2023-01-08 24:54

#走り続ける人は 23/1/8

ピリピ-14からの礼拝説教。2023年1月8日録音。今日からNHKの大河ドラマがスタートします。主人公の徳川家康を演じるのは松本潤さん。彼の属する嵐のヒット曲の”Happiness”の中に「走り出せ 走り出せ 明日を迎えに行こう…/止めないで 止めないで 今を動かす気持ち/どんなに小さなつぼみでも 一つだけのHappiness」という歌詞があります。私には、この曲が自分をランナーにたとえて語るパウロの教えを良く表しているように聞こえます。また今日のみことばに生きるクリスチャンに寄り添う歌にも聞こえます。その教えの中から1.私たちは今は未完成で不完全、2.振り返らず将来の栄光を目指して、3.キリストに捕らえられて、の3つのことを学びましょう。

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それでは、新約聖書・ピリピチンへの手紙 3章12節から14節、新解約聖書ですと、新約聖書の398ページです。
398ページからお読みします。
ピリピ3-12 私はすでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。 ただ捉えようとして追求しているのです。そしてそれを得るようにとキリストイエスが私を捉えてくださったのです。
兄弟たち、私は自分がすでに捉えたなどと考えてはいません。 ただ一つのこと、すなわち後ろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、
キリストイエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために目標を目指して走っているのです。
以上です。 今日はこのところから、「走り続ける人は?」と題して見言葉を取り継ぎます。
皆様、おはようございます。
今日はですね、新年第2回目の礼拝ですけれども、 早速ですがですね、今晩ですね、NHKの大河ドラマの新しいシリーズが始まりますね。
興味ない人は全然関心ないかもしれませんけれども、主人公の徳川家康を演じるのは松本純さんです。
実はですね、2010年の2月に私たちの教会では、アメリカのテキサス州から20代の女の方がですね、
短期選挙といって、冬休みを利用していくつかの教会を回る。 そんな中で、うちの教会にもですね、アマンダさんというプロのハープソーシャルの方が来てくださいました。
アマンダさんにですね、日本のこと知ってる? 日本の何か好きなものある?って聞いたらですね、その彼女が松本純です。
松本純って、僕は嵐を知ってましたけど、松本純、嵐ってそんなに世界でも有名なのかなと驚いたんですけれども、
彼が属していた、今は旧市ですけれども、嵐のヒット曲の一つに、このハピネスという曲がありますよね。
その中のサビの部分で、走り出せ、走り出せ、明日を迎えに行こう、その後止めないで、止めないで、今を動かす気持ちが、どんなに小さなつぼみでも、一つだけのハピネスってね、そういう歌詞がありますよね。
この曲はですね、今日のパウロのこの教えに非常に似通った部分がある。
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あるいは、パウロの教の教えに沿って、キリスト教の人生、クリスチャンの人生を歩んでいこうという人にですね、寄り添うような歌詞なんだなとちょっと思ったわけですよね。
もちろん一つ一つ説明できませんけれども、そのような中で、今日の読んだパウロの御言葉はですね、自分のクリスチャン生活の歩みをランナーに例えている、そういう教えです。
その中からちょっと今日3つのことをともに学んでいきたいと思います。
走り続ける人はということで、その走り続ける私たちもそうですけれども、その人たちは今は未完成で不完全であるということを知っていく必要があるということなんですね。
パウロはこのように言っています。ちょっと先の部分だけ読んでみましょうか。ここまで読んでみましょう。
3、私はすでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。
こうパウロは言っています。パウロはですね、まず自分が前進し続ける前提として、自分は未だ完成していません。未完成だと断言しているんです。
聖書をよく読んでください。この12節から13節までよく読んでいくと、パウロはですね、3回も言葉を変えて言ってるんです。
私はすでに得ていない。すでに完成されても、完全にされてもいない。すでに捉えたなどと考えていないと、3回も繰り返している。
それだけ、このある面、真理が大事だということなんですね。 なぜそれだけ声を大にしてパウロは訴えたのか。
それはですね、当時のピリピ教会の人々、この教会を受け取った人々の悩みや問題に直結していたからなんです。
おそらくこのピリピ教会、今詳しく言いませんが、ギリシャのマケドニア地方にある教会で、今ではですね、そこにパウロの選挙旅行にちなんだホテルもあるぐらい、その歴史的な場所なんですけども、そのピリピ教会の中にはですね、こういう悩みがあったんですね。
クリスチャンの方々がですね、何かしら自分の信仰者としての不完全さに悩んでいた。あるいは悩まされていた。
自分のその未完成の部分に気づいたクリスチャンの方が少なからずいたわけです。それだけではなくて、実はそこのところからですね、その弱みにつけ込むような偽教師たちが入り込んでいく、そういう可能性があったんですね。
その偽教師の教えというのは、前学んだガラテアビトの手紙でもあるように、あなた方がもし滑稽を受けて、
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聖書の立法さえ守れば、あなた方は完全になれますよとか、あなたは本当の神のためになれますよという教えです。
たぶんここにいる皆さんもピリビの人と同じで、真面目ですから、自分が何かクリスチャンとして不完全だということに気がついている。
そうするとですね、そのように、これさえすればあなたは落ち度がありませんという、そういうものをですね、見せつけられたり教えられると心が揺らぐかもしれないわけですよね。
それが今言う、カルトやイタンの冗頭手段なんです。
そのような偽の教えにさらされていた危険を感じたパウロは、3回も、私も未完成なんですよと訴えたわけなんです。
そして、完全されていない、すでに全て捉えたなどとも考えていないと、3回も言ったわけなんですけれども。
あるですね、新学者ですね、キリスト教の学者がね、こう言うんですね。
パウロのよく見られる教えの特徴の一つそれは、クリスチャンとしての冷静とかね、もっと言うと成熟さ、それは何に現れているか。
それは、もう自分がですね、まだ未完成であるという、自分の不完全さの自覚にこそ、クリスチャンの成熟があるんですよ、と言ってるんです。
自分の未完成の自覚こそが、実はクリスチャンの成熟の証だ、そうパウロは信じていたと。
パウロ研究の第一人者がそう教えているんですね。
で、話変わりますけれども、実は先週ちょっと私間違えたんですね。
あの、新座市の立教大学箱根駅で初めて参加したって言いましたけど、55年ぶりで1回参加したんですよね。
で、そこの躍進のきっかけの一つが監督さんですよね。
30代の現役選手のランナーが監督になった。
彼の特徴は自分も走るんです。
で、ある箱根駅でのランナーがインタビュー答えて言ってたのはですね、監督より自分のが遅い、遅いと。
監督抜かしてやっと一人前だって言えたってですね、言ってました。
あるいはですね、まあ競合校っていうのは、大学は高校に行ってリクルートするんです、有望な選手。
その監督はですね、自分もその高校に行って走って、そして選手をですね、うちの学校に来ないかってリクルートする。
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やはりそうやってリクルートされて大学来た選手はですね、まさかあれが監督だと思わなかったって言ってるんですよね。
で、パウロはその監督のように、自分が上から目線じゃなくて、同じ未完成のものなんですよ。
そうやってピリビのクリシャンに寄り添って、だから未完成の私はゴール目指して走ってるように、あなた方も私と一緒に諦めないで、
困難の中だけでも走り続けましょうと、そう誘っているわけですね。 一緒に捉えるために未完成さを自覚しながら走りましょうと招いているわけです。
ですから、私たちもですね、
もし自分がクリシャンである、 その時にですね、自分の罪を始め、
信仰者としての様々な不完全さを知るときに、がっかりすることがあるかもしれません。 私はそうです。
これ以上、あまり言わなくていいですね。 走り続けられるのかな?
いろんな理由があるかもしれません。 疲れてしまったりとか、自分の弱さが気がついたり、
そんな中で、 どうやって前進し続けようかと、皆さんも悩むかもしれませんが、その時に、
いや自分が不完全だということを認めることが大事。 不完全であるということを認めるからこそ、
イエス様の十字架の贖いに、この大きな意味がある。 パワロが3章8節で、
主キリストイエスを知っていることの素晴らしさと言っているんですね。 そのことを再確認することができるので、
そのような自覚を持ち、イエス様を知っていることの素晴らしさを、 折に触れ再確認しながら、信仰の道を進んでいく。
それが走り続ける人です。2番目。 走り続ける人、それは振り返らずに、将来の栄光を目指して、
走り続けるんだ。 3章13節14節で、パワロがこう言っています。
兄弟たち、私は自分が既にトライダーなどと考えてはいません。 ちょっと長いですが、ここから読めるかで読んでみましょうか。
ただ一つのこと、すなわち後ろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、 キリストイエスにあって、神が上に召してくださるという、
その章をいただくために、目標を目指して走っているのです。 そのパワロはですね、前を見ているだけじゃなくて、後ろを振り向かないと言っているんですね。
後で見ていただきたいんですが、この前のところ3章の3節から7節でパワロは、 ある面、自分の過去を自慢しています。
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例えば、立法学者とかパリサイビドとして、この二世教主たちに負けないほど、 私は優秀だったということを言っています。
そのような過去の成功ですね、それもパワロは振り返らない。 あるいはその後でパワロはですね、実は自分は立法に熱心だったか故に教会を迫害したと言っているんです。
大きな罪です。 そのこと、過去の罪さえも彼は振り返らない、後悔しないとも言わんばかりなんですね。
そのような過去のいわゆる栄光も、過去の罪や失敗もパワロは振り返らないと言っています。
先ほど紹介したハピネスですけどね、こんな歌詞があるんですね。 思い出の後先を考えたら寂しすぎるね。
これは松潤とか言うからかっこいいんですけどね。でもすごい良い歌詞だなと思いました。 こんな意味かなと考えたんです。
思い出の先を振り返る。 ああ、あんなことしなかったら良かったのに、もっとこういう選択をしていればあんなことしなかったのに。
後悔する。 あるいは思い出の先、つまりですね、
もしこうしてたら、あんなんないで、もっとこうなって今は違っていたのにな、と。 そういう後悔もあるかもしれない。
でもよくよく考えたら、そういう後悔は寂しすぎるんじゃないの、と教えているように聞こえました。
そしてですね、この歌詞に続きがあってですね。
騒がしい未来が向こうできっと待っているからって言ってるんです。 騒がしい未来がきっと待っているから走り続けよう。
まあ騒がしい未来。 偶然、駅伝の話が先週も続きましたけど、
ランナーが苦しい時に何を考えるか。それはゴールの先にある歓喜ですね。 ゴールテープを切って、みんなが迎えて喜ぶ姿、それをイメージして走り続ける。
そのことに似ているかもしれません。 パールはこう言いますね。
ただ一つのこと。すなわち、後ろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、 キリスエースにあって、神が上に召してくださるという、そのショーをいただくために、
目標を目指して走っているのです。 この目標ですね。
神が上に召してくださるという ショー、目標、
それ一体何か。いくつかの説があるんですけども。 一つはですね、先ほど言ったことにヒントがあるんですけども、
キリスエースを知ることの素晴らしさをパールは知っていますけど、まだその知識は不完全だと言うのです。
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でも、天に行って、あるいはイエス様と会って、イエス様になったら、 まあ別のヨハネという人が言っているんですけど、イエス様のありのままの姿を見ると言っています。
イエス様と将来再会したら、あったら、イエス様のことが全部わかるよ。 それが何よりも素晴らしいことだ。
そういうご褒美というかね、ショーを指しているという説があります。 そしてもう一つはですね、
栄光の体を授かるという、そういう章です。 3章27節にそのヒントがあるんですね。ちょっと読めることを読んでみましょうか。
3、キリストは万物をご自分に従わせることさえできる道からによって、私たちの癒やしい体をご自分の栄光に輝く体と同じ姿に変えてくださいます。
これはですね、簡単に言うとイエス様と同じ体。
いろんな説がありますけど、たぶん体を持って蘇るというんです。将来私たち。それはどんな体かというと、罪の影響を受けない栄光の体。
例えば、病気を知らない。 最近疲れやすくて困るとか、
疲れがどうにか取れないとかね、あるかもしれません。でも、そういう疲れを知らない、あるいは本当に病と関係ない体。
そういう体を将来授かる。そしてもう一つ、直接こう、罪のない体ですから、ある面自分の罪に悩むことがない。
そういう自分自身を、栄光の体を将来、性としていただける。
それが希望なんですね。 皆さんもご存知のように、私たち今、この地上できている限り、罪の影響による悩みが尽きないかもしれません。
体の弱さを覚えて、いろんな不安を感じるかもしれません。 あるいは先ほど言いました、それゆえ
過去の過ち、過去の振り返って後悔することもあるかもしれません。しかしこのゴールにある
ショーを目指して、私たちはパウロのように体を伸ばして、 ランナーが体を伸ばしてゴールテープを切るようなイメージなんですけれども、
その目標であるショーを目指して、天を見上げて一心に走っていく。 信仰の旅路を続ける、それが走り続ける人だということですね。
最後、 走り続ける私たちは、もうすでにイエス様に捉えられているということです。
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このキリストイエスにあって、神が上に見せてくださるというショーをいただくために、目標を目指して走っているという言葉がありますけれども、
大事なことが12節にあります。ちょっと読んでみましょうか。3回。 それを得るようにとキリストイエスが私を捉えてくださったのです。
これはどういうことか。 皆さんも気づいたと思いますけれども、もう私たちは必ずゴールができるように、もう神様がすでに捉えてくださっているということです。
だからそれは、私たちの弱さを超えた神様の力によって、私たちは何があっても守られて、必ずゴールまで到達することができるという保証です。
ピリビの手紙を読んでいると、そういうことがいっぱい出てきますよね。1章6節に。
あなた方を召した神様は、必ず完成させてくださるという言葉がありましたよね。
ですから私たちは、今の旅路が苦しくても、その最中で、私はでも今神様に捉えられているんだ。
必ずゴールできるんだ。そういう安心があるわけです。 自分の力で、
日本語で何て言うんでしょうかね、ドライブする。 無理して前進しようと消しかけると、苦しいかもしれません。苦しいと思います。
その時にふっと振り返って、そうじゃなくて、もう神様が私を捉えてくださっているから、その神様に任せて歩めば大丈夫だと覚えるときに平安が来るわけですよね。
最後になりますけどもですね、このハッピネス最後の歌詞にこういうこと書いてあるんですよね。
遠くまで遠くまでどこまでも続く道 君だけの声を聞かせてよ
ずっとそばにいるよということばかり これはですね
まあ皆さんどう聞こえるかわかりませんけど私はですね何かこう 神様が祈りを聞いてくださっているというふうに書き込めたんですね
この遠くまで遠くまでその信仰のゴール 栄光のゴールが見えている
その遠くまでどこまでもとも続く道だけども私たちその旅の登場で苦しくなって イエス様に神様祈りますよね
その時に目には見えませんが実はイエス様は私たちのそばにいて私たちの祈りを聞いて くださる
まあそのように それはまさにですね信仰の真理ですよね
そしてその中でですねこの君だけの声を聞かせてよという歌詞はですね まあある面神様からの
メッセージも聞こえますけれどももう一つはですね私たちが神様にあなただけの声を 聞かせてくださいという祈りにも私は思えたんですね
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どういうことか 私たちはですね
この旅中合いの中で良い声悪い声 いろんな声が聞こえてきます昨日ちょっと面白かったのですねある
ジャーナリストの方がラジオで最近みんなニュースニュース見ないって言うんですよ なぜか
同じことが言われているししかも同じことが暗いニュースばかりで先行きがも見えない だから皆さんニュース見ない人が増えてます
言うんですねまぁ実は私もそうなんです でもそういう時にですねいろんな世間の声が
聞こえてくる直接自分に否定的なことを言う人もいるかもしれませんそういう時こそ 私たちは
神様の声だけを聞く まあ聖書を通してイエス様の声を聞き続けていく
そういう歩みが必要なんではないことを思うわけなんですね この最後の止めないで止めないでずっと信じる気持ちとあるように私たちはですね
この 聖書から神様の声を聞いて祈りのうちにとそばにおられる
イエス様に嘆きを打ち分けていくときに私たちは
辛い歩みの中でも神様に信頼して歩み続けることをこう 止めないで走り続けることができるわけです
私たちはパウロとともにですねこの進行のマラソンもですね 店のゴール向かって走り続けることができるわけですね
その先の ゴールにある a 館は
ちっちゃいつぼみかもしれませんでもそれはたった一つのですね 誠の希望
この神様からいただける栄養だっていう 私たちがイエス様に会うときにその小さなつぼみが大きく花開くということですね
覚えながらこの地を歩んでいきたい新しい都市 何があっても主に信頼しながらを前進していくお互いでありたいと思います
最後にこの御言葉を読んで終わりにしましょう 私最初だけ読みますね
兄弟たち私は自分がすでに捉えたなどと考えていません ただ一つのこと
ここ行け読みましょうかさんはいすなわち 後ろのものを忘れ前のものに向かって身を伸ばし
キリストイエスにあって神が上に召してくださるという その章をいただくために目標を目指して走っているのです
お祈りしましょう 天の神様皆を賛美いたします新しい年が始まりました
昨年は本当にいろいろなことがありました 今年は何が待っているでしょうか
どうぞ神様何があろうともまた自分の様々な弱さや 限界に心折れそうな時があるかもしれませんけれども
24:10
その時こそあなたが見越えを聞き続け また共におられるイエス様あなたに祈りあなたにある希望
目に据えながらこの地上の旅路を 歩み続けること走り続けることができるようにどうか導いてください
この願いと感謝を私たちの救い主 主イエス様のお名前によってお祈りします
アーメン それではしばし1分ほどですが皆さん
御言葉に応えて黙祷の時間をとってください
24:54

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