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2021-12-03 15:57

005:生き残るための「境界線」の引き方

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最近読んだ記事ですね、古今東西分離を問わず学者たちは分類という白昼夢を見るという記事がありました。
さっきさんこの記事読みました?
いや読んでないですよ。
これはね、要するに種、種って種ね、種の起源の種。
この種は幻想であると、いうことを言っていて、
種の保存とかって言ったりするぐらい、種っていうのはさ、もう前提というか当たり前みたいなね、
そういうことだと思っていたんだけれども、でもそんなものはないぞと。
結局その、そもそも種っていう概念は、
まあ僕は別に専門家じゃないからわかんないけども、要するに人間と他の生き物とかっていう風に分類するための、
この、なんていうんだろうな、後からつけたフレームじゃないですか。
でね、僕がこの記事でね、すごくなるほどと思ったのはこの図なんですよ。
これ意味わかります?
うーん、さっぱりわからん。
いや、僕は、
木みたいに見えますが。
つまりね、これ、ちょっとあの、これ聞いている方は、記事のリンクから見ていただきたいんですけど、
つまりね、この、なんていうのかな、水槽みたいなとこになんか入ってるじゃないですか。
で、このこれがね、塩水を逆にしたような図があってね、
で、もともと最初は1個の種だったのが、どんどん分化していってるよねっていう話なのね。
で、逆にその分化していったものが一つに統合していくパターンもあると。
で、種というのは、そのある時点でスパッと切った時に、
「あ、これとこれ別の種だよね」と。
なるほど。
いう風に言ったものに過ぎなくて、でもそれは長い長い時代を遡ると、
もともとは同じルートに行き着くよね、ということだったりするので、
だからそれは、一瞬のこのスナップショット的に種っていうのは定義できるんだけれども、
でも、それってその瞬間の話だよねっていうね、ことをこう言っとるわけですよ。
なるほど。
でも、これをしないと話が始まらないっていうのもあるわけですよ。
いや、確かにその、魚持ってったら一緒だよねってことになるのでね。
なるほど。
で、この種で思い出したのがね、シュリンプとプローンっていう。
はっきり言ってシュリンプ以外は聞かなかった記憶がありますね。
そうそう。英語でシュリンプとプローンっていうね。
ともにこれはエビという意味なんだけれども、
シュリンプはs-h-r-i-m-pで、プローンはp-r-a-w-nね。
で、これ漢字にすると、シュリンプはエビって海のオイルと書いてエビで、
プローンの方が、なんていうのこれ、虫変にこのヒマっていう字の右側。
ああ、あのエビね。はい。
多分気持ち悪い感じのエビですね。
そうですね。ちょっとかわいそうな方のエビというかね。
足との数が違うわけね。
そうなんです。足の数の違いとか。
なるほど。
まあ一応それで、種を分けてるわけですよ、これでね。
見た目はほとんど変わらないと思うんですよね。
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そうなんです。
でね、その結局種が違うっていうのは、
このある一つの種からすると、別の種は俺とは違うみたいなね。
ある種対抗意識みたいなものを持つと思うんですよね。
でもそれが健全な競争を生み出すこともあるんですけど、
でももともと同じ種だったみたいなことを考え合わせると、
とてもこの小さな世界だなとも思ったりするし、
結局そういう微妙な問題で人を争ってんだろうなと思ったりもするなと思ったんですよね。
なるほど。
で、あとこの記事を読みながら思い出した本があって、
それが福岡先生の「世界は分けても分からない」というね、非常にいいタイトルなんですよね。
分けても分けても結局分からないっていう、この分けるっていうじゃあそもそも分かるって意味じゃないですか。
まあ分けたく、分けて理解したいと思いますよね、とりあえずはね。
結局その分けるという行為は、分かろうとするために行う非常にポピュラーな手段なんだけど、
でもそれを否定されるところが非常にね、面白いというか、分けさえすれば分かるという上等手段を封じられてしまったような感じがしてすごくいいんですよ。
結局分けているんですけどね。理解しようとするときは大体分けていくんですけどね。
会合したくなるのが人間ですからね。
確かにそうですね。大体映画とか見ててもすぐ解剖しますからね。
まあ多分解剖すれば何か出てくるだろうと自然と考えだすよね。
解剖したらなんかストーリーが進展するわけじゃないですか。
そう、大体ね。そうじゃないと。なんかやっぱり出てきてくんないと困るみたいなところもありますからね。
一方で分けないっていうか分ける前になったら直感的に分かっちゃうことってあるじゃないですか。
で、それは分けてみた結果、分かったこととはまた違った理解だったりするので、
つまりそれはね、その当然あの分けるためには時間がかかるので、
分ける前に直感的に何かが分かって、それで基づいて行動した人が勝てるんじゃないかなとも思うんですよね。
勝てる、どういうポイントで?
例えばこれから株の暴落が起こると、ということを分けずに分かる。
うん、なるほど。
多分それは何らかのこのいろんな数値を目にしたことによって、
あ、これがこうなった時っていうのは暴落する兆候だなみたいなことが分かってね、
それを感じて早々にこの手締いをすると。
でも今のは分けてません。
あー、そのいろんなパラメーター見たっていう時点でね。
そうそうそう、そういう感じもしますけどね。
あ、でもそれは株式市場の数字を見たりとかね、
いくつかの自分が知っている指数を見たりすることによって、
これの数字とこれの数字がこうなった時って、詳しくは分析はしてないけども、
そこからなんとなくね、絵が浮かんでくるというかね。
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それはあの映画のマトリックスでいうと、
緑色の半角カタカナが降ってきてるのを見た時に、
あ、これこうだなみたいなことが分かったりするじゃないですか。
あれに近いというか。
だからなんかそういうふうにこの、
当然そうなるまでには分析を繰り返してきたから、
それがあったと思うんですけど、
そうなるためには当然分けまくる過程が必要だと思うんだけども、
でもそれを減るとそういうふうにこの、
分けずとも分かるみたいな状態になれるんじゃないかなと思うんですよね。
なるほどね。
つまり経験値ってことだと多分に思うんだけれども、
そういう感覚を抱くことっていうのはあるんですけれども、
ただ私の感じでは、
ある種のバイアスを乗っけやすいっていう感じとも受け取れる気がします。
つまりこういう時はやばいんだと判断しろって言われてるような感じが少ししますね。
あーなるほど。
野球なんかは本当ありますよ。
もう絶対こうなったらやばいだろうなと。
でもなんとかなっちゃうことってないわけじゃないんですよね。
何百回と見ていると。
だからやっぱりある種の条件っていうのはあるんだけれども、
その条件が特定の結果は決して導き出せないんだなっていうのは、
野球程度でもありとありますね。
そうか、だからこうなったらまずいんじゃないかというこの視覚的な情報が、
その通りになることもあれば、それで判断を誤る可能性もあるということですね。
まあ誤るんですけどね。
なんかね、むしろそういう時の感じっていうのは、
判断を強いられてる感じが少ししますね。
確かにそうですね。
判断をしないで言われるっていうのは本当にいいことだなって思います。
そういう時になると、野球なんてさ、
僕が直接当事者であることはまず絶対ないわけですよ。
なのにこれほどこう応援してるチームなんだけど、
これほど切迫感を持たせられるということは、
当事者はよっぽどひどい状態にあると思うんです。
負けてる方はね。
そういう負けてる方じゃないんじゃない。
むしろ勝っていて負けそうになってる時の、
あの嫌な感じって凄まじいんですよ。
ああいう時に平成を失わないっていうことができる人は強いだろうなって思いますね。
つまり先を読めないという能力。
そういう感じが僕はします。
そうか、そういう意味ではあれですね。
結局人間にはそういう能力が、能力というか、
センサーみたいなものが備わってしまっているので、
視覚的にそういう視覚の情報ですね、
そういう風景が目に入ってくると、その風景に惑わされてしまうと。
うん、まあ惑わされるというかバイアスがかかると思いますね。
多分危機意識を持たせられるんですよ。
逆にそれを他勝手にとって裏を描くのが映画とかで使われている手法だと思うんですよ。
死ぬほど使われてる感じですね。
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ねえ、それを裏切ったりその通りになったりとかね。
青橋さん、サゾをたくさん見ているからあれなんでしょうけど、
僕はほぼすぐ鵜呑みにするように、
だから制作者意図通りに見ている多分長袖の一人ですね。
やっぱりこう、何だろうな、そのまんま持っていかれている感じが、
いつもしますね、映画とかを。
まあでもそれはね、よしよしで、
素直にそうやって愚図った方が楽しめる場合もあれば、
その裏を描いてね、制作者の意図を先読みできた方が、
空見たことかみたいな楽しみもあると。
相当意識してるんですか、その青橋さんのように、
裏を読んでくることも想定されているみたいなことすらも。
それがまさに何回か前に話したの、ナイトシャマランの映画で。
なるほどね。
あえて裏の裏で表に行くみたいな。
なるほどね。
冒頭の記事の方にですね、戻りますけれども、
こういう文章があって、自然界に自明な境界線が存在することはほぼありませんと。
ないんだろうなって今思う。
そう思います。
だけど人類は言葉で知識を積み上げることで、
現代多くの学問体系を築いてきましたと。
連続な世界を不連続な言語で切り取るときに、
そこにはいかに切り取るかという問題が立ち塞がり、
境界連携をどうすべきかという、
春春の余地が生まれますと。
つまりこの分けるからこそ分からなくなるとも言えるんですよね。
負けようとすれば、当然分かれてないものなんでね。
そういうことが起こる。
これでも言語のせいなんだろうけれども、
視覚のせいじゃないかなと思いますけどね。
目で見ているものっていうのはやっぱり、境界線があるじゃないですか。
だからこういう、これほど視覚世界を発達させてきている私たちは、
境界線を意識しないではいられないと思うんだよね。
そういうものをちょっと思いますけどね。
9年前に書いた記事を思い出すんですけど、
「言葉はなぜ生まれたのか」という本がありまして、
言葉っていうのも、今まさに言葉の話でありましたけど、
最初は言葉っていうのは音楽だったんじゃないかと。
なるほど、そもそも時々聞きますよね。
一つの説定なんですね。
そういった音の連続をお互いに交わしているうちに、
同じ音が同じものを指しているんじゃないかというふうにやっているうちに、
だんだんこの意図的にその音を変えることによって、
意図通りのことを伝えられるようになったと。
なるほど。
結局それは、連続している音の流れに切れ目をつけるから生じることなんですよね。
不連続にすると。
結局だからそれって、言葉をいなりつくったんじゃなくて、
もともとは連続して何かがあって、それを切っていって法則性をそこに埋め込むというか。
法則性がないとコミュニケートにならないですもんね。
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それがわかるということになるんだけども、
そういうどこで聞けるかっていうのがわかるようになるってことが、
多分僕はね専門知識だと思うんですよ。
うーん、そうでしょうね。
例えばこの動物は、もともとはこういう動物から派生してきたものですよと。
それは結局その目の前にいる動物を切ることができてるわけですよね。
そうですよね。
区切ると。
例えば僕はあの、持ってないものとして絶対音感っていうのがあるんですけど。
あー、絶対音感ね。はいはい。
でもだから全くだから、僕からしたら聞いたものをそのまま再現できる人は脅威の存在なんですけど、
普通にできる人はできちゃうわけですよね。
まあ訓練の様物に近いところもありますけどね。
うん。
そう、あとは見たものをそのままスケッチすることができるとか。
あれはすごいよね。
うん。で、それこそまさにさっきさっき言ったあの、視覚ですね。
その目で見た世界をどこで線を引けば、見た通りに見える絵が描けるかっていうことなので、
下手な人って変なところに線を引いちゃうわけですよ。
まあ、あの下手な人はつまり僕がそうなんだけど、あの紙のどこに線を引いてもそうは見えるようにならないんだよね。
そういう問題が先にあるんだよ、あれ。
そう、だからあの、結局今日の結論的なところを話すとですね、
自分が一番上手く引ける境界線、人には気づかないけども自分は見えてしまう線、
その分野にどんどん時間を投入していくことが生き残る上で一番いい方法なんじゃないかなと。
なるほどね。
それはだから、好きなことを仕事にするとか、得意なことを仕事にするとかっていうことを、
具体的に何をすればいいかっていうことのこの一つの答えかなと思うんですよ。
なるほど。
だからこんなことやっても誰にも評価されないとかですね、
こんなことを面白がる人はそんなにいないから儲からないとかね、
そういうふうに諦めるんじゃなくて、自分が少なくとも面白いと思っていること、
こんなふうに見えるんだっていうことを追求していくことがいいんじゃないかなってことかなと。
そこに異論の余地はあまりないと思うんですけどね。
いや、そこに悩みも常につきまどうよなということですね。
例えば、ポッドキャストもそうですが、100人ならいいですが、
これが2人とかがずっと続いた場合、果たして悩まずにいられるかなとか、
そういうことですね。
そうですね。
ただ、そうはなかなかならないんだけどね。
2人で休まないと。
2人がずっと続いたら、さすがにやばいんじゃないかって思いません?
いくら自分が好きで得意でも。
つまりジャンルというものを、今の大橋さんの話だと結局、
ジャンルがどれほどマイノリティでもいいっていう話になっていくんだけど、
そのどれほどというのはどこまで許容されるんだろうっていう悩みって、
みんな持ってるだろうなっていうマイノリティな場合はですよ。
そうですね。
ただ、マイノリティな場合は、今エヴァノートの話をしても、
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よほどの人でないとこんなに興味を持ってもらえないよねっていう話にもなってきちゃいますけどね。
1万人とか潜在的にはいても、結局1万人の人が喋るっていうことが発生し売りますからね。
エヴァノートぐらいならともかくとして、有名なアイドルグループとかの話になってくれば、
みんながそれを話題にしてるから、かえって厳しいって話にもなるし、そこは難しいんですよね。
確かに。そうか。マイナー過ぎてもダメだし、メジャー過ぎてもダメだと。
だからそこを気にしないのがいいんでしょうね。
なるほど。じゃあ結局、境界を気にしつつも境界を気にしないと。
気になっちゃうかもしれないけど、振り切った方がいいんだろうなというのは、毎度毎度落ち着くけど、
一度以上の疑問は持ちますよね。という気はします。
ということで、境界に気をつけようということですね。
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