2021-11-14 21:59

#81 2021/11/14 悪い言葉と必要な言葉

エペソ-32 からの礼拝説教。2021年11月14日録音。今日の箇所は先週学んだ「古い人を脱ぎ捨て、神のかたちに似せられた新しい人を着る」と言うことについて具体的に教えています。その目指すところは「一つの同じ体に属するお互いが嘘偽りを捨て真実を語り合い正直に生きること」、「私たちが神の赦しと親切を体現する神の民となること」です。その上で、1.怒り、2.古い人の言葉、3.新しい人の言葉の3点を取り上げます。

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エペソビトへの手紙4章25節から32節
ですからあなた方は偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。
私たちは互いに体の一部分なのです。 怒っても罪を犯してはなりません。
行き通ったままで日が暮れるようであってはいけません。 悪魔に機会を与えないようにしなさい。
盗みをしているものはもう盗んではいけません。 むしろ困っている人に訳与えるため、自分の手で正しい仕事をし、
老苦して働きなさい。 悪い言葉を一切口から出してはいけません。
むしろ必要な時に人の成長に役立つ言葉を語り、聞く人に恵みを与えなさい。
神の精霊を悲しませてはいけません。 あなた方はあがないの日のために、精霊によって
松蔭を押されているのです。
無慈悲、行き通り、怒り、怒号、罵りなどを一切の悪意とともに全て捨て去りなさい。
互いに親切にし、優しい心で許し合いなさい。 神もキリストにおいてあなた方を許してくださったのです。
以上です。 今日はこのところから、悪い言葉と必要な言葉、悪い言葉と必要な言葉と題して御言葉を取り継ぎます。
皆様おはようございます。 11月も長間になりまして、今年もいよいよ
あと1ヶ月半となりました。 本当に2020年からですけどもコロナ禍になって、
今年2021年も様々な新型コロナウイルスの影響の中で、私たちも右往左往した1年ですけれども、
なんとか今のところ日常を取り戻しつつあります。 そんな中で、
今日もパウロの御言葉からともに学べることを感謝しています。 実は今日の箇所は先週学んだことを具体的に教えています。
前にも掲示しましたが、 先週古い人を脱ぎ捨てて
神の形に似せられた新しい人を斬る、そのことをパウロは教えていました。 それはキリストにふさわしい歩みだ。
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そしてその目指すところは、
今日のところは、古い人を脱ぎ捨て新しい人を斬ることの具体的な教えです。
今日の箇所の目指す大きなところは、 前にも示しました通り、一つの同じ体に属するお互いが
嘘、偽りを捨てて真実を語り合い、正直に生きること。 そしてその結果、
私たちが神の許しと親切を体現する神の民となること。 それが今日のところの大きな
ベースにある、基礎にある教えです。 それを背景にしながらパウロは、古い人を脱ぎ捨て新しい人を斬るということを今日、
具体的に教えています。 いつものようにこの
ぎゅっと詰まった言葉です。それを 私はですね、わかりやすく取り上げて3点から話しますので、ぜひ皆さん
お家に帰りましたら、今日の箇所をじっくり読んでください。 本当に
教会の人間関係が主なんですけれども、私たちの日々の人間関係とか、 言読に対して非常に有益なですね、
英語で言うとinstruction、教えが書かれていますので、ぜひじっくり読んで、 自分を吟味したり、祈りの材料としていただければと思います。
今日はこの中から3つの点、まず怒りの感情、 2番目は古い人の言葉、悪い言葉、
3番目は新しい人の言葉、必要な言葉、 その3点から学んでいきます。
まず第一はですね、怒りについてです。 パウロは今日の26節の中でこう教えています。
怒っても罪を犯してはなりません。 実はですね、ここ、
英語の聖書とか、言語のギリシャ語で見るとですね、 怒りなさいって言ってるんです。怒っていいよ。
つまりパウロは、 正当な理由や
正義が根拠となれば、怒ってもよいよ。 当然だよ、と言ってるんです。
義憤という言葉があるとおりですね、 孔子園調べてみたらですね、
こんなことがあっていいものかと、 意気通ること。
ある人に対して、社会に対して、 権威に対して、意気通ることを義憤と言うそうです。
ただパウロは、 義憤もある正当な怒りを
良しとしながらも、注意を明確に述べています。 それは、
26節の後半から書いてありますね。 生き通ったままで日が暮れるようであってはいけません。
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ユダヤ教の1日はですね、 日没から始まりますから、言い換えればその日のうちに自分の怒りは解決しなさいということです。
たとえ正当な怒りであっても、
ここにちょっと、
削除してしまいましたけど、怒ってもいいけども、
罪を犯してはいけませんよ。 生き通ったままで日を越してはいけませんよ、と注意を与えています。
その日のうちに少なくとも自分の中で怒りを正しく処理しなさいということです。
あとでも少し触れますけども、別の言い方をすれば4章32節にあるように許しなさいということです。
よく人の責任と自分の責任、人は変えられないけど自分は変えられると言いますけども、
少なくとも自分の中で、たとえ相手に責められる理由があったとしても、
自分の中の怒りは自分で治める、コントロールする責任があるということです。
話が前後して申し訳ないんですが、まず皆さんに知っておいていただきたいのは、ここで言われているのは前提として、
クリスチャン同士の人間関係、一つのキリストの体に属する教会内での人間関係、
エブソの教会ではユダヤ人、ギリシャ人がいた、エブソ人、イホウ人がいた、そしてその中でお互い言い争っていた。
今日詳しく触れませんが、古い人を着たまま盗む人もいた。
そういう人に対してもしかしたら怒る人もいたかもしれません。
そういう中で下手をすれば口汚く罵り合っていったかもしれません。
パウルはその中で真実な人間関係を、正直な人間関係を教会の中で求めていましたけれども、
正直で真実な人間関係を築き上げるためには、後でも見ていきますけれども、
怒りをそのままにしないとか、許し合うということ、そういうことが必要だということですね。
何はさておきまず、その日のうちに自分の怒りは自分で適切に対応しなさい、対処しなさい、許しなさい。
さらに、別の理由が27節で書いてありますね。前にも提示してあります。
読める方、この前の言葉を読んでみましょうか。
3、悪魔に機会を与えないようにしなさい。
この悪魔に対して機会を与えるとはですね、小さな穴を開けておくということです。
この絵、皆さん何かわかります?
泥棒が入るときに、教会は虹を指しになっていますけれども、
ここのですね、サッシの鍵穴だけを破る、小さな穴を開けて、そこから手を入れて、鍵を開けて、中に入っていくわけです。
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このように、この小さな穴というのは、大きな犯罪に繋がる。
私たちが怒りをとどめたままにしておくと、それが小さな穴のように、この悪魔に付ける隙を与えていく。
小さな破れ口がきっかけになって、取り返しがつかないことになると、パウロは言っています。
ちなみに、パウロはこのエペソーションの中で、悪魔や悪霊について何度も言及していますが、はっきりそれが何だということは言わないんですね。
だからここでも、それがどういうことかは詮索しませんが、でも、怒りという小さな破れ口が悪魔に機会を与える、なんとなくニュアンスがわかるかと思います。
その小さな破れ口がきっかけになって、取り返しがつかないことになる。
怒りが正当な理由であっても、それを保ち続けていると、自分にとっても相手にとっても、次第に罪に陥る危険が伴ってくる。
果ては破壊的な結果をもたらす、そういうことも言いたかったのではないかと思います。
このようにパウロからすれば、前にも提示した赤いところにもありますが、
古い人を脱ぎ捨てて新しい人を切ること、その一つの具体的なものとして、怒りをその日のうちに脱ぎ捨てて、神の許しを身にまとうということがあるかと思います。
次にこの怒りの感情と関係する言葉について、2番目に取り上げていきます。
2番目。 パウロはこう教えています。4章29節31節抜粋ですが、
悪い言葉を一切口から出してはいけません。 むしろ必要な時に人の成長に役立つ言葉を語り、
聞く人に恵みを与えなさい。 読める方はここから読んでみましょうか。
無慈悲、生きどおり、怒り、怒号、罵りなどを一切の悪意とともに全て捨て去りなさい。
パウロは悪い言葉を全て口から出してはいけないよ。 それを脱ぎ捨てなさいと言っています。
実はここにはですね、 無慈悲、生きどおり、怒り、怒号、罵りという
言葉はですね、こういうある学者に言えばですね、
怒りの感情が内側からどんどん外側に吹き出していく様をイメージさせているって言うんですね。
例えばその 内側に怒りを溜める、まあ無慈悲ですね。
相手に対する無慈悲、そういうものを相手の立場がわからないとかですね、
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無慈悲のまま、それが生きどおり、怒りを生んでいくと。
その内側に込めた怒りがだんだん出てきて、怒号になる。
怒号はですね、 言語のギリシャ語ではクラウゲエ。
動詞を英語にするとクライアウト。 クラウゲエってクライに似てるんですけど、
語源ではないそうですけども、とにかく怒って大きな声を出す。
よくブチキレターンってね。ブチキレターンって言いますけど、そういう様子です。
怒号の次の罵りというのはですね、 ギリシャ語でブレスフェミア。
神を罵る、暴徳するって言葉はですね、英語でブレスフェミアって言うんですけども、その言語です。
これは神などを暴徳するという言葉の言語なんですね。語源なんですね。
暴徳とはですね、神聖なものの権威を怪我して、傷つけることを言うわけです。
だからもし私たちが大声で罵りあって相手を罵倒するとですね、
パウルが言うところの神の形に見せられた人の尊厳を傷つけることになる。
そう考えることができるわけです。
パウルはこのような古い人を一切の悪意とともに全て捨て去りなさい。
無慈悲、憤り、怒号の罵りなどを一切の悪意とともに全て捨て去りなさいと教えているわけなんですね。
実は、前には掲示していませんが、三十節にはですね、
神の精霊を悲しませてはいけませんという言葉が書かれています。
実はこのような態度は、私たちの中に住んでおられる精霊様、
そして教会内のもし人間関係でいれば、神の群れに住んでおられる精霊様を悲しませる行為になるんだよと教えているんですね。
自分だけの問題、相手だけの問題ではない、神のある精霊が悲しんでおられる、
それを避けなさいと教えています。
これも面白い表現ですね。
精霊、私たちのこういう悪い言動の背後で精霊が悲しんでおられる、そのことも胸に留めておきましょう。
最後の点、
良い言葉、ふさわしい言葉に関係してですね、新しい人が身につける言動ということを見ていきましょう。
いつも申し上げている通り、私たちはエペソーションではありますが、神の国を相続したってあるんです。
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精霊がそのことの象徴を与えたって言うんですね。
神の新姿に変えられて、ますます新しくされて、キリストと共に栄光の姿になる、
精霊はその約束の証として与えられているって言うんです。
ですから何度も言いますが、パウロは、それにふさわしく歩みなさいと教えています。
4章の頭からですね、その教えがずっとつながるんですね。
レジュメを読み返していただくとか、ホームページとかを見るとですね、そこからの説教を遡って聞くことができますから、もう一度復習として聞いてみてください。
それはさておきですね。
そのような中でパウロは、少し前向きな教えをしているんですね。
悪い言葉を一切口から出してはいけません。
ここから読んでみましょうか。
3、むしろ必要なときに人の成長に役立つ言葉を語り、聞く人に恵みを与えなさい。
ここまででしょう。失礼しました。
私たちが語るべき言葉、キリストに似た新しい人として語るべき言葉、それは必要なときに時期に応じて人の成長に役立つ言葉。
聞く人に神の恵みを知らせる、与える言葉だということです。
実は素晴らしいことに、このパウロの意図をよく表現した聖書の言葉がいくつかあります。
2つだけ今日は紹介しますね。
失礼しました。ごめんなさい。
今日ここに書いたはずがですね、
ちょっと消えてしまいましたので、ごめんなさい。
皆さんのレジュメのネットで見ている人はちょっとわからなくて申し訳ないんですが、
3番目の下から、
1、2、3、4行目ですね。まとめの上に書いてある2つの言葉ですね。
新元25章11節ですね。
ちょっと一緒に読める方、レジュメからでも読んでみましょうか。
3、はい。
慈儀にかなって語られる言葉は、銀の彫り物にはめられた金のリンゴのようだ。
もう一回読んでみましょうか。慈儀にですね。3、はい。
慈儀にかなって語られる言葉は、銀の彫り物にはめられた金のリンゴのようだ。
新元25章11節。
ニューヨークのティファニーにあるようなですね、この
綺麗な銀のアクセサリーの真ん中に金色のハートがあるような。
慈儀にかなった言葉はそれほど美しいものだ。
コロサイ4章6節。
読んでみましょうか。あなた方の言葉がですね。3、はい。
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あなた方の言葉がいつも親切で塩味の効いたものであるようにしなさい。
そうすれば、一人一人に対する答え方がわかります。
エペソショーの双子の手紙。
二つの教会や地域で読み合うように言われた、このコロサイ人の手紙にまさにこう書いてありますね。
私たちの言葉はいつも親切で塩味の効いたものであるようにする。
ユーモアがあったり、ちょっとウィットに飛んでいたり、
あるいはさらりとその場を清めるような言葉。
そのような言葉をどうするかってことを考えていれば、そのときそのときに
語るべき言葉や相手に対して言うべき言葉がわかるよとパオラは教えているわけですね。
今日は古い人と新しい人。
その脱ぐべき古い服と着るべき新しい服の具体的な内容を見ていきました。
最初に言いましたけれども、今日の箇所で教えられることを大きな視点で言うとですね、
こうまとめられます。
私たちが互いに位置を保ち、使い合うための秘訣です。
パオラが聖書の中でたどいているように言い換えれば、私たちは聖霊を宿す
神の実や一つの建物として立て上げられていく。
そのための設計図が今日書かれている。
あるいは私たちはキリストを頭とする一人の人間の体、そのように共に成長していくため、
そのための健康読本のような言葉が今日の教えに込められている。
ぜひそのような真実な言葉を語り合って、
お互いの成長に貢献し合っていく教会でありたいと思います。
またもし皆様が一般の社会の中で活躍しておられるならば、
これらの言脳がそれぞれの場所でキリストを生きる上で、とても意味のある言葉だと思います。
最後にこのパオラの大きなゴールを表す御言葉を共に読んで終わりにしたいと思います。
エヴェソビートの手紙4章32節、前にある言葉を一緒に読んで終わりにしましょう。
お互いに親切にし、優しい心で許し合いなさい。
神もキリストにおいてあなた方を許してくださったのです。
お祈りしましょう。
天の父なる神様、皆を賛美いたします。
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あなたは私たちをイエス様にあって救い、
精霊によって証印を与え、あなたの見姿、神の御子の見姿へと定めてくださったことを感謝いたします。
どうか私たちがそれにふさわしい歩みをするために、悪い言葉を脱ぎ捨て、
あなたにあるふさわしい言葉、またふさわしい人生を身につけることができるように、どうか導いてください。
そうして私たちが神の民として共に一つの建物、一人の身体として立て上げられていくことができるように導いてください。
全ての栄光をあなたにお捧げし、私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン
それでは1分ほど見言葉に神様に応えて、黙祷しましょう。
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