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2022-05-16 44:00

第179回 正しい「怒り」は存在するのか 〜 独裁、宗教、芸術、インターネットをキーワードに考える

書籍『怒りの哲学』『怒りの人類史』をもとに、WATAが最近怒ったマクドナルドでのエピソード、TAZAWAの怒りの発散方法なども交えながら、怒りの正しい在り方について話し合いました。


▶ 紹介した書籍

『怒りの哲学 正しい「怒り」は存在するか』

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『怒りの人類史 ブッダからツイッターまで』

https://amzn.to/39jyOcV


▶ 関連するエピソード

第175回 なぜ時間は短く感じるのか?セネカの『人生の短さについて』を読んで後悔しない時間の使い方を考える

https://anchor.fm/owarikake-no-radio/episodes/175-e1has2o


第177回 時事呆談 2022年4月号 〜 ウィル・スミスのビンタ問題・吉野家シャブ漬け発言・ガーシーchなど

https://anchor.fm/owarikake-no-radio/episodes/177--20224--ch-e1hv156


▶ 目次

今回は「怒り」について

怒りの歴史

宗教と怒り

ナチスと怒り

正しい怒りとは

インターネットと怒り

怒りは伝達する

マクドナルドで怒るWATA

怒りを面白話にする

ウィル・スミスのビンタ事件

怒りと芸術

怒りのエネルギー

怒りの変数

怒りに現れるその人の本質

終わりに


▶ お便りはこちら

https://forms.gle/oEfBpskGT2qf4iMW9

00:04
どうも、WATAです。 TAZAWAです。 怒りね、怒りについて続きをやろうと思ってます、今日。
ちょっとね、前回セネカの人生の短さについての流れで、ちょっと怒りの話したんですけど、
若干消化不良だったというところと、僕も改めてちょっとその怒りについての歴史というか、そういうのも調べつつ、もう一回区切って話してみようかなという感じで、続編です。
そうですか。僕はその時から変わってないんで、疑問を解消してもらおうかなと思ってます。
その時から怒り続けてるってことですね。 そうですね。
イコール。ちょっとお互いの怒りを解消していきましょうよ、今日。できるかわかんないけど。
でね、ちょっと1冊2冊ぐらい本を読んでまいりまして、一つ目がですね、怒りの哲学っていう本ですね。
アグネス・カラードさんというアメリカの心理学者の人が、いろんな哲学者を交えて正しい怒りっていうのは存在するのかっていうのをいろいろ議論してる本で、
ちょっとそれの本を読んだっていうのと、あとはもう一つちょっとこれ完全に読み切ってないんですけど、怒りの人類史っていうこれも同じ時期に発売されて、
最近の本だ、どちらも最近の本なんですけど、ちょっとそれもやんわり読んで、それもアメリカの黒人の学者さんの本ですけど、
ちょっとその辺を舐めつつ、本題の方に、ディスカッションの方に入っていければなと思っております。
で、なんかちょっと前回その怒りについて、セネカの話にちょっと集約しておりまして、結構僕個人としては怒りはそもそも必要ないんじゃないかっていう語り口で語っていたんですが、撤回させてください。
この本どちらも怒りを肯定する。
そうなんですね。アンガーマネジメントの本ではないんですね。
アンガーマネジメントの本ではないんだけど、なぜアンガーマネジメントが必要なのかみたいな要素が入ってるかもしれない。
歴史を踏まえて、なぜ旧来のセネカとかキリスト教とか、この前たださんも話しましたけどブッダとかが怒りを猛烈に批判してるわけじゃないですか。
いらないと。その辺はまあそれはそれでその意見としては正しいんだけど、ただまあ時代がねもう昔の話ですから、ちょっとその辺も時代感を踏まえて話していたときに、現代的には怒りというものはある種必要な部分もあるんじゃないかっていうのを割と丁寧にどちらの方も説明してくれてて。
でもちょっとそのまずその歴史のところですよ。そのセネカさんはだって2000年前。ブッダなんてもっと前でしょ。で、あのなんかねその神話の中とかでも怒っちゃダメよみたいな、なんかそういうのが描かれたりとか、その中にめちゃめちゃ神様めちゃめちゃ怒ってたりするんですけど。
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だからちょっとなんかそういうダブスターもありつつ、やっぱり昔はもうほんとね、怒り絶対ダメな空気だったんですよね。それこそ最近までですね。だからこれが何を意味してるかっていうと、怒りっていうのはなんか昔で言うと偉い人しかできなかったみたいな話があるんですよ。
要はなんかセネカの時代で言ったらセネカの上司の皇帝ネロ。ネロの怒りですよね。権力者しか怒れない。要はあの怒る権利がないんですよ。ほとんどのなんですかローマ時代とかギリシャ時代とかいろんなこう中世踏まえてほとんどの時代において怒りは公民権がなかったみたいな感じで、権力者の特権みたいなところもあって。
それで言うと、なんで怒りがダメかって哲学者たちが言いたがるかというと、それ権力を振りかざすからなんですよね。
だって偉い奴が怒ったら、その怒りで大衆とかそれに仕えてる者たちがこう大変な目に遭うわけですから、それはさらにそれを強力なプレッシャーで怒りをぶつけられるんで、その頃の平民とかいわゆる権威が低い学者とかは反抗する力がないんで、
もう受け入れなきゃいけないというか、自分自身の中の怒りをかき消すことで、怒りという感情を淘汰していたんではないかと。最近なんですよ、怒り。わりとこう普通の僕らみたいな一般人が怒りというのを表現できるようになったのが、中世が終わって1800年代ぐらいに結構民主化が始まるじゃないですか、法権制度が終わって。
その流れで、いわゆる一般大衆が怒りという表現が徐々にできるようになってきたっていう歴史があるらしくて。だからそれは昔で言ったら怒っちゃダメよっていうのは当然の成り立ちというか。今は逆に言うともう民主化が進んで、非常に民主主義でリベラルじゃないですか僕らは。
その怒りっていうのを逆に言うと、良くない政治をする人とか、良くない国っていうものに反旗を翻す形の表現として取り入れるようになっていったみたいな歴史があるそうですと。結構古代の考え方で言うとダメよっていう話はあるんだけど、現代的にはそもそも怒りっていうのが世の中を良くするために使われたりとか。
タダさんも言ってくれたと思うんですけど、革命じゃないけど、悪いものは直していかなきゃいけない時に、やっぱり直すためのエネルギーってある程度ヒエラルキー流下の人たちが怒りを覚えないと良くしていけないっていうのがあって、だから世の中を良くするための怒りっていうのは正当性があるんじゃないかっていうのはどちらの方も言ってるって感じですね。
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前回タダさんが言ってくれたやつが割と正しかったというか、いう感じです。平たく言うと。
タダ問題はだから怒ってもいいんだけど、間違った怒り方はすんなっていう話なんですよね。要は間違った怒り方をすると戦争とかになったりとか、いろいろこういざこざが起きて、良くない方向に行くじゃないですか。個人で考えても、国とかで考えても。
その正しい目的を持って怒りを使えるかっていうところが鍵であって、怒り自体が否定されるものではないっていうのを言っております。
人類が間違わない怒り方をするのは無理だから怒るのはやめようみたいなことを言ってる説はないですか。
タダ逆に言うと、この本で言うと怒りの哲学の方で言ってるんですけど、世の中もこれはね、ちょっといろんな考え方がありますけど、基本的には制約説で考えた方がわかりやすいじゃないですか。
クソみたいな世の中で、それのクソみたいな土台で僕らは生きてるわけで、そんな中でそもそも怒りを覚えないで生きるっていうのは無理だと。
基本的に人間っていうのは社会の道徳規範っていうのを感情で捉えるらしいんですよね。だから世の中が腐ってれば当然怒りを覚えてしまう。
それは人間の防衛本能として、遺伝子に組み込まれてるものらしいんですよね、怒り妻。だからすごい原理的な話をすると、自分の身を守るための機能じゃないですか、自分を進化させるための機能だったわけで、それなんか普通に怒っちゃうのはしょうがない。
最初の渡さんの話に戻るんですけど、民主化で人が怒れるようになったって言ってましたけど、逆にそれこそだって人間がそもそも当たり前に持つ感情なんであれば、昔の人も今の人も変わらず怒ってたはずで、民主化によって怒りが尊重されるようになったっていう考え方の方が正しいかなと思ってましたよね。
その捉え方が正しいと思います。やっぱ昔で言うと、昔っていうかちょっと前までですよね、例えば黒人の奴隷の時代の話ってあるじゃないですか、あれとかあの時はもう当然黒人は怒ってるわけですよ。ただその怒りを抑えて、ある種媚びへつらうというか権力者に対して、
09:03
そういう怒りっていう感情を乗り越えて、それがライフスタイルになっちゃうようで、人間の心理的な感情っていうのを飛び越えちゃうラインがあるらしいんですよ。ちょっと後々話すナチスの話とかもそういう系の話なんですけど、
だから、媚びへつらうっていう状況になると、一気に逆に言うと闇落ちしていくんですって。要は自分の自尊心を無視して、なおかつ倫理規範とかも無視するわけじゃないですか。要はもうへつらって、生きるためになんとかへつらうっていう手段を選ぶっていうことなんで、そうすると何が起きるかと言うと道徳心が崩れるらしいんですよ。
ってことは犯罪が増えるっていう。やっぱり黒人の社会で犯罪がすごい多いっていうのは、そういうところにも結構根付いているところがあるのかなっていう。要は自分を卑下し始めちゃうと、もう規範がなくなっちゃうんで、道徳心がなくなっちゃうメカニズムにいってしまう。
確かに貧困な地域だと犯罪が多いって言いますもんね。それが自分を卑下してしまうって。 そうですね。もうその状況を受け入れちゃっているから、受け入れないと生きていけないっていうのと、受け入れた方が生きやすいっていう状況。さっき言ってた理論で言うと腐ってる世の中で道徳心かざしてもしょうがないじゃんっていうマインドになっちゃうんですよ。
多分ね。これが多分、ちょっと後で議論しようと思うんですけど、インターネットの世界でも同じことが起きてるんじゃないかなっていう推論はあるわけですよ。クソみたいな、便所の落書きみたいなものばっかなっちゃってるんで。
だから、ある意味怒りを表現できるようになってきている世の中ではあるからこそ起きている、今目の前にある溢れている怒りの問題っていうことでもあるらしいですね。裏返しとして。昔は見えてなかったけど、それが民主化することによって見え始めてきてしまったという。
宗教の話あるじゃないですか。キリスト教とかでもやっぱり怒りは禁物で。旧約聖書で言うと神様しか起こらない。新約聖書で言うとキリトしか起こらないっていう。怒りを持って世の中を変えるのはやっぱりそういう聖職者というか、神の領域の人しかできないという行為で、やっぱゴハットだったらしいんですけど。
とはいえ、現代においては聖書の中でも聖なる怒りっていう、いわゆる暴力に対して屈しないための怒りっていうのは一応尊重はされているんだけど、とはいえ、昔の理由と聖職者しかそれは判断ができないものだったらしくて。
だからそれ結構理由としてあるのは、宗教って人をコントロールするためにあるものみたいな側面はあるじゃないですか。要は法権制の時代で宗教で縛ることによって民衆の暴徒化を避けられたりとか、たぶんそういう意味合いもあったと思うんですけど、結構割とロジカルにその辺は大義名分として扱われたのかなっていう。
12:12
独裁者にとって大衆が怒ったらだいぶ迷惑だから だいぶ迷惑、そうだいぶ迷惑なんですよ。独裁者の話でいうと、さっき話してたナチスの話ですね。やっぱナチスの話が一番人間が怒りを失わちゃいけないんだっていうのがすごい説得力がある話なんですけど、例のアウシュビッツですよね。強制収容所、ホロコーストの時の。
アウシュビッツの収監されてる人たちって当然だってあんなもう無理やり連行されて、子どもとか関係なくすごいみんな強制収容されて、ヒエナルキーみたいなの作られるんですよね。
階級みたいなのを当てられて、その収容所内で収監されてる人の中で階級を持たせて、それ収監されてる者同士でお互いを管理し合うみたいな、そういう制度があったらしいんですけど、やっぱすごい残酷なことをしてたわけなんですけど、党の収監されてた人たちって当然だって怒って氾濫してもいいわけですから、何万人いていたわけだから、でも一切反抗しなかったんですって。
だからその怒りっていう感情がほぼほぼないというか、というか怒りという感情というかむしろ感情がなくなっているみたいな状況になってて、なんでかっていうともうその、要は地獄みたいな環境で、しかもヒエナルキーを作られて、何人かに逆らうと当然制裁を食らったりとか粛清されるわけなんですけど、また粛清されなくてもどの道ガス出送りで死刑にはされちゃうんだけど、
生きる希望とか、そういう道徳規範みたいなのが、習慣状内でもヒエナルキーがあることによって、ユダヤ人の中でもユダヤ人同士をいじめるみたいな構図が出来上がってらしくて、道徳規範が全くない状態になったと。
そうなった時に、人間が感情を失っちゃうんです。生きる意気というか、本来の生きる上での感情ってもう必要なくなっちゃうとか、持ってると逆に邪魔になっちゃうじゃないですか。だからどんどんそれに順応していって、感情が失われてるんで一切怒らないと。
だから生きることを諦めちゃってる状態なんですよね、状況的には。だからアッシュビッツの例で例えると、やっぱり怒りっていうのは生きる上で生きてる機能として、そもそも全体機能してないとダメで、怒りというのが完全になくなっちゃうと、もうとんでもない世界になっちゃうっていう。
だから逆にどんどん人間も、良い人だった人も規範がなくなるんで、どんどん悪いことをし始めちゃうわけですよ。怒りがないと逆に。従順に何でも与えられた命令ができるようになっちゃったりとか。
15:10
だからアイヒマンの話あるじゃないですか。ナチスのかなり重要な役割の人ですよ、もうヒトラーの直下の。アイヒマンがアッシュビッツの執行権を持ってて、すごいだからそんなことをできる人ってよほど残酷なやつなんじゃないかっていうふうに思うんですけど、めちゃめちゃ普通のもうサラリーマンみたいな人で。
ハンナ・アーレントっていう人がね、本でアイヒマンの性格とかをどういう人柄だったとか、なぜ命令に従ったかとか書いてるんですけど、本当に普通に命令だったからやったっていうぐらいで、何の感情もないんですよ。何の感情もなくボタンポチって押してガス室で何百万人殺すわけなんですけど、感情がないんですよね。
やっぱそのナチスっていう独特の体制の中で生まれてしまったモンスターだと思うんですけど、やってる側にも感情がなかったらしいんです。だからもう相当だから地図上みたいなのがよくわからない状況になっちゃってて。
人間はもうちょっとそのハシゴを外れた世界に行くと、それぐらいトンチン感なことができるというか。だからもうあれですよ、普通にアイヒマンはこの書類コピーしておいてって言ってるレベルぐらいの感じでその指令を受け取って、コピーしてるのと同じレベル感で人を虐殺してたわけですよ。
だからそう考えるとその怒りとか感情っていうのがないっていう状況がいかに危険かっていうことがやっぱり結構ホロコーストのとこを考えると浮き彫りになってくるなというか。
その感情奪われた状態だとそのアイヒマンみたいな行動ができちゃうってことですね。
そうそうそう。どんどん感情がなくなってって、本来持ってる人間の批判がなくなっていっちゃうってことですよ。だから被害者も加害者も。
なるほど。じゃああれですね、アンガーマネジメントしなきゃって思ってるうちは健康的な生活を送ってるっていう証拠です。
そういうことなんですよ。正常な反応っていうことなんですよね。だからまあ人間の根源的なところで言うと怒りっていうのは当然その感情として共存してなければいけなくて、
それがある状態で初めて怒りをどうコントロールするかっていう話ができるんで、それ前提やっぱなきゃいけないし。
だからついつい怒っちゃうとか、なんでこんな怒りっぽいんだろうって思ってる人は、それは人間が持ってるそもそも大事な本能なんで、そこを責める必要はないっていうことは明らかになってるっていう。
でもその怒りっぽい人は怒らない方が幸せになれるんですかね。最初に戻りますけど。
だからそれが、この本とかの内科で言うと、正しい怒り方ができていれば幸せに繋がるのかもしれないし、間違った怒り方っていうのをしていれば当然不幸に繋がるっていう。
18:11
すぐカリカリしちゃうのは間違った怒り方ですね。
それでも正しい反応なんじゃないの?カリカリしちゃうのは。
まあ人間としては正しいですよね。
だからそれが、たぶんこの本で言うところの怒りっていう機能自体はすごい正しい機能だと思うんですよ。問題はその怒った後に何をするかみたいな話なのかなと思ってて、怒った後ってそれはその後の怒りとは関係ない取捨選択だったりするわけじゃないですか。
ただベース結構セネカとかの怒りについての話でもあるんですけど、基本的に自分が何かしらで虐げられた影響で人は怒って、あるいは攻撃されたりとか。
だから基本的に被害者意識があって、そういう意味では復讐がやっぱり怒りに繋がるらしいんですよね。
だからいわゆるダークサイドとしての復讐心とか怒りっていうものをそのままストレートに行動するんじゃなくて、なんか変換するみたいな機能がやっぱ必要なんだろうなとは思うんですけど。
でもここで難しいのがインターネットの世界ですよ。インターネットの世界は怒り狂ってる人達ってめちゃめちゃ正義感振りかざしてるわけですよ。
正義と思ってやってるから、あれを死ねクソバカとかそういうのを正義感でやるわけなんですよね。
だからこれまたから怒りとはまた別の正義とは何かっていう議論に変わっていくわけですけど、そこがねやっぱ現代的な難しさでしょうね。怒りというものの捉え方。
そうですね。ちなみにインターネットで見る怒りは過去僕らも結構話してきてますけど、あれはぜひで言うとどう思います?
でもあれを怒りだと思って見てなかった気がしますね。あれ怒ってるのかな。
怒ってる人もいるし、そうじゃない人もいるよね。逆に言うとさっきの黒人の奴隷時代の話なんだけど、クソみたいな世の中で便所の落書きだからいっぱいだから、割れ窓こうかねみたいな感じで、その風潮にもう順応しちゃってるっていう説もあるからそれはもう怒りじゃないよね。
要はそのネット上の死ねバカは喜怒哀楽で言うところの機な気がするんですよ。どうじゃないでしょあれ多分。本人も楽しそうにやってると思うんですよね。
だからあれだよね、すみ分けあるかもしれない。楽しんでやっちゃってる状態ってもはやディストピアだもんね。
それに対して過剰にリアクションしてる人はどうかもしれない。
そうだね、怒ってるね。だからそれで言うと僕らもたまに出ちゃう、そういうものに対するヘイトは怒ってるという風に捉えられる。
21:03
あれに関しては、木の人に対して土で返してるっていうことかもしれないですね。
そうそうそうそうそう。でも元々木だった人たちも、たぶん倫理観とか本来あるべき正義感みたいなのは持ってる人たち。
多分一般の一般市民じゃないですか、そういう人たちって。普通の社会生活では普通に倫理的にやってるわけだけど、
それだからボタンを掛け違ってネットでリアルな生活でやらないことをやっちゃうっていうのは、やっぱりあれですかね、インターネットっていうところが自由すぎるというか、
もう規範がないからそういう行動ができちゃうというか。逆にそういう木でやってる人って、たぶんすごい自分の社会生活で抑圧されてる人だと思うんですよね。
ストレスを発散しちゃうっていう。怒りのメカニズムとして最初一番先に対象となるのはやっぱり個人なんですって。
必ず大きいものじゃなくて小さいものに向いて、その小さい向き先のターゲットがいなくなると大きい方に行くらしいんですよ。
だからそういう喜びでやってる人たちは、社会生活において本来向き先が復習したい相手がいるんだけど、そいつがあまりにも強大すぎて立ち向かえないか、もう存在していないか、過去のトラウマとして勝利しちゃって、
その怒りを逆に言うと喜びに変換して復習って形でインターネットで暴走し始めるみたいなメカニズムはあるのかなっていうのはね、思うんですけど。
そもそも怒りは発散すると気持ちいいことになるっていう意味で言うと表裏一体ですね、喜怒哀楽って。
そうなんですよ。これが必ずセットなんで難しいところですよね。怒りの立ちが悪いところは伝達するっていう機能が喜びよりも強いんですよね、たぶんね。
不思議なもんで怒ってる人も隣にいるとこっちもちょっと怒ってくるみたいな感情あるじゃないですか。
言葉に出さなくても一心伝心しちゃうみたいな。それぐらいたぶんエネルギーが高いものなんですよね、たぶんね。
そう、確かに僕怒ってる人、キレてる人が横にいるとすっごい気分悪いですよ。何キレてんだよって思いますもん。
そう、そうですよね。発狂しちゃうんですよね。
惰性って思いますね。
そうそうそう。いろんな感情が来るよね。何怒りを周りに指してもらってんじゃねえよとか、いろんな。
そうそうそう。
あとはやっぱり共感性周知じゃないけど、こいつ恥ずかしいなみたいな、こんなことで怒っててみたいな、そういう感情を生まれたりとか。
伝達しちゃうから厄介なんですよね。見えなければね。
確かに思い返すと、最近もうないですけど、昔とかは怒りを僕があらわにするときって怒ってる人に対してでした?
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そうですよね。僕ね、これは結構僕と田沢さんもそうかもしれないですけど、あんま自発的にめっちゃ怒るタイプではないと思うんですよ。
だから何かに影響を受けて怒るんだと思うんですよね。
僕だってつい最近怒ったのって、これまた田沢さんいじられるかもしれないけど、家の近くのマクドナルドに行ったんですよ。
僕が家族、すごい冷めた目で見てるけど、家族とご飯、夕食が間に合わなくて。こんな言い訳はいいよ。
夕食間に合わなくてマクドナルドに。
準備が間に合わなくて、急いでご飯食べなきゃいけなかったんで行ったんですよ。
モバイルオーダーで頼んでおいて、行ってすぐ帰りたいみたいな感じだったんですけど、
たぶん子供も一緒に行きたいって言ってたから連れてって、マクドナルド行って、買い物は普通に済ませて、
出た時に、僕何度か嫌な思いをさせられてるんですけど、Uber Eatsのおっさんが、子供と僕がいて、おそらくそのおっさんがこれからバイクで配達に行くところだったんで邪魔だったんでしょうね。
それを結構な大きい声で、邪魔だって言ってたんですよ。
あ、そうですか。 そう。た時に、そいつは怒ってるわけですよ、僕に対して。確かに邪魔だったかもしれないし、とはいえでもそんな迷惑かかる範囲ではやってないっていう。
こっちも思いがあるからこっちもちょっとムカムカするわけですけど、何よりやっぱそいつは邪魔だっていう怒りがすごい古いたせたんですよ。僕の怒りの感情に。
それは僕もそう思うな。 なんかあれ何なんだろうね。だからクソどうでもいいじゃん。そんな一例のやり取り。早く家帰ってマック食べればハッピーなのに。だから僕食べれなかったですよ。怒りすぎて。
それはね、僕も怒るかな。それは分かるな。 あれ何なんだろうね。ああいうなんか。めっちゃめちゃ怒ったね。
久々にこんなに怒るんだっていうぐらい。 しかも僕は怒ってる人かつ偉そうにしてる人が嫌いなんで僕は。それ多分その要素も入ってるじゃないですか。だから僕も多分ちょっと許せないかもしれない。
だからあえてこの本の方に寄せると、怒りをぶつけられたかつヒエラルキーとして下の者として何故か扱われたっていう不当性みたいなところが、さっきの奴隷の感情じゃないですけど、すごい火をつけたんでしょうね。
だからその時にでもそういう時の怒りをどうマネジメントするかっていう話だと思うんですけど、それってだからきっと結局ワタさんが怒ったところでワタさんにとっては何のメリットも結果ないわけじゃないですか。
27:00
そうなんですよ。 それを何とかしようよってことなんですかね。 まあそうね。だから。
でも言ってることは分かるんだけど、僕も絶対その時は怒るんだよね。 であのさアンガンマネジメントの6秒リューラーじゃん。6秒リューラー通じなかったんですよその時。マジでムカムカ止まんなくて落ち込んだんですよ。
喜怒哀楽で言うと愛がもう出ちゃって。怒を超えて悲しくなったんですよね。いろんな感情が芽生えちゃう。なんでこんなUber Eatsのやつっておっさん、いや全員が全員って言わないですけど、おっさんは何か何故か前にもあったんですよ僕がそういう嫌な思い。配達された時に。
なんでこうなのかなっていう感情とか、なんかもうその怒りってエネルギーがあるから怒りのやり場がなくなっちゃうんでしょうね。そういう消化できない状態になっちゃうから膨張しちゃうというか。だから怒りは膨張するんですよそういう意味で言うと。喜びも膨張する要素はあるんですけど、怒りの膨張具合ってすごいんですよ。 確かになんか分かります分かります。
なんで膨れるんですかね。 ヒートアップしますよね。ヒートアップするそうですよね。で、なんか一回収まったのになんか振り返すときがあんじゃん。
そうなんですよね。いやそれ僕も分かるんだよな。それでもその時僕たまに冷静に思うんですけど、やっぱりもう一回怒りたいっていう気持ちは僕あると思う。 あるよね。
だから多分渡さんだったらその時の悔しさとかをまだしがんでるっていう。 しがんでるんだよ多分ね。しがんでるんだよね。
これはだからちょっとこれ僕独有かもしれないけど、過去の嫌な思い出に紐づいてちゃうんですよどんどん。
あの時もこういう体験で虐げられたみたいなのがフラッシュバックしちゃって。やっぱトラウマを呼び起こしちゃうっていう機能もあったりとか。
すごい逆に言うとあんまり気発性が高くないというか、どんどん沈み込んで、しかもそれがいろんなものとつながって膨張していくみたいな、そういう物理的な性質があるからさ。
だからすごいエネルギーなんだよこれ。 確かに今具体的なエピソードを聞いて思いますけど、その怒りは人間らしいし人間としてすごく正常な感情なんですよ。
だけど時間の無駄なんですよねきっとね。 時間の無駄ではあるよね。でもちょっとでもポジティブに捉えたいなと思うんだけど、なんかそういう時ある種今僕が話してるように自省するじゃないですか。
理解ってなんであんな感情になってしまったのかとか、多分いろんな自解が生まれると思うんですよ。だからもっと理性的でなきゃいけないとか、それ自体はポジティブではあるのかなっていうのは一つ捉えたいなと思うんだけど、ちょっとポジティブすぎますかね、それで言うと。
タダさんどっちですか、そもそも。 そもそもその感情を持つからこそ人間としては成長のきっかけにはなるでしょうね、だから。 まあそうだね。あれちなみにタダさんってそういった時に、そういう嫌ななんかムカつことあったんだっていうのを人に言うタイプですか、それとも押し殺します?
30:16
愚痴ってことですよね。これちょっと愚痴の話になっちゃうんですけど、愚痴論になるのですけど、僕言って仕方なく共感するしかないような愚痴を言わないようにしてて、絶対僕面白い話としてしか話さないようにしてるから、多分腹立つ話があったら面白い感じで喋る努力すると思う。
それすごい分かる。僕がっていうよりタダさんがそれやってるなっていうのはすごい分かる。だいたい愚痴言ってくる人ってパターンがあるじゃないですか、本当に一方的に喋るパターンと、あとはネタにできる人とか、多分タダさんネタにできるタイプの人で、ちゃんとそこで取れ高取ってるっていう。素晴らしいよ。
それぐらいやるとしたら、人に言うって意味では。
そこには話した相手に対する共感性も生まれたりするし、営みとしてより人間性を共有し合えるような育みにもなるし、生産的ですよね、そう考えるとね。いいことなんじゃない?
結果的にそれが自分の中で本当に沈み込ませちゃってトラウマにさせると、もうたぶん後々すごいことやるんだよ本当に。だからたぶんめっちゃやべえことやるって大体そういうタイプでしょ。
僕は基本的に腹が立った話を消化するためには、やっぱり一番お手本にすべきは僕、千原ジュニアだと思うんですよ。あの人のフリートークとかトークライブ、最近はちょっとすごい丸いですけど、昔なんてもうステージの上で。
ボロクソだよね。 そうそうそう。ネタにできるから、単純に悪者にならないよね、話してる人とかもさ。 そうそうそう。でもまあどっちかというと僕はそういうのに影響を受けすぎてるとこもあるんですけど、それはいいのかどうかわかんないですけどね、そういうのもね。
でもどうなんだろうね、それはそれ自体は違う価値に置き換えられるっていうのは、なんかそれはだからさ、いいことなんじゃないかなって思うんですよ。なんかそれはなんかちょっとあえてもう芸術性とかの端に持っていくんですけどね。
なんかその芸術家が怒りを何かに価値に変換できるって、そういうことなんじゃないかなと思ってて、だから価値を置き換え、怒りっていうもうすごい部粋で暴力的なものを違うものに置き換えられるっていうのはポジティブだと思いますけどね。
そうですね、でもまあなんかそのアンガーマネジメント系のやつって怒りを全否定してるものが多いし、まあそのぐらいしないと多分怒りって抑えられないからこそあえて言ってるところもあると思うんですけど、ただまあ実際問題そんなことは多分不可能だから、人を不快にしない怒りだったらいいかもしれないですね。
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そうだと思うよ、なんかその要は自分が怒ることで相手をこう気分悪くさせるとかっていうことはダメだけど、なんか芸術に活かすなり芸にするなり、なんかそういうふうになるならいいかもしれないですね。
違う価値になってるからね、だからその怒りをそのままぶつけちゃうと暴力になっちゃうわけでしょ、だから暴力じゃない形で何かを置き換えるみたいなのはすごい生きな行為だと思うんですよ逆に言うと、なんか人間っぽいしそっちの方が。
前回のそのウィルスミスの、まあだからああいう抑えられない感情っていうのはしょうがない怒りだからしょうがない部分はあるんだけど、あれをいかに芸術的に消化できるかっていうのはまあ一つ価値にはなるから、まあねとはいえでもあのヴィンタ自体もしかしたら芸術として捉えたらですよ、すごい奪ったみたいな。
あれは一つの形なのかもしれない、だからまあ暴力っていうところが論点にはなっちゃうから難しいんだけど、だからそのさ、なんであんな場で怒りを抑えられないのかっていう論調がやっぱ一番ミスリードな感じはするんだよね。
確かに。でも渡さんでもあれですよ、今のその発言をね、もしテレビに出るコメンテーターとして、いやあれは怒りの形としては一つの形って言ったら大炎上します。
大炎上すると思う。 芸術としての一つの形って言ったら大炎上すると思う。
だからあれは客観的に僕らがどう反応するかっていうのを試されていることだと思うんですよ。もちろん暴力はダメですよ、暴力自体はダメだけど、脊髄反射で暴力ダメよっていうのは、たださんもこの前言ってくれた通りその通りだと思うんだけど、あれを見てどう捉えるかはやっぱり一つ人間として問われているところはあるんじゃないか。
そうなんですよね。 そうね、だからちょっと文脈としてこれからいろいろ分岐できる。今日話したかったところで言うと、大罰問題とか話したかったんですよ。怒りを教育として捉えたときに暴力に転化するもの、だからそれは時代感もあるから、暴力は正当化できないからね、あるんだけど、ただちょっとそのあえて切り込んで話してみたいテーマでもあったっていうのと、
あとねあの怒りと芸術の話は、僕ちょっと調べたんですけど、やっぱりね僕ら結構前々から話している話って割と正しいというか何ですかね、間違ってない感じなのかなっていうのは、やっぱね芸術家って基本的にやっぱりその鬱屈してるマインドというか精神状態の人、もう極端な話で言うと統合失調症の性質が遺伝子的にある人がなりやすいんですって。
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要は自分のその自制が働かない状態で創造性を発揮できる、いわゆるぶっ壊れちゃってる人だよね、ネジを外せる人がやっぱり芸術家として成功しやすいというか、過去そういう芸術性を持った人の遺伝子っていうのはちょっと精神疾患とかあとはその怒りが抑えられないとかそういう傾向が強かったらしい。
だからアインシュタインの子供とかもまさにそのタイプで、アインシュタイン自体も精神的に色々あった人だと思うけど、だから鬱屈した状態を後天的に捉える場合もあるし、むしろ先天的にもうそういう鬱屈した状態の精神状況の人が芸術家になりやすいっていうのは科学的に結構証明されてきてるらしいですね。
そうですね、確かに僕も好きなミュージシャンとかみんな若い時めちゃめちゃ怒ってましたけどね。
だってその曲のきっかけがそうだとか色々ね。
表現力としてね、飛躍させられるかどうかって相当そこのエネルギーは重要ですよね。
そうだこれあとちこちゃんに叱られるってやってたんですけど、やっぱり怒りってどれくらいエネルギーを持ってるかっていうのをなんかちこちゃんに叱られてやってたんですよ。
喜怒哀楽すべての感情を伴う情報を受け取った上で握力を測定したら。
僕見たそれ。
見ました?
カーニングテンジャーマン。
カーニングテンジャーマンそうそうそう。
怒りがやっぱり一番エネルギーが強かったっていう。
だからあれは自分の能力を飛躍させるための生物的な寒風る剤みたいなのがあるっぽいんですよね怒りには。
だからそれってやっぱり感情を伴って表現をするっていう上では結構重要なエネルギーなんだろうなと物理的に考えても。
怒ると握力が一番高くなるって確かに怒りと暴力が結びつきやすい理由がわかりますね。
そうなんですよ。だからそうなんだよね。ストレートな表現手法であるから暴力が。
単純フィジカルとして能力も上がるし感情の高ぶりでそれが倫理的かどうかをさておきエネルギーが生まれるっていうところはあるわけじゃない。
そういうふうにいわゆる本能的なところをやっぱりコントロールできるのがやっぱり人間だと思うんで。
だからこそやっぱりそれをそのまま使わずにね感情でコントロールしてうまくやるっていうことがいくにできてるかが人間力じゃないですか。
締めてくれた。綺麗に締めてくれましたね。
そうだと思うよ本当に。あとは怒りの変数というかさ、前言ってくれてましたけど怒りって実はいろんな種類あるんじゃないみたいな話してくれたじゃないですか。
39:08
要は情熱っていう意味の怒りとかいろんな怒りの種類があって自分を成長させるために必要な怒りもあるんじゃないかっていう話もあったんですけど
その要素分解は結構アンガーマネジメントっていう括りなのかわかんないけど怒りの種類をちゃんと自分で自己分析するっていうのはすごい重要なんだろうなっていうのは
だからさっき言ったみたいにねちょっと変にさ自己啓発的なさ動画とか見ちゃうとさ怒ることはダメっていうふうに言われちゃうからさ
あの無駄だよって言われちゃうからもう怒れなくなっちゃうわけですけど怒りって実はいろんな種類あるからこの怒りはダメだよっていうふうに捉えられるか
この怒りはむしろどんどん助長してエネルギーに変えていこうってできるかっていうのは少し自己分析してその怒りの良し悪しを
その怒ってる瞬間は多分その判断無理だからウィルスミスみたいにちょっとビンタしちゃうわけなんだけど
振り返ってみたときにその怒りが自分の中でどういう種類だったかみたいなのを把握しておくと自己肯定感は低くならずに済むのかもしれないよね
一番ダメなのは自尊心が失われて倫理規範がなくなってくるのが一番ダメだから
さっきのナチスの話とか奴隷の話もそうだけどそうならないことが大事だからね
なるほどね
だからあえて怒りを押し殺さずに自分で受け入れた上で咀嚼してみるっていうのはね
現代人に必要な素養になってきてるのかもしれないなと
じゃあ怒りを自覚した上でどうするかはその人次第で自覚することは大事だよ
今私は怒っているさあどうするって自分で問いかけると
でも実際本当何で怒ってるのか分かんない時あるじゃないですか
だからあれを言語化できるとやっぱ強いんでしょうね
何で怒ってるのかを理解していくと自分を理解していくことに繋がるというか
だってもしかしたらさっきのさ僕がやられたそのウーバーイーツのおっさんの邪魔だわさ
やっぱ過去の何かが呼び起こされて発動してるような気がしたんですよ
その瞬間のその行為に対して直接的に怒ってるっていうよりは何かが呼び起こされて
反応してしまったみたいなそれは多分僕のトラウマだから
だからそのスイッチを押しちゃう何かがあるんだろうなっていうのはちょっと思いましたね
その怒りが一番その人を表す上で一番素直だと思ってて
その人の本質を一番知るためにはその人が一番楽しい時とか嬉しい時の話よりも
何に対して怒るかを聞くのが一番早いんですよ
確かに
その人が怒る何に対して怒るかがその人が一番大事にしてるとこだから
確かにそうだよね
田畑さんがそういうところにきてるってことはそういう部分逆に言うと裏返すと大事にしてるんでしょうねだから
42:03
そうだよね何かあるんだろうね
自分で言語化できないから
でもねやっぱりああいうスイッチって田畑さんも共鳴してくれて嬉しいですけど
やっぱりああいうとんでもない怒りを発生する機会あるよね
でもなんか珍しいですね山田さんからそういう怒りのエピソードでそういう生々しい話をあんまり聞いたことなかった
いやあんまりとかないんですよねもう最近で言うと子供をさ子供が何か悪いことやって怒るとかせいぜいそれぐらいだからさ
人に対して怒るなんてだからすごいですよね見ず知らず
逆に言うと和田さんのことをよく知りたい一面ですねだからそういう話を聞くとね
そうだねだからこういうのは言ってったほうがいいのかもしれないね人とかにはその人のキャラクターじゃないですかやっぱり
意外にそういうとこで沸点が高くなるんだなっていうのはなんかあるわけですよそういう
逆にここでは怒んねえのかよみたいなそういう話も多分いろいろあると思う いやあるある和田さんもあるそれ
もっと怒った方がいい そこにネジ外れてんだみたいな そうそうそうそこがねちょっと
そうそうそうそうまあっていうねなんかちょっと年齢も深まっていくと怒りに対して
ややこう消極的になったりとか鈍化していくところもあるんで
まあちょっとねそのこれを聞いている我々と近い世代の方に特に何かヒントになればいいなということで
ちょっとまあさっきの大罰問題とかちょっと伏線はいろいろあるんでまた拾い上げてちょっとね引き続き話していければなと思うんで
今回はこの辺で締めようかなと思います
ではご視聴ありがとうございました ありがとうございました
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