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さあ、始まりました。ピカピカFMの大志郎です。
カズキです。
よろしくお願いします。
はい。
ピカピカFMは、仲良し2人が、映画、漫画、アニメ、ゲーム、音楽など、最近気になっていることを自由気ままにおしゃべりするトークバラエティ番組です。
はい。というわけで今回は、
その目をこじ開けろ!映画「時計じかけのオレンジ」です。
はい。
今回なんですけれども、
以前、第31回目の放送かな?
掘り起こせ!ずっと見れてない映画特集で、お互いにこの映画は見れてないんだけど、気になってるっていうのを持ってきてて、
その中から一つ選んで、これはいい映画だからぜひ見てくれというのを一つずつお互いに選びました。
そのうちの一つ、俺が見てくる宿題だったのが、「時計じかけのオレンジ」だったので、その映画を見てきました。
今回、その感想というか、見てきた印象について話せればと思っています。
はい。
じゃあ早速、本編というか、時計じかけのオレンジどうだったかについて話していこうと思うんだけど、
いかがでしたか?
あのね、めちゃくちゃ辛かった。
辛いよ、この映画。一言で言うと、かなり体力を持っていかれる作品だったなぁと思っています。
何系の辛さ?
何系の辛さ?なんだろうな。
例えばさ、うつ映画とかさ、うつ漫画とか、みたいな、感情の辛さなのか、
例えば、語彙力者のあるタイプの辛さなのか、なんかちょっと違うじゃん。
そうね。
映像を見るその振動さみたいな。
どういうタイプの振動さ?
そうね。なんだろうな。
人間の悪いとこ全部集めて、見ろって言われてる感じかな。
なるほどね。
オレ、普段見る映画って、そういう映画ではないのよ。
そもそもこういうタイプの映画、そんな多くはないと思うんだけど、
いわゆるストーリーもので、悪を倒すみたいな。
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マーベルとかさ、っていうのが普通じゃん。
そっちの映画の方が爽快感あるし、スッキリするじゃん。
この映画はね、全然スッキリしないのよ。
てかむしろ、見れば見るほど、ヘイトが溜まっていくんだよね。
うわー、そんなことするっていう重み。
人間の悪いことを、もうマザマザと見せられていって。
それがそのまま受け止めないといけないというか。
だからそれって悪いところだからさ。
見たくない、普段意識しない部分っていうか、
あえて見ずに触れないでいる部分なのよね。
だからアイドルうんこしないみたいな話を。
アイドルはトイレに行かないからって言われてるけど、
それってさ、その部分、見たいわけじゃないじゃん。
いや、何言ってんの、そんなんするで決まってんじゃんみたいなのを、
映画全編通して言われるみたいな感じかな。
だから俺的な感覚としては、
映画から1秒たりとも目を背けるんじゃねえって言われてる気持ちになったんだよね。
そういう感覚になったっていうか、
すごくインパクトの強い描写、
ストーリー的にも絵面的にも多いシーンが連続してるのよ。
後ろ見たと思うからわかると思うんだけど。
それでいっぱいいっぱいになっちゃうんだけど、
いかんせんセンスがあるんだよね、映画自体の。
絵作りだったり美術品だったりがことごとくセンスがいい。
引き寄せられてしまうというか、内容見たくないはずなのに、
ちょっと見続けてしまうというか。
だから見ろよ、これを見ろって言われてる気分になったんだよね。
当時、俺すでに見てはいるんだけど、
見てたときの印象と、
改めて振り返ったときに思ったのが、
キューブリック作品って感情移入できる印象はないのよね。
キャラクターにね。
どちらかというと、俯瞰で描いているっていう印象があるの。
キャラクターにどれだけ共感できるかっていうよりも、
どちらかというと、自称を描いているっていう印象が俺はあって。
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例えば、2001年宇宙の旅とかって、
誰かに共感できるっていう映像ではないじゃん。
そこで宇宙船で起きていることを描いているっていう感じじゃん。
そこから何を読み解くかっていう感じだったりすると思うんだけど、
別に言うと今回もちょっとそれが言えてるなっていうふうに思うんだよね。
うん、確かにね。
別に主人公に感情移入できるかっていうと、
正直できているような感じじゃなくて、
どちらかというとブラックジョークが効きすぎている。
エッジが立ちすぎているっていうところがあると思うんだけど、
そのブラックジョークの度合いもさ、
どういった感じのものにかにもよると思うんだけどさ、
例えばバンクシーみたいな風刺が効いてるけど、
そこにポップさをあの人の中であるじゃん。
それがすごくポップがゆえにそのキャッチーさがあるからこそ、
どこか突きやすさもありつつっていうところがあると思うんだよね。
でもその中には風刺が効いているから考えさせられる部分があって、
そこから自分が共感できるポイントを見つけていくっていうような作業が、
ああいったブラックジョークとかにあると思うんだけど、
今回のに関してはそういったポップさがないのよね。
でもそのポップさを何で補っているかっていうところになるのかな。
っていうところで言うと、やっぱりキューブリック作品特有の、
1万円にした時の美しさ、映像美っていうところ。
そうそうそう、そうなのよ。
どのシーンを切り取ってもポスターみたいな感じで成り立つなっていうのは思ってて。
だから見ちゃうっていうか。
見たくないところと美しさ的なところ、魅惑的なところがあるから、
どうしても見ちゃうっていうところがあると思う。
基本的には人間の悪いところを監視カメラでずっと見させられてはいるんだけど、
いかんせんその映像が美しいっていうのがあるみたいな。
だからどうしても見ちゃうっていうような感覚があるなっていう。
これがまだ感情移入ができるんだったらいい。
まだなんとか救いがあるというか、があるのかもしれないけど、
これがいかんせん感情移入ができないというか、客観的な映像だから、
どうしても考察っていうのかな。
自分の中でそれを読み解く作業。
今起きている事象から人間ってこういう生き物なんだっていう。
ところを考えさせられると、吐き気がするよね。
そう、吐き気がするのよ。
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なんで人間って悪い生き物なんだっていう風になってくると、
うつせんかいになるよね。
そうね。
っていうところがあまりにも、この作品はエッジが効きすぎている。
っていう印象が改めて思うな、この作品。
でもそれでもやっぱり見ちゃうっていう。
今回の感想っていうか、話そうと思っていることは大きく2つあって、
1つが、制作面っていうか、映画としての絵作りの部分なんだけど、
それとさっき話した、どこ切り取ってもポスターになるとかっていうところの話なんだけど、
やっぱりキューブリック作品って、絵作りすごいんだなっていうのが改めて、
ゲージ掛けのオレンジを見て思ったところで。
一番わかりやすいのだと、冒頭のカメラワーク。
最初のシーンで、まず主人公がバーンってアップでズームされて、
カメラ目線でこっちをじーっと見ている状態から、すごいゆっくりズームが引かれていくんだよね。
じわーってズームが引かれていって。
引きの絵になるにつれて徐々に周りの雰囲気っていうのがわかっていくんだけど、
これが普通のズームから引きの絵になっていく他の映画、キューブリック作品じゃない映画だったとしたらさ、
引きの絵になるにつれて情報量が増えていくからさ、状況がわかってくるはずじゃん。
ああなるほど、こういう場所にいるのねとかさ、こういう状況なのねっていうその主人公とその周りっていうのがわかってくるはずじゃん。
だけど、この映画の場合、何が映ってるかわかるのよ。情報がどんどん増えていくからわかるんだけど、
わけのわからないものが映ってるから、どういうことってなるのね。
だから、それこそ映ってるもので言うと、まず主人公の顔が映ってますと。
引いていくに従って、主人公以外にも周りに人がいるんだなみたいな、同じような格好した人がいるんだなっていうのが、もうここまではいいよ。
その後、人間の形をしたテーブルみたいなものが映って、でもこれは人間じゃないなみたいな、銅像かなみたいなものが下に映って、真っ白のテーブルが。
引いていくと、さらに白い老人形みたいなのがそこら中にあるみたいなことがわかって、「これはどういう部屋なの?」みたいなのがわからんのよね。
何も説明がないから、そこだけだと。ただじわじわってズームが引かれていくからさ、わからんまま、わからんのだけど、でもかっこいいのよ、絵は。
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だからちょっとパンチのある絵で、わけわからんけど見ちゃうっていう状況を作ってるなって思ってて。
それがなんか面白い。ズームされてる状態ってさ、映像的には緊張状態にあるはずじゃん?
張り詰めた状態っていうの。わかる?キュッて近づくからさ。それが引きになるにつれて緊張が解かれていくはずなのに、全然緊張が解かれないってなんだこれってなったんだよね。
っていうところが、冒頭からいきなり顔面にパンチ、何発か食らうみたいな感じ?印象を受けたかな?
映像理論って言ったらちょっとそんな大層な言い方になっちゃうかもしれないけど、
映像の思考の誘導のフォーマットとして、だいたいシーンの作り方って、基本的には場面状況から入ってそこから人物を映すっていうのが、基本的にはセオリーっていうのがあるんです。
これが映画でもドラマでもバラエティーでも、基本的には何でもしっかりなんですけど、どういうことかというと、シーンの始まりから、まず映し出されている場所がどういったところなのかっていうところから入ります。
そこに映っている被写体が誰なのか。その人が今度は何をしている、その場所で何をしているのかっていう風な基本的に流れなんですよね。
すごく舞台例で言うと、バラエティーで食レポとかあったとすると、一般的なセオリーとしてはお店の近くから、例えば石塚さんが店のちょっと手前から歩き始めるところから、
今回やってきたのはこちらですみたいなところが入って、そこから石塚さんを映してからのお店を映して、じゃあ中に入っていきましょう。その後飯を食べてみたいな感じだと思うんですけど、このシーンの始まりって道路から始まるじゃないですか。
道路から始まってて、それがどういったところなのかっていうのが映し出されて、その真ん中に映っているのが本社の石塚さん。そこから石塚さんがこれから何をし、どうするかっていうところで、さあ今回やってきましたのはですねっていう入り方。
これが基本的な流れになるんです。今回それで言うと全くの逆なんだよね。このセオリーの全く逆で言うたら、一般的なのは引きから入って、そこからどんどん寄っていっていくっていう簡単なカットのつなぎがあるんだとしたら、それの逆。
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人間のアップからどんどん引きの絵になっていくっていう感じなんです。これがどういうことを言ってるかというと、よりの絵によってまず人間の映し出されている顔から入るんで、その人がどういった表情をしているのか、どういう気持ちなのかっていうところから入るんです。
今回で言うと、後からわかるけど、まずはよくわからない状態から入るよね。感情的に。
なんかすごい見つめられてて、眼球のまなざしが鋭いんだけど、どういう気持ちなんだろうっていうのはよくわかんない。
それをまず考える時間があるんだよね、うちらには。この表情からどういう表情なんだみたいな。何この糸を考えてるんだろうっていう緊張感が最初にもうすでに入るんだよ。
そこから徐々に引いていっていくと情報量が徐々に増えるんだよね。この人の隣には人がいるんだな。しかも似たような格好をしているから、多分仲間的な友達的なことなんだろうな。
引いていっていくと、なんかどっか変な場所におるぞみたいなのがわかってきて、さらにそこから引いていっていくと他にも人がどんどん増えていって、その人たちが騒いでるんだけど、いかんせん何で騒いでるのかがよくわかんない。
てか何この空間みたいな。にどんどんなっていくんだよね。ある種の緊張状態を引きにはいっていってるんだけど、いかんせんよくわからないっていうのがどんどん情報量が引いていくことによってプラスはされるんだけど、プラスされてって状況が理解できるようになるようでならないんだよね。
そう、ならないのよ。普通、さっきのセオリーの話でいくと、周りの状況がわかったら、そういうことだったのねってなるはずなのよ。よりから始まって引く映像もまあまああると思うんだけど。
なくはないんだけどね。
それって、よりで緊張を作らせて、え、何?って思わせてからの引きで、ああそういう感じかってわかるはずなのに、これわからん情報がどんどん増えていって、かつ最初の緊張状態から始まってるから緊張がずっと続く感覚になるんだよね。
状況がわかっていけば、その緊張状態もほぐれていくはずなんだけど、いかんせんその情報がさらによりわからなくさせてるもんで、引いてもなお緊張状態が続く。
結局はわかんないんだけど、最初に映ってた主人公ポイントって、結局どういう表情、どういう気持ちで今いてんの?みたいなところに気持ち的になっていくんだよね。
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いろいろ考えがいろんなところにいくんだよね。ただ引いてるだけの映像なんだけど。
っていうところの作りの時点で、俺もすごいなっていうふうに思った。
普通じゃない映画が始まるんだなっていうつかみはバッチリというか。
その辺はもう完全にあえてそうやって演出しているっていうところ。さすがにやっぱりキューブリックだなと思ったよね。
そういう大胆でキャッチーな絵作りっていうのが、割と映画の至るところに散りばめられてた。特に前半が不思議な空間になってたなっていう気はしている。
印象的だったのが謎の美術品。正規の美術品って、チンチンの美術品がさ、主人公のアレックスが悪いやつなのよ。
強盗に押し入るんだけどさ。で、強盗に押し入った相手の部屋に性にまつわる絵画だったり置物だったりが置いてあるんだよね。
で、なんでそこに置いてあるかわからんのよ。その人の趣味なのかっていう話なんだけど、結構そのシーンって重要なシーン。映画の展開的にも重要なシーンだから、普通の映画だったら、そんなの置いてたらさ、そっちに気が入っちゃうからさ。
ストーリーとかちょっと待ってくれと。この置物はなんやねんっていう、ずっとそっちに意識が行っちゃうんだよね。重要なシーンなのに。でも、それあえて置いてるんだろうなって思ってて。
だからこういうのあったら見ちゃうでしょっていう、キューブリック化のメッセージっていうかさ。映画のキーアイテムとしてももちろん使われるんだけど、そうじゃなくて視聴者に対する挑戦っていうかさ。
これ置いてあったら見逃すわけにはいかないでしょっていう感じにも思えたんだよね。だからそういう意味でも、タイトルにもつけたけどさ、その目をこじ開けて見ろよっていう言われてるような気がしてなかった俺は。
今ちょっと思ったのが、よくわからないオブジェとかアート作品みたいなのがあったやん。いろんな場面で。なんでだろうなーってちょっと思ったところで、考えながらちょっと喋ってるんだけど。
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海外にしたかった、アートの世界の中で居させたかったのかなーっていうちょっと気がする。アートの世界の中で居させたくて、かつ、一応あれって近未来の話だったって?
設定としてはロンドンの近未来っていう話ではある。近未来的なところで言うと、一応風刺の良さが存分に入っているところもあるからさ。
っていうところを混ぜ合わせると、ああいったわけのわからないアートとか入れつつっていうところもちょっとあるのかなーって。で、その中に人形を落とし込めたかったのかなーとかちょっと思った。
2つあると思ってて、映画の設定的に美術を配置してるっていうの。だから普通だったら、このキャラクターがこういうことが好きだから、このアイテムを部屋に置いてますとか、そういう作り方をすると思うのよ。
ロックバンドが好きだから、バンドのポスターを部屋に飾ってますっていうリアリティを持たせるための美術だよねっていう作り方をすると思ってて、その面もあると思うのよ。
だから、ちょっと現実離れしてるな、近未来っていうのもあって、ちょっと我々の感性とは違うようなところにいる世界なんだよっていうのを表してるのもあると思うんだけど、それは半分で、もう半分はあえてそういうのを置いておくことで、嫌顔でも目に入ってしまうっていうのをやってるんじゃないかなーって思えたんだよね。
だからそこが、この映像をかじりついて見させようとする一つのエフェクトというか、としてもあるような気がするよね。あとなんかちょっと海外の歴史的な文法もちょっとあるような気がするなと。
いったら風刺画的な感じ?だからどこか風刺画ってやっぱりどこかしらちょっとキャッチーさがありつつも、やっぱりそこからなんか濃くな描写があることによってそこから何を紐解くかっていうところをあるような気がして、それで言うとそのキャッチーさっていうところを空いたわけがわからないオブジェクトを配置することによって目を引かせるっていうところもあるような気もするなともちょっと思う。
あと演出のところでもう一つあるとしたら、映画のその第1幕、この映画は大体第1章、第2章、第3章ぐらいに分かれると思ってて、第1章がその主人公のアレックスか、アレックスがこういう人なんですよ、悪いことしてるんですよみたいな、
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性にすごい性的行動と暴力をすごくやってるんですよっていうのが第1章だと思うんだけど、途中でさ、レコード屋さんに行って、女の子2人をナンパしてお持ち帰りっていうのかな、するシーンがあるじゃん。
なんかあったね、あったね。
あのシーンちょっとむちゃくちゃ変わった演出だったでしょ。要はナンパして、自分の部屋に行って、セックスするのよね。
で、普通、そのレコード屋のナンパのシーンってすごくムーディーっていうかさ、いい感じ、いい雰囲気になってたと思うのが会話で、女の子たち誘って、「ちょっとついて行ってもいいかな?」みたいな雰囲気になるみたいな、すごい丁寧に描かれてたと思うんだけど、
家帰ってからさ、急にクラシックの競馬の音楽っていうのが流れてた。で、早送りみたいな感じになるじゃん、演出が。
そうそう、そのシーンって、ずっと早送りみたいな感じで流されるのよ、セックスしてる様子を。で、それってさ、おかしいじゃん。普通だったら、そんな早送りじゃなくて、もっと、例えば、エロティックにっていうかさ、ムーディーな感じ?
いい感じの雰囲気、そのレコード屋さんのいい感じの雰囲気のままのシーンを映してもいいと思うんだけど、そうしてない。で、むしろ早送りにして、その競馬のクラシックの音楽をかけると、すごいコミカルに見えるっていうか、
もう1年の流れ作業でやってますねー、みたいな感じに見せてるんだよね。で、そこがすごい意図的にしてるはずで、もう割とそこって、主人公にとっては、アレックスにとっては、深いことではないというか、ただ単にコミカルなことなんですよって描かれてるように思えたんだよね。
言ってる意味わかるかな?もうちょっとさ、性的なことってさ、大事なことって思われてるじゃん。一般的に。けど、すごく軽いものとして扱ってるように見えたのよ。
で、それを映像表現としてやった時に、なんか軽快な音楽流して、早送りにするっていう方法になってて、ちょっと笑っちゃうんだよね、そのシーン見ると。笑えるような感じになってて、それもなんか不思議っていうか、なんだろう、見ちゃう。
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なんだこのシーンみたいな感じで、見続けてしまうような演出になってたなーって思っているかな。
そこは丁寧に描きすぎちゃうと、言ったら普通?でもあくまでもテーマになるのかわからんけど、やっぱ近未来だとそんな感じなんかな?
近未来っていうか、多分主人公の性に対する捉え方がそういう感じなのかなって思った。
うん、もう多分あるやろうし。
すごいラフな感じというか。
うん、もうあるやろうし、この世界の中ではちょっとそういったシュールが当たり前。
そうね。
近未来ではこういったシュールが当たり前の世界観っていうところが多分あるような気もするから。
そうね。
ある程度普通に、しかも主人公に感情引入させてしまうと、作品のトータルバランスというか、風刺じゃなくなっちゃうような気がするから。
うんうん、そうねそうね。
ある程度シュールでかつそういったところの何?この世界観だとレコード屋が多分今のうちらの感じでいうとクラブみたいな感じなのかな?
うん、そんな感じに見えた。
なのに対して陽気なクラシックが流れるところの、うちらの感覚でいうと死に捨て的なレコード屋に陽気なクラシックが流れるアンバランスさっていう。
ところがうちらの感覚だと、ある種のちょっと気持ち悪さはあるんだけど、その医療が絶妙にいい感じなのよね。
っていうところの気持ちいいのか気持ち悪いのかよくわからないところはずっと続いている。
作りはしてるんだよね、今日ドリームズ。
そうだね。
とは思うね。
だから至る所の演出面が変わってるっていうかユニークな映画だったなって思ってる。
これが1970年代だから50年以上前に作られた映画だっていうことにちょっと驚きというか。
そうね。
下手したら新しいことやってるなって思っちゃうような印象でもあったかな。
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それがちょっと一個話したかった。
制作面っていうかのところかな、映画としての仕掛けというか。
もう一個ちょっと話したいなって思ってたのが、これは俺自身の話っていうか、映画を見て本当に実直な感想というかになるんだけど。
さっき映画大体3部構成でって話をしたと思うんだけど、その昇立てごとに俺の気持ちがくるくる変わるなって思ってて。
要はこの映画って個人の自由を取るか、全体の守りを取るかみたいな、そういう話でもあったかなって思ってるんだけど。
だから第1章のところでは、主人公が暴力と性の欲望に対してものすごい忠実で、故にあらゆる犯罪行為をやってますみたいなのが描かれてたわけじゃん。
で、俺はそれを見て、こいつむっちゃひどいやつだなって思ったのよ。今見終わったからそういうラフなっていうか、むっちゃひどいやつだなみたいな感じで笑って言えるけどさ、映画見てる最中はもうやめてくれって思ったのね。
もうこれ以上は罪を重ねないでくれっていう、まあ悪いやつなのよ。こいつはもうとんだ悪いやつだ、イカれた野郎だっていう気持ちに第1章見ててなったのね。
で、第1章の最後の方で逮捕されて、第2章からは監獄生活っていうかになるわけだけど、その中では最終的に強制治療みたいなことをさせられるんだよね。強制治療っていう名の言いつつ洗脳みたいな感じなんだけど、
主人公の性と暴力があまりにもひどいから、これはもう洗脳するしかない、まあ洗脳って言い方じゃないんだけど治療するしかないってなって、映画みたいなものを見させられるんだよね、2週間くらい。
で、その映画の中でそれを見ることによって、暴力だったり性的行為を想像するだけで気持ち悪くなっちゃうみたいな、そういう洗脳術みたいなのにかけられるんだけど、その治療行為をしている最中の絵面がもうなんかかわいそうっていうかさ、
映画を見させられる小部屋みたいなところに連れて行かれて、椅子に逃げないようにがんじがらめにされて、目を背けないように目のところを高速器具みたいな金属みたいなもので目を開かれて、開いたままだと目が乾いちゃうからなのかわかんないけど、目薬みたいなのをずっと垂らされて、
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その状態で本当は見たくないような映画を見ているうちに、最初は平気なんだけど、見ているうちにだんだんさ、暴力とか性とかそういう行為がもう気持ち悪いってなってきてさ、映画の中でも、もうやめてくれって、もうこんな映像を見せないでくれ、気持ち悪いよーっていうのをすごい叫んでるんだけど、
その学者さんっていうのかな、行為をかけている人は、ダメだと、これは治療なんだから終わらせることはできないって言って、無理やり見せつけ続けられるんだよね。
で、俺それ見て、なんてひどいことするんだろうっていう、さっきの第一章の気持ち、アレックスがこいつやばい奴だって思った思いはもうどっか行ってて、もう早くやめてあげてよっていう気持ちになるんだよ、俺は。
まあでも、やめられず、最終的に治療を受けた後に、治療の成果を見せますって、ステージの上に立たされてさ、アレックスが。
で、別の人が出てきて、目の前で殴ったりとか、地面に突き落とされて、靴をなめろみたいなことを言われてさ。
で、本当はその靴なんか舐めたくないんだけど、反抗しようとすると、さっきの洗脳のせいで気持ち悪くなっちゃうから、もう嫌だけど舐めるんだよね。
で、それを見てさ、ドキドキしちゃうっていうか、ドキドキしちゃうっていい意味じゃなくて、バクバクするっていうの?ホラー映画のゾンビかなんかが出てきたみたいな感じで、もうそんなことしなくちゃいけないんだっていう気持ちになったんだよね。
っていうのが第2章なのよ。で、第3章になると治療の結果もあって、出所することができるんだけど、今度出所するとさ、第1章の時に悪さをしてた相手に次々出会って、お前あの時のみたいな感じになって、とことん復讐されて帰り討ちに会うのが続くんだよね。
で、俺もその頃になるとこれどういう気持ちで見たらいいのかわかんなくなっててさ、つまり因果応報っていうか、悪いことしたんだから、まあそりゃ帰り討ちにも合うわなっていう気持ちにもなってるし、だけどその第2章で逆らえない体になってるから、一方的ないじめみたいな感じになるんだよ、その復讐のあらゆる復讐が。
だから、なんていうんだろうな、まあそりゃそういうことも悪いことしたんだから、そういう目にも合うわなっていう気持ちと、とはいえちょっとやりすぎではっていう気持ちと、でもうぐちゃぐちゃになってて、俺の見てる心が。
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だからもう辛いんだよね、その映画が進めば進むほどそういう心がかき乱されるから、もうなんだろうな、これ結局俺はどういう気持ちになればいいんだろうっていうのが、なんか最後までどちらかに呼び添うっていう話ではなかったじゃん、最初におしろがさ、これ感情移入して見る映画ではなかった、見るタイプの映画ではないからさっていうのを言ってたと思うんだけど。
俺多分逆に感情移入し、むちゃくちゃして見てたんだと思うんだよね、こう思ってるってことは。
うん、あの、どっちとも言えないしどっちとも言えるんだよね、言ったら逆転しちゃうんだよね。
あーそうそう。
暴力を振るう人間の気持ちもわかるし、受ける側の気持ちもわかるから、どっちにもある意味感情移入できるんだよね、どっちの立場も知ってるから。
だから何が正しいと、両方とも正しい気持ち、そういう風な気持ちになるのも理解できるっていうのがわかってくるんだよね、逆転したことによって。
これが一方的にセックス&バイオレンスだけだったら、まだわかりやすい。
でもこれが両方とも描いたことによって、どっちの視点も理解できることになっちゃうんだよね。
その理解ができるっていうのが、言ったら感情移入できるっていうところになってくると思うんだけど、が故に感情がわけわからなくなるっていうのも非常にわかる。
これが、セックス&バイオレンスって良くないよね、みたいな単純な映画だったら、むしろよっぽど良かったっていうかわかりやすかったと思うんだけど。
そうじゃなくて、本当の最後の最後で、結局アレックスは元の体に戻るんだよね。
だから、暴力とセックスが、見るだけで吐き気をもよしてた体から、また最初の普通のっていうか、そういうこと自然に考えても大丈夫、むしろやりたいみたいなのに戻った時に、
39:11
俺なんか喜んでいいのか、それとも恐怖に思えばいいのかがわからんかったんだよね。だから、なんだろうな、俺の中の倫理感どうなっちゃったんだろうっていう、そういう感じ?
主人公の感情といえば、最終的にはニュートラルに戻す、リセットする行為であるんだけど、それを客観的に見た時に、いや、この世界観は合ってるのっていう。
ところで言うと、自分の感情に辻褄が合わなくなるっていうところが出ちゃうんだよね。それ一貫性は多分、どっちも知っちゃってるからっていうところよね。
だから、これって映画として、そういうエンドを迎えて、「じゃあ、この結論どう思います?」っていう問いかけであると同時に、映画は極端な話として描いてるからそうだけどさ、現実の世界でも別にそのまま同じことが言えるよねっていう映画だったと思ってて。
だから、暴力だったり性に対して楽しいっていうか、暴力を振るってやりたいって気持ちが、主人公は一番持ってたけれど、第3章で復讐っていう形で相手に暴力として返したいって気持ちも誰しも持ってるよね、みたいな話だったようにも思えていて。
そうなった時に、「じゃあ、あなたはどの立場を取りますか?」っていう問いかけにも思えたのよ。
で、俺そんなこと普段考えないからさ。むしろ考えたくないからさ。でも、この映画を見たことで、まじまじと、「見ろよ!」っていうのを最初から最後まで言われ続けてるから。
だから、冒頭でさ、「この映画から目を背けるんじゃねえぞ!」って言われてる気がしたって話したけど、それは映画から目を背けるんじゃねえって言われてると同時に、現実で起こってることなんですよって。そっから目を背けるんじゃねえぞって言われてるようにも思えたんだよね。
そっから最初の方に戻るけど、「目を背けるんじゃねえよ!」って言うので、最初の夜の緊張状態からあって、その後に何が続くかっていうと、「目を背けるんじゃねえよ、この現実から!」っていう。
その、「この現実から!」っていうところが、要は四季の縁になってるっていうところだよね。
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だから、そりゃ体力持ってかれるし、辛い映画だわって思ったよね。だからね、よかったよ。今回、ある種番組の企画っていうかさ、で、「これ見ろよ!」って言われて見てさ、じゃなかったら、俺たぶん途中で再生するのやめてたと思うもん。辛すぎて。
直視するのが。けど、最後まで見るっていうのを決めてみたから、よかったし、結果、見てよかったなとは思ってるんだよね、映画として。やっぱりすごい作品量あったと思うから、それを知れてよかったし、最後まで見続けることができたのもよかったなって思ったけど、
もう一回見てって言われたら、「ちょっと時間もらっていい?」ってなるかな。
わかる。
こんな感じかな。
やっぱ、キューブリックすげえなっていう。
そうね。覚悟して見てみるといいんじゃないかと思います。
意外とうちらみたいに、言うても俺も、見たのたぶんここ1年か2年ぐらいで、だから意外とうちらみたいに見てない人いると思う。
もし、万が一、改めてこれで興味持った人、見てないけど、見てみたいなというふうに思った人に一つ忠告できるのは、体力をちゃんとつけて覚悟を持って見てくださいとは思うかな。
あったかいミルクとか言わせたらいいんじゃないかな。
しょうがぽかぽかするようなやつでもいいし。
そうだね。
というわけで、そんなところかな。
本日のテーマは、「その目をこじ開けろ!映画 時計仕掛けのオレンジ!」でした。
今日の感想やこんなことを話してほしいなどあれば、ツイッターピカピカFMまで、もしくはハッシュタグピカピカFMをつけていただけると、僕たちが見つけやすいので、ぜひよろしくお願いします。
今回はカズキが時計仕掛けのオレンジを見たということなんですけれども、次回は私が見るターンになります。
その作品というのがレオンです。
映画レオンを見たので、その感想についてちょっとしゃべっていきたいなというふうに思います。
というわけで本日のピカピカFMは終わります。
皆さんありがとうございました。
ではまた!
またねー!