00:04
おはようございます。先週の礼拝に出席させていただきました。この14日は、ユン先生の認職式となりますので、その前に一度出席した方がいいだろうということで、そのようにいたしました。
名谷教会ということについては、早くから名前は存じておりましたが、教会に来ることは今回初めてでありまして、住まいが塩屋なもんですから、近くなので、それじゃ私もということで。
先ほどお祈りの中だったでしょうか、ユン先生のことについてというよりも、私のことがお祈りの中で祈っていただきまして大変感謝しておりますが、私は主幹者ではなくて、主幹者はユン先生であります。
ただ私は、先日も言いつつか思って、私がその日、教団の牧師として53年間勤めてまいりましたが、定年制が数年前から設けられまして、それで定年ということで大使館を築いてきました。
ただし、今度は食卓として必要なところでもって奉仕をするようにという、そういうお助けがありまして、それでユン先生が今回私たちの教団でも初めて韓国からの先生としてお迎えする。
その一方、この方は御祈福御栄光教会でやはり先教師として来られた、それとはヤン先生、こちらはユン先生で、もう一つ私の頭の中でどっちだったかなと思ったりもするぐらい、このヤン先生はそういうふうに私たちの教団の今度は教職として、今御祈福御栄光教会についてこの奉仕をする。
ユン先生は初めてなのですから、それで最初はアドバイザーとしてというお話でしたが、アドバイザーというのは教職にはないんですね。あるのは申し上げたように食卓という制度が設けられている。
実はそういうことも、ちょうど私が何年か前まで教団の委員長をしておりました時に、そういう引退制度もそこにその時の教団総会で承認されました。そこに引退牧師の処遇の一つに、今申し上げたような食卓というものを設ける。
03:10
そしてこれは、教団と教会と本人との間で一年更新で辞めることもできれば委員長することもできるんだというような、そういうことまで決めたのかなと思うんですけれども、そうだということを昨日あらためて教えられて。
ですからこの一年間、非勧牧師としてのユン先生ですけれども、私は特にこういう宣伝機器とか宣伝機器があるときにその任命が当たるように。ユン先生はオンライン、韓国の方で政教室の任命を受け取ります。ですからそういう宣伝も政策も全部できるんですけれども、一応この教団に入るということで補教師からということになります。
ですから補教師は主管者になりますけれども、そういう例例はこれはできないものですから、この一年間は再突破するようにということで、今回先生の任職式と、そしてその前に生産指導を行うようにしてまいりました。
時計が二つありますから、よく確認をしながら、向こうの時計は見えにくいんですけれども、こちらの時計はちょうど11時でありますから、予定の時間の中でもってまずお言葉をともにいただきながら、そして後に生産をご一緒に受けしたいというふうに考えております。お祈りをおしたいといたします。
礼組司会、御在県の信濃神様、こうしていつか明けてのこの新しい年度、あなたの私たちにお分かりくださったこの2013年度を、こうしてともにスタートすることができましてありがとうございます。
どうぞ、特に私たちの教団に迎えられたユン先生が、このように三和谷教会の牧師として、今この礼会の中においても、改めて任職を行いますけれども、神様がどうぞ、さらに先生の学びを、あるいは経験を、そして何よりもその信仰と祈りとを用いて、
本当に主の御胸に立つ教会として見舞い立っていくことができるように、後に役員の任命式等もございますが、神様がどうぞ、先生を支える役員の人たちの上にも、豊かな礼の恵みをすべき、与えられたところのその責任を果たしていくことができるように導いてください。主よ、スキリストの皆によってお祈りをいたします。
阿弁。
06:25
その、そこに覚えながら、礼拝をする。天井に行かれた方々。その役員がですね、私が行ったときには、高壇の後ろにざーっと置かれるわけですね。山と住まれるというのはこういうことかなと思いましたけれども、それが全部向き合ってですね。ですからその写真に圧倒されるような思いがいたしました。
で、毎年亡くなる方も、特に高齢化されているこの時代ですから、私が4年間、一丸教会で奉仕する中で天国に送りました人数は、確か20人、30人近いじゃなかったかなと思います。
私がその前に使わされておりました平方では、30何年だったでしょうかね。で、そのときはまだそんなにはなかった。ですから30何年で天国に送った方々を、この4年の間に一丸教会で、距離をお送りするというような、そういうことからございました。
ですから近い方もおられますし、また一体この方はどういう関係の方なんだろうかと、教会の方に聞いてもさあどういう方でしょうか。そういうこのですね、この仏教でいうと無縁仏みたいな形の、そういう知らない方々も、この写真がそこに書かれておりますので、
そういう中で先週は270人ほど、天国会員を合わせますと、しかもおそらく300人を超える合同の礼拝が行われる。で、こうしたことからは単に教会の行事として行うというよりも、やはり私たちがイエスキリストの復活ということにおいて、こういう希望も与えられた。
そうしたことを基として、合同の記念礼拝をするということで行っておるわけですね。
明沢教会もそういう礼拝があるんでしょうかね。私の前の教会でも同じようなことをやっておりました。ただ、写真をたくさん飾るということはもうしませんで、現在のファーポイントでもって、もうポイントとして亡くなった方を紹介しますときに、それがぽっとこうする。
説明している間に、その人のスナップでしょうかね。そういう普段の生活がどうだったかという写真もそこに入れながら、そしてこの思い出の時を持つというようなそういうことをやっておりました。
09:12
人丸教会の場合は、それだけで礼拝が終わってしまうという形になりますから、そうはいたしませんでしたけれども。しかしそれもこれもね、私たちには復活という希望があるからでしょう。
これも前の教会のことをまた申し上げるんですけれども、その新しく、農活動と言いましょうか、オファーコアをですね、教会が動けたときに、やはり御言葉を置かなくちゃいけないだろうと。そしていくつかの御言葉がそこに浮かびました。
そこで入れまけたのが、こちらのようにコリン・トザヤキン・セガミ・ノチュー・サンショウの最後の言葉。信仰と希望と愛とという、その中の希望という、それをこの墓標に入れましてね。
私は自分ながら、ああ、やっぱりよかったなあ、信仰と愛と希望と、なんかそうなるとみんなそれぞれ大切ですけれども、希望というところにポイントを置いて、そしてそれをこの墓石に刻む。
私たちはどんなことがあっても、イエス様が復活されたということにおいて、こういう、それこそお墓で終わるんじゃなくて、私たちはそのお墓の向こうに本当の希望があるという、私たちの信仰を告白する、そういうこの墓標として、そこに記したということに大変感謝をしております。
私は今改めて、このヨハネのこの二十章、このところですけれども、私たちが皆それぞれ、イエス様がよみがえられたということを通して、彼らがどのようにそのことを通して変えられたかという一つが、この十九節からでもよくお分かりになるかと思います。
イエス様がよみがえられたというこの事実を、あの婦人たちから聞いても、彼らはそれを素直に信じられる、受け止められるということにおいてはできなかったんですね。
ですから、それこそごのニュースですけれども、それを聞いた私たちは、なお、おくまった部屋でしょうか、とにかく部屋の片隅という表現が故意的ではいいのかもわかりませんが、息を殺すようにしてですね、その周りのこの同棲と言いましょうか、様子を伺う。
イエス様を十字架につけたあの力が、あの政治的な力も加えて、そういうこの宗教的な力も、皆自分たちに本当は向けられていくのではないか。
12:06
ですから彼らは、イエス様が復活されたということを聞いても、いきなりそれを信じられたわけではないんですね。
今日二十三節まで読んでいただきましたけれども、その後にはトマスのことが出てまいります。
彼に立っては、このイエス様がおいで下さったこの場面に、彼はそこで言わせなかった。
そして彼がそれを聞いたのは、さらに一週間遅れてですね、ですから彼は、それこそ皆が喜んで復活のイエス様をそこで礼拝しているにもかかわらず、彼だけは信じられないと言ってですね、あり得ては無駄な一週間を彼は過ごしたと言ってもいいわけですよね。
ですからね、毎週の礼拝がどんなに大切か。私たちは礼拝は、よみがえられたイエス様をそこに覚えながら、この方に対する礼拝ですから、それこそ毎週の礼拝がイエス様なわけですよね。
その場に言わせなかったということにおいても、トマスのようなですね、冷たいと言いましょうか、遅れをとるような、あるいは信じられないというような、もう悶々とするような一週間を過ごすのではあってはならない。
ですからみんなが集まって、そして礼拝するときに、一緒によみがえられたイエス様を礼拝できるということは、なんとかしやなことか。
けれども、このお言葉、お順序を見てまいりますと、彼らは、それは19節に書いてあります。
時代人を恐れて、戸が閉めてあったが、と書いてあります。
今、申し上げたように、イエス様に向けられたあの恐ろしさが、十字架にまで追いやってしまったあの力が、いつ何時自分たちに来るかわからないという、その恐れというものがここに彼らはありましたから、
ですから、戸を閉めて、そして息をしとめて、彼らはあたりの様子を伺っていたというのが、そこですよ。
けれども、イエス様は、そういう枯れ上がらかに、その姿を現しなさって、そしてイエス様の最初のメッセージは何ですか。平安があなた方にあるように、ということですよね。
恐れて生まれた彼らにとって今聞くようなのは、この平安なわけですよ。
よく耳に聞くのは、キャロンというこの言葉ですけれども、文字通りこれは、神様の平安があるように。
十何年間前にイスラエに参りました時に、ちょうど司会のほとりでもって、そこには死をにされてしまった、誰でしたかね、あの奥さん。
名前が出てきませんけれども、ロトの奥さん。
15:05
そこに行きまして、これは死をにされてしまったロトの奥さんと言って、何となく言われてみたら、そんな感じもするしなというようなことで。
そこに、遠足か何かで来ておりました、ユダヤ人の子供たちがおりまして。
そこで私は、シャロームという言葉がどの程度通じるのかなと思いまして、シャロームと言ったんですよ。
そしたら、シャロームと言ってまた来てきまして、ああ、この言葉言っているんだなと思いましてね。
それからバスに乗って去っていく子供たちに、シャロームと言って背を振りましたけれども。
私は改めてこのシャロームという言葉、関西ではよく言われておりますように、もうかりまっかというのが、何か挨拶のことだと。
私のような東北の人間にとってはですね、ええ、そういう言葉が挨拶かということで、最初聞いたときに思いました。
そうおっしゃるようなそういうアキンドさんたちもいるか分かりませんけれども、まさか今ですね、若い人たちがもうかりまっかなんて言ってですね、日常の挨拶に使うことはなかったりするけれども。
それぐらいのこの言葉として、シャローム、あなたに平安があるように、それはもう平安だけじゃない。
もう肺炎もあれば健康もあれば、いろんなものがそこに含まれているという、もう聞けば聞くほどですね、知れば知るほど内容の豊かな、そういうこの言葉なんですね、この言葉一個で。
しかし、最初に向けられたのは、平安があなた方にあるように。
これはさっき、このありふれたところの挨拶用語ではないんですね。
本当にこれらに必要なのはこれなんですね。
恐れをなしておりました、怯えておりましたでしたし。
イエス様が復活したんだ、されたんだということを聞いても、なおこの日を見られないで、そして恐れておりました彼らにイエス様がその姿を現しなさった。
そしてイエス様はそこで、彼らに手と脇腹を示されたと書いてありますよ。
三日前の出来事が、彼らはその時にもう一度蘇ってきたでしょう。
復活されたイエス様には、もはやそういう事柄はないのか。
確かに栄光の姿に変えられたイエス様ですけれども、しかし私たちのために終始下に落ちてくださったというこの印は。
ですからこの時のイエス様はその姿で、私は今も天井において、そのお姿をもって私たちのために取り成してくださっている。
18:06
私はイエス様のお姿の中には、復活されたお姿の中には、伝説学校で目撃したあの十字架においての、あのイエス様の痛ましいそれがそこにあったわけです。
そのお方が復活されたという、この現実を彼らは今ここで始めてくれたんですね。
彼らは死を見て喜んだとその後に続いております。
おそれは、イエス様のお姿を見た時に、復活されたその実を彼らが知った時に、改めて彼らの中に喜びがそこで持って与えられているという、
それこそ、この言葉の順序通りという姿ですね。
復活はこういう、あり得て爆発的なこの喜びを復活に与えたということは、この後の様子から見てもお分かりいただけると思います。
復活はですから、最初に申し上げたような、突然天国に行かれた方々を偲んでですね、やがて私たちもという、それもありますけれども、
けれども私たちの救いが、これほどまでに確かなものとして、私たちはいろんなおそれがありました。
そういうおそれの中でもって生活をしておりました者が、そのためにイエス様をお十字架にお付き下さって、こんな私の救いのためにもお十字架にお付き下さった。
くださっただけではない、その方がそのままの姿でもって蘇ってくださったという、この事実の前に彼らは改めて十字架と復活という、このことの大切さを彼らは目が開かれたと言ってもよろしいかと思います。
そして彼らはその時に本当の喜びをここで経験するわけですね。
この喜びはこれからの彼らの歩みの中において大きな力になります。
パウロはあの子人との教会にあなた方に最も大切なこととして伝えたい、聖書が教える私たちにとって最も大切なことという、そこにおいてパウロはこのことを述べていますよ。
イエス様は私たちのために十字架に過ぎて、そして葬られたこと、三日目によみがえられたことなんだ、これが私の福音として皆さん方に伝えてきている。
21:05
そしてパウロはですね、このことを伝えました。そしてそれによってもたらされたこの喜びというものを今度はこのフィリピンの教会の中に彼らはそれを目撃し、そしてまた本当にこの教会がこの喜びをもって満たされた教会だということにおいて、
この生み出されたこのフィリピンの教会を喜びの教会というふうにもパウロはその教会に対しての一つの名前をつけるほど喜び、喜ぶこのフィリピンの教会。
そしてこの教会ももちろんイエス様の十字架と復活というこのことを通して、彼のうちに喜びというものが新たな力になって、そしてヨーロッパ伝道の先駆けになっていったわけですよね。
世界伝道がこの教会を足中にして、そしてやがてそこから広まっていった。何の力になりましたか?喜びなんですよ。と言っても過言ではない。
私はこの言葉の順序と、私たちに表されたイエス様のこの私たちのためになされたこの順序を見てまいりますと、こればかりでも私たちはなんと大きな救いのその喜びの中に今日あることかということですね。
ところがイエス様はこのことを基にしながら、ここで二十一節、イエスはもう一度彼らに言われた平安があなた方にあるように、父が私を使わせたように私もあなた方を使わせます。
父が私を使わせたように、私もあなた方を使わせます。
この十字架と復活というこのイエスキリストを通してなされた、そして表された、あるいは授受された私たちのこの救いは、見事なまでの父と子の共同の働きとしてそれが私たちに向けられた働きですよ。
しかもそのためには父なる神が子なるイエスキリストに全服の信頼を得て、全権をこの方に託して私たちの救いのために使わされたわけですよね。
イエス様は父と子の関係というものを私たちに向けられたんですよ。
24:07
その前にこの父と子の関係というものが、いざ私たちの罪の救いのためには、子の関係すらも、これをイエス様は失われたわけですよ。
それは十字架にお付きになる直前のイエス様、あるいは十字架事業においてのイエス様の祈りの中にもそれが分かりますね。
これほどまでの全服の信頼、信任を受けて、そして父も子も一体となって、そして私たちの救いのためにこの世においてくださったお方です。
また使わせなさった知らぬ神ですが、最後の私たちの罪の赦しのためには、その関係すらもそこで打ち断らなければならなかったということです。
イエス様は、あのゲッセマナの祈りのそのにおいて、できれば子の子の罪は受け止めたくない。
十字架の苦しみがあるからじゃないんですよ。
そこまで父と子の関係というものが密接にして一体であったこの関係が、私たちの罪の赦しのためにはこれも防止しなければならない。
このことのためにイエス様は使わせてきた方ですから、ですから、できればこの坂敷を、と願ったけれどもひかつきを、あなたの身にころをなしてください。
しかしそれはまた、あの十字架上においてのエロいエロいエマサバクタニ。
我が神、我が神、どうして私をお見せになるのですか。
イエス様はそこにおいて、もう本当に全くしていない方なんですね。
これを理解できない人たちは、自衛執事としてさえも、あの十字架上においての苦しみには耐えられなくて、あんなこの悲鳴をあげたじゃないか。
そう言っているある宗教団体もあれば、そういうことを言う人たちもおります。
確かにそれは伴末の、と言ってもいいでしょう。
受けたその傷の痛みと言うのではなくて、あそこには、父から愛されて、託されて、そして私たちのそこにまでおいでなかった、父と子との関係というものが、そこで全く称われるわけです。
27:16
全く一つであらわれた方が、そこに称われることを私たちは想像できないんですよ。
しかし、こと私たちの救いのためには、イエス様は、父との関係をそこで持って立たれて、そして十字架に死なれたということですね。
イエス様が私たちの救いのためには、そこにまで至られた方なんですが、
言うならば、そこまで父は、このあるこの方を信頼し、そしてこの世にお使わせ下さった。
そのように、私もあなた方を信頼し、あなた方を使わす。
父がイエス様を信頼されたように、そして使わされたように、その関係で私は、今度はあなた方を信頼し、あなた方を使わす、というのがこの言葉ですよね。
彼らは本当にそこまでイエス様から信頼を受けて、使わされていって大丈夫なんだろうか。
つい、二、三日前、見事なまでに彼らはですね、イエス様を捨てたわけでしょう。
イエス様との関係というものが、それこそ、彼らがそれほどイエス様と一心共同されていましょうか、そんな思いで来たにも関わらず、肝心な時が来た時には、
あのペテロドスラもね、あなたがニワトリが三度泣く前に私を拒むだろうと言われた。
その時、彼は理解も何もできない。
いえ、そんなことは他の弟子達が言い出して、私に関してはこんなことありませんと、エクスハグのこのペテロドスラも、しかし十字架に向かうとこのイエス様にはついていけなくなっちゃった。
みんなイエス様を捨てたんです。
ところがここでイエス様は、捨てたはずのこの弟子達に対して、父が私を使わせたように、私もあなた方を使わせる。
これが教会なんですね。
教会というのは、先週もユン先生を通して教会ということについて、これからこの御言葉を真実的に礼拝によっていただかれているわけですけれども、
30:13
どうしても私達はイメージとして教会道というものを考えているんですね。
しかし、そうではないんです。
私が教団務員になりかけのときに、アムセンダムでもって、世界伝道者会議という会議がありましてね。
ちょうど私はその伝道局長という責任をそこで持っていけたものですから、当時の船田武夫という教団委員長が立てられて、そして一緒にその伝道者会議に参りました。
そこに一万人からの人たちが集まっているわけです。
その合間にアムセンダムという町を見たんですけれども、そしたらもう素晴らしい街道があそこに建っているんですね。
ほーっと思って、見事な街道ですから、ゴシックの。
それで私は写真を撮ろうと思っているんですけれども、なかなか収まりきれないんですね。
で、あるところからやっと撮れた。そのときに気がついた。なんか目の前にある看板があるんですね。
何の看板かなと思って、写真を撮り終えて、そして近づいてきました。For Saleって書いてあるんです。
売り出されているんです、教会が。
そしたら他の団体の人がですね、日本芸術教団、アムセンダムに教会、これ買ったらどうですかなんて教団を入れてキャッチ入れてきたのかと思うんですけどね。
で、それもそうだね、とか言ってこっちも教室に持ったような感じで持って。
しかし収まりきれないようなこの街道。
よく見たらぺんぺん確定んでしょうか、雑草がそのあたり生えて、手入れもされていないというのがよくわかりました。
その弁当社会議が始まりましたときに、オランダ教会の代表の方が一つのことをこの挨拶の中に入れたわけですが、
それは、毎日曜日の礼拝がありますから、お母さんが息子を起こして、そして一緒に教会に行こうと。
そしたら息子はですね、ベッドの中から、先週も行った、その前の週も行った、どうしてまた行くのかと言って。
その母親にそう言ったそうです。
そしたらその母親が、お前はだって僕なの、その教会の。
実はオランダの教会のこれは、ジョークじゃありませんけども、そういう現実もあるんです、ということを聞いて私も驚きましたけどもね。
33:01
教会道は立派に建っているんです。
フランクがこの人でおりました、その部屋から見る教会も計画いたしましたけども。
いろんなところに教会があります。
教会道はあるんです。
しかしながら、その教会が教会としてのその信仰がどこに繋がれてしまったときに、
ペペンさんが入って、フォーセルと言って、何かお売り出しみたいにして、この売り物の一つとしてから出される。
建物は確かにそうかもわかりません。
一体この売り出された教会の人たちはどうしたんだろうか、どこにしていたんだろうか、今何をしているんだろうか。
人がだんだんいなくなって、そしてもうその売りに出ちゃうんだろうか。
オランダの教会がこうなっているんじゃないんですよ。
私が前におりましたそのところでも、教会道はあるんですけども、信者さんがいなくなっちゃったんですね。
そしてそれを見撲しているその先生の教会から、
あの白方希望教会どうですかということで、本気になってそこを買おうかというようなこと柄もありましたけどもね。
日本でもそういうことが現実にあり得るということは、私は一つのこの継承として覚えておりますよ。
私が白方に使わされたときに、その教会を見ながらね、最初から会堂があって開拓前祖するのと。
アパートから始まってそうしてやったんじゃ、これはもう最初からもう勝負がついているわと言って、
だから教団がね、もう全面的に開拓教会にはもう会堂ぐらい建てて、そしてやりなさいというぐらいになってくれたらいいのになというようなことで、
若い私がそういう総会で発言をしたときに、教会はそれによって建つんじゃないんだということをですね、
当時の委員の先生方から言われたことを今でも忘れられないんですね。
その教会は今別の人が来て軽々とやっておりますけども。
もし、会堂をそのようにイコール教会として考えたとならば、私たちは大きなつまずきを感じます。
しかし教会はそうじゃないんです。
イエス様の受益化と復活という、この信仰をベースにしたこの群れ。
しかもそこにイエス様が、あなた方も、私はあなた方を使わすと言ってですね、
そういう大選挙命令をもって、そして、お立てなさった。それが教会です。
ですから、教会も建物の代表はあっても、
ただも、教会が教会としてそこに立っていくのは、あくまでのイエス様の受益化と、
36:06
意思救いと復活されたこの希望と思って。
そしてそこにある新たなこの喜びをもって、そしてイエス様がこんなものにまで御信任の手を、あるいは声をかけてくださって、
そして私たちの教会をここに建ててくださって。それが教会だ。
父が私を信任して、そして使わせなさったように、私もあなた方を、全国の信頼をもってあなた方を建て、
そしてあなた方を使わす。それが私たちですね。
聖書の概念にこういう話が記されているそうですが、それは、イエス様が天上にお帰りになった時に、
天使の大阪ブレイリアン、みんながイエス様を迎えなさって。
日本的に、人間的に言うと、イエス様よくお帰りなさいましたと発表して、そしてイエス様を迎えなさった。
そんな迎え方じゃないんですよ。私たちの目線から言う、遠く行った人が帰ってきた時から、みんな喜んで迎えに来た。
ところでイエス様、イエス様があそこまでなさって、そして教会を建てなさったけれども、
その後のことについては、イエス様はどのようにお考えですか。
その時イエス様は、ペトロはじめとして弟子たちの名前をあげたでしょう。
ところが彼らは、けれども彼らはみんなイエス様を裏切ったじゃないですか。
それでも、ひとりの彼らに、どうしてその後託しなさったんですか。
その時イエス様は、私は彼らを信頼し、彼らを愛しているからだと。
イエス様との私たち教会の関係はその関係ですよね。
信頼し、そして私たちをこの世に向けて、そして宣教に私たちを建てなさった。
しかもそこには、イエス様が本当に私たちを愛してくださっているという、それがあってのこの教会です。
イエス様は、地上に残されたその群れに対して、
彼らがここにどう失敗をしようが、それが今の課題ではない。
今の課題は、それでも私は彼らを信頼し、彼らを愛している。
39:02
戦死たちはもう誰も反論する者はいなかったと。
そういう話が外線に載っているそうです。
私はペイリックのメッセージの中でそれを大変興味深く印象に残っておりますけれども。
それが今日の私たちの教会なんだ。
どんなことがあっても、イエス様は私たちを信頼してくださっている。
そして私たちを愛してくださっている。
ですから、イエス様は、そのことがさらに具体的に進めるために、
この二十二節を見ますと、そしてこう言われる。
こう言われると、彼らに勢いを引っ掛けて言われた。
聖霊を受けなさい。聖霊を受けなさい。
この約束は、やがて一行でのあの二行において、
このイエス様から五百人余りの人々が、その復活のイエス様にお会いし、またそのメッセージを聞いている。
それでも、本当にこの聖霊を受けなさいという、このお言葉を自分のうちに経験したのは、
残った百二十人ばかりのあの是非達、他の人たちはどこへ行っちゃったんでしょうか。
それでも百二十人が、聖霊を受けなさいとイエス様のその約束の言葉を文字通り受け止めて、
そして彼らは祈り祈り、そして祈っていたところに、やがてこのお言葉が成就し、
彼らは教会として改めてそこで建てられて救わされていった。
一行でのその記録ですよね。
そして今私たちは、その記録を継続する教会の一員としてあるわけです。
あなたも父が私を使わされて、私もあなた方を使わせ、聖霊を受けなさい。
私はこの牧師職をいただいて、ちょうど53年を経てまいりました。
ですから先週ね、お伺いしましたら、顔見知りの方も時におられますし、初めての方もいらっしゃる。
これがね、顔見知りばっかりだったら困るわけですよね。
教会は発展していないわけですから。
でもその都度行くたびに、ああ、こういう新しい人が来ているんだなということによっても、
とにかく神様の素晴らしい働きを見るわけです。
42:02
しかしまた当時にですね、昔お会いした方々とお会いできているということによっては、
私の家内なんかも、三岡の教会初めてだけどと言いながら来てみたら、いや、この人もこの人。
それで彼女が検診するときに、兵庫教区の青年部かな。
みんな署名入りのスポンジョンの朝ごと優吾とのそれを持っておりまして。
そして見たら三岡さんの名前も書いてありましてね。
それこそ、安田さん、結婚する前の皆さんの名前ずっと書いてありました。
えーと、そして応募したんじゃなくて。
今、音響のほうをやっている。
応募したんとかね。皆さんの名前が書いてあり。
そしてそこには、その中に何人かの人たちが検診して牧師になって。
そして三岡さんも残念なことにですね、このおられるわけですけども、
そういう方々の名前を見たときにやっぱりそれは、ああそうだった。
解析に。そして今もその交わりが継続しているということによっては。
それは新たな会社がここに生まれます。
私たちはそういう関係の中において来るわけですが、
私は本当にこの53年ということを考えますとね、
我々よくここまで来れても、やっと定年、
まあやっと定年なんですけども、定年を迎えるまで危ないと決まりましたよ。
いろんなことがありましたよ。
もう辞めちゃおうかなと思うことも正直ありましたよ。
けれどもその都度その都度ね、
熱に当たったこのお方の名刺のことをもう一度そこで確認して、
それがあったらこそ今日まで来れたと言ってもいいかと思います。
もちろんそれぞれ教会において放出する間、
その教会の人たちが本当に祈ってくれた、拝まれてくれたということで、
まあこうして50数年ですね、守られてきたということを感謝しております。
そして何よりもこんな私をね、
父が私を信頼したように、私もお前を信頼してお前を使おうと言ってくださった、
このお方の声がいつもありました。
だから今日はあるんですね。
そしてそれは私というこの牧職に就いた者に向けられた言葉じゃないです、これは。
私も教会に、教会に属する一人一人に向けられた、
イエス様の御信任のこの派遣命令ですよ。
この言葉をしっかりと受け止めてまいります。
お祈りをいたします。
恵み深い主よ、本当にあなたのお言葉を牧職にいただきながら、
父が私を使わされたように、私もあなた方を使わすと。
あなたはそのことのゆえに、岩谷教会をここにお立てなさい。
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また、この教会の群れの一人一人を、その御信任のことをもって使わせかさっていることを感謝します。
願わくばどうぞ、本当にこれからのこの2013年度の働きが、
死ぬ前に高の実を結んでいくことができるように、今私たちを整えてください。
祝礼する人の皆によってお祈りをさげたします。
今ご一緒に近く一言のお祈りをさげたしましょう。