2025-03-13 08:23

#1110 山内ジョージさんが亡くなられて東北のマンガの記憶が減ったと思った話

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山内ジョージさんが亡くなられたニュースが飛び込んできました。宮城県出身で、宮城県時代の石ノ森章太郎さんを知っている方。石ノ森章太郎さんや赤塚不二夫さんのアシスタントを経験した方。「トキワ荘最後の住人」と呼ばれていた方です。よこたとくおさんや横山孝夫さんという福島県出身でトキワ荘に関係ある人物とも親しかったであろう方。東北のマンガの記憶を持つ人がまたいなくなったな、とても残念におもっております。

サマリー

漫画家の山内ジョージさんの死は、東北の漫画文化や時和荘に対する記憶の減少を象徴しています。彼の影響力を振り返る中で、地域の漫画文化の重要性が再認識されます。

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はい、おはようございます。本日の放送は2025年の3月13日、木曜日です。 本日は第1110回目のお話となりまーす。
このチャンネルは、福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大救世主のピョン吉が、響きになったことを、だらだらと話をしていくという番組です。
よろしくお願い致します。
山内ジョージさんの逝去
今朝ですね、漫画家の山内ジョージさんが2月27日に亡くなられていたというニュースが流れてきました。
84歳だったそうです。 漫画家さんたちはね、住んでいたことで有名な時和荘。
その時和荘にですね、最後まで住んでいた漫画家さんです。 そして絵文字作家として活動されていた方です。
東北の漫画文化についてですね、記憶を持っている方がですね、また亡くなられたと非常に残念なんですね。
ご冥福をお祈り致します。 山内ジョージさん、中国台田出身で、戦後ですね、父のね、
ふるさとであります宮城県留町、そちらの方で育ったんですね。 小学校5年生の時ですね、大好きだった漫画家の手塚治虫さんと文通するんですよ。
この当時の漫画家の話だとね、手塚治虫さんと文通していたというエピソードが出てくる人が多くて驚かされます。
石上正太さんとかね、有名ですけどね、藍津若松氏のね、笹川博史さんとかもそうですしね、新地町に住んでいました横山孝夫さんなんかもそうですね。
小学校5年生の頃のね、ファンレター、それにね、ちゃんと返事書いてる手塚治虫さんすごいですね。
笹川博史さんがね、手塚治虫さんの専属、アシスタントの第1号だったわけですからね、漫画家アシスタントはいないんでね。
ですから自分でね、やっぱり全部書いたんでしょうね。 小学生からファンの手紙をちゃんと返事書く手塚治虫さんってすごいなと思いますね。
そして山内さんはですね、中学校2年生の時ですね、近所に住む石上正太さんと出会うんですよ。
石上正太さん、山内さんと2歳半上なんですね。 いつも石上正太さんですね、高校生の時にはね、手塚治虫さんのアシスタントに出かけたりとかしてるんですね。
その天才的な漫画家さんを間違えて感じてね、どんな気持ちだったかなーってすごく気になりますね。
で、高校はですね、石上正太さんと同じですね、宮城県佐沼高校に入学するんですね。
あんまりね、話題にならないのが不思議なんですよね。 石上正太さんとですね、山内さんが通った高校、佐沼高校はですね、後にドーム、秋原のですね、大友克洋さんもね、通っていたんですよ。
まあ学年が違うんですかね。 家が近いんですよね。
大友克洋さんはね、同じ留め町の出身なんです。
その他ですね、女性漫画家でね、私好きな作品だったんですが、「夢見る惑星」とありまして、佐藤志穂さんという方、その方も同じ高校なんですね。
その方はですね、以前ですね、石上正太のふるさと記念館、留め町にあるんですがね、そこに行くついでにですね、佐沼高校に寄りまして、フェンス越しにね、高校を見たことがあります。
現在はね、コンクリートのね、普通の高校でしたね。 山内さんはですね、上京の時和倉に住むんですね。
1960年の9月だそうです。 後にですね、漫画館にたくさんいたことがですね、両三博と呼ばれる時和倉ですね。
そこでですね、石上正太さんのアシスタントをしているんですが、そこでですね、赤塚富士夫さんのアシスタントを経て、自分でもね、ゲーム漫画を発表していくようになるんですね。
そして、漫画家のね、時和倉の最後の住人とされているんですね。 最後の住人って意味はですね、あの時和倉をね、みんな漫画さんたちが出て行った後ですね、その後も住んでいたっていう意味ですね。
時和倉の生き生人って意味ではないんですよ。 時和倉に住んでいたことのある人ね、生きている人だとね、水野秀子さんもね、ご現在ですし、杉並アニメーションミュージアムのね、
名誉館長のね、そしてあのラーメン大好きな小池さんのモデルになりました、鈴木真司さんもね、ご現在ですからね。
また時和倉にはですね、住んでいた人いないんですね、通い組みっていう人もいたんですよ。
そうすると、角田次郎さんもね、通い組みですから、まだね、ご現在ですからね。 その後ですね、山内さんはですね、赤塚富士夫さん、その後赤塚富士夫さんの奥さん、
その当時の奥さんね、あと横田徳雄さん、横山貴雄さんなどが入っていますね。 七福神プロダクションに所属するんですよ。
そこでですね、赤塚富士夫さんがね、あの尾崎さんのね、漫画のギャグ、その誕生の場面を目にするんですね。
ちなみにあの七福神の神はですね、神様の神じゃなくてですね、人なんですね。 7人の漫画家さんからなる漫画グループなんです。
そこでね、山口六平太だとかね、 織部錦三だとかね、漫画の後で発表します。高井健一郎さんと会うんですね。
そしてそこで一緒にですね、コンビを組みまして、漫画を発表したりとかしています。 この流れですよね、なんとなくですね、あの
高井健一郎さんだとかね、横山貴雄さんとか同じくですね、そのまま赤塚富士夫さんのプレーン、プレーン集団であります。
富士夫プロに入ってね、そして良さそうなんですがね、入らなかったようです。 横田徳夫さんも入らなかったですね。
その後、漫画を発表しないものですね、漫画からは離れることができなくてですね、動物を使った絵文字というね、表現方法とたどり着きまして、動物絵文字をですね、40年以上も作り続けるんですね。
そして時和荘の最後の住人という本ですね、2011年に出しまして、 時和荘ミュージアムがね、その後できたりとかしたこともありましてね、
私としてね、取り上げられることが多くなりました。 今回ですね、まあ山内従司さんが亡くなったってことでね、
宮城県自体がですね、伊勢文昌達さんを知っている、また東北の漫画少年たちの記憶のある方、
そして時和荘の記憶のある方が亡くなられたってことですよね。 東北にとってもですね、非常に残念なことだと思うんですね。
そして先ほども言いましたように、時和荘には横田徳雄さんもいましたし、海外組ですよね、新地町の横山貴雄さんもいました。
で、福島県出身の漫画家さんともね、深く深く関係していましたね。 そのお二人もすでに亡くなっていますからね、そのお二人についてですね、山内さんは知っている人だったわけですよね。
漫画文化の記憶
だから福島県にとっても非常に残念という気がするんですね。 福島県の漫画文化、どこか誰かがインタビューをあちこちしましてね、ちゃんと集めなきゃダメだなと、
今回は山内さんのね、不法を聞いて改めて思ったような次第です。 というわけでね、今回はですね、宮城県富町を育てた山内常一さんが亡くなられて、
東北、福島県の漫画文化についての記憶が減ってしまって、残念だという話でした。 はい、それではまた次回よろしく、ぴょんきちょんお互いの話をお伝えくださいね。
本日もお聞き下さいまして、誠にありがとうございました。
08:23

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