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はい、打ち合わせキャスト第76回ということで今回のゲスト、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
いきなり勘だわけですけども、結構久しぶり、3週間ぶりぐらいですが、
3週間ぐらいお休みしてしまいました。
この間に結構色々イベントごとがありまして、僕の新刊が出たのと、ライティングの哲学という本が同時に出たのと、
あと、ひそかにカーソル第4号が完成しておりまして、
ひそかに。
まだちょっとKindleストアに配信されてないんで、大きい告知は売ってないんですけども、ひそかに完成しておりますと。
あと、さっき見たんですけど、ワークフローリーにカラーリングの機能が追加されたということで、
見てないんですけど、別にいらんしゃらなとか思うんですけど、後でまたこれを確認してみます。
喜ぶ人はお喜びですね。
そうですね、ダイナリスト系の使い方する場合は多分必要かなと思います。
で、もう一個全く斬新なkakao.appっていうアドレスからアクセスできるんですけど、アプリケーションが出まして、これ使われました?たくさん。
えっとね、僕まだ使ってないんです。
あとね、すっごくね、何やろう、独特というか新しい感じのツールで、
一見するとアウトライナーというか、アウトラインビューっていうのもあるんですけど、それとは違って、
一時期、今でもなかなかMacのツリーっていうアプリがあって、横に伸びていくアウトラインがあったんですけど、
あれに似てるかなと大きいやっぱ違うんですね。
ちょっと違う。
はい。で、2つのビューがあって、アウトラインビューではアウトライナーを使っている風なんですけど、まだこれから多分機能追加をされていくんですが、
もう通常のビューの方が、どっちかっていうとエディターを使っているのに近い感じがしましたね。
はいはいはい。
はい。
なんかあの、作者、ポカリムさん。
はい。
多分アウトライナーなんだけど、アウトライナーそのものというよりも、アウトライナーを含む、
ああいう構造をエディターの中でどう扱うとかっていうのをずっと考えている人だと思うんですよね。
確かに。
で、なんかこういろんな試みをしてきてたので、ちょっとね体調を崩しちゃって試せてないんですけど、
結構僕のあれ楽しみにしてたものだったんで、ぜひ近々ちょっと使ってみたいと思いますが。
そうですね。だからアウトライナーとは違う形の構造化エディター、構造式、構造的エディター、なんかそんな感じのニュアンスですね、きっと。
うん。なんか括弧で行を括ったような表示とか、
はい。
ちょっと今まで見たことない構造の扱い方をしてるんですよね。
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今までだからやっぱり新しいツールとは言っても、結局そのアウトライナーを拡張したものとか変形したものっていうのが多かったんですけど、
完全にそのツールとして分岐してしまっている別のツールになっているという感じがあって、
そういうのが出てくるのがやっぱり素晴らしいなと第一に思いましたね。
ですね。
はい。
まあじゃあこれが1回使われてからお話聞きたいのと、実はちょっと開発者の方にインタビューしようという話が持ち上がっているんで、
また、
そうでしたね、そういえば。
はい。打ち合わせキャストでもまた特別回としてお送りできるかなと思います。
はい。
というわけで本題なんですが、
僕の本についていろんなところで喋ってるんですけども、
結構ね、いろいろ喋ってますもんね、もうね。
はい。基本的にどの場所でも結構違う話をしてるんで、今回も違う話ができるかなと思うんですけども、
僕から喋るといえば、たくさんから感想をいただきつつ、何か話を続け合っていけたらなと思うのですが、
とりあえず僕のここの今までの感じで言うと、まず驚いてるんですけど、めちゃくちゃ反響がありまして、
いやー、すごいですね。
あのー、まあその最初に、一番最初に読む人はどちらかというと僕のもともと知ってる人なんで、
そのー、ある程度高評価いただけるっていうのは傾向としてあると思うんですけど、
これ全然知らん方がTwitterで購入しましたっていう方、あのー、報告とかもあり、
しかも、あのー、今のところAmazonレビューがトータル7ついただいてるんですけど、
6つ目まで全部5やったんですよね、星。
いやー、素晴らしい。
これ、ちょっとやらせを疑われても仕方がないんじゃないかなと思うぐらいこの星5つをいただきまして、
まあ、最近、一番最近のが星1つで、なんかようやくレビューらしくなってきたなという気はしてるんですけども、
でもまあ、あのー、非常にありがたいなと、
あのー、そういう反応をいただけるとは思ってなかったんで、
まあ嬉しい、驚きと嬉しさの半分半分という感じがしております。
うん。いやー、大好評ですよね。
はい。
なんか、あのー、見たことない方のツイートで、
「今、Twitterで話題の」っていうのから言葉ついて伸びましたよ。
話題だったんや、びっくりしたんですけど。
いいですね、はい。
いやー、でもあれですね。
あ、改めて出版おめでとうございます。
ありがとうございます。
でもやっぱりね、この打ち合わせキャストでも、
その、書いてる途中のプロセスの話をちょこちょこしていただいてたので、
それがこう形になって本になってあるというのはなんかこう、
もちろん書いた本人が一番そうでしょうけど、
話を聞いてたのはもうこう、あれですよね。
ちょっと感慨深いものもありますよね。
あー、ありがとうございます。
結局、
あー、これが本になったんだなーと。
半年くらいかな、企画発から、
06:00
あのまあ企画のメールが始まったのが10月くらいで、
それでまあ書きましょうかみたいなのが11月くらいで、
そっからまあ半年くらいかかったんですけど、
結局、今までの本も、
まあ3ヶ月とかで書きますとか言いつつ、
結局4、5ヶ月かかってたことを考えると、
あのー、まあ元、あんまり変わらないペースで進みつつ、
まあ、かなり負荷の小さい書き方ができたなと。
まあこれも、これまで何度も言ってるんですけど、
そのバザール執筆法的な書き方によって、
自身的な負荷は小さく書けたし、
今までにない書き方ができあった、
書き方じゃないな、
今までになかった本になったのではなかったのではないかな、
というのが、今僕の中の心境なんですけど、
もちろん本人に言うのは難しいと思うんですけど、
どうでしたかね、どんな印象でした?
印象、そうですね、印象から言うと、
えー、そうですね、
倉下大先輩に失礼をかいりみず言うならば、
はい。
これまでの倉下さんの本の中で一番面白かったですよね。
僕もそう思うんですよね。
これは間違いなく僕が。
今まで、自分が書いた本を振り返ってみたときに、
やっぱり、書き手としてじゃなくて、
読者として読んだときに、
やっぱり4、星4かな、4.5ぐらいまでいく本あっても、
5をつける本はなかったんですけど、
これは読者として5をつけられるなという感触があって、
本人にもそういう感触があって、
それが独りよがりになってないといいなとずっと思ってたんですけど。
あのそうですね、だからこれ、読んでて、
今までより、何て言うんでしょうね、
なんか言い方が変ですけど、
自由に書いてる感じがしたし、
もちろん実際に書くにあたって苦労はたくさんあるはずなんですけど、
これ書いてて楽しいんじゃないかな、楽しかったんじゃないかなという印象を受けたんですよね。
特に第1章なんかこれ、書いてて楽しそうだなっていう感じを受けてしまいました。
第1章からも楽しかったですね。
第1章が話を大きく始めて、
2章から実際的な話が進むんですけど、
4章5章くらいからまた話がちょっと変わってきて、
最後の章ではもう大転換で終わるという感じで、
結局、バザール執筆法のやり方の一つに、
細かい目次案を立てないっていうやり方がありまして、
こういう話になることを一切予知してなかった、予測してなかったんで、
書きながらこうなっていくんやっていう楽しみ方ができた本でしたね、この本は。
この目次のその細かい、
2段目の回想のこの細かい見出しが決まってなかったっていうのはもちろんわかるんですけど、
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この小レベルの見出しは、
これはそのどのぐらい事前に想定されていたというか、
頭にあった感じなんですか?
この形で執筆をスタートしようってなった時に、
この7つの章プラス、もう1章、8章、実は幻の8章があったんですけど、
幻の8章は、いわゆる濃濃的ライフハックを集めた章にしようと、
僕の中で意味してたんですね、その7章までが多分中傷的な話になるから、
最後の8章はもうちょっとこう実践よりもっと具体的なノウハウをまとめた章にしようと思ったんですけど、
7章書き終えた段階で文字数がえらいことになってたので、
だから保証としてギリギリ実践につながるアドバイスだけを残して、
8章を丸と聞いたんですけど、実はその開始の時点であったその7章のコンセプトは、
小立ては結局変わってないですね、終わりまで。
でもやっぱこれはあったわけですね、この7章分だけはあって、
そこの話の細かい流れは一切想定してなかったって感じですね。
なるほど、なるほど。
でも結果的に8章なくなって良かったのかなって感じがしますけどね。
僕が多分7章まで書き終えた段階で、ここにその8章があっても違うなとは思ったと思うんですよ、きっと。
例えば書こうとした8章がどうしても必要であれば、
例えば7章を削ってその8章を復活させるという選択もあったわけですけど、
しなかったっていうことは僕の中でそれがいらない、
この本にとってそぐわないっていう判断になったんでしょうね、きっと。
なるほど。
他にも言ってますけど。
一応そもそもこの小立てに至る前に実は複数やり取りがありまして、
担当してくる編集者さんにこういうコンセプトで本を考えてますってドンって出したんですよ。
そしたら編集者さんがちょっとこれは話の流度がでかすぎますよって返ってきたんですね。
おっほう。
で、おっしゃられたコンセプトには多分3つぐらい柱がありますと。
で、その3つのうちどれかに絞ったほうがよりシャープなというか焦点が絞られた本になるんじゃないですかっていうアドバイスをいただいて、
なるほど、確かにそうやと。
いうようになって、で、そっから考え直したんですけど、僕はちょっとひねくれ者なので、
その3つのうちから1つ選べって言われたときに、1つ選ばずに1+2みたいな感じしたんですよね。
はいはいはい。
で、出来上がったのがこの本だったんで、
だからこの衝立に至る前に実は洗い出しというかネタ出しみたいなのがちょっとあって、
出来たこの衝立やったっていう流れがあるんで、いきなりここから始めたわけではないですね。だから。
なるほどなるほど。
でも僕やっぱりこの7衝立構成がすごくいいなと思ったんですよね。この読みながら。
12:05
はい。
なので、ちょっとこれがどのくらい予定通りなのか予定通りじゃないのかっていうのがまずちょっと知りたかったなと思ったんですけど、
はい。
やっぱりでもこの7衝立のイメージは、その編集者さんとのやりとりを経た後には、後の時点からはこうあったっていうことですよね。
そうですね。だから書き、自分の中で書き込みにこれについてはとりあえず外さんとこうっていうポイントがあって、
ここに管理とか思考とか読書とかっていうのがあって、それはあとはどんな順番に並べようかなと思ってパッと思いついたら、最初の順番から最後まで結局変わらなかったですね。
はいはいはい。なるほどなるほど。
いややっぱりこの衝立のこの目次第一章第二章第三章のこの衝レベルだけでも、この衝立並べて見ていると、なんていうか、あんまり今まで見たことがない内容の本だなというのが必至とするわけですよ。
そうですよね。だから今まで複数のジャンルの本がまとまっている感じがしますよね、内容的には。
そう、なんで松井と申したんですけど、やっぱりノート術の本と言っているんだけれども、ここまでノートを広く捉えたノート術の本って初めてなんじゃないかなと思ったんですね。
ノートの本と言いながら、ノートをものすごく広く捉えることによって、ものすごい射程を伸ばしちゃったような。
そうですね。
ずるいずるいみたいな。
そういう印象を受けて、例えばその、要するにそのノートを入り口にしていろんなところに伸びていくようなところがあって、
例えばある章では、ノートのと言いながら読書論が語られていたりするわけですよね。
なんでノート術の本で読書論が出てくるのかってちょっと考えると思うんですけど、これ本=ノートだという立場で語られているわけですよね。
そうですね。だから一応統一的なテーマの内部にあって、別に脱線しているわけではないんですね、これは。
だからちょっと考えるとノート術、ノートの話を遥かに超えるような内容を書いているんだけれども、
それがノートの話だという風に位置づけていること自体が、この本のメッセージのようなところがあって、
なるほど。
アウトライナー的に言えば、ノートっていうのがあって、ノートから階の階層に降りていくこともあれば、上位に上がることもある。
でも基本的に上位に上がっているわけですよね。
そうですね。
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普通ノート術の本というと、ノートの具体的な技法みたいなものがあって、その下にいろいろ書かれる感じだと思うんですけど、
それが下に降りること、階階層に降りることだとすると、逆に上の階層に上がる書き方をしていて、
そこにおまけみたいに技法がぶら下がるという、ちょっと見たことない構造をしている。
でもそれがすごく面白かったし、
なんていうか、手応えが実用書の手応えとちょっと違うんですよね、読んだ後の。
そうですよね、きっと。
じゃあ何の手応えなのかって言われるとちょっと難しいんですけど、
そういう広がりを感じたというのが最初の印象ですね。
なるほど、これも結局、技法扱う本の場合って、技法ごとに項目立てされることが多いんですけど、
やっぱりね、技法ごとに切ると切断感が強くなるというか、
結局技法ってつながってるはずなんですよね、あれとこれとそれとこれっていうのが本来は。
だからそういうつながり感を失いたくないなと。
だから主軸は技法にしないけど、でもやっぱり技法って形に提示しないと実用書にならないので。
論考ありきその補佐としてまとめ、結論としての技法みたいな感じで書いていこうっていうのも実は書きながら考えたんですよね。
思いついたんですよね。
だから書いて、まず論考が先にあって、書いてるうちにこれ技法やなっていうのをファインドしまして、
ならもう以降はその形で進めていこうということになったっていう感じですね。
じゃあやっぱりあの形になったのは考えてたっていうよりも書きながら偶然できた感じ。
書きながらそうなっていたみたいっていうのを曲げなかったっていう、流れを出てきたままにしたって感じですね。
でもこれやっぱり技法を上に、技法で衝立てしちゃうと全然違うものになる。
そういうのはなると思いますね。それはさすがに。
だからこれ多分読む人が技法のところだけつまもうとして読むと、荒ってなっちゃうんじゃないかなと思います。
まあそう、技法の本じゃないですからね、わき読んできて。
だからちょっとね、その作りの構造自体もあんまり見たことがない。
技法が吹き出しみたいに後ろにぶら下がってるという、ちょっとこれも珍しくて面白かったんですけど。
全てだから計算的に予測的に作ったんではなくて、出てきたままにコンテンツの流れに沿う形で構成していったというような感じでこうなっちゃったっていう。
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でもやっぱり先ほど言ったようにこの形になるためには、フリーライティングベースというか、
先に書いてからと言ってない限りはこういう形にはなり得ないでしょうね、きっと。
そうでしょうね。
でもやっぱり今よくある技法が書かれているような実用書じゃない形の本が本になった。
まあそういう本が出たということ自体が結構嬉しいところがあるんですけど。
ありがとうございます。
結局以前からツールの話は、テクニックの話は良いですけど、ツールと思想の話がないよねって2人でずっと言ってたんですけども。
だからその意味で思考のエンジンを読んだ時の感触のようなものが得られたらいいなと思いながらずっと書いてました。
だからその実用書の手応えとちょっと違うよなっていう、読み応えとちょっと違うよなっていうのはそういうところかもしれないですね。
どうでしょうね、きっとだから。
まあだから実用書的に、即物的に役立つかって言うとそうじゃないのかもしれないですけど、やっぱり長期的に使えるような、知識というよりは考え方かなっていうのって、こういうアプローチでないとちょっと見つけにくいんではないかなっていう。
で、まあ技法だけ拾って読むのは確かにこの本難しいんですけど、本の読み方のとこでそういう読み方はあんまり意味ないよねって。
書いてますもんね。
最初から最後まで読むように想定して今回は書かせていただきました。
そうですね、結構これ順番に意味ありますね。
順番に結構意味があって、話の流れがその組み立て方になってるんで、だからできれば頭から読んでいってほしいですね。
これは頭から最後まで読んだほうがいいし、途中で何度か転換しますもんね。
はい、そうだよね。
その転換のところが結構ね、ちょっとそこを流れの中で、そこに当たった時の感覚が結構いいので、順番に読むといいと思いますね。
はい。なんかこう、突っ込みどころというか、疑問点、質問とかがあれば。
いや、全然突っ込みどころじゃないんですけど、これを読んで思ったのが、どこまでその意図的かわかんないんですけど、これツイートもしましたけど、
知的生産の技術、要するに知的生産とか知的生活っていう、知的何々っていう、あの言い方を、なんか違う言い方で言えないものかという話を、
ずっとしてましたね。
してたじゃないですか。
はいはい。
この本って、そういうふうに意図したのかわかんないんですけど、
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例えばこのタイトル「すべてはノートから始まる」っていうのを、このノートを取っ払って知的○○に変えても成立するようなと思ったんです。
なるほど。
で、実際その中身を読んでいくと、さっき言ったみたいに、ノートそのものの話よりも、はるかにその奥に深く潜った話をしているので、
はい。
これはその、倉下さんのその知的○○について今書くんだったらどう書くべきかっていう、書いたらいいのかっていうところのなんかの答えになってんじゃないのかなと思ったんですよね。
なるほど。でもね、だめながらそんなことを考えたわけではないんで。
そこが面白いですよね。
でも言われてみれば確かに知的生産の技術(梅沙田雄)のその、あれ、何やろな、領域の切り方っていうか、なんかあの本も結構いろいろ総合的な話してますけど、
なんか似通ってるなっていうのは、指摘されて確かにそうやなと思いました。
だってこれノートっていう言い方をしているけれども、これ全部知的生産に置き換えられるんですよ、言ってることが。
で、それは要するにそのノートよりも、その直接的なノートよりも広い話をしているからそういうふうになるわけですよね。
そうですね。
だから、これは現代の知的生産の技術になってるなと思ったんです、これ読みながら。
そうか。
だから、はい。
はい、はい。
だから、ただ知的何々っていう言い方をすると、ちょっと拒絶反応を起こす人もいるから、そこをノートに置き換えて、そういう届きやすい形にしているんじゃないかとまで、うがった見方を私はしてしまいました。
そこまで戦略的ではなかったですけど、その知的生産っていう行為を構成する3つのアクションっていうのを考えたときに、やっぱり読むと書くと考えるっていうこの動作の3つだと思うんですよね。
はい。
で、読む書く考えるをするための道具って何かっていうと、やっぱりノートなんですね。
ノートじゃない。
だから結果的にそうなるんですね。だから僕としては、ノートというものを通して書くことと書いて考えるっていうことを日常生活にもっと取り入れて欲しいなと思ってたこの本を書いたんですよね。
はい。
と思うぐらい他の人って書かないんですよ。
はいはいはい。
書き止めないし、考え事するときに書くってことをしないんですね。空で考えてしまうっていう。
それは、別に知的生産をしなくても、日常の困ったことを考えるときでも書いて考えるっていうことの力強さっていうのはどこでも活躍できるんで、できれば使ってほしいと。
24:00
で、そのための道具としてのノートっていうのを持ち出したっていうのがあって、だから別に知的生産の記事と置き換えようと思ってなかったですけど、だから多分やろうとしたことは一緒やったんでしょうね、きっと。
そうだと思うんですよね。
うん。
うん。
だからなんかこうすごく大きく構えて、現代版知的生産の技術ですっていうのではないんだけれども、結果的には、その今その知的生産とかつて梅佐夫忠夫が読んだものについて語るのであれば、例えばこういう形があるなというか、
ノートという一つの言葉を、それを通じて語るというか、なんかそういう本だなと思ったんですよね。
で、しかもその知的生産だけじゃなくて、その生活のところまで届いてるじゃないですか。
はい。
だから知的生産、知的生活っていう、それで知的生活については堀さんがまた何年か前に光を当てましたけど、またちょっとそれとは違う形でノートというものを通して語るやり方があったなと。
うん。
まあだから要するに知的生産とか知的生活っていう言葉を使わないようにしてきた結果、その曲がり角を立ったときに知的じゃない方を選んでいったら、結局ここになったっていう、そういう辺路だと思うんですけど。
はいはいはい。
だから、で、僕の中でも現代的な知的生産技術を広く伝えたい、特に知的労働者じゃない人に届けたいっていうのがずっとあったんですけど、梅佐夫の思想に乗っかったまま考えると、絶対にノートっていう単語は出てこないんですよ。
はいはい。
だって彼はノートを否定してますから。
だからカードになるんですよね、絶対に。
そうですね。
だからその道のりではここには辿り着けなかったんですよね。
そうですね、確かに。
梅佐夫一発で。
これ面白いなと。曲がり、いろんなとこ、そうじゃない、そうじゃないっていったときにノートっていうものが、まあ僕自身がノートが好きなのも当然あるんですけど、ノートっていう共通語が見つけられたっていう、そうなんでしょうね、これは。
ただまあね、この本のでいうノートには当然カードも含まれてるわけですからね。
ただカードっていう単語出てこないですね、そういえば。
1カ所か2カ所、情報カードみたいなもカードやとは書いてますけど、別にカード自体は論じてないですね。だからその意味では梅佐夫の話はかなりほったらかされてますけども。
27:00
これ、そうですね、僕はだから一番、なんだろう、強く受けた印象といえばそれになるんですよね。
これはクラシタバン知的生産の技術なんだなぁと。
それを全然意図していなかったというところがまた面白いですけどね。
本当にその、その未人も近いなって思ったことは書いてる瞬間も書き終わった後にもなかったですね。
なんか随分包括的な話題を扱ってる本だなと、なんか思ったんですけど。
じゃあ僕は昨日ツイートしたときに、また何、見当違いないこと言ってやがったと思った。
いやいや、そうじゃん。ああ、そうやったんやっていう。結局ね、そういう他人から語らないとわからないって。
さっきも言ったように、梅澤ルートで考えるとノートって絶対出てこないんで、
僕はノートって使ってる時点でそれは梅澤とは違う金負になってしまうんですよ。
自分のそれまでの認識を。
言われてみて確かにその相互点があるなと思って。
だから、タスク管理の話と人生のビジョンの話は梅澤の本には出てこないですけど、
でもそこを除けば書き留めて考えるっていうことで本を読むっていうことを包括的に扱ってるという意味では、
まさにそうですし、多分だから梅澤が読者さんに伝えたかったことっていうテーマ性自体は多分重なってるなというのは確かに感じました。
そうですよね。で、やっぱりその梅澤さんの時代と今って、やっぱり違うんで。
その知的生産、もしくは知的生産という名前で呼ばれるそういうことが何で必要なのか、
何でそれを私たちはしなきゃいけないのか、もしくはした方がいいのかっていう時のその言い方っていうのが多分相当変わってくるはずなんですよね。
きっとね、それはそうなんですよね。
そういう目で、この第7章を見るとですね、ちゃんとそこが書いてあるわけですね。
書いてあるんですね、確かに。
非常にここ、これはもうもはや1000年ですけど、これ非常に結構ね、ここで割に読んでいて興奮したんですよね。
要するにこれって何で、あえてその言葉を使えば知的生産、現代において何で知的生産が必要なのか、
っていう問いに対する答えがこの268ページあたりにですね、書いてるわけですよね。
その何でノートを書くことが必要なのかということなんだけれども、
それが何でこの本がノートっていうものをものすごく広く捉えているのかっていうことの答えでもなってるし、
それが現代、この今生きているこういう世界で何で必要なのかっていうのを、
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ものすごく説得的にここで表現しているわけですよね。
そうですね。
何を言おうとしたのか忘れましたけど、
はい。
だから、知的生産の技術との関連をすごく思いながら読んでましたね。
運命さんの時代は、これから情報社会がやってくるから、それに備えるために一種のリテラチーとして知的生産、
内緒知的生産に使われる技術っていうのが市民にとって必要だよっていう問題提起だったわけですけど、
2021年の僕たちは逆にもう情報にどっぷり使っちゃってて、それがもう逆に空気のようになってて、知らんまに吸い込んじゃってるっていうところがあって、
だから、情報から身を守るために自分のノートを書くっていう、だから梅沙男の考えた動機とは違うところが始まってるんですよね。
そうなんですよ。やってきてしまった情報が時代。
そうですね、確かに。
やっぱりちょっと違うアプローチが必要なわけですよね。
確かにそうやなと思って。やっぱりでも感じてて思うのは、やっぱりずっと知的生産の技術アップデートしようと思って、
知的生産を言い換えるとか、現代に起きる知的生産の意義っていうのを論じようともがいてたわけですけど、
やっぱりその道行きは行き止まりやったんでしょうね、きっと。
そうだね、これ第7章読みながら「やってんじゃん」って。「書いてんじゃん」って。
そうか。
いや気がつかなかったな。
気がつかなかったんですね。
いやでも確かにそうですね、これは現代における知的生産の技術の意義を確認する章ではありますね、確かに。
そうなんですよ。そのビッグデータの、このね、ビッグデータがあなたは誰なのかを知ることはありませんっていうところね。
はい。
これはもうあれですよ、僕の実体験、10年間デジタルデータを蓄えてきた人間から言える、その経験として断言できることですけど、これは。
だからノートが必要なんですと。
というとこですね、どう僕は設立しているか。だからそのノートっていうのは、自分なりの情報環境を自分で作っていくっていう営みっていうのをしていきましょうという提案で、
でもそう結局だから知的生産の技術で、知的生産っていう言葉で言うともっとアウトプットというか他社向けの情報発信が認識されやすいですけど、
実際もっと広いんですよね、あれって。
そうですね。だからその内向きなものが多分知的生活っていうところなんでしょうね。
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だからそれの統合としてここに知的っていう言葉を使う、一応中に知的という言葉、知的プロセスみたいなのがちょいちょい出てきますが、知的作用とかも出てきますけど、
表題として知的っていうのが前に出てない形でそれらが統合された本になって、結果的になってしまったと感じましたね。
そうか。
まあこれでこれが本の感想としていい感想なのかどうかちょっとわかんないですけど。
いい感想というより、その著者も気づいてなかった価値あったんで、もちろん批評ですよね、もうそれは。批評として成立しますね、だから。
でも結構ね、これ最初出だしからそう思って読んでましたけどね。
へー。
逆に著者はそう思っていなかったと。
だってそもそもコンセプト自体がもう流れ任せやったんで、本当に特に後半の章は、5章以降かな、5章以降はほぼ出たとこ勝負でしたね。
うん。でもだから結局その長年考えていたことが、そこに出てくるんだよ。
そういうことだと思いますね、きっと。
逆に計画的に書いたら本当にノートの話になっちゃう。
たぶん7章はこの形には出てこなかったでしょうね、きっと。
だってここも情報技術論ですもんね、情報社会論ですもんね、ここ7章は。
そう。そうなんです。その情報社会論的なことがあって、その情報社会の中で結局どう生きるかって話ですよね。
そこで生きるためには、この本で語られているその広い意味でのノートというものがやっぱり必要なんだと。
いう話ですよね。
いやー、しかしまあ、自分の中でも変わった本になったなという。
やっぱり、話が先に繋がる話、今のところか、話が、たとえば5章に書いてある話が、
たとえば、あ、これって4章のことだったっていうようなことが結構あるんですよね、そのテイクバックシステムというか。
これはね、やっぱりね、計画的に書いたらこうは絶対ならないんですよね、僕の今までの経験上。
どっちかにまとめてしまうんですよ。
あとの話やったら3章やったら3章でまとめてしまって、5章で出さないみたいなことがなりがちなんですけど。
だから、僕はその途中で気づいてたんですけど、
この、あ、これ後で出てくるのをそのままほったらかしにしている書き方やなと思って、
これが、その読書体験として良いものなのかどうかっていうのがわからなかったんですよね。
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読みにくくなっているのではないかってごそれもあって。
でも、やっぱりこう、あ、これ繋がっているっていう発見って読書の面白さの一つだと思うんで。
はい、そうだと思います。
だから僕は今回はあえてそのままに整えずに出したという感じですね。
それはあれですよね、やっぱり最初から最後まで通して読むという読み方をする限りではすごくそれは良い。
読書体験としてはいい方に出るはずだと思うんですけどね。
はい、まあだから逆にその適当な箇所をピックアップして読む場合は、
えー、後ろの章の話とかいうことにはなってしまうでしょうから、
まあそこはその本の役割というか目的によっては変わってくるんでしょうけども。
そうですね、だからこの読んでるとこの構造的に、
こう見るとその例えば各章の終わりに次の章へのリンクが必ずリンクというかそのブリッジみたいな文章が大体入ってるんですよね。
でこう、次はこういう話、ここからこういう話に行くんだなっていう感じで次の章に移っていくんですけど、
その次の章の中ではこの前の章に、前の章で書いていたことと関係することが出てきたりして、
だからこう前方向にも後ろ方向にもこう繋がりを感じさせる作りになっているわけですよ。
なので、この某Amazonのレビューを書いた人、
これブログでいいじゃんっていうその感想がこの構造のどこから出てくるのかっていうのも非常にこう、
あのわからないところで、逆にブログ的なものから最も遠い構造になってると思うんですよね。
まあそうですね。
あまりちょっとこの話について聞きたくないんですけど、でもそうだなと思って。
やっぱりこの本は最初から流れていくタイプの本ですよね。流れていくタイプの本だし。
流れていくままに書いたからですよね。だからもう。
どうか、まあ書き方がそうなんですね。
多分書き方がそうやったから、きっかけに内容もそうなったんでしょうね、これは。
これその編集者さんから、こういう構造に対してどうみたいなことっていうのは別に。
なかったですね。
ご意見はなかったんですね。
一応そのプロトタイプ全部揃えた後に、その第一章の話がちょっとその人類史的な話と人間と脳の関係みたいな話がちょっとどっちから分かっているというか、
その段階の構造ではちょっと話が分かりにくいですよと言われて、でああそうかと思って書き直したんですよ。
そこが一番、この執筆で一番しんどかったところです。
なんか言ってましたね。一章書き直したって。
39:00
やっぱりその既存のものを、他の流れを壊さないようにくるっと入れ替えるっていう作業はやっぱりしんどいなというのはその時思いましたけど、
それ以外は全面的にOKで、どんどん4章以降ノリが変わっていくのも面白がっていただけたというか、
だからそれがあったからですね、最後まで書けたのは。
はいはいはい。
なんかこれちょっと話とっちらかってるんじゃないですかね、途中で言われたら。
多分もっと筆はショボーンとしてると思いますけど。
のびのびしてますもんね。
いや、ほんまにのびのびしてると思いますよ。
なので、人によってどう思うかはわからないですけど、そういう諸々がとても成功していると思いましたし、大変に面白かったです。
いやー、もうよかったー。それはもうやっぱりね、ちょいちょいオンニの前にしてあんまり面白くなかったという勇気のある人はいないと思いますけど、
それでも評価していただけるのは大変嬉しい。評価っていうかね、呼んでて面白かったって言ってもらえる以上にご褒美はないんですけども。
いやー、倉下先輩は評価など。
いやいやいやいや。
評価などはもうあれですけど。
まあでも、面白くなかったものを面白かったとは、それは言わないので。
いろいろと言葉をあれして当たり障りのないことを言うことはあるかもしれないですけど。
でもやっぱ面白いってつまんない言葉のようですごく、面白いって言われるのが一番嬉しい。
嬉しいですね、やっぱり。
最近聞いた中では結局一気に読み切ってしまいましたみたいな感想をいただけて。
それはやっぱり始めから最後まで一気に読んでもらおうと思って書いてるんで。
そうやって読んでもらえたらやっぱりもうこれ以上ないですね。
まあでもやっぱ書くときの勢いっていうか、書いている姿勢って文章に出ますよね。
出ると思いますね、これは。
不思議なもので。
だから元々コラム的に最初に枠分割しておいて書いていくっていうタイプはやっぱりコラムごとに文章が切れていく感じが絶対出てきますし。
それはそれでいいとは思うんですけど。
その良さもあるんですけどね。
細かく読んでいけるという意味で。
今回も著者が本当に流れのままに書いたんで、読者さんもその流れに沿って読んでいってもらってるし、
推考とか編集の段階でもその流れを極力壊さないように整えていったんで、こういう形になったという。
42:07
この再現性、同じような本は二度と書けないですけど。
自信持っていますけど。
そうでしょうね。
一回きりですね、こういうの。
このバザール執筆をするとすべて一回きりになっちゃうんで。
僕らの生存戦略の初期アウトラインを見たあれでいうと、ちょっとその匂いも感じるところもありますね。
なるほど。
本を書くっていうのは難しいなと毎回思うんですが。
簡単にできひん以上楽しんでやれる方法を見つけるしかないなというのが一つの答えですけども。
そうですよね。
そうしかないという。
そうですよね。
あとでもしかしあれですよ、最近の風通しのいい活字の組み方をした薄い新書に慣れた目でが非常に。
文字詰まってますよね。
なんか読みながらでもなかなか終わんないなと。
というね、いい感じがありましたね。
これ11万字くらいあるんですか?
11万字くらいはありますね、きっと。
でも最初からもう完成の文字数とか考えずに書いたんで、
まあ正立から計算したらだいたいこうだろうっていうのはわかるんですけど、
やっぱり文字数を先決めてしまうとその枠によってしまうんで、今回はだから書くままに書きましたね。
そうですね。
あとね、これ読んだ後なんか自分も書きたくなるような本ってあるんですけど、これもそうですよね。
それ自分で自分の本を書きたくなる?
いや、あの本に限らずこう。
何かを書きたくなる。
なんか書きたくなるものとそうじゃないものってあるんですよ。
面白くても特に自分では書きたくならない本とかあるんですよね。
なるほど。
そこがどう違うのかちょっとわかんないですけど。
なんかあるんでしょうね。
つまらない本を読んで書きたい気持ちが湧き上がらないのは当然として、
だから結局その本の中で書いてますけど、読むっていう行為が著者の運動を頭に取り入れることなんで、
だから自分の体の動かし方と似てたらちょっと自分も動かしたくなってくるみたいなことかなっていう印象ですね。
要するに、著者の書いたことを一旦解体して頭の中で再構築するということをやるときに、
45:00
その再構築するときに自分の各方の回路が動しちゃうようなタイプの文章ってあるんですよね。
そう、そんな感じだと思います。
でもここまでの話で果たして宣伝につながるのかつながらないのかわからないですけど。
宣伝はもう十分やってるんで。
十分やってるっていうか、もう結構だから僕のリーチできる範囲の人にはもう結構届いたかなという感じですね。
うーん。
まあというか、正直この本が今ランキング上がってたのはほぼライティングのせず学という本のおかげなんで。
結局僕の…。
でも結果的には良い登場効果が生まれてますよね。
みんな一緒に買ってるじゃん。
タイムラインで見かける写真の7割5倍一緒に写ってるんで。
いやでも本当僕そのライティングのせず学拝見したんですけど、いい感じなんですよ。
いい感じで同じこと書いてるけど違う切り口みたいな感じがしてて。
僕の本は本当に具体的なツールの話をほぼ出してないんですけど、
逆にライティングのせず学は具体的な本の話がたっぷり出てるんで。
そうですね。
両方読むととても面白いと思います。
僕もちょうど続けてライティングのせず学の方を読んでるんですけど、本当そうですよね。
逆に僕が具体的なツールの方に寄せてたら喧嘩してたと思うんですけど、
そうなってなかって非常に調和の取れた良い結果になったなと。
そうですね。
でもライティングのせず学ね、ここまで具体的なツールの方に話を振ってきているとはちょっと思わなかったんで。
びっくりしたんですけど。
でも、確かに。
ていうかね、これやっぱりどっちか勝った人なのにもう一方もやっぱり面白いはずですよね。
だから片方が面白かったらもう片方は絶対に面白いと思います。
うん、そうですね。
ライティングのせず学が薄く感じるほど、この全てがノートから始まる文字が多い。
僕、この前自分の本置いてないかなと思ってつい先日書店に行ったら、
某大なんとかさんっていう人のノート術の本が出てたんですよ、新しく。
はいはいはい。大なんとかさん。
20何日くらい発売やったんで、結構近しい日に出てて、
最新のオリジナルノート術を公開みたいな感じの本で、
すぐ読み終わりますね。
まあその、事例写真とか図解が多いからということはそうなんでしょうけど、
1500円くらいのビジネス書サイズなんですけど、あっという間に読み終わりましたから。
まあやっぱりこの本は文字が多いんだなと。
48:00
文字多いですね。
まあでも、ほっといたら多分こうなりますね、きっと。
制約がなかったらだいたい長くなりますね。
でもやっぱりそのままいいじゃないですかね。
だからノウハウを短時間で伝えるという場合に、
こういう長い文章ってもう冗長でしかなくて、
今ノイズに近いんですけど、
やっぱりその考え、思考の展開を追いかけていく文章の場合は、
やっぱり文字数が必然的に多くなりますし、
破墨とまずいことなんですよね、議論の展開って。
省略しちゃダメな話なんで。
だからこれは必然的にこうなる。
その意味で言うと、だから半分実用書ではないですよね、この本は。
そうですね。
実用的な成分もあるけども、みたいな。
はいはい。
これはどっちかというとノート実例やノート論に近い本ですね、内容的には。
そうでしょうね。
まあでもやっぱりノート論ってタイトルでは売れないでしょうね。
そうで、ノート論、そうですね。
ノート論の本ね。
そうですね。
この全てはノートから始まるというタイトルは、どなたの案ですか。
これも僕と編集者さんのピンポンで出来上がった。
ピンポン。
ピンポンというかラリーで。
ラリーで出来上がった感じで。
一応僕が出した案の一つにこれがあって、
このまずタイトルがあって、何かサブタイトルとつけて内容を補完したらいいんじゃないですかっていうんで、
僕の出したアイディア出しの中から、大量の中からこの組み合わせが生まれたという感じ。
なるほど。
記録術っていう言い方を発見したのは本当に最後の最後でしたね。
ああ、このサブタイトルの。
そうですね。
人生を開くっていうところはもう決まってたんですね。
開くっていう言葉は入れたかったんで、必ずこの本の中心的なメッセージになってるんで。
で、開くノート術って最初してたんですけど、タイトルにもノートがあって、サブタイトルにもノートがあるのはちょっとやぼったいなと思って。
で、考えてた時に記録術って言うけど記録術って言わないよなって思って、
なんか目新しいけどわかりやすい単語やなと思って採用されたと。
なるほど、なるほど。
だからノート術じゃないですよね。記録術なんですよね、この本って。
当たり前ですけど、記録についての話なんで。
そうか、記録に、そうか、そう言われてみればそうですね。
記録装置としてのノートなので、だから一番広い意味でのノート術はイコール記録術なんですけど、
ノートを取るっていうのと記録を残すっていうことの差異があるとしたら、自分の意思がそこに乗ってるかどうかってことなんでね。
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記録っていうのは僕の意識がなくても、現代ではどんどん記録って生成されてきますけど、
ノートを取るという行為だけは自分の注意がそこに向けないと発生しない行為なんで。
ノートを取るというと、自分がそれに対して注意を向けて情報を記録として残すっていう行為があるんで、
だから記録術ではありつつもノートを取るという表現が大切ですね、この本の文脈では。
なるほど、なるほど。
僕は本の内容についてはもう読んでくださいとしか言いようがないと思ってるんで。
あれですよね、この本の内容をどこが一部取り出して説明したところで何になるかっていう話はありますね。
要約しづらいし、やっぱり話が込み入ってるままに出したんで、だからもう読んでもらうしかないですね。
そうですね、だから読んでない人にどう説明するのか。
でも一つ思ったら、ノートをすごく広く捉えてるっていうのもあるし、
この技法が何十個も出てるんですけど、技法という概念もすごく広く捉えていて。
技法って読めることがあるのか。
これ技法なのか。
そういう面白さというか、このプランBがノートの技法として扱われているとか。
そうですね。
そういうところも面白いなと思いました。
これプランBって絶対ノートを使わないと無理だと思うんですけど。
そうなんですよ、考えてみればノートがないと成立しないんですよね。
成立しないですよね、これってね。
だけど普通考えてノートの技法でプランBって出てくるか出てこないと思うんですけど。
そりゃそうですね、確かに。
だからそのノートも技法も広く扱ってる。
読んでない方のためにですけど、広く扱ってるっていうのはそういう意味ですよね。
確かに。
直接的に、直接ノートかっていうとちょっと違うんだけど、
でもノートがなきゃそれは成立しないよなっていう感じの。
あるいはノートを入口にしないとそこに入れないよなっていうようなところだったりとか。
うん、確かに。
そういう広さですよね。
あとこう、僕、書いてる途中にいろいろ発見したことがいっぱいあったんですけど、
一番面白かったのはその5章を書いてるときなんですよね、5章の。
読むために書く読書のノートっていうのがあって。
最初は読むことと書くことがイコールだっていう話をしたいっていう思いだけがあったんですよ。
54:03
なるほど。
それについて最初書いてたんですけど、
途中で、そういえば別に読書って本の読むことじゃなくて、
本を読むっていう一つのプロジェクトと捉えれば、
2章とか3章の話ってここで使えるようになって書けるかなと思ったんですよね。
はいはいはい。
で、その説明にして、
いわゆる2章から3章の実践編みたいなのが5章で出てくるんですね、これ。
はいはいはい、そうですね。
こんな書き方していいのかなと思いながらも書いてたんですけど。
だから、こういう入り組んだ構造っていうのが書けたのがね、僕にとってはちょっと飛躍というかね、
レベルアップというか開き直りというか、なんかそんなのありましたね。
これでもそれこそ、これをあらかじめ計画して書くことはできないですよね。
そういう構造を作ってやるぜと思っても、絶対無理ですよね。
こういうのが出てくるのが面白いなっていうのと、もう1個この本で、
多分他の本では絶対ないだろうっていうのが、その技法のいくつかが空っぽなんですよね、名前が。
名前が空いてる技法がありまして。
そうそう、名前入ってない技法ありますよね。
自分で考えてください。
どんな本になるかっていう感じなんですけど、これもやっぱりそのこの本の中のメッセージと交往しているところがあって、
その、みおくじ見て名前ついてないのなんでやねんと思われるかもしれないですけど、
これはやっぱり自分でその、その技法に名前をつける。
何故なら自分で技法を作るっていうことが大切だという一つの表れというかプラクティスなんですよね。
これも結局、その5章書いてるときに、
あの、これ読者の人が実践するのやから名前つけてもらった方がいいんじゃないかなって思ってそうなったんで、
これも出たとこまかせなんで。
あとあれですよね、技法とか技術に全部名前がついているわけじゃないっていうところもありますね。
そうですね、確かに確かに。
名前のない技術じゃない。
そうです、名前のない技術もある、当然、っていうとこですね。
そうですね。
だからこの本って実はそのノートの使い方でありながら、
そのノウハウとの付き合い方を間接的に提示する本でもあるんですよね。
なるほどね、はいはいはい、そうですね。
こういうノウハウ自体をその絶対的なものとして受け入れる必要はなくて、
あの、アレンジしたりとか、無理やり作り出したりとかっていうのができちゃうんですよっていうことを知らせる本でもあるなと。
うん。
まあ、だからいろんな楽しみ方がある。
ありますね、きっとね。
なんかもう、全部突っ込めるだけ突っ込んだっていう、あの、よく聞くんですけど、
本、あ、著者、本の著者の一冊目の本って、その著者の大切なものが全部入ってるって話はよく聞くんですけど、
多分その意味で僕この本が一冊目の本ですね、きっと。
そういう意味で。
ああ。
初めて突っ込んだ感じですかね。
そうですね。だから今までだから、エーバーノートだったらエーバーノートという、そのフレームに合わせて自分の説明をそこに入れ込んでたって感じですけど、
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今回は逆にそのノートっていう間口を一番広くとって、自分が考えてることを全部入れたっていう形に結果的にはなりましたね。
うーん。
なるほど、なるほど。
でもこの、なんか読んだ感触の違いはそういうとこから来てるかもしれないですよね。
こう、あんまり、あんまり抑えてないといった。
そうそうそうそう。抑えてないですね。だから今までって結構その自分の考え、意見とかっていうのはあんまり書いてこなかったんですよね。
そのツールの解説とか、そのツールの思想をいかに読み解くかみたいな話はあったんですけど、
著者の僕が何をどう考えてるのかっていう論考っていうのはあんまり出してこなかったんですけど、
それを結構ストレートに出した、出せた本、出した本というか出せた本というとこですね。
なるほど。
まあそんなところでございますが、僕が気になっているのはその体調のこともありつつも、たくさんの本が、次の書いてある本がどうなっているのかっていうところが今、とても気になっておるのですが。
3週間ぐらい止まった後でまた再起動してる感じですね。
なるほど。
はい。
一つの話として、ライティングの哲学よりも前に出せたらいいねっていう話はあったんですけど、
僕思ったんですけど、逆の方がよかった、これでよかったっていう感じがすごくしてて、
今、爆発的にアウトライナーっていう単語の知名度が上がってるんで、
上がってますね。すごいですね。
ここから満を持して、おーっと、これがアウトライナーだぞっていうのが出てくる順番でよかったんじゃないかなと僕は結果的に思ってます。
かもしれないです。
いやーでもね、やっぱりアウトライナーという言葉がこれほど広まったのは初めてじゃないですかね。
そうですよね。ライティングの哲学をぺらっとめくって一番最初にアウトライナーとわーって出てて、えーって思いましたからね。
なんかアウトライナーありけど、アウトライナー座談会がベースになってるというのはあるんですけど、
そうなんですよね、これ。でまたこう、ちょこちょこっと自分の名前が出てきて、ドキドキしたりしますけど。
八葉さんが割に言及してくださるんですね。
そうですね。だから、そうですね、だから、まあ焦らずに、あの本のアウトライナーの掘り下げっていうのはそこまで深いものではないですから、
1:00:02
そこをどーんとね、本命登場みたいな感じで出されたら良いんじゃないかなと。
ハードルをこう。
いやでも、焦る必要はないというのはあると思いますよ、それは。
まあ焦る必要はない、もう出たからもう遅いんですけど、焦りようもないんです。
そうなんです、もうはや焦る必要はないんです。
いやー、こういうので仕様名っていうのが変わっていくんでしょうね。だから、逆に言うとやっぱり今まで、
いわゆる売れてるビジネス書でアウトライナーっていうのが名前が出てこないから、他の人知りようがないんですよね、そういうツールの存在について。
そうですね。
だからやっぱりその自分、アウトライナー本のこの売れてる数をずっと見ていくとね、
やっぱり自分から届かせられる範囲はもう届き終わったっていうのがすごいひしひしとするんですけど、
分かります、分かります。
こんな狭いはずがないと思うんですよね。
はい、そうですね。
もっと広いはずだし、実際、
その、何て言うんでしょう、昔、
僕と同じぐらい昔からアウトライナーに触れてた人で、そのことを知らない人もまだたくさんいるのがもう分かってるんで、
やっぱり自分の力で届かせられる範囲の限界っていうのがあるんですけど、それを軽々と超えていくじゃないですか、やっぱり。
そうですね。
やっぱり、一つの何て言うんでしょうね、
いいきっかけになるといいですよね。
自分の本が売れるのも嬉しいですけど、それよりもやっぱりこう、
アウトライナーがあることによって、ものすごく大きく変わる人って明らかにいるので、
全然会わない人ももちろんたくさんいるんですけど、
やっぱりアウトライナーを必要としている人に届くかどうかという意味では結構大きな転機になるかもしれないなと思って、
見てます。
特に、ライティングの哲学は書くことの苦しみっていうことについて言及してて、
まさに苦しんでる人にこそ欲しいツールですからね、アウトライナーというのは。
そうですね。
ま、スイッチかけて、エディターでいいわけで。
そうなんですよ。
でもね、やっぱりそれ以前に、苦しんでいいんだということをはっきり示してくれる本っていうのも実はなくて、
ないですね。
それ自体がこの本のテーマなんですけどね。
そうでしょうね、きっと。
いや、苦しいに決まってるじゃないですか、そこなの。
そうですね。
いや、やっぱり特に日本の場合、文章を書く人って文豪みたいな人が多くて、文豪ってひょいひょい書いている印象を作りますよね、基本的には。
姿、形がね、こう、なんか、着物着てね、なんか健康良し、こう。
1:03:06
でもやっぱり胃に穴とか開けてるわけですよ、文豪も。
そうですね。
しかも小説の場合はストーリーテリングですけど、そうじゃない文章の場合は論理構成が必要ですからね。
これまた余計にしんどいというか、胃が痛い要素が出てくるし。
論理構成が先にあると、さっき言った文章の流れみたいなのがどうしても抑制されてしまって、書けることがあるはずなのに書けないっていうことが出てくるんですよね。
頭の中で書ける感じがしているものと、実際に書けるものが違うんですよ。
その違いが苦しいっていうのもあるんですよね。
あります、あります。
だから、そういう人の何割かは多分アウトライナーにうまく出会うことができれば、
そして正しい使い方を知ることができれば、随分救われるんじゃないかなと思いますね。
やっぱりそういうのって、若い頃偶然の出会いでもなかったら、大学生が自分の卒論を書くときですよね、きっと。
一番最初にそういうのを必要とするタイミングというのは。
そうですね。
だからそういうところに千葉先生はリーチしやすい。
ドックスショザラさんも多分そうですけど、そういう人たちがアウトライナーという一つのツールを知る。
ワードのアウトラインモードでもいいんですけど、アウトライナーというものを知ることによって、
文章っていうのが実は流れるように書くんではないよっていうようなことを知るだけでもだいぶ楽になりますね、きっと。
そうですね。
大学でやった某イベントで某先生方と話をしたときにですね、
そういう先生、立派な業績を残している先生がものすごい力技で論文を書いているということを目の当たりにして、
驚きたことがありますけど、きっとそういうものなんだなと思って。
そうですね。
だからやっぱりフォーマットとかフォーマットから生まれている自分の中の規範意識っていうものとの付き合い方っていうのが避けて通れないね、これ書くことっていうのは。
ある種の悟りを開いたらいくらでも書けると思うんですけど、気にしなければね。
つまりあらゆる自分の中にある目っていうのを閉じたらいくらでも自由に書けるんですけど、
それは結局アウトプットとしての質を捨てていることになるんで、大抵の人は無理でしょうね、そういう書き方は。
そうでしょうね。
だからどうにかしてそれと折り合いをつけるっていう一つの方法というかね。
これでもなんですかね、じゃあ僕はその話がどんどん脱線しますけど、
1:06:01
大抵の哲学を読んで感じたことの一つに文章を書くっていうのはどこまで行っても苦しいけど、やっぱり人は文章を書いてしまう人がいて、
それはなんでなんだろうなという疑問をちょっと内側に抱いたんですけど、
かかざるを得ないところがやっぱりたくさんにもありますか?
ありますね。
だから楽しいんでしょうね。
苦しいけど楽しい。
楽しいんですよね、きっと。
だから、なんでしょうね、苦しいと言いながら、多分楽しい。楽しいんですよ。
そうか、両方があるからよりやめられない。楽しいだけでも多分飽きますし、苦しいだけでは続けられないわけで。
楽しいだけだと多分ずっとやってると飽きてやりたくなるような気がするんですよね。
じゃあ苦しいんだけど、その嫌な苦しさかっていうとまたちょっと違う。
それはどういう種類の文章かによってもちろん違うんですけれども、
仕事で書かされてる文章はしんどいですね。
障害報告とか書くのはそんなに楽しくはないと思うんですけど、
やっぱり自分が伝えたい何かが、伝えたいというか、伝えたいまではっきりしてなくても表現したい何かがあって、
しかもそれを昔と違って人に読んでもらえるチャンスがこれだけある中で、それを書くということの楽しさっていうのはやっぱあるでしょうね。
書くのも楽しいし、出来上がるのも楽しい。
出来上がる前も楽しいんですよね、これ結構ね。
楽しいことだらけですね。
そうなんですよ。僕ね、アウトラインを折りたたむのが楽しくて。
あー、なるほど。
折りたたんでシュッとなっていく、とどのっていくとか、縮まっていくさ、そのものが面白いっていうことですね。
面白い。面白いし、広すぎて見通せなかったものが見えるようになる。
なるほど、なるほど。
その見えてる景色を指先一つで範囲を切り替えられるっていう、あの感じは多分、何でしょうね。
こう、ちょっと、こう、あれを出来なくなるとちょっと辛いなと。人生が辛くなるなと思います。
あー、そうか。それはでも面白いな。
そういう面白さは僕はあんまり感じないですね。
1:09:01
折りたためるっていうような楽しさはあんまりなくて、むしろ僕は、あの、エバーノートとかカードビューで何かがずらーっと並んでるのを、
スクロールしても並んでるのを見るのが僕は逆に好きです。圧倒されるような感じが好きですね。
うーん、それってあれですね。きっとなんかその、知識の量、量にこう、何かこう、自分が感じるのか。
そうです、そうやと思います。
その量に何か感じるタイプの人もいれば、それをこう、俯瞰したり圧縮したりすることに何か感じるタイプもあったりするのかもしれないですね。
僕はどっちかというと後者なのかもしれないですね。
うーん、これも結構面白いな。だからそれによって、州で主に使うツールが変わってくるっていうのはあるでしょうね、結構。
そうでしょうね。
だからやっぱこれ効率の話だけじゃないんですよね、やっぱり。
はい、ないですね。
そういうのに関わってるんですよね、これは。
もうちょっとなんかこうね、身体的なものと結びついた快楽みたいなものがあるんですよね。
うーん、まあそう、こういうのだから、やっぱりそういうのって、ライティングの哲学みたいに結構個人的な語りでないと見えてこないっていうのはありますよね。
そうですね。
でもこの4人も、ライティングの哲学の著者のこの4人の方も、そういう意味では全然違うじゃないですか。
全然違いますね。
全くタイプが違うじゃないですか。
はい、はい。
で、その全然違うタイプの人たちが、この書けない、書けないということをテーマに集って語っているという、ものすごく変な本ですよね、考えながら。
やっぱりその書けなさっていうのは、個性が出るというか、書けないっていうのは、欠落っていう意味での書け方って人によって違うわけじゃないですか。
書ける人って一緒ですよね、だからみんな書くだけだから、その差異はないんですけど。
書けなさっていうのに個性が出てくる。
で、その出てきた個性にどうフィットさせる解法を自分で見つけていくかということで、
あの、均一的な解がないんですよね、書き方が多様やから。
だから個人的な解にならざるを得ないっていうのがあって、パーソナルなノウハウにならざるを得ないというところがあって、
それがあの、すっと全部出ているのが面白いですね。
そうですね。
僕は、読んでてやっぱり一番近いなと思うのは独自土佐野さんでしたね。
その、詳細が爆発してしまうっていう、書きながら収まらなくなっていくっていうのは、もう、わかるわかるって感じでしたけど。
なるほど。僕はね、僕は誰でしょうね。
まあ、誰って比較するのもおこがましい感じはしますけど、でも、世次郎さんかもしれないですね、僕の感じは。
1:12:01
うーん。
別に同じタイプである必要は全然ないんですけど。
世次郎さんは多分表現、自己表現っていう言葉は多分どっかで使われたんですけど、
まあ、多分近いところはあるでしょうね、そういう意味では。
そうですね。で、あの、ちょっと社境的なことをするとか、乗り越え、そういう乗り越え方もちょっと実は似ているところがあるんで、
あの、そういう、あの、なんて言うんでしょうね、自分とのその共通点を、書けなさ加減が似ているなと感じたのは世次郎さんかもしれないですね。
だから、こういうのは共通のタイプを見つけると、あの、一般的なノウハウよりもヒントが見つかりやすいというのはありますね。
そうですね。あれ、これライティングの哲学の話、来週しようと思ったので、なんか今話しすぎて。
別で、個別のツールの話はまたそれぞれしていいと思うんですけど。
まあ、そうですね。さすがにちょっと脱線が過ぎるので、そろそろやめておきますが。
まあ、こっちも大変に面白いですね、こっちもね。
うん、その良い本が同時に出て、まあ、嬉しい限りなんですけども。
まあ、ちなみに向こうの本はAmazonでももう既に欠品しているぐらいの人気なようで、だいぶランキングは上なんですけども。
そうですね。
この著者陣のパワーが違いますね。
まあ、今最も売れ、勢いのある著者、特にそのお二人ですけどね、特定のお二人があれなんで。
まあ、売れて叱るべきですけど、でも、人気だから売れてるってこと以上の本になってますよね、この本は。
これも、でも、やっぱり書けない人、確かに書けない人がこれ読むとね、ちょっと楽になるところがありますね。
書けるようにはならないけど、書けないのが当たり前というか、特別なことじゃないんだっていう感じは得られますよね。
そうですね。やっぱり偉いなと思ったのは、どなただったか、ちょっと今、確認、ちょっと場所がわかんなくなっちゃいましたけど、
とは言っても自分たちって書けるんですよっていうことを言われてた。そこもね、ちゃんとそれを言ってくれてよかったなと思いましたね。
だって本書いたり、記事書いたりしてますからね、普通に。
そうなんですよ。
そうですね。
その辺の、だから書けないっていうことを、カッコつけずに出すっていう意味では、リアルなノウハウだなっていうのを、この前、マリエさんの本の話のときもしたんですけども、
最近、そういうコンテンツがちょっとずつ出てきてるなっていうのはあって、僕は大変良いことだなと思ってます。
それは良いことですよね。
1:15:00
だから、ある種のノウハウ書、ビジネス書っていうのが、役立つノウハウが語られているにも関わらず、
ある種のカッコよさを主張するがために、そのノウハウの実際と自分の実際っていうのをギャップで狂ってしまうっていうことが多々発生しているし、
いわゆるアップデートされるノウハウ書が完全版になってしまう病っていうのがあって、それも一生の話なんですけど、
実践してうまくいかないよねっていうところから始めてほしいですね、こういうのは。
いや、本当にそうなんですよね。だってそんな簡単にできるわけないよね。
できるわけない、そうそう。だから、僕の中でその頂点がGTDだと思うんですよ、あれ。
完璧な人間が想定されているんですけど、でも、アレンさんとリアルに話したら、そんなことは語らないと思うんですよ。
いや、そうだと思います。
本だから、なってるんだよって。だから、ノウハウ書っていうその体裁が求めるものが、やっぱりその現実の人間とずれているところがあって、
そのフォーマットそのものが今ちょっと変わりつつあるのではないかというところを期待していますね。
はい。それは本当にそうだと思います。
絶対読んでてこっちの方が面白いですよね、本で。
いや、本当そうなんですよ。そうなんですよ。
と言って、その自分はダメだダメだって書く本がいいわけではなくて。
そうですね。できないなりのあがき方っていうのがあるっていう話なんですけど。
今回の僕の本を紹介したんですけど、感想とかツッコミとか、こういう話が抜けてたよみたいなことがあれば、
#打ち合わせキャスト、イタガナで打ち合わせアルファベットキャストまでいただければ、クラシタがチェックしたいと思います。
先ほどもお聞きしましたが、たくさんの本が今現在進行中と。
進行中です。
僕とかたくさんの原稿が掲載されているカーソルは、おそらく今週かその頃くらいには、
Kindle各種ストアにも配信されると思います。
時間かかりますね。
やっぱり最近なんかね、余計に時間がかかるようになってる気がしてるんですが。
やっぱりもう2週間くらいかかる。
最低それくらいは見とかないといけないなっていうのを今回わかったんですけど、
そのカーソル4号も実はね、ノートがテーマで、大変面白い4号になっております。
気せずしてですね。
あれこれわざとじゃないですよね。
偶然でわざと、たまたまそうなっただけで。
でも僕の問題意識っていう、ノートに対する問題意識の中で、
特にデジタルノートの10年間の後悔じゃないですけど、
1:18:02
こうしとけばよかったみたいな話をそこで飾ってるんで、
また興味があれば読んでいただければなと思います。
はい。
はい、じゃあ今回はそれまでにしたいと思います。
お疲れ様でした。