00:04
どうも皆さんこんにちは、文学ラジオ空飛び猫たちです。この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人が緩くトークするポッドキャストです。
パーソナリティは、私ダイチとミエの二人でお送りします。文学のプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には熱く、時には愉快にそれぞれの視点で紹介していく番組です。
今回なんですけれども、ちょっと特別な回、作品紹介には変わりないんですが、ちょっと企画ものになってまして、村上春樹の短編をお互いに一本ずつ紹介し合おうという回になってます。
初の試みですね。 そうだね。こういう企画久しぶりですね。本編でするの。
たまにはね、こういうのもいいんじゃないかなと思っております。 これ、ダイチさんがやりましょうって言ったんですけど、なんでこれしようって思ったんですか?
これですね、今私が出演させていただいている、ポッドキャストスタジオクロニクル制作の、ゆかりな知性文学編。
アマゾンオーディブルで配信されているポッドキャストですね。ちょっとオーディブル入らないと聞けないんで、皆さん全員ちょっと聞けるわけではないんですけれども、そこで毎週金曜日今、文学編が配信されているんですけれども、
その中でですね、ちょっと同じようなことを実はお相手の森田稲さんとやってまして、もうこちら収録終わってます。
で、この時も村上春樹について話して、そこからお互いちょっと入門というか、おすすめな村上春樹の短編を1冊紹介しましょう、1本ずつ紹介しましょうという企画をやりました。
で、結構面白いなって思ったので、これちょっと三重さんともやりたいなと思いまして、やっぱ村上春樹短編たくさんあるけど、
なんかどれから読んだらいいのかなとか、あとなんとなくですが、まぁちょっと愉快な知性文学編は教養とかそっち方面の文脈も強いんですけど、どちらかっていうと文学を紹介していこうみたいな意味合いが強くて、
結構今話している内容って、そこまで文学を詳しくない、接したことない人向けに話してはいる気がするんですね。
で、その中で村上春樹っていう作家のポジションとか、こういう短編からみたいなところを話したんで、面白い内容になっていると思うんですけれども、やはりあの結構深くは紹介もしてないところもあるので、あの作品自体を。
なのでちょっとあえて、この文学ラジオ空飛猫たちでもちょっと同様の企画をやってみて、どういう広がりが出るかなーっていうのはちょっと見てみたいと思ったところでもあります。
では、「ゆかいな知性」の紹介の仕方と今回紹介する仕方っていうのは大地さんはちょっと変えるんですよね。
03:02
あ、変えますね。だいぶ変えると思いますか。で、「ゆかいな知性」の方は村上春樹とはみたいな話を前面にしているんで、
多分文学ラジオ空飛猫たちで村上春樹とはみたいな話をしても、もうみんな知ってるよっていう感じだと思うんで、どっちかっていうと今回はもう作品紹介に力を入れていきたいなと思うのと、
やっぱりその作品から自分が何を感じたのかなーって話をしたいなーってちょっと思ってますね。
いやでも面白そうですよね。なんかこういう話。
ちなみに入門におすすめな短編でいいんですかね。一応。まあ紹介するのは。
うん、それでいいと思います。ただ、それをもって、「ゆかいな知性」の収録を挑もうと思ったんですけど、結局自分はその時に話したかった作品を話しましたね。
でも別に入門でもいいかなと思いますね。
だからその感覚で、今日もあの今ちょっと三重さんとね、お互い何を紹介するかわかんない状況でして。
しかも今回毎回台本書いてるんですけども、台本一切無しで全部アドリブでやってるんで、
で、この今回村上春樹の短編紹介しましょうっていうのもそれだけ決めたんで、
村上春樹さんの短編そこまで読んでなかったなっていう人が、ちょっとですね、興味を持ってもらえるような、
そんなちょっと一つ紹介できたらなぁと思ってますね。
じゃあちょっと一応ですね村上春樹の著作詞紹介をしたいと思います。
1949年に生まれてまして、79年風の歌を聴けで群蔵新人賞を取ってデビューしてますね。
その後数々の長編作品を出して、昨年も街とその不確かな壁を発表しまして、まだ名を書き続けている作家ですね。
ざっくり言ったけど、本当に多分日本人で知らない人はいないんじゃないかというぐらい有名な、
あの唯一無理な作家かなと思いますね。
そうですね。村上春樹ライブラリーもね、早稲田大学の中にして、
ちょっと言うの忘れてたんですが、今回大地さんからこの短編紹介しましょうっていう企画の連絡来る前日に村上春樹ライブラリーにちょうど行ってたんですね。
2度目なの?
1月の話なんですけども、2020年の2年ぶりに2度目に行っていて。
なるほど。
2年前行った時は予約制でだったんですけど、今はデイリー自由で、すごい快適に過ごせましたね。
あ、そうなんだ。ちょっとまだ行ってないから私も行こう。
村上春樹さんの作品の年表があるんですけど、毎年何を出してるとか。
ちゃんと2023年にちょっとその不確かな壁の年表が増えてて、こういうのもちゃんと進行してるんだっていう。
その辺にちょっと感動とかしてっていう、なんかそういう意識を持った状態で、今回大地さんから話があって、あと2つ返事でね、オッケーってね。
06:05
よかったです。じゃあ行きましょうか。
じゃあちょっとまずあれかな、お互い何紹介するか。
ちょっと話してから順番に行きましょうか。で、かぶっちゃったらちょっとどっちかが。
だったらもう5つします?今回のお蔵入り。
いや、一応俺2つ用意してきてるから、俺が変えるよじゃあ。
じゃあちょっとみえさんから行こうか。
僕がまず紹介しようと思ってるのは、
回転木馬のデッドヒートという短編集に収録されている野球場という作品ですね。
なるほど、分かりました。
ちなみに知ってはいました?
知ってるけど、今ね、読んだはずだけど、野球場の話が今また出てきてないから、ちょっと楽しみにしてます。思い出すかもしれない。
で、被れなかったです。
安心しましたね。
私はですね、中国行きのスローボートの中国行きスローボート。
いや、僕ね、それ最初話し合った時に、ちょっと村上晴樹ライブラリーで、あのね水丸さんの展示やってて、中国行きのスローボート、久しぶりに手に取って読んだんですね。
最初それにしようと思ってたんですよね。
すごいな。
途中でやっぱり変えたんですけど。
ちょっとどうしようかな。このタイミングで話しちゃうけど、ゆかいな知性文学編では、お相手の森さんが中国行きのスローボートを紹介しました。
あ、そうだったんですね。
で、自分も中国行きのスローボートか、もう話しちゃうけどパン屋最終劇。
どっちにしようかなと思って、迷ってパン屋最終劇にして持って行ったんだけど、あ、かぶりそうだったなと思って、だからこっちはもう中国行きのスローボートしかないなと思って。
中国行きのスローボートって最初の短編ですよね、確か。
そうそうそうそう。だからまあある意味、原点というか、まあちょっと自分のターンでちゃんと話すけど、ちょっとやっぱ改めて読んでよかったなと思ったんで。
と思ってますね。じゃあちょっともう一個用意してきたけど、それはちょっとおくらりにしとくわ。
あれですかね、レターの方で。
そうだね、レターのボーナストラックのようにちょっと取っちゃおうか、せっかくなんで。
じゃあちょっと気になる方は、レター登録していただいて聞いてくださいということで。長くなっちゃうからね。よし、じゃあみえさんの方から行きますか。
ではですね、僕の方からちょっと紹介していこうと思います。回転木馬のデッドヒートで、まずこの短編集が1985年に出たもので、村上春樹さんの本当初期の方ですね。
09:05
順番よくわかんないですけど、中国行きのスローボートが最初の短編集で、たぶんその次か次の次か、本当前半の方だと思います。短編集の中でも。
で、ちょっとですね、短編集自体の説明をすると、小説とノンフィクションのどちらとも言えない、村上春樹さんはそれをスケッチって呼んでるんですけど、
実際に人から聞いた話をちょっと特定されないように、フィクションも混ぜたりしてスケッチしてっていう、ちょっとノンフィクションチックな短編集になっていると。
であったということにかったということにかったということにかったということにかったと。
で、なんでこの短編集、そもそもですからちょっと選んだかって言うとですね、僕が初めて村上春樹さんにはまったのがこの短編集で。
で、なんでこの短編集、そもそもですからちょっと選んだかって言うとですね、僕が初めて村上春樹さんにはまったのがこの短編集で。
これ大学生の時に読んだんですけども、その前にまずノルウェーの森を読んだんですね。
で、やっぱり小説を読むようになって、村上春樹さんを読まないわけにはいかないっていうのはちょっと大学生になった時に思って。
で、当時多分有名だったからとかそんな理由でノルウェーの森を読んだら、ちょっと合わなくてですね。
いまいち入りきれなかったと。
で、村上春樹さんって本当にすごい作家なのかどうかっていうのがよくわかんないまま、次のもうちょっと読みやすそうなものないかなっていうので、たまたま手にしたのがこの回転木馬のデッドヒートで。
これがすごい面白くてですね。多分最初の作品から、最初がレーダー法善という作品なんですけど、多分そこからもうハマってたと思うんですよ、大学生の時。
なんかその結構ねリアルで、これどこまでが本当でどこまでが嘘かってわかんないんですけど、リアルな人のことをこんな面白く描けるんだっていうですね。
そこにどんどんハマっていって、野球場という作品はその中で7番目に出てくる作品で、多分その野球場を読んでいる時に、村上春樹さんって実はめっちゃすごい作家なんじゃないかっていうのがですね。
12:02
だんだん感じ始めて、そこからこの長編小説とかですね、なんかもっといろいろ読むようになっていったっていうそういうきっかけの短編ですね。
なるほど。
一層読んだのって結構昔の方ですか?
いや、昔だな、多分。海底木馬のデッドヒートは本棚にあるから確実に読んでるんだけど、今話聞いてもそのスケッチっていう部分全然なんか印象に残ってないから、多分相当昔に1回読んだっきりだね。
いや僕もね、正直忘れてましたけど、いやでも結構ね、登場人物普通の人なんですけど、だからどれも奇妙な話がやっぱり語られていて、そこに多分惹かれたっていうのはありますね。
状況がやっぱちょっと普通ではなくなっていくみたいな。
そうですね、なんか。
普通に行動してるのにみたいな。
で、あとそこと文章ですね。すごい村上春樹さんの文章がもう華麗だっていうのはね、あるんですけども。
はい。
なんかすごいね、理路整然と語られていて、そこにもう衝撃受けましたね。
なんかこんなにもう滑らかというか、綺麗に語られていく文章があって、なのに話は急に奇妙な方向になっていくっていうですね。
そこがすごい良くて。というそんな魅力のある短編集であって、僕はハマっていって。
なるほどね。じゃあもうそこで完全にノルウェーの森では入れなかったスイッチが入ったわけですね。
たぶんノルウェーの森でも同じようにすごい良い文章を書かれてるはずだったと思うんですけど、なぜかその時はそうでしたね。
なるほど。
ということで、野球場ですね。読んで、当時これが一番心に残ったっていうのがあったんですけども、
まずこの野球場というのは話としては、前段はあるんですけども、前段っていうのが小説家である村上春樹さんの元に、
あるもの書き志望の人から手書きの原稿が送られてくると。作品読んでほしいと。
で、普通村上春樹さんってそういうのを読まずに断ったりするんですけど、その人は結構字が綺麗というかですね、何か個性の光る字と文章だったんで、手紙が。
ちょっと興味を持って読んでみたと。で、何でしょうね、悪くないけど良くもないみたいな感じで、人としては興味があるという、そのもの書き志望の人の。
で、実際に会ってみて、会ってみたら、その人っていうのはもう結構一流の銀行員かな、働いてる人なんですけども、
で、何かその自分の小説より体験談の方が実は面白いんですよっていう、体験談として面白いものを持ってるんですよっていうので、村上春樹さんが、
それちょっと聞かせてほしいというので、銀行員の人が語るんですね。で、ここからがね、ちょっと本編になってくるんですけど、その人が大学生の時ですね。
15:07
あ、そうか。で、僕が読んでたのもちょうど大学生なんで、結構重なるところがこの小説にあるなってね、ちょっと思ったりもしたんですけど。
まず大学生になって、で、同級生の女の子を好きになるんですね。もうすごい綺麗な子で。
で、その人が野球場の近くに住んでいて、で、そのアパートの部屋が見えるところを、ほんとストーカーみたいな感じで見つけて、
同じく野球場の近くの物件、アパート借りて、で、望遠鏡で女の子の部屋を覗くっていうですね、大学生がちょっと狂ってそんなことをしてしまうと。
で、で、覗きに取り憑かれてしまって、なんかもうずーっと女の子を覗いていないと、なんか覗いてしまうと。で、生活がどんどん乱れていくんですね。
まあ結構いい身分の、学歴が生活を送って、学歴を送っててっていう人だったんですけども、生活もどんどんだらしなくなっていって、
苦労したみたいな感じになっていって、部屋もね、どんどん汚くなっていって、で、どんどん消耗していくと。
ただですね、夏休みに女の子が実家に戻って、結構ですね、1ヶ月か2ヶ月かだと思うんですけど、不在になるんですね、アパートから。
そうすると意外とあっさり、その大学生の主人公は元の生活に戻ることができて、女の子への好きだった感情もだんだん消えていったっていうんですね。
で、まあもうちょっと先話あるんですけど、まあそんな話ですね。
ちょっと思い出した。
思い出したんです。
なんかあの村上晴樹が、なんかその誰かの話が聞いて、ちょっとそういう話になってくって。
そうそうそう。
なんかあの流れはすごい覚えてる。
覚えてる。
そうなんですよ。
なるほど。
この話としてはそんなんですけども、なんか僕がこの作品好きなのは、なんかその大学生ってどちらかというと恵まれた環境にいる人なんですけど、
まあその人が不条理な出来事に出会ってしまうっていうですね。
で、それがどういうことかっていうとですね、女の子を覗いていくっていうところで、
なんか自分の中にそんな暴力性が潜んでいるっていうのはですね、
なんかあそこ、そういう時まで知らなくて、ただそれをやってそこに気づいたっていうですね。
自分にこんな暴力性があったんだっていう。
っていうのとか、あと女の子が実家に戻った時に、
大学生が、彼女が出て行って、彼女はなんかもう世界にとって必要なものを何から何まで身につけて出て行ってしまったと。
で、自分はそれで空っぽになってしまったっていうのを言っていて、
それまで結構恵まれていたはずなのに、突然本当にもう空っぽになってしまうっていうですね。
18:01
なんかこのジェットコースターが急に落ちていったみたいなですね、この落差ですね。
もちろんそれは覗きをしてしまったとかですね、
大学生自身に落ち度はあると思うんですけども、
こういう突然こんなことが起きるんだっていう、そこが惹かれるポイントではありましたね。
なるほど。そうか、なんかこう自分でも気づいていないサガを見つけてしまって、
そうですね。
ちょっと翻弄されてしまって、だけれども何事もなく戻ってこれているっていう感じのところか。
そうですね。
で、結局この大学生もそうやって彼女が実感戻って、自分空っぽになってしまったと。
で、その後好きだった感情とかも消えていったんですけども、
なんかそういう、結構なんか虚しい状況になっていくっていうところとかですね。
これはこの作品だけじゃなくて、短編集結構全体に言えるんですけども、
語り手がこんな奇妙なことがあったと。
で、その後じゃあ何が残るかっていうと結構虚しさが残るような話になるんですけども、
特にこの野球場もそうで、これを読んでいた大学生だった僕もですね、
やっぱりなんかそういう虚しい状況ってなるものだよなっていう、
ちょっとその共感もしながら、なんか自分とも重ね合わせて読んだりしてましたね。
なるほど。でもそうですよね、その時の自分にリンクしちゃうと結構強く印象に残りますよね。
今回読み返した感じですか?
そうですね、読み返しましたね。
どうですか?印象は変わったりとか。
そうですね。
作品の。
なんか他の村上春樹さんの作品を色々、その後読んだんで、
なんかなんでこれにハマったんだろうかっていうのはですね、
ちょっと今読み返すと謎では、謎には思ったんですけど、
でもやっぱり読み返して、文章の上手さはまずやっぱりもう昔も今もすごいなっていう。
やっぱりこのスムーズに読んでいけて、心地よく読んでいけるっていう、
この文章は本当に唯一無二だなっていう、そこの実感の大きさっていうのはわかりましたし、
今読むと確かにスケッチって言ってるのもわかる気がしましたね。
あー、なるほどね。
これはスケッチというよりかは、自分の中ではそこまでそんな小説とか読んでなかったんで、その当時。
これはもうすごい小説だって思って読んでたんですけども、
読むと確かにこれは色んな小説の元となるような、
そういうスケッチベースの作品集だったのかなっていうですね、そこもわかるという。
そういう意味では非常に読みやすくて、なおかつ楽しめる、
軽く読みたいなという時にすごい向いてる短編集だなっていう、そういう風に思いましたね。
なるほど。
じゃあちょっと海底木馬のデッドヒートを、
ちょっともう完全に薄れちゃってるんで、なんか所得の気持ちで読めるくらい。
21:03
そうですね、多分。僕もそうでした、ほんと。
いけると思うんで、ちょっとどっかのタイミングで読んでみたいなと思います。
名前がすごい印象に残ってるもんな、海底木馬のデッドヒート。
なんかいいですよね、このタイトルが。
うんうんうん、ね。
じゃあちょっとバトンタッチして、私の方の中国域のスローボーと話したいと思うんですけど、
まずですね、ちょっとこの作品はですね、実は何年前だろうな、
5、6年くらい前に、あれを読み返したんですよ。読み返したっていうか、あれを読んだんですよ。
村上春樹の、ニューヨークで出版された村上春樹の短編集を、
日本に逆輸入してるみたいなやつあるじゃないですか。
ありましたね。
黄色とピンクの表紙で、像の消滅、短編選集、1980年から1991年と、
米倉柳と眠る女っていうやつ、2冊あって、すごい結構短編が収まってるんで、
それをある夏ですね、とにかく読んだんですね。
で、その時に中国域のスローボーと、多分私もどっかのタイミングで読んでたんですけど、
確か像の消滅の方に入ってるのかな、短編選集に入ってて、
なんか読み返したらめちゃくちゃ面白かったんですよね。
あれ、こんなに面白い話だったっけと思って、ちょっと衝撃的だったんですけど、
なのでちょっと中国のスローボートを話したいなと思っていて、
ちょっと今日は話させてもらえたらなと思ってます。
で、文庫はですね、中国のスローボート、中古文庫から出てますね。
で、もともと単行本は1983年に出版されていて、
で、中国のスローボートは80年発表されてます。
で、おそらく、おそらくというかこれが初めて村上春樹が書いた短編となってるはずで、
発表した短編かとなっています。
で、この中国のスローボートは村上春樹初の短編集となってますね。
で、発表された年代順に収録されていて、トップバッターは中国のスローボートとなってます。
で、中国語のスローボートなんですけど、たぶん30ページぐらいの短編かな、すごく短い作品なんですけど、
話としては、これはちょっと大人になっている自分が、
ちょっと昔のことを思い出して、中国人に出会ったのはいつだろうっていう話をし始めるんですね。
で、3人の中国人を思い出します。
1人は小学校の頃にあった中国人が通ってる小学校があるんですけど、そこにテストを受けに行くことになって、
そこの時のテスト教官の方。
で、あと1人が、大学生の時だったかな。
大学生の時にアルバイト先でやった女子大生。
で、この子とはデートするんだけどうまくいかなかったと。
うまくいかずに、ちょっと連絡も取れなくなってしまったっていう子ですね。
で、3人目が結構大人になっている時に、高校時代の知り合いと再会。
24:00
だから高校の時にも会ってるんだけど、なんかあれなんですけど。
で、その人とちょっといろいろ話をしたみたいで、
で、最後、ちょっとこれ女の子との会話が結びつくんだけども、
ここは僕の場所ではないという話をしていきますね。
東京、いや、ここは僕の場所ではないっていう感じで終わっていくっていう話なんですけど。
これね、でも短いんですけど、
これもなんか村上春樹のこの小説の要素が結構出てる作品で、
この女の子とね、ちょっとしたことでうまくいかないんだけど、
それが修復不可能な形まで持っていかれてしまって、
結果的には何もできないっていうところですね。
っていう話で、その時抱いた感情っていうのは、
後々自分のこの大人になった成長したりしてる自分に引っかかってくるっていうところっていうのは、
なんか村上春樹の作品の結構要素の一つかなと思っていて、
これ読んだ時にその短編集の中だと、
一番最初に入ってなくて、結構真ん中のあたりに入ってたんですけど、
これを読んだ時にあれ、めちゃめちゃ面白いと思って、
ラストの締め方も含めてすごい良いなと思った作品ですね。
なんか村上春樹の、言ってしまえば何も起きてないし、
主人公はこの物語を通して変化はない。
何だろう、状況的に変化はないんだけれども、
でも何かが通り過ぎていったみたいな、
あの感じは結構好きで、
なんか自分の人生にもそういうことってあるよなってちょっと思ってしまう。
自分の人生の歴史の中では全く重要ではないんだけれども、
何かが通り過ぎたぞみたいな、
何か今大きいことではなかったけれども、
何かが自分の中に起きて過ぎていったなみたいなのとか、
結構描かれる気がしていて、
そういうのの結構要素が入ってたなと思って、
ちょっといいなと思った作品ですね。
これも女の子とね、
まああのちょっとした食い違いなんだけど、
正直なんでそんなにお互い意向地、
意向地っていうか女の子の方が、
そう主人公が悪気がないと分かっているのか分かってないか分かんないんだけれども、
なぜそこでこの女の子がね、
自分の場所じゃないっていう話をするんだけど、
なぜそこまで堅く何を持ってしまうのかっていうのは、
分からないし明かされないんだけれども、
でも確実にそれが主人公の心に、
あの唇を打ってるっていうところがあるから、
やっぱそういうのはうまいなと思ったパターン編ですね。
その大学時代に出会ったアルバイトの女の子ってあれでしたね。
一緒に食事行って、
帰り電車で送るって言って、
乗せてあげた電車、逆方向間違えて、
逆方向行きの電車乗せてしまって、
それで後で気づくんですよね、間違えたっていう。
で、それを女の子はわざと間違った電車に乗せたんじゃないかって、
27:04
勘ぐっちゃって、思い込んじゃってみたいな。
すぐ謝りに行くんだけどね。
謝るんですけど、でも女の子はもうそれまではいい感じやったのに、
もうそこからは話がどうあってもなんかかみ合っていかないんですよね。
と言って、その後あれですよね、電話するよって約束したんだけども、
電話番号を書いたメモを間違えて捨ててしまってたっていうのもあって、
まあでも大学生やったらそんなもんかなっていう。
そういうちょっとした掛け違いがあって、うまくいかないっていう、
そういう脆いところっていうのがなんか結構感じれましたね。
そうか、もうみえさん、最近よくない?
記憶がいい感じで明るいですね。
これ、たぶん80年くらいだから、
本当まだそこまで有名になる前に書いてる作品だと思うんで、
本当最初期の作品だけど、すごくいい作品だと思いましたね。
僕はちょっと書いてもくわのデッドヒートを読んでたっていうのもあって、
そっちの印象があるんで、中古書きのスローボードを読むと、
結構なんか言葉が強めというか、小説だからそうなのかな、
なんかそんな印象は感じましたね。
なんか力がこもってるっていう、そんな印象です。
確かに。
短編、初期の短編ってそうかもね。
なんか一日の短集とかこの間、この間でもないか。
もう結構前だよね。
3年前だっちゃうか。
とか読んだ時と比べると、なんか力の入れを変わってる感はするよね。
確かその、この中国域のやつも最初に出てくる先生ですね。
小学生の時。
試験を受けに行って、そこがなんか中国人の、あれはなんていう学校だったっけな。
中国人学校みたいな感じだよね。いわゆる。
そこの先生がね、試験が始まるまでのちょっとした空き時間に演説をするんですけど、
演説の内容のこの力強さとか、さっきの喋ってた女の子もですね、
なんか女の子のその突っ跳ね具合っていうか、
あと最後のね、締め方もそうですけど。
この辺は確かに今出てきている作品とかではちょっとね、あるのかわかんないですけど、
確かに中国のスローボートでこういう力強いことを書いてるんだっていう。
なんかそういうの読めるのなんか新鮮な気がしますね。
そうですね。この辺りからもしかしたら村上春樹入ると、また違った村上春樹が見えてくるかもしれないですね。
じゃあ、今回のテーマトーク行きたいと思います。
村上春樹の短編と長編の違いについてちょっと話せたらなと思っています。
これですね、実はちょっと改めてこの間その愉快な知性文革編で、
村上春樹について話してる時にふと思ったんですけど、
30:03
私はやっぱり高校生から大学生になるにかけて村上春樹の長編をすごい読んでたんですよ。
短編を読み出したのはもっと後。長編はたぶんネジマキトリクロニクル、ノルウェーの森、風のうた、1978年のピンボールと羊を巡る冒険家とかを読んだ後に短編に入ってたんですけど、
あの時、高校から大学生ぐらいになるときって、全然何だろう、いわゆる村上春樹もエンタメ色強いから何とも言えないんだけど、
でもネジマキトリクロニクルを読み切った時の長編読んだ感がすごくあって、
それまで結構エンタメ系だったら、それこそどっかで話したかもしれないけど、スティーブンキングとかすごい長い作品とか読んでたんだけど、
ようやくこの純文学の長編を読むっていうことに、おそらく、村上春樹が純文学って言っていいのかどうかちょっとあれだけれども、
多分長編を読むことに対しての訓練を村上春樹の長編で自分はかなりしたんじゃないかなという気持ちがあって、
だからこそ結構小説にハマっていくことができたなって、ちょっと思ってる部分があるんですね。
本当その高校生の時とか、大学生の1年生の時とかに結構村上春樹読んでたんで、
だからこの村上春樹の長編の力っていうのは、そういう力もあるなと思っている一方で、
短編って今回も紹介した中国語系のスローボードとかそうなんですけど、短いのにすごく残ってくるものもあったりして、
もちろんたくさん読んだけど全部が全部すごい印象に残ってるわけじゃないんだけれども、
なんかこの辺でやっぱり、短編と長編で全く違う力を持ってるなってちょっと思っているっていうところをちょっと話したいなと思って、
ちょっとこのテーマにしました。
この辺りちょっと三枝さんどうお感じ?
全く別の視点からでもいいし。
はい。短編はやっぱり気楽に読める良さがあって、
だから村上春樹さんの執筆スタイルも、村上春樹さんの本読んだ時に、
短編は本当もう2、3日ぐらいでササッと書いてしまうっていう。
で、元々ちょっとネタみたいなものは用意してて、ちょっと書けそうだなって思ったらもうすぐサッと書いてしまうっていう。
で、長編は結構長編各モードになってる時に何ヶ月もかけてとか、かなり長い時間費やして書いていくっていうので、
村上春樹さんの短編読んでると、もちろんすごい練ってはいると思うんですけども、
なんかそんなに気構えなく読んでいける良さがまずあるなっていうですね。
で、長編はなんていうんですかね、長編はどっちかというと、
僕はなんか結構村上春樹さんのその世界観っていうかですね、
33:01
まずそこがあって、なんかだんだんその世界の深いところに潜っていくような感覚があってですね、
なんかその辺の説明しづらいですけど、なんか違いは感じているようですね。
そうだよね。なんか短編は結構村上春樹の長編を作るための要素が個別になってきている感じはちょっとあって、
例えば村上春樹の作品って結構主人公がこのことを経験しても、
主人公の置かれている環境とか状況があんまり変わらないことが多かったりする気がするんですよ。
なんか徹底的に何かを損なうこともなければ、ただ何かが通過していくっていう感じ。
物ができることがあって通過して、それに対して思うことは多分たくさんあるんだろうけど、
でもそれはそれで彼らは生きていく、彼らが生きていくみたいな感覚があるんだけれども、
短編もやっぱりそうで、なんかすごい徹底的なことが起きているのか起きていないのかちょっとわからない。
しかもなんかちょっといわゆる自分のコントロール化ではなさそうなことが起きて、
自分の生活にそこまで影響がしなかったりすることが起きて過ぎていくみたいなことがちょっと多い気がしていて、
結構自分は村上春樹の好きなポイントでそこが、なんかやっぱり日々起きていることって自分に対してどれぐらい影響するのかとか、
どれぐらい自分を変え得るものなんだろうみたいなことって、
まああの測れないと思うんですよ。
で、実際に今日受けた出来事が自分に大きな影響を及ぼすのはもしかしたら10年後とかっていう感じとか全然あるわけで、
でも遡ってみるとここだったかみたいなことが多分あると思うんですよ。
なんかうまく言えないけど村上春樹の小説ってそういうものが描かれている気がしていて、
なんか結構過去のちょっとした出来事を思い出すみたいな短編多いじゃないですか。
ちょっと自分がね、ゆかいな知性文学編の方で紹介したのはパン屋最終劇なんですけど、
あれもめちゃくちゃ俺好きな短編なんだけど、あれは結構たまに読み返すんだけど、
あれもなんかちょっとしたことが呪いになってて、それも自分が気づかなくて、
思い出してそれを解決するっていうことなんだけど、でも結果的に解決されるのかどうかもよくわからない。
この方法でよかったのかどうかもわからない。
けれどもこの主人公たちの中では何かが起きた、何かがまた起きたみたいな感じの短編だと思ってて、
そういう意味ではなんか短編はやっぱりこの小説、長編における長編がいくつものエッセンスで組まれているものだとしたら、
その一つエッセンスをちょっと抽出して、短い話でも伝わるという表現できるものに変換されているかもなと思ったりしました。
確かに。なんかその短編小説で、レイモンド・カーは紹介した中に言ってたんですけども、
36:08
短編小説って結構その終わりしっかり締めるのが大事だとかですね。
そういうのとはちょっと逆方向という感じで、なんかの短編で読んでいくと話が閉じていくんじゃなくて逆に膨らんでいくような、
カーヴァーの、レイモンド・カーヴァーの作品がそうだとしたら村上春樹さんの短編もそういうのが多いのかなと。
パン屋最終劇もやっぱりそれ読んで、そこに後々に膨らんでいく要素があるというか、
それが読んだ後に何か残るものがあったり、想像する余地があったりっていうのが短編かなと思いますし、
そういう要素がところどころミックスされて、さらに太い幹がどんってあるのが長編っていう印象もありますし。
なんかやっぱどっちも全く違う良さがあるのはあるんですけど、どっちも多分楽しめるから。
なんか知らないけど最初俺長編しかずっと読んでなくて、村上春樹は。
短編読み始めたのは多分ある程度、それこそね、私産業の家福から入ってるんですけど、村上春樹は高校の時に。
だからだいぶ後で短編を読み始めたけど、たぶん一番最初に読んだ短編って東京帰端集だもんな。
の文庫が出た時だな。
確か。
とかなんで、やっぱ短編から入るのもいいのかもね。
長編なかなかちょっと読み切るの大変みたいな。
そうですよね。
大体多分その作品、短編が書かれている作品と、その近くの時に書かれた長編って結構似てる可能性があるので、
そのあたりをちょっと探してみると、
大体その短編が書かれている作品と、その近くの時に書かれた長編って結構似てる可能性があるので、
書いてる量がすごいじゃないですか。
小説以外の、翻訳もしてるし、エッセイも書いてるし、いろんな文章を書いてるしっていう。
まずその量がすごいのかなと思っていてですね。
なるほどね。
その量がすごいのかなと思っていてですね。
もちろん短編と長編の違いはあると思っていて、いろんな角度で見てあると思うんですけども、
なんていうか思うのは、村上春樹さんのこの残した量がまずすごくて、
なんでしょうね、もちろんそこに違いがあるんですけども、
村上春樹さんがこんだけ残してきたものは、それぞれ何か光るものがあると思うんで。
そうですね。
それはもしかすると人によっては長編かもしれないし、
39:01
短編とかエッセイの長編かもしれないし、
長編とかエッセイの長編かもしれないし、
長編とかエッセイの長編かもしれないし、
たぶん結構ね、村上春樹さんのいろんな作品の中ではマイナーな方だとたぶん思うんですけど。
たぶん結構ね、村上春樹さんのいろんな作品の中ではマイナーな方だとたぶん思うんですけど。
私もなんかねじ巻き鳥クロニクル読んでるときに、なんか深く深く入ってっちゃった気もするし、
でも世界中の人によっては、
たぶんねじ巻き鳥クロニクルの中には、
確かに!なんか村上春樹、いろんな側面があるから、
なんかひとつだけ、ひとつのスタイルに接して、ちょっと違うかなって思っちゃったとしても、
いや、あるいはそっちも、
こういうのも実は大嫌いとかじゃないと思うんですけど、
ここはちょっと…
しかし文字通り、
ちょっと違うかなって思っちゃったとしても いや 翻訳はめっちゃ面白いとか
そうですね うん うん うん うん
いや 僕はなんか そう 今 ちょっとお話で思ったのが
村上春樹さんが書いてきたもの自体が 既に一つの世界になってて
そうですね うん うん
まあ だから 村上春樹さんの中の長編は あの一個の大陸かもしんないし
短編は小さい島かもしんないし
だから翻訳は その中の なんかよくわからない砂漠かもしんないですし
ああ そうですね うん うん
だから そんな感じで うん うん うん
なんか 村上春樹さんらしい世界を 形成してるんじゃないかなって
迎えてきたものが うん うん
だから 僕 最終 なんかあれですよね 短編と長編の違い
なんか島と大陸に ちょっと なりますかね
島と大陸 島と大陸
なるほど
ランゲルハンス島ですか
そうです
じゃあ こんなところにして 感想をちょっと言って 終わりにしていきたいと思います
とはいえ 今回ちょっと企画ものっぽい感じなんで どうでしたかね
そうですね こういうの たまにはいいですね やっぱりやってみて
うん そうですね
なんかまた ちょっと作品紹介だけれども
いつもとはちょっと違う 何か入れていくのはいいかもしれないですね
昔 なんかホワイトデー バレンタインデーか どっちかでやったじゃないですか
やりましたね
日本と海外の作品を それぞれ紹介しちゃう
なんかああいう感じの また ちょっとね
そうだね
いいかもしれないですね こういう企画で
うん またちょっと 変わりだるんじゃないけど
うん ちょっと変わった紹介もしていきたいですね
そうですね
あと 今回ちょっと村上春樹さんの短編に絞って考えた時に
なんか お互い初期の短編を出し合っていたんで
42:00
あれですね もうちょっと2000年以降とか
なんかそっちの短編とか またの中からちょっと話したりとかですね
そういうのもできると面白いかもとか思いましたね
うん 確かに
ちょっと今日話でカットしなければ残ってると思うけど
東京帰端集 ちょっと読み返したくなった
はいはい
結構あれ 最初の短編集 最初に読んだ短編集だから
記憶には残ってるんだけど ちょっと読み返したりとか
ちょっとありますね いいかもしれないですね また
とはいえ ちょっと今年も多分夏前ぐらいに
村上春樹の長編
そうですね
1本いきたいと思ってるんで ちょっとね その辺も見ながら
紹介していきましょうか
そうですね
じゃあ次回予告して終わりたいと思います
次回はですね
ジョン・ファンテの知りに聞け
こちら新役の方ですね
ちょっとお届けしたいと思っております
番組の最後になりますが
メルマー会員募集しております
こちら無料版 有料版でございまして
番組概要欄 詳しいことご覧ください
番組の感想やリクエスト
またこのラジオを聞いて紹介された本を読みました
読み返しましたとございましたら
ハッシュタグ空飛び猫たちをつけて
教えていただけると大変嬉しいです
Xやインスタの投稿でお待ちしています
お便りフォームも番組情報欄に載せておりますので
いただければ
2ヶ月に1度のお便り紹介会で
ご紹介させていただきます
またもしちょっと紹介するのはということで
お便りを送りたい方がいたら
その旨を書いていただければ
我々の中に留めますので
いただければなと思います
この番組気に入っていただけましたら
積極的に拡散共有
そしてフォローをお願いいたします
ではまた来週
ありがとうございました