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こんにちは、志賀十五です。志賀十五の壺、やっていこうと思います。
まあ、この番組はね、志賀十五の壺、言語学ラジオっていうサブタイトル的なものをつけて、まあ、やってるんですけど、難しいね、あのテーマ選びが。
まあ、できるだけ、なんというかな、まあ、わかりやすくというか、より実感をもって言語学っていうものがわかっていただけるようにね、いろいろ考えてるんですけど、
まあ、なんというかな、もうちょっと一歩踏み込んで、より学術的なっていうかね、まあ、そういったお話も、まあ、本当はしたいんですね。
というわけで、今日はやや専門的な話になるかなと思います。
思いますけど、まあ、でも、できるだけ日本語とかね、いろんな例を挙げながらお話ししていけたらいいなと思います。
はい、今日のお話は言語学の分野の一つである形態論っていう分野の話で、
まあ、この形態論についての話は過去にしたこともあるんですけど、まあ、いろんな考えがありますけど、一つ、言語の基本単位っていうのは語である、単語であるっていうのがあるんですね。
で、その単語っていうのをこう並べたり、どうのこうのしたりして、我々は発話しています。
で、今まで僕がこのトークの中でね、話した中に何語ぐらい単語あるかわかりませんけど、まあ、これだってね、単語を並べて話しているわけです。
で、この単語の仕組み、組み立て方、構造っていうのを解明するのが形態論と言われるものです。
まあ、英語だとモンフォロジーと言われる分野になります。
言語学では単語とはあまり言わないですね。単に語と言います。
英語だとワードで、まあ、一緒なんですけど、まあ、語ということが多いですね。
日本語ではこの語という単位は、なかなか意識しづらいものがあります。
というのが、日本語のその初期上、初期上っていうか初期体系の都合上っていうかね、分かち書きっていうのをしないんですね。
つまり単語と単語の間にスペースっていうものを入れません。
英語みたいな言語だと単語と単語の間にスペースを入れるので、
まあ、何が語なのか、どこからどこまでなのかっていうのが、まあ、話者の心理としても非常にわかりやすいんですね。
ちなみに中国語も分かち書きっていうのはしないんですね。
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まあ、これはどういうことかっていうと、中国語みたいな言語は、よく孤立語と言われる言語で、語より小さい単位っていうのをあんまり考える必要がないんですね。
一つの漢字が一つの語を表していて、なおかつそれが一つの意味を持った単位であるということなんですけど、日本語の場合はそうはいかないんですね。
そうはいかないっていうのは、一つの単語が一つのまとまった意味を持っているっていうわけではないんですね。
食べさせたって言った場合、これは話者の直感として一つまとまった単語であるっていうのはあると思うんですけど、切ろうと思えば切ることができて、食べさせたっていうふうに、語より小さい単位を認めなくちゃいけないんですね。
で、このさせとかたみたいなものを節字というふうに言います。
特に日本語の場合は、食べみたいなメインとなる要素の後ろに出てくるものが多いんですね。
させとかたもそうだけど、食べられたとか、食べないとか、食べればみたいに、普通メインとなるものの後ろに出てきます。
こういうタイプの節字を節微字と言うんですね。
しっぽという字を書いて節微字と言います。
逆にメインとなる要素の前に出てくるものを節頭字と言うんですね。
名前ぐらい皆さんは聞いたことがあるかもしれません。
頭と書いて節頭字です。
日本語にもないことはないです。
お月さまとか、ご家族とか、おーとかごっていうのは節頭字ですけど、せいぜいそれぐらいじゃないかな。
古典に遡れば、なあ泣きそうとか言ってね、泣かないでっていう禁止を表すなっていうのが動詞の前に出てきたりしてましたけど、
節頭字はかなり日本語は少なくて節微字の多い言語ということになります。
当然これは日本語に限った話じゃなくて、英語だってそうですよね。
ハッピーに対してアンハッピーとか、ポッシブルに対してインポッシブルとかね。
このアンとかインっていうのは否定を表す節頭字ということになるし、
スローに対してスローリーとかいう、lyで書くようなものは、その単語を副詞にするっていうね、副詞の節微字ということができます。
こういうふうにあらゆる言語で単語よりも小さい節字という単位を認めることができて、
まあ節頭字や節微字っていうのが我々にとってはなじみがあるものなんですけど、
面白いのは節集字と言われるものがあって、
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まあこれはインドネシア語とかにあるんですけど、
節頭字と節微字が何ていうかな、合わせて1本というか2つで1つっていうか同時につくようなものを、
周りという字で節集字という言い方をします。
あるいは節中字っていうのもあって、
これはね、メインとなる要素の間に入り込むようなものなんですね。
まあこういう節中字を持っている言語はタガログ語とかね、
クメール語っていうかカンボジア語にもあるみたいなんですけど、
我々にはちょっとイメージしづらいものですね。
で、さらにイメージしづらいのは貫通節字と言われるもので、
これが非常に面白いんですね。
どういった言語で見られるかというと、アラビア語とかヘブライ語とかね、
アフロアジア語族って言われる言語の中の特にセム語派っていう言語のグループで見られる現象なんですね。
この貫通節字っていうのはね、
まずメインとなる要素が3つのシーンからなっていることが多いです。
ものによっては4つとかもあるんですけど、大抵3つなんですね。
で、アラビア語だと、僕はね、このク・トゥ・ブっていうのが一番よくわかるんですけど、
このKとTとBっていう3つのシーンからなる要素があります。
で、意味としては書くみたいな意味なんですね。
ただ、この3つのシーンだけで独立して使うことはできなくて、
間に母音を入れたりとかして、
例えば、それぞれK、T、Bの後にアっていう文を入れて、
かたばと言うと、彼は書いたという意味になるんですね。
ただ、このク・トゥ・ブっていう3つのシーンが表すのは、
動詞だけではなくて、
キターブっていう風に別の文を入れると、本っていう意味になるし、
また別の文を入れて、カーテブとか言うと、作家っていう意味になるんですね。
共通しているのは書くみたいな意味なんですけど、
それは動詞だけではなくて、名詞にもなることがあります。
これはかなりイメージしづらいですけど、面白い言語ですよね。
アラビア語については過去にお話ししているものがあるので、
関連トークとしてリンクを貼っておきますので、そちらも聞いていただけたらと思います。
こういう風に節字っていうものを持っている言語は多くて、
その節字をくっつけることで、新しい単語をどんどん作っているわけですよね。
ただ、新しい単語を作るっていうのは、何も節字に頼らなくてもできて、
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例えば、単語を繰り返すことで、人から人々とか、新しい単語を作ることもあれば、
こういうのを重複とか重複とか言ったりするんですけど、
あるいは単語の足し算で、まさにラジオトークなんかそうですけど、単語の足し算で新しい単語を作ることもあります。
というわけで、今回のトークは言語学の一部や形態論についてのお話でした。
やや専門的なお話でしたけど、聞いてくださってありがとうございました。
また次回のトークでお会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。