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内閣セキュアスタ99回ということで今回もゲットにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。99回?
99回ということで10回が100回なんですけども、驚きですが、驚き以前に、3月に入っていること自体が驚きなんですけども、
驚きですね。
3月といえば確定申告なわけで、どうですか?進捗の方は確定申告の進捗。
今すげえすべてのやる気が今後ろにあるんですけども。
今年は去年私が1か月延長になって締切が4月まで大丈夫だったはずなんですけど、今年は延長はないらしく、3月の15日が締めということで、頑張って参りましょうということで。
久方ぶりなのでいくつかニュースがたまっておるのですが、まず本の紹介からいきまして、
P.G.ハマトンがいた知的生活という本がありまして、講談社学術文庫から出版されている本なのですが、
今回、三笠書房から新版としてハマトンの知的生活というタイトルで再出版されております。
ハマトンの知的生活というのにある種インスパイアされて、渡部障一先生が知的生活の方向という本も書かれたと。
しかもハマトンの知的生活の翻訳者としても渡部先生は活躍されておると。
知的生活というのは知的生産とはまた別に重なるけども、別の系譜にありまして、インテリな生活、知的な生活を送ると。
知的な生活、本を読んだりとか考えたりする生活、共用人的な生活を送ろうということで、もちろん知的生産においても役立つことが書かれているその本なのですが、
いかがなせんハマトンの時代の、特にイギリスのいわゆる知的共用人、簡単に言うとインテリぶった価値観というかの記述があったんですね。
ちょっと時代作語じゃないかなと思うようなところがいくつかあったんですけども、
この「審判のハマトン」の知的生活では結構うまく編集されておりまして、読める内容になっております。
知的生活そのものはイマジナリーな他者に向けて書かれた手紙の定裁で書かれているんですよね。
でも、手紙なので周りくどいというか、ノウハウ本としては読みづらいところがあったんですけども、
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審判の方ではその辺もかなりざっくり編集されておりまして、ごく普通に読んでいける内容になっています。
現代で読むのであれば、ある種エッセンシャル版のような位置づけでこっちの方が読めるんではないかなと。
そういう感じの編集はされているんですね。
そっくりそのままというよりは結構エッセンシャルになっています。
なるほど。
はい。
ここから教養人的なものを省いてしまう、果たして成立するのかってちょっと、今読んでないんでわからないんですけど、一瞬思ってしまうんですが、成立する感じなんですかね。
あります。要するに、例えば知的でない人間を見下すような発言がちらほらあったんですよね。
はい。
これはあまりリベラルではなかったということなんですけども、その辺がきちんと枝打ちされているという感じですかね。
やっぱり今の感覚だとこれはなっていうところがきれいにされているという感じなんですかね。
個人の知的な向上を目指すために必要な考え方とか心構えが記されているという感じです。
なるほど。
もう一冊たまたま見つけたんですけど、中古文庫から日本語の技術という本が出てまして、日本語の技術って古臭いタイトルやなと思って著者名を見たら、清水育太郎って書いてあって、え?って思ったんですけど、
文庫版なんですけど、昔出てた本の復刻版というか、1977年にゴマ書法から出てた日本語の技術、私の文章作法というのがありまして、それを文庫版で、
1977年なんで、もう50年ぐらい前ですか?それぐらい前の日本語技術の本ということで手にとってまだ読んでないんですけども、
清水さんというのは、知的精査の技術系の本をいくつも書かれておりまして、特に論文の書き方という本と、本はどう読むかかな。
片方が岩波で、片方が高男社現代やったと思うんですけども、その辺に書かれてる方で、まだ読んでないんですけど、楽しみにしております、この本は。
なんかリバイバルというか、浜東の、これもあれなんですけど、そんな古い本をまたフューチャーするんやなというのが面白いところですね。
なんでまたこの時期に、まあなんかなんですかね。
少し前に橘高江さんがお亡くなりになって、いわゆる初期の頃の知的精査の技術書を書いてた人たちが、皆さんもうほぼお亡くなりになられてるというか。
そうですね、確かにそうですね。
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今、野口先生辺りは第2世代というかね、第1世代ではないので、第2世代の人たちはまだあれなんですけども、もうだからあの時代にあれを語ってた人たちがもういなくなって、新しい言説が生まれてくるのかなと思いきや、どちらかというとリバイバルになっているというのが、興味深い話です。
そうですね、第1世代そうですもんね、60年代、70年代ぐらいですもんね、第1世代は。
そうですね。
80年代に山根和馬さんとかその辺がいて、野口さんは90年代なんですよね。
おそらくそうでしょうね。その辺からデジタルをどう使うかみたいな話がそこら辺から徐々に入ってきてっていう感じ。
そうですね。
だから新しい言説が求められてないのか、生まれてないのか、注目されてないのか、まあよくわからないですけど、でもこうやって昔の本が手に入りやすくなるのは素晴らしいことだと思います。
そうですね。
本の話の次にツールの話なんですが、以前紹介したLogSecというローカルで、しかもMDファイル内緒はOファイルで使えるアウトライナー。
ログシークらしいですよ。
シークって読むんですか?
ログシークだということが最近誰かに教えてもらいました。
僕もログセックだと思ってました。
ログシークというオープンソフトウェアのツールでGitHubからダウンロードできる形にはなっていると思うんですけども、
普通のアウトライナーというのはOPML形式内緒ファイルで保存するんですけど、こいつはMDファイル、いわゆるマークダウン式ファイルかOファイル、Oakモードのファイルを扱って、
しかもローカルでアウトライン操作ができるツールが使えるというツールなんですけども、
この手のツールのありがちな日本語になってない、全部英語になっているということを改善するために日本語化プロジェクトというのが始まっているというところで、
その細かい話は概要欄のリンクを踏んでいただければわかるんですけども、
日本語化に参加するための準備がいろいろ必要なようで、僕それ読んでちょっとダメだったんですけども、
この手のツールって、たとえ慣れてても英語だと最初ウッてなってしまうことはよくあるので、
日本語化されてた方が望ましいなと思いつつも、翻訳されてる方がおっしゃってたんですけど、
あまり日本語化されてないので、そのツールの決まりきった役がまだ定まってないというところで難しいなという話をされてて、
確かにねえと思いますよね。
Motorinerでも結構同じ概念を違う用語で、英語自体が違う言葉を使ってたりしますからね。
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そうですよ。Zoomであったり、Focusであったり、Narrowであったりとかいろいろありますからね。
そうであっても、日本人の大抵のユーザーは日本語であった方が使いやすいので、日本語化されていった方がいいし、
共通的な用語がそこで確立されたら望ましいことだなと思います。
そうですね。これ見た目が美しいんですよね。
そうですね。結構シンプルですし。
いいなと思いながら見てますけど。
もう一個ツールの話なんですけど、レジェンドというツールをたくさんのツイートかリツイートで見つけて、
元々はMoot.doかな。なんて読めるの?Mood?
Moodだと思うんですけどね。ちょっとここも自信がない。
昔はMoodというタイトルをやったものが、レジェンドというのに名前変わりました。
レジェンドではググれないんですけど、legendapp.comでググったら見つかるかなと思うんですけど、
多機能型アウトライナーというか、僕触ったんですけどね、説明が英語だったんで途中で投げたかったんですけど、
高機能、複数ペインを置けるということはわかったんですけど、ある特定の要素を抽出できる、フィルターして並べるということもわかったんですけど、
具体的にどう使っていいのかまではちょっとわからなかったんですけど、
多分ロームリサーシとまた違った形の高機能アウトライナーなのかなという理解です、今のところ。
はい。
これ確か、僕はMac版のアプリをダウンロードして使ったんですけど、あれローカルなのかな?
ファイルはどこにあるのか見てないですか?ちょっとまた触ってみます。
あるいは触ったことがあった人はいれば教えてください。
教えてください。
もうちょっと追いかけられないですよね、これら全部。さすがに。
あと小ネタというか、昨日、今日かな?情報管理ログさんが、ディビジョンとアウトプット施行法という記事をアップしてくださいまして、
僕ら二人が書いたディビジョンという本を読んで、情報管理ログさんが書かれたアウトプット施行法というノウハウ、メソッドとの共通点を紹介されていました。ありがとうございます。
ありがとうございます。
似てるっちゃ似てますね、確かに。
ある種の普遍性を持ったテーマの割にあんまりアプローチされてないようなことなんじゃないかなと思いましたね。
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基本的にこれまでよく言われるのは、一直線のノウハウに対して、一直線じゃないノウハウ、ノンリニアな進め方、アプローチみたいなものが今後よりフューチャーされていくのかも、説明しにくい難しさがあるんですよね、この手のやつって。
そうですね。やっぱり人によって感覚って違うんで、もしかするとあんまり階層の上がり下がりみたいなことを考えないで、水平的に考えた方がいいという感覚的に入ってくるっていう人もしかすると、情報管理ログさんのアウトプット施行法か。
こっちが肌に合うっていう人はいるかもしれないなと思いましたね。
そうですね。
肌に合うっていうか感覚的に理解しやすいというか。
そうですね、確かに。
リビジョンとの違いは見直すレビューっていうところが、行動が入ってるという。当然タスクリスト扱ってるから当然アクションが実際にあって、その現実的な結果をフィードバックとして受け取るっていうところぐらいが違うんですけど、矢印の向きは似てますよね、だから。
そうですね。でも作って終わりじゃないんですよっていうところのね、そこは結構普遍的な話だと思うんですけど。
もう一個紹介しておきたいんですけど、GoFujita Notesというブログで、Ogとの日々っていう、まあ連載ですよねこれは。連載と言っていいと思うんですけど、が最近アップされてまして。
でまあ、Emaxで使えるOgモードの入門というか、どんな風に使っているのかっていうのが紹介されている記事なんですけども、これを読んで久々に僕Emax立ち上げました。
いやーこれ使いたくなりますよね。
はい、これね。以前かな、Emax試したけど左側にちょっとマージンを入れられないのが不満だみたいなこと言ったら、その当のOさんからマージンの開け方を教えていただき、それをコピペして、設定ファイルをコピペして無事マージンを開けることができたので、僕の普段使いのエジタとしても別に使えるかなという感じで、今開きっぱなしになってますね、Emax。
今も使われているわけですね。
そうですね、試しに原稿をこれで書けへんかなみたいなことを見合っております。
実にですね、やっぱりその操作が若干不慣れなところを除いても、要するにワークフローリーでやっているようなワンアウトラインの思想で全体を管理しながらも、いわゆる普通にテキストエディートできるっていう、バレットとかなし、因縁とか考えずに文章を書けるっていう良さはやっぱりありますよね、これは。
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ありますね。
ある種の理想なんですよね、これが。
Emaxだからこそできる部分もあり、Emaxだからこそ力より固い部分もあり、
そうなんですよ。
このOogというのをいろんな他のエディターとかツールで再現しようという試みはいろいろあって、僕も試したんですけど、やっぱりEmaxが一番使いやすいですね、その感じでいうと。
そうですよね、そうなんですよね。
この良さって言語化はしづらいんですけど、もし僕がEmaxマスターであれば多分Emax使うだろうなという感じはします。
そうですね。
僕は2000年頃にEmaxを使えるようになろうとしていろいろ1年ぐらいやってたんですけど、この頃でOgモードあったらなーってちょっと思いますね。
なるほど。
その頃アウトラインモードっていうのが元々あるんですよね、Emaxにね。多分それを拡張する形でOgモードって始まったんだと思うんですけど、
そのアウトラインモードがあるからこそEmaxをその時使いたかったんですけど、ちょっとね、やっぱり一生懸命覚えてちょこっと使えるようになっても、そのレベルだと本当の良さはやっぱりちょこっと使えるぐらいだとその時には本当の良さが享受できないところがあります。
Emaxってなんかね、全てのことに使うぐらいじゃないと、本当にはわからないみたいな感じになって。
まあそうですね、なんでもできるエディター以上のツールですかね、本来的には。
一応現代のEmax最新版入れるともう何も追加のプラグインなしでOgモードは使えるんで、Emaxインストールして.orgという拡張子のファイルを開いたらもう勝手にOgモードになってくれます。その辺が便利ですよ。
ハードルはずいぶん下がりましたよね、きっとね。
そもそもEmax動かすだけで大変でしたよね、昔は。
そうですよね。今のEmaxもややこしいのは、ターミナルから起動させるパターンといわゆるAppファイルみたいなアイコンがアプリケーションフォルダの中に入って、それをダブルクリックした起動するパターンと2種類あるんですよ。
そんなことを説明し始めると混乱がひどくなるんですけど、そこのハードルさえ超えて、.elファイル、環境設定を拡張を書くファイルの操作さえわかれば、あとは簡単なんですけど、簡単というかややこしさはないんですけど、そこまでがめちゃくちゃハードル高いんですよね。
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そうなんですよね。
そういうEmaxのファイルって、今のEmaxだと.emax.dっていうフォルダの中に入るんですよ。.から始まるので、見えないんですよね、普通のファインダーで。
そうかそうか。
だからファインダーでそこの見えないものを開くみたいな操作も説明しないといけない。ターミナル上であれば普通にコマンド入れたら開くんですけど、だから20,30にこの手のツールを導入するためには、パソコン初心者にとってはちょっとハードルが高いんですよ。
そうですね。
ここさえ乗り越えればというところはあるんですけどね。だからそういう点でやっぱりVS Codeみたいにダウンロードした一発で使えるみたいな方が手があるっちゃ手があるですよね。
ニュース周りはそんなところで、実は最後の話に関係するんですが、
ツールが分かるとは何かということで、結構大きめのフロ式を開けたんですけども、ことの発端はたくさんがTwitterで、どんなツールも本当に分かるには時間がかかる。それは使いやすさの問題ではなく、身体化には時間がかかるものだということと書かれていて、
確かにそうだなと思って、付け加えて僕が分かるの入り口部分では言葉、概念が強い力を持つとリプライしたら、
導入使用、身体化、言語化、導入使用、身体化、言語化のループが回っていくというリプライが書いてきて、
さらに僕が情報化社会では導入から使用の間に、予見的概念の需要という、難しい言葉を使いますが、
難しい言葉を。
それがメンタルモデルの形成の土台になる反面、先入観として使用の方向を偏らせてしまうということがありそうということで、予見的概念の需要というのは、誰かがこういうものだよと言って、それを受け入れるということですね、簡単に言うと。
はい。
要するにメタファーなんですね、だいたいよく使われるのは。このツールはこういうツールだよということを示唆されて、そういうツールなんだと思って理解して実際に使い始めると。
そういうメタファーがない場合って結構難しいというか、どうしていいのかわからんというのがあって、
例えば僕がEvernoteを一番最初に使った記載ですけど、このツール何に使っていいんだっていうふうにまず戸惑ったわけですね。
なんせあんなツールなかったわけですから。
で、どう使っていいのかわからんというところで、例えばその時に梅沢のカード法っていうのを知って、
Evernoteの一枚一枚のはこれはカードなんだって理解した時に、初めて使い方が見えてきたみたいなことがあったんですけども、
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メタファーが与えるかというよって初めてそのツールの使い方がイメージしやすくなる。
そのイメージはおそらく自分の中にある身体化された知識と交互するイメージが立ち上がると。
それがないと使えないというか使いづらい、使うステップが踏めないということがどうしてもあるんですよね。
遥か昔、師匠の背中を見て的な教育方法の場合は、とりあえず使え、やってみろみたいなところで、
自分なりの言語化がどこかでなされてっていう教育方法とか指導方法とかが職人の中ではもしかしたら一般的だったかもしれないですけど、
現代の場合はまず情報ですよね。まず情報から入って、そこから情報から知識なり操作方法を得て使い始めると。
で、大抵そこではこのツールの方向性は示唆されるし、その示唆が求められるノウハウ本でも、これってどういうツールなんかっていうことを提示してくださいと言われると。
それが導入しやすくはなるんですけども、Meta for Rである以上同じズレがありますよね。
例えっていうのは、ズレがあるから例えでやって、ズレがないんだったらそのままトトロジーになってるわけですから。
だから、そのズレが悪い方向に働いてしまうことももちろんあるだろうと。
そこが間違ってると、例えば導入しよう、身体化、言語化のサイクルがたぶんうまく回らない、あるいは途中で止まってしまうようなこともあるのではないかと考えてツイートしたっていうところで、
今回考えたのはツールがわかるとはどういうことか、あるいはどういう経路をたどってわかるようになっていくのかっていうところが今回の期待というかテーマなんですけども。
ぜひ期待。
まずツールが使えるようになる、使いこなせるという別の質のツールがわかったって感じになるためには、時間がかかるっていうのは間違いないですね、それは。
間違いないですね。
それはどれだけ操作説明書を読んだとしても、使ってみる時間の経過がないと、わかるにはたどり着けないですよね。
そう思いますね。
そこが身体化までいかなくてもいいのかもしれないんですけど、一回自分の中を通過しないと、たぶんわからないですよね。
わかった感じがないし、わかったとも言えないし、でも人間って言葉で説明されると、わかったつもりにはなるんですよね。
そこでもあるレベルのわかるは発生しているんですけど、それは使った後でわかるとは、解像度が違うというか。
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本当にわかったっていうのは難しいじゃないですか。
難しいです。
それが本当にわかったかどうかは言えないんですけど、わかったの解像度が上がっていくっていう理解の仕方の方がいいと思うんですけど、
例えば、ワークフローウィーとダイナリストも似ていますけど違いますよね。でもその違いって両方使わないとわからないですよね、基本的には。
機能としてフォルダが使って分けられますよっていうのは、はい、そうですってわかりますけど、
そう分けられることによって自分の体感的にどんな違いが生まれるのかっていうのは使ってみないとわからないですよね。
わからないですね。
当然、その上でどう使っていくかも使ってみないとわからない。
この2つはまだ僕の中では近しいグループに位置するんですけど、主にアウトライナーは同じアウトライナーのカテゴリーですけど、やっぱり違うツールの感覚がありますね、僕の中では。
違いますね。
表面的に実現している機能は近いんですけど、あの明らかな使いがっての違い、どっちが良い悪いじゃないんですけど、やっぱりデータベースとファイルの違いなんですよね、たぶん言ってしまえば。
ワークフロイドとかダイナリストは1行が多分データに、独立したデータになっているんですよね。
主にアウトライナーはワープロみたいな感じで1つの書類が1つのファイルになっているっていう概念上の違いだとはあまりよくわかんないんですけど、使うと確かにその違いって感じるじゃないですか。
感じます。
それ使ってみないとわかんないですよね。
簡単な説明として、大カテゴリーのアウトライナーというのがあって、その下に3つ並んでいて、それぞれ機能が違うというのが書かれていて、それを読んで理解したとしても、今僕らが言っているこの2つって違うよねっていうその違いがわかるところは使わないと。
ある程度しかもそれを使い、少なくとも1日ぐらいは、1日ずっとは使ってみないと、感覚としてはわからないでしょうね。
知識としてわかると感覚としてわかるの違いがあるということか。
うん、と思うんですよね。だからそのわからない段階で取り掛かりとしてやっぱりメタファを通じて説明する、最初に、古田さんが言ってたみたいなことって大事だと思うんですけど、
これ実際にあった話なんですけど、アウトライナーがあるじゃないですか。
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アウトライナーを使うと、例えばKJ法みたいなことができるんです。KJ法そのものじゃないけどKJ法みたいなことができるんですよっていう、要するにKJ、メタファですよね。
っていう説明をしたときにある人が、ああKJ法ね、昔やったことある。俺らあれ合わないんだって終わっちゃった。
ああなるほどね。
それは要するに、そのメタファを通じて説明しようとしたがために、実物に触れることなく弾いてしまったということがあるわけですよね。
そのさっきのエヴァーノートは梅沢のカード法を通じて理解することができるっていうのは一面の出品術ではあるけれども、あれ俺嫌いなんだよねっていう人が、
もちろんそうですね。
じゃあエヴァーノート俺にはいらないなってなっちゃうかもしれない。でも実際にエヴァーノートの良さっていうのは、実際にはエヴァーノートを使ってみないと多分分からないですね。いいのか悪いのかはね。
そうですね。
そう考えるとね、本当にね、ゼロからそこに食いついて理解するまでいくのって本当に難しい。特に人に対してそれをさせようとするときには本当に難しいんだなと。
自分の場合はね、自分の心の持ちようである程度変えられますけど、他人にそれを促す場合は極めて、ある意味極めて繊細なんですけど、たぶんその突き詰めていくとある種、ちょっと乱暴でもいいのかなっていうふうには思うんですけど、つまり正解はないわけで、あとはもうアワンの問題ですから、ちょっと乱暴でもいいかなとは思うんですけど、
でもその梅沢のカード法とエヴァーノートを理解するっていう理解の出発点から始まって、でも今の僕の理解はそうなってないんですよね。むしろそのカード法に相当するのはスクラップボックスやというふうにほぼ確信してるわけですよ。だから結局入り口は間違っててもいいとは僕は思うんですよ。
そのツールを長期間使うなんていうか、きっかけを与えればもうそれで役割は終わってるかなという気がするんですけど、真面目な人というか、アンチリビジョン的な人の場合は、言われた通り以外のものをイメージできなくて窮屈な思いをするっていうこともあるのかもしれないですね。
そうですね。
だからおそらく他社から与えられた導入に基づいて使用するじゃないですか。で、使用したときに違和感というか、あるいは駆離、距離感を感じたときに、それを改変しながら身体化していけばいいものを、言語に促される形で身体化しようとすると、やっぱりうまくはいかないと。
そうですね。
だからやっぱり自己流で使うっていう段階がどこかにないとダメなんでしょうね、きっと。
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そうですよね。
だから僕としては、初めから自己流でいきましょうって言いたいんですけど、それやっぱり導入にならないというか、メタファー不在になってしまうと。だからジレンマなんですよね、ここ。だからどこかで方向性をスイッチさせてほしい。
はい。
主張とか言われますけど、最初守りから入って離れ破るみたいな話がありますけど、それと似たようなプロセスをたどってもらいたいんですけど、例えば1冊の本の中でそのプロセスを提示できるかはかなり難問ですよね。
難問ですね。そういう意味ではあれですよね、これって結局説得の技術の話なんですね。
そうですね、そうそうそういうことだと思いますね、確かに。
広い意味での。
逆に言うとアジテーションなわけですよね、要するに使わせようと。
そうです、まあそうです。ただやっぱアジテートするだけでは多分足りないんですよね。
だから導入からしようという流れは仮にできても、身体化には時間がかかるし、身体化などに言語化っていうのがプロセスされてますけど、そこも難しいですよね。
そうですね。
だから導入、そうですね、1冊の本でっていう話が出たので、さっき収録のちょっと前にちらっと言いましたけど、木村泉さんの話いいですか?
はい、はい、はい、しましょう。
木村泉さん、ワープロ作文技術。
たぶん前、先週の仕事なので僕紹介した本ですね。先週か今週か。
そうだそうだそうだ。最近どこかでその記事を読んだな。
はい。
仕事なのだ。
そうそうそう。ワープロ作文技術という本を90年代の初めぐらいに書いて、これが今読んでも十分通用する内容。
ワープロというかデジタル作文技術に置き換えて、今用語だけちょっと書いて、今書いても十分通用する内容だと思うんですけど。
はい。
これは実はあれなんですよね。木村泉さんのそのワープロシリーズの3部作の3冊目なんですよね。
はい、なるほど。
岩波新書の。1冊目がワープロ徹底入門というのがあって、2冊目がワープロ徹底操縦法っていうのがあって、3冊目にワープロ作文技術だったんですけど。
はい。
最初の2冊っていうのはやっぱり当時の、これ特に一番最初なんて80年代の本なんで。
うんうんうん。
で、80年代のしかも家庭用のワープロ専用機を伝統に入門っていう形で書いてるんで、これはもうそれこそその実用情報として今読んでも多分もう役に立たないような。
33:03
はい。
ですけど、ちょっとこないだ図書館で、実家に置いてきちゃったんで図書館で借りてきて30年ぶりぐらいで読んでみたんですよね、そのワープロ徹底入門を。
はい。
これが素晴らしい入門書だなと思ったんですよ。
改めてこれ読んでるのに思い出したことがいっぱいあって。
はい。
これってね、当時の画面が10行ぐらいしか出ないようなワープロ専用機を読者が初めて入手して使うことを念頭に。
はい。
これはね、パソコンどころかワープロ専用機も家庭にはようやくこの頃から普及し始めたぐらいの時代の本なんで、そういう本なんですけど、
キーボード怖くないですよとか、ワープロっていうのはコンピューターの一緒なんですよみたいなレベルの話から始まってるんですよ。
この頃が僕ね、これ改めて、木村さんのこの文章の面白さっていうところもあって、読み物として結構読めちゃうんですけど、
これ思い出したのが、このコンピューターに関する、もしくはそのデジタルというものに関する感覚というのはおそらくこの本から始まってるということに改めて気づいたんですよね。
イメージの原風景みたいな。
原風景というか、コンピューターとは何ぞやっていう感覚が、実はほとんどここから学んでたということに改めて気づいて、
この本がすごいのは、実際に僕そうだったんですけど、僕も10行くらい表示できる当時の安いワープロ専用機がさらに展示処分費みたいになって、
秋葉原のロケット電機のエスカレーターの脇に埃まびれに置いてあったのを2万円くらいで買ってきたのが最初だったんですけど、
そういうものを使えるようになりたいと思って読者、僕も含めて読んだんですけど、読み終わった時には、
いつか自分はパソコンを買って、その上でソフトウェアとしてのワードプロセッサーを動かすようになるだろうと確信してたんです。
でね、多分それを木村先生は意図してるんですよ。
ワープロ専用機でご家庭で、まあチラシ、まあチラシだかわからないですけど、庁内会の何かとかを打つために使うような人が読み始めてた人が、
でも本当はコンピューターってこういうもので、コンピューターを使うというのはこういうことで、
ソフトウェアっていうのはどういうものでっていう感覚が植え付けられてるんですよ、読み終わった時には。
この岩波新書1冊で。
で結果的に僕もう、その1年後、そうですね、もっと大きいワープロを次に買って、その後はもうパソコンを買ったんですけど、
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そういうふうに思わせてしまう、この書き方というか。
直接的な目的をワープロ専用機について教える記述が大半なんですけど、
全ての部分で、でも本当はこの先があるんです。ちょっとずつ見せてくれるんですよね、あらゆる面で。
キーボードは怖くありませんよっていうだけじゃなくて、でもキーボードっていうのは本当はすごく大事で、
例えばIBMセレクトリックのキーボードを打ってみると、もう全く次元の違うもので、それを打つだけでタイピングが上手くなるみたいな話とか、
そういう話がちょっとずつワープロ専用機の話と後ろに組み込まれていて、
最終的には本気で文章を書きたいんだったらワープロ専用機の性能じゃ足りませんよっていうことはっきりは書いてないんだけど、ありありとわかるんですよね。
実際にはワープロ専用機の話をしてるんだけど、実際にはこの本は実はワープロ専用機では書いてないんですよと。
そこにイチ太郎というものを入れて書いてるんですよって書いてあるんだよね。
だけど別にイチ太郎をお勧めしてるわけじゃなくて、本当はイチ太郎だけじゃなくていろんなものが、
ワープロとかエディターみたいなものがあって、それぞれにいろんな特徴があって、
好みに応じてそれを取り替えていくことで、まずどこの機能を変えていくんですよとか。
ハードウェアがあってソフトウェアをそこにインストールするという概念だとか、完全なる初心者だったものがある、
そういう専門用語はほとんど使ってないんだけど、覚えちゃってるんですよね。
その後にもっと本格的なところに行く取り掛かりがちゃんとできているという。
たぶん先生なので、教育者なので、これはもう教科書なんだなと思ったんですけど。
そうなんでしょうね、きっと。
でもね、理想の入門書だなと思いながら、つい先週借りてきたのを読んでましたね。
難しいというか、パソコンとかなんじゃらっていう、そもそも論ですよね、定義から入るっていう。
こう難しいのが好きな著者は、そこから入っちゃいますよね、僕みたいな。
それでも、いやそうじゃないんだと、読者はそういうことを知りたいんじゃないよっていうところで入り口がシャットダウンされてしまうことがもちろんあるわけで、
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実用的なところと走りながらもちょいちょい小道でそもそも論の概念が読みながら覚えられていくっていうのは、導入として素晴らしいですね、確かに。
そうなんですよ、そもそも論としてはほとんど書かれてないんですよね。
でも上手いなと思ったのは、見本として使っているワープロ専用機で、
ワープロっていうのは、ほら、始めから順番に書かなくてもよくて、一度書いたことを書き直すこともできるし、保存することもできるし、編集することもできる。
こういう小さいワープロでもそれができますよって書いてるんだけど、じゃあこの本はそれで書いたのかというと、そうじゃありません。っていう持って行き方をするんですよね。
実は、筆者が使っているのはワープロではないと。
ACのPC-98というパソコンにイチ太郎というソフトを組み合わせて書いていると。
じゃあなんで専用機を使わなかったのかと。そこにはまあいろいろ理由があるんだけど、専用機でも業務用の高価なものは十分本を書けるくらいの性能があるんだけど、
まあなんてらかんてら。でも筆者はもともと職業用がなパソコンを持っていたんで、そうするとそのイチ太郎を買うだけでそれがワープロに化けますよと。
化けるというのはどういうことかというと、パソコンというのはソフトウェアを乗せ替えることでいろんな用途に使えるんですよっていう、
そのそもそも論の逆側から枝葉から持っていく。
実際にその自分がこの本を書きながら体験していることから始めて、そのコインスローモコーリの方向に戻っていくような書き方を。
でもあくまでも、もしじゃあ自分は今まで説明してたこの小さいワープロ専用機でこの本を書こうとしたら書けただろうか、でもやっぱり書けなかっただろう。
なぜなら1ファイルに1万字しか入らないから。
ちなみに今書いているこの章は2万字あります。
やっぱりその1万字しか入らないワープロでこの1章2万字ある本を書くのは大変ですよね、なぜならっていう感じなんですよね。
そうすると自然に、ただワープロっていうのは紙に打ち出すだけじゃない編集ができる上に、
編集、例えば特に長めの文章を書くために編集するためにはある程度の容量が必要なんだ、ある程度のパワーが必要なんだと、
そこらへんに売ってるやつだとちょっとそれは厳しいんだって直接書いてないけれども自然にわかってくるんですよね。
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その辺、そういうそのまわりくどい話をその苦痛なく読ませる文章の馬鹿っていうのがもちろんあるんですけど。
だから言ったらワープロ専用機、ワープロ専用機っていうその表現自体がもうちょっとニュアンスがありますよね、その専用機。
でもワープロ専用機っていうのはワープロ専用機であるからこそ説明はしやすいんで、単一機能であるから。
例えば今まで原稿用紙使ってた人からパソコンっていうのはステップが3つぐらい多分あって、
一旦そのワープロ専用機っていうのはさむことで距離が近くなる。
原稿用紙からまずワープロ専用機を理解して、デジタルとコンピューティングっていうのをまず理解して、その先のパソコンっていうのに導入線をつなげていくっていうのは、でも逆にその時代ならではというか。
そうでしょうね。
おそらくそのパソコンってなんやねんっていう人たちがワンサーがいた時代やからこそ、しかもそのワープロっていう過時的な端末があったからこそ成立したんでしょうね、きっと。
そうだと思いますね。
ただそのワープロの話だけしてもいいわけじゃないですか、たぶん。
もちろんそうですね。
ただそれがそのワープロの話では終わっていない。その先に読者が進むことをたぶん見据えて、あとできれば進ませようとして書いている。
一方ではその前に、今この時代ワープロ専用機というものが出てきたけれども、実はその前の時代にも先人のいろんな取り組みがあって、実はカナタイプライターみたいなものがあって、っていうところで梅沢さんの名前が出てきたりとか、そういう時間の歴史の中に位置づけるみたいなこともさりげなくしていたりとか。
でもやっぱり全体の分量化するとそういう技術は少ないんですね、要するに。
もちろん少ないです。量は少ないですね。
まあそれぐらいがいいというか。
そうなんですよね。
ただその全体としてはそういう、なんていうんでしょうね、長い話をしていないんですよね。あくまでも自分の経験から教えるっていう語り口の中に、ちょっと余談みたいにそういうさっきの話と歴史の話が入っている。
30年ぶりぐらいにちょっと読んだんですけど、改めて本当にうまいなと思って。
なるほど。
実際に自分のコンピューターに関する感覚ってたぶんここから入ってるんですよね。
45:00
なるほど。
そうか。だから実際例から入っているわけで、そのメタファー的理解を仲介してないというか。
というかまあだから、そもそもだからその時代にパソコンとかワープロのメタファーってないですもんね。つまり新しいツールなわけですから、どれだけ原稿行使に例えたとしても、それ的外れなメタファーなわけで。
そうですね。
あとね、この時代重要だったのはキーボード教訓書をいかに克服してもらうかっていうこと。そこにすごいページが裂かれてるんで、その辺は逆に今の20代、例えば30代の人がもし読んだら違和感感じるかもしれないですよね。
現代で言ったら英語教訓書とプログラミング言語教訓書でしょうね。おそらく。ターミナル教訓書かなどっちかっていうと。そういうのに置き換えられるでしょうね。きっと。
だから、もちろんこの内容自体は実用的に読むことは今はできない。知的生産の技術みたいに今も古典としてよ見継がれるという性質のものではないんですけど、
この書き方というか、持っていき方っていうのはすごく今でもありなんじゃないかなと思いますね。あんまりないんですよね。多分今こういうやり方って。
まあ、余談はカットされるでしょうね。おそらく。余談と思われる。
そう、半分ぐらい余談なんですよ。これ。
実用と余談のバランスというかね。まあでもだから余談が面白いからという余談を全面に出すと今度実用数じゃなくなってしまうという形。
そうですね。
知的生産の技術でも納刀術でも納刀論でもなんでもですけど、まあ言ったら知識、体系化されたノウハウの知識っていうのが大切だなと僕は感じるし、だからそもそも論を論じるわけですけど、
一方で先ほど言ったように、どれだけ言葉をつくとか、最終的にその人が使わぬ、実践する?しない限り、その身体界から先はないわけですよね。
そもそも論で納得しちゃって終わるっていうのはこれ失敗なわけですよ、要するに。
だから、そうですね、その既存の僕の本の書き方がどこまで実践を助けているのかっていうのをちょっと反省的に振り返る必要があるなと。その意味では例えば、メモの魔力みたいな本。
まあそれほどそもそもの掘り下げられてないんですけど、実践する本の売れてる数から言って多分実践してる人が多いわけで、それはそれで成功の一つの形なんかなという気もしますね。
48:05
そうですね。
そう、だから一つで思ったのはこれ入門書、ワープロ徹底入門って書いてあるけど、別にこれ読んでもワープロ使えるようにはならないと思うんですよ。
なるほど。
だけど多分、ワープロに、もしくはさらにその先のパソコンに向かう姿勢をつくれるというか、どうやって向き合えばいいのかがわかるんで。
僕もそうだったんですけど、これでなんか基礎知識がなんか感覚と、実際には全然知識ないんですけど、その感覚的にこうバリアーが減ったんで。
なるほど。
例えば本屋さんに行って、その離交所の棚のところにコンピューターの本が今みたいにたくさんはないんですけど、あるわけですよね、そこに。
そうすると以前だったら手に取らなかったような、そういう本を手に取って見るようになったんですよね。
なるほど。
で、その一環でアウトラインプロセッサーという言葉もその中から、そういう合同の中から入ってきて、それがある意味では人生を変えているわけですよね。
なるほど。
で、多分これを読んでいなければそれは起こらなかったかも。別にこの中にアウトライナーの話なんか何も出てこないですけど。
そういう意味で結構、木村いずみさんのこのワープロ徹底入門から結構大きな影響を受けたなと思いました。
だから、姿勢っていうことがさっき出てきましたけど、実際の使用よりも少し前の導入におけるメンタルモデルの確立。もっと言うと教育心の取り除きというか、新しいもの好きであるとともに新しいもの嫌いでもあるんで。
そっちの教育心とか抵抗値を減らしてくれる、取り組む気持ちにさせてくれる本だってあったと。新しいツールと接するためには何かしらそういうものが必要なんでしょうね。
例えば僕ブログにツールの紹介とか書いてるじゃないですか。そうするとブログにコメントが返ってくることがあるんですけど、さっきほども言ったり英語やから使えないという話なんですけど、
例えばDynamistとかWorkflowりとか英語やから使えないっていうのは結構無理筋だなと僕は思うんですよ。つまり複雑な英文の説明を言わなくてもまず使えるだろうし、例えば右クリックのメニューで英単語が並びますけど、
パソコン使ってるんですよね、要するにWorkflowりとかDynamistを使った。ということはGoogleでルーがないんですよ。家に辞書がないという言い訳は通用しないわけですよね。
51:06
しかも単語ですからね。
日本語で言えたら出てくるわけですよ。つまり情報がわからないという状況ではないはずなんですよ。でもおそらくさっきほど言った恐怖心、怖さ、バリアーみたいなものが多分あって、
自分でまず調べようとまず思わないんだろうなと。もうその最初の段階で拒絶されてるんだろうなと。
日本語の場合はそこが多少縮まるからちょっと使いやすくはなるんでしょうけど、英語の場合は距離がさらに開いてしまって使えない。でも多分日本語であってもどっかで詰まると思うんですよ。そのマインドセットでは。きっと。これって何か分かってない状況では。
だからそこを縮めるのが必要で、アウトライナーも説明が難しい。比喩しにくいし、デジタルツールをアナログツールでたどることは全般的に無理があるんですよね。基本的に。
無理があると思います。
スクラップボックスも難しいんですよ。スクラップボックスも基本的に比喩しにくい。情報カード、情報の単位として情報カードを記述するっていうのに似てるんですけど、これ前も言いましたけど、そのダイナミックな書き換えがあるかないかという点で大きな違いがあるんで。
別のツール。だからデジタルツールの多くは、例えば、Day1みたいなのはデジタル日記ですって言っても、おそらく間違いではないんですけど、デジタルツールならではのツールっていう、アウトライナーってまずそうですね、リストの自動的な組み替えが可能っていう、自動的じゃないな、編集的な組み替えが可能っていうのはもうアウトライナーならではですし、
そういうものはもうメタファーの解説に限界があるんだろうなと。だから、でもメタファーを使わない方がいいのかっていうのはね、ちょっと僕はまだわからないですね。でも、間違ったメタファーの危険性もやっぱりあるんで。
たぶん、僕今書いてるやつのテーマに今とても近しい話をしてたんですけど、メタファーっていうか、そうですね、メタファーって言っちゃっていいと思うんですけど、メタファーが想像力を限定しちゃうところはあるんですよね。
だけどメタファーがないと理解できない部分っていうのは必ずあるんで、たぶん、なんだろうな、この先を想像する必要があると自覚しながらメタファーを使うっていう、たぶん答えにはなってないんですけど、ちょっとそのハイブリッド的な感覚が必要なのかなと思っていて。
メタファーは導入として使うのは良いけど、そのメタファーだけでその本全体を説明しつつそうとはしないというか。
そうですね。だから文字通り、さっきの木村さんじゃないんですけど、入り口はメタファーを使うけれども徐々にそこから離れていく。
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これもたぶん木村さんがやってたと思うんですけど、最初の頃はメタファーを前提に話してるんだけど、そのまま順番に後半まで読んでいったときに、後半で実は第1章でこのように書いたけれども、本当は違うんですよみたいな。
2段構えになって説明したりするんですよね。
確かに最初の段階で後半でやって説明したら多分数字ないと思うんですけど、その後半、メタファーを手がかりに後半まで来た人なら、改めてそこから話ができる。もう1段先の話ができるっていう構造があって、そのね、実話のパワーって結構感じますね。
実話のパワーは確かにあります。でもそれはだから、頭から終わりまで読むことが想定されているという問題がまずあるのと、あとね、やっぱりね、その実話で書くのって、なんすかね、勇気がいるというか、つまり自分はもうその実話の後を知っちゃってるわけじゃないですか。
実話の前の方っていうのはある種嘘を書いてると思って書いてるわけじゃないですか、それは。今、嘘って十分に書ききれてないのをわかって書いてるわけで、それは結構、弾力がいるというか、書き手としてはもう後ろの方から、実話のから書きたいっていう気持ちが多分あると思うんで、それを抑え込む何かが多分必要だろうなっていう気はしますね。
そうですね、きっと。たぶん。でもね、一番の問題はやっぱりね、順番に読んでくれない人はどうするのかっていう話なんですけど、逆にね、順番に読んでくれない人はしょうがないなっていうのも、もっとなんかそういう弾力みたいなものが必要なのかもしれない。
たぶん、長さ。本を読むというプロセスの中で理解が変転していくっていう、それがデザインできるのが読書の面白さでもありますからね。
そういう意味では、木村さんはその本全体で、本の後半で実はっていうよりもその確証の中でそれを読んでますね。割に短いスパンの中で、実はさっきこう書いたけれどもみたいな、ここまで読んでくださった方はすでに想像が付いていると思うがみたいな。
僕自身はそれですごく理解を助けられたと思うんですよね。でも確かにその順番に読むことが前提だし、その順番に読ませるために、その内容と関係ない、なんていうの、出力というか、文章の魅力が使われてる。
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木村先生の文章の面白さというのはもういくら言っても。ちょっと今のビジネス書とか律業書を見慣れた目で見ると、ちょっとくどく感じる人も、若い人にはいるかもしれないですけど。
この人はね、計算機科学の権威みたいな、自分でちょっとひげして、私はワープロの専門家だみたいなこと書いてるんですけど、すごくある文系的な、文学とか音楽も好きなのが読んでるとよくわかるし。
やっぱり、比喩表現の豊かさっていうのが感じられて、ワープロ作品の技術というのは、アイデアはツリーのようなものである、地底を得ているようなものって、非常にイメージしやすい感じですし、対抗防止とかね、通じる人には、現代ではこういう、
対抗防止という言葉自体が通じないかもしれない。
ちょっとインテイブって言うと思われるかもしれませんけど、あとはまあ、魚群探知機方式とか、別の言い方もされてましたけど、そうやって、身近なメタファーが使われていて、わかりやすいですよね。
お魚チラチラっていう、あれはね、あの状態をそれほどうまく、比喩的に表現したのはないところですね。
そうですね。
だからね、やっぱり、比喩とか言葉の定義づけっていうのは、操作方法を単純に教えるというだけでは、やっぱり足りないと思います。
やっきーゆーたんに、その、身体化の構えを作るメンタルモデルっていうのは、やっぱりその言葉によって導かれていくところがあるので、
だから同言葉、だから、例えばカード法っていうのも、人によってイメージが多分違うんですよね。
で、おそらくカード法っていう時に、5×3とか、小さい形のカードをまず覚える人がおそらく多くて、
うめさまのカードってもっとデカいんですよね。でも、そのちょっとデカいんですよねっていうのは、カード法っていう言葉では多分ちょっと伝わりにくい。
特に現在では、あんなカード見ないですからね。
そうですよね。小っちゃいやつはまだたまに目にするけど、兄弟カードは確かにあんまり見る。
英語ノートぐらいのサイズですから、感覚的にはサイズ的にノートの方が多分近いイメージとしては。
で、やっぱりその、どういう言葉を使うかで、どういうイメージが喚起されるかっていうのが変わってしまうので、
だから、その、身体化などの言語化っていう、しかもそれを他者に伝えるための言語化っていうのが、
なんかこう、効果的なものを出ないと機能しないというか、謝ってしまうっていう。
で、思われてる以上にやっぱりそれが重要だなと。
だって、うめ、知的精査の技術を読んだ人でも、その小谷法とカードの違いって分かってない人が結構いるんですよね。
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分かってますよね。いや、てか僕もね、混同してたんですよね。
でもそういう、うめさんはあれ細かい定義付けをしてないんで、全体、体系的に整理してないから、パパと呼んだら確かに分からない。
なんか断片を操作するっていう概念で理解してしまうと、どっちも同じように見えてしまうというのはあるんで、
だからこそ逆にもうちょっときちんとその用語を使う。
で、用語の定義、名詞でも動作でもいいんですけど、名詞、例えば名詞であったとか、
名詞であったら、名詞って動作を呼ぶ?コールする?
カードやったらそう、カードを書くとか、くるとかっていう動詞を連れてくるんですよね。
逆に動詞は名詞を呼び込んでくる。だからそれ単独では成立せずに、何か他のものと付随するようになってしまうんで、
言葉の決め方、定め方、範囲の切り取り方っていうのは、理解を助ける、理解を方向付ける、理解をディレクションしてしまう、どうしてもっていうところがあって、
これが難しい、難しいというか、腕の見せ所?
「うはうぼんを書く人のきのう義行のさ」っていうのが、その辺におそらく出てくるんでしょうね。
そういう意味では文学とは違う意味ですごく繊細に言葉を使わなきゃいけないっていうことですよね。
それを考えすれば、たぶん本って書けなくなると思うんですけど、最近読んだ「言語が違えば世界は間違って見えるわけ」っていう本を読んで、
面白い例があって、ある部族は「左右前後」っていう言葉を使わないんですって、全部東西南北で言うらしいんですよ。
日常会話で「もっと西に行ってくれ」とか、そういうのが普通に使われてるんですって。
だから喋ってる人は、何を喋ってるときに方向感覚が常にあるらしいんですね。
自分がどっち向いてるかわかってるっていう話って言うと、つまり言葉使いがその人の日常的な注意をどこに置くのかっていうのを変えてしまう。
で、よく言われるのが日本語と英語の違いで、2人で一緒にその場をさるときは「excuse us」っていうと。
「excuse me」じゃなくて「us」を使う。でも日本語は指定しますっていうだけじゃないですか。
つまり単数と複数を区別しない。
例えば本も「本」って言ったらいいですけど、英語の場合は「book」か「books」か、絶対に「quad」だけ知らなきゃいけないんです。
日本人に比べて英語はそのものが単数か複数かを常に注意して言葉を発してるわけじゃないですか。だから言語の規定っていう言語っていうのはその注意を変える。
注意の質とか方向性とか強度とかを変える力があると。
1:03:00
言うたときに、ノウハウとかそこの使われる言葉もどこに注意を向けるのかを確かに方向付けてしまうんではないかなと。
それがわかったところでどうやって書いたらいいかわからないですけど、この言葉を聞いた人がそれにどんな注意を向けるのかを意識した方が多分上手い書き方ができるんじゃないかなというふうには感じましたね。
そうですね。
でもやっぱその、なんて言うんでしょうね、その、読んだ本の言葉遣いの影響って結構残りますよね。
受けると思います。
結構その後の行動に、それこそね、こう、薬剤映画見た後肩で風切って声が掛かる出てくるみたいなのに近い現象が起こることあるんですよね、影響力の強い本だと。
はいはいはい、そうですね。
やっぱね、野口幸雄さんの本を読むてで野口さんっぽいね、人間になるんですよ一時期に。
わかりますよ、それはよくわかります。
だから、逆に言えば、書くときにそれを意識、読む側がどういう風になってほしい、どういう人間になってほしいのかを意識して書くっていうのは結構重要かもしれないですよね。技術的にできるかどうか別にして。
いやでもやっぱりそれは、例えば野口さんの場合はちゃんと自分がどう考えたかの論理展開がなされてるんで、その論理展開を追うことで一時的に自分の脳にもその論理展開がソフトコピーされてついつかってしまうっていうことが起こると思うんで。
だから、実際的なツールの使い方でどこに注意してどう使っているのかとかいうところを開示するのが似た方法論になるんじゃないですかね。
だからどこに注意を置いているのかっていうのが結構大切なポイントで、やっぱり注意を置いたものに名前を付けるじゃないですか、基本的には。
はいはいはいはい。
だから、その名付けと注意の流度っていうのは多分重なるんで、だから何に名前を付けるのかっていうところも鍵を握るんでしょうね、きっと。
そうですね。何に名前を付けるか、どんな名前を付けるか。
だからその名前を付けると、どういう動きを期待しているのかも含まれる、そういうNIFANZも含まれるわけで。
うん、だからそうですね。ワインバーグの執筆法では執筆を石壁に作りにさぞいているんですけど、その段階でその素材が石っていうのは石の中身が変わらないっていうイメージがあるじゃないですか。
はい。
だからデジタル的じゃないんですよ、実際は。
うんうんうん。
だから、その組み上げる石の順番変えられるっていう部分はデジタル的なんですけど、石の中身そのものは動かないっていうイメージが沿いられてくる。だからその石っていうか、なんか別のものっていうかによってだいぶ変わってくる。
1:06:06
石をいくっていうのはむしろ流動的なイメージが強いですよね、どっちかっていうと。
はいはいはいはい。
だからこういう誤感があるんですよね。同じような動作を仮に差し示すにしても、使われる単語のチョイスによって誤感が変わってくる。で、誤感がその行動のイメージも左右してしまうみたいな。
うんうん。そうですね。
だから、たとえって難しいというか、さっき言った日本語の技術の帯にその本文よりっていうのがあって、文章というのは一種の建築物だと考えていますって書いてあって、大きな建設物には設計図が必要ですって書いてあって、うんうんそうやなと思ってたけど、
まあそうなんですね。
これを読むと、これを読むと罠にはまるわけですよね。そのリビジョンで書いたような罠にはまるわけですよね。
持ち通り受け取ると罠にはまりますね。
これね、アンチテーゼがそのワープロ作文技術なんですけど、要するにそんなもんじゃないって書かれてるんですけど、でもこのメタファーはかなり強力なんですよね。
建設物と設計図っていうのは僕らの身体化された知識に入ってるんで、すぐ理解できてしまうけど、やっぱりこれは過剰にこれを受け取ると、執筆の時に大変困ったことになってしまう。
で、学術論文の場合は別にいいと思うんですよ。おそらくは。そこまで困らないと思います。
そもそも、形式が決まってる以上、逸脱もそもそもできないわけですから、おそらくはあんまり。
まあ形式的にはね。
形式的には。中身は知らないですけど。
うん、そうですね。
論理展開が、こういう論理展開が絶対に必要であるっていう場合はあるし、その設計というか、言い方が決まってるから、こういうニュファンスでも別にいいんでしょうけど、全ての文章においてこれは別に通用しないわけで、でも説得力はあるんですよ。困ったことに。
ありますね。
だから、事前に、要するにこの文章が言いたいのは、事前にその内容について考えておきましょうと。行き当たりばたりは後で困りますよって話で、それ自身は別に間違ってないんですけど、やっぱり先言った設計図という言葉の誤換が、どうしてもこの通りに作るをイメージしてしまうんで、ここがそう、問題。
だから、柔らかな設計図というか、ソフトな設計図という、ずらしたメタファーであればおそらく適切というか、有効なんですけどね。
はい。
そうにはなってないというか、これは時代的にデジタルの紙筆はなかったでしょうから、あんまり、それはいいんですけども。
設計図よりも、イメージ図とか、建物が建つ、パースみたいなものが、その方がもしかしたら近いかもしれないですね。
そうですね、おそらくは。
必ずしても、こういうものを建てたいと思ってますよ、という。
1:09:00
はいはいはいはい。
ちょっと建ってみたら違うかもしれませんみたいなことの方が近いのかもしれない。
そうですね。
だから、そのメタファーの正しさを追求していくことが正しいとは思いませんけども、実践上の困難を誘発するようなメタファーというのは、やっぱり慎重になりたいですね、そこをね。
そうですね。
これは難しい。今、設計図だと思って書いて、設計図通り書けへんっていう体験をすることが実は必要なのかもしれないですから。なんとはいまでも。
経験的には必要なのかもしれないですね。
そうなんですね。だから、最初のこの話のツールが分かるとは何かっていうところで、結局実践が必要で、どう実践を後押しするのかということなんですね。ノウハウと提供者からしたら。
で、やる気になれるようなメタファーが作れたら、たぶんそれが8割くらい正解なんだろうなと思うんですけど、設計図って言って書けへんことを経験しながらも最終的にはそこから脱出してる人間がたくさんいるわけで、必ずしもそれが行き止まりというか袋工事ではないわけですから。
そうですね。
木村さん方式で設計図やって最初書いといて、でも実はみたいなひる返し方ももちろんあるでしょうけどね、きっと。
そうですね。それはありだと思うんですね。
木村さんの言い方だと、木字案を作っておくことが大切であるって書いて、木字案に基づいて書いていくと。しかしここで実際にやってみたかったらお気づきと思うが、みたいな感じでひとつ用意した。
木字案を作ってみても実は必ずしもその通りに書けるとは限らないのである。というか、むしろほぼ必ず書けないみたいな展開をするんですよね。
はいはいはい、なるほどなるほど。
そうすると最初に読者が、そうかそうか木字案作るのか、そうかそうすればできるのかって思いながら、読めてきた人により効果的に、実際の伝えたいメッセージが伝わる効果があるかもしれないですね。
そうですね。
だから一旦半分の情報を読みさせておいて、その納得をもう一回覆すみたいな、やり方によっちゃ嫌味になっちゃいますね。
そうですよね。でもやっぱり理解の階段を一回ずつ上がっていくっていうやり方は、もしかしたら必要で、理科科学でも、連流がプラスからマイナスで最初流れるって教えられるじゃないですか。
1:12:07
はいはいはい。
最終的にはそのマイナス。
僕今でもそう信じてましたけど、違うんですか。
マイナスの電荷を持つ電子がマイナスからプラスに流れていくと。
はいはいはい。
その実態が逆なんですよね。
そういうことか。
マイナスのものが流れていくんじゃなくて、マイナスのものが流れていくからそう見えるっていうだけのことで。でもマイナスの電荷が流れていくっていう概念を獲得するのは、たぶんおそらくいきなりは難しいから、電流はプラスから流れましょうっていうっていう理解の階段の作り方は、別に教育でも行われているわけで。
確かにそうですね。
嘘というか浅い表現から深い表現に入っていくっていう階段の作り方は、たぶん有効でしょうね。もちろん最初から最後まで呼んでもらうことが前提ではあるものの、あるものの一気に難しいこと言って生半価に理解されてしまうぐらいであれば。
はいはいはい。
そうそう。生半価に理解されるというか、Aだっていう、でも実はBっていうのをAだっていうのを書かないでBだって書くと、Aであるとも思われてしまうというか、そこを否定しとかないと、ここじゃないよって言っとかないと、それもありかみたいなこと思われてしまうので、だから一回否定を含んどくのも、その意味では有効かもしれないですね。
そうですね。
やっぱりそこは、例えば木村先生の文章力と人徳みたいなものが、それをやめに感じさせてないというところは間違いなくあると思うんですけど。
そうですね。
ただ、確かにそうですよね。教える順番だってそうですよね。プラスとマイナスのついでに言えばあれですもんね。算数だって。小学校のどっか途中ぐらいまではマイナスがいかないですもんね。
そうですね。マイナスの3-5とかやらないですからね。
たぶんそれできないっていう設定なんですよね。きっとそれは。
マイナスの値が理解できないということなんですよね。きっと。
できないし、3-5ってやろうとしたら、それはそれだと0より…そういう言い方しなのかどういう風に教えているんですかね。もう覚えてないですけど。
0より小さい概念は数直線を見ないとわからないでしょうね。現実的にだってないですもん。マイナス1個っていう。
だから現実にないものを理解する中小的な概念操作ができるよっていうところまでは教えないっていうことだと思いますけど。
コードというか複雑な内容を区分けして、しかも階段を反規定服のような形で作っていくっていう手法。
1:15:09
その登る一段目が、呼んでいる人にとって一番納得しやすい、身近で感じられる話であればよいという感じかな。
そうですね。
未知の概念を伝えるという。だから最初の一歩は、エヴァノートは情報カードっていうのは、さっきの理論でいうとそんなにおかしくはないというか、
間違ってるけど間違ってないみたいな感じ。
間違ってはいないんですよ。全然間違ってはいないんですよね。
そうしたことによって、エヴァノートっていうのは日記とかのライフログツールじゃなくて知的生産のためのツールって位置づけられたわけじゃないですか。
あるいは僕の中で位置づけたわけですけど。
それが多分重要で、そこのメタファーの細かい図はそれほど重要ではないということなのかな。
そうですね。だから後から振り返ってみれば、そのメタファーはそんなに重要じゃなかったよねってなるのが多分一番いいわけですよね。
おそらくそうですね。
確かにそうだな。
だからね、それなしにエヴァノートに入るって難しいですよね。
難しくないのかな。素直に受け取ればいいのかわかんないんですよ。
特にあの手のツールは、例えばスクラップボックスもかなり明確にこう使えっていう哲学がありますけど、エヴァノートは100年残るとか、エヴァのノートとしか言ってないんで。
そういう意味ではないです。ごめんなさい。
ノートっていうもの、ノーツっていうものに関する概念形成が不十分だと、エヴァノートって言われてもっていう感じはしますね。
エヴァのノートって何だって問題に突き当たりますからね。
だから初期のエヴァノートがすごい色々ユースケースを発信してたじゃないですか。
はい、してました。
駐車場の番号を写真に撮っておいてとか、ワインのラベルをとか。
はいはいはい。
それでイメージを形成させようとしたんでしょうね。
そうでしょうね、きっと。
そういうのがないとやっぱり最初の新しいツールの出会いっていうのがうまく成立しないっていうところがあって、
でもあまり偏った具体例ばっかり集めると、ユーザーがその想像を超えてこなくなってしまって、困ったことになるっていうこともあるんで。
そうですね。
だから公式も難しいですよね。ツールの公式もどんな情報を配布したらいいのかっていうのは難しい。
多分一番自由に使ってほしいと思うんですよ、きっと。
はいはい。
そろそろ何も言わないっていうことになってしまうんですけど、何も言わないとツールを使い方がわからないという問題になって。
1:18:03
そうですよね。
でもやっぱり何かは言わないといけないと思うんですよね。
だからその時に初期のユーザー、アリアダプターみたいな人がいて、その初期の人が積極的に発信して広めてくれるようなことが起こると一番いいでしょうけど、
その初期の人が何人かが積極的に使ってくれるための魅力みたいなものがあるんでしょうね。
そうでしょうね、きっと。
ノートツールは特にある程度使わないと価値が見えてこないツールの代表例みたいなもので、
しかも今はもう二多個とかできるツールが山ほどあるんで、
そうですね。
わざわざそれを使ってこれいいよっていうのって、まあ難しいですね。
でも倉下さん、エヴァノートを日本において広めた初期の、初期の初期の人じゃないけど、その次ぐらいの人じゃないですか。
まあそうですね、おそらくは。
かなり早い人じゃないですか。
おそらくはね。
それどうでした、その時の。
エヴァノートの使い方のイメージってやっぱりなかったんですか。
いや、なかったですね。
それ以前はテキストファイルに個別に原稿を保存する。
で、やっぱりその頃はメモとかウェブクリップとかがどう処理していいかわからんみたいな。
むしろメモとかも手書きのノートに書いてたぐらいで、
それらが統合されて保存できる自分用のデータベースみたいな理解に至るまではわからなかったですね。
だからダウンロードしてもしばらく使ってなかったですもん。
その理解に至ったのは何かきっかけがあったんですか。
やっぱりその今の方向性に向かったのは、その知的生産の技術の1ノート1コンテンツみたいなカード法の。
で、それらを操作して何とかしていくって。
で、そこにその野口のポケット1つ原則?
その辺が組み合わさって、ああそういうことかみたいな。
自分用の知識道具箱みたいなもんなんだなっていう風に初めてわかった。
だから自分のアイデアとか考えとかを書き留めておくデジタル通常にっていうことがそれまでの習慣にはなかったんで。
ファイルとして保存されるのは文章だけ?完成品だけであって。
自分の考えとかを1ファイルに置いとくなんていうことは昔は絶対ありえなかったんで。
そもそも日本語でタイトルつけるのすら難しかったんで昔は。
1:21:00
確かに。
だから知的生産の道具と位置付けられて初めて何かいろいろわかってきたという。
ライフログという言葉ができたのもその辺からですけど。
そういういろんなことの総乗効果というか。
そうですね。それがわかるまではウェブクリップしか使ってなかったんじゃないかな。きっと。
でもそれもやっぱり時間がかかりました。
スクラップボックスもやっぱり時間がかかりましたからね。これってこういうことなんかに至るまでは。
でもそのわかんないところからわかるまでのその期間後そのツールを捨てさらない何かがあるわけですよね。
あるんでしょうね。多分なんかがあると思いますわ。
おそらくその類似のツールとか使ってみたときにこれじゃないかん?が出てくるんでしょうね。きっと。
で、今は例えばスクラップボックスとオクシディアの違いみたいな言語ができますけど。
その時は感覚だけですよね。その頃は。
こういうのは身体的な感覚を優先させるのがいいですよ。その流行りとかじゃなくて。これはもうマジで。
そうでしょうね。そうでしょうね。
タイムラインに人気屋だからとか有名なアナネナさんが使ってるからという話は一旦横に置いておいて。
自分がその違和感をなんだかんだで使ってしまうツールって言うんかな。要するに。
僕もやっぱアウトライナー一周回りましたけど、ワークロールに帰ってくるところが酒がたくあるので。
言葉やできない身体的な一致性っていうのがあるんやと思います。
身体感覚ができあがった時に使っていたものっていうのはあるでしょうね。
合ってるからこそそれによって身体感覚ができあがるのかもしれない。
いやだから相互作用っていうところはもちろんあってだから離れられないんですけど、逆にツールが大幅に変わって身体感覚とずれるとユーザーが離れていくっていうこともあるんでしょう。
そうですね。ボー、エヴァ、テカーみたいに。
この身体感覚っていうのはツールの機能だけじゃなくてUIとかもろもろを含めて構成されるので、そこが大幅に変わるとやっぱり違うなっていうのは出てきてしまうんでしょうね。
そうですね。
作る側にはもちろんそれを変える理由があるんですけども、難しいところでしょうね。
新しい身体感覚を作り上げるしかないんですけど、使い手はね。
これはもうだからこういうツールを使っている以上仕方がない。さっき一番先に言ったEmaxとかの場合はもう大改変っていうのはなくて、そもそも自分で環境を作るものなので、自分が変わったらツールの設定を変えたらいいだけの話であって作り上げていきます。
1:24:07
オープンソースのやつは必要とあれば自分でGithubからフォークして自分なりに改造するとかもできます。やろうともね、できますけど。
大手プラットフォームが提供するツールっていうのは、もう慣れるか捨てるかみたいな、委託しかないっていうもどかしさはどうしてもありますね。
まあそうですね。
だからわかる。ツールがわかる。
使わないとわからないし、おそらくだから言語化までいけたときに初めてわかったっていうより深いレベルにいけるでしょうね。
そうか。わからないと言語化できない。
言語化できたとき、もちろん操作ができるレベルのわかるっていうのがあって、それは身体感のレベルのわかるですけど、人に説明できるレベルのわかるもあって、これはよりディープなわかるだと思いますね。
このわかるまでいくつか繋がるというのがあって、つまりあのツールとこのツールのこの特徴がこういうものだって発言できるんだっていうレベルのわかるになるので、
言語化ってそういう繋げるプロセスで役立つかなとは思いますね。
確かにそうですね。
まあこんなとこですかね。
今回の話の突っ込みどころはよくわからないんですけども、
ツールのさっき言った姿勢を確立するときに役立った本とかっていうのがあれば、ハッシュタグ打ち合わせキャスト、打ち合わせアロベートのキャストまでいただければ、ちょっと来らっしゃるのもチェックしたいと思います。
それぐらい導入本って難しいんですよね、書くのが。
難しいし、そういう本に出会える確率も低いと。
ラッキーですよ、それ出会えたら。
それはそうですね、確かに。
たくさんご連絡や宣伝したいことはありますかね。
特技はないです。
今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
お疲れ様でした。