1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2022-09-24 10:07

#480 目的語っぽい主語??(非対格・非能格) from Radiotalk

関連エピソード
https://radiotalk.jp/talk/673192

主要参考文献
『ベーシック生成文法』 (岸本秀樹、ひつじ書房)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:05
始まりました、志賀十五の壺。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。
イルカに乗った少年です。
今回は、もうズバッと言っちゃいますけど、
非対格同士と非能格同士についてお話ししていこうと思います。
まあ何のこっちゃっていう感じですよね。
非対格、非能格、これは非常に専門的な言い方なんですけど、
僕もね、これはすごい苦手だったんですよ、ずっとね。
どっちがどっちだったっけみたいにね、
言ってることはわかるんですけど、
ちょっとうまく、どっちがどっちっていうか、
その名前が覚えられなくて、
まあ今はもう大丈夫なんですけど、
そういったものをお話ししていこうと思います。
そういったものって全然伝わってないですよね。
非対格同士っていうのは、両方動詞の話なんですけど、
主語が目的語っぽいものが非対格同士、
主語が主語っぽいものが非能格同士というふうに言います。
まあこれでもなかなかわかんないですよね。
これは自動詞の話で、
なんというかな、
イメージとしては、
多動詞文っていうのを思い浮かべたときに、
その自動詞の主語が目的語っぽいのか、
それとも多動詞の主語っぽいのかっていうふうに考えるんですよね。
例えば、壊れるっていうのは、
これ自動詞です。
というのが、
多動詞としては壊すっていうのがあって、
壊すの方は、
子供がおもちゃを壊すっていうふうに、
をっていうのが出てくるので、
多動詞なんですけど、
壊れるの方は、
おもちゃが壊れるっていうふうに、
基本的に主語しか必要ないような動詞ということで、
自動詞です。
今言ったように、
おもちゃが壊れる、
このおもちゃっていうのは、
目的語っぽいんですよね、ある意味。
つまり、
何か動作の影響を受けて、
状態が変化するという点で、
非常に目的語っぽいです。
一方、非能格動詞というのは、
例えば、踊るとか、
走るとか、
こういったものが含まれます。
これはどういった点で、
主語っぽいかというと、
ずばり動作主であるということです。
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動作主っていうのも、
言語学で使われる用語なんですけど、
意識的に何か物事を行うという点で、
踊るとか走るの主語は、
いかにも主語っぽいっていう感じなんですよね。
つまり、
同じ自動詞であっても、
主語しか出てこない動詞であっても、
その主語が何か変化を受ける目的語っぽいものと、
その主語が、
意思的に何か動作を行う主語っぽいものがあって、
前者を非対格動詞、
後者を非能格動詞と呼ぶと、
そういったことになっています。
さっき言ったようにね、
僕はこの非対格非能格がよくごっちゃになって、
どっちがどっちだったっけってよくなってたんですよね。
英語だとunaccusative、unnegativeっていうような言い方になって、
直訳になっているわけなんですけど、
ある日気づいたのは、
非対格動詞っていうのは、
本来は対格をが出てきそうなとこで出てきてないから、
非対格動詞。
非能格動詞は、
能格っていうのがちょっとすぐに説明できないんですけど、
本来能格が出てきそうなとこで出てきてないから、
非能格っていうことでね、
納得しました。
気づいたっていうか、
本来ね、そういった意味合いでつけられていることだと思います。
この非対格と非能格の区別が、
だからなんだんだっていう感じがするかもしれないんですけど、
日本語でもちゃんと意味の違いが現れることがあって、
例えば数量を表す副詞、
いっぱいみたいなもので違いが出てきます。
いっぱいっていうのは、
他動詞だと目的語の数量を表すんですよね。
子供がおもちゃをいっぱい壊したっていうと、
このいっぱいっていうのは、
おもちゃがたくさんであるっていうことを表しています。
つまり、目的語を修飾している副詞っていうことですね。
で、このいっぱいっていうのが、
非対格動詞と一緒に出てくると、
主語の数量を表すことになります。
おもちゃがいっぱい壊れた。
これもやっぱりおもちゃの数量を表してるんですよね。
まあこういった点で、
非対格動詞の主語、
おもちゃがいっぱい壊れたのおもちゃっていうのは、
確かに目的語っぽいっていうことが、
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意味だけではなくて文法的にも確かめられます。
一方、走るみたいな非能格動詞に
いっぱいっていうのが出ると、
子供がグラウンドでいっぱい走った。
こういった場合は、
いっぱいっていうのは、
主語の子供の数量を表してるわけじゃなくて、
走った量を表しているというふうに言われます。
つまりいっぱいっていうのは、
目的語っぽいものを修飾することはできるんですけど、
非能格動詞の主語は目的語っぽくないので、
その数量は修飾することができないということなんですね。
この非対格と非能格の違いが、
もっと明確に表れている言語もあります。
例えば、アラワク語、
あるいはアラワク語族っていう言語のグループがあって、
これは中南米で広く話されている言語のグループなんですけど、
この言語では、
主語や目的語の表し方が日本語と違います。
つまり、がとをの仕組みが違うっていうことですね。
専門的には、かつかく、ふかつかく言語とか言ったりするんですけど、
どういうことかというと、
あくまで日本語風に考えるとですけど、
まず他動詞から考えると、
子供がおもちゃをこわす。
こういうふうになっていると。
で、非対格動詞の場合は、
その主語が目的語と同じをで表されるんですね。
おもちゃをこわれる。
一方、非能格動詞の方は、
他動詞の主語と同じように表されて、
子供が踊るっていうような表現になるそうです。
これもなかなか面白いですよね。
日本語の場合は、非対格だろうが非能格だろうが関係なく、
自動詞の主語だったら、「が」っていうものがつきますけど、
あらわく語においては、
非対格の方は目的語と同じように、
非能格の方は他動詞の主語と同じように表すっていうことで、
ある意味で、意味としてはそっちの方がしっくりきてるかもしれませんよね。
さっき言ったように、こういうあらわく語みたいな
「が」と「を」の仕組みを、かつ格不かつ格、
あるいは分裂自動性とか言ったりするんですけど、
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と言って、日本語みたいなのは主格対格型。
もう一つメジャーなものに、
能格絶対格型っていうのがあるんですけど、
ここに能格っていうのが出てくるんですね。
このあたりの話は、まとめてやったものが確かあるはずなので、
関連エピソードとしてURLを概要欄に貼っておくので、
この後聞いていただけたらと思います。
というわけで今回のお話は、
一口に自動詞と言っても、
その主語が変化を受ける目的語っぽいものと、
その主語が意思的に何かを表す、つまり動詞を表すものと、
非対格と非能格と、
二つあるというお話でございました。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
それではまた次回お会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。
またねー。
10:07

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