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手紙4章17節から24節
神の命から遠く離れています。無感覚になった彼らは、公職に身を任せて、あらゆる不潔な行いを貪るようになっています。しかし、あなた方はキリストをそのように学んだのではありません。
ただし、本当にあなた方がキリストについて聞き、キリストになって教えられているとすれば、です。真理はイエスにあるのですから。
その教えとは、あなた方の以前の生活について言えば、人を欺く情欲によって腐敗していく古い人をあなた方が脱ぎ捨てること、また、あなた方が霊と心において新しくされ続け、真理に基づく義と誠を持って、神にかたどりつくられた新しい人を斬ることです。
それでは、今日はこのところから、新しい服で、と題して、御言葉を取り継ぎます。
みなさん、おはようございます。今日は11月最初の礼拝で、早いもので2021年も2ヶ月を切りました。
新型コロナウイルスの感染が目覚ましく減り続けていく中で、テレビを見ていても、街に人が出ている様子が盛んに報道されています。
2、3日前もテレビで、東京新橋駅の街頭インタビューが出ていました。
最近、何にお金を使いましたか?と、コロナ禍で消費が落ち込んでいる中で、少し人が出ていく中で、そんなインタビューをしていたんですね。
沖縄の旅行に予約しました、という老夫婦が出てきた後に、ある女性が、最近何にお金を使いましたか?と言ったら、自分のジャケットを揺すりながら、
新しい革ジャンを買いました、と言っていたわけですね。
コロナ禍の中では、外出の機会が減って、ビジネス用の洋服しかり、まさに新しい服が売れなくて、非常にこのアパレル業界は困ったという話もありますが、新しい服を着る人も今増えてきた。
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そんな中で、今日のパウロの言葉は、古い服を脱ぎ捨てて、新しい服を着る、そういうイメージで私たちに教えています。
それはですね、前にも示しましたが、4章1節の言葉と関係しています。
さて、主の囚人である私はあなた方に勧めます。召されたあなた方は、その召しにふさわしくあいみなさい。
このふさわしいあいみの中で、一知を保ちなさいと教えてきたり、また、神からの賜物をもって互いにあいし使いあいなさいと教えてきましたが、今日はその中で、
この洋服の脱ぎ着ということから、パウロは新しい人にふさわしい教えを授けているわけです。
今日はその服を身につけるイメージから、3つの点、1つ目は古い人を脱ぐ、2つ目は内側から新しくされる、最後は新しい人を着る、この3点から学んでいきます。
まず最初、古い人を脱ぎ捨てなさい。
ちょっと読める方、前の4章22節を読んでみましょうか。
その教えとは、あなた方の以前の生活について言えば、人を欺く情欲によって腐敗していく古い人をあなた方が脱ぎ捨てることです。
パウロの3つの教えがなされているんです。その基に3つから学んでいきますが、最初はこの脱ぎ捨てるということです。
パウロは、よく読むと気がつきますが、エペソの違法人クリスチャンに対して、これまであなた方は新しい神の民です、
違法人だったけれども新しい神の民になりました、と教えてきましたね。
それを受けて、この前にもある4章17節で、こう教えているんです。
ですから私は言います。主にやって大阪に進めます。あなた方はもはや、違法人が虚しい心で歩んでいるように歩んではなりません。
エペソの違法人クリスチャンをもう神の民として、イエスを知らない人々のことを違法人とパウロはここで例えているというか、指摘しているわけです。
そのようなかつての古い行いに立ち返ってはいけない、そういうパウロを教えています。彼らの汚れた生活に習ってはいけない。
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今日見た前半の部分は、この汚れた生活、それは不健全な金銭欲も関係していますけれど、主に性的な乱れ、それを取り扱っています。
それは、いわゆる性欲において、神の道から逸脱する行為、その根っこには、石のように堅くなな、堅い心から生じる神様に対する無知がある、そうパウロは指摘しているんですね。
例えば、今の私たちの周り、エペソのクリスチャンのように、私たちもいわゆる違法人に囲まれていると言っていいと思いますが、世間一般では、正直に生きると自分自身を取り戻せます、そういう言い方を良しとします。
その中で、例えば、結婚外の性的関係をはじめ、不健全な恋愛関係を助長する、良しとする。しかしパウロはここで、4の22節で言っているように、それは人を欺く情欲と言っているんですね。
欺く、欺きだ、どういうことか。それはですね、世間一般のその教えは、欺きであって、行き着く先は腐敗や、別の箇所では滅びだ、と言うんです。つまり、その欲望を満たすと喜びや幸せが来るよ、という欺きであって、行き着く先は腐敗や滅びだ、そのような偽りや欺きだ、と言うんです。
このようにパウロは、違法人クリスチャンのエペソの人々に、そして今の私たちに、こう教えているんですね。
自分がイエス様によって神の民とされた、その前の古い人を脱ぎ捨てなさい、行いと共に脱ぎ捨てなさい、そう教えています。
これは否定的なアプローチからの勧めですが、2番目、肯定的なアプローチからの忌ましめ、勧めです。
それは、内側から新しくされなさい、ということですね。
読める方、前の4章21、23、読んでみましょうか。前半だけ私読みますね。
本当にあなた方が、キリストについて聞き、キリストにあって教えられているとすればです。
真理はイエスにあるのですから、ここから読んでみましょう。3回、あなた方が霊と心において新しくされ続けなさい。
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パウロは、違法人の誤った生き様を指摘しながら、あなた方はそうやってイエス様から聞きもしないし、教えられていないでしょう。
本当にイエス様から聞き学んだ、教えられたこと、それは、さっきの古い人を脱ぐこと、そして2番目は、内側から新しくされなさい、ということです。
ここ、前にも示してありますが、ここの23節のですね、あなた方が霊と心において新しくされ続けなさいの、この霊はそうですが、まず心という言葉、
これは元のギリシャ語ではヌースと言って、知性や考え方なんですね。心って言うと感情的な感じがしますが、
知性や考え方なんです。知性や考え方を変えていただき、霊を神によって新しくしてもらって、初めて私たちは変えられる、つまり私たちは内側が新しくされて、初めて外側の行動が変わる、ということなんですね。
そして大事なことは、私たちを新しく変えるのは、自分の力ではない、ということです。それはあくまでも神様の力である、ということです。それがこの御言葉からもわかります。
まず、ここの御言葉の中にがんじゅくされているのは、私たちの霊、神とつながる部分が、精霊によって新しくされ続けるということなんです。そしてもう一つの私たちの知性、価値観、それが神の真理、すなわち聖書の御言葉によって、私たちの知性、価値観が新しくされ続けなさい、
そうパウロは教えています。
違法人の間違った価値観、さっきもさらっと言いましたけど、そうすれば幸せになるという誤った価値観、考え方ではなくて、聖書の真理によって、神の民としての新しい価値観によって、知性を、価値観を変えなさい、変えてもらいなさい、内側から変えられなさい、こうパウロは勧めているわけです。
ここで、ちょっと難しいかもしれませんが、動詞の使われ方に注目するんですね。
さっき一番目に見た、脱ぎ捨てなさいというのはですね、脱ぎなさいという一回限りのアクションを表す、難しく言うと、アオリスト系というね、過去のとか、とにかく一回のアクションを言うんです。
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だから、例えば、間違いに気づいたら、その度に食い温める、その度に古い服を脱ぐように、一回ごとの行為なんですが、この内側から新しくされるというのは、この翻訳にもありますように、現在形でですね、新しくされ続けなさい、繰り返し継続的な行為です。
私たちは、あえて言えば失敗するかもしれませんが、私たちの内側は新しく変えられ続けていくということなんですね。
こんな絵を用意しました。これ何かわかりますか?左側のこの少年。これはローマのトガという服です。
今でもインターネット見ると変えるそうなんですが、実はですね、当時ローマのパウロの時代もそうですけど、
成人式でこれを着たんです。成人男性が。そして、男子たる者、成人したらそれにふさわしく生きなさい、行動を変えなさいと教えた。新しい服。
これは、これは小柴風華とニコルンだそうですけども、成人式の写真です。
日本も同じように成人式では晴れ着を着たり、今では男の人はスーツかもしれません。新しい服を着るわけです。
そういうローマの成人式の新しい服を着るという、そういう背景もあるようなんですね、この御言葉には。
実はもうちょっと難しいことを言うと、この
新しくされ続けなさいという動詞はですね、ギリシャ語のネオスという、新しいという形容詞から出ています。
ネオマーガリンとか言いますよね。ネオ。それは若々しいという意味なんです。若さ。
この若さが源の言葉からですね、新しくされなさいと言っているんですね。
つまり、クリスチャンの内側の霊と知性は、神様の精霊や御言葉によって新しく続け、新しく変えられ続けているわけですね。
で、この私たちの内なる人は、実は新しく変えられ続けていって、
ウイウイさを保ち続ける。私たち。この成人式の男女を見ると、
ウイウイさ、羨ましいな。こんな時代が私にもあったなと思うかもしれませんけども、
皆さんも相当近いですけどもね、この時代。私なんかずっと昔です。
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それはさておいて、この私たち羨むような若々しさ、
それをイエス様、神様は私たちの内側に、こうなんていうんですか、
よみがえらせ続けてください。それがですね、神様にある幸いなんです。
私たちの内なる人は、神の霊、また御言葉によって、
ウイウイしく新しくされ続けていく。その祝福を覚えておいてください。
旧約聖詩の詩編で、こんな御言葉があるんですね。
私が好きな御言葉の一つです。ちょっと最初だけ読んでみますね。
詩編の103編の3節から5節。
主はあなたのすべての咎を許し、 あなたのすべての病を癒し、
あなたの命をあなたら贖い、 あなたに恵みと憐れみとの冠をかぐらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。 最後だけ読んでみましょう。3回。
あなたの若さはわしのように新しくなる。
このイスラエルではですね、上昇気流が生じると、空高くこのわしがですね、空を舞うんです。
その様子を見て、ウイウイした新しい命をですね、
詩編の作者は覚えたと思いますが、
私たちもその様な神様にあって内側からですね、日々新たにされ続けていく。
ウイウイしく変えられ続けていく。 そういう栽培に預かっているわけです。
最後、新しい人を来なさい。
22-24節でパウルはこう教えています。 その教えとは、イエス様の教えとは、
真理に基づく義と誠をもって、 清さをもって神に肩取り作られた新しい人を来ることでした。
新しい人を来なさい。それが神の教えです。
この24節の、 真理に基づく義と誠をもって、
清さをもって神に肩取り作られた新しい人、 それはいつも言っていますが、
神の形に作られた人の本来の姿、 罪なき状態の姿のことを言うわけですね。
その完成形は、イエス様に見られるということなんですね。
今日の歌唱の21節でも、パウルはこう言っていますね。
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真理はイエスにあるのですから。
真理はイエスにあり。つまり、
イエス様の生き様こそ、
誠の神の形の人の真理。
素晴らしい模範である。
福音書にあるような、そのイエス様の生き様こそ、
私たちが目指すべき、
模範であり真理だ。
先ほどローマの話をしましたけれども、
この御言葉にも、当時のローマの背景があります。
皆さん、演劇なんか見に行ったことありますか?
今、これから解禁されそうですけれども。
当時のローマで演劇が演じられるときに、
この主役や役者がですね、
ある役を演じるときに、こう言われたそうです。
役を演じるというのはですね、その役を身につける。
その人物を身につけて、その人を生き抜く。
そういうふうに言われたそうなんですね。
人物を身につけて、役を生き抜く。
実はパウロは、その役を生き抜く真剣さで、
クリスチャンがキリストの生き様を生きるように教えているんです。
ただね、この演じるというと、
抵抗があるかもしれませんよね。
だけども、パウロはこの役者と同じ真剣さで、
イエス様の生き様を生き抜きなさいと、
私たちに教えているんです。
実は先ほどの動詞の時世を話しましたが、
ここの来なさいの切るという言葉も、
一回限りの動作を表すんですね。
ですから、例えば私たちは断ることに、
イエス様だったらどういう言動をしただろうか、
ときに立ち止まって考えるときも、
必要だとも言えるわけです。
その都度その都度、一回限り、
イエス様だったらどう生きただろうか、
そう立ち止まって考えることが必要だということなんですね。
これ誰かわかりますか?
現在大河ドラマで、
聖典をつけて主役をやっている吉沢良君ですね。
彼が演じているのは誰ですか?
渋沢栄一。そっくりですね。
大河ドラマで取り上げられた歴史上の主役は、
その後から人気が出たり、
関心が高まるわけですよね。
この吉沢良君を大河ドラマの監督がすごく評価しています。
なぜか、それは彼が撮影のときに、
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台本を持たないでセリフを全部覚えているんです。
リハーサルから台本を持たないでやるんです。
完全に自分が渋沢栄一になりきって、
吉沢良の渋沢栄一を生きていると言って、
現場の監督スタッフから非常に高い評価を受けているそうなんですね。
あえて言えば、渋沢栄一に関心なかった人も、
この吉沢良の演技を見て、渋沢栄一に関心を持っていく。
そんなことがあるかと思うんですけれども、
私たちも願わくば、私たちがキリストを演じることによって、
私たちを通してイエス様への関心が高まることを願うものではないでしょうか。
当然ですね、その大役を担っているというのは大変かと思います。
キリストを来て演じることに、やはり私たち不完全ですから、
時に失敗してしまうこともあるかと思うんですね。
さっきも言いましたけれども、
この神に肩取り作られた新しい人、この新しさというのはですね、
さっきのネオスの若さと違って、こういう意味なんです。
それまでなかったような性質の新しさ、
これはそれまで私たちが経験したことがないような新しい命という、
その命に新しく変えられていく、それを着せられるという、
そういうイメージなんですね。
新しい命に交換される。
私、家でそうなんですけどね、
もうクタクタになった古い服ずっと着てますね。
1週間も洗濯しない部屋着なんて。
それもいいんですけど、私たちは時にですね、
古い服に愛着があって、穴の開いた服を、大事ですけどもね、
穴の開いた服を取り繕って、
穴が開いたままその服を着続けようとするかもしれません。
しかし神様は私たちがその都度新しい服を着るように、
私たちに新しい服、新しく作り変えられた服を着せてくださる。
新しくイエス様を演ずるべく、
良い行いをイエス様は私たちに御装ってくださるんですね。
そのような神様の日々なしてくださる新しい宮座を覚えてですね、
イエス様を演ずるべく日々歩んでいくお互いでありたいものです。
最後にエペソビートの手紙の双子の手紙、
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コロサイビト3章9節10節から引用して終えたいと思います。
最初読みますね。
あなた方は古い人をその行いと共に脱ぎ捨てて新しい人を来たのです。
ここから読めるか読んでみましょう。
新しい人はそれを作られた方の形に従って新しくされ続け真の知識に至ります。
コロサイ3の9と10。
お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。
あなたはイエス様にあって私たちを新しい神の民、あなたの民として召してくださったことを感謝いたします。
そしてあなたはご精霊によりまた御言葉により私たちを内側から作り変えてくださることを感謝いたします。
どうぞ私たちが日々の歩みの中で古い人を脱ぎ続け、そして新しいイエス様を生き続けて生きることができるようにどうか導いてください。
その幸いをどうか教え、私たちを通してまたイエス様ご自身をお明かしくださいますようお願いいたします。
この願いと感謝を私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン
それでは一分ほど御言葉に応答して祈る時間を持ちましょう。