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はい、おはようございます。本日の放送は2024年の8月8日、木曜日です。
本日は第893回目のお話となりまーす。
このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好きおやじのピョン吉が、
響きになったことをだだー楽し押していくという番組です。
そんなおやじの人々をお気になりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、
ごめんなさい、俺にはなかったんです。
不幸にこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご悲喜のほどよろしくお願いいたします。
本日はショートバージョンです。
8月1日にですね、ツイッターの方ではね、つぶやいたんですけどね、
福島県内の漫画の歴史を知る方がですね、亡くなられたのでね、
これはですね、ちゃんと話しておかなければと思ってね、今話しております。
日本漫画家協会の名誉会員の八山博さんが、7月30日に亡くなられました。
91歳だそうです。福島市のね、葬儀場の方でですね、
1月1日にですね、おつやがありまして、そして2日に葬儀が行われたそうです。
心よりお悔やみ申し上げます。
八山博さん、長年にわたってですね、福島県内にですね、
漫画文化の進展にね、情熱を揃えた方なんですよ。
漫画だけじゃなくてですね、落語だとかね、多数のユーモアあふれる本とか出してきた人なんですね。
福島県をですね、笑いでね、元気にしようとした人なんですね。
八山さんの本はですね、県内の図書館にね、たくさんありますんでね、
20冊ぐらい出してるんですかね。多分ね、図書館に行けば読むことができると思います。
八山さんについてはですね、シャープ434で話しております。
その時ですね、福島民謡のね、民謡県民大賞の芸術文化賞をですね、受賞したんですね。
その時にね、八山さんについての話をしたんですね。 もしもよければね、聞いてもらえればと思います。
八山さんはですね、1933年生まれてね、手塚治虫さんよりですね、5歳歳した。
石野文章太郎さんよりですね、6歳年上っていう年代なんですね。
八山さんはですね、子供の頃から漫画が大好きだったみたいですね。新聞とかにね、書いた漫画を投稿していたらしいんですよ。
そしてね、飲むことも結構あったみたいなんですね。 当時はですね、漫画専門誌とかがない時代なんですよ。
年代的にですね、手塚治虫さんのね、ストーリー漫画ね、それにですね、衝撃を受けたあの藤子藤男さんだとかね、石野文章太郎さんの前に
漫画を書いていた人なんですね。 ですが八山さんの漫画っていうのはですね、現在イメージ図、漫画ね、今言うところのストーリー漫画ですね。
それとは違いましてね、イラストアートがね、人工の漫画に近い感じなんですね。 不思議漫画っぽいんですけどね、ですもんちょっとユーモラシな漫画が多かった方ですね。
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八山さんはですね、福島市にありました中郷っていうですね、デパート。 そのデパートでお仕事をされていたんですね。
デパートでですね、いろんなイベントをする仕事をされたそうです。 そしてね、お客さんをいかに楽しませるか。それね、仕事にされていたんだそうですね。
八山さんはですね、そのデパートで働きながらですね、漫画を書いてはね、新聞に投稿していたそうなんですね。
確か八山博士の自分史っていう本があるんですかね。それを読んだんですよね。 図書館で書いて読んだんですけども、福島県の漫画の歴史。
それは少しね、知ることができましたね。貴重だと思いましたね。 当時ですね、中郷にもですね、漫画を書くことを熱中していた人たちがいたんですね。
今もいますけどね、昔からいたんですよ。 その人たちと連絡を取り合いましてね、そして中郷でですね、漫画のイベントを開いたそうです。
これはコミケとか始まるずっと前の話ですよ。 その時にね、漫画のイベントをデパートで行ったんですね。
後にですね、漫画家となる鈴木一郎さんとかね、あと佐藤六郎さんとかね、上京するわけですよね。
その一方ですね、家庭の事情などでね、福島は出ることができずにね、応援する人々がいるわけなんですね。
八山さんもね、見送る側だったみたいですね。 東京に行く人たちね、羨ましいなと思ってたと思うんですよね。
八山さんはね、そんな感じで漫画を描いていらっしゃったんですが、日本漫画家協会にですね、古くから参加していらっしゃいまして、県内では数少ない漫画家さんだったんですね。
1972年ですね、日本漫画家協会でね、東北支部を作ろうというね、その機運が高まっておりですね、そのリーダー的な立場になりまして、40年以上に渡りましてね、
東北全体の支部長、東北支部長、それをね、任されたんですね。
そんな風にですね、漫画のね、文化を発展させるし活躍する一方ですね、地方の落語家としても活動していたんですね。
1992年頃にですね、美島芸人会というですね、会もつけましてね、顧問なども勤めておりました。
その落語家の名前はね、鶴亭万太郎という名前だそうです。ちょっと私も見たことないんですけどね。漫画のマンなんですね。
チラシのね、出演者のイラストもね、山山さんが描いたものだったらしいですね。
東日本大震災の時ですね、漫画で福島県を元気にしようとね、あちこちで展示会なども行われたんですね。
日本中からね、有名漫画家さんのね、祝詞とか集めましてね、応援メッセージ、それでね、福島県の人々を元気づけたんですね。
2014年からですね、福島民謡の月一連載でね、ローマン日記ってやつですね。ローはひらがらでマンは漫画のマンの日記っていうのをですね、
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約10年以上で歌いましてね、軽妙なエッセイを書き続けていたそうです。
福島県内のね、漫画文化の歴史、それをね、詳しく知る方なんですね。
そんなもんでね、亡くなる前にですね、ぜひ一度お会いしてね、お話を聞いてみたいと思っていたんですよ。
でも県内だからね、逆にいつでも会えるなぁと思っていたんですね。
10年くらい前ですね、スカゴワシですね、ガマンテンっていうね、漫画のイラスト展示会やってたんですね。
ガマンのガはですね、ガは我で、マンはひらがなで、ガは画鋲のガですね。
ガマンテンっていうのを行っていましてね、イラスト展がやってたんですね。
そこでね、いらっしゃったんですよね。でもその時に会えなかったんですよ。非常に会えなかったので残念でした。
でもまだチャンスあるなと思っていたんですけどね。非常に残念です。
というわけでね、今回はね、山浩さんが亡くなってね、とても残念だったよっていう話でした。
個人的にですね、こういう方になりたいなと思っていたお一人なんでね、非常に亡くなって残念です。
はい、それではまた次回よろしくはペンキションオタクの話をお付き合いくださいね。
本日もお聞きくださいまして、誠にありがとうございました。