2021-10-31 28:09

#79 2021/10/31 ひとつの体として

エペソ-16からの礼拝説教。2021年10月31日録音。コロナ禍において人とのつながりの大切さをあらためて知りました。今日の箇所でパウロは、教会に属する1人1人が一つの体に属する器官のように、有機的な関りを持ちながら、完成に向かって成長すると教えています。それを踏まえて1.キリストの身丈を目指して、2.愛の絆のうちに一つ体として成長する、3.一つ体に属するそれぞれが成長する、という3点から学びましょう。

00:03
エソビトへの手紙、4章11節から16節。
こうして、ギリスト御自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師、また教師としてもたてになりました。
それは、聖徒たちを整えて、法師の働きをさせ、キリストの体を立て上げるためです。
私たちは皆、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。
こうして私たちはもはや、子供ではなく、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略から出たどんな教えの風にも吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、
むしろ愛をもって真理を語り、あらゆる点において、頭なるキリストに向かって成長するのです。
キリストによって体全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに立てられることになります。
以上です。 今日はこのところから、
一つの体として、一つの体としてと題して、御言葉を取り付けます。
みなさんおはようございます。 10月も今日で最後の日曜日となり、そして最後の日となりました。
今日はまあ、説教で触れませんが、衆議院選挙の投票日でもあります。
残り、コロナ禍に追われた2021年もあと2ヶ月となるわけです。
いろんな思いがあるかと思いますが、そんな中ですが、御言葉から学んでいきましょう。
いろんな意味で、コロナ禍の中で分断や絆が壊れたとありますけど、一つの体ということから学んでいきたいと思います。
今日、カギの聖句、長いところなんですけども、16節を挙げてみました。
前に挙げました。読める方、読んでみましょう。
キリストによって、体全体はあらゆる節々を支えとして組み合わされ、繋ぎ合わされ、
それぞれの部分が、その分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに立てられることになります。
03:04
今日の箇所をまとめているのが、この聖句です。
カギはですね、一つの体が、体の中のいろんな部分が有機的に結び合って、体全体が成長していく、そういうイメージ。
キリストの体である教会と、そこに属する一人一人を、そのようなイメージで捉えるということになります。
先週は、賜物について話しましたね。その前は一致。
一致しながらも、それぞれが違った部分、賜物をそれぞれ与えられている。
そして今日はですね、パウロが冒頭の部分で、教会の指導者について語っていますが、
指導者に限らず教会に属する一人一人は、精霊によって賜物が与えられているという、それが真実ですね。
その上でパウロは今日の箇所、内容を発展させています。
今日は三つの点を学んでいきますが、まず一つ目がクリスチャンと教会のゴール、そして二番目が互いの絆、三番目はそれぞれの成長という点から学んでいきます。
まず大事な点、キリストの見たけを目指して、キリストの教会やクリスチャンのゴールとして、キリストの見たけを目指すというのがあります。
読んでいますね。
それは、生徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストの体を立て上げるためです。
ちょっとここから読みましょう。
私たちは皆、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた見たけにまで達するのです。
先ほども申し上げましたが、パウロはこの部分で、当時の教会の指導者のリストを挙げています。
今の私たちと関わりのあるものは、ここに挙げていませんが、11節の中でいろんなリストがありますね。
使徒や預言者、伝道者、それは今の教会とは直接関わりがありませんが、今の教会とは直接関わりがあるのは、牧師と教師です。
それをわかりやすく言えば、二座式教会で言えば、私がその立場にあるわけです。
その教会の指導者の役割というのは、今冒頭に掲げた聖句のように、
生徒たちを整えて法師の働きをさせて、キリストの体を立て上げるためだ、と言うんですね。
私の役割はそういう役割だ。
ただ、そこで終わらない、その究極的なゴールこそ、私たちクリスチャンが知るべきことなんですね。
06:08
教会とクリスチャンの究極的なゴール。
それはですね、体に属する私たち一人一人が知るべきゴール、それはここにありますが、
キリストの満ち満ちた見たけりまで達するということなんです。
前からクリスチャンのゴールを言っていますが、それはキリストのに姿に完成させられることです。
エイカとエイカと言いましたね、私たちは日々の歩みの中で罪がなくならないですから、
イエス様の十字架と師匠による許しを確認して、清められていく。
そしてエイカというのは、罪なきイエス様と同じ姿に天で変えられるということです。
このキリストの栄光の姿へと完成させられる、どういうことか。
イエス様は罪がない完全なお方です。
愛と正しさにおいて完璧なお方です。
多くの信学者が言うように、人間の本来あるべき姿がイエス様に見られるわけです。
それがですね、私たち一人一人のクリスチャンが目指すべきゴールであり、
キリストの体である境界が全体として表す人間の理想の姿というわけなんですね。
ヨハネの福音書の1章14節で、人となった神であるイエス様のことをこう表現しています。
この方は恵みと誠に満ちておられた。
それはどういうことかというと、愛においても正義においても完全であったということなんですね。
そのような愛と正しさにおいて完璧なイエス様の実姿が、私たちクリスチャンや教会全体が目指すべき究極的なゴールだということを知っておいてください。
最初の点はそのことです。
実は今日の箇所でそれが言い換えられているんですね。
4章の13節、前にも示してありますが、
1人の成熟した大人となって、キリストの導した見たけにまで達する。
4章15節、あらゆる点において、頭であるキリストに向かって成長するのです。
4章16節、キリストによって体全体は愛のうちに立てられることになります。
これが2番目に入ってくるわけですね。
09:01
1番最初は、クリスチャンや教会のゴールはイエス様の見たけにまで達するということです。
2番目、ゴールを知ることは大事ですよね。
先週、セリーグ・パリーグの優勝チームが決まりましたし、
昨日はJリーグの1つのタイトル、名古屋グランパス8を獲得しましたけれども、
優勝を目指すんだという明確なゴールがあるチーム、それは強いです。
同じように私たちクリスチャンの明確なゴール、それはイエス様に姿を目指す。
それがクリスチャンであり教会だ。それを覚えておいてください。
2番目はそれと関係するのですが、その中で愛の絆のうちに1つの体として成長する。
このですね、結び合わされていく。2番目のこと、こういうことを覚えてください。
体としてそれぞれが結び合わされるという概念です。
パウロはこれまでのようにここの箇所でも2つの例えを使っています。
建物が組み合わされて完成するイメージ。
もう1つは体がいろんな部分が結び合わされて、1人の人間として完成していく、成長していくイメージです。
特に体に関して言えば何かを言いますが、有機的にお互いが結び合っているということです。
16節でもさっきも言いましたが、このように体全体はあらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされる、そして立て上げられる。
このですね、この部分、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされるというのはですね、英語のNIB訳ではこうなっているんですね。
By what every joint supplies.
ジョイント、別の英語の訳ではですね、リガメントと言います。
リガメントって何かわかりますか?それはね、手足。
ここでですね、パウロが持っているイメージはですね、ジョイントというのは各関節が供給する栄養分という、そういう直力なんです。
パウロはですね、今の私たちほど解剖学に詳しくなかったので、こう考えていたようです。
人間の手足や関節が結び合わさっているから、人間の中で栄養分がお互いに行き渡っていると考えたんですね。
そういうイメージです。
今回でも毎月2回やっている、第2日曜日にやっているがん哲学外来カフェ、そこのがん哲学の創設者の日野先生は、日本肝臓論というのを掲げています。
12:06
肝臓は臓器として素晴らしいっていろんなことを挙げているんですけども、肝臓の素晴らしさの一つ、こんなことがあるんですね。
栄養を吸収して送り出す。
前に文章を掲げてありますけど、私たちが食べたものはイヤチョウで吸収されやすい形に変えられた後、肝臓へ送られます。
肝臓でいろいろな成分に加工されると、動脈を通って必要な場所に配られていきます。
例えば食事などから取った糖質は、グリコーゲンとして肝臓に蓄えられ、夜間にエネルギー源として血中に放出されるのです。
このように一人の人の体の中で内臓を含む各器官が互いに結び合って、栄養を送り合っているから、体全体が成長するということです。
これ大塚製薬のホームページから引用なんですけどね。
これから分かるように、肝臓と血管といった場合が変わってきますけども、体は有機的に結び合って、栄養を送り合って成長する。
クリスチャンというのはですね、一人では存在することがあり得ないんですね。どういうことか。
私たち今、健康の事情とかコロナの事情で、教会に集まることができないかもしれません。
でも、お互い関わり合っている。関わり合いの中で生きていかなきゃいけない。
そのことを、この体の肝臓の繋がりからも分かるように、有機的な繋がりが必要だというのです。
で、実はですね、もうちょっと内容を詳しく言いますけど、4章13節に、軸を超えたクリスチャンの大事な結びつきの要素があるんですね。
13節でこういう言葉があります。読める方読んでみましょう。
私たちは皆、神の御子に対する信仰と知識において一つのあり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた御丈にまで達するのです。
ここの秘訣はですね、それは信仰と知識における一致なんです。
どういうことか、同じイエス様を信じているという信仰で私たちは一つです。
知識における一致というのは、イエス様を知ることについての一致です。
15:01
聖書を通して、祈りを通して、日々の経験を通して、クリスチャンはイエス様を知る喜びを体験しています。
イエス様の救いを聖書や祈りあるいは日常生活の中で体験しています。
知識を伴ったこの体験、そのような喜びを共有しあえていることでクリスチャンは一致できるわけなんです。
それがクリスチャンの愛の結びつきということができます。
またパウロはこのような秘訣も語るんですね。
4章15節、読んでみましょう。読めなかったらいいですよ。
愛をもって真理を語り、あらゆる点において、頭であるキリストに向かって成長するのです。
結び合う二つ目の秘訣はですね、愛をもって真理を語り合う関係というのです。
エペソの教会ではユダヤ教の背景のあるクリスチャンとエペソの異教の背景のあるクリスチャンで
互いに対する批判や分裂の危機があったようです。
分裂する人々の特徴は、互いの違いを強調しあって、主張しあって争うんですね。
先ほども言いましたが、先週セッパー両リーグで優勝チーム決まりましたけど、
話題にしちゃいけないものの一つとして野球があるんですね。今話題してます。
それはやっぱり不安熱から、この旧男愛から違いがあって、下手をしたら相手を罵りあって無益な争いを生みかねない。
下手をしたら政治や宗教もそこに入ります。
ここのパウロはそのような違いを強調して言い争うイメージと対比させて、
いやいやクリスチャンは信仰と愛の一致によって愛をもって真理を語り合うと言っているんですね。
違いがあっても相手をいたわる愛、イエス様神様に対する愛、また神様から受けた愛のゆえに
互いに対して愛をもっていたわりの目をもって相手を見ていく。お互いを見ていく。
その中で神様の愛や聖書の真理を語り合っていく。
先週も言いましたけど、救いの証を聞いたりですね。
聖書からこう励まされたなんて言葉を聞くとお互い共感して一致が生まれるわけです。
そのような愛をもって真理を語り合う間柄、絆を通して一つの体として愛の絆が生まれて成長していくわけですね。
18:12
先ほど法師の働きという見言葉が出てきましたけど、
私たちの教会では多くの法師活動があるわけではありませんね。
今コロナ禍の中で教会の調査をしたら、
大きい教会でこれまで活動が盛んであった教会ほど交わりが希薄になったという感じているそうなんですね。
そういう機会がないから。
私たち今、教会で大きな法師や交わりがあるわけではありません。
お互い使い合う機会も少ないです。
だからこそですね、私は皆さんにこうしていただきたいんですね。
お互いのために覚えて祈り合っていただきたい。
そしてまたできれば、現場に来てもオンラインでも礼拝に集ってほしいんです。
こうやって同じ主キリストを礼拝し、同じ主を告白する礼拝という機会にともに集ってほしいんですね。
実はこのように共に礼拝し、共に祈り合っていく中で、
私はですね、教会の中にキリストの一つの体に属する、いわゆる有機的なつながりが生まれてくると信じているわけです。
そうした中で、教会が健全に成長していくと信じています。
そのことと関連して、最後の3番目の点。
一つの体に属するそれぞれが成長していくということです。
これ赤ちゃんの絵が前に出てますけども、一人の人の成長を考えましょう。
赤ちゃんって1年でどれくらい成長するのかなと思って調べてみたんです。
男の子の平均でだいたい身長は1年間で1.4倍。
いわゆる0歳児から12ヶ月1.4倍。
体重は男の子の平均で最低でも2倍に変わるんです。
もし私がそのような成長を来年まで続けたら、来年の私の10月31日の体重は120キロ、身長は245センチです。
アンドル・ザ・ジャイアントなんて勝てるぐらいのですね、大きな体になっていると思いますけれども、
それくらい赤ちゃんというのは1年間で劇的に成長するんです。
でもちょっと考えてみてください。
その時に赤ちゃんの体に属する全ての部分が成長しているわけですね。
21:06
肝臓も成長し、骨も一つ一つ大きくなっていくわけです。
つまりどういうことか。
私たちイエス様の体に属する教会の一人一人、私たちクリスチャン一人一人も各機関として健全に成長していくわけです。
逆に言うと私たちは自分のクリスチャンとしての成長に責任を持って関わっていく必要もあるということなんです。
この4章16節、私もう一回読んでいますね。
キリストによって体全体はあらゆる節々を支えとして組み合わされ、継ぎ合わされ、これさっき言った有機的な結合です。
次にですね、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに立てられることになります。
有機的な結合と同時に体それぞれの一部一部、一人一人が成長していって立て上げられていくということが言われているわけなんです。
働くというのはですね、努力しろということじゃなくて、何でしょうかね、機能する。
ピタリと言い当てることは難しいんですけども、とにかく内蔵の各器官がやっぱりそれぞれの役割を果たして大きくなる。
そんなことも言えるかと思いますが、大事なことは私たち一人一人が一人の大人のクリスチャンとして自分の霊的成長にも関わっていくということなんです。
4章14節でもですね、もはや子供ではなくって言ってるんですね。
もっと分かりやすく言うとですね、私たちは霊的な食べ物である聖書を食べ続けていく。
できれば毎日檻に触れて、聖書の言葉に触れ続けていく。
聖書を読んでもいいし、何らかの形で御言葉に触れ続けてもいいです。
レジュメを読み返してもいいし、説教を聞き直してもいいです。
そして、呼吸とかですね、健全の親子の会話のように神様との祈りによって会話をしていく。
呼吸や会話のように祈りによって神と交わり呼吸をしていく。
そういう御言葉と祈りの生活ですね。
で、その時ですね、私たちは日曜以外は普通の場所に生活しているわけです。
24:04
よくね、教会の最後の祝禱ってあるでしょ、祝禱。
あれは何かというと、覇権の祈りだって言うんです。
礼拝を終えた一人一人のクリスチャンをまたこの世に使わす祈りが祝禱だって言うんですね。
私たちはそれぞれ社会に使わされているわけです。
いわゆるその中で社会の荒波に揉まれる、そういうことがあったとしても、
御言葉と祈りのうちに、死にとどまっている時に、
私たちは固く立つことができるんですね。
そして一人一人がですね、普通の一般人として、社会人として生活することが、
実はクリスチャンとしての証を立てることになるんです。
そしてその結果、私たちを通して神様の栄光が表されていきます。
何も難しいことして、無理して福音を語るとか、そういうことでなくていいんですね。
実はその時に、私たちの知らないところでも、私たちの生き様を見て、
イエス様を信じる人が起こされていく、そのように私は信じていますし、
私は皆さんにそう信じて、この世で歩んでいっていただきたいんですね。
そうしていく中で、私たちの教会に限らず、いわゆる世界大のその教会の中で、
私たちの知らない働きを通して、新しくクリスチャンが生み出されて、
世界規模の教会が成長していくと、私は信じているわけです。
今日は一つの体としてということを学んでいきました。
どうぞそのことを覚えながら、新しい一週、残りの一年、たもに歩んでいきましょう。
最後に、今日読んだ御言葉から、もう一度読んでいきましょう。
私、まず読みますね。
私たちは皆、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、
一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身だけにまで達するのです。
最後、読める方は皆さんで読んでいきましょう。
こうしてから、3、はい。
こうして、私たちはもはや子供ではなく、
人の悪だくみや、人を欺く、悪賢い、さらくりゃくから出た、
どんな教えの風にも吹き回されたり、もてあそばされたりすることがなく、
27:01
むしろ愛をもって真理を語り、あらゆる天において、
かしらであるキリストに向かって成長するのです。
エペソ4の13から15、お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
あなたは私たちそれぞれを違ったところから、
それぞれの賜物を授かったものとして召し出してくださったこと、
教会に集めてくださったことを感謝いたします。
どうぞ、あなたにあって私たち一人一人が養われ、
また、あなたにあって私たち一人一人が互いに結び合い、
愛のうちに、あなたの一人の体として成長していくことができるように、
どうか導いてください。
この願いと感謝を、私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。
それでは、それぞれお一人お一人、主に応えて一分ほどお祈りください。
28:09

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