1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #544 日本語に能格構文はある..
2023-05-06 10:17

#544 日本語に能格構文はあるか? from Radiotalk

能格絶対格のエピソード
https://radiotalk.jp/talk/673192
ヒンディー語・ウルドゥー語のエピソード
https://radiotalk.jp/talk/634640

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。東洋の魔女です。
今回は、能格性というものをテーマにお話ししていこうと思います。
英語だと agativity と言うんですが、
まあこれはもう言語学の相当な専門的な用語ですね。
一般には全く使われていないと思います。
能格性、あるいは能格絶対格型の格表示とかね、言ったりするんですけど、
まあそう言われても何のこっちゃっていう感じですよね。
この能格性についての話は過去にやったことがあるので、
関連エピソードをURL、概要欄に貼っておこうと思うんですけど、
これは主語や目的語をどういう風に表すかっていう問題なんですね。
で、よく能格絶対格型に対して主格対格型と言われるものがあるんですね。
で、日本語は主格対格型の言語です。
というか日本語だけじゃなくて、
おそらく皆さんが知っている言語はこの主格対格型言語ではないかなと思います。
主語や目的語といった場合、日本語だとどうなっているかというと、
主語にはがっていう助詞がついて、目的語にはをという助詞がつきます。
英語も助詞はつかないですけど、語順でそれを表しているんですよね。
動詞の前に主語、動詞の後に目的語、こういう風になっているんですが、
この日本語のがみたいなものを主格、をみたいなものを対格という風に専門的に言います。
この主格と対格を使うから主格対格型言語というわけなんですね。
英語の場合は名詞に特に何か助詞がつくわけではないので、
さっき言ったように語順で主語や目的語を表しているので、
厳密には主格対格型とは言えないかもしれないんですけど、
表し方としては一緒と言えるかもしれません。
では今回お話ししようとしている能格絶対格型っていうのはどういうものかというと、
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まず主語っていうのを2種類に分ける必要があります。
自動詞の主語と他動詞の主語っていうのを分けて考える必要があって、
日本語あるいは英語の場合は別に自動詞だろうが他動詞だろうが、
つまり走るみたいなものでも、読むみたいな他動詞の場合でも、
私が走る、私が本を読むみたいに、
動詞の種類に関係なく主語だったらガーッというものがつきます。
一方、能格絶対格型の言語の場合は、
多くの場合、まず自動詞の主語には何もつきません。
何もつかないことがその自動詞の主語であるっていうことを表してるんですね。
日本語風に考えると私走るみたいなものです。
では他動詞読むみたいな場合どうなるかというと、
私の本読むみたいな言い方になるんですね。
で、こののっていうのが他動詞の主語を表す専用の形で、目的語、本の方には何もつきません。
つまり自動詞の主語と他動詞の目的語が何もつかないという点で同じ扱いを受けています。
この何もつかないっていうのが、ある意味ゼロがついていると考えて、
これは絶対格と言われるんですね。
で、他動詞の主語を表す、仮にノーといったものをノー格と言います。
こういうふうにノー格絶対格型の言語の説明って難しくって、
馴染みがないっていうのもそうなんですけど、
主語っていうのをばらさなきゃいけないっていうかな、
他動詞と自動詞で別個に考えなきゃいけないとかね、
いろんな問題があって難しいです。
しかし日本語にもノー格絶対格型の公文みたいなものが存在するんですね。
それは可能文と言われるもので、
これは私に英語が話せるみたいなものです。
目的語の英語っていうのにがっていうのがついて、
主語っぽい方、私っていうものににっていう、
全然違うものを使っています。
可能文ではない普通の他動詞文だったら、
日本語は資格対格型で、
私が英語を話す。
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主語にが、目的語にをっていうパターンなんですけど、
これが可能文になると、私に英語が話せる。
これは私にのこのにっていうのがノー格で、
私がのがっていうのが絶対格みたいに分析しようと思えばできるかもしれません。
ただまあこれにはいろいろな反対意見もあると思います。
そもそも英語が話せるって言った場合、
この英語っていうのは目的語と言っていいのか、
がっていうのがついてるんだから、
主語とした方がいいんじゃないかっていう、
まあそういう意見がねまず考えられますね。
ただまああくまで考え方の一つとして、
私に英語が話せるみたいな可能文は、
目的語の方ががという自動詞の主語のようにね、
表されているという点で、
ノー格公文と言えるかもしれないということなんですね。
ただこの可能文って必ずしも私に英語がっていう、
にがっていうパターンだけではなくって、
普通の他動詞と同じように、
私が英語を話せるっていう風にがをっていうパターンも、
つまり主格対格型のパターンもできるんですよね。
一応傾向みたいなのはあるんですよね。
例えば英語が話せるっていう風に目的語、
仮に目的語としておきますけど、
この目的語にががつくのは、
その目的語と動詞が隣接している時だけで、
間に何か入った場合は、
英語をネイティブスピーカーのように話せるっていう風に、
をの方が出てきやすいと言われています。
なので日本語の可能文っていうのは、
いつでも私に英語が話せるっていう、
にがというノー格公文になるわけではなくって、
いろいろね、その現れる傾向みたいなものはあるようです。
というわけで日本語は、
普通主格対格型言語なわけですけど、
可能表現という限られた文脈で、
ノー格絶対格型の格表示になる、
あるいはそう見えるというお話でした。
こういうのは時々あるんですね。
一部だけノー格絶対格型になるっていうのを、
分裂ノー格性とか言ったりして、
有名なのはヒンディ語やウルドゥ語で、
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過去形の時だけ、
ノー格絶対格型の格表示になるっていうことがあります。
これは実は受動体に由来しているもので、
これについても関連エピソードあるから、
そっち聞いていただけたらと思います。
まあね、さっきもちょっと言ったけど、
ノー格絶対格型格表示っていうのは、
面白いんですけど、やっぱり説明が難しいんですよね。
困ったなと思ってたんですけど、
日本語の可能表現みたいなものだと思えば、
少し実感が湧くかなというね、
そういった目論みでございました。
ぜひ関連エピソードも合わせて聞いていただけたらと思います。
というわけで今回はここまでということで、
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
あとは評価やレビューなんかもしていただけると嬉しいです。
ではまた次回お会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。
またねー。
10:17

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