものがあって、
で、我々はそれに従って話したり書いたりしなきゃいけない。
まあそういったことが学校教育でなされています。
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それが良いか悪いかは置いといて、こういったことが原因で文法と聞くとちょっとね、
アレルギー的な反応を示してしまう人も少なくないんじゃないかなと思います。
良いか悪いか置いといてって言いましたけど、まあ悪いですよね。
さっき言ったように、確かに現代の言語学は単に文法といった場合、
記述文法を指すんですけど、長らく文法といえば規範文法を指していた時代がありました。
規範文法あるいは規範主義と言ってもいいかもしれません。
つまり文法、もっと言えば言語学っていうのは正しく話したり書いたりするための、
まあそういった規範的なものっていうふうに考えられていたんですね。
で、そういったものは今では全くなくなって、
より科学的になったというか、言語を観察し、それがどうなっているかというふうに検証するのが、
現代の言語学です。
まあそういう規範主義的な言語学だった時代があったのは、
ある意味その時代の流れっていうかね、仕方ない部分はあって、
というのが、例えばヨーロッパだと書き言葉っていうのは長らくラテン語でした。
ラテン語っていうのはすでに話者がいなくなっていたのに、書き言葉として生き続けていたんですよね。
日常で話さない言葉で書かなきゃいけないっていうことで、
まあ当然ルールが必要になってくるというか、
ルールを学んでそれを使わないことには日知も察知もいきません。
同じことが日本語にも当てはまります。
日本語の文語っていうのは平安時代の日本語で、
我々も一応古文という形で習うわけですけど、
すでに話し言葉の日本語とは乖離があるにもかかわらず、
書き言葉として昔の日本語の姿がずっと残ってたんですよね。
そのために書き言葉の日本語の正しいルールを学ばなきゃいけなかったんですね。
例えば、係り結びっていうのを我々習いますよね。
ゾーナムやーかっていうのがあったら、
文末は連体形にしなきゃいけないっていうルールは、
当然現代日本語にはないわけですけど、
現代日本語に限らず、係り結びという現象が話し言葉でなくなってしまってからも、
文語ではそれが生き続けていたので、
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まあそれを学ばなきゃいけなかったと。
あるいは金遣いもそうです。
カヒフヘホっていう風に書く文字は、
語中だとワイウエオの音になるっていうのがありますけど、
女子のワとかね、
オモヒデと書いてオモイデと読むとか、
ああいったものですけど、
すでに発音の方は変化しているのに、
金遣いの方はそのままであるっていうことで、
代表的なのは定価金遣いっていうのがあって、
それを学ばなきゃいけなかったんですよね。
あるいは漢文とか漢詩って言われるのも、
そういった規範文法の一つと考えられると思います。
日本という国はあらゆる側面で中国からの影響を受けてますけど、
言語の面でもそうです。
漢語もたくさんあるし、発音の変化もあったりしたんですけど、
日本という国で大陸の言語が話されるっていうことはありませんでした。
が、漢詩とかね、
そういった特定の分野で、
ある意味中国語を使わなきゃいけなかったので、
そういう母語ではない言語、
あるいは和者がいない言語を学ぶために、
規範文法があったということです。
こういうふうにラテン語とか日本語の文語、
あるいは漢文とか漢詩とか、
こういう和者のいない言語を学ぶために、
文法というものが存在していた、
つまり規範文法というものがあったということができると思います。
ということで、
昔の言語学では文法といえば規範文法であり、
ある意味その名残みたいなものが学校教育に残っているので、
どうしても文法といえば正しいものがあるっていうふうな発想になってしまうと思います。
繰り返しになりますけど、
現代の言語学の分野では文法といえばむしろ記述文法の方を指すということですね。
英文法とか漢文とか古文とか、
この辺は規範文法的になっても仕方ない面はあると思うんですよね。
多くの人にとってそれは母語ではないので、
特に古文とか漢文は、
規範主義的に学ばないといけない側面はあるのかもしれないんですけど、
現代日本語の文法を規範文法的に考えるのはそんなに意味がないですよね。
母語である日本語のルールを知ったところで、
一言で言えば何にもならないからですね。
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だから文法の授業が嫌いだったっていう人もいると思うんですけど、
僕はむしろそういうの面白いと思えたから運が良かったですけど、
この辺はなかなかね、退屈に思ってしまう生徒がね、
いるのも無理がないんじゃないかなと思います。
当然この番組のコンセプトとしては、
記述文法的なね、記述的な立場を取っているので、
正しい言語っていうのがあるとは想定していません。
そうではなくって、実際に使われている状況から、
こういった法則が導き出せるっていうような立場を取っています。
というかこの番組に限らず、
言語学っていうのはそういうものだっていうことがね、
分かっていただけたらと思います。
というわけで最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はしんはじゅうごでした。
またねー。
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