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こんにちは、株式会社PitPaの富山です。
今日は、子供のわからないという反応についてのお話です。
リスナーさんからですね、ご質問が来るんですけれども、その中で多いのが、
子供が問題などを解いている時に出てくる、わからないという反応について、
どう対応すればいいのかがわからないという質問が実は多く来ておりまして、
その対応方法についてお話を聞いてきました。
子供がわからないということにはですね、パターンがあるらしくて、
そのパターンごとによって対応を変えていくことで、
最終的に子供が自分でそのわからないに対して解決方法を見つけられるようになる、
ということを小川先生がお話しておりました。
それではお聞きください。
小川先生、今日もよろしくお願いいたします。
お願いします。
今回はですね、質問・リクエストがちょいちょい来るんですけれども、
その中で多い質問でですね、子供がわからないと言ってくる。
このことに対してどういう返答をしていいのか。
今だと一緒に、例えば塾の問題を解いた時には、
解説を見てそのまま答えを教えてあげるようなことをしていることも結構多いらしいんですけれども、
実際子供がわからないと言ってきた時ってどういうふうにすればよろしいんですかね。
これ重要なご相談ですね。
この子供のわからないにどうしてあげたらいいかっていう問題意識っていうのは、
先生になかなか質問に行きませんっていう悩みと重なるんですよ。
これね、大人もそうですけど、特に子供は自分がどこがわかっていないかがわからないですね。
なるほど。
わかんないから問題が解けなかったっていう全体でもこの問題わかんないとか、
なんて言えばいいかわかんないとかいう言葉で済ませるしか方法がないわけですよ、子供の方は。
それに対して大人がですね、1から10まで解説をしてわからせることを目的にしてしまうと、
その問題は片付くんですけど、そっかわかった。
わからないって言われたからわかったで終わるからいいことしたような気がするんだけど、
一番より大事な子供自身が自分の理解度を点検して、
不足しているところをピンポイントで質問したり相談するという、そういう力が育たないわけですよね。
だから子供のわからないに対して大人がしなきゃいけないことは、今言ってきているわからないの中身を分解することなんですね。
大きく分けてもですね、わからないと言った時、まず一つ目、そもそもの知識がないから知らない。
知らないから考えようもない状態が第一だ。
第二弾は問われていること自体は理解しているんだけど、それに対する解決の方法や考え方というものが思いつかない。
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これはある程度の知識はあるんだけどもその使いこなし方がどうもしっくりきていない。
単元的な理解が深まっていない状態ですね。
三つ目はどうしたらいいかなんとなく見通しは立っているんだけど、途中で手が止まってしまう。
もしくは途中から次どう進めていいかが分からなくなってしまう。
思考の組み立てていき方が手詰まりになった状態。
大体3パターン分けているわけですよ。
まず知識あるのかどうか、どういうことが聞かれていて、それにどうすればいいとあなたは思ったのかなという子供の判断を分化して聞いてあげることがスタートになりますね。
分からないと言っている部分がどこなのかというのをまず見てあげるということですね。
そうすると分からないが口癖になっている子は分からないとやろうとしないんですよ。
自分自身を振り返り点検するサイクルが分かっていないので。
そこでちゃんと考えなさいとイラッとするんじゃなくてですね。
まずこの問題が言っていることは何だっけと問題文をコイン出して読んでごらん。
その問題文を読んだときに何と何が分かっていて、結局どういうことを答えてほしいと言っている問題なのと。
今与えられているものそのものを説明してもらう。
説明できますよね。
そうしたときに自分が習ったこととか知っているやり方でどんなものが使えるのか聞いてあげる。
過去の記憶を思い出すというプロセスを手伝うわけですね。
使えるものが何かなかったか思い出してごらん。
もしくは出てこなかったらテキストの前のページとかノートをめくってどこかないか調べてごらんということで探させて。
これかなというのが思い出せたらもう一回それを使って解き進めてごらんと見ておいてあげるから。
算数を想定した図を書いて解き始めたとしますよね。
なんとなくその式も立てたけどこの次どうしていいのか分からないというところになったら初めて回答解説と比べて、
この次こういう式を立てて答え出しているみたいだけどこの式って何を出している式なのか分かる?って本人に考えさせる。
問題集参考者の回答解説を理解させるわけですね。
そういう風なプロセスを一緒に経ててあげるともちろん一つあたり時間かかるんですけど、
分からないものを読み解いていって分かる状態に進めていくにはどんなことをすればいいかというのが徐々に自分でつかめるようになってくるので、
それを手伝うのを重ねてあげると徐々にこの問題途中まではできたんだけどその先が分からなくなりました。
これ授業で聞いたことある気がしたけどどこに載っているかも分からなくて忘れちゃったとか分からないの中身がもうちょっと具体的に変わるんですね。
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そうしてくると質問にも行けるようになるし、自分で調べて自分なりに分かるものを増やす。
自分で答え合わせをして直しまでできるように導き始められるわけですね。
ということで分からないというのの中身を分解しその一歩ずつをどう進めるのか覚えれば済むこと。
調べることで理解し直せばいいこと。
進めていく途中で考えの進め方が分からなくなったら回答解説を使ってその筋道というものを点検して学び直すということ。
そういうことを教えてあげればいいですね。
確かに子どももそのプロセスを踏むと本当に腑に落ちるじゃないですか。
ちゃんと体として理解するような感じしますよね。
そうなんですよね。
考えるって何?
これ脱線しますけど考える力考える力って言葉を鵜呑みにしてだから暗記は良くないっていう間違った擦り込みが入っている大人が結構多いんですけども。
暗記だけをする学習はダメなんであって考える力っていうのはそもそも知識がないと使えないっていうことを分かってない人結構増えてて困ってるんです。
なるほど。
暗記させないでくださいぐらい極端なこと言う人がいる。
知識なしにどうやって思考するんですかって。
思考力が高い人は膨大な知識があるわけですよ。
知識があるから考えて疑問点が出るから新たな知識を取り入れる。
知識を入れたことによってさらに別の疑問が生まれるから考える。
そうやって人間の頭ってのを使えるわけですよね。
なので覚えることの大事さをおろそかにしないっていうのはこの分からないに関連して補足しておきたいと思います。
確かに。
はじめの分からないで子供と一緒にこの問題解説解いてたら解けるかもしれないですけど分かるっていうほどになってないですし。
その問題は覚えたにはないわけですね。
分かりました。
今日は子供の分からないをサポートするにはというお題でお送りいたしました。
子供の分からないということに対する対処法について具体的には分からないの中身を分解してみること。
大きく分けると3つのパターンがあると。
1つはそもそも知識がないから問われていることが分からない。
2つ目が問われていること自体は分かるけれどもそれに対する解決方法や考え方が思いつかない。
3つ目は問われていることは理解し解決の糸口もなんとなく見えているんですけれども途中で手が止まってしまう。
思考が止まってしまうというパターンに分けられるということでした。
それぞれに対してはですね。
まずそもそも問われていることが理解できないというところについては問題文を読み替えさせるなりですね。
何を答えればいいのかというところを改めて子供に聞いてみるというところ。
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2つ目の考え方解決方法が思いつかないということについてはそもそも単なる知識が足りていないのか。
あるいは知識ではなく解決方法が分からないのか。
解決方法がもし分からないのであればテキストを開いて逆させるというような過去を勉強したことを思い出させるように裏返してあげる。
最終的にその途中が手が止まってしまう。
思考が止まってしまうというパターンの場合には回答解説と比べて解き方を教えてあげるというこの3段階に分けて子供に習慣化させるということで
子供が最終的に自分で解決方法を見出せるようになるというお話でした。
確かに私も子供の勉強を横で見たりすることもあるんですけれども。
この大きく分けてこの3パターンに分けられるのではないかなというのは何となく分かりましたね。
ただ子供が分からないという今まで分からないということに対して本当に回答を見せてあげてというような対応しかしてこなかったんですけれども
それぞれパターンがあるということはちょっと新しい発見だったなというふうに思いました。
ただこちらを習慣化して子供が自分で分からないを解決していくというところにまではさらっとはいっておりますけれども
すぐに1日2日では身につくようなものではないかなと思いますので
日々この分からないが来たときにそれを分解してパターンごとに対応していくことで心に余裕ができるというところはあるかなと思いますので
それをですね感じながら徐々に子供が成長していくのを見守ってあげる姿勢が重要かなと思います。
さてこの子育て受験ラジオではリスナー様からのリクエストやご感想小川先生への質問を受け付けております。
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本日も最後まで聞いていただきありがとうございました。