2021-01-24 26:39

#39 /21/1/24 本来の姿の回復

コロサイ3:9-11 からの礼拝メッセージ。2021年1月24日録音。壊されたアイデンティティーの回復と、それに基づく一致について学びましょう。鍵の言葉はキリスト教専門用語の「似姿」、英語ではイメージです。人は本来、神様の似姿を有する尊い存在です。
00:06
復習と少し被りますが、殺され人の手紙の3章の9節から11節をお読みします。
互いに偽りを言ってはいけません。あなた方は古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を来たのです。
新しい人は、それを作られた方の形に従って新しくされ続け、真の知識に至ります。
そこには、キリシャ人も、ユダヤ人も、ユダヤ人もなく、活例のある者も、ない者も、未開の人も、好きたい人も、奴隷も、自由人もありません。
キリストが全てであり、全てのうちにおられるのです。 以上です。
今日はこのところから、本来の姿の回復と題して御言葉を取り継ぎます。
皆さん、改めましておはようございます。 今日は雨降りの寒い朝となりましたけれども、
それぞれがご自宅で礼拝ということで、
過ごしやすいのかと思いますけれども、 先週からオンラインの礼拝を続けておりますが、
今日はですね、先週の御言葉の続き。 先週はですね、古い自分に死ぬということでしたけれども、
今日は新しい自分に活かされるということがテーマになります。 この御言葉、もう一度最初の部分をお読みしますけれども、
失礼しました。 9節、10節をお読みします。
互いに偽りを言ってはいけません。 あなた方は古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を来たのです。
新しい人はそれを 作られた方の形に従って新しくされ続け、真の知識に至ります。
この最初の部分はですね、 とても大切なことが語られています。
なぜこのことが大切かというと、 私たちの救いに関わる基本が書かれているからです。
救いの基本。 それは、
私たちの救いの完成のプロセスについて、 完成される過程についてここに書かれているからです。
03:05
これはクリスチャン生活や救いの最も基本的なこととして、 パウロが掲げていることです。
何度も言いますように、私たちの救いは、 ある面、完成していない。
救いの完成はイエス様が再臨した時に成し遂げられるということでしたね。
これを栄光の栄に化けると書いて、栄華と言います。
そこに至る私たちの途上をですね、聖華と言いますけれども、 それと関わるようなお話を今日はいたします。
この聖華の途上において、 私たちは例えばイエス様を信じて罪が許されていますから、
万が一命を落とすことがあっても、 私たちは永遠の命が約束されているわけです。
ご存知のように、新型コロナウイルスの感染拡大が止まらず、 変異ウイルスも市中に回っていると先週話題になりましたね。
そしてワクチンの接種がなかなか日本でははかどらないと。
そういう中で本当はあってはならないんですけれども、 万が一命を落としたとしても、私たちにはこの永遠の命が約束されています。
しかしそれでも救いの歓声がなされているわけではなくて、 そういうわけですから、先週見たように、
私たちはこの罪の葛藤をこの生涯覚えるわけです。 この救いの歓声の途上にある私たちが、
なぜこの生きている間に罪の葛藤を覚えるのか、 そのことを今日は取り上げていきたいと思います。
そのような問題がありますから、3章の9節にありますように、 ここの真の知識ということが私たちは必要なのです。
神の御心に対する真の知識、この際の一書にもありましたが、 どのような知識かというと、それは
神の二姿に関わる知識です。 今日はその点から3つ話しますが、
まず最初は私たちの人類の起源ということからお話ししましょう。
まず第一点目は、 罪が人類に入り、
神の二姿が壊されたという点です。
聖書を読んでいる方はご存知かと思いますが、 神様は人間を神御自身の形に作られたとあります。
創世紀の1章の27、28節にあります。 そして神は我々に似るように、我々の形に人を作ろうと仰せられた。
06:02
神はこのように人を御自身の形に創造された。 神の形に彼を創造し、男と女と彼らを創造された。
この形、英語ではイメージと言いますけれども、この神の形。
しかし皆さんもご存知のように残念なことに、 最初の人アダムが神に背き、その結果その罪が人類に受け継がれてしまったというわけです。
創世紀の1章から3章をお時間になるときにぜひ読んでください。
私たちの起源に関わるとても大切なことが書かれているからです。
実はこの最初に罪が入ったということに関して、 パウロはローマ人の手紙の中でこのように解説しています。
それに加えてパウロはイエス様の新しい救いについても述べています。
ローマの5章の12節13節を読みします。
そういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、 罪によって死が入り、
こうして死が全人類に広がったのと同様に、 それというのも全人類が罪を犯したからです。
死はアダムからモーセの間もアダムの違反と同じようには、 罪を犯さなかった人々をさえ支配しました。
ローマ5章の12節13節。
このようにアダムを通して全人類に罪が広がったと聖書は述べているわけです。
昨今、新型コロナウイルスのワクチン開発や変異のことから、 遺伝ということが話題になっています。
まさに私たちはこのアダム最初の人から、 人間という遺伝子を受け継いで今に至っているわけです。
それと同じように実は私たちは人としての遺伝情報だけではなくて、
罪の性質というものも引き継いでしまっているわけです。
言い換えれば、アダムの時に壊されたこの神の二姿、 この壊れた不完全な神の二姿を今の私たちも引き継いでいるということなのです。
それゆえ私たちは神の栄光から遠くなり、 罪に生涯悩み続ける、そういうものを経験するようになったわけです。
09:04
この神の形ということを考えるときに、一つの別のイメージがあります。
これですね。 クマのぬいぐるみや、これはウルトラマンでしたけれども、このフィギュアがありますね。
よく有名なテレビ番組で、この価値を鑑定するという番組がありますね。
その時に、よくおじいちゃんおばあちゃんから引き継いだ、あるいは昔倉庫に眠っていた、 このようなフィギュアやぬいぐるみ、高価なものを判定するわけです。
そして保存状態が良ければ良いほど、驚くような値段がつくわけですね。
しかし、手が取れていたり汚れていたり、そのような汚い形、不完全な形ですと、
これらのフィギュアやぬいぐるみの本来の価値が損なわれて、とても安い値段がついてしまうということもあるわけです。
もちろん私たち人間は神の形に作られていますから、価値がないというわけではありません。
しかし、この汚れて保存状態の悪いフィギュアやぬいぐるみのように、私たちの神の形、それはアダムの罪から引き継がれていて、
本来の神の栄光の姿には及ばない、それが今の私たちのありようだということです。
それが私たちが罪に悩む理由であるということです。
それでは次の点を見ていきましょう。
次の点は、神の二姿、イエス様の二姿に変えられ続けるという点です。
この問題に対して福音がありますね。
その壊された不完全な神の形を回復する道が開かれました。
それがイエス・キリストによる救いです。
聖書にはイエス様が最初に罪を犯した第一のアダムと比較されて、第二のアダムと述べられています。
そのようにして十字架で罪は上がらない復活して新しい命を与える。
罪と死から私たちを救ってくださるというイエス様第二のアダムについて、パウロは聖書でこう述べています。
ロモビートの手紙ですね。失礼しました。第一コリント15章のところですね。
このような御言葉です。
というのは、死が一人の人を通してきたように、死者の復活も一人の人を通してきたからです。
すなわちアダムにあって全ての人が死んでいるように、キリストによって全ての人が生かされるからです。
12:04
聖書に、最初の人アダムは生きたものとなったと書いてありますが、最後のアダム、つまりイエス様は生かす御霊となりました。
第一コリント15章21-22-45説です。
ここで注目すべきことがあります。
この例えの特徴にですね、先ほども言いましたが、イエス様を最後のアダムと呼んでいるところです。
つまりこのイエス様こそ、本来神が授けてくださった罪を犯す前の神の形、人間が有していた罪を犯す前の本来の神の形を完全に表すお方である。
そういうお方としてこの地に下ってこられたということです。
そしてそのイエス様のお姿こそ、最後に完成すべくアダムの姿だということなんですね。
最後に完成すべく神の形であるということなんです。
ある学者はこの言葉を、この真理をこう解説しています。
救いの完成とは、本来の創造における目的が完成することである。
それはこのに姿を回復すること、つまりアダムによって失われた神の栄光の豊かさへと人類を引き戻すことである。
新型コロナウイルスの特効薬はなかなかできない状況ですが、
まさにイエス様ご自身こそ、この壊れた神の形を回復する特効薬だということができるわけですね。
そして実は先ほどから申し上げていますように、
私たちのこの地上の生涯はこの救いの完成の過程、プロセスであるということですが、
そのことを表している別の聖書の言葉があるんですね。
イエス様の二姿、栄光のイエス様の姿へと私たちが日々変えられていく。
私たちの栄光の姿に日々変えられていく。
そのことをパウロは別の聖書の箇所でこう表現しています。
最初に申し上げますけれども、
一つの栄光から次の栄光のレベルへと段階的に変えられ続けていくという、
このプロセスをパウロはこう表現しています。
第二ポリント、三章十八節。
私たちは皆、大いを取り除かれた顔に鏡のように主の栄光を映しつつ、
15:06
栄光から栄光へと主と同じ形に姿を変えられていきます。
これはまさに見たまなる主の働きによるのです。
この私も好きな御言葉の一つですが、
鏡のように主の栄光を私たちの顔に映しつつ、
栄光から栄光へとイエス様と同じ形に姿を変えられていくという、
それがまさに私たちの内側に与えられた聖霊の働きであるということです。
このような成長の生涯が私たちの成果の歩みであるわけです。
このプロセスをパウロは、
これを見たコロサイビトの手紙の3章の中で、
下の部分の3章の9節、10節でこう言い換えています。
あなた方は古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、新しい人を来たのです。
コロサイ3章9節、10節。
私たちは毎日服を着替えるわけですね。
皆さんもそうだと思います。
私は時々2、3日同じ服を着ることはありますけれども、
によったりもしない限りですけれどもね。
毎日新しい服に着替えるように、
私たちは毎日ですね、日々新しくイエス様の栄光を身につけていく。
また、それにふさわしくイエス様の足跡に従って行動していくということです。
また、この古い服を脱ぎ捨てて新しい服を着るというのはですね、
バブテスマ式、バブテスマ式のことも表しているとある学者は言っています。
先日藤崎姉妹がバブテスマ式に預かりました。
前も兄弟がバブテスマ式に預かりましたが、
バブテスマ式の時にも特別な服をまとうわけですね。
そのように私たちもイエス様を信じて古い自分を脱ぎ捨ててですね、
新しい服であるイエス様を身にまとう。
このような意味からもですね、イエス様を信じた私たちが水の洗礼に預かるということはとても大事なことでもあるわけです。
このようにですね、日々の栄光から栄光へと身姿が回復されていくということが2番目の点ですが、
最後にですね、今話題の出来事と関連した今日の御言葉の真理、
今日のまたテーマと関わる真理をお分かちします。
先週大きな出来事の一つといえば、
アメリカの新しい大統領が就任したということですね。
どんな騒動が起こるのかといってですね、
警備が限界になってドキドキした人もいるかと思いますけれども、
18:04
無事、次期大統領にバイデンさんが就任したわけです。
そしてその一つの大きな課題は、
分断を乗り越えて一つにまとまっていくということですよね。
何度もユナイト、統合するとか一つになるという言葉が、
彼の就任演説に現れていたという話題になりましたけれども、
それと共通する真理が今日の御言葉に書かれています。
3番目は、イエス様に従う者として、
差別や偏見を乗り越えて一つになるということです。
御言葉は3章11節です。
そこには、ギリシャ人もユダヤ人もなく、
かつれいのある者もない者も、
未開の人も、好きたい人も、奴隷も、自由人もありません。
キリストが全てであり、全てのうちにおられるのです。
3章11節。
この御言葉は、実は当時の差別や分断の理由になっている、
ある面、国民性とか、それぞれの人のアイデンティティに関わることが
対比されて書かれているわけですね。
皆さんも気づいたと思いますけれども、
ギリシャ人とユダヤ人。
ユダヤ人は、かつれいを受けた神の民だという自負があって、
違法人をある面見下していた。
実はギリシャ人も、自分たちは知的な、いわゆる哲学などもありますけれども、
知的な人種として、例えばかつれいを受けているユダヤ人を差別したり、
この後半にあるような未開の人とか、好きたい人を、
ある面、差別したり偏見を持っていた。
未開の人という言葉は、ちなみに、バルバロスといって、
バーバリアンという、ちょっと偏見がありますけれども、
いわゆる英語の野蛮人という言葉の語源になった言葉が、
ギリシャ語に当てられています。
なぜそういう言葉になったかというと、
未開人の言葉がバーバーバーと聞こえたから、
このバルバトロスというギリシャ語になったようで、
アメリカ人も、あなたの話していることがわからないという時に、
It's Greek to meet.
あなたの話している言葉はギリシャ語に聞こえるなんて、
そういう言葉もありますけれども、
こうやって、生まれや言葉によって、
人を差別と結びつけるということが昔からあったようですね。
好きたい人というのは、今のロシアの一部、
国会の上の辺りの広い地域のキワ民族といったそうで、
ある哲学者に言わせれば、
人を殺すことが何よりも好きだとみなされていたようです。
とにかく、いろんな立場であっても、
21:02
お互いを見下し合うような、
そういうことが当時ありましたし、
それは今の私たちにもあるかもしれない問題ですね。
そのような問題をパウロは取り上げながら、
それを乗り越えて、
キリストの共同体は一つになっていくのだということを、
殺されの人々に、そして私たちに訴えかけているわけです。
なぜならばそれは、
クリスチャンには、人種や言葉、生まれ、
そういうものを超えた新しいアイデンティティがあるからだと言うんですね。
それは、神の二姿に生まれ変わっていく、
作られていくという、イエス様にあるアイデンティティです。
このことについて、ある学者がこう解説しています。
ここにはあげませんけれども、お読みしますので、聞いてください。
そこに共通する、キリストへの忠誠心が、
お互いの関係において第一の要素となるとき、
現実にあるお互いの差は、
共に目指すべき善のための協力姿勢へと変容を遂げる。
クリスチャンが聖人となる体では、
キリストの恵みが反映される仕方で、聖人同士が仕え合う。
人間的なアイデンティティの拠り所ではなくて、
クリスチャンの一番大事なアイデンティティのその拠り所は、
イエス様に忠誠心を誓っているということです。
イエス様に従うということが最も大事な拠り所になっている。
そういうことを拠り所とする人たち、クリスチャンの間では、
そのような差別や偏見を乗り越えて、一つと体となっていくし、
キリストが使えたようにお互いに使い合っていくというのが、
ここの真理であります。
このように、新しい人、神の形を回復された人の最も大事な価値観、
それはイエス様に従うことです。
それが差別や偏見を乗り越え、一つにされる鍵だ。
そして、それこそキリストの教会であり、
クリスチャンの交わりだということなんですね。
このような現代の問題にも関わることを述べましたけれども、
私たちは罪の影響を受けていますから、
今でも日々の生活の中で、自分の弱さ、罪の誘惑を体験するわけです。
また、栄光の体ではありませんから、病気をしたり、疲れを覚えたり、
24:03
いわゆる肉体的な弱さも覚えるわけですね。
そして、当然ここで挙げられているような、
人間関係の問題も抱え込まなければいけないことがあるかもしれません。
しかし、そのような中で私たちは、真の知識、神の御心、新しい人の価値観、
それに生きていくお互いであるわけですね。
神の身姿を回復させられていくという、
栄光から栄光へと日々歩んでいくという、
その新しいゴールを胸に抱きつつ、
新しい日々を天国に向かって歩んでまいりたいと思います。
最後に一つの御言葉を紹介して、説教を終わります。
コリントビートへの手紙第2、4章の16節です。
読める方は、その場でどうか共に声に出して読んでみてください。
3、はい。
ですから、私たちは落胆しません。
たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
お祈りしましょう。
天の父なる神様、皆を賛美いたします。
私たちは、神様の身姿へと作られたものでありました。
けれども、罪の影響を受けて、
私たちの、この、あなたの身姿は不完全なものとなり、
罪の弱さを覚え、体の弱さを覚え、また人間関係に葛藤を覚えます。
しかし、イエス様に会って私たちは新しい人を生きています。
新しい人を生き続けます。
どうか、内なる精霊により頼みながら、
あなたに会って日々新たにされて、
栄光から栄光へと、あなたと同じ姿へと変えられ続けていくことができるように、
そのようなビジョンとイメージを持って、
私たちが日々歩んでいくことができるように、どうか導いてください。
そのような中で、どうか私たちを分断が進むこの世界の中で、
人々を結びつける、また、あなたの器としても用いてください。
言い尽くせないこの願いと思うよう、私たちの救い主、
主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。
それではどうぞ、しばらくお一人お一人がお祈りください。
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