2024-09-08 28:22

#228 救い主の埋葬 24/9/8

マルコの福音書-47からの礼拝説教。2024年9月8日録音。 ()イエス様の埋葬物語は良く知られています。簡単に読み過ごしてしまいがちです。しかしその中でマルコの福音書は当時から大きな問題となった「イエス様が本当に息を引き取った」という大事な事実を伝えているのです。1.遺体の下げ渡しを許可したピラト(),2.アリマタヤのヨセフの信仰と勇気(),3.息を引き取り埋葬されたイエス様(),の3つの点から考えていきます。

サマリー

このエピソードでは、イエスの埋葬について語られ、ピラトの反応やアリマタヤのヨセフの勇気が取り上げられています。特に、ヨセフがイエスの遺体を丁寧に埋葬することで、イエスが本当に死んだことの重要性が強調されています。また、イエスが完全に息を引き取ったことと彼の埋葬に関する証言が詳しく語られています。女性たちによる目撃やヨセフの手厚い葬りが強調され、イエスの死とその意義について深く考察されています。

イエスの死と遺体の引き渡し
マルコ15章、最後の部分ですね。40節から47節。
女たちも遠くから見ていたが、その中には、マグダラノマリアとヒショウヤコブとヨセノハハマリアとサロメがいた。
イエスがガリラ屋におられた時に、イエスに従って仕えていた人たちであった。
この他にも、イエスと一緒にエルサレムに登ってきた女たちがたくさんいた。
さて、すでに夕方になっていた。 その日はソナエビ、すなわち安息日の前日であったので、
アリマタヤ出身のヨセフは、勇気を出してピラトのところに行き、 イエスの体の下渡しを願い出た。
ヨセフは有力な議員で、自らも神の国を待ち望んでいた。 ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いた。
そして百人隊長を呼び、イエスがすでに死んだのかどうかを尋ねた。 百人隊長に確認すると、ピラトはイエスの遺体をヨセフに下渡した。
ヨセフは泡布を買い、イエスを下ろして、 雨布で包み、
岩を掘って作った墓に収めた。 そして墓の入り口には石を転がしておいた。
マグダラのマリアとヨセの母マリアは、 イエスがどこに収められるかよく見ていた。
以上です。今日はこのところからキリストの埋葬と題して言葉を取り付けます。
みなさんおはようございます。 9月の第2週になりまして、先週は少しですね、涼しい日もありましたが、
また暑さが繰り返してきました。今週も30度を超える日が続くということでしてね、 まだ暑い9月が続きますけれども、お互い健康に気をつけながら、
今日はですね、共に礼拝を守れることを感謝しております。 さてマルコの福音書もいよいよ終わりに近づいてきました。
今日はイエス様の埋葬の物語です。
このイエス様の埋葬物語は、
よく知られています。そして簡単に読んでいる時には、読み過ごしてしまいがちです。
しかし、その中でマルコは当時から大きな問題となっていた。
このことですね。イエスは本当に息を引き取ったのか、という大事な事実を伝えているのです。
後でちょっとだけ見ますが、復活したということは単なる気絶していたのではないか。
そんなことがまことしやかに広められていた。 そのような戦いの中でマルコは、はっきりとイエス様が息を引き取って埋葬されたということを、この歌詞を通して明かししているわけです。
そんなところからですね、ピラトの反応、最初一つ目、そしてアリマタヤのヨセフの信仰と勇気を二つ目、最後にですね、
息を引き取って埋葬されたイエス様ということを、3つの点から見ていきます。 まず最初、
遺体の下げ渡しを許可したピラトというところを見ていきます。 15章の45節、
百人隊長に確認すると、ピラトはイエスの遺体をヨセフに下げ渡した。 このローマの総督ピラトですね、そしてイエス様をローマの反逆罪だということで、
道法のユダヤ人から訴えられていたところを、ユダヤ人に押し付けられて死刑してしまった。
ユダヤ人のローマ人の反逆者ということで十字架につけたということになります。 しかしですね、
普通はですね、遺体をローマの反逆罪によって十字架に書せられた人は、十字架の上で晒し物になるんです。
それをしないで、友人と言いますか、知人のヨセフに下げ渡したというのは、遺霊中の遺霊だったわけですね。
で、このことから何がわかるかと言いますと、しばらく前に見た15章1節からのピラトの裁判。
そこで彼はイエス様の無罪を2回3回とユダヤ人にアピールした。 そのことがですね、この
ヨセフに遺体の下げ渡しを許可したということから強調されている。 イエス様はローマの反逆罪に当たらず、死罪に当たることは何もしていない。
ということがですね、再度強調されていることになるわけなんです。 このようにローマ当局のピラトがイエス様の無罪を確信していたということ。
十字架のイエスの遺体が下げ渡されたというところから、マルコは強く実証しているわけなんです。
普通ですね、後で見ますが、反逆者はこの十字架にかけられたと
晒し者にされます。どうなったか。 だいたいですね、猛禽が来て食べます。
イエス様がある例え話で、ハゲタカがやってくる、死体が集まるところにあるところにはハゲタカも集まりますと言います。
あれハゲタカじゃないんですね。厳密はハゲワシなんです。 ハゲタカはコンドルで南米にしかいないですから、イスラエルにはいないのでハゲワシという、その
アフリカのあたりにいる得意なワシがいるんですけど、さておきまして、カラスやそのような猛禽が十字架の上の遺体を食べていく。
そしてまた腐っていく。 それがゴルゴダの丘のところもそうなんですが、いわゆる街道の人が一番多く通るところに晒されていた。
それが常だったわけです。 このようにしてローマ当局は
ローマに反逆する者はこのような目に合うということを見せしめにして、反逆をやめるように力強いメッセージを十字架の
死体を晒すことによって送っていたわけなんですね。 このような事情を知る人たち、
特にマルコの副印書はローマ人に対して書かれたとも言われています。 そのような読者たちにとってこのピラトの
したことは 十字架にかけられたイエス様には罪がないということ、すなわち罪なき方が罪人の身代わりになったという
強烈なメッセージを送っている。 そのことをまず覚えておきましょう。
ヨセフの決断
2番目。 今度はアリマタヤのヨセフの信仰と勇気を見ていきたいと思います。
2番目ですね。15章の43節
少し長いんですが読んでみましょうか。アリマタヤから3。アリマタヤ出身のヨセフは勇気を出してピラトのところに行き、イエスの体の下渡しを願い出た。
ヨセフは有力な議員で、自らも神の国を待ち望んでいた。 ここに詳しく
アリマタヤのヨセフのことが描写されています。
実はなぜイエス様の遺体を一刻も早く十字架から下ろそうとしたか。 それは彼が敬虔な
ユダヤ教と言っていいかわかりませんが、ユダヤ、旧約聖書を信じる人だったということなんですね。 実は旧約聖書の新明記の21章の22節から23節にこのようなことが書かれています。
ある人に死刑にあたる罪かがあって処刑され、あなたが彼を木にかける場合、 その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。
その日のうちに必ず埋葬しなければならない。 木にかけられたものは神に呪われたものだからである。
あなたの神主が相続地としてあなたに与えようとしておられる土地を怪我してはならない。 こういう
いわゆる孟聖御所の律法の中に言葉があったわけです。 ですからアリマタヤのヨセフは神の国を待ち望んでいたということもありますように、
旧約聖書を真面目に信じていたということもあって、この教えに従って
イエス様の遺体の下げ渡しを直ちに願えていたわけですね。 イエス様が十字架の上で息を引き取ったのは午後3時です。
そして今もユダヤはそうなんですけれども、当時ユダヤの一日は夕方から始まりました。
ですから夕方5時からこの金曜日が終わって土曜日、すなわち安息日に入るわけです。 安息日に入ると労働が禁止されていて遺体の埋葬も禁止されていましたから
2時間のうちにヨセフは遺体を引き取って叱るべき準備をして埋葬する必要があったわけなんですね。
丁寧に遺体を布にくるんで埋葬した。 繰り返しますがここから彼は旧約聖書の今しみを守ることに熱心なユダヤ人であったということがわかります。
そしてそこから何がわかるか。さらに驚くべきというと大袈裟かもしれませんがこういう事実がわかります。
戻りますが彼は有力な議員だと書いてあります。有力な議員はどのような存在ですか?
皆さん覚えてます? 総裁選に立候補する人でしょうか。つまんないこと言うなと。
総裁選に立候補する有力な議員が今話題になってますけれども、当時の有力な議員はユダヤの最高議員と言われているサンヘドリンのメンバーでした。
最高法院のサンヘドリンのメンバーの一人がヨセフだったと言っています。
覚えてますね。このサンヘドリンは何をしたか。
つい先ほどイエス様を十字架にかけるというユダヤ人側の裁判を行ったのがこのサンヘドリンの議員たちです。
70人男性がいて構成されていたと言われています。 議会の様子のような絵があります。
その中の一人イエス様を死刑にでっち上げた議員のグループの中に実は密かに
有馬田やヨセフが紛れていたということがわかるわけです。
彼の存在はそのような敵対した議会の中にさえイエス様を誠の救い主であると信じる人がいたという動かぬ証拠となっているわけなんです。
サンヘドリンの議員たちはこのイエス様のことを
尋問して 神の冒涜だと言ったようにイエス様のことを神の御子だとも認めないし
約束されたメシアだとも認めていない。 当然
ローマの圧勢から救い出すダビデの子孫であるユダヤ人の王であるとも認めていなかったわけですね。
しかしヨセフは 自らも神の国を待ち望んでいたと記されていながらこの十字架で死んだイエス様を手厚く
葬ろうとしたわけです。このように ヨセフはイエス様が言うところのメシアそして神の国というところを彼なりに
不完全でありながらも正しく捉えていたということがわかるわけなんですね。 そしてもう少し注目すべきことはですね、だいたい当時十字架の刑にさせられた人の遺体を
先渡し願った人はまず第一に家族だったんです。 その次に等しい友達だったんです。
しかしどうでしょうこの時イエス様の家族は十字架の下にはおりませんでした。 そして等しい友と言われる弟子たちユダヤを除く11人は離散してこの場に姿を現していません。
イエス様の予告通り。そして実は今日の冒頭にちょっと出てくる女性たちが出てきます。 彼女たちはイエス様と一緒に北のガリダヤからずっとエルサレムまで旅をしてきた。
女性の弟子とも言える人たち。そしておそらく経済的豊かでですね経済的にイエス様の一段を支えていた人たちだと考えられています。
それが今日最初冒頭に読んだ4人でしたか。女性たちなんですね。しかしその女性たちも遺説によると
十字架から遠くから眺めていた。 なぜなら弟子たちもそうですし彼女たちも自分の身の危険を感じていた。
遠まきに見ていた。弟子たちはイエス様を見せて離散してしまったというわけです。 しかしその中でも
ヨセフは イエス様の遺体をあえてですね
引き取るという決断をして、ここに勇気を持ってってありますよね。 勇気を出してピラトのところに行ったとあるように
イエス様の遺体の先渡しを願ったんです。
弟子たちは自分の命を救うために逃げていきましたが、ヨセフはまさに命を懸けて
イエス様への信仰を貫いたのです。 イエス様の処刑を決めた三ヘドリの議員たちからですね
裏切り者という後ろ指を刺される、あるいは社会的自由を失う可能性があったかもしれない。 にもかかわらずイエス様の遺体を堂々とですね
ピラトの元に先渡しを願いに行った。 ここに彼の信仰が見て取れるわけです。
イエスの埋葬について
マタイの福音書の10章32節でイエス様はこのようなお言葉を残していますね。 読める方はこのですからから読んでみましょうか。
ですから誰でも人々の前で私を認めるなら 私も天におられる私の父の前でその人を認めます。
このような新婚に来たヨセフであるということを覚えていきましょう。
最後 そして今日の一つの重要なところ3番目は
息を引き取り埋葬されたイエス様ということを少し詳しく見ていきましょう 15章の46から47にこう書いてありました
ヨセフは天布を買いイエスを下ろして天布で包み 岩を掘って作った墓に収めた。そして墓の入り口には石を転がしておいた
マグダラノマリアとヨセの母マリアはイエスがどこに収められるかよく見ていた。
今日のですね箇所を注意深く見るとイエス様が完全に息を引き取った そしてご遺体として埋葬されたことが大変重要なこととして強調されているんですね
なぜなら先ほど申し上げましたがこの後4世紀頃までイエス様の復活を否定したり あるいはイエス様は人間の体を持っていなかったと主張する反論がなされた
だから遺体もなかった 例として
幽霊のように復活したという説もあった 気絶していたのが呼びかけ目を覚ましたに過ぎないという反論もあったんです
そのような中でいわゆるハルトや異端的なものも出てきたわけです そういう宗教的な一派まで登場した中で
マルコは証言の一つとしてこのことを書き記しているわけなんです
実は私たちが毎週の礼拝ととがえている人心情もそのような背景の中で作られて 今に至るまで
1500年近く言い伝えられてきているんですねこの部分中木でありますけど 毎週唱えていますよね
イエスはですね ポンテオピラトのもとに苦しみを受け
十字架につけられ死にて葬られ 読みに下り3日目に心の内より蘇り
この部分にあえてですね人間の体を持って苦しみを受けて十字架につけられたこと そして死んで葬られた
読みに下りとまで書いてある わざわざそのことが人心情として作られて今に継承されている
そういう 意味大事な意味が人心情に込められている
イエスの死の証言
毎週数個でも覚えながら私たちはを唱えていくべきでもあるんですね まあそのようにイエス様が完全に体を持って息を引き取ったということが
首都行人心情にも明言されています そして繰り返しますが今日の箇所には
この ことがさらに詳しく証言されているんです
イエス様と共に外来から足を運んだ女性たちが最初に出てきますし 最後に出てきます
そしてありまたやにおせふが長登場しますこれらイエス様のことを信じてきた人たちです けれども
最後に2人の女性 雨最初にこの遠巻ですがイエス様の弟子とも言える女性たちが11回で息を引き取る
イエス様の姿を目撃して証言承認となっているんです そして
2人のマリアと 2人のマリアが今日の最後出てきますが彼女たちはですね
ありまたやにおせふが 丁寧にイエス様のご遺体を処置してそして
お墓に安置したということを目撃していたと書いてあります この15章の47の最後にですね
イエスがどこに収められるかよく見ていたって書いて そこにマルコは動かぬ証拠を
込めているわけなんですね 実はですねこれ余談になるんですけども
今日のこのイエス様の場合のように 息を引き取って2時間後に埋葬した
それはその中で あるいはですね
気絶しただけで息を引き返すか吹き返すかもしれないということを本気でですね 当時のユダヤでは信じていた人たちというかですね
考えていた人もいたので この復活の出来事にありますように
2日後にですねわざわざお墓に行って行為を塗って まあ本当に気を引き取っているかということをそこでも確認したということもなされていた
そうなんですね そしてこのイエス様がかけられ
埋葬されたお墓ですけれどもいわゆる横穴式のお墓です 石灰岩をくり抜いて
おおよそ 縦横1.8メートルと2.7メートルぐらいの広さが普通だったと言われています
ちなみに当時のお墓イエス様の墓ではないんですけども 今はエルサレムに残っていたりとか
イエス様のお墓があったというところは教会になっていますけれども 歴史的にほぼそこにイエス様のご遺体が埋葬されたという場所にですね
聖墳墓教会という教会があると言われています まあそれは余談ですけれども
そのくり抜いた穴にですね
約直径1メートルの円形の石を置きました 1トンぐらいの重さがあるそうです
そして 入り口にこの石を立てかけるんですけれども重いですから墓よりも少し高いところに
この石を置いて日本のふすまや障子のような溝を下に作りまして その溝に沿ってこの石を上からゴロッと転がす
そのようにして 墓の蓋を重い石を置いてしたということがあるようなんですね
なぜそんなことをしたかというと 墓を荒らしに来る盗人がやっぱりいたそうですね
そして やっぱり墓が開いていると
獣が入ってきてですね遺体を食い散らかすところがあったようです そういうことを捨てるために重い石の蓋をしたというわけですね
このように まあ
復活の希望
あえて言えばユダヤ人の側からイエス様が息を引き取って埋葬されたということが 女性たちの目撃したということと
ヨセフの手厚い葬りによって丸面証言されているわけなんです そして実はローマの側からもイエス様が完全に息を引き取ったということが確認されています
お気づきになったと思いますが少し前に 15所40404445節に終わりましたね
ヨセフから遺体の先渡しの願いが来た時に ピラトはイエスがもう死んだのかと驚いたそして
100人隊長を呼び イエスがすでに死んだのかと死んだのかどうかを尋ねた
100人隊長に確認するとピラトはイエスの遺体をヨセフに避け渡した いつも通り簡潔に詳しくマルコの文書を書いてありますね
実は当時十字架の上で息を引き取る人は割と長く十字架の上にいたって言うんです だいたい出血し
血がですね失われて死んだりするでイエス様が 十字架にかけられた朝9時から亡くなるまでの6時間絶命した短く
時間絶命したって中には 2回ほどですねまあ麻酔にあたる武道士を拒否した
痛みを全部受け止めたということもあったようです そのこともあってわざわざ
この福音書には 短い間にイエスが絶命したということをピラトが驚いたって書いてあるんですね
しかも先週申し上げましたが死刑の執行と このイエス様が息を引き取って死刑が終わったということを確認する
100人隊長イエス様の前にいた100人隊長にまでピラトはイエス様の絶命したかどうか ということを確認したとわざわざ書いてあるわけなんです
繰り返しますがだいたい長い人はですね1週間ぐらい 十字架の上で気絶しながら
生きながらえていたと説もあるわけです そんなこともあってピラトは
驚いて100人隊長に 確認して息を引き取ったということを
確証したわけなんですね そして繰り返しますがあえてそのことが
繰り返されて記されているんです ピラトは驚き
立合院の100人隊長がイエス様の絶命を確認したということがあえて記されている そういう意味があるということなんですね
少し長くなりましたが私たち特にクリスチャンはですね 読み慣れていてさらりと読んでしまうイエス様の埋葬物語です
しかし 実はこのようにイエス様が完全に息を引き取ったということが
明確に明かしされている そのような役割がここにあるわけなんですね
こうやってイエス様の埋葬物語でさえイエス様がご自分の命をもって私たちを贖って くださった神の子である
救い主であるということが明かしされている そのことを改めて知ることができれば幸いだと思います
パウロもイエス様の復活をですね明かしする中でこのイエス様の死 埋葬ということを大事なこととして述べています
ちょっと 難しいかもしれませんが読んでみましょうか
私がから3はい私があなた方に最も大切なこととして伝えたのは私も受けたことで あって次のことです
キリストは聖書に書かれてある通りに私たちの罪のために死なれたこと また葬られたことです
失礼しました
はい失礼しました はいそれではですねちょっと最後
ズームが見られてしまいましたが大事なことはキリストは聖書に書かれてある通りに 私たちの罪のために死なれたことまた葬られたことです
パウロも明かしてそのことも覚えながらイエス様への信仰をますます確かなものとした 意味で答えたいと思いますお祈りします
救い主なりイエス様あなたの名前を賛美いたします あなたは十字架の苦しみをすべて受け止めるために
もつ薬を混ぜた葡萄酒水葡萄酒を拒否されました そして命絶え
墓に埋葬されたそのような救い主であることを今日覚えることができました あなたは命をもって私たちの罪をあがなってくださったことを感謝いたします
そしてそれをやがて復活の希望へとつながっていきますがどうぞ私たちがこのイエス様の 誠に死なれたということの意味そして復活に至ったその希望をますます深く知る
ことができますようにどうか導いてください この願いと感謝を私たちの救い主主イエス様のお名前によってお祈りします
アーメン それでは1分ほど黙祷して祈る時間を持ちましょう
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