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始まりました、志賀十五の壺。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。バリーボンズです。
この番組は、10分言語学っていうことで、
まあ10分っていう、ある意味縛りの中でね、言語学の話をしてるわけなんですけど、
まあ、そうなるとね、前提知識みたいなのをすっぽかして話してることもよくあるんですね。
特に義務教育で習うような、つまり中学の国語で習うような用語っていうのは、
特に何の断りもなく使ったりしています。
例えば、五段動詞とか一段動詞とか、未然形連用形とか、
まあこういったのは平気で使っちゃってるんですよね。
なので、今回のトークは、そういったものを一回おさらいしてみようというね、
そういう回になっております。
特に動詞周辺の話になるかなと思いますね。
動詞。
まあ日本語であれば、というか、まあ今日は日本語の話なので、
終止形というか、辞書に載ってる形が、必ず五段で終わる単語ですね。
意味としては動きを表す、動作を表すのが典型的な単語ということになっています。
話す、見る、食べる、書く、飲む、何でもいいですけど、
まあこういったものが動詞と言われるものです。
動詞の大きな特徴は活用するということです。
まあ国語的な言い方をすれば、活用する自律語とか言ったりするんですね。
まあこういう活用があるものを用言とかいう言い方をして、
まあ名詞のことを対言と言って、よく対立させられてるんですけど、
まあ用言に含まれるのは、今日メインで話す動詞と、形容詞と形容動詞ですかね。
こういったものは活用するということになっています。
動詞の活用する形、変化形というかね、活用形には6種類あって、
未然、連用、終始、連体、仮定、命令っていう風にね、
6種類、一応国語では考えられてるんですけど、
僕はまあこの活用形については結構文句があるんですね。
何から行こうかな。
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まあ終始形と連体形ですね。
特に動詞においては終始形と連体形の形って区別がないので、
まあ終始形っていうのは辞書に載ってる形というかデフォルトの形で、
連体形っていうのは対言に連なる形、つまり名詞に続く形なので、
空を飛ぶ鳥みたいなものですよね。
で、これは鳥が空を飛ぶみたいに、
どちらも飛ぶっていう同じ形を使うので、
終始形と連体形を無理に分ける必要はないと思ってるんですね、僕はね。
あとは未然形とか仮定形っていうものにも文句はあるんですけど、
ひとまず国語で教えられる活用形には、
未然・連用・終始・連体・仮定・命令の6種類があるということになっています。
今言った動詞の活用の仕方に従って、
動詞っていうのはまた回グループができるんですね。
それが5段活用とか1段活用とか変格活用とかいうものです。
で僕はねここにも文句があって、
5段活用はいいんですけど、
変格活用も、家業変格活用と作業変格活用って言って、
来るとするっていう動詞がちょっと違う活用の仕方するので、
いわゆる不規則動詞として扱ってるってことでこれもいいんですね。
問題は紙一段活用っていうのと下一段活用っていう風に分けてることですね。
これは一段活用一つで別に足りると思うんですけど、
なんで紙一段と下一段に分けてるかよくわかりません。
紙一段っていうのは見るとか起きるみたいに、
ルーの前の音がイ段の音なんですね。
で下一段っていうのは出るとか教えるみたいにルーの前がエ段の音で、
言ってみればウっていう音を中心に考えて、
イっていうのはその一つ上だから紙一段、
エっていうのはその一つ下だから下一段っていうことになってるわけですよね。
だからなんなのっていう感じで、
見るっていう動詞と出るっていう動詞それぞれ見比べたときに、
それぞれ紙一段下一段らしいですけど、
見前形から順に見ない、見ます、見る、見るとき、見れば見よ。
で出るの方は出ない、出ます、出る、出るとき、出れば出よ。
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とまぁ母音が違うだけで活用のパターン自体は変わってないんですね。
なので無理に紙一段下一段って分けずに、見るも出るも一段活用でいいと思います。
というか外国人に日本語を教えるときにはそういうふうに教えてるんですね。
じゃあなんで中学の国語で紙一段下一段っていうふうに一段を二つに分けてるかっていうと、
古典文法の名残ですね。
まあ古文の文法を思い出していただけたらと思うんですけど、
もっと活用の種類多かったんですよね。
紙一段下一段に加えて紙二段とか下二段っていう動詞もあって、
あるいは変格活用ももっと多かったんですよね。
らへんとかなへんとかっていうのもあって、
まあ現代よりもっと活用の種類が多かったのがだんだんだんだん少なくなってきたんですよね。
でその時の名残で紙一段と下一段を分けてるわけなんですけど、
現代語ではそれを区別する意味はないので、一段動詞と呼んでしまっていいと思います。
で同じ理由でさっき言った終始形と連体形も分けてるんですね。
古文だったら終始形と連体形っていうのは確かに違う形のものもあったので、
分けてもいいと思うんですけど、現代語では形一緒なんだから全く分ける必要はないと思います。
なんか中学の国語を復習しようみたいなノリで始めたんですけど、文句を誘拐みたいになってきましたね。
でもう一つ文句があって、この際だから言っとくんですけど、
未然形で、まあ未然形ってないとかれるられるとかつく形ですけど、
つまり書くっていう動詞だったら書かないとか書かれるとかだから、
書かっていうのが未然形なんですよね。
でその未然形に過去をみたいな勧誘の形も含まれてるんですね。
これはないなぁと思いますね。
それだったら活用形の種類を1個増やして勧誘形っていうのを作って、
過去っていう活用形を作るべきだと思います。
というか五段動詞って言ってるんだからそうすればいいと思うんですけど、
なぜか未然形扱いになってるんですね。
まあなぜかっていうかこれも古典文法の名残で、
過去っていうのは歴史的にはかかむっていう形に由来してるんですね。
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でこのかかむっていうのがかかうになって、
このかかうが過去っていう風に変化していったんですね。
だからまあ歴史的に見れば確かに過去っていうのは未然形で間違いないんですけど、
こういう風にある言語を分析するのに、
ここで言うと現代の日本語を分析するのに、
その過去のことを持ち出したらダメなんですよね。
歴史のことを考慮してはダメで、
現代話されている日本語そのものとして分析しないとダメなんですよね、言語学的に言うと。
だから中学の国語で教えられている文法っていうのは、
言語学で最もやってはいけないことをやっていると言っても過言ではないんですね。
まあ一言で言えばめちゃくちゃ古文に引っ張られてて、
おかしな説明になっているところが多々あるということです。
というわけで今回のトークは、
中学の国語の文法に対する文句っていうことになってしまいましたね。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
番組フォローもよろしくお願いします。
では、お相手はシガ15でした。