2023-03-26 25:20

#151 荒野の道 23/3/26

マルコ1:1-8からの礼拝説教。2023年3月26日録音。
 マルコ1章では荒野にバプテスマのヨハネが登場します。こうしてイエス・キリスト福音の始まりの物語がスタートするのです。時に人生には荒野を行くようなときがあります。しかし軽微な交通事故を通して安全運転に目覚めたり、クライアントの前向きなクレームから仕事が見直されたりと、大なり小なり試練を経て曲がったものがまっすぐになったり方向転換する機会が訪れます。これらのことを踏まえて今日のバプテスマのヨハネの記事から1.荒野で道がまっすぐにされる、2.荒野で方向転換をする、3.荒野は期待の時、の3つの点を学びましょう。
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新約聖書マルコの福音書1章1節から8節をお読みします。 新開約聖書2017年版でお読みします。
神の子イエス・キリストの福音の始め 預言者イザヤの書にこのように書かれている
見よ、私は私の使いをあなたの前に使わす 彼はあなたの道を備える
荒野で叫ぶ者の声がする 主の道を用意せよ
主の通られる道をまっすぐにせよ その通りに
バプテスマのヨハネが 荒野に現れ
罪の許しに導く悔い改めのバプテスマを述べ伝えた ユダヤ地方の全域とエルサレムの住民は皆
ヨハネの下にやってきて 自分の罪を告白し
ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた ヨハネはラクダの毛の衣を着て
腰に革の帯を締め 稲ごとの蜜を食べていた
ヨハネはこう述べ伝えた 私よりも力のある方が私の後に来られます
私にはかかんでその方の 履物の紐を解く資格もありません
私はあなた方に水でバプテスマをお授けましたが この方は精霊によってバプテスマをお授けになります
以上です 今日はこのところから荒野の道と
荒野の道と題して見言葉を取り継ぎます 皆さん改めましておはようございます
年度の最後の日曜日ですけれども 聖書箇所は今日から新しくなります
マルコの福音書を簡単に本題に入る前に説明しますが 4つの福音書の中で一番最初に書かれたと言われています
そしてマタイとルカがおそらくこれをもとにですね 自分たちの詳しい資料を加えて
マタイの福音書マルコの福音書を作ったと言われています そんな中でいうわけでとてもですねなんて言うんでしょうかね
簡潔にまた クリスチャンでない方々にもわかりやすいそういうこととしてこのマルコの福音書が読まれていますので
しばらくですねまあ 新しい方もこのマルコの福音書からイエス様をもう一度新しく知るきっかけになってもらえればと思いますし
長らく教会にとっている私たちもですねもう一度福音の原点に帰ってイエス様の生涯から 学んでいこうもそういう思いでこの箇所を捉えました
さて先週水曜日ですね22日桜の満開が東京でまあ宣言されましたね また統一地方選挙もスタートしてまず
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県知事選挙が各あるところでスタートしましたその中の一つの鳥取県がですね 今年知事が改選されます
今現職も立候補してますがその知事が約10年前にですね 鳥取県についてこういったんですね鳥取県にはスタバはないがすすなばはある
スタバと砂場スターバックスがなかった その代わり鳥取砂丘があるからいいとこだから観光に来てくださいとアピールし
まあ2013年にですね実は 隣の島根にできてから鳥取が唯一スターバックスがない件になってしまう
まあでも調べたら今ですね4つ 鳥取県にあるそうですますどっちにしようですねまあそういう砂場ではありません
砂丘ではありませんが今日の舞台はこの 砂漠荒野ですでこれは
イスラエルの荒野の写真ですけれどもまさに英語で ウェーダーネスビルダネスと言われたりある人はデザートデザート砂漠という砂漠という
ようなそのような地ですで聖書で一般的に荒野と言われていますので今日は荒野と言葉に 統一していきます
まあそしてですね今日の一書一節にありますように イエスキリストの福音が始まったその起源を
これから書きますとマルコが言いながら このスタートしていますがその一番初めが荒野でのスタートだったわけです
猫の最初にですね荒野のヨハネのことが出てきますが実はですね 時に人生は荒れ地を行くような経験をすることがありますね
例えばですねまぁ 軽妙な交通事故なんかをですね経験ししかしその例えば
大事に至らない交通事故を通して安全運転の重要性を確認したりとかですね あるいは仕事していればですね
クライアントお客さんと言いますがサービスを提供する側から前向きなですね クレームが入って改めて仕事ということを向き直る
そういうきっかけになるかもしれませんまあそういう意味でまぁちょっとした試練を 通して大なり小なりの試みを通してですね
私たちの道がまっすぐにされたりですね良い方に方向転換される そういうきっかけになるのではないかと思います
そんなことを踏まえながらですねこの荒野のバクティスマのヨハネの出来事から 3つの点を学んでいきたいと思います
一番最初荒野そこはですね荒野で道がまっすぐにされる 道がまっすぐにされるところがあるのだということですね
こう読んでいます1章の2節から3節 見よ私は私の使いをあなたの前に使わす
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彼はあなたの道を備える 荒野で叫ぶ者の声がするここから読んでみましょうかさんはい
主の道を用意せよ主の通られる道をまっすぐにせよ その通りにバブティスマのヨハネが荒野に現れ罪の許しに導く
杭原ためのバブティスマを述べ伝えた これあのバブティスマのヨハネのまあどっかにある絵ですけれども
こうやって旧約聖書のまあ間泣きショットですね 伊沢書の予言を引いてきてその通りに約束された最後の予言者
ヨハネが現れたとこうマルコナ福音書で宣言されています これでですね以前
テレビ番組でよくあるテレビ番組でこういうパターンあると思いますけれども 長野県だったと思うんですが山小屋の上のですね
カレーライスが美味しいと なんか店主こだわりでですね
牛骨牛筋からですね煮込んだカレーライスが美味しいということで 登山道にあるにもかかわらず
全国から人がそれを食べに訪れると で行列ができるというそういう山小屋のカレー屋さんが紹介されていました
山小屋で提供されるカレーが紹介されていました 私だったらもう山登りたくないから行かないんですけども
わざわざそのためだけに山登る人たちがいたそうです こうやってですね田舎の山奥に人が訪れるように
アラノのバブテスマのヨハネのもとに その当時の都会のエルサレムからユダヤ地方から
まあここではですね強調してすべての人々が訪れたというふうに書かれているわけです あの田舎の個性の強い店主のもとにですね
その食べ物を求めて人が殺到するように このアラノのこれ予言者の予想を良した
このラクダの毛皮と川の日は予言者の予想を良し 飲みつつを食べていたいなご食べたっていうのは一節には羊飼いがですね
の軸しながら食べたって言うそういうものだそうですけども その入れ立ちのヨハネのもとに
人々が押し寄せた 大きな期待を持って人々が押し寄せた様子が分かるわけです
ここでのヨハネの使命 それはですね
主の道を用意せよ 主の通れる道をまっすぐにせよというそのようなこの使命だったわけですね
で 皆さんもですね
この辺に住んでたらわかりなんと思いますけれども 最近そのニーザー駅の北口が区画整理されましたね
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大和田省の横の道とかですね 左右に渡って区画整理されました
でこうやって 区画整理されるそうする道が綺麗になるわけですよね
そうすると間がにくねって 車が通り抜けられなかったりとか遠回りさせられた道がまっすぐに整備されるとですね
この行き来がしやすくなる そういうことが起こるわけですけれども
この道路整備して道がまっすぐになって行き来しやすくなった 同じようにですね
荒野のヨハネの元に訪れた人々は 自分の曲がりふねった道がまっすぐにするようにとそのようなこと告白メッセージを聞いたわけです
それはどういうことか それはですね私たちも
荒野のような苦しい経験を通して 私たちの曲がった道がまっすぐにされるってことがあるということですね
それはどういう経験かまあ人によって違うと思います それあえていいことはしませんけれども
そのように考えれば試練は私たちにとって荒野と言えるかもしれませんね 実際ですねこの荒野というのは訓練の場所とも聖書では考えられています
イスラエルがエジプトから出て荒野をさまよいました いろんな意味がありましたそこは訓練の場所であった
様々な試練を通して主を神様を信頼するそういう訓練の場所が 荒野であったというわけですね
そのようにですね 私たちも荒野のような体験を通してこの神様を信頼する
例えば訓練を受ける 心がまっすぐに神様に向くようなそういう訓練を受けるということがある
このようにですね 主の道を用意せよ
宗の通られる道をまっすぐにせよと ヨハネが教えた
叫んだメッセージその主とは文字通り 救い主イエス様を指しますね
そして実は先ほども言いましたが私たちの心がまっすぐに 救い主様救い主のイエス様に向くように私たちはこの
荒地のような試練を通して私たちの心がまっすぐに訓練されていく そのことを一つ覚えておきましょう
2番目 荒野で方向転換をするということですね
1章5節 人々は何をしたかが書かれていますちょっと難しいかもしれませんが読めるかと
読んでみましょう3回 ユダヤ地方の全域とエルサレブの住民は皆
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ヨハネのもとにやってきて自分の罪を告白し ヨルダン川で彼からバブテスマを受けていた
この荒地の中に川が流れていてそのヨルダン川で人々はバブテスマをヨハネから受けた
これは自分の罪を告白してクリアのためのバブテスマを受けたということです これは言い換えればこの荒野が戒心の場所になったということです
この試練が方向転換のきっかけになるということなんですね ただ大事なことはですね
私たちは 大きなあるいは小さな試練や悩みを体験しますね
でも大事なことをちょっと聞くここで抑えておきたいんですけども必ずしも試練や 悩みは私たちの罪の結果ではないということを覚えておきましょう
あの日本人のねクリスチャンの方特に福井派の方はですね 非常に真面目で自分を終わる攻める傾向があるということはあるデータだから
言われているんですだからとりあえず今日最初にですね申し上げたいのは繰り返しますが 試練や悩みが必ずしも罪の結果ではないということを覚えていてください
その前提で言えることですけどもそのような試練や悩みを通して私たちは自分の弱さ とか
この限界もちろんクリスチャンであれば自分は神様ではないんだということに肌と気がつく わけですよね
自分の努力でどうにもならないということを受け止める必要で先週 日本中が盛り上がったことありましたよね
wbs アーチは wbc ですね私の間違いです 私もですねいろんなとこ行ったらですね本当に7080の女性がですね
モダミは見ているとかですね私に対してこうやってですね ペッパーミルサインを送ってくださったりするわけです忘れていた
まあそれぐらい日本で盛り上がりましたけれども まああの
前に優勝した一郎選手とかですねあるいは あの
有名な松井秀樹選手私この2人がよく言う共通した彼らの何ですかね価値観とか思考回路が すごく好きなんですね
彼らこういう事言うんです あの
自分がコントロールできることとできないことを見分けることが大事だ そしてコントロールできないことについてはくよくよ考え
その代わり自分がコントロールできることに対して全力を注ぐんだってことを言っている わけなんですよね
まあこのような一流選手の考え方がありますけれども これと似たようにですね私たちもですね
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自分でコントロールできないところがある そういうところを認めてそして
イエスさんを信じてのであればそのところを神様に委ねるという形の方向転換 それがもう荒野の経験の中でできることなのではないかと思います
その上で バブテスマのヨハネの出来事に直接書かれているようにあるので自分の罪を悔い改める
ということも起こってくるわけですよね
まあ皆さんどうかわかりませんが私自身がよく経験する自分の直面する試練とか 悩みの中でですね
できれば快適な暮らしだけをしていきたいとおもいますけど そんな中で試練悩みに直面した時に
そんな中でこう自分の罪とか奥底にある そのような神様に喜ばれない価値観や思いということに旗と気がつかされることがあるわけですよね
そして そのような時にですね
それこそはこの試練が荒野のような体験がまさに 神様に許しを乞うそのような方向転換のきっかけになるわけですね
そして実はその 自分の罪とか変えられないこの悪しき部分ということに気がつくときにその時に
あるいは先ほど申し上げた自分ではどうしようもできない 限界とか弱さということに面が行くときに私たちは
再びですね心の底からイエス様に助けてください 救ってくださいとある面方向転換することができるわけですよね
で この
荒野を取らなければ会心できない あのちょっと話すれますけれどもね会心というのは
初心者のクリスチャンだけがすることでないと ある簡単に言いますが
著名な神学者であり ある牧師がですね
会心というのはクリスチャンが生涯続けて何ですかね 体験するものだって言うんです折に触れて
で これを考えたときにですね
荒野を通らなければ会心できなかったできないということはですね これは悪いことじゃない
福音なんです なぜかそれはですね人は自分の力で会心できないということ
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裏を返せば会心というのは神様の働きかけ 外側からの神様の働きかけがあってこそなされる技だっていうことなんですね
実はこれは パウロの会心の体験と同じなんですね
先週までパウロの文章ず手紙をずっと学んできましたけど皆さんも知っている通り 使徒の働きの9章でパウロは
会心の体験をしました 男女か構わずですね教会から人を引きずり出して牢屋に入れることを使命としていた
パウロその教会の迫害者が会心した出来事が
使徒9章に書かれていますぜひ読んでいただきたいんですけども その時パウロはまっすぐという通り沿いの家で会心に導かれましたよね
何やっていう人がそこを訪れましたけどそのパウロは思いもよらない方法で突然 天からの光が差し
差し込んできて馬の上から落っこちてですね そしてイエス様を見出したという会心に導かれたわけです
でこの会心にパウロの会心について ある著名な学者はこう言ってるんですね
どういう意味があるか 主は
私たちがいる場所から新しい場所へと私たちを連れていくのである その新しい場所へ私たちは主の招きと導きがなければ決して行くことができないって言ってる
自分の力じゃなくて 主の導きと招きがあってこそ新しい場所に行くことができる
まさにパウロの会心がそうでしたね それは私たちにも当てはまる
この荒野を彷徨うような思念や悩みを いつも繰り返していますけども私たちはできれば体験したくないです
しかし 荒野の中に置かれるような体験を通して
神様は私たちを時に新しい場所へと連れてってくださる そういうことがある
その意味で荒野は会心の場合会心方向転換の場所であると考えられるわけです で最後の3番目の点はですねこのことを少し発展させた考えで締めくりたいと思います
私たちは方向転換をさせられてそして新しいまっすぐにされた道を通ってどこに 向かっていくのか
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それはわかりでしょうが救い主イエス様のもとに向かっていくわけですね そういう意味で荒野は期待の時なんだって言うんですね
今日のところでヨハネがこのように
回収に呼びかけています ヨハネはこう述べ伝えた読んでみましょう3回
私よりも力のある方が私の後に来られます 私にはかがんでその方の履物の紐を解く資格もありません
私がここにいるんですね私はあなた方に水でバブテスマを授けましたがこの方は 精霊によってバブテスマをお授けになります
この多くの人がさっきも言いましたが終わりの時 まあいろんな期待を持ってバブテスマヨハネのもとに退去してことずれました
しかし彼は押し寄せた押し寄せた人々が 自分以上に
目の前にいる自分ではなくて後から来るイエス様に期待するように心を向けたわけ なんですね将来へと向けました
この自分はその方の靴の紐を解く資格もないっていうのは つまり自分はその方の下辺にさえなれないって意味だってですね
それほど偉大な方が皆さんが私に期待して退去して訪れましたがそれ私なんかでも ずっと偉大な方がこの後に来られますよ
思いもよらない偉大な救い主が来られるという期待を 群衆に与えたわけですね
ねえ繰り返し繰り返し申し上げてしょ恐縮なんですけども 私たちはこの
できればこの試練というものを会いたくない自分の弱い部分 見つけなきゃいけないと辛いこともあるかもしれませんでも必ずそのことを通して
その後にイエス様の救いを思いもよらない方法でご体験することができるということ なんです
このヨハネよりも力強いお方 そして水ではないヨロダン川の水ではなくて精霊によってバブテス様を
授けるイエス様 それはどのような救い主なのか
そのことがこれからずっとマルコの中で紹介されていきます そして
いよいよ4月から まあ新しい年度が始まって新しい生活が始まっていきますけれども
その中で私たちやはり新しく救い主イエス様を体験していきたいと思うんですよね またこの
マルコの福音書をずっと読み続けていく中で
イエス様救い主イエス様とのこの新しい出会いがですねあるように期待しながら 日々歩んでいくそのようなお互いでありたいと思います
24:08
お祈りしましょう 天の神様皆を賛美いたします
イエス様のこの福音の始まりその物語をこれから学んでいきます バブテスマのヨハネがあらので人々を招き
まっすぐにしまた快心を導いたようにどうか 私たちがあなたによって道がまっすぐにされまた
快心を体験しながら イエス様に新しく出会っていくことができますように
これから始まる新しい年度どうぞ私たちを導いてください このような思い
尽くせない願いを私たちの救い主主イエス様のお名前によってお祈りします アーメン
それでは1分ほどしばらく見言葉に応えてお祈りしてください
25:20

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