2024-12-22 17:51

#243 神を見るクリスマス ~出エジプトやイルミネーションとの関係等 24/12/22

ヨハネからのクリスマス礼拝メッセージ。2024年12月22日録音。本題は()からです。今日の聖書箇所のヨハネはクリスマスを祝う理由を最もシンプルに表した言葉なのです。シンプルでクリスマスの本質を的確に言い表している1節からから3つの点を考えます。最初は旧約聖書の出エジプト記やイルミネーションとの関りに触れる:1,イエス様に神を見る (),第2の点は14節の大事な言葉を取り上げて,2.恵みとまことに満ちた神(),そして最後の点は今を生きる私たちのために,3.私たちがイエス様を見る2つの方法()を取り上げます。メッセージ原稿はこちらです。https://note.com/nsbc/n/n4c5ff141a5b1

サマリー

このエピソードでは、神が人となってこの地に降りて来られたことを祝うクリスマスの本来の意味について考察しています。聖書のヨハネ1章14節を引用しながら、イエス・キリストに見られる神の栄光と恵みの深い意義を探ります。また、聖書を通じてイエス・キリストをどのように理解し、出会うことができるかについても考察しています。さらに、クリスマスにおけるイエス様の存在と、共に礼拝することの重要性が強調されています。

クリスマスの本当の意味
新約聖書・ヨハネ1章14節、1節だけですから、聴いてくださるだけでも結構です。 ヨハネ1章14節をお読みします。
言葉は人となって、私たちの間に住まわれた。 私たちはこの方の栄光を見た。
父の身元から来られた。 一人ごとしての栄光である。
この方は恵みと誠に満ちておられた。 以上です。今日はこのところから、神を見るクリスマスと題してお話をいたします。
皆様おはようございます。 そしてクリスマスおめでとうございます。メリークリスマス。
日本でもですね、どこでもクリスマス、12月24日イブですけれども、日本ではシワスというぐらいですね、12月は忙しい時期で、今日もですね、礼拝前皆さんいろいろあったりとか、
ちょっとこちらも機材のトラフルとかでバタバタして、礼拝の時間が押してしまったんですけれども、まあそれもそれで、ちょうど皆さんいい時間に送れながらも始めることができてよかったです。
もともとあのクリスマスはですね、羊飼いの下に密会が現れましたけど、そこからある人はですね、忙しい人のところに、
クリスマスに働いている人のところに良い知らせが来たということですので、シワスの忙しい中ですけれども、共に少しくですね、聖書からクリスマスのことを考えていきたいと思います。
礼拝ではですね、ずっとヨハネの福音書というところから10月から見てきました。
よくですね、その中で今回取り組んでいるのは、聖書のその表面的じゃない深いところを見たり、あるいは広く見るとわかってくることがある、そういう面白さに気がついてほしいということで毎週お話もしているんですけれども、
今日もですね、クリスマスについてそういうふうに考えていきたいと思います。
クリスマスは、この元々の意味、皆さんご存知ですか?
このクリスマスのクライストですね、キリストのマスというのは日本語のミサですね。カトリックの毎週の生産式と言います。
簡単に言うと、キリストのミサ、キリストの誕生をお祝いするというのが、クリスマスの本来の意味です。
なぜクリスマスをお祝いするかと言えば、それはですね、神様が人となってこの地に下ってこられた、そのことをお祝いする、そしてその目的は人を救うためだったということを喜ぶ、それがクリスマスを祝う本来の意味なんですね。
イエスの性質
今日読んだヨハネの言葉は、実はそのクリスマスの専門的に言うとですね、心学的な意味を的確にシンプルに言い表した箇所なんですね。
そこから今日3つの点考えますが、まず1番目はイエス様に神を見るということについて、
そして2番目はですね、この神であるイエス様が恵みと誠に満ちていたというその点について、そして最後は、じゃあどうやって今の私たちはイエス様を見ることができるかということですね。
まず一番最初、イエス様に神を見るということを考えていきましょう。
今日のメインの聖句、多く引用してますが、言葉は人となって私たちの間に住まわれた、私たちはこの方の栄光を見た、父の身元から来られた一人ごとしての栄光である。
この1章14節の言葉は、時間がないのでシンプルに言いますと、神様が人間の体を持ってこの地に下ってこられた、それがイエスキリストだったということを本質的、しかもシンプルに表しているんですね。
では、それはどういうことか。言葉という言葉、ロゴスというギリシャ語の言葉が鍵で、それに深く広い意味があるのですが、それを知りたい方は10月1日からの礼拝のメッセージをおさらいしてもらえればと思いますけれども、
ところでですね、お笑い芸人の広瀬さんがね、ボッチキャンプというのをYouTubeからテレビ番組に至るまで人気ですね。キャンプにつきものがものといえばテントですね。
実はこの言葉は、今日の神、言葉は人となって私たちの間に住まわれたという言葉は、実はこのテントを張るという意味なんです。
これ、モーセの頃、エジプトを旅したイスラエルの民に、テント式の幕屋と専門的に言うんですけれども、移動式の神殿を動物の川とか木材で移動するたびに作りなさいという、そういう命令があって、
40年の旅とともにこれを作りながら旅をして、そしてこの幕屋、テントに神がご臨在したとか、神の臨在の象徴が現れたということがよく出ています。
その神が共にいたという象徴の一つが、栄光の雲が宮に満ちたというような言葉なんですね。この栄光というのは、まさに神様のご性質を表す中の光です。
ですから、気がついたと思いますけれども、クリスマスにイルミネーションとか、ロウソクで光を持ってお祝いするというのは、神の栄光とか、神が共におられたということとも関連しているということを覚えておいてください。
この移動式のテントに、神のご臨在が満ちあふれて、栄光が輝き出た、そのように
神が人となったイエス様に、私たちは神を見て、神の栄光を見たということが、このヨハネ、イエス様の弟子の一人のヨハネとか、その当時の人の私たちという言葉になっているんですね。
私たちは、この方のロゴスとなる言葉であり、人となった神であるイエス・キリストの栄光を見た。
この旧約聖書の神の臨在のテントの栄光と、今、目に見える神が宿っている、目に見える神がこの地に宿ったイエス様を見て、私たちは神の栄光を見た。
つまり、イエス様になって神を見たということが、今日の聖書の言葉の鍵なんですね。
これ、ちなみに、この間見た2章1節のカナンの恩霊の奇跡の出来事ですけれども、この時もイエスは栄光を表したと書いてありました。
そのちょっとした教養として、まずこの部分を皆さん覚えておいてください。
2番目、神が人となったイエス様はどんな方かというと、こういう方です。
2番目、恵みと誠に満ちた神。ここだけ読めるか読んでみましょうか。
この方は、恵みと誠に満ちておられた。
これがとても大事な言葉なんですね。
恵みとは何か。恵みさんという人をよく言いますけれども、それは人に対する神様の慈愛を表しています。
もうちょっと強く詳しく言うと、弱い人への共感と同情が前提にあるんですね。
よく言われるのは、イエス様は神様であられながら、人間となられたこそ、人の弱さに共感できる神様だ。
それがキリスト教の真髄なんですね。この地を歩くときに、住むところも寝るところもないとおっしゃったり、空腹を覚えられたとおっしゃったり、あるいは涙を流したところもあります。
そのようなお方だから、神でありながら私たちの弱さに共感できるお方がイエス様です。
そして誠ですけれども、誠には誠実という意味があります。
それは約束したことを違わず果たすという誠実さです。
ですからこの恵みと誠に満ちているというのは、人となられた神であるイエス様の性質を表しているんですけれども、それはもちろん私たちの弱さを我がこととして知って同情してくれる。
それだけではなくて、私たちを救う、助けるという約束を必ず果たす、そういう誠実さを表しているんです。
その憐れみと誠実さにイエス様は満ちておられた神であった。
その具体的な現れとして様々な印としての奇跡があったんですけれども、そこに神の栄光を見たとヨハネ、当時の人は言っているわけですね。
実はこの新約聖書の中には、そういう憐れみ深いイエス様が助けてくださるということを見事に表現した言葉がいくつかあります。
そのうちの一つだけ紹介しますね。
イエス様は、ちょっと解説つけましたけれども、こういう方なんですね。
私たちの弱さに同情できない方ではありません。
罪は犯しませんでしたが、すべての点において私たちと同じように試みに遭われたのです。
イエスを見つめる方法
じゃあどうするんですかというと、ですからから読んでみましょうか。
ですから私たちは憐れみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの溝に近づこうではありませんか。
ヘブル4章の15から16節ですね。
クリスチャンの人が祈る、困った時に助けてと祈れる、その根拠にこのイエス様の恵みと誠に見せているというご性質。
イエス様がそういう神様だから、私たちはイエス様の前に大胆に行って助けてくださいと祈ることができるわけですね。
それでは、私たちがイエス様を見る2つの方法ということを最後にご紹介します。
今日の1章14節の後半で書いてありますね。ちょっと読むこと多いんですが、読めるかで読んでみましょうか。
私たちはこの方の栄光を見た父の身元から来られた一人子としての栄光である。
当然これを書いたイエス様の弟子のヨハネと言われてますけれども、ヨハネやその他の弟子たちはイエス様と共に3年間過ごして、
様々な証拠としての印を見たり、人々と過ごす姿を見て、神の栄光を見た。
恵みと誠に見きておられる神のご自身のありさまを見た証言しています。
当然今の私たちは目でイエス様を見ることができませんが、どうやって見ることができるのか。
今の私たちは違った方法でイエス様を見るんです。それは少なくとも2つある。
まず1つ目は聖書を通してイエス様を見る、知ることができるんですね。
実はそのことについてイエス様自身がこう証言しています。ヨハネの福音書の5章39節でこう言っているんですね。
あなた方は聖書の中に永遠の命があると思って聖書を調べています。
その聖書は私について証しているものです。
当時この聖書というのは旧約聖書なんですけれども、この理念は新約聖書も変わらないわけです。
聖書がイエス様について証しているんだ。
聖書を読むとイエス様のことがわかる。
実はそのことを現在の学者も言っているんですね。
私が好きになっているアリスター・マクグラスという方です。
ジャーナリストの佐藤ユーと書いています。
彼が一気見るとわかるんですけれども、このマクグラスの書いたある本が日本で最もわかりやすいというような言い方をしているんですけれども、よくできた新約書だと書いています。
私もそれを持っていますし、皆さんもぜひ読んでほしいんですけれども。
この人は珍しいんです、経歴が。
オクスフォード大学で分子生物学という理科系の博士号を取ったんです。
理系です。
でもその時に学生運動に参加してたんですけれども、あるキリスト教の集会に出て、その方の話を聞いて心を打たれてキリスト教徒になるんですね。
それでありながら分子生物学で博士号を取った後に、簡単に言うとイギリスの生光界で牧師のような資格を取るんです。
そして今度は神学を極めて、オクスフォード大学の簡単に言うと神学部、牧師や資生授学者が学ぶところの教授になった。
そういう経歴を持った方なんですね。
この方が日本語になっているある本で聖書についてこうやって紹介してるんですね。
聖書によって私たちはイエス・キリストという人がどのようなお方だったのかを思い描くことができ、
4つの福音書を読むことで私たちはイエス・キリストや彼の進化についての私たちの理解の欠けたところを埋めることができますね。
そんなところから機会があれば福音書を読んでみてイエス様の様子をぜひ知っていく。
クリスマスと礼拝の重要性
そんな新しい一年になればと思っています。
そして2つ目、いっぱいあるんですけども、今日はあえて2つ。
2つ目はイエス様はクリスチャンの友に集まり、祈るところに共にいると約束してくださっているんですね。
それは共にお祈りする中に、また私たちが礼拝し集まる中にイエス様も共にいると約束してくださっているんです。
それをですね、マタイの福音書の中でイエス様がこう約束しています。
マタイの18章19節から20節を抜粋していましたけども、こういう言葉なんですね。
あなた方のうちの2人がどんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられる私の父はそれを叶えてくださいます。
最後ですから読んでみましょうか。
2人か3人が私の名において集まっているところには、私もその中にいるのです。
このような礼拝の中、神様の御言葉が読まれ、そして語られている礼拝の中に不思議にイエス様が共にいてくださり、私たちが祈り合うときにそこにイエス様が共におられるという、そのような約束をしておられるわけですね。
新しい年に間もなく入りますけども、そんな中ですね、聖書を読んだり学んだり、またそのメッセージを聞くことによってイエス様に新たに出会っていくお互いでありたいと思います。
また共に祈り、礼拝に集う中で、その中でイエス様と出会い、新たな発見につながっていく、そんな新しい1年になればと願っております。
それではお祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
露骨なる言葉、世界を創られた、本当に誠の神であるあなたが、人となってこの地に来られた、そのイエス様の救い主の誕生を祝いするクリスマスがやって参りました。
死はその慌ただしい中でありますけれども、どうぞ一時思いをあなたに馳せて、そしてイエス様について考え学ぶ、そのようなクリスマスであり、また新しい年を迎えることができるようどうか導いてください。
この願いと感謝を、私たちの救い主、主イエス様のお名前によって祈ります。
アーメン。
それではいつものとおりそのままの姿勢で1分ほど黙祷して、祈る時間を持ちましょう。
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