1. ピョン吉の航星日誌
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2023-08-21 11:17

#540 ジブリで活躍した山本二三さんが亡くなられたというので5年前の展示会の話

宮崎駿監督、高畑勲監督など、ジブリ作品などで背景を担当されていた美術監督の山本二三さんが19日に亡くなられたそうです。2018年1月に、福島市のとうほう・みんなの文化センターで行われた「日本のアニメーション美術の創造者 山本二三展」と、そこで行われた山本さんのトークショーで聞いた話などをしております。とても素晴らしい絵を描く方で好きだったので非常に残念です。合掌。

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サマリー

福島県郡山市の親父ピョン吉は、山本二三さんが亡くなったことを知りました。彼は5年前に参加した山本二蔵さんの展示会について話しています。

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はい、おはようございまーす。本日の放送は2023年の8月21日、月曜日です。
本日は第540回目のお話となりまーす。 このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が響きになったことを
だらだらと話をしていくという番組です。 そんな親父の一言を気になりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら
ごめんなさい、悪気はなかったんです。 福音君の番組に興味持ってしまったら、ぜひ今後もご協力のほどよろしくお願い致します。
朝起きてですね、真っ先にするのはですね、ツイッターを眺めることなんですね。 今朝はですね、ツイッターを開きましてね、山本二三さんが亡くなったってことを知ったんですよ。
山本二三さん。 アニメーション映画の美術家、画家としてですね、
スタジオジブリなどの作品の美術監督などを務めた方です。 8月19日午後1時に亡くなられたそうです。
70歳だったそうです。 宮崎駿監督の天空の城ラピュタだとか、もののけ姫、
高畑勲監督の蛍の墓、 北沢守監督の時を駆け入れる少女などなどですね、大ヒットしたアニメーション映画でね、
美術監督として背景を手掛けてきた方です。 新海誠監督の天気の子でもね、映画出ておりました。
立体的ですね、史上豊かな表現を持つ映画特徴なんですね。
空に浮かぶ雲の特徴があることからですね、二蔵雲というふうに呼ばれましてね、 アニメファンに親しまれた方なんですよ。
2017年12月からですね、1月にかけましてですね、 福島県でもですね、展示会を行ったこともあるんですね。
山本二三さんの展示会
というわけでですね、本日は山本二蔵さんがね、どのような作品を手掛けたのかというので、その時の展示会の話をしようと思います。
会場はですね、福島市の東方みんなの文化センターの3階でした。 1月6日にですね、ギャラリートーク、トークショー、サイン会が行われるというので参加したんですね。
サインは限定50人ってことだったんですね。 その日着いたのですね、午前の11時後に着きました。
早速ですね、観賞の前にですね、画集を購入したんですね。
日本のアニメーション美術の創造者というふうな副題が付いています。 その画集を購入いたしました。
その日にですね、画集を購入した50名、限定でね、サイン会が行われるということだったんですね。
11時に行ったらですね、自分19番目だったんですね。 この展示会、2013年頃からね、全国でね、あちこちで行われていたものらしいです。
早速展示されている背景が、そちらのを鑑賞いたしました。 こちらの方はね、入場料大人800円でしたね。
この前の年ですよね、2016年にはですね、同じくジブリの背景を手掛けたですね、小川和夫さんの展示会がですね、ビッグバレット福島で行われたんですよ。
またと同じ年の2017年6月にはですね、三原町の桜井雄学舎でですね、ジブリの監督の近藤義文さんのね、展示会を行われていたんですね。
その時期、毎年のようにですね、この前にジブリのね、アニメ関係の他の展示会をされていたっていうのはですね、
震災とね、原発事故でね、疲れていた福島県の人をね、応援したかったからなのかなというふうに思いますね。
山本さんの展示会を鑑賞しましてね、個人的に驚いたのがですね、絵が非常に小さいということだったんですね。
テレビだとかね、映画の大スクリーンでね、印象的なシーンの背景がですね、こんなに小さいの?って感じなんですね。
テレビで使われているものがですね、セルガとほぼ同じサイズなんですよ。 そのサイズのところにですね、ギュッとね、絵を描いてるんですね。
山本二蔵さんがですね、初めてね、美術監督したのがですね、宮崎駿監督のね、未来少年コランだったんですね。
やっぱりこれは自分にとっても印象深かったですね。 山本二蔵さん、24歳の時の作品です。
展示してあったですね、ギガントのね、操縦席の丸い覗き窓のところですね。 へー、こんなにですね、小っちゃいんだって感じだったんですね。
それあと、シン・ルパン三世ですね、宮崎駿監督がですね、2作だけですね、参加した作品があるんですよね。
それは有名な話ですけどね。 死の翼アルバトロス、それあと、さらば愛しきルパンよ、ですね。
この2作もですね、実は山本二蔵さんによる背景画なんですね。 というわけで、懐かしい画面がね、あちこちにあってね、非常に嬉しかったですね。
それあと、後にですね、ジブリの監督になります高畑勲監督と組みました、劇場版ジャリンコ知恵。
大阪の下町柳さんが生き生きとね、絵が描いていましてね、非常にすごいなぁと思いましたね。
それから1981年ですね、名探偵ホームズの世話までのね、美術監督もしております。
これがですね、宮崎駿監督の回なんですね。 ちなみにですね、その脚本はですね、当時大学生であった片渕須直監督なんですよ。
この世界の片隅を監督される方ですよ。その他が脚本をしてるんですね。 すごい組み合わせですよね。
雑誌アニメージュですね、当時ですね、宮崎駿監督のね、この名探偵ホームズのこの場面が面白いっていうね、散々とジラされたんですね。
で、待って待って公開されたのがですね、風の谷のナウシカのね、兵兵としてね、2本。
それと天空の白ラピュタの兵兵として2本だったんですね。 その時ですね、このレベルのね、放送がずっと続くのかと思ったんですよね。
で、本放送を見れた時にですね、がっくりとしたね、宮崎駿さんが関係しなかっただけでね、こんなにね、作品ってね、面白くなったりとか、面白くなくなったりとかするんだ、というふうに思ったんですね。
それからあと、宮崎駿監督の天空の白ラピュタ、廃墟になったラピュタ島の風景だとかね、パズーが住んでいたね、炭鉱の町のね、そんな背景などを展示されていましたね。
この時ですね、雲が非常に特徴的でね、二蔵雲というふうに呼ばれるようになるんですね。
それから高畑勲監督の蛍の墓、山本二蔵さんもね、この作品でですね、かなり調査とかね、そういうので参加していたようですね。
また、宮崎駿監督の物桶姫の獅子神の森などなどですね、非常に存在感ある背景だったんですね。
自分以外でも活躍されていましたね。遠い海から来たクータとかね、細田守監督の時をかける少女などね、そういった作品も関係しています。
時をかける少女の街並みですね、印象的な街並みなんですが、この展示会のポスターに使われていました。
トークショーではですね、自分はどのようにしてアニメに関係するようになったかという話をしてくださいましたね。
出身はですね、長崎県の後藤列島の出身で、非常に苦労されましてね、柳田区の工業高校を卒業後ですね、夜間のアニメーション学校に通われたそうです。
そして背景画の会社に勤めてね、サザエさんとかイッキュウさんとかの背景画を描きましてね、そのうちですね、日本アニメーション系の会社に入社します。
それでシートン動物記、クワノコジャッキーで美術助詞をするんですね。
そこでですね、フランダースのユナとか山ネズミロッキーチャックなどのね、伊藤和也さんという背景画、その人に会いまして、
そこになるときにそれに似せるようにしてね、絵を真似して描いていて、それでですね、未来少年コラインに繋がったってことらしいんですね。
ここら辺ですね、アニメの白箱ってあるじゃないですか、あそこのアンデスチャッキーっていう話なんじゃないですかね、
それが多分ロッキーチャックの話ですよね。
ていうんで、あー似てるなーって思いましたね。
福島県とはね、縁がないようですよね、長崎県というのはね。
実を言うとですね、トークショーで聞きましたね、少しだけ関係があったんですね。
一つはですね、高校のね、修学旅行でですね、福島県を訪れたそうなんですよ。
で、ゴシキングマンを訪れましてね、非常に感動したと。
で、今回ですね、この展示会を福島県で展示するっていうんでね、ていうんで、再びね、ゴシキングマンを訪れまして、
以前よりですね、森がこもりとした状態になってましたね。
それに非常に感銘を受けたと。
山本二蔵さんの作品
で、ぜひこれを作品にしたいというね、作品を仕上げたそうなんですね。
自分はあとですね、そのゴシキングマンのクリアファイル、こちらも購入いたしました。
二つ目はですね、専門学校を置いてね、就職したっていうんですね。
すぐさまアニメスタジオじゃなくて、福島県出身のね、
いがりさんっていう方が経営されているいがり製作所っていうですね、石材屋さんに就職したそうなんですね。
そこで非常にですね、大切なお世話になったんですがね、
アニメの情熱があったんでね、ていうんで、
石材さんなどを製作している英研に関係する会社に入ったそうなんですね。
そのようなね、福島県との繋がりがあるそうです。
その後はね、サイン会でね、サインをもらったんですね。
現在ですね、静岡県の浜松市の方でですね、
新山本二蔵展っていうのが開催されている最中なんですね。
そんなわけでね、また福島県に展示会あるかなーなんて思って楽しみにしてたんですがね、
とは、今回このようなことになったんですね。非常に残念です。
山本二蔵さんの繋がり
というわけでですね、今回はですね、山本二蔵さんが亡くなられたっていうので、
2018年にですね、福島市で開催されていた山本二蔵展の様子などを話させていただきました。
本当に残念です。
はい、それではまた次回よろしくお願いいたします。
本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。
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